最近好きな漢方

和漢箋のシリーズ飲んでる。
若甦も好きなんだけど、高い。他にもいろいろストックしているのだけど、二千円台のロートのやつどうかなと思って試してみた。

ダイエットしたいので、脂肪を落とす奴を飲んだんだけど、普通に、大黄とか、精神安定系の成分も入っているから、イライラが取れるし、過食したい気持ちもなんとなく減って、肌もきれいになるし胃腸もよくなるし鼻詰まりも取れるので、総合的にいい感じだ。
やせたらもっといいんだろうけど。
ツムラはちょっと飲みにくいんだよね…。
いいんだけどね。

ロート製薬が新しく出したということで、ちょっと興味がある。

他にも、薬局がブレンドしている漢方もあって、そういうのを試すのも最近楽しみなのでした。


屑という言葉を身につけて

屑という言葉を人に使わない人生だった。
最近、「屑」という言葉を覚えて、この人屑だなーと思うようになった。
そうすると、屑な人間という概念が生まれて、そういう人と断絶するから、生きやすくなった。
屑という概念がなかったときは、屑にもいいところがあるんだろうと思ったり、親切にしたり、どうしてもかかわってしまって、かかわると自分にも屑が伝染してしまう感じだった。要するにわたしも屑だった。

だから、人に対して屑と思うことは、品のない事でも何でもないのだなと思った。
屑とか、下種という言葉を知ったので、これからは身を守れると思う。

ダメなものはダメだ。近づいていけないものはいけない。
それがいつでも守れないけれど、できる限りしたい。
でも、してしまった場合は仕方がない。そういうのを我慢できなかったんだと思う。

人を屑か屑じゃないかで分けて、「普通の人」だったら、話してもいいし、話さなくてもいい。
でも、屑のことを内心で屑だなと思うことはためらわなくていい。


働けていたら軽症なのか

わたしはがんがん働いている。
働いていない時期もあったけど今は働いている。
お金を稼いでいる。
とても忙しい。
からだはきつい。
苦手なことは相変わらずできない。ヘルパーさんによると少しずつできることは増えているとのことだけど、わからない。

働く前のわたしと働いているわたしには何の差もない。働いていないころは困っていた。何に困っているのかわからなくて働けなかった。
今は適切な支援を受けて、働けている。
でも、それをみて「軽症なのでは」という人もいるようだ。
ネット上では、わたしについて、「障害が強いからわからないこともある馬鹿」と言われることもあるし、「賢くないし、馬鹿」と言われることもある。それなら、どちらにしても、わたしは馬鹿なんだろう。それならそれでいい。

それでいて「腹けているなら軽症のはずだ、だから、もっと重症な人をケアすべきだ」みたいな頓珍漢なことを言う人もいる。

どう頓珍漢かというと、軽症な人もケアされる世界だったら重症な人もケアされやすい。それに、発達障害ではある程度重症のほうが、かえって楽に生きられるとの情報もある。どちらがいいのかわからない難しい問題だ。

わたしは、いろいろ病気を持っている。それは、どうしてなのかは、わからない。わたしはその病気と付き合わないといけない。
私は年金をもらっていないから、がんがん働かないと暮らしていけない。
暮らしていこうとすると「軽症だ」という人が現れる。もし、わたしが働いてなかったらそれはそれで言われるのだろう。

発達障害は障害の重さよりも、「困り度」で測られる。重くても環境に適応していたら困っていないし、軽くても環境に適応していなかったら困っていることになる。
その困り具合を和らげる支援があって、わたしはその支援の分は働いている。

忙しかったり忙しくなかったり、その調整が難しいのもあるけれど、今は無我夢中で働いている。無我夢中で働けているのは仕事があっているからだ。でも、仕事があっていることと、わたしが障害を持っているかどうか、そして、わたしがそのことを気にしているかどうかは、それぞれ別の問題だ。

