精神科は気軽に行こう

今日は、朝コンビニで働いてから、占いをして、役所に行って自立支援の更新をして、それから通帳を作りに行ったものの、40分かかって作れなかった。人差し指打法でパソコンを使っている人を久しぶりに見た。

エンジェルカードが届いたので、使ってみた。

面白いのでいいと思う。仕事は疲れた。

風邪をひいたら、近所の病院に行って、親切かどうか見る。重病になってから病院を探すのは大変だからだ。

精神科も同じように考えてほしい。ピンからキリまである。
社会生活に困るという範囲もいろいろあるから、自分が困っていたら行くべきだ。
そのために病院があるんだから。

放っておいてよくなるならいいんだし合わない医者なら行かなければいい。
ぎりぎりで生活しているとよくない。どんどん悪化する。
体力は温存しておいたほうがいい。
薬は体力と精神力を温存してくれる。

この前少し遠出をした時にも、精神安定剤をザクザク飲んだ。じゃなかったらいけなかっただろう。
行動範囲を広くしてくれるんだから、便利だ。
副作用の少ない薬もある。
だから、気軽に言って相談してほしい。何でもないならそれでいいんだから。

眠れないのも、気分が不安定なのも、パニックなのも、薬で抑えられている。
だから、働けている。
躁鬱だから、薬なしでは身動きも取れない。
嫌な医者だったら変えればいいし、断ることだってできる。
初めて行った医者が良い医者じゃないこともある。
だからこそ、気軽に。
相手も人間だから、あまり期待しないで行くのがいい。

副作用よりも、病気のほうが体にも心にも悪い。
生活のクオリティが上がる。今は薬もたくさんあるから、合わないのなら伝えればいい。
口がついているんだから。

人は薬が体に悪いというが、病気のほうがずっと体に悪いのだ。
その原点を思い出してほしい。

精神科はただの医者だ。他の医者に期待するのと同じくらいの期待でちょうどいい。期待していないならなおさら行くべきだ。
それ以上に悪いことは起きない。

ベシー占い 占い承ります。


無理をせず自立すること

自立にもいろいろあると思うのだけれど、お金があると何がいいかというと、嫌いな人に会わなくていい。
だから、わたしはお金を稼ぎたい。

わたしのこだわりは、言葉と構造にある。説明がうまい。時代にマッチしているから、就労できた。
それが必要とされている時代だから。20年前だったら必要とされていなかったから、無理だっただろう。

動作性が低いので、例えば、洗濯物がたためない。すごく頑張れば2日かかったらできるかもしれないけど、その苦労をするくらいなら、しわにならない素材の服を選ぶ、ヘルパーさんに頼むなどして、その分のストレスをお金を稼ぐに振り分けたほうがいい。

9時、5時、で働くことは、ストレスや体力的に難しいから、フリーランスがちょうどいい。

自立にはいろいろな自立があって、その人が「幸せだな」と思って暮らせることが自立だと思う。自分の心の健康と境界線を守れていることが、わたしの考える自立。人に頼ったり依存したりしてももちろん大丈夫。誰でもそうだから。

でも、固定観念で、これはしないといけない、ってことをすることを自立だと考えると、いろいろ厳しくなる。

今日は、コンビニで働いて、お風呂に入って、水タバコ吸って、ブログ書いている。これから、自立支援の更新に市役所行かないといけないけれど、これが難しい。

できないことを限定する。つまり、あきらめるということ。頑張ることをその方面ではやめて、得意なことで頑張ること。
それが、今のわたしのできる自立だ。

ひどいことを言う人とかかわる余力がないから、その人が正しいかどうか別として離れる、とか、苦手な作業は変わってもらうとか、それが自立だと思う。

今は、なりたい自分を実現させるために洗練された服装をすること、やせること、貯金をすることが目標だ。

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素敵な人懐っこい人には注意したほうがいい

初対面から素敵で人懐っこい人には注意したほうがいい。
もちろん、本物のもいる。でも、本物に出会うことはとてもまれだ。
そして、本物は待ってくれる。

待ってくれない人は、「素敵なところのある」危険な人だ。
この人が困っているなら、ちょっとの手間出し手を貸してあげよう、と思わされる。
素敵な人は、なぜか緊急の困ったことを抱えていて「あなたしかいない」と告げる。
そうすると、素敵な人に頼られたあなたはうれしくなって、「些細な」ことをしてしまう。

