穏やかな躁

何もかもうまくいって怖いくらいだ。

今月は仕事もうまく行き、良い評価が返ってきた。

一時的な仕事としてではなくて、続ける決心がついた。

天職かもしれない。

前職は、やりたい仕事だったのに、向いてなかった。今の仕事はやりたかったわけではないのに、向いている。

前職をやめたきっかけは、最悪の事件ゆえだったが、ストレスなく働ける職場に出会ったことを考えるとプラマイゼロどころか、プラスかもしれないと思うほど。

精神病であることも役に立っていて、うつ病だからこそできることが、たくさんあると感じている。

生徒に無理やストレスをかけない授業をできたり、悩み相談に的確に相槌がうてたり。

病気であることが素晴らしいと思うのは、躁だからなのだろうか。


不幸せを忘れるとき

前は恨みの塊だったわたしですが、最近忘れてきました。

忘れるなんて、絶対にないと思っていたのですが、忘れてきたのです。

それは、近頃のわたしが幸せだからだと思います。

幸せなのは、家族がいて、仕事があって、仕事が楽しいからです。

地位が高い仕事ではないですが、とても楽しいです。

人生がうまいこといっていたら、この仕事にも出会わなかったと思います。

そう考えると不思議なものです。

つらい思いをしたことも仕事の役に立っています。

先のことがわからないのは、わたしだけではありません。

わたしは、病気だから、障害があるから、あれができない、これができないというのを止めようと思います。

病気のせいにせずに、自分の可能性を広げていきたいです。

わたしは、惨めな自分であることを止めたいのです。


苦手な生徒さんがいます

苦手な生徒さんがいます。

悪い子ではないのですが、とても気を使うので、仕事が終わると頭痛がします。

たった二時間だけなのに、こんなに疲れるのだと思います。

発見が二つあって、苦手なひとがいて嫌だなと思っていても、生徒さんが増えると、その生徒さんの総数で、嫌さが薄まるということです。

それに嫌でも、短時間なので、助かります。

もしもフルタイムの会社員だったら、苦手なひとがいたら、1日付き合わなくてはなりません。

それがないので、たいへんすばらしいと思います。

わたしにはやっぱり会社勤めは難しそうです。

それにしても、外はジャスミンの香りでいっぱいです。

今まで意識していませんでしたが、幸せとはこういうことに気づく余裕なのかもしれません。


ひとの役に立ちたいと思うこと

眠る前にうっかりスマホをいじってしまったので、眠れなくなってしまいました。

仕事は順調に入ってきています。

このまま、食べていけるようになるといいのですが。

フルタイムで働くのは無理なので、また、ストレスに弱いので、自分のペースで働ける形態は良かったと思います。

時給も上がりそうです。

働くひとを大事にしてくれる職場なんじゃないかと思います。

わたしは、精神病だから、なにかを止めようとは思っていなくて、やってみて、失敗したらそれはそれだと思います。

仕事は、ひとの役に立つことが実感できていいです。

精神病になると、誰にも必要とされてない、役に立ってないことがとてもつらくなります。

ひとの役に立ちたいと思うことを止められればいいのかもしれませんが、精神病だからこそ、自分の生きている意味のことばかり考えてしまうように思います。

その堂々巡りにけりをつけるためには、パニックにならない程度の労働が良さそうです。

なかなか、パニックにならない仕事が難しいのですが。

わたしは、男性の大声がだめなので、仕事がとても限られます。

だから、やってみたいことから始める作戦がうまくいって良かったです。


母子密着と憎しみ

母と縁を切って、一年が経った。
それで、ようやく客観的になれた気がする。
わたしは、今まで自分の人生をおろそかにして、自分を大切にしておらず、自分の人生が一度きりだと言うことをわからず、人生をきちんと生きていなかったなと思った。

生かせなかったチャンスは二度あって、一度目は、恋愛をしたこと。
二度目は、就職をしなければいけなかったこと。

わたしは、二つのチャンスを逃して、そのあと、大失敗をした。大失敗をすることで、本当の味方が誰なのかを知り、母のわたしへの密着が、支配だったことを知った。

それは、昔から知っていたことだけど、断ち切るときに、どこまで自分の心や体を支配していて、自分が口だけ批判していたけれど、そのぬるさに甘んじていたか、放棄していたか、奪われていたか、それを許していた自分の責任の重さなどを知った。
その重さは耐えきれないような気がして途方に暮れた。

わたしは、さっさと働けば良かったなと、思い返す。もしくは、恋愛を大事にすれば良かった。何度も後悔して何度も泣いた。

(余談だけど、わたしの過去の恋愛に対する執着って、ほとんど相手ありきではなくて、うまくいった可能性に対してのものだと思う。だから、相手の人生を支配したい欲に近いのではないかと思う。うまくコントロールできないけれど、コントロールできたら、わたしは、人生を丸ごと愛せるようになると思う)

