わたしはうまくないから、時々泣けないでいる

今年のはじめ、良くしてくれていた祖母が亡くなった。
葬式に呼ばれなかった。

その後、家族との縁がどんどん切れていって、自由になった。
自由は寂しいものだ。そして、尊い。

わたしはユーチューブを最近見るようになった。去年は音楽を聴くことが苦痛だったけれど、今は見られるし、英会話を覚えるために、外国のメイクアップ動画を見る。

わたしはうまくない、だから泣いてしまう。
泣いてしまえる時はいい、でも、泣いてしまえない時もある。

仕事は年々うまくいっている。今年は石垣島に行って、原付で一周した。こけてバイクを壊してしまったが、無傷だった。

収入は増え続けている。塾講師の仕事は、高三の数学と国語を任されるようになった。評価されるのはうれしい。
上司は、とてもいい人で、きれいごとを言うだけでなく実行している。理不尽なことをしないので、働きやすい。
わたしはルールに沿わないことが苦手なので、ルール通りに、理念通りに、仕事を進めることができてうれしい。
毎年収入が増えるのはうれしいことだ。

今年はさらに頭がおかしくなって、ベシー占いというのを始めた。
www.vesii.jp

ヒプノセラピーを受けたら、他人格が増えて、その人が占いをすると言ってきかないので、サイトも作った。
人の役に立ちたいとのことだ。よろしくね。

悲しいこともあったような気がするけれど、すべて遠い。

わたしの凸凹は、気にしない人たちによって、問題にならなくなった。
薬も効き始めて、メンタルも安定した。
ダイエットも少しずつできている。散財もなくせたら、もっといいだろう。
来年の課題はダイエットと、散財をしないことだ。

休みがないので、ストレスがたまる。リフレッシュできない。だけど、前の会社もよかったけど、女だから、という扱いがなくなったので、喘息気味だったのも治ったし、アトピーもよくなってきた。
わたしのアトピーは、わたしの人生に重くのしかかり、生きる上で不自由だった。
そのせいであきらめたことがたくさんある。

ただ、体のメッセージを聞き続けていた結果、親から逃げるきっかけになったのは良かった。
初めて自分の人生を生きているような気がする。

寂しさも、悲しさも、奪われずにわたしのものだ。
怒りは、わたしを生かすエネルギーになってくれる。
楽しさは、わたしを一晩生かしてくれる。夜になると、夜が心にしみこんできて、とても苦しいのだ。
だけど、その苦しさもわたしの人生の一部なのだと思うといとしい。

仕事がうまくいくことが、これほど人生の支えになるとは知らなかった。
わたしの一生の仕事にしたい。

人の人生をよりよくする手伝いができるというのは、崇高だ。
わたしの培ってきた、一度無駄だと思った、学習の技術をそのまま値段をつけて売ることができる。

仕事に行くようになって、毎日起き、外に出て、人と会話する。
それは、習慣となった。習慣はわたしの身体を整え、体力をつけ、心の重さに引きずられない精神を作った。
感情を重く見すぎていたから、それに騙されて、人生を乗っ取られるところだった。いや、乗っ取られていたのだと思う。

自分を律することが、自分を自由にする。
自分の心に支配されていた時には、わたしはしたいことができていなかった。でも、今は、違う。
身体の習慣に合わせて行動するから、お金も稼げる。お金はいろいろなことを解決して緩和する。苦手なことを楽にしてくれる。
家電や家具をたくさん買った。お金はかかったが、快適になった。家の居心地がよくなった。

わたしは生徒さん一人一人を愛している。生徒さんの親御さんを尊敬している。彼らの愛情に応えられる仕事をして、報いたいと思う。
お金以外のものをたくさん受け取っているから、お金以上のことを返したい。

わたしは精神年齢が低いから、生徒さんの目線に立とうなんて思う必要もなく、ただありのままいるだけで、生徒さんと同じところにいられる。

ただ、勉強に関しては、少し教えられる。

今年は数学と国語の教えるスキルが相当上がった。
小論文も教えられる。
生物も化学も物理もそこそこ教えられる。
今は英語を勉強している。高校英語に対して腰が引けていたけど、どうしても私に教えてほしいという英語のとても得意な生徒さんがいるので、その生徒さんのためになら勉強しようと思えた。生徒さんも、一緒に勉強するということでいいと言ってくれた。