いつの間にか要求はエスカレートして「でも、この人はいいところがある人だし」「素敵な人で純粋だからトラブルに巻き込まれるのだし」とだんだん言い訳をするようになる。いい人だから、と思い始めたら、それはもういい人じゃないんだけど、それは、自己肯定感が鈍くなった人にはわからないことだ。

尊敬するところがあるから、かかわりたいと思うのは、お菓子の家の誘惑だ。
食べたら、体に毒が入る。太らされて食べられてしまう。それくらいの手間暇をかける。

その素敵さは、抜きんでたものじゃなくて、神様のように上のものじゃない。神様のような人は、こちらに降りてきて、窮状を訴えたりはしない。
身近で、そして、困っている環境の中で精いっぱい頑張っている、応援したくなるような、才能のある、素敵な人が曲者だ。

才能があるのにそれで身を立てられないというのは不運だけれど、そういう人たちはいつの間にか、人を操ることで、生計を立て始める。
いつも、周りが悪いと、それとなくいう。わたしは恵まれていないと涙ながらに訴えかける。
そんな人に振り回されたことがなければ、それはきっと一時的なことだから、と思って、助けてしまう。
しかし、一度助けたという実績があれば、ずっと漬け込まれてしまう。
その素敵な人が「困らず満足する」ことはないからだ。
その才能ゆえに、その才能が認められない鬱屈があり、そして、それは人のせいだと彼らは思っているので、つまり、認めない人が悪いと思っているから、状況は決して改善しない。

心中するつもりならいいけれど、永続的に「単に素敵なひと」を支援し続けるのはきついことだ。いつの間にか、日常生活を犠牲にしていることになる。そうしたとき、きっとあなたは「自分の心を殺し」始めているはずだ。
自分さえ我慢していれば、この素敵な人は、きっと、この山を乗り越えるだろうと信じている。
でも、これはパターンなので、素敵な人が山を越えたとしても、次の山がやってきて、当たり前のように、心の何かを無心する。

ほんとうは誰にも山も谷もあるから、構っている時間はないのだけど、この状況になっていると「心が死んで、何のために生きているのかわからない」状態になっているので、生きる理由をくれる「素敵な人」に尽くすことが、生きがいになってしまう。

心が死ぬ前に、人懐っこく才能がある人が孤独だなんてことを信じないほうがいい。本当に才能があれば、すでに助ける人がいるのだから、彼らは、搾取できる人間を新たに探さないだろう。

ボロボロになっても、あなたは気づくことができない。
それが一番怖いことだ。
人のために尽くすことで、自分の人生が空虚になったことを認めるのは、誰しにとっても何よりもつらいことだからだ。

ベシー占い 占い承ります。


弱みがあっても強くなりたい

頑張るのをやめて幸せになりたいのだけど、自分の身体で気に入っていないところがある。
それは、おなか周りが太っていることだ。

仕事のストレスや、エビリファイの副作用、子宮内膜症の治療のホルモン治療ですっかり太ってしまった。
しかも、こだわりがあるから、寝る前に決まったものを食べないと安心しない。

長い時間をかけて、より、低カロリーなものに替えられたけれど、食べなくて済むならそれが一番いい。
ホットミルクを試してみようと思っている。

太っていることがとても悲しくて、へこむ。好きで太っているわけじゃないし、食べ過ぎなければ痩せると言われても、食べてしまうのはやめられないからだ。

でも、太っていることで死にたくなるのは不毛だから、やせたい。気に入った自分の体になりたい。
きっと、わたしにはできる。できると思いたい。それが大事なことだ。

ベシー占い 占い承ります。


今日は休みにした

生徒さんに連絡して今日は休みにした。
お風呂に2回入った。
つらかったので、精神安定剤と抗不安を何錠も何錠も飲んだ。そうしたら、少し眠れたし、行動もできた。洗濯物を洗うことができた。
ヘルパーさんを断った。
家でじっとしていた。
明日は仕事があるから頑張れそうな気がするけど、やっているとやっぱりつらい。一度体を壊すと本調子にはなかなかならない。
コンビニバイトが過労の原因の一つだと思うから、2月末でやめる。
ほんとうは今すぐにもやめないと、塾に支障があるからやめたいけど、そうもいかず。

