新刊出ました。今まで出版された本も含めて無料キャンペーンします![訂正]午後5時から

昨日から出している新刊です。午後5時から無料キャンペーンとなります。

8月1日午後5時ら4日午後 4 時 59 分まで無料キャンペーン。
今日出した新刊です。短編小説集です。

奇妙なY嬢

奇妙なY嬢

8月1日朝5時から3日午後 4 時 59 分まで

前に出した本です。
8月1日午後5時から3日午後 4 時 59 分まで無料キャンペーン

自閉症スペクトラム戦記

自閉症スペクトラム戦記

紺

これも今日出た新刊です。週刊金曜日とゴヒエツコ氏との問題点をまとめました。

ネットリンチと性被害者が行う加害

ネットリンチと性被害者が行う加害

明日五時から無料キャンペーンができたらいいなと思っています。

内容紹介
週刊金曜日の出した菅野完氏の性暴力疑惑に関連して、性暴力被害者氏がc71に加えた加害について書きました。
被害者氏のしたことの問題点は、第三者を巻き込んでネットリンチをしたことです。そして、それにより、性暴力被害者も「加害者になりうる」ということが明らかになりました。
性暴力被害者が第三者に加害を行った場合「セカンドレイプ」という言葉を盾にして、被害の訴えを無効化することができます。
加害を受けた被害者が、その被害を訴えようとすると、「二次加害になる」「被害者特定に加担するな」「セカンドレイプをしている」という批判を受けることになります。経緯を明らかにするだけで、圧力がかかります。その点に問題があります。
また、今回は、メディアとの関わりが問題になりました。
メディアが、発売日前のゲラを裏で流通させ、宣伝に第三者を利用しました。
そのメディアは、「ステマ」ではないという声明文を出しましたが、発売日前のゲラを流通させることには問題があると考えています。ステマとは、消費者に気付かれないように、宣伝行為をすることです。
メディアによるコントロールがあるということが明らかになったため、誰の発言が、誰にコントロールされているのか、疑いながら、発言を読み解かなくてはならなくなったからです。
メディアが中立であれとは言いませんが、発言をコントロールし、個人の判断に介入することには、非常な問題を感じます。

そのため、この本を書きました。
明日また、キャンペーン追加の本があります。
お楽しみに。


障害者として生きる、という本を出版しました

相模原の大量殺戮事件を受けて、障害者に死んでほしいと思っている人、というアンケートが出回りました。
わたしは、それに対抗するために、障害者として生きるという本を書きました。

わたしたちは、楽しいことも、苦しいこともあります。

生きているだけで何も役に立たなくてよいと思っています。
できることがあれば、それはそれでよいし、そうじゃなくても、生きること自体、素晴らしいことだと思っています。
そのことを書きました。

c71.hatenablog.com

今、レビュー中というステータスなので、まだ無料キャンペーンにできません。
多くの人に読んでいただきたいため、KDPのステータスが変わり次第、無料キャンペーンを行います。
今回は発禁処分にならないと思います。
少々お待ちください。
もちろん、買っていただけましたら、うれしいです。
八月一日から、八月三日まで無料キャンペーンです。
障害者として生きる: 自閉症スペクトラムの診断が出てから、人生を楽しむまで

追記
奇妙なY嬢という短編集も出しました。

奇妙なY嬢

奇妙なY嬢


みたらし祭に行ったよ

今日はみたらし祭に行った。

下鴨神社に行った。森があって涼しかった。
池の中に、歩いて行って、膝まで使って、清めてもらうお祭りだ。
ろうそくに火をつけて、裁断のようなものにたてる。
小さい子が泣いていたり、はしゃいだりしていて、かわいかった。
浴衣の女性は、どんなふうに歩いたのか気になった。
膝の上まで水が来るところがあるから、どうやってクリアしたんだろう。

水から上がった後は、冷水を飲んで、体内も清めて、無病息災を願う。そういうお祭りだった。
どんなお祭りかわからなかったけど、たまたますいている時間に行けて、ラッキーだった。

少しずつ体調が戻ってきて、歩けるようになってきた。
昨日は三条に行ってお香を買った。とてもいい香りで、気に入っている。
毎日、ツイッターのフォローフォロワー関係の人と会って、おすすめのお店に連れて行ってもらっている。
はしたてというところのどんぶりもおいしかった。
他にも毎日あんみつや、かき氷を食べている。
今日は、昆布の佃煮を食べた。おいしかった。コーヒーもおいしい。
でも、京都のキャベツは苦くて辛い。どうしてキャベツが苦いんだ。郵送中に拷問でも受けているんだろうか…。
完全な自炊をしようとしていたけれど、あきらめて、冷凍のカボチャやパプリカや、肉を買って、レンジで温めて、温野菜サラダを作ってしのいでいる。京都の野菜は、出汁で煮ないと食べられない……。でもテクがない。
京都のすごいところは、どこの食べ物屋さんに行っても、おいしいものが出てくるところだ。インテリアも素敵だ。

