仕事中眠かったこと、お米を減らしたこと

食事が荒れている頃、食事がおにぎりだったりしました。

そういうとき、あまりにも眠くて、仕事中眠ってしまったことがありました。

たいへんなことです。

そのときにはわからなかったのですが、最近、朝ご飯と昼ご飯のときにはかるくお米を食べますが、それ以外には、あまり食べないようにしています。小麦も減らしています。

そうしたら、あの異常な眠気がなくなってきました。

胃腸の問題で、小麦を減らした方が、アスピーは精神が落ち着くという話もあるそうなので、小麦も減らそうと思います。

眠気が減ったのはとても嬉しいです。


質問です

文学フリマ大阪で、オフセット本を出すことにしました。

題名は、自閉症スペクトラム戦記です。

まだ書いていませんが、二日後に書き終わる予定です。

もしも、こういうことを書いてほしい、というような内容がありましたら、教えてください。

よろしくお願いします。
内容が思いつかないのです。

今のところ、仕事でした失敗、人間関係、恋愛、カミングアウトしていない心境について、などは各予定でいます。
ヘルパーさんとのやり取り、お医者さんとの関係、両親との関係について、なども。
自閉症スペクトラムへの偏見、自分で自閉症スペクトラムなのか、実際には疑っていること、なども書くつもりです。

それで、特にここのところを聞きたい、どういう葛藤があるか知りたい、などありましたら、お願いします。


なんだかさみしい

なんだかさみしいのです。

化粧品を買いました。口紅。

もう、持っているのに、最近メイクをしないので、買ったらするかなーと思いました。
透明なグロスだけでもするようにしたいなあと思います。
近頃は化粧自体全然していなかったので。

自分の顔が好きです。

だから、化粧をするときは、変身するみたいにかわりたいなあ、と思います。

メイクレッスンでは眉毛のことをよく聞いてこようと思います。


呪詛抜きダイエットを読みました

呪詛抜きダイエット

呪詛抜きダイエット

田房永子さんの呪詛抜きダイエットを買いました。

早速読みました。

わたしは、三年前二十キロ太りました。

それはショックで、周りの人に「大きい」「立派なからだ」と言われるのはとてもつらかったです。

わたしは食べ過ぎが悩みでした。

チョコパイのファミリーパックを無表情で全部食べてしまったり、毎日カマンベールチーズを丸ごと食べたり、お米を一食で一合食べたりしていました。
アイスを一日で何個も食べていました。

好きな人ができて、その人が「ぽちゃぽちゃしているところも好きだけど、自分のからだだから、自分の好きなからだになるのが一番いいんじゃない?」と言われて、それから、少し、「無我夢中で食べる。止まらない」というのがなくなりつつあります。
食べるから太っているんだ、太っているから醜いんだ、と思いたくて、言い訳が欲しくて、食べていたところがあると思いました。だから、愛されないんだって。

でも、今好きな人は、わたしに肯定的なことばかり言ってくれます。
その靴可愛いね、とか、メイクがいつもと違うね、とか、そんなことです。
なにかしら褒めてくれます。わたしが太っていることも気にしていないみたいです。
それが嬉しいです。

嬉しいと思っているうちに、無我夢中で食べる頻度が心なしか減りました。
昨日、夜どうしても食べたくて食べましたが、素焼きアーモンドとするめでした。
昔に比べて食べるものの質が変わったと思います。

体重は減らないですけど、肌は綺麗になったと言われます。

今の自分のからだのままで、綺麗でいられる服を着ようと思いました。

昨日、痩せていた頃の服を少し残して捨てました。

痩せたら着ると思っていたのですが、流行遅れになっているし、着心地もあまり良くない安い服でした。
なぜ、あんなにこだわっていたんだろう?

