会社に障害者手帳二級をカミングアウトしました

いろいろ考えて、今しかないと思い、障害をカミングアウトしました。

上司は暖かく受け入れてくれて、今までそんな風に思ったことはないこと、でもたしかに事務が苦手だったと思っていたといってくれました。

首になったり、子供に近づくなと言われることも覚悟していたので、一安心です。

障害者雇用に切り替わりました。

社保完備です。

言ったことで気が楽になりました。

これからより良い関係が築けるようにしましょうとお話しできました。

これから末長くお世話になるために、カミングアウトして、されて、お互い良かったということです。

会社としてのメリットもあって、障害者を雇う法律があるので、それにカウントできるとのことでした。

より安定して働くことができるようになり、助言もされやすくなるし、解雇通知がない限り、解雇されにくくなるので、安心しました。

発達障害の生徒さんの気持ちもわかるんじゃないですか?と言われたのでその方面でも貢献していきたいです。

会社や上司とより良い自然な、正直な関係に育てられるといいなと思います。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000078980.html
この法律の施行があったのも決断の理由のひとつです。

障害者の差別禁止。

会社に貢献できるようにがんばります。
もう一人で抱え込んで頑張らなくていいので、助かりました。
パフォーマンスも上がると思います。

今後ともよろしくお願いいたしますとお互い言い合えたので、本当によかったです。

不利になることもなさそうです。今のところ。

ベシー占い 占い承ります。


たった一人を変えること

わたしは、女の子に、学問を身に着けて、経済力を身に着けて、一人で生きていく力を手に入れることを願って働いている。

でも、低学歴の、といういい方もよくないけど他に思いつかないからこの言葉を使うけれど、そういう人たちに何もできないことに葛藤を感じている。

わたしは、世の中の仕組みも変えられない。低学歴の女性の生きづらさも変えることができない。
何ができるか、わからない。でも、学力をつけるにはいろいろな条件があること、その条件を得られなかった人がいっぱいいることは知っている。
そういう人にも幸せになってほしい。
それが今のおとしどころ。せめてもの。

おなかがすいたら、また、後で食べればいいから、無理しておなかいっぱいになるまで、食べなくてもいいんだって気が付いた。

これも小さいことだけど。自分自身も変わっていく。

スクワットを始めてから、食べるものも変わって、コンビニで、冷凍のホウレンソウや、ブロッコリーを買って、ざくぎりのキャベツで温野菜のサラダを作ったり、卵を食べたり、豆を食べたりして、食生活も変わってきた。調理が苦手だから、簡単なものだけど、それも難しかったんだ今まで。包丁を使ったり、洗い物をしたりするのがとても苦手だったから。特にほうれん草は下ごしらえが難しかった。
でも、コンビニを使うと楽なんだと分かった。無理しなくてもいいんだってこと。でも、そもそも今までは、冷凍ものを使ったらいけないんだ、ってなぜか思っていたから、できなかった。実際には、ほうれん草も、ブロッコリーもゆでてからわざわざ冷凍する人だっているんだから、してはいけないなんてことなかったし、冷凍のものでも食べたらずっといいことだ。

それに気が付くのにずいぶん、時間がかかった。ヘルパーさんに励ましてもらえなかったら、こんなに変われなかっただろう。自分を大事にすることは、今できていることを認めて、ほめて、それでいいんだって伝えてもらうことが大事なんだ。
そして、できないことは、手伝ってもらうことも。手伝ってもらうことを思いつくことも。

こんな自分の変化でも、どうしたら、良いのか知っていたけど、それを実行に移すのだって、結構時間がかかって、心の準備が必要だった。
自分自身のことを、こんなに簡単なことを、実際にするのにも数年かかったのだ。

だから、他人を変えるのはもっとずっと大変なこと。

相手に、わたしの心が伝わったとしても、それをさらに納得することも、納得してから、実行に移すことも、遠い場所にある。

子供にも、自分自身にも「守られなくても大丈夫」ってことを伝えたい。守られなくても大丈夫になるように今は生きる力を溜めるじきなんだよと。
守られることは、支配されることとつながっているから。守るって言ってくる相手が暴力をふるうことはよくあるから。
逃げ出せるためには「守られなくても大丈夫だ」って思っていないとできないから。