マイナンバーでダブルワーカーが減ったので早朝バイトは集まらない。それも知ったことじゃないんだけども。やめにくい。
明日は各種の支払いをして、銀行に行って、役所で手続きをしないといけない。忙しい。
頑張るのをやめて、幸せで楽しい事だけをしたい。休みは大事だ。
やることが何もないにしても、その時間がなければ、自分の好きなリラックスできることが発見できる余裕が持てない。

いいこともある。
スクワットを習慣にできた。過食も1か月くらいやめられている、寝る前にドカ食いしないでも安心して眠れる。
薬で何とかすることができて、人間社会に交じれるなら万歳だ。
とにかくできることをしたい。
豆をゆでて食べられるようになったから家事的にも進歩している。
前はスナック菓子を食べていたけど、もぐもぐ食べるなら豆のほうがいくらかはましなはずだ。
カロリー計算をしたほうがいいんだろうけど、勇気が出なくて怖い。
どれだけ食べているのか知りたくない気持ちもある。
強くなりたい。

ベシー占い 占い承ります。


心を殺すといいように思える

心を殺すといいように思える。
相手の要望を満たせるので、充実感はあるし、人の役に立てている気もするし、人と争わなくて済む。
自信がなかったら、人に引っ張っていってもらうことで、「正解」に素早くたどり着ける気もする。
自分には正解がないから。

あなたが自由になるようにお膳立てしてあげる、その代わりに……、ということもあるようだ。一見どちらにもいいことのように思える。
でも、「名前」というのは何よりも大事だ。人は名前のために生きているようなものだ。

最終的に「名前」を書いた人が責任を取る。
正解はだれも持っていないから、引っ張っていかれた先が地獄だってこともありうる。たとえば、その人が善意だとしても自分にとっては地獄ってことはよくある。結婚とかもそうだよね。幸せにするからと言って結婚したところで自分の幸せとは違っていたとかね。

心を殺すとメリットしかないように見える時は要注意だ。
ほんとうは、生きていたら軋轢があってうまくいかない。心を殺すとそれがない。うまく生きているように見える。
だけど、その間は感情を動かしていないから、生きている実感がなくなってしまう。
生きている実感がなくなると死ぬ。死んでも構わないって人もいるだろうけど、世の中にはきれいな美しい、元気の出るものもある。

わたしは今日はデブで醜い自分に落ち込んで死にたいと思ったけど、やせたらいいんだと思いなおした。思いなすことは強さだけどそれは、たぶん、石垣島を原付で一周した幸せの貯金があるからだと思う。あれより幸せなことはなかなかないもの。天上の幸せを感じた思いだった。

心を殺していると、楽しいこともやってこない。やってきても、膜を通してみたいで、実感がない。
実感は何よりも大事だ。今まで行ってきたように危険から身を守るのはもちろんのこと、「生きる動機」にもなるんだから、本当に大事だ。
死にたくなるのは貯金が枯渇しているから、どこかに行って、人と離れるのがいい。誰があなたを搾取しているのかじっとよく心の中を見るのだ。
あなたは誰のために心を殺しているの?