わたしは建設的に、生産的に生きていたい。それは、ずいぶん時間を無駄にしたという反省からだ。
あの愚行を二度と起こしたくない。

わたしが軽症なのか、軽症じゃないのか、自分のことじゃないからわからない。
だけど、軽症か軽症じゃないのか、他人のことを知りもしない人たちがいろいろ言うのは公平じゃない。


言われっぱなしは気に入らない

2chに書かれているのを読んでしまって本当に気に入らない。
ああいうところでたむろって、人のことをああだこうだ品評するのは屑だ。わたしにわかるようにアクセスしてくるんじゃねえと思った。
こちらから言及したらカッコ悪いという自分ルールを持っているのもめんどくさい。
一回記事書いたけど消した。
自分でブログ作って自分の責任でやれよと思う。どうしてあんなに偉そうなのかわからない。
わたしに対してだけに限らず人の容姿や言動や考え方につべこべ言うのって下品だし下種だ。
神の視点で自分にはダメージなく言うのって本当に軽蔑する。
知ってしまったら知らない状態には戻れないから困るな。

言われっぱなしはとにかく気に入らない。
いろいろ書かれていたが、わたしが「軽症」だとしても、困っていたら、ヘルパーは頼むし、ヘルパーを頼んでいるから、仕事ができるんだから、ヘルパーを頼まず、引きこもっているほうがお好みだとしたら悪趣味だ。あと、無料じゃないしお金払っているから。気持ち悪いなほんとに。

だいたい、軽症だったらなんだっていうんだ?おまえはわたしのケアマネか?資格があるのか。私のことを良く知っているのか。
わたしは働いていることを話したうえで、ケアを受けているし、そのことで困り具合は減らない。
あとさ、特定商取引にこだわっている人が約一名いて、コメント欄に沸いていた人だと思うんだが、ここで粘着できないからと言って、悔しがるなよな。
サービス売ったらお金をもらうってだけだから別に違法じゃない。特定商取引法によるって文言つけないといけないって決まりはない。
特定商取引法に従って商売をするだけなら構わない。ちゃんと法律読めよ。特定商取引法に違反してたら問題だけど、別に違反してないからな。ほんと特定商取引法好きだよな。好きならもう特定商取引法と心中したらいい。

意味不明だ。

まったく。コンビニでバイトできるんだったら家事できるはずだとかお前は神様なのか。意味が分からない。早朝の仕事って、そんな家事部分少ないしコンビニの仕事は、決まった時間に決まった動作するだけだから反復なの。
ああむかつく。

軽症の人でもケアにたどり着けるんだったら重症の人はもっとケアを受けやすくなるとか思わないのか。
敷居が低いほうがいいだろう。
それに、私がケアを受けていることで「ケア」の存在を知ってケアを頼むことを検討する人も出ているんだから、わたしはそういう人に対して書いているんであって、2chで品評するような屑に向けて書いてないの。たまたま読むのは勝手だけど。

踊り子さんに触るなって書くなら徹底するべきだ。リンク張るなよなー。たどり着けちゃうから普通に。ほんと、迷惑。
自分たちは人に見えないとでも思ってるのか。なんか、ローカルルールで、ブログで反論するのはカッコ悪いとか決めてるらしいけれどそれも屑が決めたルールだからな。

あのさー、あんまひどいと、情報開示手続きとかするからな。そうだよ、特定商取引にこだわってるお前だよ。
お前、IP残ってるから粘着していた証拠残ってるからな。お前だよお前。馬鹿だのなんだの誹謗中傷しただろ。
誹謗中傷ってそれだけで、迷惑行為だからな。
親切だからなにもしてないだけ。
住所さらしたって怒ってるみたいだけど、別にさらしてないじゃん。本人と紐づくようには書いてないから親切。
しかも市町村しか書いてないし、住所ってほどでもない。

なんでログが残ってないと信じられるのか。ログ残ってるし、プロバイダもわかるし、プロバイダに問い合わせもできる。
問い合わせしたからってその後どうなるかは別として。本人特定ってそんなに大変じゃないんだよ。手続き的には。
ネットで書き込みしたらログも残るし、情報開示手続きも取られるんだよ。わかんないのかな。