暴力を振るわれたとき、「守られないと生きていけないから」と思うと、相手のことを「悪い」と認識できないから、逃げ出すという発想がそもそも持てない。

わたしは、彼女たちに「自分の力で生きていけるから守られることは必要ない」と伝えたい。
守ると言ってくる人は危険なのだ。

だから、女の子には、たとえ、性差別だらけの、低賃金の世界でも、なんとか生き抜いてほしいと願っている。

有益な人間になりたいと願って、弱い人間にその欲望をぶつけるのは、邪悪なことだ。
その人がどうしようもない事情に踏み入って、こうすればいい、ああすればいい、というのは簡単で、言うだけで、いいことをした気持ちになる。
でも、弱い人間は、その欲望のごみ箱になることで、より、エネルギーを吸い取られていく。

BLが好きで、でも、ゲイは嫌い、っていう生徒さんがいる。
その生徒さんに、折に触れて、少しずつ自分の知っていることや、気持ちを話している。
相手が間違っているんだって思わずに、わたしのメッセージとして、伝えていきたいと思っている。
その子がもし変わるとしても年単位で、わたしの手を離れてからも、その気持ちは変わらないかもしれない。
でも、わたしにできるのは、種を植えることなんだと思って、話題が出たら、伝えるようにしている。

わたしは、世界の仕組みも変えられない。理不尽も変えられない。出会った人が、生きていく力を身に着ける手伝いを、細々とやっているだけ。

でも、たった一人でも、わたしと出会って、そして、他の人とも出会って、生きていく力を身に着けて、幸せを追求することが間違っておらず、そうするために生きているんだ、ってことが伝わってくれたらこんなにうれしいことはない。
わたしと会うことを楽しみにしている子供たち。経済的に辞めざるを得なくても、会いたいと言ってくれる子供たちに、できることは何でもしたいといつも思う。

こんなに若いのに、もうストーカーや、性被害に遭っている生徒さんもいる。具合を悪くしてしまっている。
でも、それを話してくれて、わたしはうれしかった。うれしいというと語弊があるけれど、誰にも言えないよりも良いし、わたしはその支援につながるやり方を知っているから、そのことを伝えることができた。
実際には、支援につながることなく、問題は解決したからよかったのだけど、本当に子供でも、「知り合い」に目をつけられて、力をそぎ落とされる例はいっぱいある。

気を付けるべきなのは、知らない犯罪者じゃなくて、身近な、欲望を持った大人たちで、でも子どもは大人を信じているから、被害を人に言えない。子供の世界は、危険なのだ。

でも、気を付けて、自衛をして、って言葉が、何の役にも立たないことを実感している。彼女たちが被害に遭うのは「知り合いの大人」なのだ。大人は立派で、自分は未熟だと信じてるから。

だから、彼女たちは自分を悪いと思ってしまう。わたしは、それに対して、できることがあるのかどうか、いつも考える。

わたしにできるのは、目の前にいる、たった一人の子の、そのときの気分を良くするだけ。その子がしたいことを精いっぱい応援して、わたしの持っている技術、知識、心のすべてを使うことだけ。

政治を変えるとか、理不尽な世界を変えることはできない。そこで、サバイバルする方法を教えるだけ。
だから、根本には、何の問題の解決にはならないんだって、いつも痛感している。

でも、わたしと出会った子には、幸せになってほしい。

たった一人を変えることだけで、わたしは精いっぱいで、それしかできないことに葛藤を覚えるのだけれども、その子の世界が変わったら、わたしはそれだけで、十分なのだといつも言い聞かせている。

一人の子供と向き合うこと。それを地道に、必死にしていきたい。
どんな状況の人が幸せになれる世界を作れれば、一番いいのだけど、わたしは無力だから、ただ、それでも、一人の子供が変わるならば、それだけを救いに考えたい。

すべての人が幸せになれますように。

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レイプされたことがある

高校生一年生の時に脅迫されてレイプされた。レイプは、半年くらい続いた。
そのことを、加害者は「つきあっている」と言っていた。でも、関係を誰かに言ったことはないみたいだから、欺瞞だと思う。

場所も選ばずひどいこともたくさんあった。だんだん学校に通えなくなった。

嫌だったら拒絶すればいいんだとか、結局、続けていたんだから自分の意思で、と言われそうだから、誰にも話さなかった。

自分の身体が自分じゃないみたいだった。
いつも自分の視線が、自分の頭上にあるみたいで、体がどうして動くのか不思議に思うくらいだった。
何年もたって、お母さんに言ったけど、はあ?って顔されて、聞こえなかったみたいになって、終わった。

