薬を飲まないと死ぬ

わたしの鬱は治らない。

障害が治らないから。手足が新しく生えてこないように、わたしの脳の機能は増えない。

世の中に順応するために、わたしにはストレスがかかる。そのストレスから逃れられない。その反応としての鬱なので、治らない。障害とセットだ。

だから、普通の人が鬱病はこうしたら治った、という話が存在しても、わたしの鬱は治らない。
ケースと種類が違うから。そして、その人は患者であって、お医者さんではないから、わたしの病気のことはわからない。

わたしに共感したつもりになる人はたくさんいても、本当には私の気持ちはわからない。
なぜなら、わたしとその人では脳が違うし持っているからだも違うから。歴史も違うから。親子関係も違うから。
そのことにたいして不遜な人はいる。

一般論として、母親のことは恨まない方が良いし薬は減らした方が良い、と助言してくれる人がいる。いろいろ直すべきことを言ってくれる人がいる。

世の中に適応するためには、直さないといけないことがわたしにはたくさんあるだろう。それはあるだろう。障害があるから。それが障害だから。普通の人が見て眉をしかめたくなるような「習慣」が、あるのが障害だから。人前であくびをするとか、おしりをかくとかに、気づかないという社会性のなさが障害だから。

ひとつひとつ直せば良いと思うのかもしれない。でも無数にある。わたしはどこかであきらめなければいけない。ここのところくらいで、社会と適応するのはあきらめよう。
それを決めるのはわたし。ラインをひくのはわたし。

でも、ラインを引くのが自分だと思っている人の方が多い。わたしを直したい人はとても多い。
言ったら直るから。ひとつひとつは直るから。

でも、薬の量は増える。
それは、わたしが社会と順応できてない、軋轢が増えたということだから。

わたしはおかあさんのことを憎んで恨まないと死んでしまっただろう。
ラインが引けなかったから。だから、二度と会うことはない。会うことになったら取り返しにつかないことに(わたしが)なる。死ぬかもしれない。命の危険がある。お医者さんもそう言っていた。わたしが母に会うことは、命の危険があることだと。

薬も同じだ。
わたしは薬を飲まないと緊張がとれず眠ることができない。それは病気だから。病気なのは障害が原因にあるから。気の持ちようでも生活習慣でもない。そういう緊張をしてしまう病気だから。薬を飲む。

わたしは命を預けて、お医者さんに通っている。それくらい信じている。お医者の腕は、わたしにはわからない。ただ信じている。死んでも仕方がないと思っている。

わたしに薬を断つことや減らすことを勧めたり、おかあさんにあったら?憎むのをやめたら?と言う人は、わたしの「お医者さんへの信頼をやめて、私のことを信じろ、そして、そのせいで死んでも誰も責任は取らない(取れない)」と言っている。お医者さんだって、わたしが死んだら、わたしの命には責任を取れないけれど、それが仕事だから。無免許で医者みたいなことを言う人よりもずっと良い。

わたしは健康のために薬を飲んでいる。薬を飲むとからだに悪いと言う人はいるが、薬を飲まずに、鬱病を悪化させたり、眠れなかったり、寝たきりになったりすることは健康に良いのだろうか?
その人はわたしの生活の質が下がることに対して、何を担保してくれるのだろうか?
どんなかたちで責任を取ってくれるのだろうか。
わたしを幸せにしてくれる?
そんなバカな。

嫌いなものから逃げるのは、生き物はみんなそうだ。当たり前だ。逃げないと死んでしまう。逃げて良い。嫌いなものを嫌いだと感じる心を大事にするのは、いやなものから逃げるセンサーを磨くことと同じ。

わたしは薬を飲まないと死ぬし、おかあさんに会ったら死ぬ。アドバイスされすぎても病気がひどくなっても死ぬ。わたしの障害手帳は二級だ。軽いわけじゃない。軽く見えるんだったら、わたしはすごく頑張っている、ということだ。軽く見えるから、もっと頑張れば、もっと普通になれるんだ、と思っている人はわたしのことを知らない人だ。
手足が生えてくるのを誰も期待しないだろうに、わたしには期待する人がいる。


