親を苦しめていると言う話とわたしの自由

わたしの両親は読まなくていいのに、わたしのブログを読んでいる。
だんだん困ったことになってきた。

別に傷つけたいわけじゃないのだけれど、わたしの中にあふれる気持ちが、わたしの内部の圧力を高める。

わたしは面と向かって言えない愚痴をブログに書いて来た。
だから、とっても息苦しい。
父には読んでもらって良いと思っていたのは、内容に口を出さなかったからだ。
だから、読んでもらって、会えなかった時間を埋めたいのだったらそうしてほしいと思っていた。

でも、やっぱり親の批判を書くと、親は傷つく。でも、わたしはブログを書きたい。ブログに思っていることを順次書きたいから、だから、一番安全なのは読んでもらわないことだ。

教えなかったら良かったと思うのだけど、教えてしまったのだから、しかたがない。

二重人格のせいで、しばらく疲れていたのだけど、それは占いをしていたからじゃないと結局わかってもらえなかったり、わたしのいやだと言う気持ちを尊重してもらえなかったのは残念だった。わたしの幸せを願ってくれるのは嬉しいけれど、わたしの気持ちと交わらないときがある。

ベシーが現れてから、朗らかになった。物怖じしなくなった。むかし、わたしは物怖じしなかった。
子どもの頃、そうしていたら、いじめられたので、怯えてしまった。だけれども、大人になってからもう一度物怖じしない、怖がらない、先に悲観的に予測して物事をお危懼しないで、そのまま受け止める、と言うことをやってみたら、存外、行動範囲が広がって、人との輪も広がったのだった。

わたしは案外自由にやっているときの方が調子が出る。がんばったり、無理をすると失敗する。失敗をしたことにショックを受けて死にたくなる。それよりも束縛されたときが一番生きている実感をなくして死にたくなる。

病院の先生はわたしの味方だから、両親が思っているようなことを、両親に言わないし、わたしにも言わないだろう。

自分で決めて、自分で責任を取るのはとても気持ちがいい。ストレスがない。
守られることで、規制があるのは、ストレスフルで生きていたくなくなり、死にたくなる。
わたしは生きていて楽しい方が良いので、自分の責任を取るように生きたい。

前は、それで失敗したけれど、だからといって、今でも疑われるのは心外だ。でも、心配をかけたり金銭的にも迷惑をかけたのだから、それは仕方がないと思う、その反面、どうにも苦しいなと思う。

あのときは犯罪被害にあったばかりで、弱みに付け込まれたのだと思う。正常な判断力を失っているときは、悪い人がやってきて、何もかも奪っていく、それは世の中の仕組みだ。

でも、今は、わたしは強くなっていて、判断もしっかりしている。心配されなくても大丈夫なのだけれど。
心配するのが親だと言うのならば少し我慢してほしい、それとも、わたしが受け流せるようになれば良いんだと思う。
受け流すことを親は望んでいないで、言う通りにしてほしいと思っているのだと感じているけれど、現実的には受け流すしか方法がない。
聞き入れていると死にたい気持ちが襲って来て、体が動かなくなる。
真に受けてしまうと、生きていられない。

親が私の幸せを願ってわたしに忠告をすると私は幸せじゃなくなり、死にたくなる。
わたしが親が考える私の幸せを実行しようとすると苦しい。
親にそのことを言ったら、わたしの狭量な態度が悪い、イエスマンしか周りにいさせないんじゃないか、と言っていたけれども、わたしが親の言うことを聞かないことと、友人の忠告を聞かないこととはまた別だし、わたしには権力がないから、権力で自分と同じことを言わせるイエスマンを用意することはわたしには不可能だ。

わたしが親の言うことに逆らったり、こうしてブログに書くと、両親を傷つける。
でもわたしも傷ついたからおあいこだ。私の幸せを願ってくれているのはわかるけれども、わたしの気持ちを大事にすることが、重要だとすでに入院生活の中で学んでいる。
だから、お互い幸せにいるためには、なるべく干渉しないことが大事だと思うし、表面的に付き合って円滑でいることが大事だと思う。