信頼を裏切ることをしてしまうこともあるけれど、一生懸命謝って、良い授業をして、なんとか信頼回復したこともあった。

仕事をしていたら、いろいろなことから、逃げられる。お金を稼げる。逃避するのは悪い事じゃない。楽しいことを見る余裕ができる。

わたしは悲しいことを見すぎていた。
友達は離れたり近づいたりする。だから、いちいち悲しまないように、距離を保てるようにするために、仕事という大きな時間の塊があることで、わたしは安全にいられる。
仕事をしているときは寂しくない。

親戚の中では、わたしは生きられないのだと分かった。
わたしは居場所ができつつある。今年はいい一年だった。切り捨てられた痛みは、新しい場所で回復する。
運動をして、栄養バランスを良くして、体調を整えて、整理整頓をしていて、薬を飲み忘れなければ、わたしは、おかしなところもある人だけど憎めないっていうキャラでいられる。それでいい。普通の人になろうとしなくていい。

約束を守って、破ったら謝って、真摯に話せば、大丈夫な相手もたくさんいると分かった。わたしに普通を求められると、わたしは逃げていかないといけない。できないことをわかってもらう時間もない。それでいい。分かってくれる人といたら、わたしの凸凹もましになる。生かされる。

今年は、いろいろな人に助けられた。上司、精神科の先生、友達。バイト先の人。マッサージ屋さん。
占いのお客さん。生徒さん。すべての人を愛してる。
すべての人の幸せを祈る。
わたしはもう何も我慢しない。わたしは自分を信じる。


男女差別のない職場

求職活動をしていた時、出産や、結婚でやめないかどうか聞かれることが多かった。

前職ではプログラマだった。
事務と総務と接客のような仕事を振られていて、プログラミングをする時間がコマ切れだった。
気を遣うことを求められたので、ストレスだった。
いろいろあってやめた。

[【SYNODOS】日本の女子教育の課題ははっきりしている/畠山勝太 / 国際教育開発 https://t.co/vXNWcj9u85]
わたしは工学部を出たが、仕事がなかった。受け皿がない。そして、女性が工学を学ぶことも少ない。それらは女性の選択の結果と思われている。わたしが仕事を探したときはそうだった。面接に残っても、女性がする仕事はうちにはないと言われたこともある。

女性向きの仕事って何だろうと思う。

今の職場には、男女差別がない。仕事をもらう時にも、何も聞かれなかった。だから、すがすがしかった。

給料が高い仕事に就きやすい学部を出ても、女性の同期は、男性と同じくらいの給料や待遇の仕事に就けなかった。
成績は女性のほうが良くても。

そういうわけで、仕事にありつけなかったのは、わたしだけじゃなかったと思う。

今は、塾で働いている。数年前はダンピング競争で、安いところが好まれたが、今は口コミ優先。とにかく口コミ。多少高くても、口コミの良いところが選ばれる。
わたしにとっての生き残りは口コミを良くすること、人当たりよく、生徒受けよく、結果を出すことでもたらされる。

わたしには欠落がある。勉強はそれをある程度補ってくれた。お金があれば、ある程度のことは補える。
教育業界はブラックだと言われるし、実際、わたしもここのところ三週間ほど休みがなかったけれど、男女差別がないというのはそれだけで、体が楽だ。
男女差別があると、自分の契約以外の仕事をしないといけないからだ。そして、わたしは気が利かない。女で気が利かないというのは、致命的なことなので、とてもつらい。

でも、今は、そうじゃない。

成績は、ある程度お金で買える。わたしは塾に行かなかった。今はそういう時代じゃない。わたしは自分で身に着けた技術を売って、お金にしている。

女性は仕事に選択肢がない。女といえば事務と思っている人は多い。今の子供たちは事務職がないことを知っているので、手に職をつけようとする。手に職をつけるためには勉強が手っ取り早い。

