愛と仕事

暑くて。なんか太った。嘘でしょー。

熱中症になってから脱水ぽく、いろいろ聞いて栄養が足りてないとかOS1とか良いとか言われて、それを実行したら、今日ずいぶん楽になって、胃腸も動き始めたし、脳も動き始めたし、仕事中の苦痛がとにかく減ってよかったーと思う生活をしていたら体重増えていた。
夏に太るとは。悲しい。とても、つらい。ああ。消えたい。うう。

そういうわけで、今ちょっとわりとちょっと「死にたい」って感じなのですが、これはほとんど、体調!忙しすぎてからだのメンテナンスしてないから、というのがわかってるので、「死ぬのちょっと待とう」となっています。

じゃあ、なんで、メンテナンスしてまで生きてるのか。
それはよくわからんのですな。
なかなか死ねないのははっきりしているけど、死ぬ人もいるわけで。
わたしはそこまで死ぬのに情熱がないんだなと思う。情熱がないと難しい。

それでどんなときに死にたくなるかと言うと、体調不良と太ったときと疲れたときと仕事でミスしたとき。
全部、体調不良でまとめられる。余裕がないとき。自分で自分のことを決められないとき。養われてたとき。お金がないとき。
わりと死にたかった。仕事でしょうもないミスしたときとか。

自分をもの扱いされてると、死にたくなる。
そして、そういうときは、人のことを頭数呼ばわりしたり、人扱いしてないんだなと思う。難しくなる。
仕事始めたとき、最初、塾では勉強教えれば良いんだと思ってた。
そして、勉強を教えるのも、通りいっぺんのやりかたから、その子をちゃんとみて、何が原因でわからないのか分析して、方針を決めて、勉強するに変わったし、やる気を出すこと、一緒に頑張ることが大事なんだなと思い始めた。
親御さんに対しても、「いかに怒られないようにするか」「言うことを聞いて満たすか」と考えていたけど、そうじゃなくて、「わたしはこう思う」「こうしたい」「困ってることを一緒に解決します」と変えていたら、クレームも減ったし、感謝されることも増えた。
これは、仕事の始めた頃も、かえってそうで、二年目くらいが顔色伺っててうまくいかなかった。
でも、あまり死にたくならなかったなと思う。

塾に来るような子は、たいてい裕福な子で、人生をちゃんと親御さんに考えられてるという意味で愛されてるし、本人もやる気があるから来てるから、いい子だ。そういう子たちに囲まれているから、やっぱり愛してしまう。
そして、愛しすぎると言うことはない。タイミングでいなくなって、また新しい人が来る。それで、ずっとお金のやり取りの関係で愛情を持ってる。

それで親切にされるし。あまり死ななくても良いかなと思う。
昔あんなに死にたかったのに。つらかったし、衝動があった。なにもなかったし。嫌いな人と接しなくなって、忙しくなったけど楽にはなった。
でも、まだ体調は良くなる余地があるから、まだなにか、心に引っかかってるものはあると思う。
けど、それ込みで良いかな。

ブログ書く元気もなかった。
でも、お金があるって素晴らしい。メンテナンスできるから持ち直せる。自分で使えるお金ぶらぼー。
最高に幸せじゃないのか。今死にたいけど。少しね。
ダイエットはまたがんばろう。


脱水になった、野菜食べた、人に感謝する

無理を承知で仕事をしたのだけど、やっぱり無理だったので、熱中症になった。

寝ていたときに、頭が痛くて、起きられないほど眠気が強くて、だるくて、乾いていた。

それから慌てて塩水を飲んだけれど、なかなか吸収されず。
動けるようになったけれど、その日は水がからだに入っていかなかかった。

次の日も具合が悪かった。自分でも意識しなくても、くらくらのぐたぐたで、へろへろだった。
眠ろうとしたけどからだが不快で眠れない。
イライラしているつもりもなかったけれど、アトピーが悪く、明日からどうしようとばかりスケジュールを見ていて。

クーラーを強くかけて布団にくるまると回復するよ、と友だちに言われて実行した。

次の日、早朝バイトで五時に起きたら、からだが軽くて驚いた。でも、働いているうちにめまいがして、頭痛がして、早退した。
冷却剤を持ち歩いて仕事をした。
一度家に帰ったら、力が抜けて、職場に行けなかった。

お客さんから電話がかかって来て、われにかえって、もうだめだ、交代になる、でも正直に言うしかない…、もうしわけない、傷つけてしまった、ああ…。と思いながら言った。

悲しい気持ちで授業をして、親御さんに謝ったら、思いがけず、優しい言葉をかけてくださって、これからも教えていただきたいから、無理だったら、授業の日をずらしてもらっても大丈夫ですと言ってもらった。
わたしの体調の心配までしてもらって、ありがたいというか、申し訳ないというか、なんて優しいんだろう、と思った。
これからも、誠心誠意、尽くそうと思った。

一人で何もかもやっている気になるけれど、お客様にも助けられているなと思った。
がんばろう。

夜はヨシケイから届いた野菜を食べた。
数日、野菜を食べる余裕もなかったなと思って、しみじみ食べた。
こういうサービスも、人がいて、働いてくれて、本当にありがたいなと思った。