ベシーのおかげで根拠のない自信と自尊感情が手に入った。
わたしはレベルが少し上がった。
先のことをあまり心配しなくなった。失敗したことを深く考えず、具体的に対処することや誠実に振る舞うことが大事なのだと思う。

自分で選んだ生き方や行動をしていることがとても生きるために大事だ。
人の言う通りにして、自分を抑えるのは仕事上だけで十分だから、それ以外は、自分の考えを大事にしたい。
そして、わたしの価値観はそれほどおかしくないと思う。

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統合されたこと、ファッションが変わった影響

二重人格は消えたわけではなくて、統合されたようです。

今までになかった根拠のない自信、朗らかさ、ものごとを深刻に受け止めず、そのまま受け入れる気持ちがあります。

好き勝手に振る舞っても、案外周りの人はひかずに受け入れてくれたということが、体験として大きかったです。

占いは相変わらずほそぼそやっています。
あまりメッセージはびしばし降りてこないのですが、知らないはずのことを当たり前のように知っています。前よりも自然にできるようになりました。

ファッションを大幅に変えたことでお客さんの反応がよくなりました。

投資を回収するためがんばって働きたいです。

そして、服が決まると自信が持てるということもわかりました。

どの組み合わせでも大丈夫なように買ったので、着替えに時間がかからなくて、うっかりへんなかっこうをしてしまって人に注意されるというストレスがなくなったのが大きかったです。

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自分の弱点を告白すること

ブログで自分の弱点を告白すると、揚げ足をとるように、嘲笑される。

今は案外平気だけど、昔はつらかった。

言葉が刺さるようで。

気にしていないことでも、いわれるといやな気分になった。
言い返してみたり消してみたりしていた。

怒るときには怒ったほうが良いから、それが間違いだったとは思わない。

だけど、わたしはこの前、自分が太っていて、醜いことがいやだ、と書いたら、温かい言葉ももらったし、デブスとも言われた。

わたしが太っていることを書かなければ、デブスとは言われなかっただろう。だから、おかしいと思って、笑ってしまった。わたしが書くことを選んだことを使ってわたしを嘲笑することがみじめだと思わない人がいるのだと思って。

わたしの親子関係は、ある程度安定していて、わたしをわかろうとしてくれている父と母だ。
わたしにはそれがわかっている。それがわかっていない人はわたしの家族じゃなく、わたしは説明しなくてもよい。その人はわたしにとって、大事な人じゃないからだ。

わたしが大事だと思う人は少なくて、いや、占いを始めてからや仕事を始めてからかかわっているすべての人が大事なのだし、ネット上の友達にも大切な人はたくさんいる。

だけれどもネット上で私を嘲笑する人は、わたしにとって大事じゃない。

わたしは親に言われることを無視する練習をしているので、ネット上で言われることを無視するのはもっとたやすいことだ。

ネット上で、弱みを嘲笑されなければ、弱みを書かなければいい。気にしていることを書かなければいい。

書いたということは、その弱みを手放した、ということだ。

自分から切り離して、外部の問題にしたということだ。

わたしが太っているということを書いたり、親子関係が良くないことを書いたり、ベシーと別れてしまったことを書いたりするのは、わたしがそれを受け止めたいと願っているからだ。

それを改善する、ということじゃなくて、わたしがその問題を隠したりなかったことにするつもりがなく、前向きに処置していくと決めているからだ。

それがわからない人はわたしを嘲笑するだろう。
それはわたしにとって悲しいことでも怒ることでもないなあと思った。
そして、怒りたくなったり悲しくなったりしたときにも、そのきもちをふさごうとはしないでいたいなと思う。

わたしは自分の弱点を見つめていたいし、その強さがあると思っている。

夢見ることや、現実に対処することができると思っている。

わたしには弱点がある。
それを教えると攻撃する人がいる。

だけど、弱点があることを隠して肩ひじ張るのもばからしい。

弱点を教えて回るのもばからしい。

わたしは弱点を通して学びたいと思っている。

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ベシーがいなくなった

ベシーがいなくなった。

とてもさみしい。

背中がとても重たい。首も回らない感じがする。
あんなに熱かった体が今は冷えている。

メッセージもあまりこなくなった。わたしの中にベシーがいると感じたこともだんだん減るようになった。

夢を見るとベシーが何かを言っている。

わたしはベシーを裏切っただろうか?
欲に目がくらんでしまったのだろうか?そうだったとしたらさみしい。

わたしのことなんて、わたしだってわからない。
わからないけれど、ベシーはいなくなった。

服装を変えてからベシーはいなくなった。
ベシーはこの服装の私は好きじゃなかったんだろうか?