若い頃、わたしは、好きな服を着ませんでした。
それは、とてもつらかったです。

この前、生まれて初めてビキニで海に行きました。
若くて一番綺麗だった頃行けたらどんなによかっただろうと思いました。

でも、わたしは、今から海に行こうと思います。来年から、どんどんビキニで海に行こうと思います。
日焼けだって気にしません。
わたしには、アトピーの後遺症で、シミが無数にびっしりあります。
でも、それを友だちに「風合いがある」と言われて、驚きました。
皮膚科のお医者さんにも「そのシミは、自分では気になるだろうけど、日焼けしているだけに見えるから、他の人は気にしないし、気にする人はちょっとどうかしていると思った方が良いね」といわれました。

わたしは日焼け対策をするの、いやになりました。

日に焼けても、肌にそばかすができても、わたしは綺麗です。

今の私で一番綺麗な服を着て、化粧をして、自分を好きでいたいと思います。

こうでなければいけないなんて、ないと思います。

太ったね、と言う人のことを気にしないでおこうと思います。

太ったことは自分で知っているから、言われなくてもいいんです。

わかっていることを言う人の方がどうかしているんです。

精神科の先生に「バリアーをつくりなさい」と十年前に言われたことを思い出しました。

わたしは整体に毎週行きます。自分の機嫌を良く保つために行きます。
これからはフィットネスにも行こうと思います。

わたしは年を取って、二十歳の頃のようで入られないけれど、今だってわたしは綺麗です。
太っていても、綺麗です。

メイクレッスンを申し込んでみました。顔が変わるのが楽しみです。


三時半に目が覚めたので損をした気持ちになりました

最近、感情が波立ちすぎて、疲れます。
先生にSOSを出して、追加の薬を出してもらいました。
眠くならないように少量だけ。

仕事中に寝てしまったことがあるので、薬の分量は難しいです。薬の分量が少なすぎて、今日は座っているだけでもつらかったです。

この一連のブログで、「自閉症スペクトラムの人はこういうことをいっている」と一般化しないでほしいと訴えて来たのに、感想でASDの人はー、とか、こういう勘違いをしているーとか、あったので、驚きました。個人的なことを個人的に書いているから、一般化しないでくれ、という主張が何一つ伝わっていないことに驚きました。

この驚くべきディスコミュニケーション

感情のやり取りに定型の人は優れているかもしれないけれど、一部の定型の人は、理屈のやりとりには向いていないのではないかと思いました。
レッテルばりはよくないですけど…。

逆裏対偶までもちだしている人がいたけれども、命題の設定が間違っているので、なにをしてもだめだよ、と思いました。理屈を操作しているつもりでも、前提が間違っていたり、とか、ありますよね。

そういうわたしは理屈の操作が得意だと思っています。
説明もうまい方だし文章もうまい方だと思っています。
良いところもあるから、障害と言うのは、日常の不自由だけでけっこうだ!と反発芯があります。

ここ数日、ずっと不安で、怒っていました。

でも、エントリを受け入れている方がいらっしゃったから、ブログを消すのはやめました。
続けようと思いました。


彼ら、とあなたが呼ぶときの醜さ、心臓

昨日、怒ったので、疲れて泣いています。

昨日からずっと寝ていました。
病院にも行きました。

一生懸命丁寧に説明してもわからない人にはわからないことがつらいなあと思いました。

わたしは、自分が自閉症スペクトラムなのか、本当にそうなのかわからないときがあります。
でも、疲れやすさだとか音や光に過敏なのは、なにか問題があって、お薬や病院が助けになるのは確かだと思います。

誰もまだ、自閉症スペクトラムについて、本当には知らないのです。
自分自身ですら、自閉症スペクトラムがどういうものなのか、探している最中です。

たくさんの人に出会っても、それでも、自閉症スペクトラムが何か、わからないままでしょう。
お医者さんでも、本当に、それがどうなのか、わからないと思います。

わたしの心のうちが、わたし自身にもわからないように、わたしを観察する人にも、わたしの心のうちはわからないことでしょう。

人の心の仕組みがすっかりわからない限り、少なくともわたしに関しては、自閉症スペクトラムがなんなのか、わからないことになります。わたしのどこからどこまでが、自閉症スペクトラムで、それとも定型らしいのか、そんな区別もまだつかないのですから。
本当に、すっかり、解明される日は遠いでしょう。