あー、けったくそ悪い。

ほんと、わたしが困っているかどうか、一緒に生活している人かヘルパーさんか、主治医しか判断できないんだから、わたしのネットで自分で開示している情報を持って裁くなよな。屑で下種でいる自分を愛してて幸せなこってね。愛してなかったら、「踊り子さんには触らず観察します」なんてことできないだろー。
やだやだ。


蕎麦は打たないで済むように生きたい

友達と話したのだけど、「高校生の時までで人生はほとんど決まる」って話をした。
何が決まるかというと「やりたい仕事をする」ために動けるのは、高校生の時だ。
作業療法士や、薬剤師になりたかったら、高校生の時に勉強して、専門の学科に入るしかない。
そういうことを考えなくて、大学にに入ってからやりたいことを探しても、結局、周りの環境に流されて、仕事を選んで、仕事の中でやりたいことを探すって話になる。

それは、どちらがいいという話じゃなくて、ただ、高校生の時に気づくか気づかないかで人生は大きく違うなということ。

わたしはお金のことについて、ほとんど知らなかったから、茫洋と大学を選んだ。

今は転職もうまくいっていて、塾の仕事で感謝されることは面白い。きついこともたくさんあるけれど、説明がうまくいったとき、生徒がわかった、という顔をするのはとてもうれしい。

わたしの困ったことは、だんだん減りつつある。次の段階に進みつつある。
私の困り感は、実際にわたしと接する人としかわからないだろう。

できることもあるが、できないこともある。能力がちぐはぐだ。できることで、できないことを補っている。わたしができないことを誰かに裁かれたくない。できることがあるからといって、できないことを否定されるのもつらい。工夫しているから、できることが多い。それは、わたしの困り感が少ないことにならない。

友達が、なんとなく続けている仕事だ、というように言ったけれど、でも、毎日、自分なりに仕事のことを考えていたら、蕎麦打ちたくならないよ、と言った。
男の人は、退職金をつぎ込んで、蕎麦打ちの商売を始める確率が高い。
それは、毎日仕事のこと、仕事が自分の人生にどういう意味を持つか考えて、少しずつ調整する機会がなかったからじゃないかと思った。
女の人は、転機が勝手にやってきて、自分の人生と仕事の距離をいつも計りながら働いているように思う。

お金を稼いで、生活すること。自己実現すること。そういうのは、最初からは手に入らないんだなと思った。
「やりたいことと違っていた」という言葉を聞くと、「でたあ」と思うような年になった。
大まかに嫌いじゃない仕事をして、親切な上司がいて、仕事の中でやりたいことを見つけていく、という感覚になった。穏やかな職場環境でだと、やりたいことや自己実現は見つかりやすい。そういう気がする。
そういう感覚だと、蕎麦を打ちたくはならない。せいぜいうどんをこねるとか、パンを焼くぐらいだ。

蕎麦に何にも関係がなかった人が、突然、蕎麦に打ち込むのはバランスが悪い気がしてしまう。
蕎麦には何も悪い気持ちはないのだけど、蕎麦ってなんだか、打ち込むもので、退職金をはたいて店も出しちゃう感じもして、そういうのはとても怖い。
衝動やバランスが一気に壊れている感じがする。
壊れないように適度にふざけていたほうがいいんじゃないかなと思う。蕎麦屋の道も大変だ。

わたしはできることもあるし、できないこともある。できないことは手伝ってもらう。
それは、わたしの中で完結していることだ。
他人に興味を持つ人のことはわからないままでいい気がしてきた。
仕事はできる。からだはしんどい。しんどいと、できないことが増える。

でも、なるべく、毎日ちょっとしたいいことやちょっとした悪いことで一喜一憂しながら暮らす生活に満足している。
以前には満足という感覚がなかったから、それは良いことだ。
わたしも少しずつ成長している。