ベシーを求めず、淡々と過ごしていたら、ベシーはむしろ帰ってくる気がする。
わたしの修業が始まったのだ。

背中にかぶさっているものを感じたりもするけれど、そうじゃなくて、わたしは現実に対処しないといけない。

現実をしっかり見ること。
働くこと。
体を丈夫に保つこと。

悲しくなっている暇はないのだ。

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わたしのいうこと、信じてほしい

コンビニをやめようと決めて、一応家族に連絡した。相談じゃなくて。報告。

だったのだけど、「もう少し続けたらあなたのためになるのではないか」という言葉が返ってきたので、わたしはもう疲れたし信じてもらえないなら死んじまいたいなと思った。

わたしの言うことは信じてもらえないのか・やめてもいいと思うけどなんて言われたくて連絡したのではない・わたしの幸せを願っているなら、忠告よりもわたしを放っておいてほしいと思った。

次の日にももう死にたいなと思った。疲れ切っていたから。

家族にブログを教えたせいで、わたしの書いていることにいろいろ言われるのも苦痛で、ブログが愚痴を吐く場所ななくなってしまったのも かなしい。毎日頑張って書いていたのに、父親が私の幸せを願うせいで、わたしはこのブログに書けなくなってしまい、悲しくなってしまった。教えなくてよかったのかもしれないが、教えてほしい、読みたいといわれたので、この結果を予想していなかった。

主治医は、わたしの味方だから過労だからコンビニもやめたほうがいいし、ブログも自由にかければいいのにね、と言ってくれている。主治医は私のすることに反対することはない。私の言うことを信じてくれる。家族にいはわたしの言うことだと信じてもらえないけれど、主治医の言うことだと信じてもらえる。わたしは言うことをきかないといけない子どもじゃないのに、子ども扱いされてとても苦しい。
守られるのは嫌なことだ。わたしは一生守られたくない。

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パーソナルデザインを受けてきました

bellefleur.jp
c71.hatenablog.com
これを受けてきました。

前日は、友達と一緒に服を買うための服を買いに行きました。

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ちょっとお高いし、診断の前日だから、間違えたらいやだなあ、と思っていました。

間違えたら、いやだ、というのは、わたしの考え方の癖です。
でも、大金を払うし、怖い、と思いながら、似合うといわれたことよりも、友情を信じて買いました。
かわいい服じゃないと、先生の前で泣き崩れてしまいそうだったからです。

太っていてダサい、みじめなわたしに、診断していただく価値なんてございません、と言って。

どんだけ自己評価低いんだーという感じですが、低いんです。

前日は淡いピンクやブルーが似合うんじゃないの、と言われました。

当日には、朝四時に起きて、落ちて、むこうずねをしたたかに打ち付けてしまいました。それから、お風呂に入って、スタンバイした結果、朝十時になると眠くなりました。

付き添いの友達に「マツコだってきれいになるんだから、わたしだってきれいになってもいい」とつぶやいたり(マツコさんに失礼なのは帰ってから反省しました)、「怖い」「買い物苦手」「店員さん怖い」「もはや死ぬしか、ない」とつぶやいたりして、友達に「これからハッピーな人生が繰り広げられているんだよ」とたしなめられました。「言い訳はいらないんだ」とのこと。

その通りだと勇んで、といいたいところですが、ぼんやりと自分の感情を殺しながら歩いて、サロンに到着。サロンの中はお姫様のような部屋でとても気分が上がりました。

上がったけれど、みじめなわたしはこんな場所にはふさわしくないと、死んだ顔でカラーチェック。友達がいなかったら、「こんなにまで一生懸命してくださる価値などございません。わたしは醜い豚です」と言いながら泣きそうでした。