お金で自己肯定感を買う

t.co
このエントリすごく面白かったです。
わたしなりに要約すると、自意識過剰って、外側からしか見ていないし自分のことも外側しか見ていない。
だから、周りが敵だらけに感じる。内面に目を向けてない、って話で、わたしは内面てなんで必要か不思議だったから、こういう風に説明されると分かると思った。

わたしは定期的に「すごい人」「普通の人」になりたいと思うときがある。
なるのだけど、「すごい人」「普通の人」って像が、だいたい同じで、しかも、なんだか漠然としているのだった。

わたしがすごいと思って尊敬する人を目指したい、とかじゃなくて、断片的に「この人は正社員だ…」「この人は自営業だ…」「この人は一流企業だ…」「住んでいるところがおしゃれだ」みたいな感じでほんと浅いんですよね。
浅いし、「正社員だけど残業がサービスらしい」「自営業だから苦労もしている」「一流企業だからプレッシャーもある」などの裏、内面に目がいかない。いかないで、ただ、うらやましがってる。表面だけ、良いところだけ見て闇雲にうらやましがっている。

自分がすごいと思う人がすごいってことなんだよ、と教えてもらって、そっか!と思った。
で、わたしは自分の軸があまりないなと思った。

女の人は、自己肯定感をお金で買っている。
それで、優しくされたり、ちやほやされたりして、「やっぱりわたしは、大事にされる価値があるんだ」って噛み締めて、また厳しい生活に戻る。
お金を払って褒められても、それに対して、卑屈にならない。
男の人はそういうの、「バカ」みたいに思うかもしれないけど、男の人はお金で買った自己肯定感を「嘘」みたいに思う。それでいて、お金で褒め言葉を買っても、「嘘」だと思うのに、「褒めたんだからセックスしろ」に変わる率が高いみたいに思う。

塾で働いていると、子どもに自己肯定感が育つためにいろいろな工夫を凝らす。
わたしはそういうの、魔法を使うつもりでやっている。
理屈じゃないし、合理的な話でもない。みんな相性って言葉、当たり前のように使うけど、非科学的でしょう。
そういうの、相性をある程度チューニングして、心に言葉が届くように調節して、子どもの悲しくなった心とか、自分はダメだと思う心とかをねじ伏せて、「できる」「わかる」「すごい」「大事な存在」っていうのを伝える。もう、力技で。勢いとか念力とか祈るとかそういうレベルで。

精神力を使う。

生徒は、わたしがお金をもらっているから、そういうのするって、ちゃんとわきまえている。でも、わたしが言うことが嘘だとも思ってない。本心だと思ってる。それで、自己肯定感をチャージして、また戦場みたいな学校へ戻っていく。

自己肯定感をチャージすると、いろいろなことが腑に落ちたり分かりやすくなる余裕が持てる。塾に意義があるとしたら、わからないところを教えるっていうところが最初にあるとしたら、最終的には生きる力を身につけさせるってところがあって、その途中に、自己肯定感をつける、卑屈にさせない、ってところが来る。

思うような志望校に行けない場合、自分がダメだったから、って思わせない。
そういう筋道を立てて、それから、最後に逆転できるよって、そういう未来を示す。それで、あなたなら、必ずたどり着ける、応援する、わたしも全力を尽くす、みんなで頑張れば必ず出来る、未来は分からないし約束できないけど、あなたにはできる。
志望校で人生が変わったりしない。自分で切り開ける、っていう気持ちを念じる。言う。
言っても、念じてないと、心に入らないし、自己肯定感が低いと、「嘘」だと思って、「でもダメ」ってなるから、そういうのが入る土壌作りからする。

こういうのは、魔法だと思う。魔法使ってると思う。そして、「おかあさん」「おとうさん」も自己肯定感が少ないと子どもにダメ出しばっかりするから、そのケアもするようにする。というか、子どもに自己肯定感が育つと、おかあさん、おとうさんも余裕ができて、ちょっと自己肯定感育つ。

こういうことをすると、わたしの精神力がなくなる。
それでどうするかというと、自己肯定感を買いに、チャージしに、マッサージに行く。
自己肯定感がすり減ると体調が悪くなって、疲れちゃって、勉強を教えるていう、最低限度のことしか出来なくなる。
わたしの弱い面を見せることで、かえって子どもが良くなる場合もあるんだけど、できれば良い状態を見せたいから、お金払う。
お金稼ぐためにお金使う。

こういうことしてたら、内面が大事だと思うようになる。

それでも、まだ、わたしは、外から見て、「すごい人」みたいになりたいと、ふわっとした気持ちになって、焦ったりする。
だけど、それも、お金が入ってくるとまぎれるから、お金も魔法みたいだと思う。
お金あると、自信がつく。稼げたり評価されたりすると嬉しい。
のめり込む人がいるのも分かる。
そして、仕事以外の場所も作っとかないとヤバいってのも思う。

内面、なんで必要かと言うと、外側ピカピカに磨くために、もいるし、外側がピカピがじゃなくても幸せな気分になって、また頑張ろうと思うためにいる。
そして、誰かの気持ちを動かして、誰かの能力を伸ばすためにもいる。
それがわたしの仕事だから、内面は大事。
内面を育てないと、子どもの勉強ができるようにならない、って経験をしているうち、わたしも育って来たなと思う。心。


