子供を撮るためカメラを買った。


ちょっといいカメラを買った。起動が早いこと、人肌がきれいに映ること、コンデジであることを条件に探した。
ミラーレスだと持ち歩きにくい。カメラマンに聞いたら、ズームがあったほうがいいということなので、これにした。
少し値が張るものにしたのは、使って気持ちがいい、という感覚的な部分は、お金を出さないと手に入らないからだ。
趣味を増やしたいという目論見がある。
どんな道具でも楽しめる人は、才能がある。わたしは、触って気持ちが良いものじゃないと、続かないだろうと思った。
生き物として、感覚的に、楽しいものが、わたしにとっていいもの。

趣味は、最初は楽しくない。うまくなり始めると楽しい。うまくなると、次にうまくなるまで苦しい。
だから、最初と、うまくなり始めが、楽に続くようにしたいと思った。
趣味は育てないと、趣味として定着しない。
さあ、趣味をやろう!と思っても、そんなときに、やりたいことは、まずない。
普段から、興味が全然なくても、やってみて、畑に種をまいておかないと、いざという時に育てることもできない。

子供というのはいい被写体なので、これを期にカメラと親しくなりたい。
自己表現の手段は多ければ多いほどいい。

わたしが好きなことを、増やさないと「お母さん」の記号に飲み込まれて、わたしが何をしたい人間なのか、消えてしまいそうだ。
わたしは、旅行が好き、手芸が好き、料理が好き、出かけるのが好き、ネイルが好き、化粧が好き、ファッションが好き。
教えることが好き。
家を片付け、工夫して、使いやすく、居心地よくレイアウトすることが好き。

わたしは、遠くに行きたくなる。どこかに帰りたいと思う。
帰りたいと願う場所が、今いる家でいられるように、いつも工夫したい。
変わらないわたしのまま、わたしを愛せるように、カメラを買った。


「いい旦那さんね」と言われるのがつらい

うちの伴侶はよくやっていると思う。
でも、外の人に「いい旦那さんね」とわたしに向かって言う人がいる。
そう思うなら、そこに本人がいるので、本人に言ってほしい。

わたしは、人生の「サブ」になるのがいやだった。

それもあって、籍を一緒にはしていない。
でも、「伴侶が主」で、「わたしがサブ」扱いを受けることが多くてうんざりする。
それは一つずつは些細なことだ。

家事分担について聞かれて、正直に答えると「全部やってもらってるんじゃん」と言われることだとか。
そんなことはないのだけど。
もしそうだとしても、帝王切開をして、産後の肥立ちが悪く、二回もひどい出血をして、実家には一切の援助なく、わたし自身の病気や障害がある中で子育てをしているのだから、それぞれが精一杯のことをしないと、家が回らないのだ。
だから、やることはお互い当たり前である。
じゃないとわたしは死んでしまう。死んでほしいかと聞くと、伴侶は死んでほしくないという。
わたしに死んでほしくないなら、伴侶が動くしかない。

具合が悪いので、「全部やってもらってる」と言われると、じゃあ、わたしに死ねって言っているのと同じ意味になるけど?と思う。そんな覚悟もないくせに。

能力的には、わたしと、伴侶で違うないというか、分野によってはわたしのほうが優れている。
でも、対外的には、「彼の意見」「彼のできること」にフォーカスが当たって、わたしの意見はないがしろにされやすい。当たり前のように、彼に意見を聞く人が多い。

わたしは、子供を産んだことによって、人生における「伴侶のサブ」になったんだなと実感することが多くて、うんざりする。
この世から消えてしまいたいと思う。だって、彼がいるなら、わたしが世界に煎らないんじゃないのかと思う。

わたしは、家の運営をしている。ムードをよくして、清潔を保ち、栄養のある食事を作り、寝具を補充し、あらゆるものを管理している。
それは彼には手が回らずできないことだ。
必要なものを吟味して、購入して、暮らしやすくすることで、家族全員の健康を守っている。

それだって労働だが、社会の構造的に、そういうものは労働としてみなしていない。
むなしい。
もう、元気がないから、戦うことも難しいので、ただただ、そういう風潮がむなしい。
賃労働をするには、健康が必要で、健康を保つための前提となる労働がある。
わかりやすく言えば、ホームキープ、介護、育児。
そういうものを、賃労働に押し上げてきたのは良い傾向だ。それがなかったことにされていたころよりもいい。
自分でやることで、節約になるかというと、そういうことじゃない。
労働が見えなくなるということ。

子供を産み、育てると3000万円かかるというツイートがある。
わたしは、3000万円よりも、家族のほうが好きだ。
でも、どちらかを選ぶしかないより、両方ほしい。だから、もうちょっと頑張ってみる。


【異性愛カップル】女性は男性に家事を教えなくていい

成人した異性愛カップルにおいて家事育児の分担は大きく問題になる。

よく、男性も女性も「女性が、男性パートナーにわかりやすく、できることから、丁寧にひとつずつ、新人教育するように教える」ということを言う。
わたしはそれに反対だ。

たいていの場合、家事育児のやり方を「教育」するのは女性だ。「協力」を求めるのも女性だ。
男性は「言われるとやる気をなくす」「もっとわかりやすくいってほしい」「冷静に言ってほしい」という。
しかし、やる気をなくすも何も、そもそも、やっていないわけなので、これ以上やる気をなくすとしたら、マイナスがさらに虚数になるのか?という感じがする。
そもそも、女性と男性は対等なので、女性に「教育コスト」「説明コスト」そして、そもそも「家事育児」の負担がのしかかるのはおかしい。
男性は「働いていること」を免罪符にするが、成人しているなら、基本的に、自分で自分の面倒を見るのは当たり前だ。その前提の上に「各家庭の家事分担」が初めて議論できる。
自分のことを自分でやる、という部分には「自分でわからなかったら、やり方を調べる」「教えてもらうように頼む」という姿勢が不可欠だ。
前提が間違っているのだ。
女性が「説明して」「協力を求めて」「教育する」のでは、対等ではない。対等な相手に、上記の言葉は使わない。
成人した、責任能力のある相手に、一方的にケアをするのは間違っている。
たいていの場合、ケアをするのは女性側だと決まっている。

対等というのは、自分で自分のことをするという前提に立って、その上で、まとめてやったほうが効率が良いことに関して、役割を決めるという態度が必要だろう。

気がついた人がするというのも罠だ。
家事をしない人は当事者意識がないので、気がつかない。
気がつくのは、家事をできる人だけ。

余談だが、「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」と考えている人たちは、わたしとパートナーの関係をうらやましがったり、嫌味を言いたくなったりするようだ。
わたしは「全部やってもらってるじゃない?」と言われる。
パートナーはわたしに相槌を打っただけで「優しい」と言われる。
どちらも、こちらとしては、苦笑いするしかない。

そういう人は、家事をする男性を求めているのだろう。しかし、家事を当然する男性は、基本的には「男とはこうあるべき」という思考を持った人を好まない。逆もまた叱りで、わたしは、対等である相手しか好まない。当然、家事育児を主体的ですることを当たり前に求める。家事をする、育児をする。というのはやさしさじゃなくて、責任感、主体性を持つこと、当事者性を持つことに他ならない。
その意識が生まれるためには、人権意識が必要だ。相手には相手の人生があり、自分には自分の人生がある。
それを実現するために、お互い補い合う。自他の区別をつけ、自分の人生は自分のもの、相手の人生は相手のものだとわかることが必要不可欠だ。

ほめて育てる、という方法論は聞き飽きた。
パートナーシップを結ぶのは、子供じゃなくて、大人だから。


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