可愛いから太ってても気にならないよ

可愛いから太ってても気にならないよ、と彼氏に言われました。
一生懸命働いている結果太っているんだから仕方がないと自分で自分を慰めています。

そして、仕事が忙しく疲れました。
お金が欲しいです。

また、田嶋陽子さんのエントリが読まれているので、読まれてるなー、おーと思います。

今日は書くことあったんだけど、忘れた!!!!


人権、搾取、虐待

コメント欄を見ていると、人権について、理解を間違っている人がいるのだと思うようになった。

また、わたしに対して、甘えてくる人たちの中には、女性から虐待、搾取をされていて、その虐待してきた女性を強いと思ってしまったのだと思う。そして、強い女に見える「フェミニスト」を虐待者と重ね合わせているだけだ、という可能性もあるなあ、と思うようになった。

そのへんが未分化なんだと思う。本当に、つらいんだろうな、と思う。
それはつらい。自分に何が起きたかわかっていなくて、誰も支えてくれなくて、支援してくれるところにも繋がれなくて、男性だとそもそもそういうところがないし、訴えることもできないし、それくらい我慢しろよ、と言われてしまうだろうから、きっと傷はいつまでも癒えない。

それは、フェミニストに対して、怨念を抱いている、というコメントを見てそう思った。

わたしの文章は平易だから、絶対にわかるだろう、と思ったエントリで、わけのわからない絡まれ方をしたとき「わかった上で、受け入れられないから、ごねているのではないか」という意見をもらってなるほどそうか、と思った。

みんな、甘えたいんだね。

人権を説明する。
人権は国に対して生まれながらに請求できる権利のことです。だから、義務は伴わないのです。
国って言うのはろくでもないものだから、国民が縛り上げていかないといけない。監視しないといけない。

そんで、国がバカなことをしないように、そして、最低限国はこれをやれよ、というのが権利です。だから、義務はむしろ、国にあるのね。

そんで、国は、人権を保障するんだけど、その人権の中に「セックスする相手をあてがって、結婚させる」というのはないのね。それは、相手の人権を、削っちゃうからです。あてがってもらった人はハッピーかもしれないけど、あてがわれた人は、「うーん」みたいになっちゃうから、誰かの権利を侵害するような要求は国にはできないのです。

法律って国を縛るものです。明文化して、これをしたら、こう罰しますけど、これ以上の罰を国が勝手に決めてはいけない、って。じゃないと、自由奔放に拷問したりするからね、国。そういうのを避けるんです。今でも自由に拷問してて、国連から勧告を受けているけどさ。

そんで、アンチフェミニストを名乗る人って、身近な人から、搾取や虐待されてて、でも、それを話す言葉とか、理論とかがなくて、だから、フェミニストって、目立つ女を、女の代表みたいに思って、それで、搾取した人に怒りが向かないで、いっぱいコメントしたり、いやがらせみたいなことをしちゃうんじゃないかと思った。

アンチフェミニストを名乗る人の中に、虐待されていた人がいるんじゃないかなあと思う。

なんでかというと、自己肯定感が異常に低いから。
推測はいけないと思うんだけど、好意的に思いたいから。

男性が女性から搾取されるってことはあると思います。
そんで、フェミニストはそういうひとの敵じゃなくて、そういう人も助けたいと思ってる。

なんでかというと、男は強いものだ、という価値観にも反対しているのが、フェミニストだから。
そして、強いものが弱いものを搾取することを許さない、って言いたいのもフェミニストだから。
女性の権利は優先になってしまうけど、男性が搾取されて、それですごくイイ!とは思っていませんよ。少なくともわたしは。

だから、わたしは、虐待されていた自分を語るところから、はじめて欲しいと思う。弱者男性と名乗る人にそれを望む。
そうしたら、寄り添う人も現れるはず。
言葉がないから、攻撃になってしまって、本当に訴えたいことからずっと離れてしまうから、それでいて望みを叶えてくれないフェミニストを恨んでしまう、ということは、本当に虚しいと思うから。

だから、語ってほしい。
生きづらさを。
どういうことがあったのか。
具体的に。
それは、あなたを自由にする。
呪いから解き放たれる。
わたしもそうしている。
わたしは自分の呪いを解きたい。

甘えられても困るわたしがいる。
けれど、ともに歩めなくても、きっと同じように歩んでいくことができる、そんな淡い予感を感じた。


田嶋陽子はヒーローだった

学校で男子にバカとかブスとか言われていたわたしは、テレビで、赤いメッシュをかっこ良く入れた美人が、たけしと大竹さんを相手に、一歩も引かずに自分の考えを述べているところに励まされていた。