これが社会人の意味など、断固反対だ

無職になり改めて感じる「社会人」という言葉の曖昧さ – ぐるりみち。

会社に所属している人だけが、社会人なんて、断固反対だ。
そして、会社に所属しているからと言って、その人が常識的だということは決して担保されない。

わたしは社会人であることは、大人であることの責任、子どもに対する責任を果たせる人のことだと思う。

わたしが会社に勤めていたとき、社会人らしかったかというとそうでもなかったと思う。
なんとなく甘えて生きていた。緩かった。組織と言うものが、生暖かかった。気持ち悪かった。

今ははっきりいている。時間で働いている間は、きっちり仕事をしておこうと思う。その方が時間がつぶれて楽しいからだ。

評判が良くなって、仕事が回ってきやすくなって、自分が得をするからだ。
そのからくりがわかったときに社会人になった気がする。

病気だったり妊娠していたり子どもを産んで働き先がなかったりする人が、社会人じゃないなんて誰が言えるんだろう。
そう言うことに対する、想像力のなさの方が、社会人としての資格を問われるのではないだろうか。

生きていたら前に出るし考えるし行動しないと楽しくない。楽しくなくても平気だったり、それでも良いと思うんだったら好きにすれば良いと思う。

社会人の意味は働け、という、他人に規定されたものではないはずだ。
自分や自分の人生に責任を持つ、ということだ。
わたしはそう思って生きている。

それができなかった時代、わたしは暗かった。
病気もひどかった。
生きる意味が見えなかった。他人任せだったからだ。

他人任せで、誰かが良い風に自分をうまく配置してくれるだろうと甘く期待しているうちは、社会人ではない。
自分の限界を知って、できることを探して、自分なりに幸福を追求していくこと(もしくはしないこと)が、社会人、大人、ということだ。


良い性格をしているね

わたしは良い性格をしているね、と言われることがあります。

これは褒め言葉ではありません。

ふてぶてしい、強い、性格が悪い、ということを言っているのだと思います。

わたしは、一見腰が低くて礼儀正しいと初対面の人に思われる可能性もなくはないと思いますが、人との距離のバランスの取り方が変なので、親しくなれると思ったら、その間の距離をすっ飛ばします。

そして、もう、この人はめんどくさい、と思ったら、ずけずけ言います。二度と会わないつもりだからです。

わたしのことを強いというひともいますが、強いと思います。

弱々しくはないと思います。

ときどき、さみしいという気持ちになることもありますが、たいていふてぶてしいです。

いつも自分のために生きているわけではないです。自分のために生きる、ってよくわからないです。

でも、あるとき、自分が我慢しても何一ついいことはない、ということが身に染みてわかったのです。早くわかればわかるほど良かったと思います。

わかったときには衝撃を受けて、もっと早くわかりたかった!と思い、周りを恨みましたが、まだまだ早い方だった可能性もあるな、と思います。

わたしは人間が好きです。だから勉強が好きです。勉強とは人間らしさの極地だと思います。時代を超えて、いろいろな人と対話できるのが良いと思います。生身の人間は刺激が強いので苦手です。

わたしに良い性格をしているね、と言う人は、ずけずけしていて思いやりがないと思います。

だからどっこいどっこいです。
会社員に戻る気持ちは一切ないので、それで良いのです。
最低限の人付き合いだけで良いです。
得意な人がやれば良いと思います。

世間とか、みんなとか、言う表現は抽象的なだけでなく雑です。地域的な、局所的な影響を受けすぎていると思います。
だから、気にしても、自分に悪影響があるだけだと気づきました。精神面に良くないです。これは具体的なことで、体調も悪くなりますし、楽しい気分が減ります。気分はとても重要です。積み重ねることで、差が出るものです。