工学部や法学部を出ても、今もわたしのころとあまり現実は変わらないようだ。今は少し就職もいいようだけれど。

わたしは高校生には数学と国語を教えている。特に国語は需要が高い。どんな試験にも国語はいるからだ。そして、最も成績が上がりやすい科目だ。誰も勉強してこないから、教えるとすぐ成績が伸びる。だから、喜ばれる。喜ばれると需要が発生する。わたしにお金が来る。

いろいろ言われているけれど、勉強することが一番お金に結びつきやすい。
もともと体力があったり、器用だったり、頭が良かったりする人は、勉強をしなくてもお金を稼げる。
だけど、センスがない人間には勉強をすることが手っ取り早いと思う。力をつける道筋が確立されているから、参考書を読めば、勉強の仕方が書いてある。実際塾に行かなくても、自律できれば、参考書と問題集で事足りる。

塾業界も様変わりして、集団塾は、はやらなくなった。個別のほうが結果が出るのが早い。対価の高い塾は、付加価値をつける。それは、理念だ。子供をよりよく生きさせるための情熱を経営者が持っていると、雇われる側もモチベーションが上がる。それに、わたしももし子供がいて塾に高いお金を払って通わせるならば、理念があるところのほうがいいと思うだろう。

女性教師は需要がある。女性のほうが、いいと思う子どもも多いからだ。
わたしは数学が教えられるので、それが売りになる。
女性だということが不利に働かない。
実力はいろいろな方法で測られるけれど、ちゃんとお金になる。
人当たりの良さ、生徒受け、親御さんへの対処、成績、それらを総合してお金が入る。
わかりやすい。
安定はしないけれど、いろいろな仕事を総合的にしていたころよりも、ずっとずっと気が楽だ。
前の会社も研修が充実していて、いい会社だったけれど、合わなかった。

わたしが二十年以上かけて得た勉強に関する技術は高く売れる。
富裕層の子供たちが、その成果を受け取って、巣立っていく。
そのことに葛藤がないわけではないけれど、目の前にいる一人の子供を助けられるのだから、いい仕事だと思う。

でも、本当は、もし、塾講師になる以外に、能力が生かせたら、それはそれでよかったと思う。
というか、わたしは、今のままでいいし、気に入っているけれど、同じような経歴の人が、女性が、普通に評価されて、仕事を得ることができたら一番だと思う。

わたしは、恵まれていて、勉強をする環境に困らなかった。他のことの経験は少ないけれど、でも、それで今は落ち着いて働いているのだから、本当に幸運だった。わたしが頑張ったことよりも、環境が用意されていたことの幸運のほうが大きい。

学問の中には、男女差別がないと信じていた。
でも、そうじゃなかった。
そういうことを知った。女性研究者の割合は、日本ではまだまだ少ない。高学歴の女性を利用して生かす場所も少ない。

わたしは、天に届くような学問の世界にいられなかった。それは残念なことだ。
今の生活が気に入っているけれど、今の子供たちの世代では、違う選択が用意されていることを望んでいる。
わたしは、男女差別のない職場が気に入っている。能力が発揮できる。評価される。そういうのは楽しい。

差別のない職場を求めたら、安定しない職場が残った。
安定している職場は、差別されていない人が持って行ってしまうからだろう。わたしは安定よりも、差別されないことのほうがずっとうれしい。

仕事はハードだけれど、毎日外に出て働く習慣ができたので、心も軽くなった。
仕事をしている間は、苦しいことも忘れられる。仕事は救いだ。


精神年齢が低いという強み

わたしは精神年齢が低い。
中学生と高校生と話が弾む弾む。
なんなら、小学生とだって話が合う。
もしかしたら、子どもに話を合わせてもらっているんじゃないかと思う。
だから、子どもの話が苦にならないどころか、楽しいし、癒される。
仕事がない日は話し相手がいなくて寂しいくらい。

とはいえ、三週間休みなく働いていたら、精神状態が悪くなって、一晩良く生き抜いたなって思った。
死にたくないけどしにてー、ってなる。利己的になったのでした。

精神年齢が低いので、生徒さんの悩みが面白い。面白いというと語弊があるけど、純粋で、政治がなくて、駆け引きもなくて、ただ真摯に悩んでいるから、共感しやすいんだよね。