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感じ方を育てる

今日は、コンビニバイトをしてから、病院に、薬局に行って、それから働いたのでとても疲れました。
よく考えてみて、コンビニは向いていないので、やめることにしました。
すぐに辞めたいのですが、2月末にやめますと言いました。がまんがまん。

物事の感じ方を深めると、退屈な人間でも、小さな刺激で楽しむことができるのではないかと思いました。
だから、感性というのは役に立つのですね。
お金にならないと思い込んでいましたが、仕事以外で、楽しむことを探さないといけません。

今好きなのは、アロマ、マッサージ、催眠、占い、原付です。
冬なので原付は楽しめません。

音楽もいいかなと思って、強いて聞いています。
ヒップホップが好きなような気がします。それから、ヒーリング音楽。子供に、最近はやっている音楽を教えてもらったので、それも聞きます。
花を活けたり、観葉植物を育てたりもいいのかもしれません。
身体がこわばりやすいので、スクワットや、ストレッチもよいかもしれません。
でも、長時間できないので、余った時間をどうするのかが問題です。
今はそう状態なので、眠ることができず、苦戦しています。

1日働いて1日休む、というパターンに換えているので、金銭的に不安もあります。

インテリアを充実させて、家の中できれいなものを見ることも素敵かもしれません。

今は水タバコをいかにおいしく吸うかを試行錯誤しています。失敗してしまうこともあるので、それが時間を過ごさせてくれます。
趣味があまりにもなく、楽しいことが仕事だったり、ひととのチャットだったりするので、一人で楽しめることが必要です。

子どものころは本を読んでいたからそれでよかったですが、今は、本を読む能力がないので、他のことを考えなくてはいけません。
ツイッターやネットでは、趣味を楽しんでいる人がいるので、その人たちのまねをしたいと思います。

感受性は、生きることの上で、苦しかったり邪魔になったりすると思いましたが、少ないお金で生きていくためには、趣味が必要ですね。
仕事が忙しいと、それだけで時間が過ぎるのですが、仕事ができなくなったときに気を紛らわせるものがないのは困りものです。仕事は楽しいけど、それだけじゃダメなようですね。
休むことは決断だと教えてもらいました。頑張ることは誰にでもできる。

今日は、夜、お風呂に入って、手をマッサージして、温かいアルコール入りのミルクを飲んで、音楽を聴きながら、ツイッターを眺めています。ブログも趣味ですね。もっと時間をかけて書くことができたら、時間が埋まるのですが。
本は読めないのにツイッターは読めるのです。不思議です。
人とかかわっていったら、世界が広がるんじゃないかと期待しています。
教わることがとてもたくさんあります。

ベシー占い 占い承ります。


いきなり友達になりましょうという人は危険

人と会うことで元気をチャージする人と、人と会わないことで元気をチャージし、人と会う時にそれを放出していく人の2種類がいる。
わたしは当然後者だ。

わたしは、一人になると元気を少しずつためられる。

そういうわたしはときどき、「友達になりましょう」とプッシュを受けることがある。

友達になりましょう、の人は不思議だ。今まで生きていて、友達がいないのか。
おかしいだろう。友達になりましょう、と始終言っているのだから、友達がいないことはありえない。
それなのに、友達を急いで求める。

2種類で言うとそういう人は前者だろう。
しかし、前者は一人でいることが耐えられないから、友達はいる。常にいる。友達の維持にコストをかけているはずだ。
そうしないと元気が出ないのだから。
そういうわけで、後者に関しては、友達がいないか、一人を尊重してくれる長い友達がいるものだ。
だから、どちらのタイプの人間も、基本的には初対面で「友達になりましょう」とは言わない。

どちらでもない人間が「友達になりましょう」という。
それは、友達がほしいのではなくて、搾取する相手がほしいという意味だ。
搾取を繰り返す人の周りには人がいない。だから、それが動機だ。
いないから、友達をほしがる。友達になりましょうと常に言っているのに、友達がいないのには、理由があるはずだ。

友達を作りたいと考えるのはどういうときかというと、「新しい環境に飛び込んだ時」だ。
そうじゃなければ、人は満ち足りているからだ。前者でも後者でも。後者のわたしでも、友達はいて、ときどき、困ったときに助け合う。だから、新しい友達はあまり必要じゃない。