そんな男と知り合うのが悪いって言う人もいるかもしれないけど、同級生だった。
c71.hatenablog.com

このことで言いたかったのは、加害者が悪いってこと。
加害者はセカンドレイパーも含む。

レイパーが、もし謝ったとしても、わたしは「許さない」。許さないって思えるくらいに回復したから。

セカンドレイパーが、もし謝ったとしても、女の性を侮辱されたから、「やっぱり許さない」。

だって、被害は消えない。被害の傷も消えない。痛いまま。

謝ったほうはいい人だと言われる。

謝られても、傷は傷のままずっと痛い。その痛みにひざを折ってくれたとしても、一度傷ついた、
「自分が自分じゃない感覚」「自分を許せない感覚」「汚いと思う感覚」は、ぬぐえない。わたし自身で回復するしかない。

謝ったほうがすっきりするだろう。よかったね、って感じだ。

わたしが、あのとき、あの言葉を、大人から受けたら、どうだっただろうと思うと、謝ったからと言って絶対に許せない。
しかも、「条件付きの被害者」だけを、「被害者と認めて尊重します」なんてことは。

わたしは子供で、隙があった。だから、脅迫に逆らえなかった。
それを愚かだという人はいるだろう。しかし、愚かだったらなんだろう。加害者の罪が軽くなるとでも?
被害者の苦しみが軽くなるとでも?

しかし、わたしはひどいことを言う人、邪推する人をセカンドレイパーなのだ、と大人になってそいつらを形容する言葉を知った。だから生きている。
そして、あの発言をして、条件付きで謝ったからと言って、わたしは絶対許さない。

わたしはかつて、子供だった。
わたしは今でも女だ。

「子供じゃない、もはや女」という言葉に含められた侮蔑はわたしにまで刺さった。
だから、わたしは許さない。

lineblog.me

このブログは欺瞞だ。

なにも回復させていない。
自分が悪い人だと思われたくないからかかれたブログ。

女を侮辱し、子供を汚い言葉で責め立て、背景を邪推することで、条件付きの被害者を作り上げた。
被害者の背景を推察することはセカンドレイプだ。

ジャッジだから。

この人はなにも変わっていない。

新しくセカンドレイプした。

事情がある被害者と、事情のない被害者とを分断した。何の根拠もない推察によって。
それによって、被害者にも非があることを伝えている。

犯罪被害者に非はない。常に加害者が悪い。

それが彼にはわかっていない。

謝罪のエントリですら。

そのことをわたしは許さない。あの謝罪はセカンドレイプの続きだ。

下記のブログを読んで癒された。こんな取り組みがわたしにもあったらよかったのに。
yk264.hatenablog.com

http://d.hatena.ne.jp/font-da/touch/20160222/1456119819

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お年玉で、子宮内膜症の治療費と薬代を払っていた高校生時代

服は年に二回、買ってもらう以外買ってもらえず、ブラジャーも、スポーツブラの白い奴を二枚買ってもらっただけだった。

中学生の時、生理で倒れて、救急車で搬送されて、点滴を打っていたら、母親がやってきて、胸ぐらをつかんで「救急車にいくらかかると思ってるんだ」「どうして救急車なんかに乗ったんだ、その前にできることがあっただろう」と揺さぶられた。その時に、子宮内膜症だと分かった。

母親は一度も産婦人科に付き添ってくれたこともない。お金もくれなかったので、お年玉で薬代と診察代を払っていた。産婦人科にも行っていいと言われなかったので、内科併設の産婦人科に一人で通った。遠い場所でバスで三時間かかった。中学生になったら、足が折れていても、病院に連れて行ってもらえず、自分で行くなら行けばって言われてやっぱりお年玉で払った。

子宮内膜症だと分かる前からも血の量が多かったので、ナプキンをしょっちゅう変えていたら、「いくらかかると思ってるんだ」と言われて、自由に変えさせてもらえなかった。異臭がする時もあったので、同級生に何のにおい?って、男子に言われて恥ずかしかった。

今は子宮内膜症も治って、痛み止めを飲めば痛みが止まる。下半身がちぎれると思うほど痛くて、神様に一生子供いらないから子宮をなくしてくださいって祈りながらうめいていたら、「うるさい、大げさ、近所に聞こえる」と言われたときや、「這ってでも学校に行かないと生理だってばれるから、あなたのためを思って学校に行けというのよ」と言われたときの気持ちは思い出せないでいる。