自分の人生をまともに考えていて、向き合っていて、よりよく生きるにはどうしたらいいか悩んでいるんだよね。

友達との付き合い、先生の理不尽、勉強を進んでできないとか、壁にぶつかっているとか。

好きなアイドルの話や小説の話も好き。

わたしは最近更級日記が面白いんだけど、菅原さんがどういう風に生きているのか、清少納言は天才だから、すさまじと晩年言われているけど、あれだけの文章が書ける人だから、自分の心はどうだったかというと、幸せだったんじゃないかとか話す。

清少納言や紫式部を「質の悪い同人誌」呼ばわりする大人もいるけど、全然そういう風に思ったことない。
本当に素晴らしくて面白い。
飽きない。

精神年齢が低いから得してるなと思う。生徒さんと話すのが楽しいから。
何かができない、うまくいかない、ってことは必ずしもダメなことじゃなくて場面によって、生きることがある。
だから、自分がだめなところを大事にしたい。


死にたい気分がやってきた

昨日しにてーとツイッターでつぶやいていました。
ほんとうに死にたいわけじゃないんですけど、死にたい気分に覆われていたんですね。

でも、気分は気分だから、状況が悪いわけではないので、「ただの気分」だなあと眺めているのが大事だなあと思いました。

死にたくなっているのは、月三回くらいしか休みがないからですね。
まあ、ならせば週一回休みがあるわけだからそこまで大変じゃないんだけど。
でも、わたしにしては、オーバーワークだったかなあと。

死にたいのは、自分の「考え」じゃなくて、「気分」だから、気分を良くしたら、終わるんだ、って思います。
それを混同すると、大変なことになる。

死にたいんだって考えだと思ってしまうと、死ぬための行動をしてしまう。でも、気分だから、気分を良くすることをしたら、収まる。
薬飲んだり、お風呂に入ったりちゃんと食べたりですね。

眠る時間があれば眠るといいですよね。
今はあまり時間がないのだけど。

でも、昼寝をする時間がないので、むしろ夜の眠りは深いです。
あ、でも昼寝ちょっとはしてるか……。

セックスワークを失敗したケーキに例えてしまって、すごく反省しています。
いろいろ試行錯誤するって話だったら、違うたとえをするものね。
まるで、セックスワークをしている人が失敗してその道に入ったみたいになるという指摘を受けて反省しました。

反省したからって死にたくならなくてもいいはずなんだけど。
でも、なんだか短絡的に死にたくなってしまいました。

今月はかなり稼いでいて、再来月は裕福に暮らせるのだから、状況としては、幸せだ。だから、状況と、気分を切り離してしまわないと。

それにしても、暗雲のように垂れ込める死にたい気持ちっていうのはやっかいです。
死にたい気持ちを抑えるためにたくさんの薬を飲んでいるんだけど、バランスが崩れるとだめですね。
目標としていることが一つできないだけでも、もうだめだ、ってなります。

ダイエットも、片付けも、栄養バランスの良い食事も、よりよい思考も、全部全部うまくいかせたい。
でも、ダメだと死にたくなる。というのだったら、極端です。

せめて、今は仕事をうまくいかせることだけを考えないと。それが最優先です。
お正月はさみしいです。
誰にも会わないから憂鬱です。


世界に裏切られるとき

犯罪に巻き込まれると、目の前にいる人が私を刺さないのは、たまたまだと思うようになる。
一度でも刺されると、誰もが自分を刺す機会をうかがっているように思えてくる。

世界への信頼が失われたのだ。

それと同じように、災害も、「自然と社会とは共存できる」という根拠のない信頼を壊すものだ。
災害は社会を壊すだけじゃなくて、世界への信頼、足元が揺らがないという前提で生きている私たちをぐらぐらにする。
足元が揺らいだら、どんな努力をしても水泡に帰すと感じてしまう。無駄だと。