聞かれたことに答える

塾で教えていて、今、ブームなのが「聞かれたことに答える練習」「図を書く練習」だ。
構造を図に書けたら、何を聞かれているのかわかる。

生徒は、正解を書こうとして、焦って、問題を読まない。
だから、正しそうなことを書いていても、不正解になる。

聞かれたことをきちんと理解して、それに対して答えることができたら、必ず正解になる。
とてもシンプルな話だ。


常識がわたしに何をしてくれただろう

常識的に生きようとしたけれど、無理だったので、あきらめようと思う。

「結婚して働きながら子どもを産む、育てる、愛するパートナーと老後を穏やかに過ごし、ときどき好奇心を満たすために海外へ遊びにいく」というのが、わたしの考える常識的な夢だったのだけど、あきらめようと思う。
(常識的でもないかもしれない、これは単なるお金持ちになりたいっていう夢だ!)
言葉にするとすごい夢だ。あと、一部上場企業に入社して、バリキャリになりたいという夢もあった。
他人と暮らしてみて、イライラしたし、一生イライラしたり惨めな思いをするのは耐えられない。
ちょこっと家事担当するのは楽しいけれど、なんにも見返りをくれない相手のために尽くすことは耐えられない。
心が死ぬ。
心を麻痺させたら、愛していたら、それ自体が見返りなんだよ♪と思えるかもしれないけど、手間と愛と関係ないし。

万が一、言葉が通じて、穏やかで、自分のことを自分でするパートナーが現れたらまた考えよう…。いないとも限らないし。

言葉にすると私の夢は安易だし、実際やったら辛そうな夢ばかりだけど、それに耐えられる精神力と体力込みでほしかったし、目指していて、頑張っていたのだ。

「治る」「克服」するの目標のハードルが高すぎて疲れた。

金曜日に、あきばれに電話して一時間後にはもう「ベシー占い」って名前でpdfのサンプルもらったときに、あれ、トントン拍子に行くな、この仕事はうまくいきそうだと思った。コンサルタント込みで五万円くらいなのだけど、ベシー占いってネーミングだけで五万円払っていいなと思ったし。名前は大事だ。自分で考えたら「ベシー魔女の占いの館」とかになるところだった。ヤバい。
それで、あきばれのコンサルの人は慣れていて、良い人で、まじめだった。

五時に会社がしまるってホームページに書いてあって、本当に電話が留守電になっていたから、ITのくせに良い会社だな、社員を愛しているな、安心だ!と思った。

会社から大事にされている人に作られたホームーページって安心な感じがする。
良いパワー持ちそう。
死にそうに働かされている人の作るものって何か怖い。トラブルありそうだからいやだ。

占いなんて興味の欠片もなかったけど、ヒプノセラピーとか、レイキヒーリングとか、パワーを充填するわけわかんないなにかをしているうちに、わけわからないパワーが身に付いて、それでわけわからない仕事を始める。
それで、わけわからないのに、需要はあるんだなーと思った。
わけわからないことって、やる人少ないしな。名前ついている仕事したいもんな。

慣れて来て、流れも確立して来た。宇宙とつながっている感じがするとかあやしすぎるけれど、別につながっていても、いいじゃんね、害もないし…。そういうわけわからないこと、あるって立場とないって立場がある、あって、わたしは今までない立場だったけれど、今は「ある」立場になってる。なってるけど、別にあっても邪魔にならないし害もないし、それで仕事になるなら良いじゃん、と思った。

わたしが宇宙とつながっていたり、空間とか時間とか越えていろいろ見えたり、人のからだの中で起きていることを見ようとしたりするとみえたりするってのは、妄想かもしれない。妄想じゃないかもしれない。でも、わたしが今ディスプレイ見ていることだって妄想かもしれない。だんだんいろいろ曖昧になる。だから、同じで良いじゃんって割り切ることにした。繰り返すけどそれで誰かを傷つけたりするわけじゃないから。

普通を目指してたけど普通にならんかった。
普通っていろいろありすぎて何かに合わせるとどこかがはみ出してうまくいかなかった。
普通ってやつが幸せなんだと信じていたけど、そうでもないし。
普通の象徴だったコンビニ店員も別に幸せそうじゃない。

お金が稼げて生きていけて、それで良いじゃない?
お金にいろなんてついてないし、どうやって稼いだかも関係ない。人を脅したりだましたりしているわけじゃないから。
占いをしたい人は、納得したかったり、話聞いてほしい、とか、何か覚悟決めてくる人が多い。曖昧なりに、純度の高い曖昧を抱えてくる人が来て、それを純度の高い曖昧です、って伝えるような仕事。不思議を不思議ですねと相づち打ち合うような共同作業みたいな。不思議を不思議と言い合える人っていないものね。でも、何かの兆候とか流れとかバイオリズムだとか当たり前みたいに語られているけど、やっぱりある。気圧で体調が変わるのだって、最近当たり前みたいに話されてたけどちょっと前はそういうのだってオカルトだったし。
宇宙とつながってるとかも、地球規模で気圧がどうのこうのと同じジャンルの話で規模が違うみたいなことじゃないかと勝手に思う。

