アクセサリーを選ぶことができる

朝起きると何を着て、化粧をどうやって、アクセサリーをどれにするのか楽しみだ。
わたしが身に着けるのは、プラスチック製のアクセサリーが多い。
ブレスレットとネックレスを家の中でもつけるので、軽いものがいい。
出かけるときには重いものもつけようかと思うけれど、家の中にいるときは軽くて壊れにくいものがいい。
金属アレルギーだから、どちらにしても本物のジュエリーは身に着けられない。
だから、割り切っておもちゃみたいなものばかりだ。
指輪も、ハンドメイドのレジンの指輪を買ったり、ビーズの指輪を買ったりする。
つけていて疲れないのもいい。大ぶりなほうがつけている甲斐があるので好きだ。
今は、ハンドメイド作家がたくさんいて、選ぶのがたいへんだ。どれもこれも素敵だ。
味があるのがいい。

以前は、化粧はどうせ夜になったら落とすのだから、することに諸行無常を感じて、やろうかな、でもやめておこう、肌によくないかもしれないしと悩んで、しなかった。
今は、悩まない。するものだ、と決めてしまった。
朝起きたら、化粧をする。それは子供を産んだことと関係があるかもしれない。
社会とのかかわりが薄くなり、生活が乱れがちなので、そこで決まりをつけたいと思うようだ。
肌が荒れたら、ミネラルファンデーションに変えればいい。今はいいファンデーションがたくさんある。
チークをどれにしようか、と悩むのが好きだ。
チークで顔の印象がだいぶ変わる。アイシャドウも色を混ぜると、ニュアンスが変わるのが面白い。他人にはニュアンスなんてどうでもいいのはわかっているけど、出来上がったときに自分がどう思うかが大事だ。

着心地が良くて、しかも、暖かい服。肌触りで、今日はこれがいいとか、体の締め付け具合がこれがいいとか、その日によって違うので、どれにしようか悩むのが好きだ。

今は、お昼寝も一時間くらいだ。
以前は、十二時間くらい寝ていたり、着替えなかったことを思うと、ずっと体調がよくなったと思う。
わたしは体調が悪いと、洋服を着ているのが苦痛になる。
でも、最近は、意識しないでも着ていられる。
そういう些細なことがうれしい。

おしゃれは、若いころ得意な人でも、中年になったら、またアップデートしないと「古い人」になってしまうらしいし、遅咲きでもいいから、今からやっていくしかない、そうしたい、と思っている。
支配的な人に育てられた傷が癒えてはないけれど、癒えてないなりに生きていくことが大切だ。それが結果的に傷をいやすのだと信じている。
今日はオフホワイトのもこもこしたセーターに、白いストライプの裾がリブになっているズボンを合わせている。
ブレスレットは黒。
自分が気に入っているからいい。
TPOがわかるようになったら、居心地がもっとよくなろうだろうから、おいおい知りたいような気もする。
でも、まだそれは先で良くて、今楽しいと思うことがわたしには大事だ。


思うように勉強できていないけれど

思うように勉強ができていないという話を精神科でしたら
「今は、生活や育児のことを勉強しているんだ」ということを言って励ましてもらえた。
今、背後では、kohhを聴きながらアゲアゲな乳児が指をしゃぶっている。
この人はなかなか敏感で、食欲よりも、父が近づいてきたことを優先する。音がしたらその方向を見る。帰ってきたらお話しする。残念ながら何を言っているかはまだわからない。
わたしがものすごいおしゃべり&パートナーが無口なので、どっちに転ぶだろうか。
何はともあれ、話せるというのはアドバンテージだ。黙っていれば嫌われずに済んだろうという場面をたくさん経験しているけれど、嫌われるのはいつか嫌われるのだ。自分が困っていたり、逆にできることを周りに伝える能力があったほうが便利だろう。
その逆に、無口なのも、人に好かれるのでとてもいいと思う。

わたしは自分で思っていたよりも、家事が好きになった。習ったら、掃除も片付けも食事作りもできる。
今できないのはやりくりくらいだ。これは、パートナーが趣味で管理してくれているので、その範囲で失敗していこうと思う。
さしあたっては、同じようなものを何度もひたすら買ってしまうのをなんとかしたい。