鴨川デートをするのが楽しい。朝、五時に起きて、五時半から六時くらいの間の涼しい時間に鴨川を歩くと、鷺がたくさんいてかわいい。鴨もいる。鴨は子連れだ。

家に、友達を呼んで、だらだらするのも楽しい。京都の人は、ものごとをストレートにはっきり言ってくれるので、付き合うのが楽だ。もちろん、そうじゃない人もいるのだろうけど、今まで会った人は、直球で要求を伝えてくれるから、こちらも楽。おもてなしをしたいと思っても、察することができないから、こうしてほしい、こうしたい、と言ってくれることはありがたい。

通りによって暑さが違うこともわかった。緊張感がまるでないので、西だとか、南だとか、全然わからなくなった。そのうえ、右も左も文字通り怪しい。パートナーの六帖にすべてを任せて歩いている。

歩くだけで、小さいお店がたくさんあったり、小さい会社があったりして、のんびりできる。友達も言っていたけれど、無職でも、圧力を感じず、放っておいてくれるところが楽だと言っていた。その雰囲気は感じる。

ひらひら、きれいな色の服を着ている人が、女性にも男性にも多くて、目にも楽しい。

京都はとても楽しい。あと、一週間いられる。幸せだ。


障碍者として生きる

障碍者になる前も、わたしは困っていた。
診断が出てからも、わたしはまだ障碍者じゃなかった。
そのあと便利にするために、障碍者手帳を取得した。
そして、わたしは障碍者になった。

生きること自体に困難を感じていた。名前がついて、それについて調べられるようになった。
診断がついても、生きやすくはならない。
病気は、環境への正常な反応だから、環境を変えて負担を少なくすると、生きやすくなる。
薬で治療しても、それは、環境に適応するために無理をしているだけだから、結局、環境を変えることでしか、生きやすくはならない。

わたしはたまたま、パートナーの六帖と出会って、ケアをしてもらえるようになったから、生き方を変えることができた。
今は療養をしている。これからは、ホームページ作成や、店舗の出店の手伝いをしたりしながら、なるべく家でできる仕事をしたいと思う。パソコン一つで仕事できるのならば、旅から旅の生活ができる。

人と関わることは好きだけれど、上下関係がある世界ではもう働けない。自分でできることはたくさんあるから、そうやって生きていこうと思う。

障碍者と言っても、いろいろな障碍者がいる。わたしのようにできることが、まあまあある障碍者もいるし、できることに出会っていない障碍者もいる。生きていることに精いっぱいの障碍者もいる。

何もできなくても、何も役に立たなくても、生きることをバックアップするために社会がある。
でも、社会が、障碍者を殺す。

いわゆる健常者と言っても、できることがあるとは限らない。
できることがあれば、生きていてもよくて、できないことがあれば、死んだほうがいいんだったら、みんな死ぬしかない。
「できること」というものは、時代が決めることだから、時代によっては、スキルをつけても、産業ごとなくなることもある。そうしたら、あるとき、「できることがある人」であっても「できることがない人」に変化する場合がある。

死んでほしい、と言って、人を殺す事件があった。誰にも、人を「この人は生きてもいい」と決めることはできないのに。
自分のことでさえ、自分は生きてもいい、生きてはいけない、なんて、決めることは間違っている。

「この人は死んだほうが幸せだ」と勝手に思うことも、間違っている。

社会は人の命を守るための集合体だ。弱い人も強い人も、悪い人も良い人も、生きていられるようにするための集合体だ。

それを壊す行為は許されない。だから、相模原事件で論争が起きること自体が、理解できない。

はたから見て、「この人は死んだほうが楽かな」と思うこと自体は止められない。
でも、口にすることは間違っている。それは、社会の否定だし、社会に生きる自分自身の否定だから。
人の命を、コントロールできる、と思うのは思い上がりだ。
誰が生きているのが良くて、誰が死ぬのが良いのかなんて、考えること自体が罪だ。

わたしにも死んでほしい人がいる。嫌がらせをされたら、死ね、殺す、と言ってしまうこともある。わたし自身の命が危機にさらされているときにはそういう。

でも、殺したことはないし、死なせたこともない。そこにブレーキはある。

野に放たれた危険な人がいる。精神科のお医者さんが、入院患者は、自分の病気を把握して、それと向き合っている人たちだ。尊敬すると言っていた。
しかし、野に放たれた危険な人は、自分がなにかまずいことになっていると、自覚していない。精神病の人は、治療を通して、自分の困ったところを自覚して、向き合っている。