常識はわたしにお金をくれなかった。承認もくれなかった。感謝もしてくれないし。とにかくわたしを邪魔者扱いした。普通になれって言う人はわたしにだめだしばっかりだし。

非常識の世界はいいな。おかねになるし、楽しいし、分け分からない話できるし、わたしの言うことわかってもらえるし。褒めてもらえるし。塾だって非常識な世界だ。理屈上には教科書に書いてあることしかテストにでないのに塾来るのって変だけど当たり前みたいにくるし、効果出る。あれも魔術だと思うなあ。分析したり、アドバイスしたりして、励ましているけど。物理的にからだが近くにあって、励まされると、一人だと、問題を読むことすら難しかったのに、取り組んでしかも解けたりするから、魔法みたいだねって生徒と笑い合ったりする。
わたしが教えると成績上がるのだって魔法みたいなものじゃないか。

魔法で良いじゃん。魔法に不思議はない。わたしは魔法って呼ぶし、でも、当たり前みたいになって、みんな気づかないだけ。はみ出す部分。そういうの、すくいあげるのしたい。それで。非常識になっても良い。良い常識もあるけど生きるのに邪魔になる常識はもう良いや。人を傷つけたりする裏の常識みたいなやつ。人との距離を適正に保つための知恵としての常識なら欲しいけどさ。
常識はわたしに何もしてくれなかったから、非常識と友だちになることにする。


先生の白い嘘の感想

先生の白い嘘(3) (モーニング KC)

先生の白い嘘(3) (モーニング KC)

先生の白い嘘(2)

先生の白い嘘(2)

先生の白い嘘(1)

先生の白い嘘(1)

ねたばれあります。

読む前はとてもこわかった。自分の傷をえぐられることを恐れていた。
それなのに、読み終わったらすっきりした気持ちになった。

心の中が生温い波で満たされた。
温かいような。悲しいような。

立ち上がることができないような、ただそのまま座り込んでほっとするような気持ちになった。
自分のからだが思うように行かないこと、脅されること、言うことを聞くことへの自己嫌悪、自分が望んでいたからじゃないのか、緊張性の頭痛、全部経験があった。

id:dsp24ma さんと久しぶりに世間話した。
先生の白い嘘についてと言うわけじゃないのだけど。

差別のことと、一般常識と、数字にこだわってしまうことと、一般就労のこと。

差別のことに彼女は怒っている。わたしは、差別と自分との距離について最近ずっと書いている。
差別する側は楽しい。気持ちが良い。
人のことを操作できて支配できていじめられて利益を甘受できるから。
だから差別をやめない。
差別される側は、差別を内面化する。
その方が生き延びやすいし、自分が差別されているなんてことを認めるのが苦しいからだ。
言うことを聞いていた方が楽。自尊心を守れる方が楽。戦うよりも可愛い方が見逃してもらえる。

彼女は、差別を気にしてセンシティブになることで良いことがあるのか、人に示せないという。
確かに利益はないのかもしれない。

子どもの頃、嘘つきは得をしていた。大人にかわいがられていた。正直者は損をすると思った。
でも、大人になると、嘘つきはわたしを嫌っていなくなった。周りには正直者しか残らなくなって、とても生きやすくなった。嘘をつくコストがかからない。わたしの嘘はうまくない。
正直でいても、優しくもいられる。本当のことを言い続けるのは、痛いことでもあるけれど。

差別をしないと、お互い対等でいられる。対等でいる清々しさはやってみないとわからない。
差別の関係では、お互いイライラする。完璧に人を支配することができないからだ。心を殺されるまで完璧に支配されることは、苦しいからだ。支配されてしまえば楽なのにと思うけれど、それは、どうしても、難しい。支配されきることは。

人は、支配を受け入れられるけれど、何か、心の中に檻が残る。支配する側は不安定だ。他人に依存しないと自己を保てないのだから。

わたしが嘘つきでなくてよかったと思ったのは正直でいたからだから、差別をしなくて良かったと思うのは、差別に対してこまごまと気をつけて生活することを実践しないと経験できないのかもしれない。

今まで普通になりたかった。わたしの普通は、一般就労で、一般就労の象徴はコンビニで働くことだった。働いたが、「普通」の人は、でこぼこしていた。それに、時給も安かった。
一般常識から離れれば離れるほど、その仕事をしている人は少ない。名前のある仕事は単価が低い。名前のない仕事を作ると単価が高い。そう言うことを知った。
サラリーマンになりたかった。なれなかった。
だから、もう、一般常識はわたしになにもしてくれなかったから、わたしは一般常識をあきらめることにした。
一般常識から離れた仕事をした方が、お金が入るから。

自分に正直になって、煎らない鎖をそぎ落とせば落とすほど、自分に必要なものが残るようだ。
わたしに残ったのはお金だ。

お金は面白い。数字が変わるのを見ると飽きない。楽しい。わたしは数字に執着するところがある。一時期ははてブやコメントや、アクセス数に夢中だった。今はアフィリエイトや、お給料を上げることや営業をすることが楽しい。新しい仕事を始める。
はてブでいやなことばを見ている時間よりも、お金のことを考えている時間の方が幸せだし、リラックスできる。