今興味があるのは、不動産のことと、男女の差について。
「女と男」という本を主治医に教わったのでそれをぼちぼち読んでいる。
それから、岩波の「育児の百科」。
これは、73歳の主治医が自分の育児の時に使った本だそうだ。
つまり、おおよそ50年以上前の本だ。
でも、内容は今でもほとんど通用するもので、すでに「痛みを怖がる人がいるのだから無痛分娩を勧めていくべき」ということが書いてある。
遺伝性の病気を持っている人が子供を持つのに悩んでいたら、一度読んでみたらいいと思う。
30歳までに子供を産んだほうがいいと強く書かれているところは少し困ったと感じたが、それ以外は読んでいてとても楽しい。
発刊当時は、いわさきちひろの絵が載っていたそうだ。

わたしは、英語が弱いので、英語をもう少し何とかしたい。
だから、ヒップホップでも聞いて、英語の言い回しを増やそうと思う。
kohhさんは海外のファンが多いから、きれいな英語の訳をつけている人がたくさんいる。
だから、それを読むだけでも、勉強になる。
イディオムや文法、単語……。つまり全部だけれど、勉強をして、しすぎということはない。
しなくても済むけれど、したほうが楽しい。

例えば、不動産の買い時について考えるのにも、中学校の公民の知識でかなり理解できる。
マンションに絞ると、
利率、税金が高い時には値下がりする。
利率、税金が安くなると値上がりする。
それは、ローンを組む層が買おうと思うきっかけが、利率税金だから。
利率が安いと、買おうという動機になる。
だから、需要が増えて、本体価格が上がる。
ローンで買う場合、本体価格×利率+本体価格だから、本体価格が低いか、利率が低いかすれば、安くなる。

でも、本体価格が一番安い瞬間を見極めるのは難しい。特にマンションはそれぞれの固有性があるから。
だから、みんなが利率が低い時が買い時だと考える。
でも、実際には、本体価格が低い時、つまり、需要がなく、供給が有り余っているときも買い時だ。
一番買い時ではないのは、消費税が上がると発表された後の駆け込み需要の時。
政府は、必ず需要と供給を調整しようとするから、消費税が上がった後、たいていの場合は、税金を安くする。

本体価格が上がったり下がったりするには、株価が影響する。
キャッシュで買う層も、ローンで買う層も、どちらも、祖父母力(勝手につけた)が関係する。
祖父母の支援を受けてマイホームを買う人が多いので、祖父母(実家)が持っている財産の形成が株によってなされている場合、株価が上がれば、支援する動機とパワーが高まるので、現役世代が買おうとする。
だから、需要が高まって、値段が上がる。

今後は、オリンピックの後に、値段が下がると予想した人たちが、値段が下がる前にと手放し始めたので、値段が下がりつつある。

上記のことは、中学生の時の知識があればわかる。

わたしは、今、本を読んだり、知識を増やしたりすることはできていないけれど、体の自由が利かない分、考える時間だけはあるから、こういうことを考えたり、調べたりしている。

こういうのも、勉強だ。
赤ちゃんの発育を記録したり、あやしたりすることも、挑戦だ。
保健師さんにも心配をかけたけれど、保育園を利用することによって、だいぶ回復してきた。
それで、精神も安定して、子育てが面白いと思える。
こういう気持ちの変化も、大事に記録していきたい。


おしゃれには型があり、学ぶことができる

29歳の時、友達に紹介してもらったコーディネーターに、パーソナルデザインと、パーソナルカラー診断と、お買い物同行をしてもらった。
それから、何年かに一回はお願いしている。

今日はずいぶん気落ちをしていた。
わたしの書く文章は誰にも必要とされていないのではないか。
もちろん、友達は良いと言ってくれる。読者さんも今日のわたしの状態を見てか、声をかけてくださった。
だから、ゼロってわけじゃない。そこに意味はある。
全員に好かれることはできない。