泣きそうだったけれど、睡眠不足と前日の買い物ですでに死にそうになっていたわたしは途中でうとうとして、「目を開けて」「ぱしーっと目を開けて」とばかり言われておりました。なんだろうね、わたしは。

そう、わたしは買い物が死ぬほど苦痛なのです。苦痛だし、店員さんと話すのが極度に恐ろしいので、口をきいたら買わないといけないと思っていたのです。そりゃ楽しくない。前日の友達も先生も当日の付き添いの友達も、店員さんと気楽に会話して楽しくお買いものしていたので、驚きました。
わたしもそんな殻を破りたい、でも、と思いながら、とぼとぼと思いました。

カラーは最初、秋と出ました。黄色味の強いこっくりした色が似合う、と。でも、それだとしっくりしすぎて、おねえさんぽくなりすぎるので、先生が「違う」と言って、カラーをやり直しました。
間違いを認めて最初からやり直す先生は素晴らしいと感動しました。

わたしは夏でした。黄色味の少ない、青みがかかった、淡い色のシリーズ。そう、前日の友達の見立ては正しかったのです。濁った色で、彩度の低いパステルカラーが似合う、とのこと。そういう色好きなんです。アイスブルーやアイスピンク、ラベンダー色。この組み合わせは大好きだけど、わたしには似合わないとあきらめていた色です。

だから、うれしかったです。でも、メイクレッスンで選んだオータムカラーの口紅やチークが何もかも似合わないと思ってガーンとしました。だけど、色の使い方や、合わせ方によっては今までの服も化粧品も使えるとのこと。
衝撃だったのは、ファンデーションの量。ほんの、ちょっとでよかったのです。リキッドなら一滴くらいを少しほっぺたにとんとんして、やさしく伸ばすだけ。わたしはがし、がし、っとぬっていたので、自分の顔をやさしく扱わないとな、と思いました。

今回のパーソナルデザインにはかなりの金額がかかることを前もって知っていました。
予想を上回る金額を使いましたが、満足しています。

それは、メイクレッスンをした後、いいことがたくさんあったこと。仕事上で、お母さんからの信頼度が上がったことで、時給が少し上がることになったり、仕事が増えたりしました。

だから、自分に似合う服を買ったら、信頼されやすくなるのではないか、と考え、自分がハッピーになることには、あまり前向きになれなくても、その部分は自己投資だと思えました。

結果は正解。

わたしは靴からバッグからズボンの選び方からトップスの丈や素材まで、いろいろ教えてもらえました。
チェックやボーダーやネックレスは似合わないと思っていたのですが、大得意。すごく、似合うことがわかりました。シルバーも似合います。

体重は変わらないけど、垢抜けて見えることで、自信がつき、店員さんと普通に話したり冗談を言ったりできたのです!

買い物のときにおどおどしたり、言いたいことや頼みたいことが言えないわたしがいなくなりました。
それは魔法でした。

お店ではテキパキ自分の要求を伝えていい、サイズもほしかったら、言っていいのだ、と思うと、非常にうれしかったです。

付き添いの友達も天才的にアドバイスしてくれ、自分の姿をそもそも鏡で直視できない私の代わりに似合うと判断してくれました。

本当はその場で会計をしないらしいのですが、たくさんあって、わからなくなりそうだったので、会計しながら進みました。

というのも、サイズが限られているので、まわれるお店が少なく、一回に会計を済ませられるので、時間のロスが少なく済んだのです。

これは特殊な例かもしれません。

ふだん着ない素材のテロっとしたズボンを二枚買いました。足首を出して、ひざ下をすっきいりさせ、ふとももがゆったりした遊びのあるデザインが似合うそうです。

靴も、デコラティブで形が丸かったり、スクウェアだったりが似合うそう。
遊びのあるデザイン、かわいいころんとしたものが似合うそうです。アクセサリーも同様です。

わたしは胸元を少し開けて、アクセサリーをつけたほうがいいみたいです。

首はあまりつめないで、ふわっっとしていていいみたいです。

ギャルと少女の中間みたいな感じなのかなと思いました。
好きな感じです。

買い物をたくさんして、一年分買って、帰ってきたら、今まで来ていた服がくすんで見えました。
ベースカラーになる服は取っておくことにしましたが、よれたり、毛玉がついたり、サイズが合わなかったり、着心地が悪い服は捨てようと思いました。