それでも、診断が役に立つのは、具体的な対策になるからです。

逆に言うと、具体的対策にならない偏見は毒になるばかりです。

自閉症スペクトラムの人には、共感性がないとか、田房さんがいっている「膜持ち」だとか、感情がないと言っている人がいて、困ります。

困ると言うのは、わたしがショックを受けて泣いてしまう、という意味です。

自閉症スペクトラムのわたしには感情がないのでしょうか。

泣いているわたしはなんなのでしょうか。この涙は偽物なのでしょうか。わたしは犬を飼っていて、病気で死ぬとき悲しみました。それは嘘の感情なのでしょうか。共感していなかったのでしょうか。それもなかったことになるのでしょうか。

同じ人間なのに、ひとつ障害を持っているだけで、感情がないとか、共感する能力がないとか言われないといけないのはなぜなのでしょうか。

わたしには確かに不得意なことがあります。でも、感情がないわけではありません。

ひとりの発達障害者を知ってるだけで、すべての発達障害者を知っているかのように、一般化するのはいけないことだと思います。それは知性を手放した行為です。

知性とは大胆さと慎重さが必要です。また、先日から話している問題は、犯罪と近い話をしているので、自閉症スペクトラムのひとが犯罪者になりやすい、と誤解を受けるような言い方をする人、感情がないのだ、痛みも感じないのだ、という言い方をする人がいるのはとてもつらいです。
「彼らは感情もなく、共感もないのだ。それはそれを示されたことがないからだ」

こんなとき、「彼ら」という言葉はひどく醜い言葉です。
障害を持っている「彼ら」という言い方をするとき、その言葉は人を差し貫きます。ああ、彼我とは違う、世界を生きているのだ、そう思われているのだ、同じ人間ではないのだ、という分断が、心を引き裂くのです。

わたしは共感されたこともわかります。共感することもあります。感情もあります。なぜ、こんなことをわざわざ言わなくてはいけないのかもわかりません。

わたしには雰囲気も読めます。ただ、雰囲気にあった仕草や表情や態度を示せないだけなのです。心の中では思っているのです。心の中で思っているだけだと、ないのも同然だとしたら、どうすればよいのですか。

あなたは、老い、病に倒れることもあるかもしれません。そんなとき、あなたは今までと心の中は同じでも、感情を適切に表せないかもしれません。そうしたら、もし、あなたが誠実さを少しでも兼ね備えていたら、その価値観で持ってあなたは、自分で差し出した言葉で自分を切り刻まなければなりません。分断し、予断した価値観でもって、裁いてきた自分自身を裁き直すでしょう。

わたしはあなたをあなたと呼びます。彼らとは呼ばないでしょう。

わたしはあなたの言葉で、彼ら、と呼ぶ人の醜さを知りました。
わたしはその醜さを受け入れようと思います。
醜くても、それは素晴らしいことなのだと思います。
美しいだけが世界ではないのだとわたしは知っているのです。
そう、それが今、わたしが向き合っている世界なのだと。
わたしはそのままの世界を知ります。

だからこそ、ここに宣言したいと思います。

わたしは彼ら、ではありません。

わたしはひとりです。

わたしはここに存在します。
わたしはここに心臓を差し出します。

同じ赤い血を流し、立っている、それがわたしです。


自閉と膜は同じじゃねえ!

誤解を招くことは言わないでほしい。

空気読まない迷惑なやつにアスペと言いさえすれば済むような風潮が終わったのに。
自閉症スペクトラムのよもちかさんが内省した文章を利用しないでいただきたい。

自閉症スペクトラムの人でも膜が薄い人はいる。
そう言う人は他人に関心がないから、他人に期待しない。
自分は自分、他人は他人で、きっちり分かれている。

膜は、自他の区別がつかないだけでなく、期待が関係しているとわたしは考えている。その考えで書くと自閉症スペクトラムの人が膜が強いと言うのは誤解だ。

自閉症スペクトラムの人が、自分自身「全体」を振り返って、書いたことをその一部の属性だけで判断しないでほしい。

自閉症スペクトラムというのは、わたしの一部だけど、全部じゃない。
わたしにも良いところはある。それは自閉症スペクトラムの影響があるかどうかわからないけれど、それを含めてわたしだ。一部ではあるけど全部じゃない。