ブスと言われても、平気な顔をしている彼女。

わたしはブスと言われても平気でいようと思った。それは自分の感情を抑圧するって意味じゃない、ただ、くだらない男、にブスと言われてもなんぼのものじゃ、と思ったのだ。

大竹さんからも、武からも、彼女は愛されていたと思う。そうでなければ、嫌いな相手と、武も大竹さんも長い間、一緒に番組をしなかったと思うのだ。

わたしは子どもの頃から、数学ができるのは男の子だとか、家事が得意なのは女の子だとか、出席が、男子からだったりすることにむかついている子どもだった。

田嶋先生の本を読むと、シングルマザーや、困っている女性に厳しいながらも優しかった。
だから、わたしは、赤いメッシュの髪のボブに憧れるようになった。

彼女は美人だった。

ブスといくら言われても美人は美人だ、彼女をブスと言っているおっさんにひとりも美男子はいない、と暗い満足を抱いていた。

わたしは、人生がつらいときに、フェミニズムにずいぶん救われた。

実際にはわたしが悪いのだとしても、生きていていいんだというメッセージを受け取っていた。

わたしは女として呪われていると長年思っていて、その呪いを解いてくれるのは彼女だった。彼女は良い強い魔法使いだった。

わたしは彼女に勇気づけられていた、学校の先生に嫌われても、勉強ができるからって、他の生徒に嫌われても、平気だった。それは、彼女がブスだと言われていても、ずっと自分の考えを言っていたから。

わたしは彼女が学者だと知らなかった。頭の良い人だと思っていた。

大人になってから、彼女をヒステリックだと思っている人がいて、驚いた。わたしは激高した。
彼女ほど穏やかで理性的な女性はいない。ブスだと言われて話を遮られても、毎週バラエティ番組に出るのだから。

わたしは、大人になって、自分の立場からフェミニズム的な発言を発信したいと思っている。

それは、女性のためだけじゃなくて、男性も、息苦しく暮らしているのだから、それも解放したくて。
いろんな性別の人が、自由に自分らしく生きるのために、文章が役に立てば良いと思う。

彼女はわたしに芽をまいた。わたしは育って、フェミニストになった。そして、子どもの頃からずっと変わらず彼女を大好きだ。彼女は大事なヒーローだ。


男を捨てる


おれはフェミニストなのに女の自称フェミニストに攻撃されたからアンチフェミニストになっちゃうとか言っちゃうやつは滅びろ – ある精神病患者の一日

>それは、男女同権とは関わりなく、頭が良くないやつがどこにも存在しており、そういう人が、甘えた根性で、わかってもらえないと敵になるよ、

ここの部分自体がマッチョだと指摘されたので、男らしさについて書こうと思います。

わたしは別に男が頭が悪いとか、頭が悪いと男じゃないとか、言っているわけじゃないです。

確かに頭が悪い男は好きじゃないけど、「男は頭が悪ければ悪いほど大好き」って感じよりも、まあ、普通の性癖だと思います。
頭、悪い男大好きー、って結構特殊な性癖だと思います。

わたしは個人的になるべく頭がいい男性と積極的に関わっていきたいし、そうじゃない人とは関わりたくないです。そして、甘えさせたくもないです。
仲が良くても恋人でも、自分の愚かさを「認めて!」て一方的に要求されたら、「それはないっすよ」と言って却下します。それは別にマッチョじゃないと思います。単にわたしはそういうプレイが好きじゃないだけです。

わかってくれないと敵になるよ、と宣言するのは甘えた性根から発した脅しなのは、確かです。それを説明する言葉はないのだけど、マッチョとは違うと思います。

男の人が自分で望んで、頭が悪いままいるのは、その人の自由だからそっとしておきたいと思います。
頭が悪い、というのは、IQのことでもなくて、教養でもなくて、フェアに自分の頭で考える力、調べる力、自分に都合の良い情報だけを信じないで判断する力がない状態の人を言いたいと思います。ここでは。

順を追って説明すると、女性の権利、を向上させたいと言うのは、

就職のときに不利にならない
収入が男性に比べて不利にならない
昇進が男性に比べて不利にならない
参政権がきちんと行使できる
政治家の半数が女性になる
暴力に遭ったら、相手側がきちんと裁かれる
強姦の要件を変えてほしい(今は相手が死なない程度に抵抗しないと合意だと見なされる)
議論をしたときに、論点とは関係なく「でもお前ブスだろ」と揶揄されない
中絶、避妊、セックスなどを自分の意志で決断し、尊重される
セクハラ、モラハラに遭わない自由
容姿のことを言われないですむ
女性らしさを要求されない
好きな服を着て過ごせる
年齢差別をされない
結婚したときに名前を自由に決められる
結婚したときに財産を均等に分けられる訂正:自分の財産は自分の財産として持っていられて、離婚するときには共同財産は、均等に分けられる
家事を一方的にやるのが当たり前と見なされない
子育ては母性があるから女がやるべきと言われない
保育園の充実を図って、女性が働きやすい生活ができるようにする
専業主婦やパートの女性が差別されない
女性優先車両がないと痴漢から逃げるすべがないこと
子どもの頃から性犯罪に巻き込まれること
DVされやすいこと
子育ての重荷を一手に引き受けさせられ、逃げ場がないことをなくしたいこと

などなどがあると思います。

男性差別もあります。それは、
強姦されても立件されない
男らしさを強要されて息苦しい
結婚したときに、収入源となって、働くことが当たり前とされている
弱みを見せてはいけないと思わされている
子どもの頃から性犯罪に巻き込まれること
男性の方が、子育てが下手だと思われ、親権がとりにくいこと
DVの認定がされにくく、国からの援助が全くないこと

などがあると思います。わたしは女なので、それくらいしか思いつかないけど、まだあると思います。

で、誤解されているのは、

男に生まれたからには、彼女ができてセックスできて結婚できてこどもを生んでもらえるはず
男性優遇サービスデーがない

というのが叶えられない状態が、男性差別、と思われている節があります。

男に生まれても女に生まれてもパートナーが発生しない場合は多々あります。それはいろんな理由があると思います。孤島に生まれ育ったら他に人間がいないからパートナーができない場合もあるだろうし。パートナーが欲しくない場合もあるし。