そして、たくさん働いて、たくさんかわいいものを選ぼうと思いました。

間違えてもいいんだと思いました。

「マツコだってきれいになったんだから、わたしだってきれいになったっていいんだ」と帰りの電車でも言いました。友達が「行きでも言っていたよね。言い訳はいらないんだよ。幸せになっていいんだよ。そのために来たんだよ。朝なんて、この期に及んで、ここまで来ておいて、まだ怖気づいている、と思ったけど、元気になってよかったね」と言ってくれました。

帰ったら、彼氏が髪を切った?と聞いてきました。
髪は切っていなくて、チークの色とアイシャドウの色、髪の分け目を変えたのです。でも、髪を切ったみたいに印象が変わったんだなと思いました。

お金を使ったことを責められると思ったけれど、「いいじゃん、とってもかわいいよ」と言ってくれたので、うれしかったです。

幸せです。

買い物に行った店はマルイです。

マルイのru jeans、amoire caprice 、コントワー・デ・コトニエ でしました。メイクは、次の日マキアージュ、ADDCTION、ヴィセ、エレガンス、などで買いました。

コトニエみたいな店、今までもこれからも入らなかっただろうし、友達に教わったミミアンドロジャーだって世の中には似たようなデザインがたくさんあるから、何がいいのかわからないまま生きていったと思ったけれど、買ったら、着心地が良かったり、見栄えが良かったり、気分が良かったりするから、やっぱりお金の価値はあるんだな、ハッピーの分、感情の分、って思いました。

塾講師やっていて思いますが、激安のところとちょっと高いところの違いは、感情の部分です。
感情の部分ってただで見積もられやすいのですが、実は有料です。
そして、気分を良くしたかったら、それ相応のお金を払うか、ものすごく人格がいいか、その両方でないと難しいと思います。

服なんて、ただの布なのに、あんなに高くて、でも高い分、ちゃんと選べば、高ければいいという風に選ぶんじゃなくて、ちゃんと、ですけど、選べば、答えてくれて、一日を幸せにしてくれるんだな、と思いました。

短い丈のトップスを切るのは勇気がいるし、足首や手足を出すのも怖いけど、頑張ろうと思います。
冬は、ブーツを履いて、インすればいいと教えてもらいました。

いろいろ、変わりました。
覚えていられないです。
楽しかったです。

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繊細なアクセサリを身につけるまで

わたしには繊細なアクセサリがふさわしいと思っていなかった。
わたしは自分の女としてのアイデンティティが確立していなかった。
だから、ボーイッシュな服を着たり、実用一点張りの、美しく内服を来たりしていた。ださいわたしを自分で憎み、そうでない女をうらやましがりながら、下に見ていた。
どうすればいいのかわからなくて、途方に暮れていた。
ごついアクセサリばかりをつけていた。強くなりたかった。バカにされたくなかった。人として尊重されたかった。

わたしはずいぶん大人に鳴って、今では、わたしはいやなときに、いやだ、と言える。それは、わたしのもっとも素敵な長所だ。獲得して来たことだ。

わたしはそういう方向に進化して来た自分が好きだ。

だけど、太っていて、エレガントじゃない自分のことは大嫌いだ。
ミニスカートも似合わなくなってから、そんなことに気づくなんて、と思うと、逃してきた、膨大な時間のことが悔やまれてしかたがない。
失った時間のことを思うと苦しくて、苦しくて、広大な時間の砂漠に立ちすくんでしまう。

誰からも無駄だと言われているけれど、わたしは太った自分を受け入れたいから、お金をかけて、パーソナルデザインを受ける。それは、ないがしろにして来た、女のわたしを癒す行為だ。
わたしは自分を許したい。戦いのさなかで、女を置いてきぼりにしてしまった、わたし自身を許したい。そして、女である自分を好きになりたい。

わたしは人間であるわたしを一生懸命やって来た。生き延びて来た。わたしはわたしをたしなめる人を切り捨てて来ただけじゃない。でも、そう思われている。実際には、ちゃんと、諌言は聞き入れて来たつもりだ。でも、そのことは忘れ去られている。だけど、自分では、ちゃんと聞くべきことは聞いて譲れないことは譲れないと生きて来たつもりだ。