今は好きなだけナプキンを変えられる。好きなだけ買える。大人になるのはいいものだ。

少し似てる部分があると思いました。
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/touch/20160224/1456306957

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過去の自分の選択を許そう

過去の自分の選択を思い出して、それが正解だったのか、悩んで、寂しくなって、情緒不安定になって、人に話を聞いてもらっていました。

大昔、恋愛をしていまだに引きずっているのです。

そのときの、自分が正しかったのか、あの時の選択が違っていたらどんな人生だったのか思います。

でも、相手が忙しい時期で、わたしは依存体質で、だからうまくいかず、自分がないがしろにされている気がしてつらかったのです。
それで、別れたのですが、それでよかったのかなと。

気分よく一人で生きるほうを選んで今に至ります。

そして、それは少しずつ実を結んで、地味で地道な人生を手に入れつつあります。

過去の恋愛を引きずるのって、そのとき、「我慢していればよかった」「もっと対話すればよかった」とかですが、相手あってのことで、その相手も、違う相手とならうまくいっていたりしていて、縁なんですよね……。

そして、過去のことを美化している自分もわかっています。
過去のことを考えても取り返しがつかないし、時間を無駄にしていることも。

つまり、わたしの抱えている問題って、「あのとき正解だったかどうか」検証したい気持ちなんですよね。
今幸せかというと幸せです。
今幸せなのは、こつこつ積み重ねてきたことがあるからです。

友人に「知識は通貨のようなもので、移動手段なんだ」と言われて目からうろこが落ちました。
だから、今は仕事をしながら知識を蓄えているのだから、力を蓄えているのだと(ここに書いてすみません)言われて、なんだかほっとしました。

他にも話を聞いてもらって、情緒不安定な時に話を聞いていただけるのはありがたいなと思います。

過去の自分が愚かだったのか、賢かったのか、わからないけれど、そのとき、精いっぱいの選択をしたんですよね。

だから、わたしにできるのは、「今、自分の選択を受け入れて、許すこと」なんだと思います。

なんだかんだいって、一人で暮らせているんだから、まあまあの結果です。

それで言うと、「正解」になるように、積み重ねて努力してきたんですよね。

あのとき、結婚していたら、でも、わたしには家事もできないし子供を産んで育てて、相手の人を支える生き方はできなかった。
今もできません。

わたしのほうを見て、ってずっと思っていましたが、それも叶わないことも、当時のわたしは知っていました。
結婚しても、変わらないだろうということも。大人相手に、変わることを望むのは難しい事。

自分を変えるしかないとあがいたけれど、「交際を続ける」方向で変わり続けることは難しいし、つらいし、気分が良くなかったです。

だから、別れるって選択をしました。それが、わたしが「相手に対しての接し方を変える」の究極形で、あの時初めて、自分の人生を受け入れ始めたのだと思います。自分で生きていく、ってこと。誰かのおまけじゃなくて。相手の都合のいいときにニコニコしているわたしには、なれないし、ならなくてもいいんだって思ったときに、別れたのです。

今でも懐かしいです。でも、あの時の彼もわたしももういないのです。

わたしは、自分がバカだから、あの選択をしたんだって、考えていたけれど、でも、一生懸命考えた結果だから、わたしは、わたしのことを許したいなあ、と思えるようになりつつあります。100パーセントそうはなれないけれど、でも、少しずつ、そうなっていけたらな、って思います。

人生のターニングポイントって、それまでの行動の蓄積がそれを選ばせているのだと思います。

客観的に考えると、今のわたしは幸せです。
感情に流されて、過去に引きずられてはいけないです。

わたしは過去の自分も肯定できるようになりたいです。

過去を美化しているから、嘆いているけど、つきあっているとき、嫌だったこともあったのです。
その嫌なことをやめられたのだから。
そして、好きなことをしていられるのだから。

これでいいのです、と思う練習をしたいです。

生徒さんに、一人で生きていく力をつけてほしいって、言っていて、自分もそうしているのに、躁じゃない人生があったかもしれない、って思うのは矛盾していますね。

生徒さんに話す言葉で、自分自身も肯定される瞬間があって、ありがたいなと思います。

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ゆっくりやっていけば大丈夫

テストは、聞かれたことに答えたら点数がもらえる。

成績の悪い生徒さんは、聞かれたことが理解できないか、答える力がないかどちらかだ。

国語は採点するのが間違いという人もいるけれど、漢字が読めているか、話の流れがわかっているか、論理的に考えられるか、聞かれた質問に適切にこたえられるかがチェックされる。