女性サービスデーがあるのは、女性の方が収入が少ない現実があるからです。それだけ。それを追認している状態だから、女性優遇サービスデーが広告として有効に働くのですね。
もしも、女性の収入が男性と同程度だったら、単に安い、ということで店を選ぶことが減って、快適だ、ということで店を選べるようになるんだと思います。だから、差別の一種だと思ってください、女性サービスデーは。

で、さっき挙げたことが不満として出るのは、女性を人間扱いしていないからなんだと思います。
女性を人間だと思っていたら、自動的に彼女ができるのが男として普通の状態という発想が出ないと思います。
人間には選ぶ権利があるからです。

だいたい、女性が男性に対して怒るのは、女性の権利を踏みにじったときが多いと思います。でも、男性はそれが女性の権利を踏みにじっている行為だとは気づかないので、なぜ、女性が怒っているのかわからない。そして、わからないだけで終わるなら良いんですが、「何も悪いことをしていないのに、女性が勝手に怒った。理由がわからないし教えてももらえない。理不尽だ。おれは女性に虐げられている」となる人も一部いるように見受けられるのが問題だなあと思います。

一般的に権利を踏みにじられて怒った人は、それの理由をわざわざ相手に教えません。なぜならば、関わること自体が時間のむだだし、それ以上不愉快な思いをしたくないし、それ以上に、損なことをする人に一定の知性があるとは想像ができないからです。だから、教えないのです。教えてもわからないんだろうな、と予測をたてられているからです。

そして、世の中にはいろいろな書物があるので、勉強したら、女性の権利問題、というものにも触れられます。それをさぼっていることと、教えてもらって当たり前、と思っているところが、わたしの「甘えているし頭が悪い」という一番最初のリンクの文章につながるわけです。

「わかってほしければ、説明しろよ、教えろよ」というひともいるかもしれませんが、わたしは、女をやっていて、長い間、絶望を味わってきました。なので、わざわざ「頭悪そうだな(実際にはいいのかもしれません)」と思う相手に、労力をかけないのです。頭が良くても、男として生きていく分には、女性問題に触れなくても、普通に生活できてしまうので、女性問題に全く疎くて、わたしの地雷を踏む人は多々います。

わかってもらうは、乞食の心、というのは、わたしの好きな言葉です。わかってほしい、わかってもらいたいと、権力者(この場合は社会構造から言って男性)にこびて、へつらって、説明を一生懸命するよりも、わたしは自分自身を生きていく、そのために労力と時間を使っていく、決意、みたいなものがあるわけです。

そういうわけで、わたしはあまり男性に説明をしません。ただ、離れるだけです。ちょっと仲が良ければ怒っていることは伝えます。でも、結局は流されるので、たいてい説明をする前に離れます。流されるとは「そんなことで怒るなよw」「冗談だよw」「それくらい許してよw」「怒ってるとかわいくないぞw」「ブス」みたいな態度のことです。話し合う気が失せます。

よくわかんないですけど、男性って、議論に詰まりつつあると、容姿について攻撃しますね。
男性って、男である故に、あまり清潔感がなくても美容院に三ヶ月行っていなくても、服装がだらしなくても、顔を洗ってなくても、許される傾向があります。だから、たいていの女性の方が、化粧をしたり、毎日風呂に入ってむだ毛を綺麗にしてシャンプーをしたり、髪の毛を巻いたり、いろいろしていたり、服も靴も毎日変えていたりするので、見た目のレベルは高いと思います。だから、容姿を攻撃するのって、「…おつかれさまでーす」みたいな気持ちになるのですが、男性はじっくり鏡を見る習慣があまりないんでしょうか、と思ってしまいます。余談でした。わたしはどちらかというと男嫌いなので、こういう文章を書くと節々にそれが出てしまいます。

男だ、というアイデンティティを捨てろ、ということではありません。
ただ、男だから、こういうことが手に入るはずだ、ということを捨てると、お互い生きることが楽になると思います。

わたしは結論として、「男にこだわることを捨ててほしい」と思います。男だから、こういうことが、こういう人生が、こういうなりゆきが保障される、そういうものだ、そうじゃないのは世の中がおかしい、と思うのを捨ててほしいと思います。
世の中はおかしいです。でも、彼女ができなかったり、パートナーができなかったりするのは、世の中のせいではありません。たいていの場合。出会いがなかったり、出会いがあっても、選ばれない不運があるだけです。
男らしさにこだわることを捨てて、男だという価値観から離れて、自分の良さを発見して、人に不快に思われない容姿になって、女性と会話するときに、言葉を選べば、不運の総量は減るでしょう。

女性については、女性の権利を獲得するために一緒に戦いましょうと思います。
女を捨てる、というと、女性としての美しさを捨てる、男からの評価を求めることを捨てる、とか、身ぎれいさを捨てる、とか、そういう意味になるのが不思議ですね。

男を捨てる、という意味と、女を捨てる、という意味が対称じゃないのが、女性差別の問題だと思います。言葉の問題ですが、差別は言葉からも、権力構造からも、政治からも、身近なことからも発生すると思います。それを一緒に考えていく人が増えれば良いなと思います。