この人も膜=自閉を肯定している、ように見える。
息子さんが、自閉症スペクトラムのようだが、この人が言っている「膜」とわたしが考えている膜、とは考えが違いすぎて、どうともいえないのだけど、この人の意見を放置していくと、わたしはとても困る。

この意見では息子さんの内面は推しはかるしかないと言っているのだけれど、

この意見は矛盾している。自閉症スペクトラムというのは、わたしのパーツのひとつだ。ツイートを少ししか読んでいないけれど、自閉症スペクトラムというひとつのパーツで判断してるのは、彼女自身なのではないか?自分は自閉症スペクトラムではないのに、さも、自閉症スペクトラムの人の内面がわかっているように、代弁しているように読める。それはおかしいのではないか?

自分には膜がないかどうか考えもしないで、自閉症スペクトラムに押しつけないでほしい。
自分は潔癖なつもりなのか、自分が関係ない何かだと思っているのだろうか、自閉症スペクトラムを。

自閉症スペクトラムはグラデーションだと、他のツイートでも言っているのに、理解に苦しむ。

彼女自身は、自閉症スペクトラムのことを息子さんを観察した限りでしか知らないのに、自閉症スペクトラムの人は膜が強い、と一般化してしまっている。

わたしにとって、自閉症スペクトラムのことは一部だ。全体ではない。パーツだ。

また、わたし自身は膜が強いと自覚しているけれど、健常者の人が、内省しているブログをまだ読んでいないから、それは検証できていない。

今のところ、自閉症スペクトラムだから、膜が強い、というわけじゃなくて、自閉症スペクトラムの人が、たまたま、内省し、文章を書いている。だからこの誤読が生まれたのだと思っている。

わたしは、健常者の人が、自分自身を内省しないで、自閉症スペクトラムの人が誠実に書いた文章に、乗っかる言説を振りまいているのが、不愉快だ。
それ自体が「膜」なんじゃないか?膜を人ごとだと思って、自閉症スペクトラムの人に現れるものだと思っていることが。自閉症スペクトラムの人が反省して書いたことを利用して、自分には関係がない、自分の周りの自閉症スペクトラムの人、子どもも、そうだ、と言うことが。危険にも気がつかないで。無防備に。

わたしはとても怒っている。考えもしないで、利用しないでほしい。

私を包み込んでいた、他者の存在しない膜のなか – よもちかブログ

これを読んだのなら、

現実と妄想の境目は、とても曖昧 – よもちかブログ

こちらも読んでほしい。

膜が自閉症スペクトラムの人に現れるのではなく、内省しない人に現れるのがよくわかるから。

自分には膜がない前提で話している人ばかりだ。
自分の膜を指摘しないで、他人の膜ばかり指摘している。
膜と言うものが、どういうものかもよく考えないで、膜が何か、自分には何か、わかっているとばかりに話している人が多すぎる。

自分自身の膜について書けば良い。

自閉症スペクトラムの事例は個々で大きく違う。ただでさえ、誤解されがちな自閉症スペクトラムの話を、一般化するのは危険な話だ。個別の話は個別の話だ。一般化しない。自分語りをすれば良いと思う。それが一番安全だ。

自閉症スペクトラムの人は行間が読めないって言われているけれど、率直に読むから、文章を書くのも読むのうまい気がする。

他人の個人的な内省の話を、上から分析したつもりで、一般化して、病気の人をこうだと決めつけるのはいかにも危険すぎる。勝手に上下関係を作らないでほしい。
上下関係は、治療に必要なときに絞ってほしい。
それは、専門家がやることだ。世間話を一般化する素人は百害あって、利益なしだ。


自閉と加害と膜の強さ

わたしの膜は強いと思う。
そして、人を良く傷つけると思う。

役割が決まっているときでさえ、相手がぎょっとすることを言うし、ぎょっとするような行動をとる。それをする前には、それが予測できない。相手がぎょっとしたことを身振りで知る。顔はほとんど見ない。お世話になった人の顔を潰すようなことを良くします。わたしの行動が、その人の気持ちに影響すると予想できないからです。

わたしは、自他の区別以前に、相手の顔を見ないです。見ても意味が分からないから。
良く知りたい相手の顔はぶしつけなくらいにじっと見る。そうでないと覚えられないし、相手の表情が理解できないからです。