今日はヘルパーさんが来た。
「これ捨てる?」と聞かれた。それは、いわゆるプチプチだ。
何となく取っておいてしまうものがいくつかあって、紙袋と、レジ袋と、プチプチはその筆頭だ。
「捨てないとゴミ屋敷になるから捨てる」と即答できた。
わたしの母は捨てるのができない人だった。
大人になってわかるが、買うのは楽しいけれど、捨てるのは難しい。
人にあげる人がいるけれど、捨てることができないからっていうのは大きいと思う。
メルカリの売り手が、高い手数料と手間にも関わらず、せっせと売るのはお金が欲しいというより「捨てるのが嫌」だからだと思う。
(メルカリは買い手のモチベーションは確保されているが、売り手にはないのが特徴だと思う)

わたしが手を上のほうに上げても、赤ちゃんはびくっとしない。
それは、わたしが赤ちゃんをたたいたことがないからだ。
ということに気づくということは、わたしは母にたたかれていたということだった。
窓を閉め切ったままにしていると、気が狂いそうになるのは、母がわたしに怒鳴る前に、家中の窓をバタバタと大きな音を立てて閉めていたからだ。外に音が聞こえないようにするためだ。

わたしは、母から、人を虐待すると人がどうなるのかを学んだ。
そして、服を着るということは学べなかった。
(今、パソコンを買ってもらったことを思い出して、混乱している。パソコンは買ってもらえた。下着や服や、ブラジャーを買ってはもらえなかった。それなのに、いい母親だと思いたいのだ)

毛がふわふわしたセーターを、二十代のころから一度でいいから着てみたいと思っていた。
でも、「絶対に着てはいけない」のだと思っていた。
でも、コーディネーターに「似合いますよ」と以前言われたことを思い出した。
その時は買わなかったけれど、試着してみたら、大丈夫だった。
十五年前から欲しかった服を、ようやく着ることができて、「悲しい」と思った。
この十五年間はどうしても、どうやっても、どれだけ憎んでどれだけ怒ってどれだけ二度と会わないと決意したところで、「戻ってこない」のだ。
本当に欲しいのは、虐待されていなかった自分が味わっていたはずの二十代だ。
でも、嘆いていたら、今度は「三十代のわたしの人生」まで失う。どんなひどい罠だろう。

若い私がふわふわの毛が生えたセーターを着たら、にあっただろう。
幸い、わたしのパートナーは「よく似合うよ」と言ってくれる。それはわたしを癒してくれる。
でも、深いところで、わたしは乾いたままだ。癒されない。

何年かに一度コーディネーターにお買い物同行を頼むのは、わたしの中にいる新しい部分を発見する冒険に、一人ではいけないからだ。
一人ではいけないけれど、ガイドがいたら、新しい視点を発見できる。知識も体系的に知ることができる。
わたしは自分が何を好きだったのか、もう、わからない。
何が好きだったのか、客観的にどういう姿なのか、コーディネーターに教えてもらう。
わたしは、バケモノみたいな姿でもなくモデルでもない普通の人間だということが分かり、世の中には普通の人間のための服が売っており、それは、お金を出しさえすれば、どんな人格でも買える。手に入れられる。
否定されて育ったから、わたしにはふさわしくないとしり込みしてもしまうものでもお金はわたしにそれを与えてくれる。
好きな服を着るためには、メイクや組み合わせや、体形についての知識が必要だ。
それは、自分のためだけのものだから、わたしに合わせて言葉を紡いで、現物を見せてくれる仕組みがありがたい。

わたしの母は、ゴミを捨てられなかった。何がゴミか、何を取っておくべきか、区別ができなかったからだ。
五年間放ったらかしにしていたゴーヤの種を勝手に捨てたら怒鳴られた。
形の崩れた数十年前の服、べたべたに汚れたなにか、そういうものも彼女は捨てられない。
そういう気持ちも理解できてしまう。
でも、わたしは客観的に考えることを学びたい。彼女よりも前に進んだ人生を送りたい。
わたしに窓を閉める意味を教えたことは間違っている。
わたしは開かれた窓を知りたい。窓の先に何があるか。
わたしは自己表現をしたい。
そのせいで、わたしがとてもとても嫌われてしまうのは悲しいけれど、わたしはそれでも自己表現したい。