病院では、自分が困っていると自覚している人が集まる。精神科に入院をしていると、そこをついてくる人がいる。
わたしから見れば、そういう人こそ、まさに「野に放たれた危険な人」だ。自分自身に向き合うことをしていないから。

相模原の事件は、自分と向き合うことなく、外部に原因を求めた事件だと思う。自分と向き合わず、ただ、自分の保身と、勝手な思い込みで、人の命を奪った。理性的に、計画的に。

わたしは理性を信用しない。合理的に、理性的にふるまって、人をたくさん殺した歴史を知っているから。

感情はとても大事だ。何かをいつくしんで育てることや、手助けしながら生きることが大事だ。

そこから切り離されて、自分自身の中に沈み込んでしまったとき、危ないことが起きる。
それは、病気とは関係ない。病気は、単に、自分の生きづらさの一つの表現だ。
生きづらさを表現せずに、工夫もせずに生きてしまって、外部に、生きづらさの原因を求めたとき、残酷なことを人はするのだと思う。

病気の人を、狂っているという人がいる。判断能力がない。まともじゃないと。

しかし、まともに考えて、くるっておらず、判断能力があって、恐ろしいことをする人がいる。
その人たちに名づける名前がまだない。人を殺すことと、病気は関係がないのに、それをごっちゃにする人がいる。
病気は人を殺さない。

理性と、正義感、私怨が人を殺す。

八月一日から八月三日まで無料キャンペーンです。。
障害者として生きる: 自閉症スペクトラムの診断が出てから、人生を楽しむまで


性被害悪用問題の論点、これは人権侵害問題だ

  • 性暴力被害の政治的な利用について。

週刊金曜日の部数減少、赤字問題がある。日本会議批判で、評判になった「加害者」をたたくことで、部数を稼ごうとしたのではないか。
また、中島岳志氏は、週刊金曜日の編集部員である。中島氏と、菅野完氏は、個人的な対立関係にある。
操作と加害-二次加害を盾にした悪質さ: Black Bird
菅野完氏と中島岳志氏との確執?: Black Bird
接点は「選挙ステッカー」?: Black Bird

より
以下はすべて推測だ。

性暴力被害を利用して、週刊金曜日は、菅野氏をたたき、部数を増やすことができる。

また、中島氏は私怨を晴らし、言論封殺を行う機会を得たことになる。ゴヒエツコ氏は、2012年7月9日の被害があった以前から、選挙ステッカー運動で、週刊金曜日とかかわりがあることが分かっている。

週刊金曜日と、中島氏、ゴヒエツコ氏が集まることで、菅野完氏を、性暴力加害者と仕立て上げ、社会的に抹殺(ゴヒエツコ氏の発言がある)しようとしたのではないか。

そして、実際に、菅野氏は、事件があったとみられる一か月後に、「自主的に」反原発連を脱退し、離婚をしている。
反原発連にいたのは、一か月未満だ。菅野氏は、何かに所属するたびに、ゴヒエツコ氏に訴えられ、そこから抜けることを余儀なくされている。

週刊金曜日、中島氏、ゴヒエツコ氏の陰謀に、「性暴力被害者」たちのしてきた努力が、利用された。

  • 今回のことで、性被害を訴え、「セカンドレイプ」という概念を悪用することで人を操作する事態が生まれた。

ゴヒエツコ氏は、絨毯爆撃的に、一方的に性暴力被害を訴えるメールを送り付けて、性暴力サバイバーに近づいた。

性暴力被害者を名乗れば、性暴力サバイバーを操ることができる。
性暴力サバイバーに、性暴力被害者をケアすることは不可能である。それは、プロの仕事なのだが、今回の件で、サバイバーの気持ちはサバイバーにしかわからないから、サバイバーにケアをさせるべき、という意見を読んだ。
しかし、今回の件で、性暴力サバイバーは、性暴力被害者を訴える者に対して、冷静な判断をとることができず、拒絶もできず、巻き込まれてしまうということがわかった。気持ちがわかるからと言って、適切な行動をとることはできない。

  • 「加害者」について。

人権問題について深く考えている人ほど、その訴えを退けにくい。周りからの圧力もある。被害内容について、触れてはならない、というタブーがあるため、また、「していない」ことを証明することは難しいため、一度「加害者」と言われてしまったら、そこから逃れられない。
また、ゴヒエツコ氏は、菅野氏を社会的に抹殺したいと言っていた。あってはならないことだが、実現してしまった。