わたしはしがない塾講師だけど、考えたことを書く。

わたしは女の子専門の塾講師なので、女性学も折に触れて教える。
勉強とはエンパワメントだ。

自信を無くし、どうやって生きていくのか、考えることもできない子たちがいっぱいいる。
その子たちに、「あなたは素晴らしい」と伝えることが最初の仕事だ。

自信がなくても、偏差値が低い、とか、悩みがあっても、勉強や知識は生きる上の武器になるよ、って教える。
今の勉強が役に立たないと思っていても、それは頭の使い方を鍛えたり、もっと知りたいことを知りたいときの調べ方を学んだり、知りたいことを理解するための芽なんだよ、っていう。

頭が悪いからやっても無駄だ、って子には、足が遅くても、道順と方向が正しければ、ちゃんと目的地に着くように、ゆっくりでも、道順に沿って、考えていけばたどり着くのが勉強なんだよ、って教える。正しいやり方で努力すれば、成績は上がるし、正しいやり方で考えれば、正解にたどり着くよ、って。

偏差値が低い大学に行くことに意味があるのか、って生徒さんもいるけれど、学びたいことを学ぶのは素晴らしいことで、世界が広がって、つらいときに、ああそういえば、楽しいこともあったな、って思い出す役に立つんだよ、っていう。

わたしの生徒さんは、勉強に理解があって、お金に余裕のある親御さんに恵まれているけれど、それでも、自信がなくて、あきらめようとしている子がたくさんいる。
親御さんもどう励ませばいいのか、もうわからなくなってる。

怒ってもなだめてもすかしても、勉強しない子供さんに途方に暮れている。
わらにもすがる思いで塾に申し込む。

わたしは低学歴の女性や、つらい立場の人を教えてないかもしれない。手助けできるのは一部の人だけだけど、出会った子供には一生懸命でありたい。

塾に来て、何でも話せる場を持つことで、孤独にならないようになってもらいたい。先生と親御さん以外の、大人と出会える場であってほしい。
そうすることで、危険な大人に接触することも防げると思っている。

あなたはなんでもできる、大学に行くとこんなに素晴らしいことが学べる、今はその準備をしているんだよ、って伝える。

いじめられていたり、体が弱かったり、メンタルに問題を抱えている子は自信がない。

でも、弱いからこそ、武器が必要だということ、あなたは生きているだけで素晴らしい事、たくさんの未来があって、未来は常に変えられる、変えるための準備もできる、今という瞬間は、自由にできるんだ、ということを教える。

よく、先生は怒らないの?と聞かれるけれど、わたしは侮辱されたり差別されたりしたときにしか怒らない、あなたはそんなことをわたしに一度もしたことがないし、怒ったところで、勉強がわかるようになるわけじゃないでしょ、っていう。
未来をあきらめて勉強ができない、努力できない子を怒れるわけもない。

わたしが支えられるのは、縁があって、出会える子、お金のある家の子だけなんだけど、それでも、たった一人に向き合うことで、少しでもよりよくなる手伝いができたらいいな、なんて思ってる。

経済的事情で塾をやめないといけない子には、いつでも、連絡してね、っていう。

頭が良くないと悩んでいる子には、頭の良しあしって、発想の豊かさ、論理的な思考、頭の回転の速さのいずれかなんだと思うけれど、そのどれも、克服できることだよ、って伝える。

頭の回転の速さに至っては、たとえゆっくりでも、走るスピードが遅くても、道が正しければ、目的地にたどり着くのだから、ゆっくり考えればいいんだよ、っていう。ちゃんとたどり着くよ。
論理的に、順番を追って考える力は、まさに今育てて鍛えていることだから、心配ないよ、発想の豊かさも、いろいろなことを知っていけばつながっていくことだから大丈夫という。

アイドルが好きだったり、ゲームが好きだったり、して、勉強に身が入らない子には、アイドルも顔だけ好きなんじゃなくて、詳しいともっと好きになれるのと同じで、勉強もそうなんだよというと、納得してもらえることもある。

