自分を抑えること

わたしの母は、わたしを殴ってから抱きしめるような人だった。
わたしは情緒が不安定になった。

殴ってから謝るのプロセスを経ると、心身ともに依存するようになる。
ものすごくコントロールされるようになる。
わたしはずっと母親に同情していたし、かわいそうだと思っており、離れられなかった。
あるとき、母が「どうぞご勝手に」とわたしに言い、そのあと「愛してるの」と言ったことがある。
それ以来、母と縁を切ることができた。たいへん寒気がしたし、そこから逃げ続けるのは容易なことではない。
だけど、回復すると思う。

わたしはそういうわけで、正常な愛情と言うものを知らない。
映画や本で学ぶしかない。

今は、中学生を教える仕事をしている。
こういうことがあった。
数学を教えているとき、「これは、これは?」「これくらいできるでしょ」という風に追いまくってしまったことがあった。
自分が止められない感じだった。
生徒は萎縮し、解ける問題も解けなかった。

そのあとわたしは謝った。

その話を精神科医にした。
「謝ると言うところが、お母さんと同じですよね」と言われた。
「完全に無意識でした。怖いですね」と答えた。
「生徒さんは様子が変わった?」
「変わりました」
「どうしてそういうことが起きたかわかる?」
「わたしの期待していた理解度と、生徒の理解度がミスマッチを起こしていたので、より易しい段階に戻すことで解決しました」
「殴ってから謝ると言うのが原風景なわけですよね」
「はい」
「家の外に世界を持つことが大切だと思います」
「わたしにとって、初めての世界とは、病院だったと思います」
「そうですか。とにかく、回復して行くものだと思います。必ず乗り越えられます。お母さんと同じにはならない。お母さんをかわいそうに思うことがあっても、それはそっちでやってもらう、あなたはあなたの戦いをやる、そういうことです」
「自分を抑えることが大切ですね」
「そうです」


「存在している」サバイバー

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「存在しない」サバイバーたち — セックス・労働・暴力のボーダーで(1) 大野更紗

わたしは、性暴力サバイバーだ。
婦人保護施設に入っていたことがある。

わたしは、インビジブルなのか。

いや、そうではない。

大野さんが、存在しないと書いたのは「政治的に」「世間的に」という意味なのはわかっている。
けれど、体が震えた。

わたしは存在する。

「存在しない」と書いてしまえば、それがその通りになってしまう。

わたしは過去、暴力と性暴力が連鎖する中で生き抜いた。今もその戦いは続いている。

わたしは存在している。
確かに存在している。

大野さんが「存在しない」と言っても、わたしは存在している。

存在しないことにしたのは、大野さんも同じなのではないか。
婦人保護施設に行って、異邦人として驚く大野さん。
わたしにとって、婦人保護施設は、保護される場所だった。つかの間の安心の場所だった。
なにも特殊なことはない。

わたしは婦人保護施設にいた間のことは何も言うことができない。
わたしが婦人保護施設に入っていたことだって、言っていいことなのかもわからない。

ほかの女性たちが、安全を奪われることになるのが怖いのだ。

大野さんが、婦人保護施設を取り上げたのはとても良いことだと思う。
予算が足りていないし、それには関心を集めないといけない。

わたしはいろいろな特殊な状況下に生きたせいで、精神病になった。
それは、そうだ。
だけど、インビジアルな存在になったつもりはない。一度もない。
病む前のわたしが、「存在する」人間で、今のわたしが「存在しない」サバイバーなんて、そんな馬鹿なことがあるものか。

このエントリからすると、わたしが人間からサバイバーに変化したみたいじゃないか。
わたしはずっと人間だ。
たまたま、被害者だとかサバイバーだとかの属性を新しく得ただけだ。

わたしがインビジアルな存在になったとしたら、大野さんのくだんのエントリを読んだ瞬間である。
大野さんが、わたしをインビジアルな存在にしたのだ。

わたしは愚かしく不安定なサバイバーで、だけど、「存在しない」サバイバーではない。

*******2013/02/07追記

大野更紗さんには、才能があり、わたしは嫉妬している部分もある。

彼女は病気以外については、立派すぎる。立派すぎてつらい。
立派すぎると言い方には誤解があると思うけれど、病気以外の社会問題に関しては「浮ついている」。
彼女は、性暴力被害者にも、売春をする人にも、まったく距離を置いて文章を書いている。けれど、彼女は寄り添おうとしているのだろう。その落差が、見下ろされているようでつらいのだ。

彼女はかわいそうに見えなかったとか、かわいそうに見えたとか、そういう表層で語っている。その表層を反省するそぶりも見せる。でも、表層だ。
そうでなければ「存在しない」サバイバーという題名はつけなかっただろう。