  • 性暴力被害者について。

性暴力を訴えると、「本当にあったのか」「冤罪ではないのか」「どんなふうにレイプされたのか」など、詮索されてきたという歴史がある。性暴力自体を、軽い被害だと思われてきた。
だから、性暴力被害者たちは、サバイバーとして、「被害を軽く見積もるな」「被害の内容を詮索するな」という風に、「セカンドレイプ」という言葉を広めてきた。

しかし、今回の件で、その歴史や努力が踏みにじられてしまった。
悪用されてしまった。被害者の訴えをそのまま受け取って寄り添う、ということが難しい事態になった。

  • 傍観者について。

わたしは、経緯を明らかにしたときに、「セカンドレイプをするな」という風に言われた。「傷ついていたら何をしてもいいのか」「被害者探しに加担するのか」ということだ。この言葉はゴヒエツコたちも多用していた。

傍観者たちは、性暴力被害者を名乗る人からの加害を無効化することに、加担した。そのことに対しての自覚がない。

  • 人権侵害問題

この件で、わたしは、ゴヒエツコ氏から、人権侵害を受けた。
しかし、彼女が「性暴力被害者」を名乗ることで、その問題は、見えなくされた。
それについては、菅野氏も同じ被害を受けている。言論を封殺されるという形で。
彼は、係争中だということで、発言が事実上できない。

  • 左翼、右翼問題

わたしは左翼だ。この件で、右翼である菅野氏を擁護する形になった。
そのため、左翼から右翼へ転向したとみられた。
しかし、右翼であろうと左翼であろうと、人権侵害は、放っておいてよい問題ではない。

性暴力被害のために、動いてきた人々のすべての善意を踏みにじった事件だ。


性被害の悪用、フリーライダー、沈黙の強制

「傷ついたら何をしてもいいと思っているのか」と複数の人に言われた。
わたしがしたことは、加害の経緯を明らかにしたことだけなのに、どうしてそれを言われるのだろう。
ゴヒエツコこそ、それを言われるべきだ。

菅野完氏も、性暴力を訴えられたことで、活動や言論、生活を破壊されたが、なにも反論できなくなった

傷ついたからと言えば、何をしてもいいと思っている。
わたしに対して、秘密の強要、沈黙の強制、言論への裏工作、ただ働き、暴言、対話拒否、嘘、使い捨てをした後、わたしが経緯を明らかにし始めたら、匿名でネットストーカーをする。

ゴヒエツコは、「性被害者」を盾に、人を利用した。そして、反論をすべて「二次加害になる」と言って封じた。

二言目には「セカンドレイプだ」と彼女は言う。わたしたちは、黙る。

問題点は二つある。性被害を主張する相手に、言論をもって立ち向かうことが困難なこと。
今回、わたしに向けられた非難は「セカンドレイプをするのか」「被害者保護はどうでもよくなったのか」「傷ついたからと言って何をしてもいいと思っているのか」だった。経緯を明らかにしただけなのに。

経緯を明らかにするだけで「何をしてもいいのか」と言われるなら、性被害者を名乗られて、加害をされたら、沈黙を強制されるしかなくなる。

ゴヒエツコは、言論統制を二つの形でした。反論を、性被害によって封じたこと。裏工作によって、人のいう発言が、「何かに頼まれてしている発言」なのか、わからなくしたこと。人の発言の信頼性を損なったこと。

また、今まで、性被害者たちが訴えた「二次加害をしないでほしい」という要望を、彼女はフリーライドした。
フリーライドしたうえ、その訴えを無効化した。
セカンドレイプと言いさえすれば、相手を思い通りにでき、黙らせ、ただ働きをされられると彼女は学んでいる。
わたしたちがずっとこつこと、「被害内容に触れないでくれ」と言い続けてきたことを利用したのだ。
だから、わたしは、ゴヒエツコの被害内容に触れざるを得なかった。

「被害内容を詮索しないこと」というルールを利用して、わたしに沈黙を強いたから。
だから、わたしは、それを壊すために、彼女の被害内容に触れた。彼女が、性被害者の願いを踏みにじったことは許せない。

今でも、わたしは「何を言ってもいいと思っているのか」「被害者の被害内容に触れるのか」と言われる。
わたしはゴヒエツコに加害されたのに、それでも、守られるのはゴヒエツコだ。

ゴヒエツコはネットストーカーだ。思い通りにならない相手には、ネットストーカーをする。ほかにも、この問題を扱った人にネットストーカーをしている。だから、ゴヒエツコはストーカーをする人間だ。
菅野氏にもストーカーをしたんだろうと、推測することは、そんなに悪いことだろうか。

無関心か、わたしのしていることに「傷ついたら何をしてもいいのか」という人たちは、性被害を、言論統制に利用されたことに対して、怒らないのだろうか。理解しないだろうか。