泣いたくらいじゃ収まらなくて、叫びだしたくなったり、暴れだしたくなったりした。

だけど、そのどちらをしても、多分、うまくいかなかったんじゃないかな、と思う。

わたしにたまっていた、恨みはたいへんな量だったので、その恨みが、恋愛に向かっていった可能性はとてもあるし、人を恨みながら働いても、やっぱりうまくいかなくて、結局は同じことを起こしてしまった気がする。特に、恋愛に逃げていった場合、恨む相手が、恋愛の相手になって、「あなたがこうだからわたしは幸せになれない」と繰り返し言うような真っ黒な人間になった可能性もある。

わたしにたまっていた恨みは、母親がずっと抱えていた憎しみだった。
母親が憎んでいた人たちは、わたしが大きな失敗をして、本当に行くところがなくて、困っているときに助けてくれた。母親は、わたしを助けず、非難し、わたしをより傷つけた。

わたしは、誰かの役に立っていた訳ではないのに、どうして、助けてもらえたのだろうと不思議に思う。

わたしは本当に運がよかった。周りの人が良かった。
次に同じように助けてもらえるとは思えないので、今自分ができることを頑張りたいと思う。

今できることを頑張るというのは、とても地味なことだ。
華やかさがまるでない。

でも、ようやく人生が始まったような気がする。

わたしは、まだ、ときどき、憎しみでいっぱいになる。
でも、憎しみから解き放たれるときも出てきた。

わたしは、自分の仕事を愛している。
それは、わたしを支えてくれる。ときどき、つらい思いもさせる。
わたしを自由にもしてくれる。

わたしの仕事よりも、華やかな仕事も、給料もいい仕事も、待遇がいい仕事も、世界を動かすような仕事もあると思うけれど、わたしの人生は、わたしにしかない。

わたしは、憎しみの中を泳いで、今の時間にたどり着いた。

それは、とても退屈で、逃げ出したくなるし、自分の平凡さに向き合うことがつらいように思えるけれど、振り返ってみれば、とてもありがたいことだ。

母子密着の最中は、自分が常に注目されているので、自分がとにかくすごい人間なのだと、そうでなくてはならないのだと思い込んでいた。
母がなぜ、そうしむけたのかは考えない方が良い。

恨みや憎しみで、不安定になっているときは、情緒が不安定なので、自分が、ダイナミックな人生を歩んでいるような錯覚に浸れる。
悲劇のヒロインになれる。
たいしたことをしていなくても、自分が人生の主人公だと思い込める。
引きこもって泣いているだけで、周りにかわいそうだねと言ってもらえて、泣いているせいで、自分が心の豊かな人間だと、だから生きることがつらいのだと思い込める。

でも、何もしていなかったのだ。

わたしは、すごい人間でなくて良くなった。
わたしは、自分のできることを提供する人間になればいいし、自分が生きていけるだけ、稼いでいけたらいいと思う。

まだ、自分のことに手一杯すぎて、助けてもらった恩を返すことはできないけれど、一年前には、自分がここまで回復するとは予想していなかったら、来年になったら、今よりももっと良くなって、もっと自由になって、もっと人生を愛せるようになっていたら、いいなと思う。


仕事に助けられる

非正規労働者らしく、日曜日も働いている。

これは、本当にありがたいことです。

何しろ気が紛れます。

家にいると死んだように眠るか、昔の恋愛を事細かに思い出して、あの人はどうしているだろうか、と考えるような不健康な生活をしなくてすみます。
好きだった人は、すでにわたしのことを好きではないのだから、優しかったあの人というのは存在しないのです。
それがわかっていても、暇で視野が狭いと考えてしまいます。気持ち悪さは濃縮するのです。そこから、離れるためには、からだを動かすことしかありません。

仕事をしていると、否応なく、世界情勢や流行りの韓国ドラマ、ジャニーズなど、芸能関係のことの知識も求められます。
視野が広くなります。

仕事をすると、人と会って、知らないひととも知り合います。
いつかは飽きてしまうかもしれないですが、今のところ飽きていません。

嫌だなーとか、きついなーとか、思うこともあるし、先のこともわからないし、ずっとこの仕事をしているのだろうかとも、ずっと続けられるかとも思うのですが、やはり、与えられた場所、わたしがあのとき少しでもやりたいと思い、それが叶ったこの場所で、しばらく一生懸命やることで、視野が広くなって、また見えてくるものも変わるはずだと思います。