それが世界に裏切られるということだ。

制服を盗むというのは、子どもたちの世界に対する信頼を破壊することだ。
安心して生きるという人生の最初で最も大切な宝を壊すことだ。

600もの服を盗むということは、そういうことだ。
被害総額は一枚二万円だとしても、1200万円になる。
その背後には、親御さんも、盗まれた当人の友達も、友達も、そしてそのニュースを知った人たちの「世界に対する無邪気な信頼」を壊す行為だ。
そうしたら、安全に生きるという足場をなくすと、そこから溺れないように生きることだけで精いっぱいになって、本来ならもっと豊かに気持ちを解放して体験できた機会を奪う。

制服を盗まれる側にとっては、盗む側が、制服だけでなく、他の危害を加えるかどうかもわからない。ニュースを知った人はおびえる。おびええる人もいるだろう。わたしにそれがわかるのは、わたしがおびえる側の人間だからだ。
だけど、おびえる側の人間が見えない人もたくさんいる。消費する側の人間には、自分の娯楽のほうが、子どもの心よりも大事なのだ。

テレビに出ていて、人気のある人がそれをしたということで、世界への信頼を奪われた人も多いだろう。

子どもは大人を信頼している。だから、大人の言うことを聞く。反発する。そして自分の輪郭を形成する。しかし、制服を盗むと言ことはそのプロセスを破壊するということだ。

制服を盗んだ人は、子どもたちが、育むはずの前提を壊した。
その回復は思われているよりも大変なことだ。
子どもがタフに見えるのは、「そうしないと生きられないほど弱いから」だ。
子どもは何もかも飲み込む。それは子供だからだ。
何もかも飲み込む子供たちに、毒を飲ませないようにするのは大人の責任だ。

大人に対する娯楽を提供する人が、制服を盗んだということ。そして、その人が大事にされること。
制服を盗まれたくらいで、と、言われてしまう被害者がいること。

子どもは、子どものうちは、搾取から守られないといけない。
そうしないと、世界はどんどん揺らいでいく。
子どもは宝だ。消費しても壊しても盗んでもならない宝だ。
犯罪は反社会的な行動だ。
社会を壊すのだ。
だから、罰されないといけない。


薬は万能な魔法じゃない

薬というのは補助だ。
病気というのは生き方だ。
過酷な人生をだれもが歩んでいると思うのだが、その結果、負担の結果として、病気になる。
そして、その病気を意識したときに、初めて「何とかする不都合だ」という風に認識する。
女の人は冷え性に悩むけれど、実は男性も冷え性の人はいるはずだ。
でも、男性は冷え性を認識しないのだ。
だから、それを解決しようとしない。
女性はそのことを悩む。そして、何とかしようとする。
病気とは認識の問題なのだ。

不具合を認識すること。
そして、薬はその保護だ。

わたしには気分障害があるから、その薬を飲む。でも、それだけでは解決しない。
気分に騙されて、現実を気分に塗りつぶされないように、気分と行動を分ける、習慣を守ることが大事になる。
病気が悪い時には薬を定期的に飲むことができなかった。
生活が荒れていたから。
最初の会社に勤めた時は、使えない人間で、気が利ないし空気が読めないから、周りにとっても自分にとってもよくなかった。

仕事を辞めたら、喘息も治った。なりかけだったからだと思う。
病気に向き合うというのは、人生を見直すことだ。
薬は、その手伝いをしてくれたり、決断をするためのコンディションを整えてくれたり、自分が苦しいことを教えてくれる。
でも、気分は、自分をだまして、気分が、「自分の人生は意味がなく、存在もないほうがいい」という風にのっとってくる。
それを、何とか回避したい。

そのためには生活習慣を整えて、体からアプローチすることが大事だ。
生活を変えたら、いちいち、気分によって、今日は働きたくないとか、調子がいいとかに惑わされずにやるべきことができる。
仕事での疲れ方を考えると、気分次第で、能率も変わるし、楽しさも疲れ方も変わる。
だから、気分に流されるんじゃなくて、前向きに、気分をコントロールしたい。
気分は大切だというのは、気分任せにするのではなくて、気分を制することが大事なのだと思う。
薬は、自分の現実と、気分を分けることの手伝いをしてくれる。
気分を整えて、そして、生活を整えるための準備をしてくれる。
だから、薬を飲むことは頼ることじゃなくて、前向きなことなのだ。