追記

というわけらしいです。

というわけなんでしょうか。
腑に落ちます。


けんかして思ったこと

けんかして思ったことを書きます。

けんかは楽しいということです。
アドレナリンが出ます。そして、疲れます。人とけんかしたい、勝ちたい、みたいな欲があります。
で、けんかする状態、というのは、やっぱり調子が悪いとか、攻撃的になっているとか、そういう状態なんだなあと後から思いました。

悪口を言われるのって、眠眠打破飲んで、目が覚めて、テンションが上がって、体が楽になったと思いきや、そのあとぐっと疲れが出るみたいな話だと思います。

悪口言われるとテンションが上がるし、楽しいです。
いやな気持ちになるんだけど、楽しい、ていうか、どんな風に言い返そうとか考えてしまいます。
いやなんだけど、ちょっと嬉しいし楽しい。そんな感じ。
だって、悪口言われても傷つかない。
だいたい、そうだなあ、と思います。

今はけんかしたくない気分です。言いたいことを言ったのですっきりしました。

言われたら言い返すのは不毛だと言われますが、ストレスをためない、という意味で、ある程度言い返すのは良いなと思います。でも、泥沼になると言うか、パターン化して、揚げ足取りになるのは、疲れるし、われながら恥ずかしいし、ちょっといい加減にしたいなと思って、昨日やめました。

またけんか上等になるかもしれませんが、しばらくはしないと思います。

それほど、悪口を言われても気にならないからです。
一瞬頭がかーっとしますが、けっこうすぐ忘れるなあと思いました。
あれだけ、ヒートアップしたのに、仕事して、抗不安の薬飲んで一晩寝たらすっきりしました。

言いたいことを言ったからかもしれません。
それと、誰も、言うのはやめた方が良いと忠告しないでくれたからだと思います。あのとき、忠告されていたら、抑圧されたと感じて、まためんどくさい展開になって、誰が味方なのか、実際わからなくなったんじゃないかなあ、と思います。そういうところがわたしの悪いところです。

脆弱性自体は悪いものじゃないと思います。人のゆらぎって、魅力になるときがあるからです。
コメントでけんか売る人は脆弱性が高いと思います。それで、言い返すのは脆弱性が高いと思います。

でも、けんかして、自分の中で納得するのって、ある種の成功体験だなあと思います。勝ち負け、ということじゃなくて。勝ち負けもよくわからないし。
侮辱されて、それを我慢するのって、「女らしいこと」とされています。わたしは女なので、そういうはしたないことは、やめたほうがいいことを暗黙の了解で察しています。現実では、損得勘定もあるし、あとで面倒なことになるのもいやだし、人の顔を潰して恨まれるのもいやだから、避けます。

でも、ネットでは、自分が女だと言うことを比較的忘れられて、言葉と言葉の応酬なので、殴られる心配も、とりあえずはなく、言い返せるので、ちょっと精神的に良い部分もあるなあと思います。

でも、やりすぎると、自分で書いた言葉に興奮して、やりすぎることもあるので、気をつけようと思いました。

わたしはけんかしたときに、誰かに味方してほしいとか、自分が正しいんだ、ということを示したいと思わなかったです。そういう自分が好きだなあと今振り返って思います。

わたしは言いたかったから言ったし、疲れたしつまんないし、しんどいなあ、と思ったときにやめられました。

そして、意見の食い違いを埋めるのではなくて、相手を嫌いだから話やめたいと思ったり、それを相手に伝えられたりしたのは満足しています。

けんかしても別にブログの運営上に良いことはありません。ただ、こういう罵倒があるとこういう気持ちになるんだなあと知れたことは面白かったです。

わたしはバカと言われても傷つかないし、文章が下手だと言われても、ブスと言われてもあまり気にならないなあと思いました。おちょくるのが楽しくなるのは良くないなあと思いました。弱い者いじめになってしまうなあと思います。わたしは文章上では腕力が強いから、気をつけないといけないなあと思います。

けんかして気づいたことは、ネット上では、わたしは弱者じゃないということです。むしろ強いです。それは、言葉を使えるからです。文章で自分の気持ちを書いたり、相手の不備を指摘したり、論理的に書いたりすることが普通の人よりも得意なので、気をつけないと、相手をぼこぼこにしてしまうんだと思いました。

わたしは今まで文章の腕力の強さに気づいていませんでした。

人からいやなことを言われたらいやな気持ちになるから、力一杯殴り返していたけれど、加減することも覚えようと思いました。

わたしに腕力がないように、言葉が不自由な人もいるようです。そういう人の言いたいことやかまってほしい気持ちをちょっと気にして上げる余裕を持とうと思いました。

また、言い返したくなったら、言い返すし、けんかしたくなったら、けんかすると思います。

でも、自分なりに、あまり、しつこくならないように、相手を怯えさせすぎないように、加減して接しようと思いました。

言い返してすっきりしました。それはよかったです。


寄り添えぬ言葉、変質、受容

ヴァルネラビリティがあると言われたので、調べてみた。

調べてみた、と言っても、ググっただけ。vulnerability

もとは、社会学やセキュリティ、心理学、で使われた言葉らしい。

「可傷性・暴力誘発性・傷つきやすさ」と訳すらしい。
わたしはPTSDを発症しているから、こういう言葉は、トリガーになるなあと思った。
わたしがこの三日間、ネットで、けんか腰なのはそれが面白かったからだ。だからした。後悔していない。ただ、バカだなと思われるなあと思ってそれがつらかったが、もともとそういう意味で立ち回りがうまくないのは知っているし、立ち回りの下手さよりも、やってみたさの方が上回ったのでしてみた。