もし、存在しているのにも関わらず、存在していないと言われたサバイバーがあれを読んだら、という視点に関して、彼女は正常すぎる。配慮が足りないというより、彼女は精神的に健常者なのだろう。

つまり、軽やかな第三者でいる。行けない場所に行くことにドキドキする、貧しい人の前で汗をかく、歴史に思い馳せる…これは全部第三者的だ。まるで、旅行のようだ。生活ではない。
彼女はそもそも、第三者なのだから、そのこと自体にそしりをうける必要はない。
でも、彼女は生活の場に行ったのだ。そのことは、自分で書いている。
しかし、だから、第三者だからこそ、「存在しない」サバイバー
とは書かないでほしい。
彼女は、才能もある。これからが楽しみだし、ファンでもある。
けれど、ごかい解を恐れずに言うと女は立派すぎるので、立派な人がかわいそうな人を眺めて論評しているように見えるときがある。
彼女はとても健全で、高学歴で、親に迷惑をかけたことが今までいと言える人生を歩んでいる。
だから、わたしのような当事者からすると、強い第三者が、おもしろ半分に浮ついて書いているとしか読めなかった。

論評を読むと、「よくぞ書いてくれた」「すばらしい切り込み」という声が多かったけれど、それは、男性だったり、安全な場所にいる女性ばかりだったと思う。けれど、あの記事は、うちひしがれた女性も読む。むしろ、そういう女性の方が期待を込めて読むだろうし、うちひしがれた男性だって読む。

そのとき、あんな風に、インビジアルだとか、けなげに頑張っているような描写だとか、そういう風に書かれると、行き場を失うわたしがいる。

わたしはあのとき、安心を手にした。
天国のようだった。彼女の言うような場所ではなかった。
立場が違えば、同じ場所に行っても、観察したり、感じたりすることは全く違う。
それはわかっている。
わたしは、だいたいのことが理解できているし、その反面、あの記事には、心に刃を差し込まれたような気がした。


荷物を捨てられたときのことを思い出してつらいです

今日は、自分の部屋の荷物を丸ごと捨てられたときのことを思い出したのでしんどいです。

そのときは、そう、くらいに済ませました。

あまりに弱っていて、人がひどいことをしてきても、自分の魂を売り渡してしまうような状況でした。

あのときの気持ちをうまく説明できません。

そのときは、とにかくぼんやりとしていて、うっすらと悲しい気持ちがあり、包丁を持っていないと落ち着かないという気持ちでしたが、はっきりと悲しい訳ではなかったのです。 今の方が悲しい。

あのとき、ひどいことを許していた自分のことがかわいそうです。


LOOPERと大奥とホビット

映画を観ました。

以下感想。
ネタばれあり。

LOOPERはグロかったです。
完。

感想がネガティブなものしか出てこない。
ディストピアものなんだけど、ループもののSFって、今は成熟しすぎているのかもしれないと思いました。
だからあんまり感心できないのかもしれない。
今の時代の未来感って、お金持ちがすでに実現していそうなものしか思いつけないのか。
そこを自嘲しているシーンもあって、自虐的な映画だと思いました。
とりあえず、過去の人物をどうにかしてしまえば未来が消えるってことが確かで、おとしまえをつけるために、過去の自分を殺す前にループを殺さなくてはいけないってわりに、拷問しても未来は変わらないと思ってる根拠はなに!!!と思ってしまって、あんまり。
でもところどころ、笑える要素が入っているのと、アクションシーンは面白かったです。
おじさんのアクションシーンが好きな方だと気づかされました。

未来を変えないようにするルールについて、今まで読んだ中で最も生真面目だと思ったのは、高畑京一郎タイムリープ。なんか、どこかでずるをしているような気がするんだけど、なかなかしっぽをつかませない。

大奥は菅野美穂が観たくて行きました。

菅野美穂の笑い方が好きです。いろいろな笑い方ができるんだなあと思いました。
基本的に原作に忠実です。
シリアスなシーンで爆笑をこらえている人が何人が、ご愛嬌と言うもの。わたしはのせられやすいので泣いていました。
泣くのと評価は別なんですけど。
菅野美穂ラブ、原作ラブ、な人であるわたしは満足でした。

ホビット!もう一回観たい。

おじさんとおじさんが泥まみれで走り回る映画でした。
完。すばらしい。それに尽きる。

わたしはPTSDの後遺症で、暗転するとフラッシュバックが起きることが多かったのですが、ホビット以降、フラッシュバックが起きなくなりました。
多分、映画館にいると楽しい、安全という条件付けに成功したのだと思います。