気にせず生きていきます。


おまえのことが嫌い

不愉快な内容を書くので、読まなくて良いです。ほのぼのしていません。

「女子をこじらせて」を読みました。

途中まで読みました。共感できなくてびっくりしました。これから書くことは、雨宮さんとは関係のないことです。本の内容ともほぼ関係がないです。

雨宮さんのことが嫌い、という意味ではないです。

これから思ったことを書きます。

共感できないことは悪いことじゃないです。

なぜなら、別の人間だからです。

わたしは、そもそも周りのひとに見下されても気づきません。
だから、気になりません。他人に、評価されなくても気にしません。それはないものと同じだからです。
中学生のときは、片腕で腕立て伏せを百回できるような運動部だったので、ひょろひょろしたヤンキーに絡まれることはありませんでした。絡まれても、ぼこぼこにしたと思います。わたしは背も高くがたいも良く腕力も強く、けんか慣れしていたので、そういうことは起こりませんでした。

直接嫌いだと言われたら、おまえのことが嫌いだと言い返していましたし、学校の先生には嫌われていましたが、その分成績が良かったので、別にどうって言うこともなかったです。

この本を読んで、定型のひとの方がつらいのではないかと思いました。

わたしはスクールカーストなるものに気がつくような感覚がありません。ないので、気づきません。生徒さんを見ると、スクールカーストを気にしているせいで、成績を落としているひともいますが、他人と自分が違っているのだから無駄だといつも思います。

友だちの男と寝たせいで、大学にいづらくなるというくだりもびっくりしました。
たかだかセックスです。セックスなんて、したいと言えばだいたいできるものだと思っていました。男は、お姫様願望があって、女から口説かれるのを待っています。それは、自分がイけているとどこかで幻想を抱いており、鏡を見たことがないからです。いつも物欲しげに待っている男なんていくらでもいます。そういう男と何かしたとしても別に面白くもおかしくもないですが、やらせて、と言っておけば、だいたい、思った通りになるものだと思っていました。美醜はあまり関係がなく、男をいい気分にさせるだけです。

セカンドになることに傷つくのもよくわかりませんでした。目的がセックスならそれで別に目的が果たされているわけだから、どうして不満に思うのかわかりません。セックスして、デートしたいんだったらそうすれば良いし、他の女がいるのを知りたくないなら、知らせないでくれと言えば良いし、言葉が通じないなら獣だなあと思えば良いと思います。
セカンドの何が悪いのかもわからないし、彼女が彼女面して偉そうにしているのもよくわかりませんでした。

ルールを守らない、内面が美しくないとか、自分を責めることなど何もないのにと思いました。
別に男をレイプしたわけじゃないのに、ここまでどうして落ち込むのかよくわかりませんでした。
人の男、という表現が出てきましたけれども、誰かが誰かを所有できることなどないので、おこがましいと思いました。それは、彼女の方もセカンドの方も、所有されているつもりの男もです。

恋人を作るのは難しいけれど、それは信頼関係を築くのが難しいからです。セックスするだけの関係にも信頼関係は必要です。そのへんがごちゃごちゃしていると思いました。関係性によって、それぞれの信頼関係があると思います。それは自分で決めないといけません。

わたしは自分の輪郭を形作るために、「おまえのことが嫌い」と言います。
嫌いなものは嫌いだから仕方がないと思います。
好きなものを探すよりも嫌いなものを探した方が手っ取り早いと思います。それはとても楽なことです。

わたしはむかしから誰かが「好きなもの」と言っているものを「でもわたしは嫌い」と言ったら非難されることが理解できませんでした。
わたしは自分が好きなものを嫌いと言われても否定された気持ちにならないからです。

わたしが親のことで悩んでいることを共感できない人がいるように、わたしは女子をこじらせることが理解できません。わたしは女だし人間だしそれは自分で勝手に決めます。
自分でお互い理解できない世界があると知れて面白かったです。
そして、定型の人に、わたしの発達障害をブレンドしたらちょうど良くなると思います。
そう思いました。

わたしは共感できると言われるとびっくりします。他人だからです。でも、少しは、お互い共通点があるからわかる部分もあるのだと思います。
そして、共感しますと言われても、わたしは共感できないと思うこともあります。
でも、ひととうまくやるために、そう思ったことを言わないで済ますこともあります。