性被害者の願いを踏みにじられているのに、「傷つけたら何をしてもいいのか」とわたしに言っている場合だろうか。

性被害者の願いや尊厳を、踏みにじられ、性被害者も、加害者だと名指しされた人も、沈黙を強制される事態を作られてしまったのに。

追記
http://ericd.seesaa.net/s/article/440483016.html
こちらのブログからヒントを得ました。

この方の意見としては、
「被害者非難をしてはいけないという形を丸のみしているため、論点が見えなくなっている。
被害者非難をしてはいけないということで、思考停止になっている。
被害者非難をしてはいけないなら、ゴヒエツコの、被害者である、c71を、非難することは矛盾している。」
という指摘がありました。


キレイは汚い、汚いはキレイ

汚い言葉を使ったり、荒い言葉で文章を書いたせいで、様々な人が離れていった。
また、右翼である菅野氏について書き、性暴力被害者を名乗るゴヒエツコ氏を攻撃したことによって、やはり、人が離れていった。

しかし、わたしは、わたしのために戦ったので、人が離れるのは仕方がない。
離れた人たちは、わたしの名誉や、わたしの被害については見て見ぬふりをしたいのだろう。
わたしの訴える被害については興味がなく、ただ、きれいな言葉や美しい言葉を聞いていたかったのだろう。

政治信条が違っていても、人権は守らなくてはならない。

わたしは、菅野氏の名誉を棄損した。だから、菅野氏の名誉を回復する責任があった。
また、わたし自身の名誉も回復し、精神的なダメージについても、自分自身でケアする必要があった。

形だけ見れば、わたしは、性暴力被害者を攻撃したことになるんだろう。
でも、調べると、彼女は性暴力被害者ではなかった。取材をして、調べた。事実関係を洗うと、彼女のいうことには、整合性がなかった。だから、彼女は、性暴力被害者ではなかったという結論を付けた。

週刊金曜日の中島氏は、菅野氏の論敵だ。中島氏のしたことは、発売前のゲラを配るということで、言論人としては、してはいけないことだった。
週刊金曜日はろくな取材もせず、裏どりもせず、ただ、購読数を増やすための記事を書いた。

それを調べる過程で、わたしは荒い言葉も使ったかもしれない。
でも、加害をされて、加害者に対して、こちらばかり、「丁寧な言葉」を要求されるのは、腹が立つ。

マジョリティならば、きれいな言葉ばかり使っていても、過ごせるだろう。
でも、わたしの戦いは、わたしのものだ。

傷ついているからと言って、怒っているからと言って、言ってはいけないことがあると、何人かに言われたけれど、その人と、わたしの考えは違う。その考えの違いで、人が離れるならばそれで結構だ。

わたしは、このブログを運営していくうえで、さまざまな人と出会った。悪口ばかり言って、粘着する人もいれば、非常によく読んでくれている人もいた。理解者もいる。いろいろだ。とにかく、分母が大きいので、人が離れることにも、近づいてくることにも慣れてしまった。

きれいな言葉ばかりをつかえる人は恵まれているだろう。
わたしは違う。戦うためには、わたしの持ち物をすべて使わないと殺されてしまう。心が死んでしまう。
だから、戦っている。わたしは自分の自由のために戦っている。

きれいな言葉を使って、それで済む世界は、汚いものを見ないで済む世界だ。その世界にいられるのはマジョリティだけだ。恵まれた人たちだけだ。攻撃されずに済む人だ。攻撃されても慰めてくれる人たちだけだ。

攻撃されたら、わたしは戦う。戦わなければ、部屋の片隅で泣いているばかりで、決して、回復しない。自分のために戦うことが、自分を生かすのだ。

わたしは真実を見たい。真実は汚い。汚い言葉を使って真実を書き記したい。きれいな言葉を使う人は、人に迎合する人だ。嫌われないように、保身をする人だ。保身が汚いとは言わないけれど、そこには優劣がない。


性暴力被害者を装った加害の悪質さ、沈黙の強要

性暴力を騙って、人に沈黙を強いることができる。

性暴力被害者たちは、ずっと、二次被害、二次加害を防ぐことをずっと訴えてきた。
そして、それが浸透しつつあった。

ゴヒエツコ氏は、「二次加害」という言葉をよく使った。
わたしに記事を頼むときにも、自分の都合よい形でわたしを動かすために「二次加害を防ぎたいので」と言って、「被害者が言ったこと」「被害者にもらった記事」ということを伏せるように言った。
そうやって、わたしに制約を負わせた。記事の責任をすべてかぶせた。

わたしは、性暴力被害者が、自分の思うように人を利用することがあると想像していなかった。

しかし、ゴヒエツコ氏は、嘘をついて、わたしを利用した。わたしは、沈黙を強いられそうになった。

ゴヒエツコ氏は、性暴力サバイバーを狙って、性暴力サバイバーに、自分のケアをさせ、自分の思い通りに操ろうとした。
性暴力サバイバーに、ほかのサバイバーのケアはできない。