自分の時間に値段をつける

自分の時間を売るようになってから、どのくらいたつだろうか。

わたしの一番安い時間は745円だ。
一番高い値段はそれより高い。

年収400万円のサラリーマンの時間を時給で直すと、2000円くらい。
フリーランスは、自分を食わせていくことも諸経費に含まれるし、待機時間の分も料金に上乗せるからそれより高くつける、と思う。
少なくとも私はそうする。
一件一件の数、打ち合わせ、メール、そんなことで時間も減るから実質上は時間がかかる。
実作業をする時間以上にコストがかかっているからそれを上乗せになる。

ランサーズで仕事をして、自分が文章を書くスピードを勘案したら、たぶんコンビニバイトと同じくらい稼げるのではないかと思った。
でも、全然向いていなかった。自分の書きたいものじゃないものを書くのはしんどいし、リライトも多い。結局窮屈だった。
安くても、面白い仕事だったら、続いたのだろうし、中には面白い仕事もあったのだけどプレッシャーに負けてしまった。
やりたい仕事はあったのだけど、でも自分のブログに書いていればいいんじゃないかなと思った。
あれをするのはしんどい。

toshitsu.hatenablog.com
この方のブログに影響されたのだけど、まあ、なんというかすごい、すごすぎる。やってみてわかったのだけど。

需要と供給の曲線が交わるところで値段が決まる。
だけど、サラリーマンをしている人には、それがあまり身につかないのかもしれない。
とあるブログでお金を稼ぐことを書いている人を批判している人を見てそう思った。
わたしは、その人を二人とも知らないし、どちらの人も好きな感じではない。
だけど、会社に所属しないで働くには、会社に所属している人の常識とは違うことが大事になってくる。
だいたい、サラリーマンの給料なんて、その人がどれだけすごいかじゃなくて、会社がどれだけ儲かっているかで決まるじゃないか。
そういう人に、値段のつけ方が不当だとか言ってほしくないな。
不当だと思う人は買わないんだし、不当じゃないと思う人は買う。でも、買う気がない人が人の商売を邪魔するのは、それこそ「エレガント」じゃないし、下種だと思う。

人はそれぞれ生きてかないといけないので、それぞれのしのぎがある。
それを邪魔するのは最低だ。人を殺すのと同じだ。

自分の時間に値段をつけて売る時の怖さは、商売を始めた時にしかきっと分からないんだと思う。
わたしは怖くて眠れなかった。

わたしは貧困から抜け出したい。
会社員の常識が、非常に狭い限られた常識だということがこの件で分かった。
みんな常識があるような顔をしているけれど狭い世界の常識の話を私に押し付けているだけなんだと、他人のことを見てわかった。

わたしはいろんなことに依存しながら生きている。
でも、少しずつ依存を分散して、依存の仕方がうまくなっている。
選択肢の貧しさや、発想の貧しさから抜け出しつつある。
貧しいと、選択肢がはく奪されているのだ。
そういうことが、わからない人は、何かできなかったりつまずいている人を見て「馬鹿なのかな」としごく素直に思う。
それは、他人への理解が貧困なのだけど。

自分に値段をつける仕事はたくさんある。
今までなかった仕事を見つけて商売を始める人はみんなそうだ。
何が適正価格なのか、参考にできるものは何もないところから始めるんだから。
今までなかった仕事を発明して実行するというのはそういうことだ。
そして、これからは、どんどんそういう見たこともない仕事が増えていくだろう。
旧知の仕事は減っていく。
だから、本当はきっと一人一人が小さい商売を始めることが大事なのだと思うけれど。それに嫌悪感を感じる人は、他人に興味を持ちすぎだと思う。興味を持たなければ、ひとこと言いたくならない。
わたしは自分のしのぎを邪魔されたくないから、ひとこと言う。利害があるからだ。