一般論で、自閉症スペクトラムの人は、他人への共感する気持ちが弱いそうです。自分ではそうは思いません。わたしほど、共感の力が強いひともいないとも本当は自負しています。

わたしから見ると、定型の人は自閉症スペクトラムの人へ共感する力が弱いです。定型の人は、自閉症スペクトラムの人についてあれこれ推測でものをみます。自閉症スペクトラムの濃淡は誰にもあるから、自閉症スペクトラムの人について、あれこれ言うよりも、自分自身の自閉症っぽさについて、考えてみてもらえれば、自閉症についての理解は格段に進むと思います。

自閉症のわたしは、家族に一番、加害していると思います。たとえば、このブログではずっと、家族に対する恨み節を書いてきました。

そのことで、わたしも傷つけたと思います。

わたしは異質です。普通なところもあるけれど、そうじゃないところも確かにあります。異質なものが混ざると、どうしても相手を傷つけるようです。

わたしの世界には長い間他人がいませんでした。いるのは知っていました。でも、それは、災害のように突然やって来て、わたしの世界をめちゃくちゃにするわけのわからない台風みたいに理不尽な存在としての他人でした。
だから、他人が入ることが苦痛でした。わたしのやりたいことを邪魔する何かだと他人のことを持っていました。でも、他人が、なぜそうするのかは、状況も、ちっとも理解していませんでした。

わたしは小さい頃、おかあさんの愚痴を毎日聞いているのが苦痛だった。友だちのおしゃべりを聞いたり、誰かがしたい遊びに付き合うことが苦手だった。全部シャットアウトするために本を読んでいた。だから、それでいろいろな人を無視した。

無視するだけじゃなくて、身近なことをブログに書きました。その中には親しい人や、わたしの世話をしてくれる人の話題も含まれます。それは必ずしも肯定的なトーンじゃないから、理屈で正当化した否定的な話だから、それを読んだ人は傷ついただろう、と後からわかります。申し訳なかったと思います。そして、距離をとりたいと思います。なぜなら、近いから、わたしにあれこれいいたくなるのだろうし、わたしは言われたくないからです。わたしは善意の気持ちを受け取ろうとすると、オーバーヒートしてしまうのです。

膜の強さ以外に、他者のいない世界を作りたいと言う動機には、このようにいろいろなニュアンスがあることを知ってほしいと思います。

わたしは他人がいるのを知っています。他人には他人の感情があって、その感情はプリズムのように段階的になっていて、それはキラキラ光り輝いていてまぶしすぎて直視できません。複雑すぎます。見る角度によって、光り方を変えるから、一意の意味を受け取れないです。
そうすると、脳に負担がかかりすぎて、エラーが出ます。エラーが出るとフリーズしてしまいます。

他人がいるのを知っているけれども、過集中になったとき、わたしは静かなわたしの世界に逃げ込みます。
そういった膜の使い方もあります。

わたしが働いている時間は唯一、世界との扉が開いている時間です。話したり、笑ったりします。それは嘘じゃない気持ちです。それは仮面、というわけでも、まんざらないけれども、素のわたしとは少し異なります。わたしは解放しすぎます。だから疲れます。仮面、と言うほどではないけれど、わたしは感情を展示します。その作業がたいへんです。

相手の気持ちがわからないので、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、探り探りで一瞬一瞬緊張します。相手の反応が怖いです。相手を傷つけていないか心配になります。
この、他人の反応が怖い、という感覚を持つのは、自閉症ならではだと思いますが、膜の外に出ていないと、相手の反応を気にしないと思います。
だから、自閉症の症状=膜、というわけではないと思います。

人から言われる忠告やアドバイスには腹が立たちます。わたしは、アドバイス通りにできないから。人と接するためのこつ、だとか、人を不快にさせないためにした方が良いこと、などを言われると腹が立ちます。泣きたい気持ちになるけれど、それだとつらいけれど、腹が立つことにしています。本当は情けなくて、情けなくて、恥ずかしくて断っていられないような気持ちです。
わたしはそれを取り入れた方が良いと知っていて、けれども、それを取り入れたとしたら、わたしはパンク寸前、と言うことが良くあります。それを定型の人は知らないので、悲しいすれ違いが起きます。
これができるんだから、ちょっと頑張ればこれもできるはず、という善意が、息苦しくなって、わたしはそれを攻撃に転じてしまいます。