それは、プロがするべき仕事だ。

それなのに、ゴヒエツコ氏は、性暴力サバイバーを名乗る人間を狙って、裏工作を仕掛けた。

わたしは、ゴヒエツコ氏の加害行為を明らかにし、自分の名誉を回復したかった。つまり「頼まれて裏工作に関係する人」「著作権侵害をするブロガー」というレッテルを払しょくしたかった。性暴力被害者を守るために、あえて泥をかぶったので。しかし、彼女は、性暴力被害者ではなかった。性暴力被害者であっても、わたしに加害をすることは許されない。

だから、わたしは汚名を返上することにした。

わたしはセカンドレイプをしたくなかった。だから、ゴヒエツコ氏に従ってしまった。

わたしは沈黙を強いられることが嫌いだ。だから、経緯を公開した。わたし自身への加害行為について抗議をした。

しかし、その過程で、わたしのしていることは「セカンドレイプ」という批判が巻き起こった。

性暴力被害者、もしくは、ゴヒエツコ氏のように、性暴力被害を騙る人間が、なにか悪いことをしても、その経緯を明らかにしようとするだけで「被害者探しにつながるから、それは加害になる」と圧力がかかった。

それは、暴力だ。

被害を訴えられたら、「加害者」はそれについて、反論できなくなる。反論すると、「反省していない」「謝罪は嘘なのか」ということになる。反省していて、謝罪するならば、すべて認めるべきだ、という流れになってしまう。

本当は違う、実際に起きたことは違う、と異議を唱えるだけで、「被害者の訴えを無効化するのか」という流れになる。

セカンドレイプを避けるためにと言われてしまうと、何をされても、反論できない。セカンドレイプに慎重になればなるほど、被害者の意見や感じ方を尊重したいと思うからだ。

ゴヒエツコ氏はそれを利用したようだ。菅野完氏が行く先々で「この人はレイプをした」と言って訴え、彼の社会生活を破壊した。

わたしも、「セカンドレイプをするのか」「セカンドレイプに加担するのか」と責められた。ゴヒエツコ氏が、わたしに対してした加害行為を明らかにしただけなのに。

秘密を一方的に打ち明け、裏工作に引き込むのは暴力だ。性被害者のためになら、と思う善意を利用した暴力だ。

この事件で、性暴力被害者が今まで訴えてきた、「二次加害をしないでほしい」という訴えの流れは、非常に傷ついた。これから先、二次被害を訴えることは非常に難しくなるだろう。二次被害を盾に、沈黙を強いるやり方が生まれてしまったから。

以下は仮説だ。

ゴヒエツコ氏は、性暴力被害者を装って、「加害者」の生活を破壊した。訴えれば、なんでも通る、というやり方をした。
これで、被害者たちは、被害をますます訴えにくくなる。疑いの目で見られる。被害を盾にして、相手を操作しているのではないか、という目で見られていく。

ただでさえ、性暴力については「冤罪」ということが問題になっていて、その「冤罪なんじゃないか」という目にさらされるために、被害を訴えることが難しい状況が続いていたのに。それが、ようやく、風通しよく、被害を訴えることのできる土壌が育ちつつあったのに。

それを、ゴヒエツコ氏は、自分の都合のために利用した。

性暴力被害者を装えば、人を操作できる。社会的に抹殺できる。人権に対して、自覚的な人ほど、それに対抗することが難しくなる。

わたしもこのエントリを書くことには勇気がいった。紋切り型の「冤罪」問題にしたくなかった。

しかし、実際に、わたしに起きたことは「性暴力被害者を騙る人間に加害された」ということだ。そのことを明らかにした。

わたしは、沈黙を強いられることが嫌いだ。どんな形でも。わたしは、いつも、自分の考えのために戦う。

この件は、本当に残念だ。性暴力被害者も嘘をつく。性暴力被害者を装って、嘘をつく人間もいる。
その相手に対して、「加害された」と訴えることは、とても難しかった。
嘘をついていることを検証するために、多大な時間が必要とされた。
普通なら、「嫌なことをされた」ということを書くだけで済むのだけど、「性暴力被害者が加害してきた」ということを書くだけのことに、「性暴力が実際にあったのか」「性暴力被害者が嘘をつく場合があるのか」ということを長い時間をかけて、検証する必要があった。簡単に、わたしの被害を訴えることができなかった。