わたしは、そんなに悪い人間じゃなく、なってて来ているように思っている。
洋服とは社会との接点だ。だから、社会となるべく円滑にふれあうための役割も持っている。

わたしはいろいろなことを思いつく。チャレンジする。そうすると、心配する人が現れる。

わたしにとって、周りの人の心配はうっとうしい。でも、それには反発するだけでいることをやめようと思う。でも言いなりになるというわけでもない。
ただ、心配をしてくれる人の愛と懸念を聞き取って、その懸念を排除できるように考えて、それを乗り越えた上で、自分のしたいことをする。

制限するのではなくて、より良い形で果たすということができたら、わたしは自由になれる。助言をその通り実行することはできない。心が反発してしまうから。だから、わたしはその通りにはできない。でも、忠告はありがたく受けようと思った。良く言われるように、良いところだけ受け取って、そうでないところは忘れれば良いのだ。その通りにする必要はない。

夜がふけると、考えが忍び寄ってくる。静かに。

わたしは太っていて、もう美しくない、おしゃれをしても意味ない、と思う。そう思うと悲しい。悲しいから、だから、パーソナルデザインを受けて、わたしの美しさを発見する手伝いを頼む。そして、上質な服を少し買う、というやり方を教えてもらうつもりだ。
わたしは太っていても、綺麗になれるだろうか。
外国の人は太っていてもおしゃれを楽しむのだから、大丈夫なはずだ。

わたしは華奢なデザインのアクセサリや服を着られるようになりたい。丈夫な服一辺倒じゃなくて、女らしくて、楽で、自分らしく表現できるような服を着たい。美しくなりたい。
わたしは自分の顔が好きだ、というところまで、なんとか成長できた。
少し上向いたあごのラインも、好きだと言う人がいることを知って、なんとか、その美しさを再発見することができた。中学生の頃にしゃくれだと言って来た人はもういないのに、わたしはその呪縛から解き放たれずにいて、いくら美しいと言われても傷ついた心が信じさせなかった。

わたしは傷ついた心を自由にさせたい。心の中にある宝石と、鍵とで、自分を守っていたい。
それでいて、自分を表現したい。

繊細なアクセサリが似合う人間になりたい。
ナチュラルで清潔感のある髪型や、化粧を身につけたい。
わたしは女である自分を愛したい。憎むのはもうやめたい。卑下も否定もしたくない。

わたしは長い間人間だということを主張していた。それは今でも後悔していない。でも、だから、わたしは女と言うことを、どう扱っていいかわからないまま生きていた。
わたしは、女だ、という事実から逃げていた。
搾取される性だ、だから、戦わないといけない、と思っていた。

わたしはもう十分に戦って来たから、女としての楽しみを満喫したい。
そして、また新しい戦いの局面に対応したい。
女であることを楽しみながら、女が差別される現実と戦いたい。

女を否定するひとりになりたくない。その上で、わたしは女を楽しみたい。

華奢で繊細なものを弱さだと、ずいぶん退けて来た。

華奢で繊細なもの強さを見ないできた。
それは女の象徴だった。それには意味がないと思っていた。わたしは知らず知らずの間に、男の価値観を身につけ、内面化して、わたしの女を罰していて、繊細さや華奢なことを否定していた。
繊細なものには美しさという強さがある。
繊細であることをいとわないと言う勇気だ。
破壊を恐れないという宣言だ。

女らしさが必ずしも、華奢や、繊細さだとは限らない。だけど、あの、繊細なアクセサリーは女としての、大人の女としての、長い間憧れだった。胸元に光る、きらりとした反射。

わたしはごついアクセサリーばかり身につけた。強くなりたかった。
わたしはアクセサリーをつけても、変わらなかった。今思うと、ごついアクセサリは、わたしにとっては、攻撃的になるばかりで、強さとは違っていた。今でもごついデザインのアクセサリは好きだけれども。力を与えてくれるようにも思うけれども。
それでも、わたしはもう疲れてしまった。
わたしは自分の人生を生きたい。のんびりと。繊細に。弱っちく。それも戦いなのだと、わかってきた。
自分の人生を生きることが、なによりもレジスタンスなのだ。