お金には色がないし、わたしに対して、いやなことを言わない。
料理しろとか痩せろとか言ってこない。普通になれとも言ってこない。
わたしが普通でない部分はお金になる。
お金があるとおいしいものが食べられたりマッサージにも行けたりする。
お金なんてなくても良いと思っていたのは気のせいだったようだ。

普通になればなるほど、お金から遠くなるようだ。
わたしが変わっていたら変わっているほど、文章は人に届いていく。
わたしが変わっている部分は、ものごとを正確に、ゆっくりと見るところだ。
みんなは忙しいから、急いでものを見る。同じものを見ていても、わたしとは見え方が違う。
だから、わたしは当たり前のことを書くけれど、少し変わっていると思われるようだ。

その一方で、わたしは「普通」だとも言われる。
わたしは、最近どちらでも良くなった。
だって、わたしがわたしであることで、お金が稼げるんだから。

一般就労をしている。税金も上がった。年収が上がったからだ。
今度は、小説の新人賞に応募してみる。文章を書ける能力がある。
自分にとっては当たり前だけど、たくさん書ける人は少ないらしい。サラリーマンには慣れなかったその代わりに文章が書ける。
小説を書いて、送って、落選しても、わたしは損をしない。
書いている間は楽しいはずだ。
楽しいことをして、もしかしたらお金がもらえるのは、わたしがサラリーマンになることを目指すよりも確率が高い。

わたしは受け答えもうまくないし、飲み会でコミュニケーションも出来ない。幹事も出来ないし、大勢の場所が苦手だ。男の人の大声も威圧も嫌いだ。

男の人はからだが大きくて筋肉が強くて、怖いところがある。怖い人か怖くない人かは近づいてみないとわからないから、大きな賭けだ。
だから、最初から怖い方に賭けておく。その方が安全だ。
でも、わたしは人間だから、男の人も人間だと思う。だから、なるべく話したり分かったり分からなかったりしてみたい。
女の人は、疲れすぎている。女の人に男の人のケアはもうできない。男の人が女の人に間違った知識を持っていることを、女の人に訂正させようとする人がいるけれど、それは無理な相談だ。
女の人は疲れてしまっているから。

わたしたちは、一般就労を目指していたけれど、それも思い込みだったから、いっそのこと、しばらく引きこもってみよう。働くことをやめてみよう、と思ったと言っていた。わたしも、普通の形で働くことをあきらめたから、同じ気持ちだった。
働かなくても良いじゃない?と思った。

そのあと、でも、働くのは暇がつぶれるし、生徒も可愛いし、気がまぎれてお金がもらえるし、お金があると遠くに行けるから良いこともあると思った。
生徒の可愛さを見ると、嫉妬で胸がつぶれることがあった。若くて、青春を謳歌しているように見えた。
わたしにはなかった青春を。

まだ綺麗だから。
え、でも、綺麗ってなんだろ!

彼女たちの悩みに付き合っているうちに、わたしの種類とは違う種類の苦しみもまたあって、優劣や重さをつけられないことも、感じて理解できて来た。

子どもに嫉妬する自分。昔欲しかった時間を過ごせる安全な子どもを、傷つけたくなる自分。
わたしが傷つけられたように。
でも、彼女とわたしは違う人間だと言うことも分かっている。
だから、傷つけたくない自分の方がずっと強い。
小さくて可愛いもの。
それを傷つける人を許せない、守りたいと言う気持ち。
区別がつくようになった。
わかった。

日本に生きていると、怖い思いをたくさんする。
酔わせて襲ってくる男もいるし、脅迫して性行為を迫ってくる男もいる。つきまとってくる男もいるし、密集したところで触ってくる男もいる。それを告発すると殴る男もいるし、何か気に食わないことで通りすがりに殴ってくる男もいる。そいつらは、みんな自分の性欲だけで動く。そして、それを「愛」だと思えと言ってくる。そして、自分でもたまに「愛」だと信じている。本当は支配欲なのに。性欲じゃないのに。

わたしの周りにそういう男が多かったのか、どうなのか知らないけれど、通りすがりに暴力を振るってくる男はいるし、歩いているだけで見た目に言及して来たり、金で性行為を迫る男もいる。
逃げると追いかけてくるし、怒鳴る。とても恐ろしい世界だ。知っている人に相談しても、前向きにポジティブにとらえないと、魅力があるってことなんだから、と言われて心が壊れてしまう。
この世は地獄だ。

でも、わたしは泣くことができて、文章を通して友だちもできた。
傷は癒えない。忘れられない。恐ろしい。
だけど、その合間に生きている。少しの瞬間だけ、自由になれる。
そのわずかな自由を、わずかにした原因の男たちを憎み足りない。人が怖くなったり怒りが湧いたりもする。人に苦しめられたときには人に救われるのだとも言いたくない。人には救われない。
わたしはわたしが救う。

感情を出すことなど無意味だと思った。激情のまま動いても何も得がなかった。
得かどうかじゃないことに気づくのに長い時間がかかった。
わたしがわたしに了解を出してそのままでいることをわかるためには、輪郭が必要で、輪郭を作る感情の鮮やかさがわたしを作り出した。
先生は自分のことを救ってほしいと思う。


笑えずうめく声よ、いつか届けと

何が社会運動なんだろうと思った。

少し前まではデモに行く人は特殊な人だった。
揶揄されバカにされ、就職できないぞと脅されていた。
今は時代が変わって、デモに行かないと、社会運動をしていないと言われることさえある。

目立って社会から注目されていなければ、運動ではないのだろうか?