【毒親の子が親になった】にレビューが付いた

昨日からメンタルの調子が悪くて、しんどかったので、朝は掃除をしたり、体を動かしてみた。
そして、おととい出したキンドルの本のレビューが増えていたので見たら、的確なレビュー(残念だけど☆一つ)だった。
書いてあることはその通りで、わたしは、偏っており、攻撃的で、パートナーにモラハラ的なことをしてしまう人間だ。
確かに腹の子のことまでネタにしている。
全部その通り。

きれいごとっていう評はちょっとわからなかったな。
子供を黙らせたいと思ったこと、育てられないかもしれないと思ったこと、親に感謝しなくていいし会わなくてもいい、かわいそうなのは虐待されたわたしであって、孫に会えないのは親の自分でしたことの結果で自業自得という内容だから、一般的に言ってあまりきれいな内容でもなく、一般的な内容でもない気がする。

わたしがなぜ、自分のことを書くかというと、自分の経験したことを、整理しきれないので、外部化して、すっきりしたいから。
実際、本にしたことは、書いた直後は混乱して、具合が悪くなるけれど、一年くらいたつと、忘れてしまう。
わたしは、嫌なことがあると、いつまでも忘れることができないので、本を書くことで忘れることができると、とても助かる。
赤ちゃんのことを書くときには、プライバシーに配慮して、一般的なことしか書かないようにしている。
写真も出さない、生まれた日も公表していない。今のところ、性別の書いていない。

ただ、自分なりに、自分の攻撃性について考えることは多いのだけど、それは、先に攻撃されている(と感じている)ので、やり返す、ということが多い。
客観的にみて、わたしが攻撃されているかどうかよりも、わたしの感じたこととして、不当なことをされた場合、わたしは攻撃したり、怒ったりする。
わたしを面倒な人間だと思う人は、近寄らないでほしいと願っている。
わたしは生きることに精いっぱいで、それは誰でもそうだと思うけれど、だから、理解されないことも共感されないことも、どちらかというと、そっちのほうが多いことはわかっている。でも、生きる上で必要だから、本を書いている。
生きる上で必要じゃないことって、ないのだと思う。失敗も含めて。

昨夜は調子が悪くて、眠ることができなかった。体を動かして、調子が良くなって、それからレビューを読んだ。
とてもいいレビューだと思った。
よく読んでくれて、率直で、素晴らしいと思った。☆が一つなのは、ちょっと悲しいけれど、でも、よく読まないとあのレビューは書けない。感想を書くには、時間も心も使うから、素直にありがたいと思った。

レビューについて、あれこれ作者が言うのはどうなのか、わからない。
わたしも、パートナーへモラハラをするんじゃないか、しているんじゃないか、心配だから、よく、そのことについて話し合っている。だから、彼について、心配してくれていることもありがたいと思った。

わたしは、たぶん、偏った思考というのが目立つと思う。
わたしから見ると、いわゆる「普通」「偏ってない」という人こそが、偏って見えることも多いし、どうしてそうなるんだろう?と理解できないことも多い。距離があるということ。だから、その距離分、向こうから見たら、わたしは「おかしい」と感じると思う。

たぶん、あの☆一つの、良いレビューを書いた人には、わたしの文章を書くことへの衝動は理解できないのだろう。
恥をさらして、周りに迷惑をかけて、怒って、荒れて、病んで、それを公開しているんだから。
わたしだって、そう思うくらいだ。
わたしも、わたしのことが理解できない。そういうことはよくある。

わたしは、わたしの衝動も、戦い(戦いだと勝手に思っていること)も、なんでなんだろうな、とあきれることがある。
でも、それをしないと、もっと苦しくなる。
わたしの文章が下手で読みにくいのは申し訳ないと思った。混乱しているつもりはないけれど、あなたは混乱しているんだ、と言われたら、たぶんそれも当たっている。その通りだと思う。
ただ、わたしが混乱から覚めていたことは、人生においてなかった。
文章を書くことで、多少ましになる。

一応、わたし自身についてはともかく(そして、わたしが不当だと思うようなことをする相手に対する攻撃については除く)、周りについては、プライバシーなどを配慮していくつもりです。

たぶん、わたしのことが好きじゃないんだと思うのに、ダウンロードして、読んでくれて、感想を書いてくれて、ありがとうと思った。
この感想は、たぶん、いろいろな人の参考になるだろう。
読みにくく混乱した文章なのに読んでくれて。