わたしはたったこれだけの譲歩でも、ずいぶん頑張ったと思っていますが、人には、真実を追究すると言われます。もっと隠して生きていけばいいのにと言われます。
でも、別に困っていないのでいいと思っています。

おまえのことが嫌い、と思えると、そして、関係がないと思えると、自分がとても楽です。
自分が楽な状態を維持すると、楽な時間が増え、生きるのが楽になります。人を嫌いになるのは悪いことじゃないです。
人を嫌いだと、かえって、いやだいやだと思うから、良いところを見ようという意見もあるのを知っていますが、はっきり嫌いだから、接点を持たないと決めてしまうのもいいことだと思います。
大人になったら人間関係を選べるのです。

お互いにお互いのことが嫌いで良いです。
そして、接点を持たずに生きることが大事だと思います。

女子をこじらせて

女子をこじらせて


初めてのデートでデブなのがいやだった

今日は付き合い始めてからの初めてのデートでした。

休みがあわなかったので、今日の日中会うことにしたのです。
ピザを食べにいってから、仕事用のシャツを買いにしまむらとユニクロに連れて行ってくれました。

しまむらで「平日のこんな時間に買い物に行ったら、俺、どれだけ暇なひとって思われるんだろう」といっていたので、「コンビニで働いていると朝六時にSEが朝ご飯買っていくし、お酒買いにくるひともいるから、今日休みのひとなんだなあと思うだけだと思うよ」と答えたら、「そうかあ」と言っていました。
なんと、しまむらのレディースの大きいサイズのところまでついて来てくれ(もうデブで死にたい)と思いながら、
「ださい、ださすぎる、何一つ可愛くないしほしくない。人生がつらい」(大きいサイズを見ながら)と言っていたら、「お店のひとに聞こえるでしょ。そんなこと言わないの」と言われたので、大人だなあと思いました。

その後、ユニクロに行きました。ユニクロにはおしゃれな服がいっぱい売ってあって「うわあおしゃれだ」と言いました。
そうしたら「しまむらは年齢層がちょっと上っていうかだったかもしれませんね」とコメントをもらいました。
「最初からユニクロくれば良かった」と言ったら「返品する?」と聞かれたので「いいです」と答えました。

襟付きの服を探していたのでノースリーブのやつを三枚選びました。これかわいいとか、白の方が明るくていいんじゃない?とか、ズボンとかも選んでくれました。…サイズ的に死にたいと思いました。軽トラさんはスタイル良いのだもん…。この時点でかなり卑屈になっており、暑さで機嫌が悪くなっていたのですが、試着してくるね、と試着に行きました。

軽トラさんは、「買わないけど、このスキニーってやつすごい伸びるね。すごいね。こういうの今あるんだね!」と絶賛していました。「綿だとこんなに伸びないじゃん。すごい!」と言っていました。すごいのはレディースでそんなに盛り上がれる君や、ほんとに付き合い良いな、偉い、普通男のひとは女の買い物付き合わないし、地獄なんじゃないだろうか…と思いました。

試着していたら絶望のふちに沈みました。なんだこのぱんぱんな物体は…ふだんこんなものを世間にさらしているのか…あかんまじめに鏡見るとやられる…殺されてしまう…泣いてしまいそうと思いました。

さっさとサイズが合うという一点だけで会計を済ませました。わたしはすっかり意気消沈していました。
「買ったよ…」(泣きそう)
「おー」
「もう人生の終わりだ…泣きたい…消えたい」
「?これで安心だねー」
「…そうだね…お金がいなくなった」
「どうしたの?」
「いや…仕事で着る服がないよりは良いよね」
「そうだよ」