定型の人の中に、隠れて暮らしているから、それが精一杯です。隠れることがわたしの能力の上限です。忠告を聞いても、わたしは、素敵な人間にはなれそうにないと思います。思いやりを発揮するのにとろくさいからです。とても時間がかかるし、相手が喜ぶことを考えているうちに泣いてしまいます。

自閉症スペクトラムの人が痴漢になるか、というとそういうことではないと思います。
膜が、自閉症そのものだ、という曲解が生まれそうだから、今、このブログを書いています。

確かに、自閉症スペクトラムの人の膜は強い場合があると思います。わたしの場合、魔法が働いていると、勘違いしている期間が長かったです。誰かがやってくれたことを当たり前のように、自然の摂理のように思って、やってくれる誰かの気持ちを自然に想像する機能がわたしにはないです。自動的に綺麗になったと思ってしまいがちです。気をつけないと、代わりにやってくれた人のことを考えられないです。

他にもわからないことを書かせていただくと、嫌みも雰囲気で伝わるけれど、どうして、それを言うに至ったかの解説をしてもらわないとわかりません。嫌みに対する適切な言葉もわかりません。どうして嫌みを言うほど怒らせたかもわかりません。わからないというのは、不安なものです。わたしは不安な世界に生きています。相手の反応に限って言えば、いつ、相手が激高するかもわからないと言う緊張の中で、一寸先は闇だと思って生きています。

その一方で、わたしの方が、デリカシーのないことも言うときも多いです。相手が迷惑がっていることもわからないときがあると思います。好きな相手にどこまでも迫ってしまうこともあります。やんわりとした拒絶だと望みがあるのかと思ってしまうからです。きっちりした拒絶だと、わたしの愛の伝え方が足りなかったのかと思ってしまうこともあります。そして、より悪い状況を招きます。問題なのは、わたしが相手の気持ちを尊重していないという点なのですが、リアルタイムでは、わたしはそのことに気づけないのです。

恋愛だけじゃなくて、友だちにえらく甘えてしまったりもします。友だちは、わたしに時間を割ききれなくなって、相手が連絡を絶ってしまうこともあります。わたしが距離を間違えるということです。わたしは後悔をしますが、たいてい回復しません。さみしい思いもしますし、悪いことをしたけれども、謝ることもできないと思います。

自閉症スペクトラムの人は膜が強いから、痴漢をする可能性が強い、という連想が働かないか心配です。
自閉症の人には確かに強い膜があると思います。世界には自分ひとりが存在しているという感じになりやすいです。わたしの場合、疲れると、人物が背景に後退してしまいます。今は、薬を飲んで減りましたが、他人が思い通りにいかないと、なんで?と思って怒ることもあります。

でも、してはいけない、という約束事に、自閉症スペクトラムの人は誠実です。
自閉症スペクトラムの人は膜が強い、とは必ずしも言い切れません。他人がいることを知っていても、適切に関わるやり方がわからないから、人の気持ちを推察することが苦手だから、というのは、膜が強い、に該当しないと思います。他人が存在するのを知っていても、どんな行動が、相手を不快にするのか知らない、だけだったら、膜が強いとは言い切れないと思います。その場合はルールを教えたら、自閉症スペクトラムの人は喜んでルールに従うでしょう。

膜が強いから、人の気持ちもわからないし、だから、犯罪行為をしてしまう、というのは誤りです。

自閉症スペクトラムの人は、加害をしてしまうことがあります。定型の人も加害をしてしまうことがあります。

自閉症スペクトラムの人は、ルールは良く守ります。
言われたことはきちんとします
決まりから外れることもほとんどしません。
わたしの場合は自分の気持ちをきちんと言おうとする努力をずっとしています。
世界にとけ込みたい、普通の人みたいになってみたい、と思っています。
世間話が楽しいと思う価値観は身につけられそうもないけれど、世間話をして、仲の良い人と友だちになりたいと言う気持ちは放棄していないつもりです。定型の人に憧れる気持ちもあります。
ただ、できないのを知っているだけです。