今日は、晴れて、暖かい日で、赤ちゃんも、保育園に喜んで出かけて行った。
パートナーは少し元気がないので心配だ。わたしも風邪をひいているせいか、抑うつ状態だ。
でも、今日も一日頑張ろうと思えた。

わたしや、わたしの書く文章が、役に立つこともある。わたしの攻撃性は、わたしは悪いものだと思っていない。良いものだと思っている。考え方が偏っているのも認める。(偏っていない思考っていうのが存在するのかは疑問)
偏った考え方に、価値があると思うのがわたしのスタンスで、周りの人が「ユニークな考え方」をしているとうれしくなる。
わたしは、「偏っている」という言い方よりも、「ユニーク」という言い方を好むかもしれない。

フォロワーの人は、わたしのこと否定したら面倒だと思っているのかなあ。面倒だったら、フォローもしないだろうし、コメントもしないだろうし、いいねもしないと思う。
わたしはそう思うんだけど、それはフォロワーの人自身に聞いてみないとわからないから、なんで納得するのかはわからないなあと思った。
(ツイッターでは基本的には相互フォローです。)

制御できていない、偏りがある、というのも、「世界は広いからそういう人もいる」って思ってもらえたらいいなあ。
世界は広いから、わたしを見て「試行錯誤している、ユニークな考え方をしている」と捉える人もいる。
(わたしと接する人が全員嘘つきであるという仮定をしたらひっくり返ってしまうけど。そこまで考えるとちょっと足元が揺らいでしまう)

攻撃性が高いと思われるのは、たぶん、わたしが「しんどい」ので、「しんどい」ことと戦うと、それが人であれ世の中の仕組みであれ、具体的なものであれ、抽象的なものであれ、「変わってくれ」と願うので、それで攻撃性が高いと思われるんだろうなと思った。
実際、攻撃としか言いようのないことをしたこともあった。でも、わたしにも理由があった。
不当なことをされたと思ったから、攻撃した。
やり返さないと、心にダメージが残る。
死んじゃいそうだから。

心の中が、朝から、ごちゃごちゃしていたけど、このレビューはわたしにショックと納得を与えてくれた。いろいろな人の参考になると思う。わたしの参考にもなった。

☆四つのレビューを書いてくださった、二人の方も、本当にありがとう。
感想をもらうのは、とてもうれしい。肯定的な乾燥に対して、同じくらい長い文章をかければよかったんだけど、なんだか、そういう風にはならなかった。

反論のつもりはなくて、納得したけど、感じたことを書いたので、やっぱり、これも、攻撃や、反論に見えるのかもしれない。
どうも見えるのか、予測がついても、わたしはわたしの人生を生きていて、ほかの人もそうだよね。
あ、でも、やっぱり、反論あるな。
パートナーへモラハラしないか、わたしもいつも心配している。
聞いてみたら、モラハラされている実感はないと言っていた。
わたしが彼を「モラハラを感じることができないほど洗脳していたら」モラハラをされている実感がなくても、わたしがモラハラをしていると言える。だけど、たぶん、洗脳まではしていないから、彼の感じ方を尊重すると、モラハラはしていないんじゃないかなと思う。役割分担を我が家なりにしていて、不満はその時に話し合っている。

たくさん書いたけど、ありがとうという気持ち。
あおりとかじゃなくて、ほんとに。一生懸命書いてくれたんだなと思った。もちろん、しんどいはしんどいけど、受け止めます。

しんどいときの、わたしの対処方法は、「文章に気持ちを書く」ことなので、こういう風に書いてしまいます。
それは申し訳ないです。

今日はしんどいなあ。


電子書籍【毒親の子が親になった】無料キャンペーン


昨日から【毒親の子が親になった】という本を販売開始しました。
12月3日午後五時から4日午後五時まで、二十四時間の無料配布キャンペーンを行います。
ぜひ、ダウンロードをして、読んでください。
レビューや感想など頂けましたら、とてもうれしいです。また、アマゾンにレビューを投稿していただけると、ほかの人が読むかどうかの判断材料になるので、助かります。