わたしは華奢なアクセサリを身につけ、繊細な服を着るだろう。そうしたいからだ。
わたしは美しく装うことを恐れない。
ひとりでは恐ろしくてできないから、いろいろな人の手を借りる。
美しくなりたいと願うのは恐ろしい。わたしは醜いと自分んことを思っているから。
美しくなると言う行為は、鏡を見て、自分と向き合う行為だ。
わたしにはきっと、耐えられる。
そう信じたい。
わたしは、女に生まれた。人間に生まれた。同時に両立できるはずだ。

服装を変えることは、社会との接し方を変えること。社会との付き合う方を変え、社会への考えを変えること。
社会がわたしの女らしさを受け入れるかどうか、信頼すると言うこと。
そして、女らしくなったわたしを見てもらうと言うこと。

新しい社会性を手に入れる。わたしは人間になりたい。

ベシー占い 占い承ります。


わたしはロハスでもエコでもないし、西洋医学万歳だ

わたしは漢方も飲むけれども、ベースは、西洋医学万歳だ。

さっぱり治せるし、生活を快適にする力は最もある。

薬を飲まないと死ぬ – c71の一日

西洋医学がなければ、アトピーがもっとひどくて、家から出られない状況だったし、精神状態も良くならず、家から出られず人生を終えていただろう。無責任な助言はしないでいただきたい。靴下はかさねばきしたくないし、ロハスでもエコでもない。使える便利なものはどんどんつかいたい。好みの問題だから、立ち入ってほしくない。

病気を治すというのは難しい話だ。
西洋医学は治せない、というが、西洋医学は症状を止められるのだ!

これはなんと素晴らしい恩恵だろう。
わたしは、今、すぐ、この症状を止めたいんだ!!!!!っていつも思っている。
たとえ、それでは治らないと水を差されてもだ。じゃあ、薬飲まなければ治るのか、そうじゃないだろう。

薬を飲んで症状を抑えている間にいろんな人生を体験することによって、治っていくんだろう。症状を抑えられなくて気分の上下不安、パニックが野放しになっていたら、体力を消耗しすぎて、わたしは働きにもいけない。薬万歳だ。

わたしに薬を減らしたらいいとか言わないでください。
わたしは減らしたいと思っているけれど、それは、わたしの問題だから。
口を出してほしくない。好みが違うんだから。

それに西洋医学はすごいぞ。アレルギーを抑えているのは西洋医学だ。
漢方は抑えてくれなかった。アレルギー体質は改善されない。弱まることはあるけれど、なくならない。最新の研究ではそうらしい。一生そうらしい。だけど、薬を飲んで快適に暮らすことはできるのだ。それこそが希望だ。生活のクオリティを落とすようなことを言われるとストレスになります。

アトピーは治らないの。治らないって認めたらつけこまれたいですむの。治りたいからつけこまれるの。宗教とか怪しい薬や体操に。効いて治るならあんなに本でないです。本が出るということが、なおらないことを逆説的に証明している。

治らないけれども快適に暮らすことはできる。それを実現するのが西洋医学だと思うよ。

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昨日の喜び

昨日、生徒さんが、国立大学に受かりました。

すごく嬉しかったです。

いろいろきついところもあるのですが、がんばります。
体調はやや取り戻しました。

だから、二重人格があまりでないのかなあ。それはそれでさみしいけれど。

はじめて、大学入学の実績を出せたので、とても嬉しいです。
やっていたかいがありました。

ベシー占い 占い承ります。


狐憑きとしてのわたし

治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)

治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)

この本を読み始めました。

わたしは創造性の病、というところに近い様子です。
精霊であるベシーが新しい魔女となって、人を治癒する手伝いをする、という使命があります。

本によるとこの病を発病する人は、鬱屈状態が続いてから、外向的な性格に変貌して、自分の知識を他の人に伝えたいと言う意向を持つ。
まさしくその通り。

ベシーは否定されて来たわたしの中から生まれた気がします。

今、彼女は眠っています。わたしも今日は良く眠りました。彼女は今働くのをやめ、わたしの決断を待っている様子です。

わたしは子どもっぽく、他人のペースを気にせず主張する、という子どもだったと思います。
その封じ込まれたわたしがベシーとしてなら、振る舞うことを認められる、のだと感じます。