しかし、わたしの人格が、暴力誘発性がある、と言いたい人にとっては、犯罪に遭ったってことも自己責任みたいな話になるのかなあと思った。そういう意味でも使える言葉だと思った。
人の反感を誘発する、人の攻撃欲を刺激する、そこがあなたの落ち度なのだと伝うことにも使える言葉だと思った。

脆弱性がある人がいるとしたら、それにたいして、いかによりそうかが大切であって、指摘したり、ましてや罵倒として使うのは論外だと思った。脆弱性自体はすぐには修正できない。修正すべきだとも思わない。その人の持ち味だ。そういう風に、その人自身を受容して、そして、脆弱性自体は悪いものではないので、攻撃されにくいように振るまい、それでいて、自分らしさを出していくように支えることが大事なのではないかと思った。

犯罪被害者に、脆弱性があることは当然だ。また、ブログ記事を書くことで、脆弱性を強めているのもその通りだ。ブログ記事を読んで、攻撃したい、と言う人が現れるのは折り込み済みなのだから。それで、ためらったとしても、書きたかったから、書いた。

わたしにたいして、もともと、犯罪に遭うのは用心が足りなかったから、と言って来た人はほとんどいなかったが、それでも少しいた。
わたしは犯罪被害者だと言うことを公表しなかったから、言われずにすんだ。

ネットでは言われる分にはそれほど傷つかないので、公表した。
同じような被害者が、わたしの言葉で少しでも仲間がいると感じてくれるように書いた。
だから、わたしに脆弱性があると非難してくる人は、想定済みだけれども、宛先でもないひとたちだ。
犯罪被害者だと公言することが脆弱性と指摘される可能性もある。
それに従っていたら、被害者同士で連携すること自体ができない。
脆弱性があるから犯罪被害などに遭うのだ、という意見は論外だ。
脆弱性とともに生きた方が良い。

それについて、書いてあるのが、以下のサイトだ。

『他者からの攻撃や搾取などを招きやすい弱点や誘発性』

『弱さを強さに変える触媒』としてのヴァルネラビリティ(脆弱性):知の再編成と自律的ネットワーク化 カウンセリングルーム:Es Discovery/ウェブリブログ

このサイトでは、ヴァルネラビリティが強みになりうるとして紹介されている。
なにか、言論、意見を言うときには、「突っ込まれやすい」部分が必ずあるため、常にヴァルネラビリティがあると言える。
ヴァルネラビリティがあるからこそ、発展し、面白さがある、反対意見に対しての意見をさらに言うことで、メタ視点での面白さが得られると書いてある。
わたしは賛成だ。このような言葉の使い方には誠実性がある。

広がりがある。脆弱性のある面がある人がある、しかし、その人自体を無理に変えるのではなく、面白さ豊かさを引き出すことが可能かどうか、考えていきたいのだ…という風に読めた。
それは寄り添う言葉だ。

脆弱性のある人を、無理に変えるのは暴力だ。その人は十分に傷ついているからだ。
なぜ、脆弱性のある人になったのか、それを考えると、つらい経緯があるはずだと思いつく。

ヴァルネラビリティとは、推測するに、もともとは、脆弱性のある人に、それは、「もともとの性質ではなく、現象として、今の時点で、弱いところがある」と寄り添うための言葉だったのだろう。

それが、変質してしまって、一種の罵倒語として、成立してしまうことになった、というのが経緯のようだ。

どんな素晴らしい言葉でも、使う人間によっても、癒す言葉にもなり、攻撃する言葉にもなる。

人にはいろんな事情や精神状態があって、いろいろな発言をする。
それに寄り添える場合もあるし、寄り添えない場合もある。でも、寄り添うための言葉を、攻撃のために転じるのは良くないことだと思う。言葉を粗末にするのは、感心しない。

アスペルガーや、自閉症スペクトラム精神疾患とは、医者が、患者にその苦しみに寄り添うために下した診断であって、他人が、みだりにその人をその性質でもって裁くために利用してよいレッテルではない。

また、犯罪被害者に遭った人や、そして、それが刑事裁判で認められなかった人、特に性犯罪に遭った人などは、行動に対する落ち度ばかりが責められて、彼、彼女らが、「あなたは間違っていない」という言葉をかけられると言うことはまれなようだ。

わたしは、犯罪に遭った後、適切な支援を受けたために、シャワーのように「あなたは間違っていない」と言われ続けた。それでも、体が動かなくなり、長い間眠っている時期が続いていた。

犯罪被害に遭った直後は、普段通りに生活しようとしたり、気絶してしまったり、倒れてしまったりするなど、変調が際立っていた。食べるものも、味が濃いジャンクフードに偏った。

犯罪被害に遭ったり、二次障害が元々ある人間が、発言したら、それは脆弱性がある行動をとりがちだと思う。でも、それは有意義な一面があると思う。

わたしが、一時期、みっともない行動をとったとしても、全体としては、まあまあ資料価値の高い文章を書いていると思っている。そう思わない人は読まないだろうと思って安心している。