虐待された人間が親になって、まだ三か月ですが、どのように考えているかを中心に書きました。
【内容紹介】
毒親に虐待された子供が、親になるときに、感じたことは、「こんな弱くてかわいい子供に、ひどいことをできるのはおかしい」ということでした。
出産する前よりも、強い気持ちで、親には絶対に会わないことを決意した理由は、虐待の連鎖を防ぎたいからです。
自分のことだけを考えるなら、いつか、自分の気持ちをわかってくれるかもしれないという淡い期待を断ち切れなかったけれど、自分に守るものができて、その期待を捨てようと思いました。

目次
毒親の子が親になった
虐待をしてしまうかもしれないわたしへ
親の喜び
 妊娠初期
 妊娠中期
 妊娠後期
 妊婦に対する男性からの嫌がらせや暴力
 周りの反応
 母親学級による出産にまつわる知識
 出産直前
 成長に対するさみしさ
 親の喜び
 男親のできること
 親には感謝しなくていい
あとがき
奥付


5chのヲチスレをちゃんと読んでみた

ネガティブなコメントがどうにも苦手です。
批判はもちろんされてしかるべきだと思うし、その批判に対して反論もします。
それとは別に、単に、わたしのことが気に入らないで悪口を言ってくる人がときどきいて、「なんでなのかなあ」と思うのです。
わたしは、ブログをやっているから、その人だって自分のブログで書けばいいと思ってしまうのです(それはわたしの都合ですけど)。
コメントで言われても同じだと言えば同じだけど、「自分はこういう意見を持っている、だから、この人のこの部分は気に入らない」というのには、自分のブログのほうがむいているんじゃないかなと思っています。

はてなブログで書いているときには、はてな女子スレッドというのがあって、直接リンクをされていたものだから、なんだろ?と思ってうっかり見に行ってしまったことがあります。

それで、気分が悪くなりました。

いろいろ調べて知ったのですが、いわゆるヲチ先の人が、スレッドを見るのは、「ヲチ先の人間が悪い」ということになっているらしく、それだけでバカにされるらしい。
そして、スレッドに反応すると「お返事した」といって、もっとバカにされるらしい、ということ。

スレッドを見たことを言ってはいけない、ましてや、スレッドを「晒し」すると、スレッドが燃える。
そういうことが分かりました。

だから、見ても、「見たことを気取らせてはいけない。気取らせると面倒なことになる」ということが暗黙の了解になっているようでした。
そして、変なことをすると「踊る」という風に言われるらしい。

よくわからないものは怖いので、一度とことん読んでみようと思って、ヲチスレばっかり読んでみました。
知らない人ばっかりです。

読んでいるうちに、だんだん興奮してきて、確かに、「この人はおかしい」と思うこともありました。
そして、「スレ住人」同士でも、喧嘩があったり、マウンティングがあったり、「スレ違い」と追い出されることもあったりするんだな、と。
空気の読み合いが激しい。ヲチ先の人をバカにするのだったら、どんなことにもケチをつける。
そして、当然、ヲチ先の人が、心を病んだり、体調を崩しても、責任はとらない(とれない)。
「読まなかったらよかったのに」「存在していることを言わなかったら、自分がヲチされるような人間だと知られることもなかったのに」という風に言われる。
どうも、ヲチされる人間だ、ということは、それだけで恥ずべき事、ということらしいのです。
で、ヲチしているのは恥ずかしい人間じゃないかというと、「ここにきている時点でブーメラン」(お前も見に来ている時点で同罪)という論理で、一応自分たちも恥ずかしい人間であるけれども、読みに来る欲求を抑えられないヲチ先の人のほうがもっとバカである、という無敵な理屈であるということがわかりました。
これは、理不尽すぎるなと思いました。
だから、5chのヲチスレでなるほど、と思えることは、実際にたくさんありました。でも、わたしはそのルール(言い返すことが最も見苦しいというルール)がどうしてもフェアだと思えないから、やっぱり、自分はブログに書いたり、SNSに書いたり、人格を一貫して保てるほうがいいなと思いました。

いろいろ腑に落ちる意見もあるし、SNSで書きにくいことを発散する場でもある。
自分の意見として、堂々と言うほどでもないけれど、誰かに言いたくなって書いた、というのもある。