仕事はいい暇つぶしになる

仕事はいい暇つぶしになる。
今はすごく暇で、というのも、嫌いな人がいないから、嫌いな人のことを考えて暇をつぶすことができない。
好きな人のことを考えるのもずいぶん暇がつぶれるし楽しいことだけど、楽しいよりもやきもきするので、暇がつぶれない。
適度に嫌いな人のことを考えるのは、血がたぎる感じがするので、楽しい。でも、何しろ嫌いなので、一日くらいでその周辺の人間関係もひっくるめて、わたしはそこから逃げ出してしまうので、楽しみはせいぜい一週間だ。
嫌いな人から立ち去った後、一週間くらい、あれも嫌だったこれも嫌だったと考えるのは安全で楽しい遊びだ。
それに比べて好きな人に対しては、嫌われたくないものだから、楽しいばかりではない。

今はすごく暇と書いたけど仕事は忙しい。十時間だとか十二時間だとか勉強を教えているとそれは嫌になるという感じだ。
何が嫌かって腰が痛い。足がしびれてくる。ふだんゴロゴロしながら暮らしているので、大変な気がする。

気分をコントロールすることが大事だと思う。
気分は物事を見えなくする。
身体の習慣が、心をコントロールするという文章を読んだ。
いちいち、今日は嫌だとか今日は楽しいとか、そういうことを考えるから、毎日の仕事が苦痛になるのであって、するものだと思っていたら、できる、という話。
これも、適度に取り入れないと、体を壊すと思うから、完全にとは思わないけれど、でも、まあまあ役に立つなと思った。
死にそうな仕事だったら、やめたほうがいいのは前提として、わたしのようなだらだらした形態の働き方で、しかも絶対休めないんだったら、いちいち今日はいきたくない気分だとか思わないで時間になったら行く、という風にしたほうがよさそうだ。


結婚しただけでは保証されない

今日は十時間教えていたので仮定法が完璧になったぞ。
これで、英語もだいぶ教えられるようになってきた。できるとうれしいし楽しい。

それで、最近思うのは、結婚したことを「すごいこと」のように語って、「何かを証明できる」と思っている人がいるんじゃないかということだ。
そういう人は結婚「できる」って言い方をする。結婚できる人は、て。
でも、わたしが知っている限り、結婚したくずもいるし、結婚した素晴らしい人もいるし、結婚しないくずもいるし、結婚しない素晴らしい人もいるし、その他の人もいるだろうと思う。

不思議だったのは、「それじゃ結婚できないよ」という人のことだ。
最近、そういう人たちは、「結婚できるイコールすごい」「だから自分はすごい」という方程式があって、だから、それを人質にとって、人を結婚しているしてないで分けて、自分をすごい側にする担保にしているんだと思う。
だからこそ、結婚していない人を常に否定してないとやってられないというか。
でも、それはそれで幸せだと思うんだけどね。一つの点でこだわれたら、他のこときにならなくなるもの。

結婚してない人を見ている間は、自分は少なくとも結婚しているし、って思えるからね。
でも、それは結婚していない人がいないと感じられない幸せなんだよね。
それって、自立してない幸せだから、ぐらぐらしてしまう。

これさえよくなればと思い詰めるけれど、問題の本質はだいたいそういうことじゃない。
不平不満、たとえば、不細工だからモテないと思っている人とか、いるとしたら、不細工が解決されたらモテるのか、人柄は素晴らしいのかなどそういうことから、目を背けられるからね。


働いていた

役に立たない記事を書くぞ。

最近は働いていた。
人が働いているときにごろごろしていて、人が休む時に働くのだ。

人に喜ばれるいい仕事だ。
それにしても、仕事が忙しくても空き時間がないわけじゃないので、暇はたくさんある。

常に暇だなあ。不思議だ。
働いたら働いただけお金が入るので、三月は楽しみだ。旅行に行ってもいいし、お金をためてもいい。
先月は買い物をしたので、しばらく買い物を控えて、旅行をしたい。
今度はマレーシアに行きたい。