どんなに学校から見放されていても、励まして、わからないことに全部答えて、わからないことを説明できない子にも、汲んで、こういうことかな?って聞いて、説明したら、たいていはわかるようになる。

良い質問が出たら、喜んでほめるし、うまくいったときには必ず拍手する。
ノリがいい子にはハイタッチすることもある。
あなたの喜びはわたしの喜びなんだ、ってことが伝わればいいと思う。それに本当にうれしいから。

中学生の時、五教科で100点未満の子だって、高校に行って花開いて、好きな科目で、クラストップになったよ、って報告してきてくれた時のうれしさ。一つの科目で、できるようになると、他の科目にも希望が持てて、その教科の面白さを感じてくれるみたいだ。

勉強は、ある程度努力しないと、その面白さがわからない。

数学か、国語で自信をつけることが多い。すぐに上がる科目だから。特に、数学は、覚えることが少なくて、順を追って解いていけば必ず正解にたどり着くし、聞かれていることが単純な問題も多いから、漢字が読めない子でも取り組みやすい。

わたしは、自分が教えたら、どんな子でも、総合で100点は上げられる、アップさせられると自負している。
点数が100点上がると、見える世界が変わって、自信もついて、周りの見る目も評価も変わって、バカ扱いされていたのが、一目置かれて、そうすると、人間関係も変わって、人生が少しだけ広くなる。
わたしはそう信じているし、本人も自信がつく。

頭、悪くないよ、って。

国語が中学生の時点で二十点しかないと、本当に学校の先生からも、親御さんからも、友達からも、自分自身jからも、バカ扱いされる。
でも、それが五十点にあがると、その子の生活が変わる。
無気力で寝ているだけだったのが、図書館に居場所を見つけて、司書の先生に勧められた本を読んで、国語を好きになって、いろいろな世界を知って、それを教えてくれて、羽ばたいていく過程を教えてくれるのは本当にうれしい。

教室に居場所がない子で、国語ができないと、図書館にたどり着かない。図書館が居場所になると、学校にも行きやすくなる。
話せる先生ができる。時間も過ぎる。知識も増える。

入塾してくるとき、たいてい、親御さんも子供さんもきりきりして焦っている。
他の塾で、「バカ」「やめてほしい」と言われた子すらいる。
そういう風に傷ついている親子がたくさん来る。

でも、ゆっくりやっていけば、必ず変わるし、点数も上がるし、上がったら少し息をついて、未来のことを考えられるようになる。
その手伝いができるのは、うれしい。
そして、そういうことを伝える仕事をしていくうちに、自分も変わってきて、自分もあせらずゆっくりやっていこうと思えるようになった。
それは、わたしが変わった点。

成績が底辺と言われて、バカと言われ続けてきた子でも、いいところを見つけて、ほめ続けていくと、必ず伸びる。
目が変わって、勉強に意味がない、って言っていた子が、宿題のやり方を教えて、そうしたら、その通りやってきた時の喜び。
机に向かう習慣がないから、それだけでもすごい進歩。

勉強しなさいと言われても、どうやれば「勉強」になるか、わからない子には、一緒に解いて、同じ問題を同じように解いてきてね、見てもいいからね、って伝えるとやってくる。

中学で国語が二十点だと、他の教科ができないよりも、ずっとバカにされる。本当に誰からもバカ扱いされて、自分もバカだと思っている。
でも、その原因は、たいてい、漢字ができなかったり、音読ができなかったり、順番に考えることができなかったりするから、漢字を覚えて、言葉を覚えて、論理的に読む方法を教えたら、本が読めるようになる。
漢字が読めないのは、習慣の問題だから。なんとかなる。

本の面白さを知って、孤独でも、本が話し相手みたいになると、世の中のことも知っていって、そのうちに、職業や、働くことに続いていくことに気が付く。
それがわかると本人もやる気が出る。
生きていく覚悟みたいなものができる。