わたしはネット上で、現実で、のたうち回りながら生きることを選んでいる。
わたしは正しくないことを書くだろう。書いているだろう。適切ではない、賢くない行動をとっているだろう。わたしは不完全なまま、現実を生きたい。

しかし、不具合はいずれは最適化されるものだと信じている。それは自分自身の変容によって、現実からの歩み寄りによって、最適化が果たされる者だと信じている。わたしは世界が善良であることを望んでいるのだ。

わたしは、今はまだ適切でも安全でもないが、そして、これからもそうであるとは思うけれど、今のままの自分が好きだし、このままいることを決めている。

今の自分が好きだ、というのは決断だ。欠点があり、弱さと見にくさが同居して、自己嫌悪の穴に落ちないようにするための命綱を自ら結ぶと宣言する行為だ。それを、あなたは完璧ではないからと言って後ろから命綱を切ることをしてはいけない、少なくともわたしはしない。されそうなときには、みっともないことを知ってはいても、反論する。

この前、六十代の男性が、戦争を推進する発言をした。わたしは、あなたは徴兵されないかもしれないが、わたしの知り合いは徴兵される世代だろう、あなたは徴兵されて死ぬことはないかもしれないが、わたしは知り合いが死ぬことに直面しなくてはならない、あなたはわたしの知り合いに死ねと言うのか、と言った。

わたしが発言することは、世間的には無意味だ。聞き流すのが一番良いことだ。だけど、わたしは聞き流すか迷って、でも言うことにした。それは自分のためにすることだ。わたしはあとで、あのとき言えば良かったと後悔したくなかった。その後悔は続くと言う確信があった。だから、場の空気が悪くなろうとも、わたしはわたしの信じることを言った。

わたしが自分の言葉を信じるためには、わたしは、周りの軋轢を覚悟しても、言う必要のある言葉がある。わたしはそう信じている。いつもいつも軋轢を覚悟してものをいう必要はないが、言っても良い場面だったら、わたしは言う。我慢しない。わたしにとって、人とうまくやることは、最優先事項ではないのだ。それよりも、わたしが自分らしく生きることがわたしにとっての最優先事項だ。わたしは自分のために生きている。それは、発達障害とは関係がない。わたしが発達障害と公言しているため、わたしの行動すべてをそれに結びつけるひともいるようだが、わたしの意思は、どちらにしてもわたしの意思だ。病気がさせているのだとしても、病気がわたし自身の一部であるから、切り離せない。

わたしは他人が寄り添ってくれることを希望するが、期待してはいない。
しかし、言葉はわたしに対していつも誠実だ。わたしは言葉に対して、
ヴァルネラビリティという言葉の出会いは悪かったが、いつか、良い付き合い方ができる気がしている。
わたしにその言葉を投げかけた人はわたしに寄り添うことはなかったが、言葉自体はわたしに寄り添っていくだろう。

わたしはヴァルネラビリティという言葉を知った。


親切風でも抑圧的に感じるコメントへの感想


!さんからのコメントに対してのコメント返し – ある精神病患者の一日

ちょっと寝たから体調よくなって、頭が回ってきました。今四時半だけど。九時から仕事だけど。

こういうコメントがあって、親切風だけど、なんかやだなーと思いました。
良いサンプルなので、雑感を書きたいと思います。

ちょっと落ち着いたぽよ。

追記:もう、すっきりしたので、こういうリプに対して、直接返事することはしないよー。
全部レスして気がすんだ。

>ブログを見ていて思ったのですが、管理人さん自体にヴァルネラビリティを感じました。そしてそれを悪化させ、他者を煽っているのは他ならぬ管理人さん。つまりは火をつけるのも、そこにガソリンをぶっかけているのも管理人さん自身ではないかと(このことを発達障害がそうさせるのか、元からそういう性質なのかは知りませんが)
それと会場製本は周囲の迷惑になるので控えた方が良いと思います。

わたしに弱さ、攻撃されやすさがあると指摘しているんですね。
それって、どうなんでしょう?
わたしは凄まじくいやな感じを受けました。「あなたは攻撃されやすいし、火に油を注ぎますよ」といってわたしが言いたいことに口を蓋をする感じだなあと思いました。
わたしはあなたのためを思って!という言い回しがすごく嫌いです。母親っぽいからです。
親切を装っていますが、結局のところ「だまったほうが身のためだ」というメッセージを送っているので(と感じた)、いやだなあと思いました。
それと、わたしが記事を書くことと、会場製本のことは関係がないです。それを持ち出すのって、やっぱりだなあ、と思います。
ていうか、文学フリマ事務局の人ではないですよね?会場の人でもないですよね?
そういう排他的な要素が当たり前みたいに書くのは良くないと思いました。末尾に書くと攻撃的な感じがしますし。正しいことを言ったとしても。

そこで、こういう文章を書きました。
この時点で、嫌がらせなのかどうなのか、わたしは理解できなくて、非情に苦しい思いをしました。
敵意なら敵意で、受け入れるんですけど、わからないと「わたしはやっぱり感情的な読解力がないんだ、本当はすごい親切な人なのかもしれないのに」と思って無駄に疲れました。

>コメントありがとうございました。
けんか腰で言っているのか、親切で言っているのか。わたしには理解できません。
ヴァルネラビリティって、傷つきやすさのことなんですね。誘発するって書いていました。