こぼれ落ちるものをひとつひとつすくいあげていく作業はとても地味だけれど。
声なき声が最初にあった。
何が起きているのか、何がおかしいのか、わたしの気分をおかしくするのは何なのか。
不快感とすら認識できないあれこれに、言葉をひとつひとつ作っていくこと。

おかしいことをおかしいというのもとても大切なことだけれど、何がおかしいのか感じ取るのはいつだって弱々しい人だ。世の中に適合できず、迎合できず、もたもたとしてうまく生活できない人。……。

いや、違う、書いていて違うと思った。
わたしには確信なんてない。
違うんだよ、強い人だとか弱い人だとかそういうことじゃない。
どんな人でもどんなことでも起こりうる可能性がある。

強い人、弱い人、そんな区別なんてそもそもない。
注目される社会活動だって、ただ、言葉を紡いで来た人の蓄積があるから、その言葉を使って人の心を動かせるのだろう、と直感で思っただけだ。

昔読んだ本で、ウーマンリブのチラシをひたすら持っていた人がいて、それが歴史的な資料になったという話だった。それだって、社会運動だ。

何が社会運動で、何がそうじゃないのか、わたしには区別できない。
いや、区別してはいけないのだ。

みんなと一緒に笑えない。
隠している過去がある。自分自身直視できない過去がある。自分自身からは逃れられないから、生きていること自体が戦いだ。
そんなわたしや、わたし以外の人々の、笑えないで食いしばる口から出るうめき声よ、いつか届けと。


今日の出来事と占いを本格的に始めること

今日は、朝友だちとラインをして、力つきて昼寝をした。
朝三時に目が覚めてしまったからだ。
不安が強くて、眠りにつけないし、起きてしまう。
緊張しているからだ。
戦争しているみたいだね、と友だちが言った。

それから、精神科に行って、今の話をした。
夜にブログを書くと興奮するから、夜は書かないで、ぼんやりする時間を作る。
頭を使って張りつめて帰って来て、さあ寝る、と言っても無理だからぼんやりする。
休みの日をお金で買うつもりで作る。
今は一日も一週間で休んでいる日がないんだったら、必ず作る。
早寝をする。
今日覚えて帰ってほしいのは、工夫をする、ということ。

最近は、過食もキュウリとセロリを食べることが多いし、筋トレもしている。散財も控えめだ。
ともだちに言われたのは、「壮絶な人生を送って来たから、何かしら歪まないと割れてしまうと思う。それで、その歪み方が過食や散財にでたのは、とても良いことだと思う。
なぜなら、人を傷つけもしないし、復讐もしていないから。それに、前向きだから。
自分の人生を変えようとあがいているから。そういう歪み方だと思う」ということ。それを伝えた。

そう話したら、散財も必要だ、と先生が言う。
「その友だちは面白いことをいうね。
お金を使うのは大事なことだし大切なことだよ。お金を使うと楽しい。楽しいのは大事なことだ。お金がなくなってしまう、というのも経験しないといけない。今月30万無駄遣いしたから、来月は5000円しか無駄遣いできない、そういうことで良いと思う。練習と工夫をしていきましょう。その友だちの言うことは、良いことだね。本当にそうだと思うよ。
強くないと、こういうアディクションにはならない。人のことも自分のことも傷つけてないからね。
けがもしていないし。お酒にも逃げなかったのは良いことだ。
人は一生をかけてお金との付き合い方を学ぶんだよ。だから、その過程だと思って、工夫してください」と言われた。

それから、子どもが欲しかったことについて整理が出来たので話した。
「わたしは子どもが好きだから、子どもが欲しかったのです。そして、それで焦っていました。でも、焦るのやめることにしました。焦って、悪いことが起きたし。世の中で何歳ころには生まないといけないとか、言うから、焦っていたけど、焦ってパートナー見つけるのは良くないとわかった。
それに、子どもを産んでから、やっぱり無理だ、とか、キャンセルできないってことを考えた。
疲れたりしんどかったりするから今日は無理とか休めないのは、今のわたしには難しい。
やれば出来るかもしれないけれど」と話した。

「結婚したり子ども生んだり、というのは、世間のことだからね。世間が思っている正しい形にならなくても良いんだよ。どうしてもこの人の子どもを産みたいと思ったらシングルマザーという道もあるから、考えすぎないで保留で良いと思うよ。結婚しているからえらいとかないからね。確かに、子どもはキャンセルできないよね」と言われた。

「子ども成分は、仕事で取り入れているし、子どもの良い部分可愛い部分だけ今吸収できてて、それで元気になって来たから良いと思う。それともっとお金が欲しい」

「お金が欲しいって気持ちはきりがないけど、まだ若いし、これからの目標と言うことでよいんじゃないですか。僕だって、お金稼ぐのだったら、新患たくさんいれて、十分で切り上げて、話しなければ良いんだけど、それだと誰も治らなくて、ゼロだからしない。治療にならない。治療のためにしているから」という会話もした。