自動車の中で、わたしはぐずぐず言い続けました。
「デブなのがいやだ…」「鏡は真実を告げる」「消え入りたい」「消えたいけど太っていて丸い」「死ぬ」「鏡に殺された」「そしてお金がいなくなった」「太っているのがつらい」
「毎日何食べてるの?」
「!!!!言わない!ひどいもの食べてるから!」
「なんで?」
「バカにされるから!」
「チーズ?」
「…(あたりだ!以前のな)違う」
「マヨネーズ?」
「違う」
「アイス?」
「アイス」
「なに?」
「…ガリガリ君をたしなんでいます」
「毎日?」
「うん」
「…!マジで!マージーで!マジで毎日食べてるの?マジで?マジで食べてるの?毎日?ほんとに?」
「うん…」
「そっかー。それはびっくり」
「うん…うわわああああ。いっそ殺すなら殺せ!」
「(くすくすくす)」
…笑っている?笑っている!!!!うわああ!やっぱりデブなのにアイス食べてるのがおかしいんだ!
「前さー。毎日アイス食べてたの、俺。それで糖尿になるからやめた方が良いって親に言われてー」
「うん」
「やめたほうがいいよー。毎日どこで買ってるの?同じコンビニ?」
「スーパーで買いだめしてる…」
「マジで?三日にいっぺんとか、たまにしたら?」
「うぅ、一週間にいっぺんにする…なんで笑ってるの。ひどい。バカだと思ってるんでしょ。食べるから太るのわかってるし」
「だってさー。ひどくないよー。笑ってるのはさーバカにしてるんじゃないよ。太ってるとか丸いとかデブとか、消えたいとかつらいとかさー、言ってるの。俺言ってないでしょー?c71ちゃんだけが言ってるんだよー。言うからさー、何食べたら自分でそんなに消えたいとかつらいとか言いたくなるほど体重増えたのかなとか聞きたくなるじゃん。俺、なんも言ってないもん。c71ちゃんが自分で自分に言ってるだけだもん。俺、言わなかったら気にならないよ。言うからさー、気になって聞きたくなるんだよ」
「……そうだね」
わたしは涙を流しそうにしつつ考えました。そらそうだ。わたしが自分で自分にひどいことを言っているだけで、それを一方的に聞かせて、それを聞いてもらったのです。その通りです。
「長時間いる時間増えるとさー、いいところばっかり見せられないね。買い物付き合ってくれてありがとうね」

デブなのは見ればわかることでした。見た目でわかることは気にしてないから付き合うということになったんだと思います。必要以上に卑屈になるのはやめようと思いました。急に太ったから、仕事で着る服がなくて、それを新しく新調できたのは良かったことです。嬉しいことです。自分のサイズを正確に見つめ直せました。今までは太ったことが認められなくて、自分に合った服を買えなかったです。

相手は、デブでもなんでも気にしてないんだよなあ、あと、わたし、機嫌悪くしたのに、機嫌悪くなんないでくれてありがたいなと思いました。

軽トラさんはくすくす笑っていました。


障害があることをいついうか

障害があることをいつ言うのか、迷います。
なるべく仲良くなってからいおうと思うのですが、病名を言ったところで、わからないんだと思うんですよね。

わかったら、条件的に敬遠されてしまう気がします。

八月は、バリ島に行くつもりだったのですが、あきらめました。仕事が大量に入りました。うまくいけば、三十万円近く稼げるかもしれません。バリ島は九月か十月に行きます。

軽トラさんがわたしを嫌いになるとは思えないのですが、母によると、パニックに陥ったわたしはかなりたいへんだそうです。
たいへんなめにあったんだから、たいへんなことになるのは仕方がないとも思うのですが、周りにいる「支援者」のひとにかかる重荷はあるものだとして、考えていかないといけません。

たとえば、軽トラさんが、わたしを愛してくれたとしても、その重荷は存在するんですよね。
それを軽減したり、受け止めたりする時間は必要だと思います。
だます、ということと違って、わたしの良い面を知ってもらって、そして、軽トラさんをわたしなりにサポートして、その代わりにこういうことがあります、というのを示せれば良いと思います。


悲鳴を上げることすらできない

ネットと世間に流れる「少女はなぜ逃げなかったか」に答える:岡山小6少女誘拐監禁事件被害者保護のために(碓井 真史) – 個人 – Yahoo!ニュース
これを読んで、わたしなりに補足できることがあるかなと思って書きます。