二次被害は防がなくてはならない。しかし、二次被害を盾に、自分の不利益を黙らされるわけにもいかない。
コンフリクトだ。

わたしは、沈黙の強要はあらゆる形であってはならないと考えている。
それが、たとえ、性暴力被害者であっても、加害をしたら、その責任を免れることはできない。

ゴヒエツコ氏問題は、わたしだけの問題ではない。
今までの、そして、これからの性暴力被害者たちが、自分の被害を訴えることが難しくなる。
そして、何もしていない人であっても、被害を訴えられ、反論しようとしても、セカンドレイプだと言われると沈黙せざるを得なくなり、真実を明らかにできなくなった。

ゴヒエツコ氏は、社会の信頼を壊した。noiehoie氏の居場所や、言論の自由を奪った。

一人の人間の生活を破壊した。

その罪は重い。
c71.hatenablog.com


ゴヒエツコ氏の「二次加害」という言葉を盾に、黙らされる人々

ゴヒエツコ氏の語る話は、ほとんど嘘だった。
本当のことのほうが少ない。ゴヒエツコ氏は、わたしに対して、中島氏に週刊金曜日を紹介してもらったといっていた。しかし、調べたところ、実際には、2012年7月以前から、週刊金曜日とリプライを送りあっている。また、選挙ステッカー、という取り組みで、ゴヒエツコが週刊金曜日と中島氏と連絡を取り合っている。

こんな些細なことまで、嘘だ。とても、ゴヒエツコ氏のいうことを信じられない。メールに出ていた人に連絡を取って聞いてみたら、相談されたことはない、メールはもらったことがある、と否定された。

ゴヒエツコ氏が以前かかわっていた仕事先の社長は、ゴヒエツコ氏とは、今全く関係がないと強く言っていた。

反原発連ができたのは、2011年。

事件があったとされるのは、2012年7月9日。菅野完氏が、意見広告を出したのが、7月12日。

菅野完氏は、7月18日から8月2日の間に、反原発連に加入している。

反原発連に菅野氏がもともといて、その後、ゴヒエツコ氏が襲われたなら、反原発連は対応するべきだ。

しかし、襲われた後に、菅野氏が反原発連に加入したのなら、ゴヒエツコ氏が、反原発連に、対応を求めるのは筋が違う。
反原発連には、対応する理由がない。運動と関係がないところで行われたことだから。
ゴヒエツコ氏の行動は、菅野氏の居場所を奪うために行われていると考えられる。

菅野氏は、自主的に8月21日に脱退している。

菅野氏が、反原発連にいられたのは、一か月程度だ。

その後、菅野氏は、離婚する。

ゴヒエツコ氏は、反原発連に、菅野保氏が反原発連を脱退した後も、対応を求めている。
それだけでなく、その後、菅野完氏が参加した、反レイシズム運動に対しても、被害を訴えている。
全く違う運動体だから、お門違いだ。
これは、ただ、菅野氏の居場所を奪うためにしたことだろう。
その目論見は成功した。

性暴力被害者の訴えを退けることは、誰もがためらう。
二次加害をすることを避けたいからだ。

二次加害をしないでくれ、というのは、ずっと、被害者たちが言い続けてきたことだ。
しかし、ゴヒエツコ氏は、二次加害を盾に、反原発連、菅野氏に沈黙を強いている。

推測をする。

この流れを見ると、ゴヒエツコ氏が、菅野氏をストーキングして、その結果、反原発連から追い出し、性暴力を訴えることで、彼らを離婚させたのだと考えられる。

わたしに、ストーキングしているのが、本当にゴヒエツコ氏かどうかはわからない。
しかし、嫌がらせコメント主は、ゴヒエツコを本名だと確信している。

週刊金曜日は、部数を上げるために、日本会議で注目されていた、菅野氏を攻撃する動機がある。

ストーカーによって、菅野完氏が、離婚せざるを得なくなり、言論の自由を奪われていったのは、非常にショックだ。
菅野氏は、ずっと対応し続けていた。
しかし、菅野氏が書いた謝罪文も、ゴヒエツコ氏は「法廷で使える法的な証拠が手に入った」と述べていた。
社会通念からしたら、謝罪文を受け取った時点で、和解が成立する。
そののち、ゴヒエツコ氏は、裁判を起こす。卑劣としか言いようがない。


ゴヒエツコ氏が行った菅野完 noiehoie 氏への暴力

これは、わたしの考えで書く。もう、誰かに頼まれて記事を書かない。
一方的に性被害を訴えるメールを送り付け、秘密を保持させ、裏工作に協力させるというのは、暴力だ。
そのメールの被害に遭った人は、ほかにもいる。

ゴヒエツコ氏は、自分自身で、菅野氏が行動する先々で、反原発連、反レイシズム運動、それぞれで彼が加害をしたと訴えたと公言していた。
そして、社会的につぶしたいと言っていた。実際に、わたしに裏工作を頼むなど行動もしていた。
自分自身がしてきたことや、謝罪を受け入れたことの事実を伏せて。