でも、ヲチスレによるけれども、書き込みをする人間は案外少数なこと、原動力にはいろいろあるけれど、嫉妬、嫉み、不快感の吐露、のぞき見趣味、相手をコントロールしたいという欲望、そういうものを満たす場だということもわかりました。

(相談するスレッドや、情報交換するスレッドはきっと有益なんだと思います。身近な人にこそ、言えないことっていっぱいあるだろうし。ブログやSNSはまめじゃないとできないから、できない人の救済の場だということも思いました)

二十年ほど前、2chにさらされる、というのはたいへんな恐怖でした。
とにかく、アングラ、怖い、気持ち悪い、どろどろしている、というイメージでした。

でも、今はもっとカジュアルになり、高齢化もし、人間も減ったんだな、ということがわかりました。

一応、気が済んだので、もう、いいかな、という感じがしました。
自分のことに言及されていないタイミングで読めたので、あまり心が乱されないで、いろいろなことがわかってよかったです。

そして、ブログに直接コメントをする人は、人にもよるけど、正々堂々としている部分はあるから、そこは評価しないとな、と思いました。

過去の自分の反省点も見えて、ちょっと自分が変われたかなと思いました。
人からの見え方って、本当にどうしようもないから、距離を取るしかない、というのが、人に言われても腹に落ちませんでしたが、自分から、怖いものを見に行って、自分なりに理解できたので、腑に落ちました。

(でも、やっぱり頭に来たら、また見苦しい姿を見せてしまうんだろうな、とは思います。
腹が立って、ちゃんと怒るというのも、わたしにとっては大切なことではあるので、なかなかバランスがとりにくいですが)


運命の赤い糸はわがままに過ごしてやってくる

「嫌な席だったら、帰る」という助言を実行して六年たちます。
「帰ること自体は、誰に対しても攻撃にならない。何も言わずに帰っても大丈夫。あとで、調子悪くて、帰ったって言って、悪く思う人とは合わないから、それまで。わかってくれるなら、弁解も聞いてくれる、誤解があっても話しあえる。
帰ること自体で取り返しがつかないことになることは絶対にないけれど、嫌な席に居続けて、判断が鈍って取り返しのつかないことになることはある」と言われたから、その通りだと思って実行しました。

先日の同窓会でも、嫌だと思って帰りましたが、わたしの味方はちゃんとあとから、わたしのそばに来てくれました。
一緒に時間を過ごして、ご飯を食べるだけで、心が安らぎなごみ、励まされる相手というのは、必ずいるのだと思いました。

同窓会に行くと、やっぱり、年収が一千万円超えている人がごろごろいるので、二人で自信を失いました。
でも、やっぱり、何もない自分だと思っても、幸せな部分というは、今、築けているよね、という風に励まされました。
年収が高いことを話すのでも、さらっと伝えてくれて、こちらも、「本当に頑張ったね、すごいね、よかったね」と心から言える相手と、「そんなん言われても困る」と落ち込む相手とがいるので、やっぱり相性があると思います。

三十過ぎると、今まで健康で順風満帆にいっていたひとも、人に言いにくい苦労が出てくることもわかりました。
そういう苦労を、種類は違えど、話せて、すっきりして、励まし合える人間が、細く長く続いているのは、本当にありがたいと思いました。

もし、年収が高い子でも、何かあったら、そうじゃなくなる場面もあるだろうし、でも、そういうときに、そばから離れず、力になりたいと思える相手と付き合っていきたいと思います。

人からうらやまれるような権力や名誉を持っている人でも、人生の後半になると、人への嫉妬や恨みで頭がいっぱいになる人もいて、昔は、それでも「地位と名誉とお金があるのだからうらやましい」と思っていましたが、今では、そうは思えません。