犯罪被害と自衛の精神論 – ある精神病患者の一日
これを書いたときに、「普段から自分はもっと気をつけている」「退路をいつも気にして過ごしている、そんなのは当たり前じゃないか」という意見をもらいました。「背後から来ると思うのは当たり前、エレベーターで後ろにひとが来ないようにするのは当然」という意見もありました。

わたしが書きたかったのは、個々の事例ではなくて、病的に、世界に対する信頼感を失ったということです。個人個人が気をつけるのはご自由にと思います。

ただ、子どもにはそれができません。そして、期待してもいけないと思います。
教育することはできます。ただ、彼女たちには責任能力がないのです。身を守ることができないのです。

そんな中で、被害者はよく頑張ったと思います。
こわくないわけがないと思います。

わたしの経験から言うと、襲われたときに声は出ません。のどの奥がしまった感じになります。
おそらく、ナイフを突きつけられたときには、彼女は声が出せる状況じゃなく、「どう生き延びるか」まで考えていたのではないでしょうか。

十歳のとき、わたしには自分の性的価値があることを知りませんでした。それでも容赦なく、男性の大人は、わたしの性的価値を搾取しにかかりました。そして、わたしはその被害を理解したのは大人になってからで、トラウマに悩まされました。

十歳の彼女は、生き延びるためにすべての感覚を封じたと思います。だから、くつろいで、犯人の言うままに過ごして、波風を荒立てないようにしたのだと思います。

十歳と言えば、かなり物事を理解します。難しい本も読みます。わたしは十歳のときには法律の専門書を読んでいました。知的にはかなり洗練されていました。ただし、情緒面では、成長しきっていませんでした。

彼女は、命は助かりましたが、世界に対するおおらかさを失ってしまったかもしれません。そのことを思うと、彼女がこれから乗り越えるべき大きなものに対して震えます。
犯人は、彼女から大事なものを奪いました。ひとが自分を殺そうとするという目にあったのです。ナイフを突きつけられるという経験は、世界に穴があくような経験です。彼女は、自分自身に、性的関心を向けられていたこと、肉体や人生や、彼女の輝かしい時間が簒奪されようとしていたことを、知るでしょう。既に知っているとは思いますが、それがどういう文脈であったのか、その本当の価値を、長く生きるに従ってゆっくりと知っていくでしょう。

理不尽な目にあうとのどの奥が縮小して、声が出ません。そして、声を出したせいで、傷つけられるかもしれないという危惧もあります。

今回は、被害者の方の機転で、命が守られましたが、この幸運が、次もあるとは限りませんし、今まではそうでした。

ネット上では、彼女がなぜ逃げなかったのか、理解できないという声があることを上記のリンクで知りました。
それらの疑問を発するひとは、加害者と同じ発想をしています。犯人は殺しさえしなければ、彼女の人生を奪いさっても、罪はないと考えたのでしょう。それどころか、救ってやるとすら思っていたのでしょう。
これほど身勝手で恥ずべき発想はありません。彼女の人生は彼女のものです。
それをはき違えるひとたちは、すべて、加害者サイドにいます。
それは恥ずべきことです。

大人のわたしがならったことは、「ここは危険だ」と少しでも思った場合は、その場を離れるということです。
雰囲気を壊したくない、相手の気持ちを害したくない、と思う気持ちを捨てるということです。
たったそれだけのことでも、大人のわたしにすら難しいです。
犯罪を起こす方には、たっぷりと準備する時間があります。
被害に遭わないようにするのはとても難しいことです。


これからのことと付き合うひとのいいところを考える

これから先、新たに付き合うひとについて、付き合っていくにしたがって、いいところが見えなくなるかもしれないので、いいところをあげていきたいと思います。

歯並びが良いです。顔が左右対称です。でも、顔が良く思い出せません。柴犬に似ているなあと思った覚えがあります。柴犬は好きです。目は一重です。

面倒見が良いです。トイレが大丈夫かとか、おなかすいていないか、とか良く聞いてくれます。前自動車に乗せてもらったら、汗臭い?おれの汗のにおいがする、ごめんね、仕事で使ってるから…と言いました。消臭スプレーが落ちていることもありました。ちょっと可愛いです。