勉強ができないと、どうやって大人になるのか、働くのか、進路が見えないで苦しむ子も多い。

ほんとうは、頭の良しあしって存在するんだろうけど、わたしはこの子はどうしようのないと思ったことはなくて、何かしらいいところがある。
見つけられる。

早くなくても、遅くても、正確に、積み重ねていこうねって話すと、みんな素直に変わる。「聞かれていることに答える」ってことを叩き込むと、会話も変わってくる。

聞かれたことに正確に対応して答える、ってことができるようになると、一人で生きていく力になる。

一人で生きていければ、ひどいことをしてくる人から、離れたり逃げたりできるんだよ、っていう。

特に女の子は、経済力をつけることが大事で、勉強は経済力をつける早道で、経済力があったら、嫌いな人が近所にいたら引っ越せるし、転職もできるし、嫌いな友達に会わないでも済むし、嫌いな人とお金の問題で結婚しないといけないとかもない、困ったときにはいつでも逃げ出す力がつくんだよ、って話す。

いろいろな知識をつけること自体も、人に騙されることを防ぐんだよ、って話す。

困ったときに、人に助けを求めることもできるようになるんだよ、ってことを話していく。

子供が変わる過程に、一緒に過ごせることができて、本当にいい仕事だなと思う。

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正解かどうか、じゃなくて、好きか嫌いかで決めること

生徒さんに、何かを判断するとき「これは正解かどうか」「間違っているかどうか」で考えると、どつぼにはまるし、間違っていた場合後悔ばかりが残るから、「好きか嫌いか」で決めるといいよと言った。

好きか嫌いかは、わかるし、いつもその視点で考えていると、周りの声に邪魔されて自分の気持ちがわからなくなることや、悩みが少し減るよ。って。

女の子は自信を踏みにじられながら生きるケースが多いので、最初、好きか嫌いかがわからなくなってる。
でも地道に好きか嫌いかのジャッジを練習していくと、自分に自信がつくと思う。そうすると、嫌い、好き、の違いが分かってきて、だんだん、好きなことばかりできるようになってくる。

得かどうか、間違ってるか、で、決めると、嫌いなこともたくさんしないといけないし、嫌いなことを我慢している姿が好き、って人に近づかれて好かれても、利用されるだけで疲れるよ、って伝えた。

親しい人でも嫌いになったら距離を置けばいいし、進路のことも嫌いなことをなるべくしない、好きなことのためならがんばれる、って風にしていったら、周りもそれを応援してくれる人がたくさん増えるから、大丈夫だよ、何も恐れることはないよ、って言った。

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偏差値の低い大学に進学すること

偏差値の低い大学に行くことをどうするか、という相談を生徒さんから受けたので書く。

答えから書くと、偏差値の低い大学に行く意味はある。

それはなぜかというと、どこの大学でも、先生は一流だから。
今は先生が余っている時代なので、こんなところにこんな素晴らしい先生が?ってこともありうる。
偏差値が低いと何が違うかというと、「友達のまじめさ」が変わってくる。
偏差値が高いと「勉強に慣れている人」がたくさんいるし、そうじゃないと、「勉強に慣れていない人」が多い。ってだけで、人間性が低いとかそういうことはない。

偏差値が低いから、大学もそれほど偏差値の高いところにいけない、っていう風に悩まないでほしいって話した。

その子は経済学を学びたいって言っていたので、「偏差値が低くても、勉強を教えてもらったり、相談に乗ってくれる人のいるところ、場に行くことは素晴らしいし、可能性が広がるよ」と伝えた。

知識はいつでも身を助けるよともお伝えした。

世の中のことをわかって、騙されないようにするには、勉強はとても役立つし、なんなら、自分に自信がつくよって言った。
女の子は、自信をへし折られるケースが多いので。

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最悪な子供虐待、残酷な断罪

頭にきたので書く

t.co

これってどういうことなの?
貞操観念があるかどうか、それが問題なの?
貞操観念がそれほど大事なことなのか?
性犯罪に遭うと、貞操観念がないとみなされるのか、貞操観念がないと、被害者を非難してもいいと思い込んでいるのか両方か。

もちろん、貞操観念があろうとなかろうと、「自己決定権」は侵されるべきじゃない。大人だろうと子供だろうと。

そして、被害者は子供なのだ。
子供に対して貞操観念という言葉を使うおぞましさを感じる。

貞操観念なんて、「男の都合」「処女幻想」の産物でしかない。それは、女性の地位を低くする考え方だ。
どうして地位を低くするかというと、女性の自分の、感覚や、生き方を邪魔するものだからだ。
つまり、これは差別だ。

それは、自己決定権を侵すという意味で、性犯罪者がしたことと同じだ。

子供の自己決定権を、性犯罪者も犯した。
そして、ツイートしている人は、言葉で、被害者の自己決定権を侵した。
純潔であるかどうかは、自分で選ぶことだ。
そして、自分で選べるまで、守るのが大人の役割だ。