わたしは、怒っているんです。フェミニストを名乗る男性が、アンチフェミニストになると、言ったことに対して怒っているので、それについて起きたことに関しては全部怒っています。だから、こういう行動に出ています。

それと会場製本の件はこのことに関係ないと思います。いやな感じがします。やめてください。周囲って誰ですか?具体的には両隣の人のことだと思いますが、わたしは両隣の人に謝ったし、撤去の手伝いもしました。迷惑はとんとんだと思います。
迷惑だと言いたかったら所属と名前を明らかにして当日言ってください。

あと、なんだかいやな気分になったので、二度とこのブログ読まないでください。よろしくお願いいたします。

それに対して、

フェミニスト云々につきましては、そのアンチとやらを擁護するわけではありませんが、あれだけ過激なことを仰ったのですから批難前提での記事としか思えません。それに私自身が感じたことなのですが、あの件については「フェミニスト」という区分で問う事柄ではないと思います。「非モテ」という言葉を利用して理論らしきものを展開させているようで、実際は管理人さんは単に特定の方々を傷つけているように感じました。
文句があれば当日に言えと仰いますが、会場製本をすべきでないのは即売会において一般的に基本と呼ばれるルールです。断りや撤去というして当然のことをして、それでとんとんだなんて。所属だのは書いたところで、どうするおつもりなのでしょうか。糾弾でもなさるようにしか思えません。管理人さんのお返事の喧嘩腰さにそう感じました。

こういうレスがかえってきました。

自分が正しいと思ったら、名前を名乗るのは便宜上必要だと思いますが。
自分の身の上は明かしたくない、だけど、非難はしたい、ってこれは暴力だな、と思いました。

どうするつもり、って言っても、普通は、何か誰かに注意するときには、こういうものです、って名乗るのが、一般社会の「普通」だと思うだけなんですけど。

あと、まさにフェミニストに対して、アンチになるって書いてあるリンクに関して言及しているのに「フェミニストは関係ない」って言ってるのもとんちんかんだな、と思いました。

次のようなコメントを書きました。

 さん
非モテ、かつ、暴力を振るう、両方に該当する人ですが、非モテはともかく、暴力を振るう人について、なにか擁護すべき点があるのですか?わたしは非モテだったら、それを理由にして暴力を振るうのは良くない、と書きました。読みましたか?
この疑問文は修辞疑問文なので、返事をしないでください。
ローカルルールについてはわたしは存じませんし、文学フリマの迷惑行為のところに明記されていないため、あなたが言っている一般的に即売会においてと言われてもわかりません。
ところで、ここのローカルルールを決めるのはわたしです。一般的に、ブログ主がコメントに関することを決めると思います。ローカルルールを遵守されるあなたなので、二度と来ないで、二度と読まないでください、というのを遵守していただけたらと思います。

今回は、コメントを承認しました。けれど、次回からは違う対応となります。
なぜなら、わたしはあなたのことが嫌いだからです。親切風の言い方をして、内容が違うところが、誠実ではないと感じます。
そういう意味で、!さんとやりとりするのは、苦痛ではありませんでした。
あなたとは苦痛です。

なぜいやなのか、考えたのですが、初回のコメントの中で、人をヴァルベラリビティがある、と書くことは、保護者的な態度だから、抑圧に感じます。
文学フリマの迷惑行為についてもそうです。
わたしは抑圧と戦っているのですから、あなたの態度は、家父制そのものと感じて、息苦しいです。
あなたは誰でもないのに、わたしが書くものを牽制しようとしていると感じます。
比較してコメントするのは恐縮ですが、!さんは素直な方なので、やりとりするのは楽しいし、いやではありません。

結論としては、パターナルな態度って、内面化されていて、親切な皮かぶったまま、自分は常識人で正しい、って言えるので、自省をしにくいんだなあと思いました。
あと、二度と読まないでください、っていうのは通じないんだなあと思いました。
親切でなくて、ローカルルールを破りたいって、やっぱり攻撃的な意図だなあと思います。

試みに、攻撃的な人にレスをしていたのですが、やっぱり、わたしが、女性でそして、反応するからコメント書きたくなるみたいですね。
精神的痴漢、って言い方をしている人がいましたが、そんな感じなのかなあ、と思います。
わたしが女じゃなければ、こんなにレスつかなかったと思うんですよね。
良い経験をしました。


1か0の思考

わたしが困っていることのひとつに、1か0の思考にこだわってしまう、というのがあります。

それと、休み時がわからない、休み方がわからない、神経が興奮してしまって、眠れないなどが今現在困っていますが、それは置いておきます。
あと、お皿が洗えなくて困ります。これは鬱の症状だと思います。ゆっくりになるのですね。
それでいて、文章を書くのは早くなっているので、ハイと鬱が入り交じっているんだと思います。

頭の中は早いつもりだけど、たぶんうまく言っていないのでしょう。

このまえのフェミニストに攻撃されたからアンチフェミニストになっちゃうぜ★のブコメに「1か0の思考はなんだろう」みたいなことが書いてあって、「あー、それ、わたしが疲れる原因かもしれないなあ」と思いました。

わたしは、感情的に、シームレスに、思いついたままどうにかする、ってことが、苦手で、もしかしたら、無意識にできているのかもしれませんが、疲れてくると、理詰めでものを考えてから「ああ、この感情は正しい、正常なはずだ。トレースできたから出しても良い」みたいに思います。