わたしが太っていることについて、からかってきません。お腹いっぱい食べなよ、と言ってくれるし、甘いものを食べても、食べたら太るよとか言ってきません。そういうところが上品で好きです。

甘いものが好きです。かき氷とかソフトクリームとかが売っていたら必ず食べます。それと、滑り台とブランコも好きみたいです。ロマンチストです。夜景とか、風景がいいと見せたがります。

スタイルが良いです。背がわたしより十センチ高く、わたしよりも細いです。おなか周りがすっきりしていてうらやましいです。死にたい…。

インターネットをほぼしません。ツイッターを知らないと思います。過去、ツイッター中毒の男とつきあったときに、苦汁をなめたので、それがないのはとても良いです。
メールが未だにSMSです。アマゾンはかろうじて知っていました。アマゾンって知ってる?って聞いたら、あ!通販の会社でしょ、知ってるよーと言ってました。のどかです。アマゾンは確かに通販の会社だな…。

わたしはインターネットが大好きです。

仕事が大好きです。仕事をしていれば幸せみたいです。「仕事しないとおれの存在意義がないじゃん。一日のうちほとんど仕事しているんだしさあ」と言っていました。そういうひとは安心です。キャバクラは「気を使った上に一万円使うことになるから嫌いだ」と言っていました。

心身ともに健康です。素晴らしいです。余計な心配をしなくていいです。でもからだをいたわることを知ってもいるので、無神経ではないです。ただ、39度熱があっても働くと言っていたので不安です。野菜ジュースが好きだと言っていました。

わたしは、心身ともに不健康だし、太っているし、運動不足です。
フィットネスクラブにでも入ろうかと思います。

病気のことをいつか言わないといけません。今は、わたしにはたくさん秘密があると言ってあります。不安そうでした。


告白をされて、告白をしました

山に行きました。迷子になったので、近くのお寺に行きました。お寺では、以前厄落としをしたついでに縁結びも頼んでいました。

そのときに
「定職に就いていて、酒もタバコもやらなくて、穏やかで、健康第一で、イケメンじゃなくても普通な感じで、身長は十センチくらい高くて、服装もとんちんかんじゃないひとと出会わせてください。出会ったらその後は頑張ります」みたいな祈願をしたので、
「だいたいお願いしたことは叶いました。ありがとうございました。その後は、お付き合いできたらいいと思います。お願いします。あと健康とダイエットと仕事運をお願いします」と願いました。

霊験あらたかだ。

暑い日だったので、川辺の甘味処で、かき氷を食べました。大きいかき氷で、おなかがいっぱいになりました。軽トラさんは、宇治金時を頼んだのですが、両手一杯ほどの巨大な器の半分が小豆でした。おいしそうでした。川の流れる風景を見ながら、お店のひとが水を打つのを見ていました。

ショッピングモールに行って、運動用品を見たり、お茶屋さんでお茶を買ったりしました。それから、お好み焼きを食べました。お好み焼き屋さんでは一時間待ったので、お店の外のベンチで夕焼けを見て、日が沈んでから風景が青く染まる光景を二人で見ました。

家まで送ってもらったのですが、別れがたくて、引き止めました。手を握ったら「ちょっと恥ずかしい」と言われました。「まださよならしたくない」と言ったら、「これからどこかいく?でも、もう九時だし明日バイトでしょ?大丈夫?」と言われました。

それからいろいろ話して、付き合おうかと言われました。嬉しい、と言いました。
でも、わたしの他にもっといいひといるかもしれないし、いいの?と聞いたら、好きだから、と言われました。わたしは太ってるけど、大丈夫かも聞きました。男が太っているのはいやだけど、c71ちゃんが太っているかどうかは気にならない、と言われました。わたしも好きだと言いました。

定職に就いていて、優しいし、穏やかだし、背も高いし、服も変じゃないし、話も面白いから、本当は選び放題なのに、大工さんなばっかりに女っけがないから、わたしに引っかかるとは運が悪いなと思いました。
仕方がないなと思います。わたしのどこが好きなのか知りたいけれど、それはわからないだろうなと思います。