病気になってから娯楽と言う娯楽にアクセスできなくなったのですが、映画は受動的に楽しめるので良さそうです。

なぜアクセスできないかというといくつか理由は挙げられます。
集中力が欠如すること。
娯楽に対する関心が薄くなること。
未来に対して希望が持てないので、「今楽しいからといって何になるのだ」「楽しいことをしても意味がない」「楽しいことをする資格もない」「自分にはそんな価値はない」などごちゃごちゃ思うことがあげられます。

わたしが回復途中だと言うこともありますが、ホビットは、そういうのを吹き飛ばすくらい、本当に面白い映画でした。
ロードオブザリングを観たことがないのを後悔しました。
これは映画館でと思いました。なんにも邪魔されない空間で、集中力をとぎらせないで、よそ見せず観る空間で観たいなと。


病気になってしまったことを許せない

どうして病気になってしまったんだろうと思います。

病気になりさえしなければ、人生がうまく行ったのに。

もう、失敗してしまったので、これから先、生きる価値もないし、意味もない。

自分の人生のある時期における傷が許せない気持ちがあります。
これからうまくいくよ、と言われても、「でも今苦しい気持ちは消えないのだ」と思います。
過去の苦しみも消えません。どれだけこれから成功しても、それは消えないのです。
人生における傷がある以上、成功したとしても無意味、それに、成功するとは思えない。

そういう気持ちで頭がぐるぐるします。
うまくいっている友達のことを思うと、うらやましいし、苦しい。
どうして、わたしだけ、と思います。

そのことで先生を責めたことがあります。

先生は、いつかよくなると言ったけれど、全然変わらない、先生は医者という、世間的にアドバンテージの高い職業に就いて、無責任なことを言っている。
わたしはフリーターだし、これからうまくいく見込みもない。

わたしの話を聞いてくれる人に対して、なんとまあ、ひどいことを言ったのだ、と思いますが、本心です。

先生は、
「根拠はないけれど、あなたは将来乗り越えてうまくいくような気がしている。そうしたら、今の体験をたくさんの人に伝えることができる。一生うまくいって、病気もしない人なんていない。全員病気をする。うまく行っているような人だって、結局僕のところにくる。それで、どうして生きているのかわからないです、という。
僕だって、自分のために生きたことなんてない。やりたいことをやって生きられた時間なんてそんなにはない。先生先生と言われても、一日のほとんどをここに座って他人のために時間を使っている。人生は一度だというのに、他の人がつらいですという話を聞いて二十年も三十年もたった。
そのことを考えるとつらいときもある。
死にたいですと言ってくる人を助けることもある。
そのとき、僕は救急病とかERみたいに、人の命を救ったことになるけれど、精神科医なんて、当たり前だとしか、誰も思わないし、患者さんからも感謝はされない。
c71さんは年を取ったと言って嘆くけれど、僕の方がずっと年を取っている。ひげも髪も白くなった。
病気になったことを、なりたくなかったというより、病気の体験を人に伝えることがあなたの使命だよ。それで、あなたと同じ苦しみをしている人を救えるかもしれない。そうしたら、病気に価値があったことになる。病気になりたくなかったといくら言っても、なっていることを消せないんだから」
とおっしゃいました。

そう、わたしは病気になったことを未だに許せない。
わたしが弱かったから、馬鹿だったから、間抜けだったから病気になったのであって、うまくやれば、こんな病気にはならなかったのだと思っています。
だから、病気になったことを馬鹿であることの証明のように思っています。

それが、わたしの病気以外の苦しみの元です。

わたしは、病気になってしまったことを、こんなにも長い年月が経っていても、まだ許せていないのです。


一片の傷も受け入れられない

一片の傷も受け入れられないわたしがいる。

どういうことかというと、壊してしまったものを許せない気持ちがある。

さっき、キャベツの芯をまな板のないところで切り落とそうとして、刃を欠いてしまった。
すごいショックで、このまま捨ててしまおうかと思い、捨て方がわからないとパニックになりかけた。
なんと脆い自我だろう。

ずぼらなのに、完璧主義だから、生きることが息苦しくなる。

わたしは自分が少し太っているような気がするし、顔にも傷が少し残っている。そういうことを毎日鏡でじっくりと確かめては落ち込んでいる。

少しの傷を許せないのだ。

包丁は研げばいいし、傷は化粧をすればいい。体形は服でおしゃれをすればすてきになる。

そんな風に自然に思えるようになるまではブログを書こうと思います。


フラッシュバックについて

今まさにフラッシュバックが起きているので、フラッシュバックについて書きます。

フラッシュバックが起きるリマインダーはいろいろで避けることができるものとそうでないものがあります。
例えば、知りたいこと、自分から読みたくて、勇気を得られるような文章を読んでもフラッシュバックは起きます。これは前もってはわからないです。