わたしも「なんとなく悲しい」「なんとなくつらい」「なんとなく腹が立った」ということはあるのですが、そのまま出すのが不安で「これはこのようにこうだから、わたしは腹が立った」みたいに発露しやすいのです。そして、その理屈を絶対だ、とどこかで思っているので、それが通らなかったときに、爆発しやすい傾向があると思います。

ブログで何をしても別に誰かを日常で誰かを傷つけるわけじゃないですが、日常でやったら変な人になるのは間違いなしなので、そういう思考になりやすい、そして、そう言う思考は疲れるし体力を使う、ってことを意識したいと思います。


!さんからのコメントに対してのコメント返し

読みたくない人も多いでしょうが、たくさん書いたので、埋もれさせるのももったいないので、エントリとしてあげておきます。

心配される方もいらっしゃるでしょうから、一応、書いておきますと、はてなだと、IPもわかるし、管理者権限で、書き込みできないようにもできるし、承認も自分で決められるし、削除もできます。

わたしは、文章を書くのが早いので、この文章を書くので十分くらいの負担です。

なぜ書くのかと言うと、記録のためです。

いやなこと言われるのもちょっと楽しいと言うか、疲れているときには悪趣味な感じで活性化しますね。

こういうのって、やっぱり病気っぽいんだろうか?
やめた方が良いんですかね。
でも、このまま行くとどうなるのか、少し興味があるのです。

それではいやな感じの文を読みたい方だけ、下にお進み下さい。


非モテ、というが、嫌われているんだよお前はへのコメント返し – ある精神病患者の一日


非モテ、というが、嫌われているんだよお前は – ある精神病患者の一日


個人的に何度もコメントかいてかいて、自己保身を長文でしている姿は滑稽だよ。
治らない病気が治る日が来るのをお祈りしています。
ネットから離れてみてはいかが?
あなたは長文を書いて人を攻撃しないと死ぬ病気なんですかね。完治すると良いですね。
お大事に。

id:c71
コメントありがとうございます。

滑稽ですか?
面白いんだったら面白いなあと思ってれば良いのであって、わたしにわざわざ教えなくてもひとりで楽しんだら、より楽しいのではないですか?わたしは滑稽だと思われるのはかまいません。かまわないと言うか、精神病患者の一日って書いてありますから…。賢いとか素敵だとか思われたいなら公言しないと思うんです。一般的に言うと。

それはそうと、わたしの言い回しの
>あなたは長文を書いて人を攻撃しないと死ぬ病気なんですかね。完治すると良いですね。

これ、使わない方が、きっと独創的に見えて面白いと思いますよ。

あなたの動機はなんですか。
多分、頭がよく見えたいという動機でもないと思いますし、素敵な人と思われることでもなさそうだし、記録でもないようですね。わたしには想像ができません。今度教えてください。

わたしはこのブログを日常の記録としてつけています。だから自由に自分のために書いているとはじめに書いていますし、自己紹介のところにも書いています。
だから、自己保身ではありません。
記録です。あなたも記録として残されるのですよ。そして、いろんな人が読むのです。
このブログは毎日二千人ほど読みに来ます。二千人の人があなたに対して感想を持ちますが、その覚悟がありますか?
なくてももちろん良いと思いますが、知らないと、結構ショックかな、と思って。新しく知ってもショックかもしれません。
そして、その人たちの多くは良い意味でも悪い身でも、わたしのブログだからと楽しみに来てくれていると思います。

あなたは、人のブログに来て、ブログをやっている人本人に、コメントを書くなと書いているわけですが、いったい何しに来ているんですか?
楽しいんですか?
誰かを楽しませていますか?このブログにおけるあなたの立ち位置と存在意義はなんですか。
そういったことを自分で何も考えずに、書いているのでしょうか。
そして、治らない病気の人を攻撃するのって楽しいんでしょうか?
楽しくても楽しくなくても、下衆だから、わたしにも、わたし以外の人にもやらない方が上品でいられると思います。

バカにしている口調だと思いました。病気の人をバカにするのは下品だと思われることが多いようです。

長文を書くのは、自己保身だと思いますか?
自己保身だったら書かないと思います。
自分のブログに自分のエントリをコメントに対して返していることよりも、わたしのブログに何度も書き込みをしてくれる人の方が、ネットから離れた方が良いのではないですか?わたしと同回数書き込みをしているわけですから。同じことがあなたにも言えますね。しかも、わたしはコメントをされてから書いているので不自然さが少ないですが、あなたは歓迎されていない場に現れて、歓迎されていない言葉を書いているので、けっこう信念がないとできないんじゃないのかなあと思います。それはどういうところから来る情熱なのか知りたいところです。

わたしはブログをやるのが趣味です。楽しくてやっています。
あなたはコメント欄を荒らすのが趣味なのですか?
病気は治らないので祈らなくても結構です。
拒絶します。

こういう場面でお大事にとは言わない方が良いですよ。知らないんから書いているんですか?知っていて書いているんですか?どちらにしてもちょっとどうかしていると思います。
管理者権限があるので書き込みできないようにもできるので、わたしは恥ずかしくないようにもできます。自由があるのです。
あなたは不自由そうですね。

追記

あ、一行以上書いたことは素直だなあと評価できます。あなたは、素直な方なんですね!