貧困によって選択肢が奪われる

貧困にもいろいろあるけれど、経験や選択肢を奪われているのが大きいと思う。

わたしは気分によって家具を変えていいと知らなかったし、快適にいきるために刺激を減らしていいこともしも知らなかった。

お金の使い方は生まれたてのひよこのごとくうまくないけれど、だんだんうまくなっていきたい。


需要と供給の曲線が交わるところ

ブログでお金を稼ぐことに反対な人たちがいる。

反対というか、露骨に稼ぐなと。

自分の時間を売る時、その値段の根拠は、と問う人もいた。

例えばわたしが時間を売るとき、自分が生活できる値段や、諸経費をのせて値段つける。

だけど、何よりも大事なのは需要と供給が交わったところの値段をつけることだ。

サラリーマンは、自分の給料の値段の根拠に興味はないんだろうか。

死なないで暮らせるくらい、儲かる会社に勤めてるから高給とか、そんな感じでみんな適当に決められていて、それが当たり前だと思ってるだけだろう。

自分が値段をつけるには勇気がいる。

相場も適当に決まってるものだ。

自分のサービスにどれだけの価値があるのか、そんな自信なんてない。

安すぎると困った人も来るし、百万円をつけたら売れない。そんななかでちょうどいい値段を探す。

わたしはアウトサイダーだから、スマートなお金稼ぎはできない。

掛け持ちしてやっと暮らしている。

お金がないのは選択肢がないということだ。
選択肢がある人から見るとおろかなふるまいに見えたり、頭が悪いと思ったりする事象は教育水準や判断力や選択肢を奪われていて、そういう発想がないからだ。

わたしは病気だから家から出られない人生や贅沢をできない人生もあり得た。

お金なんて下らないというひともいるだろうが、今のわたしは贅沢は気分が上がって楽しいし、それが楽しいうちはなるべく稼ぎたい。

休み時間を減らして週七で働くことはきついけど、稼いでお金を使うと、人生で奪われたなにかを掬い上げる作業な気がする。

最初から奪われず満たされた人にはわからないのかもしれない。

ひりつくように、お金を稼ぎたいという執念や、フリーランスの貪欲さや、お金のない怖さ。

ゲームのように、お金を稼ぐ楽しさはフリーランス特有だ。決まった額が毎月稼げるとは限らない。
だから、収入源はいつでも分散したい。

サービスを売るとき、ブログを経由して売ることに嫌悪感がある人は、買わないのだから、損をしない。

わたしが不思議なのは、なぜ、ブログをやるような人なのに、他人に興味があるかだ。

他人に興味があるから、余計なことを言うんだろう。

わたしは以前他人に興味があるからブログをやるんだろうと勘違いされたが、その感覚は全くわからない。

他人にエネルギーを割くよりは、自分や友達にエネルギーを割きたい。だからくさす人の動機がわからない。

お金は自由を保証する共通幻想だ。それを利用して何が悪い。

需要と供給の交わるところで、折り合えばお金が発生する。
根拠なんてない。お互いの二人のなかで納得するかだけだ。


からだと仲良くなる

今日は過食をしてしまった。
スナック菓子や肉や野菜スープを食べた。
以前ならおなかが痛くならなかった量だけど、今日は痛かった。

痛みを感じるようになったということだ。
今までは痛くなかった。

これは鈍かった感覚を取り戻したことだから、痛いことをするなということだ。

だから、体をいたわって、過食しないようにできるはずだ。

なんとはなしに、むしゃくしゃするからと言って、食べるのではなくて、ほかのことをして、ストレスを発散するやり方をするべきなんだな。
ストレス発散のためのお金は必要経費として、考えておこう。どうせ食べ物でだって、たくさん使っていたんだから。

ダイエットを始めて、食べる量そのものが減ったので、食費が減った。
過食をすると、お金がかかる。
どうせなら、そのお金で家具や、服や、整体に行くとかそういう風に使ったほうがいい。
いや一番いいのは使わないことだけど段階を踏んでいこう。
ストレスには寝て対処できたら一番お金はかからないけど、自分で積んだ経験のほうが納得いくような気がする。

痛いこと自体は苦しかったけど、同じことをしてもなかった痛みを感じて、前より体の声を聴けているじゃないかと思った。