自分自身、状況が変わらなくても、躁鬱で、心の状態が変われば、幸不幸なんて、オセロみたいにひっくり返ることがよくあります。

全部が心の持ちようだとは到底言えませんが、それでも、自分なりの矜持を持って暮らしたいと思います。

勉強してよかったと思うことは、知識を増やせたこと、視点を増やせたこと、そして、自分の周りの世界に秩序をもたらせたことです。
世界は混とんに満ちていて、それだけに、傷つき疲れることも多いです。
けれど、勉強することによって、人間の非力さを知り、無能さを知り、そして、自分の限界を知ることで、逆説的にですが、常に向学心を持つことの大事さを知りました。向学心を持つことで、混沌に流されそうになる自分を、知識や知恵が、錨のようにつなぎとめてくれるのです。
生活の面では、自分の身の回りの秩序を保つことがどれだけ大切か気が付けました。

わたしは、知識を得て、世界を広くする心地よさを知っています。そして、人を育てる仕事をしています。
わたしは、心地よさ、気持ちよさ、自分のなりたい姿になる工夫を勉強を通して、伝えていきたいと思います。

勉強ができても、心が貧しければ、それは、わたしにとっては意味がないです。
勉強は、その楽しさ、もしくは、なりたいものになるための手段であってほしいと思います。誰かを踏みつけるための道具に堕してはならないと思います。

高校生になっても、本を読解する能力に欠けている子はたくさんいます。
日本語が母語だからといっても、読む力を使わなければ、その力は育たないままです。
だから、語彙を増やし、コラムを読ませて、論説文を読む力を育て、大学に行くにしても、教科書や専門書を読み砕ける力を育てて、卒業させたいと願います。

知識は、自分に害をなす人を、遠ざける力があります。
マルチ商法やネットワークビジネスに騙されることも、知識があれば、逃げられます。
DVやモラハラをする相手を恋人にしないようにすることも、知識があれば、かなり遭遇する確率を減らせます。
嫌いな人は嫌い、好きなものを好き、自分は大切なものだ、という感覚があれば、その人たちは、あえて近寄ってくることが減ります。
空気を読めない、協調性がない、という言葉に負けてしまえば、モラハラの餌食に遭いやすくなります。
でも、空気が読めない、協調性がない、という言葉に対抗することもできます。それには知識が有効です。
本を読むことです。正しい本を選び、本から本へたどる方法を知ることが、身を守ることにつながります。

わたしは、七年間付き合った彼氏と結婚を考えていましたが、別れました。
時間にルーズで、「仕事じゃないんだから」がいいわけでした。
半日でも遅刻する、連絡をしない、SNSのほうがわたしよりも大事(ほかにもいろいろありましたが)、そういう点で、わたしを尊重していないのは明らかでしたから、わたしはさっさと別れるべきでした。
それでも、別れたときに「もったいない」と言われ、それもあり、わたしは、今のパートナーと出会うまで、ずっと「あの人と結婚していたら、少なくとも、もう子供はいたかもしれない。彼も変わったかもしれない」と引きずっていました。
引きずりながらも、出会いを探し回って、みっともなくあがいたのは、それから脱却するためによかったと思います。

精神科の主治医が「赤い糸をネットで探せばいい。ネットは世界中からパートナーを探せる。自分の周りで街コンだのなんだのしても、一度に限られた人としか話せず、自分のことを知ってもらうのも大変だ。あなたは文章が得意なのだから、それを使って、ネットで自己開示をして、それでもあなたがいいという人が出会えたら、その人にここに引っ越してきてもらえればいい。引っ越すくらいの条件を乗り越えるくらいの情熱がある人じゃないと、結婚生活もうまくいかないから、ちょっとくらい、そういうハードルがあったほうが、嫌な人を避けることにもなるよ。それに、案外近くにいるかもしれないし」と五年前言ったことは、現実になりました。

今のパートナーは、わたしのブログを全部読んで、そして、わたしに会いに来た人です。
このブログは、人と出会うためにしたものではなかったのですが、それでも、たくさんの人と出会い(そして別れ、反目、憎しみも)を生み出してくれました。

人に嫌われる理由が、自分なりに理由があればいいと思うのです。
自分が生きるためにどうしても譲れない部分が、人をいらだてるのだとしたら、その人は、自分とは合わないことがお互いにわかってよかったというフィルターとして機能します。
だから、自分が妥協できる範囲がどのくらいか、見極めることが大事です。
髪ははやすことができないかもしれないくらい、自分を変えるのが困難な部分が必ずあって、でも、それがかえって魅力に結びつく相手がいるかもしれないのです。