前者は深いかかわりを必要としていない。会話の中で、人とエネルギーのやり取りをしているから、深いかかわりをする必要がない。
でも、友達になりましょうの人は、初対面で、「深いかかわり」「深い内容の話」を求める。
ネットでならばわかる。本心と本心のやり取りをすることが手っ取り早いからだ。でも、わたしですら、ネットの友達も何年もたたないと心を許さないように気を付ける。気を付けてもダメな場合もあるけど。

友達になりましょう、の人は、観察していると搾取者だ。搾取し終わると新しい人に行く。だから、常に友達のストックがない。
人を使い捨てにすることに疑問がない。
問題を抱えていて、それを解消するために、人を振り回す。
毎日のように連絡をよこし、「友達だから」という。
自分の話をする。
こちらは、いつか自分の順番が来るだろうと思って、できる範囲のことをする。

友達になりましょう、の人は、社交的に見える。自分の気持ちを言えるように見える。だから、わたしには、まぶしく見える。
だから、かかわってしまう。話を合わせてくれるし、話し上手で、感情表現豊かだ。人情もろくも見える。
だけど、後から振り返れば、してくれることは何もないことにいつも気づく。
最初だけだ。
最初にルアーをつるすようにして、でも、与えてくれない。今、困っていると言って、何かしら奪っていく。
わたしの順番は来ないのだ。

でも、友達になりましょう、の人は、なにかわたしを利用できると思うから、もしくは、他に利用する相手がいないから求めるのだ。
健全だったら、時間をかける。時間をかけられないほど切迫しているということだ。

友達になりましょう、というと、わたしのような人間は言葉に縛られ、友達らしくしようとしてしまう。
彼らは嗅覚が発達しているので、言葉で縛ることを知っている。

彼らはいつも不幸で、嘆き、寂しがり、孤独だという。でも、その孤独は彼ら自身が作り出しているものだ。

最初の例で言うと、どちらの人間も基本的には充足しているので、急速な人間関係を求める必要がない。
緊急の時には、
「対価」を払って、お礼をして、時間を割いてもらうことをする。それが成熟した大人だからだ。

友達になりましょう、の人は決して、対価を払わない。その代わりに、魅力を持っている。一回会うだけで理解できるような魅力だ。才能だったり、話し上手だったり、感情に訴えかけたりする。しかし、それほど魅力的な人が、永続的な人間関係を築けないとしたら、それには理由があるはずだ。その理由は、結局、友達になることを了承した側は理解することになる。

友達になりましょう、の人は主観で生きているから、自分のことを自分に有利に話すことにたけている。嘘をついている自覚もない。そう感じているのだから。

彼らは境界線をこともなげに侵すので、こちらは苦しくなる。苦しいというのは、サインだから、従ったほうがいい。
こちらも、漬け込まれるような欲の形を持っている。それを理解して、そういう相手は危険だと理解していることが大事だ。
欲は自分で満たすことだ。相手のために、相手が喜ぶために、相手の幸せのために、自分を押し殺すことは素晴らしい、ということじゃなくて、自分にもつかまれる取っ手があることを理解することで、その取っ手を手放して、相手に付け入るスキを与えないことはできる。

こちらの欲を利用して、彼らは支配を始める。支配がはじまると、生きている感覚、自分で選択する感覚、自分自身の人生を自分で間違えてもいいから選ぶ感覚がなくなる。
相手の言うとおりにしていればいいとゆだねると気持ちがいいが、結局、何か一つうまくいかなくなったとき、来た時と同じスピードで彼らは去り、責任を取ることがない。収支は必ず、マイナスになる。
それを避けるには、自分が何か変だと感じたり、苦しんだり、違和感を感じたりすることを大事にすることだ。
責任を取る人間は、初対面で、友達になりましょうとは言わない。

彼らは危険だ。人間を使い捨てる。だからいつも「友達」をほしがる。何人いても足りないのだ。

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成り行きは誰かの意思でできている

今日は、催眠とマッサージ行って、安定剤飲んで昼寝することができたのでたいへんに偉いです。

今は、支配について考えているのです。
言葉の裏表を読むことはできないけど、人間関係を、低いレイヤーの力関係で把握することができるんじゃないかなと。

楽しさは、結構危なくて、自分自身が一人で作り出すものなら大丈夫だし、対価を払う種類の楽しみなら大丈夫なのですが、人が「これは楽しいからおいで」といったときは注意が必要です。