精神病のつらさ

精神病だと、生活リズムが崩れて、集中力がなくて、毎日フルタイムで働くことが難しくなる。

一つ一つのことに緊張してしまって、やたらと疲れる。

わたしの場合はフラッシュバックが起きるので、からだが疲れやすい。

精神病の人は、社会との接点を失いがちなので、少しずつ働けるようになるといいと思う。

わたしは、週に二時間から始めて、最初は緊張してしまって、三日は寝込んでいた。

今は毎日1日二時間くらい働いていて、働くことになれたので、緊張もしなくなった。

フルタイムで働くひとが羨ましくなるけど、いいかと思う。

精神病ではないひと、犯罪被害に遭わなかったひとが羨ましい。

他のひとにもいろいろあるんだろうけど、視野が狭くなって見られなくなる。

フルタイムで働けない代わり、日中温泉に行ったり、映画に行ったり、写真を撮ったりもできる。

先のことを考えると不安になるけれど、誰でも先のことはわからない。

大企業でも正社員でも公務員でも専業主婦でも、なにか起きたら、計画は白紙になってしまう。

今の仕事を続けていくなかで次の展開を考えられたらいいなと思う。


天使の言い分

生徒さんが「働いてるひとは全員お金持ちです」と言った。

わたしはとても感心した。
わたしが中学生のとき、こんなすごいことは言えなかったからだ。

わたしは、他のひとの職業がときどき羨ましくなる。

自分の仕事は気に入っているし、精神病で、フルタイムでは集中力がなくて働けないのだから、それを考えたらいい仕事だと思う。

それでも、公務員だとか大企業だとかが羨ましくなるときがある。

だけど、天使のような中学生は、大企業なんて怖いじゃないですか、という。

パナソニックみたいに経営が危うくて、つぶれちゃうかもしれないし、みんなのなかでうもれてしまうかもしれないじゃないですか、それより、ひとの役にたって、楽しくて、自分でできる仕事の方がいいですよ、という。

この子は本当に才能があるな、と思ったので、「才能があるね」といったら、なんのですか、と聞かれたので、「生きる才能がある」と答えた。

この子は大企業に就職できなくて自殺なんかしないと思って嬉しかった。


生きてるだけで偉い

生きてるだけで偉いって、思いました。

いくら心配しても、先のことはわかりません。

楽しく過ごしていたら、ふと、心配するのも後悔するのもやめてしまえば?と思えました。

温泉に行った帰りでした。

そうしたら、力がむくむくと湧いて、幸福だ!と思いました。

平日の昼から温泉に行く幸福。

幸せな気分を貯めていけば、いつか、また頑張れる日が来るような気がしました。


散歩に行きました

今日は晴れていたので、散歩に行きました。
近頃、眠くて眠くて仕方がなくて、三時まで起きられませんでした。

このなま仮病をなんとかしないと行けないと思います。
散歩には、カメラを持っていきました。

外を歩く口実のためにカメラを始めることにしたのです。
実際に撮ってみると、目で見る美しさを写真にするのはとても難しいです。
構図だとか、光の加減だとか、そういうものを覚えたいと思いました。

それは、撮ってみないとわからないことでした。
撮る前は写真は簡単なイメージがありましたが、実際に撮ってみると、タイミングもあってとても難しいのです。
難しいことは嬉しいなと思いました。

病気になって、怠け者が発動して、何もかもが億劫になりました。
趣味も減りました。

仕事はそこまでばりばりできないので、まずは趣味からと思っています。
そして、友達ができたらなおいいなと思って胃舞う。

鬱病は、決断ができにくくなる病気だと言うことが聞いたことがあります。
何をするにも、例えばお風呂に入ることすら、決断で、それがわたしにはとてもエネルギーがいるのです。
だから、ネッ転がったままできる読書や、ゲームで時間を使うか、眠ることで現実逃避をしてしまいがちなのだと思いました。

医者に勧められて、散歩をすることにしました。
体を鍛えることは大切ですし、望みは薄くても、外を歩いていたら、友達ができる可能性が、家の中にいるよりは大きいはずです。

誰もが病気にいつかなります。

そのときに、お金をたくさん稼ぐ以外の幸せがないと、つぶれてしまうなと思いました。
もちろん、お金はとても大切です。
わたしは発達障害があるため、お金の大切さに気づくのが遅かったです。
発達障害は、ライフステージに沿った発達ができない障害だということです。

散歩に行くことすら、こんなに、スムーズにいかないわたしが、たとえ一日に時間だけであっても、働けているのは奇跡です。
もっと、幸せを喜ばないといけないなと思います。

明日は、数式を考えることと、温泉に行くことを目標にしたいです。
できたら、Rubyの学習用の動画を見られたらいいなと思います。

チューリップが終わってしまってとても惜しいことをしました。
明日こそ散歩しようと思っているうちに花の時期がどんどんすぎてしまいます。
散歩なんて一時間もあればできるのだから、もっと構えずにやりたいと思います。