「からだの感覚を取り入れるために、いろいろ工夫しましょう。ストレッチとか体操とか、マッサージとかいろいろ、やってみましょうね」ということも言われた。

そのあと、整体に行っておしゃべりした。

「国家公務員になったりして、裕福な暮らしをしてみたかったですよ」と話した。
「そういう人がうらやましい気持ちがどうしてもある」と話した。

「c71さんには、全然公務員向いていないと思うなあ。人には向き不向きがあって、向いている仕事についている幸せもあるんだよ。c71さん、お金がほしいならね、占いだよ。占いは向いているんだから、もっとシステムチックに、きちんと仕事としてやったら?ホームページを作って、手順も決めて、お金の流れもはっきりさせてさ。おれは、ずいぶん占い受けたんだけど、それでどいつもこいつもだめだったよ。誰にでも勧めるわけじゃない。100人いて一人に勧めるかどうかくらい、それくらいだけど、向いているよ。能力もだけど言葉の選び方にセンスがある。
本当のことなんて誰も望んでいないし、百発百中なんてしなくても良いんだよ。
猫の柄当てたり、膝が痛いかとか、そういうこと、当てられるじゃん。
その流れでついでにひとつ大切なことを伝えれば良いんだよ。そういうのできるし、向いてると思う。
話が面白いし。
だいたい、金銭運、人間関係、健康運、仕事運くらいのことを見てさ、それから、質問聞けば流れとして良いんじゃない。
あと、あんまりサービスすると、リピート率下がるから気をつけてね」
と整体の先生が言ったので、
「じゃあホームページつくって、ちゃんとやるようにします。先生はどこの業者に頼みました?」と聞いたら、
「ブログdeホームページってところにうちは頼んだよ。五万円くらいで作ってくれて、部品を使って自分でいじれるんだよ」と教えてもらった。

それから、整体の先生が、最近リクルート経由のお客さんが来ないと言っていたので、ちょっとしたお祓いをして、清めて人が入りやすいようにした。

そして、家に帰って
http://www.akibare-hp.jp/
www.akibare-hp.jp
あきばれってところに電話した。

いつもにはない行動力でびっくりした。
ベシーがいた頃は、彼女が寝ている間に営業をしていてくれたから、こういうことは必要がないのだけど、今は、いないから自分でやる。

仮のホームページを二時間後に受け取った。
作ったのには10分しかかからなかったのだと言う。
そして、コンサルタントもしてくれるそうだ。ホームページのタグくらいは打てるけれど、わたしはコンサルタントを受けてみたいと思った。
話していて、好きな感じの人だから、占いの商売について、話せる相手として良いと思った。
占いはできるけれど、どうやって、「仕事」の形にするのかはわからないから、そういうのの相談にまでのってくれるんだと感激した。
ホームページのことだけじゃないんだ。

最近、関わる人はみんな親切だ。それに、わたしの知らなかった良いサービスも教えてくれる。
こういう感じはとても良い。
今日は仕事も少しだったから、あまり疲れなくてすんだ。
ホームページは三週間後に出来るようだ。

本気で、まじめに、占いに取り組む気持ちになったのが、今日一番大きな変化だ。


嘘とコミュニケーション

皮膚科の先生が「普通、コミュニケーション能力っていうときには、自分にどれだけ嘘をついて、人に合わせて、我慢できるかを言うんじゃないかな。
たぶん、自己開示という意味で使っている人ほとんどいないと思うよ」と言った。

そうなのかーと思った。

それで、嘘について、コンビニのオーナーさんにも聞いてみた。
「嘘をつく人や印象が悪い人は、大人だと採らないけど、高校生なら採っちゃうね。あー、この子印象悪いなーと思っても、成長するし変わるからねー。嘘ついてもね、ああ、分かる許せる嘘なら、良くなること多いしね、信頼関係が出来ると嘘つかなくなるし。ちゃんと時間通りに来てくれさえすれば良いんだよ。それか連絡してくれたら。愛想が良くて嘘つきの子はだめだね」と言った。

わたしも生徒を教えていると「調子のいいことを言う子」って要注意だと思ってる。
調子のいい子、感じのいい子は、相手に合わせた嘘をついてその場をやり過ごして、あとからもめ事を起こす。

働く前は、嘘つきは良い思いをしていて、正直でいることで馬鹿を見る、と思っていた。
人にかわいがられているように見えた。
だけど、普段の暮らしの中で正直を通していると、嘘でも良いから耳障りの良いことを言ってほしい人たちはいなくなって、耳に心地よくなくても本当のことを言ってくれる方が良いと言う人たちが周りに残った。

正直を通していたら、人に信頼されるようになった。
塾の営業も普段から正直に言うようにしているからか、言うことに説得力を感じてもらえている気がする。
いつも正直でいるから、「この夏期講習が必要です」と言うのも「本当に必要で言ってるんだな」と受け取ってくれている気がする。
正直でいるためのこつは、言い回しやものの見方を広くもつことだ。
そうすると、相手は気を悪くしない。
そそっかしいから、問題を良く読まないから間違える子だったら、そう言うし、どう伝えるかと言うと「右足を出してと言われても、右って単語に反応して右手上げちゃうみたいな間違いが多いんですよ」というと、保護者の方も「そうそう、この子そういうところがあって」という話になる。