アムウェイが代表するようなネットワークサービスは、「パーティ」「成長」「絆」をうたい文句にしていますが、それはやっぱり、人を支配するために演出するものなんですね。

人の苦しみや痛みや悲しみや痛みは人の輪郭をはっきりさせますが、楽しさは、それを溶かしていってしまう。

なりゆきは、受け手は「なぜかそうなった」と思っているかもしれないですが、発信者は綿密に計算している場合が多いのです。

それは、受け手の「欲」を刺激して、その代わりに、相手の境界に侵入する手口です。

誰かが「作為」を持って、「相手の欲」を刺激すると、作為者は、ほしいものを手に入れることができます。

殴る殴られるも、「殴るのにはなれない」人には、「殴られると安心する」という欲があります。
それは、子ども時代に殴られているから、慣れ親しんで安心するのかもしれないし、躁じゃないかもしれませんが、ひとにはとにかく欲があります。

その欲を見抜くと、相手を操作することが可能になります。
成り行きというストーリを用意すると、その欲に対して、歯止めが利かなくなり、そこに乗っかって、判断を保留してしまうのです。保留も一つの決断なので、流れに乗るというのは危険なことです。

稼がせてあげる、自由にさせてあげるから、だから、あなたのためを思って、ということを言う人が現れても、その人は違う何かを盗んでいきます。
一時的に儲かるかもしれませんが、最後には、作為者が得をします。
なぜか、人は自分のことがかわいいという原則があるので、作為者が本心から「この人のために何かしたい」と思っていても、自分がほしがっているものは、必ず手に入れます。そしたらその分自分の何かが減るわけです。

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屑だとののしられたら縁を切らないといけない

支配と被支配のパターンだ。しばらくこのテーマで書きたい。

わたしは言葉のパターンを見ることが好きな人間だ。
パターンや構造が好きだ。
だから、言葉から見た人間関係のパターンについてしばらくテーマを持ちたい。

人をののしることで、人を選別し、自分の都合のよい道具として扱えるか試す人間がいる。
屑とののしられて素直に受け止める人間がいる。

そこで、支配がはじまる。

屑だという言葉から「親密」になろうとする人間がいる。その人間は、屑、という言葉を使って服従する人間を収集するのだ。

屑だとののしられたら、たとえ、自分自身が自分のことを屑だと思っていても、その人とは縁を切らないといけない。

「屑」というメッセージには多層的な意味がある。

「屑と言っても離れないかどうか」の試し行為、「屑」と言って自分が上位に立って支配できるかどうか、相手の自尊心の高さの見積もり。どれも支配のパターンだ。

反論してはいけない。相手に報酬を与えることになるから。

共依存は、自分を殺してでも、争い事を避けたいという欲から始まる。
その欲を利用するのが支配だ。

自分を殺すと、一見いい事しか起きない。争い事もない、相手の要求を満たせるからうれしい。

でも、そうしていると、自分の境界線を侵されることを許し続けるので、自分が「嫌」「怒る」「悲しい」「うれしい」「楽しい」「生きている」感覚がどんどん失われてしまう。

それに慣れてしまうと、回復するのが困難だ。回復するためには、支配する人間から縁を切って、そして、新たな支配者から身を守らないといけない。
支配者は常に狩りをしている。
満足していない人間は、甘い言葉ですり寄ってくる。
安定した人間は急激に距離を詰めない。
満足しているので探す必要がないからだ。

だから、表面上の「屑」という言葉を聞いて「改めることで自分がよりよい人間になる」という言う誘惑に駆られても、縁を切らなくてはいけない。なんなら、縁を切っても、自分を良くすることはできるのだから、いったん保留にしておいて、自分が具体的にどこを治すと幸せになるのか考えればいいだろう。

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