終わり。


明日は山へ行く、山また山

明日は山に行きます。山に行ってハイキングして、ボートに乗ります。
服装は、GUで買った「I am Lion?」って書いてあるヒョウが花冠かぶっているTシャツです。ちょっとシャレが効いていておしゃれです。五百円でした。

三百円出せばTシャツが買えるので、嬉しかったです。

デートも明日で十回目です。歩くので、カジュアルなカッコウで行きます。
楽しみです。

わたしが太っていることを、相手は気にしていないようです。体力があって健康だと、いろいろなことが気にならないんだろうなと思います。

わたしは、インドアで、カフェで本を読んでいるのが好きな時間の過ごし方です。映画を観たりもします。

向こうはお日様とお外が大好きなひとで、日の当たる時間にじっとしているとかお話ししているとかが理解できないようですが、歩み寄ってくれます。

健康偏差値のエリートで「日の当たる時間に運動して、野菜たくさん食べて、お昼寝なんてしないで、ぐっすり寝たら、昼間眠くなんかならない」と言います。わたしは休み休みです。

このひとは、元気だから、わたしが自閉症スペクトラムでも、気にしないのではないのかと思いました。
元気なひとは、気に病まず、さらっと流して忘れます。良い意味で楽天的で鈍感なのです。言えばわかってくれますが、深読みはしないのです。精神が健康なひとと会うと爽やかな気持ちになって、さっぱりします。わたしの愚痴などは、理解できないようです。小銭を上から落とすひとがいると話しても、どうしてそれが気になるの?という感じです。きっと、同じことをされても、受け流すんだと思います。理不尽な思いをしても、受け流す力がきっと強いのです。

でも、聞いてはくれます。思いやりがあって、喉が渇いたら、野菜ジュースを買ってきてくれます。

わたしがなにをしてもイライラしないし、のんびりしています。毒が全くないです。
一緒にいると、わたしにたまった毒も減っていくような気がします。
とても丈夫なひとなので、安心します。

昔、仕事をたくさんするひとと付き合っているときは、不安でした。このひと死ぬんじゃないかなと思いました。そして、わたしよりも、仕事とインターネットが大好きなひとでした。

明日デートするひとは、インターネットをしません。そして、テレビを見るのも新聞を読むのも苦痛だということや、昼寝をしないとつらい、ということを話しても、引いたりしませんでした。

わたしは、病んでいるひとじゃないと、わたしを理解してもらえないのだと思っていましたが、真に元気なひとは余裕があるので、わたしを受け入れてくれるようです。

ギャップはあるのですが、話し合いはできそうです。
良いひとと良い関係を築きつつあって、楽しい気分です。

わたしのどこが好きか不明です。
わたしは家事も苦手だし、料理も下手です。
仕事はとても好きだし、勉強も好きです。

相手のひとは、わたしの見た目が好きだと言います。
それだけで、全部免責されるものでしょうか?

話を聞いてもらっているひとには、「c71さんの冗談っぽい話し方が面白いんだと思うし、どこが好きかなんて、どうでもいいんだよ、そういうひとは。一緒にいたいだけなんだよー」と言っていました。

メリットだとか、利益だとか、そういうことじゃなくて、一緒にいたいと思えるかどうかだけが大切なんだ、というのは新しい論点でした。
そして、腑に落ちると思いました。

わたしがどれだけ素晴らしいかだとか、くだらないかとか、そういうことじゃなくて、わたしがわたしであること自体に価値があると思ってくれるのか、と思います。それはとても嬉しいです。

めんくらう考えではありますが、初めてのことでうまく受け止められていないけれど、相手のことを大切にしたいと思います。

明日は山に行きます。
山では、相手のひとが、いきいきとできます。だから、山に行くのは楽しみです。池の周りを散策したり、ボートに乗ったりするそうです。
いつも、ごちそうになっているので、Tシャツをプレゼントします。
喜んでくれると良いなと思います。

スタバのタンブラーを買ったと連絡がありました。
向こうも向こうなりに、わたしに歩み寄ってくれているような気がします。