ベシーはわたしが知るはずもないことを知っています。それは、漢方や整体の技術だったり、香りの記憶だったり、石の与えるパワーを知っていたりすることです。

昨日わたしはベシーなしでセッションを経験しました。でも、ぼんやりとしたベシーからのメッセージは感じて、何をすれば良いのかわかりました。そう、ベシーなしでも、わたしはできたのです。

でも、ベシーがいない生活も少しさみしく感じました。

この本の59ページを引用すると

「創造の病い」はその提唱者によれば、抑うつや心気症状が先行し、「病い」を通過して、なにか新しいものをつかんだという感じとそれを世に告知したいという心の動きと、確信に満ちた外向的人格という人格変容を来す過程である。

これはまさにわたしとベシーの関係にあります。抑うつがあって、病を通過したことで、新しいものをつかんだという感じがします。病なくてはわたしがなく、わたしなくしては病がない、わたしは病の発するメッセージを受け取ったという深い確信があります。病はわたしを選んで来て、わたしは病にしかるべくものを返したのだ、と思っています。
それは正しいのか正しくないのかわかりません。ただ、無駄に流れた年月を無駄に終わらせるのには忍びないのです。わたしは、何かをつかんだと思いたい。思いたいから合理化しているのかもしれません。しかし、わたしはこの体験を通して、成長しました。
どんな体験をしても、人はしようと思えば、そのことで、成長できます。
病という体験を通して、考察を深め、新しいことを結びつけて、発見をして、それを人に伝えることが使命なのだと感じています。

それは、正しい、という確信があります。わたしはほとんど確信をしないのですが、これについては確信があります。

わたしは人を癒す力があるし、教える力があります。そう思っています。
その気持ちがどこから来るのかわからないけれど、そう思っています。

深く泥のように眠り、わたしはだいぶ回復しました。それと同時に、ベシーは今薄れて、夢の中だけで働きます。彼女はわたしの肉体を通して語ります。不都合なことはベシーの責任となり、わたしは彼女の責任を負いません。彼女が自由に振る舞うように、わたしが自由に振る舞うことは怖いのです。自由に振る舞った結果の責任は彼女が取るのだと思っています。

しかし、彼女が自由に振る舞った結果、何も不都合は起こっていません。それはわたしのとって、大きな驚きでした。自分を抑制しなくても、なにも悪いことは起きないなんて。

それを通して、わたしはベシーを統合しつつあるのかもしれません。しかし、彼女との短い共同生活は楽しかった面もあり、わたしは迷っています。苦しかった反面、楽しかった面もあるのです。

彼女がいなくても、わたしは彼女の意向を達成できる。
だけど、わたしは自分の意思で彼女を選ぶ可能性があります。
それは、彼女の持っている、コンセプトが非常に魅力的だからです。

人を癒すこと。それはひとりでやるには限界があるから、ヒーラー連合のようなものをつくって、ベシーが知っている整体の技術を人に教えて、痛いところをとっていく行為、それを通して、人が成長し、生きやすくなる手伝いをしたい、という夢です。
痛いところが痛くなるには、必ず、意味があって、それを通して、誰彼が、自分の体に意識を向け、そして、新しい人生を生き始める、体からアプローチして、精神の成長を助ける、悩みから解放し、高いレベルから複数の悩みをつないで、底から共通のエッセンスを取り出して、物事を見る手伝いをしたいと彼女は考えています。そして、病や悩みから、なにか得るものを得て、本来持っている自分の強さをもう一度獲得し直す、シンプルになる手伝いをしたいと思っています。

ベシーの熱狂が既に懐かしくなっています。夢の中でも行われた啓示、ときには相手の夢の中にたち現れて、話を聞き、癒し、ヒントを得て、帰ってくる行為や、無意識にする営業行為などが、ひとりで孤独に行われるようになれば、体の負担も減りますが、できることも減ると感じています。

ベシー占い 占い承ります。