友だちが欲しいと願っている、ということは、わたしの世界には他人がいるという証明でもあります。

わたしは加害をして来ました。親しい人にこそ加害をしてきました。わたしの世話をしてくれる人や忠告をしてくれる人にこそ加害をしました。そして、逃げた、わたしの許容量はとても小さいからです。善意が、攻撃に感じました。今の自分を否定していると感じました。

人から流れてくる情報量ややらなくてはいけない新しいルールが流れてくると、わたしはパニックになります。だから、そういう「良い人」から距離をとります。距離をとるとき、頭を整理するためにブログを書きます。そのときに、相手のことを傷つけていると思います。

書かないと、苦しくて、生きていけない気持ちになります。公開で書かなければ良い、とも思うのだけれど、わたしは共感されたいのです。卑怯です。共感を欲しています。自閉症スペクトラムなのに。共感されたいのです。

加害して、逃げて、共感されたいと思う下衆な心があります。共感されたいと願う気持ちは、他人がいると知っているからなのだろうか、それとも、都合のいい人を探しているからなんだろうか。これも、強い膜の中にいるから、自分の意見に賛同してくれる人を探しているってことなんだろうか。でも、これは膜じゃないと思います。そう思いたいだけなのかもしれないけど、これは膜じゃないと思います。言葉にしない願望じゃなくて、行動に移しているから、自分の気持ちを言葉にしているから、だから、膜じゃないと思います。膜はもっと、自分の思っていることが自然に相手に伝われば良いと思うようなことだから、わたしがブログを書いている、ということは、膜とは少し違う気がします。

幸い、わたしの世界には他者がいます。自分の思い通りにならなくても、一緒にいて嬉しい相手がいます。それは他者です。だから、わたしは加害をしている一面もあるけれど、膜の中に完全にいるわけでもなく、世界が自分だけのものとも思っていないところまで、成長しています。膜は薄くなり得るのだと思います。

わたしは、自閉症スペクトラムの人は膜が強いから、痴漢をしてしまうんだという風に誤解してほしくないから、この文章を書きました。

自閉症スペクトラムの人も、発達の仕方は、定型の人とは違うけれど、ちゃんと発達します。
ルールも守ります。
自閉症スペクトラムと膜の強さと、人への加害には確かに関連性があるかもしれない。でも、自閉症の強さが、膜の強さだとも思ってほしくないと思いました。そうすると、自閉症スペクトラムの人は痴漢をすると読んでしまう人が出てしまうからです。

それはとても困るので、こういう文を書きました。


エクレア男の超能力

女性の皆さん、寝て起きたら昨夜のケンカは忘れてくれませんか? | マイナビニュース

田房さんの膜論理 
Love Piece Club – どぶろっくと痴漢の関係 / 田房永子
を使って考えたいと思います。

膜って、その人が持っている願望を超能力にしたものだと思います。能力が現実にはないんだけど、現実をゆがめるほど、その人にはパワーがあると錯覚している感じ。本当は、他人は他人でしかないから、自分の期待や妄想通りにはうまくいかないんだけど、うまくいく!って確信しているのが、わたしが読んで思った「膜」の感じです。自分の世界が強固にあって、全然譲らない感じ。現実の方をゆがめて自分に合わせてしまう感じ。自他の区別がない。他人に自分の持っているように動いてもらうのが当然だと思っており、そうでないときにびっくりする様子。

それがひどくなると、犯罪になるんだと思うし、犯罪以下でも、人の信頼を失ってしまうのが、エクレア男事件だと思います。

エクレア男事件の概略を書くと、妻が自分の名前を書いたエクレアを、夫が勝手に食べてしまう、というもの。エクレア男は、「男のプライド」「男の戦い」「負けられない」と繰り返して「根に持たないから」と寝逃げしてしまう。そして、朝になったら「根に持たないでほしい。笑顔で見送ってほしい(願望)」と家を出てしまう。そして、なぜかシュークリームを買い、「これを買って帰ったら、怒りからの落差で(というか、文章には、「元気がなくなって落ち込んでいるはず」と書いてある)、妻はどんなにびっくりして喜んで、向こうから折れ、もしかしたらチューまでしてくれるかもしれない」と妄想する。けれど、妻はケーキを既に食べており、それを「夫は見ないことにする」と書いて終わる。