自分の身体が自分のものであるという感覚を持ち続けるために、子供も大人の女も守られなくてはならない。

中学生は子供だから、それに対して、「連れ去り」「性的虐待を行う」のは犯罪だ。
それなのに、被害者に対して、「女だ」「子供じゃない」「何が起こるかわかってたはず」「男がほしかったのか」「金がほしかったのか」
と言い募る大人の男。

犯罪者に対しては「馬鹿な男」それだけ。

子どもは見えてないことが多いから、性衝動が強く、危険なこともしてしまう。
だから、前もって、社会でそれを防がないといけない。
金がほしかったのか?と侮蔑することは何も解決にならない。

それなのに、他のツイートで「注意喚起」と言い募っている。

なんて馬鹿な話なんだろう。
性衝動の強い子供を、危険なことがわからない子供を、守る仕組みを作る側である大人が、被害者を断罪するなんて。
たくさんの人が言っているが、二次加害だ。

きっかけがなんであれ、きっかけを自分で作ったのであれ、一線を踏み越えたのは犯罪者だ。
犯罪者は、子どもだと分かってからやめておくことだってできた。

でもそれは「馬鹿」なだけ。

そして、中学生は「女だ」と言われる。

この女の使い方にも、わたしには文句がある。
わたしには性衝動もあるしお金がほしい気持ちもある。

子どもにだってあるだろう。でも、子どもには大人相手にそれをさせてはいけない、そのために社会があるんだ。

社会の意義を踏みにじり、社会の構成員である大人の立場を捨て去って、自分や家族の言うことを「名言」と言ってのける厚顔さ。

被害者を断罪して得るものは何もない。

守られなかった被害者の落ち度をあげつらえば、その被害者に起きたことは、「罪」を犯罪者に「罰せられた」ということなのか。
自業自得ということなのか。中学一年生に向けて使う気持ちなのかそれは。

わたしは子供のころ性衝動が強かった。周りを見てもそういう子供はいた。怖いものがなかった。
怖いものに触れていなかったから。

怖いものに触れなくていいんだよ。子供のうちは。
性被害に遭うと、子供でさえ、「もう子供じゃない、女だから守られなくていい」という意味合いのことを言われる残酷さ。
そもそも、大人の女だって守られないといけない。

あらゆる人が、犯罪から守られないといけない。
それは、性犯罪者の性欲や支配欲、「若い女」に対する妄想などを「守る」、なんてことと次元が違う。
後者を守りたがっている人が多いのだと思い知らされた。

後者を守りたがっていると感じたのは、「犯罪者」が「馬鹿」の一言で済まされている代わりに、被害者に対しての、罵詈雑言が延々と続くからだ。

だから、わたしは頭にきてる。

言葉で人は殺せる。
言葉で虐待はできる。社会的な虐待を、「制裁」のつもりもなくしている。
ただ、性犯罪の被害を受けただけでも残酷なのに、社会的虐待を背負う子供、暴言を吐かれる子供が、確実に今日一人いたのだ。

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親が元気なうちは親のことを考えなくていい

主治医に繰り返し言われたのは「今親御さんは元気で、しかも大人だから自分の問題は自分で解決するべきだ、だから、なるべく親のことを考えたり、親のために何かしたり、したらだめだ。なるべく会わないように」ということだった。

それを信じるには長い長い年月が経った。

バリアをはって、親の言うことを効かないようにする工夫をしていたけど、それは最悪な状況での最善な行為だから、そもそも最悪な状況を脱しないといけなかった。

親が歩けて元気で、全然問題ないのに、親のために生きないといけない、って思っていた。
親がかわいそうだった。

でも、なんで、親のことをかわいそうに思い、自分の身を捨てて尽くしていたんだろう。
あの年月は無駄だった。
そのことを後悔した年月も長くてその後悔も無駄だった。時間をいっぱい無駄にして、もうこれ以上は一秒たりとも奪われないと決意した。

親なんていなくても、わたし元気でやってられる。
親にそれはやめたほうがいいと忠告されたことを、全部無視したら、うまくいくことがたくさんあった。

力を奪われてたんだなと思う。

ようやく自分の人生を始められた。

そのためにはお金を自分で稼ぐのが一番だ。
そういうことに気付けたから、無駄な時間を二度と作らない。

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