成績を上げることも大事なのだけど、成績をすぐに上げられなくても、生徒のことをきちんと把握しているってことで十分補えると思っている。成績が伸び悩む時期というのは必ずあるから、その間、親御さんの心配事や悩みを良く把握することが大事だ。
親御さんが一番悩んでいて、相談できる相手もいないし、比較対象もいないから、自分の子育てが合っているか、自分の感じ方や考え方が正しいかどうか、話しをしたがっているといつも感じる。
親御さんは孤独だ。だから、親御さんの力になりたいと思う。

成績を上げられない時期には、計画をお伝えするのも良い。
「今、成績が伸び悩んでいる時期です。
だから、どうするか考えているのですが、点を落としているのは、全部の科目に共通するのは文章題のようです。何を聞かれているか、をきちんと読まずに回答しています。だいたいのことを読み取ってはいますし、知識もありますが、聞かれたことに対応したことを書いていないから、点が取れていないのです。本人はケアレスミスと片付けていますが、ケアレスミスじゃなくて、読み取りミスなんです。

だから、数学や理科を上げたいとしても、文章を読む力が弱いから、まず、国語に取り組んで、回り道のようでも、それが結果的に点数を上げます。
理科は実験の様子が読み取れる力がないと出来ないし、数学も文章を式に翻訳する力が必要で、それは国語の力なんです。また、歴史も教科書が難しくて読めなかったり、ものごとの関連性を結びつけられなかったら、暗記が得意でも、やりにくかったりしますから、そういう総合的な考え方でやります。」と説明して、わかってもらえなかったことはない。

子どもの頃、嘘がつける人がうらやましかった。
大人になってからも、若かったときは嘘をついて誤摩化せる人がうらやましかった。
だけど最近、正直も悪くないなと思うようになった。
働くって言うのは、長い時間人と一緒にいることで、関係も育てていくことだ。
だから、嘘はやっぱりばれてしまう。

本当のところで人付き合いをしていると、ストレスが少ない。
見栄をはることもない。
かといって、卑下することもないし、露悪的になることもない。
今までで一番良い感じだ。


当事者は差別から逃れられない

どうしていつも、女性差別のことばかり考えているのか、怒っているのか不思議に思われることがある。

わたしにとっては、からだに絡み付く鎖のようで、重たくて仕方がないから、いつも気になる。鎖を利用したら良いよ、そもそもそんなものはないよ、といわれるけれど、わたしの目にはそうは映らない。

お金のこと、生活のこと、家事のこと、会話で相手を立てること、しとやかでいること……、全部わたしが思うように生きることを邪魔する。

努力が足りない、という人もいるけれど、その努力って、最初の土台が違いませんか、ということをいつも考えている。

こういう風に、不快だった、と書いてあるのは、前進なのだろう。容姿を強調したことも一度もないのだろう。

c71.hatenablog.com
でも、ここに書いてあるツイートを見ると、たとえ一時的にでも、逃れられる人は良いなあと思ってしまった。

容姿の差別というのは、外部の反応込みなのだ。
もちろん。
その外部を遮断しただけではすまないのだ。
一秒たりとも考えたくないと言って、その通り考えずにすむひともいて、「あれはSEALsとは関係のないひとがやったことだ」と言えること。それは確かにその通りで、じゃあ、どうしたら良いのかというとまた別の話だけど。

容姿差別の話をすると、誰かがありがたいことに容姿差別をしていなかったとしても、それ以外の人は容姿差別をする。
当事者に残る事実は、「容姿差別をされた。守ってくれる人はいなかった」ということで、「容姿差別をしなかった人もいた」ということを正しく認識することは難しい。

行動している人を応援したい気持ちもある。とてもある。
だけど、どうしても、応援したい気持ちと、女性差別に対する感性との差に引き裂かれてしまう。
それこそ「スマホの前でうだうだしていて、何もしていない人」といわれてしまうのかもしれないけれど、わたしは、自分の逡巡が悪いことだとは思わない。
大事なことだと思う。

世の中を変える反差別、反戦運動において、昔からずっと女性差別は軽視されて来た。
それは何、そんなことは大事じゃない、個人的なことでしょ、がまんしたら、それは恋愛でしょ?てな具合だ。存在自体を消されて来た。

何が女性差別でそうじゃないかの区別は難しいけれど、そもそもそれについて考えて来た人がいなかった。

SEALDsは若い。若いから、性差別に対して、新しい感性を持っていると信じたい。
その一方で、運動の周辺にいる大人たちの感度の低さを知っているから、感化されないか、それも恐れている。

当事者はしつこい。人に不愉快な思いをさせる。
それは、当事者にとって、差別が日常だからだ。日常的に不愉快な思いをしているから、だから、話さないと窒息してしまうから、しつこいし、不愉快で、邪魔な存在になる。
それを受け入れられるかどうか。
とても難しい話だ。