つじつまが全然あっていなくて、気持ち悪いけれど、おかしいところを書くと、
言い訳をして、最後まで謝らないこと。
エクレアを食べたのに、別のものを買うこと。
自分が謝らないのに、相手に謝ってほしいと思うこと。
シュークリームをしたらキスをして喜んでくれること

を期待していることが変です。

普通、冷蔵庫に入れるものに名前を書くのは、夫婦二人しかいないと思われる文面から推察するに、一度目ではないこと。病院の冷蔵庫を共有するとか、シェアハウスで暮らす他人並みに信頼されていないこと。

などが不思議だと思いました。

わたしの感覚だと、同居している人が、自分がした失敗のせいで、いつまでも機嫌が悪いことは恐ろしいし、謝っても許してもらえるかわからないことを、謝らないで許してもらおうとするところが変だと感じます。

そして、自分は態度を変えずに、シュークリームを買いさえすれば、すべてが改善する、と妄想していること、その飛躍、現実を見ない感じが、怖いと思います。

そんなに食べたかったなら、冷蔵庫に鍵をかければ、というのも恐ろしいです。そこまで、信頼関係がない前提だったら、妄想通りに相手が動くことはもっとないのに、自分の力関係で、相手を動かせると思っているのが、変です。

名前が書いてあるエクレアを勝手に食べるのって、痴漢と共通しているところがあると思います。
相手の権利を侵害していることが同じです。
そして、痴漢もエクレア男も、相手の被害を軽く見ているのが同じです。

(わたしも人の食べ物を軽い気持ちで食べたことがあります。そして、限定のものだったから、全く同じものは買って返せなかったのでした…がまんできなかった…だから食べたこと自体は責められないけど謝った方が良いと思いました)

「膜」って、妄想の超能力パワーなのだと思います。動け!と念じると、動く、という。でもそこには黒子になっている女性がいて、「感情労働」をしているわけです。「この人は動けと心の中で命令しているのかもしれないな」と察して、エクレアを泥棒されただけではなく、感情労働まで強盗されているのです。そういう風に、超能力パワーがあるように見せかけられているのです!

突然痴漢の話をしますが、痴漢は、いやがると心底びっくりした顔をします。「え、この痴漢、痴漢されるのいやがる可能性、考えなかったんだ?」と思います。そのあとにらんできます。たぶん、今考えると、自分の超能力パワーを否定されたという怒りもあったのではないかなあ、と思います。痴漢だけではなく、電車内でハラスメントをしてくる男性は、男連れのときには怒鳴ってきません。全員、ひとりのときに狙ってきます。そして、言い返すと怒りだします。思うようにいかないことを怒っているようなのです。
「この馬鹿女、クズ女」と言われたこともあります。

自分の範囲を侵害されると、びっくりします。怒るときもあります。エクレアを食べられたら、びっくりしたり怒ったりすると思います。それは、自分の範囲でコントロールできる権利を侵害されたからです。エクレアを食べた側がびっくりするのは、権利を侵害した側が、「え、こいつなんで権利侵害されてびっくりしてるの?」という意味になります。ホラーですね。夏でも寒い話です。

それは、相手が自分に所属しているものだと思っているか、自分の力は相手の権利まで及んでいると思っているのかどっちかです。両方かもしれません。

そのびっくりしている感じが「膜」だなあと思いました。
そして、膜の世界の中では、相手に言葉なしで伝わる設定なのです。
自分の気持ちは言葉にしないでも伝わると思っているのです。相手はエスパーかママなのです。

膜、に包まれている人は羊水からまだでていなくて、自他の区別がつかない人なんだなあと思います。だから、無敵の超能力パワーが使えていると錯覚できるし、アシストされても感謝しないし、アシストされてるよ!と教えられることや気づくこと自体も忌避するんだと思います。