たとえば、サバイバーをエンパワメントする文章を読んでフラッシュバックが起きました。けれど、これは文章が悪いわけでも、私が悪いわけでもないです。

ただ、起きちゃったなーという感じです。
避けられるものは避けた方がいいです。

フラッシュバックが起きても平気そうと言われることもあります。
平気ではないです。社会となんとか折り合いをつけようとしているだけです。

なんといっても、からだの負担が大きいです。瞳孔は開く、心拍数は上がる、汗はかく、追い詰められた獣が逃げ道がないと悟ったときのストレスがかかります。

頭の中はタイムスリップし、犯罪当初、虐待当初に戻ります。戦いたい。逃げたい。でも、逃げられない。これはたいへんな混乱です。

それがフラッシュバックの症状です。


午前四時のフラッシュバック

逆立ちしたキリンさんのblogの記事を読んでいたら、フラッシュバックが起きた。起きたので眠れず、blogを書く。

記事の内容はよくわかる。女性がどんな風な回復をたどるか。わたしにはわかる気がする。
たとえば、夜働くこと。それは、夜眠れないから。不眠と不安と苛立ちの夜。

眠れないことは、単に眠れないのではなくて、その間孤独にフラッシュバックと付き合わないとならないことがつらいとか。たぶんそういうこと。だから、夜働く。

自分に起きた不条理を納得したい、管理したい。管理することで、感情をコントロールしたい。それがセックスワーカーとして働くことと結び付くのだろう。
とてもよくわかる。そういう納得をした。

最後の勇気を出すなというところは、とても心が暖まった。

わたしも、犯罪被害を受けている。被害を受けていると、自分が生きていることに、価値が見いだせないようになる。なぜ行きながらえてしまったのか。こんな姿で恥ずかしい。普通ではなくなってしまった。他の人と同じようにできない。元気な頃のわたしとは違う。友達も離れてしまった。できることが少なく、人に迷惑をかけてばかりいるので、それがつらい。

けがと違って、はい!治ったとはならない。行きつ戻りつする。

とてもひどい目にあったのだから、生きているだけで精一杯という、視点は無くさないようにと思った。
回復を焦ると、そういうことを見失うので、ときどき文章で教えてもらえると、正気を保つのに役立ちます。


頭痛と満月

満月の頃には頭痛がする。
月が近づくと重たい、押しつぶされるような気がする。

それとは全く関係なしに、月は煌煌と輝くので、まぶしいような憎たらしいような気持ちに思う。

一ヶ月前には、はっきり憎たらしかった。
美しいものが、生きていることを楽しんでいるように見えるものが、何もかも憎かった。

一ヶ月たつと、月が美しいと思うようになった。
生まれたときに、貧乏かお金持ちの家かに生まれるように、精神的に豊かな家に生まれるのか、そうではないかが決まるらしい。

わたしは間抜けにも、自分が幸せだと思い込もうとしていたので、そのことを発見することが十年か二十年ほど遅れて、逃げ出すのが遅かった。
かわいそうでしょう、を押し付けられたことへの怒りは強い。
ずっと家にいてほしいという呪い。

もう二度と戻らない。家には。二度と会わない。
月を見ると、忘れていた人と目が合うような気がして恐ろしい。


墓穴と不安定

アルバイト中に、突然卑屈スイッチが入ってしまった。

「ごめんなさい」
「でも…」
「だから…」
「こんな風になってしまって」
止まらなかった。
「気にしなくていいですよ」
気を使わせてしまった。

どうしよう?
それからどんどん不安定になってしまった。
仕事なのに、お金をもらっているのに。そうするとさらに不安定になってしまい、「これじゃあ、相手に甘えている」と思えば思うほど、焦ってしまった。

もっと適当に、肩の力を抜いて、失敗を許せるようになればいいんだ。
アルバイトの内容も、力を抜けば抜くほど良い仕事だ。
がんばればがんばるほど裏目に出るのだ。

緊張すればするほど、提供するものの質が下がる。
ぼんやりしているくらいでいいのに。
お客さんに質が良いものを提供しようとして、まなじりをけっして、豹変したと言わせてしまった。
ああ、こんな日もある。
こんなところに来たくもないと言われないように、もっとゆるくかまえなくては…。
ゆるくかまえるって難しい。

だから、今のわたしには、正社員を目指すよりも、今のアルバイトを続ける方がいいんだと思う。