これは暴力だ。

ゴヒエツコの名前が、本名だと確信している人の嫌がらせコメントを受け、推測を進めてみた。

c71.hatenablog.com

ゴヒエツコの名前が本名だと確信している人が、ゴヒエツコ本人だと仮定すると、彼女の訴え自体が信憑性を欠いてくる。

菅野完 noiehoie 氏が、自分から事実を認めていること自体が、被害の表れなのではないか。
つまり、ゴヒエツコ氏が、菅野氏をストーキングしているのではないかと思うようになった。

菅野氏は、ストーカーから身を守るために、事実関係を認め、早く縁を切りたいと思うあまり、相手の言い分を飲んでいるのではないかと。

ゴヒエツコの訴える事件当日のツイートを検証しているサイトがある。

ericd.seesaa.net

事件当日の22:35の前にゴヒエツコ氏が

今の今までのいほいさんとお茶してたけど、あのオッサン携帯の電池切れてたから自演はないですわ(笑)

と、ツイートしている。
お茶をした後、ツイートをした。

菅野氏が帰宅したのが、23時半。
ツイートの後に、事件があったとしたら、一時間しか間がない。その間にタクシーで移動して、家に行って、作業をして、それから事件が起こり、そして、菅野氏が帰宅するまでたったの一時間だ。

ツイートの前に、事件があったが、和やかなツイートをする可能性もある。性暴力を受けたあと、友好的な態度に出て、恐怖を紛らわせることもあるからだ。

しかし、次の日の朝、

2012/07/10
09:59 @etsugohi 笑顔が似合う~ 楽しくなる~ ワケもなくドキ~♪ ムネムネ~♪ 眠い~♪
15:08 @etsugohi お金は埋まってるよー♪

という会話を、naeとゴヒエツコ氏は行っている。nae氏は、グループチャットで、わたしたちに「事件の時からずっとゴヒエツコ氏を見守ってきた」と発言している。

事件の次の日の朝に、「信頼できる友人」が「お金は埋まっているよー♪」という、ツイートを被害者に対してするだろうか?

naeは「最初からずっと見守ってくれている」ということなのに。
矛盾している。

防衛反応は、加害者に対して行われる。
対面しているときに、恐怖から、加害者に対して友好的な態度をとるのはよくわかる。

しかし、親しい友人に対して、恐怖を押し隠す必要はない。

可能性としては、あまりに恐ろしくて、自分に起きた被害を認識することができなかった、ということがある。

だが、週刊金曜日の記事によると、ゴヒエツコ氏がその場で恐怖を感じているという描写がある。だから、事件当日から、被害の認識はあったはずだ。自分に対して、自分の被害を受け止めること自体が難しいという状況ではなかったことになる。

ゴヒエツコ氏とx氏との対話を読むと、ゴヒエツコ氏は、事実を自分の都合のよいほうに少しずつ捻じ曲げて会話をする特徴がみられる。(その会話は、x氏がゴヒエツコ氏に加えられた被害の記録でもあるので表に出さない)

わたしの考えでは、ゴヒエツコ氏は、事実が全くないところから、嘘をつくタイプの人間だ。普通、人は嘘をついたり、事実と異なることを言ったりするとき、事実を歪曲する。だから、わたしたちは、何かもめ事があったとき「大げさに言っているかもしれないけれど、そのもととなった事実はあるのだろう」と考えがちだ。事実自体は疑わない。

嫌がらせコメントを読むと、「c71はセカンドレイプをしている」ということが延々と書いてある。しかし、今までわたしは、「自分自身に加えられた加害について」のみ書いてきた。だから、セカンドレイプはしていない。

嫌がらせコメントを書く人物が、ゴヒエツコ氏だと仮定すると、「事実がないところから、被害を作り上げる人物」ということがわかる。(ゴヒエツコという名前はハンドルなのに、なぜか、嫌がらせコメント主は、本名だと確信している)

推論を進めていくと、そもそも、ゴヒエツコ氏の訴える性被害自体が、なかったのではないか……。

わたしは、今では、菅野氏の名誉を棄損するためだけの裏工作に巻き込まれたのだと思っている。そうとでも考えなければ、ゴヒエツコ氏の発言のつじつまが合わない。一つ、二つ合わないだけならわかる。事件から四年もたっているのだから、記憶も変化しているだろうと思う。しかし、嘘の数が多すぎる。

わたしが、ゴヒエツコ氏と接触していたのは、たったの九時間だ。その間だけでも、ゴヒエツコ氏の主張や行動はつじつまが合わなかった。