正しくなること、良くなること

正しくなる、というのは日々の積み重ねで、大きなことじゃない。

わたしは普通っぽく見せるために、方々にアンテナを張っているつもりだ。
普通っぽくするために払っている犠牲の量が大きいから、他のことができない。
わたしの容量は普通くらいだと思うけれど、普通っぽくいるために、少なくなっている。
でも、そのことは外からは見えないから、単に普通の人が出来ない怠け者に見える。

一人だったら、仕事を頑張っていれば、生きていける。
一人じゃないように生きるとしたら、わたしが今より頑張るか、説明して、わかってもらって、あきらめてもらうか、どちらかしかない。

一人なら、正しくなんてなりたくない。良くなりたくない。
わたしは、今のままでいたい。
少しずつ、わたしの時間のスケールで変化したい。
要求されることはわたしに採って素早すぎて、ついていけない。
ひとつクリアすると、次の要求が来るような気がして、直しても、直しても、永遠に言われ続けるような気がする。
折り合いが付けられない。
どこかであきらめてもらえれば、楽になれるんだろうけど。
わたしは迷惑行動も少ないし、どこかで、勘弁してもらいたい。
そう思っているけれど、それじゃダメなんだろう。
かといって、誰かに何か言われたくはない。

今日恋人に、前から買っていた、リネン百パーセントのジャケット風のカーディガンをプレゼントした。
銀色で、肌触りが良くて綺麗だ。
SHIPSだけど、古着だけど、でも綺麗だったから、上げた。
喜んでくれたかどうかわからない。
わたしにできることはほとんどない。

わたしはとても落ち込んでいるけれど、昨日のことはもうすんだのだろうか?
嵐の後の静けさなんだろうか?
わたしは笑っている。だけど、本当は笑っていていいのか、わからないのだ。


二桁の整数を9で割ったあまりはそれぞれの位の数の和

今日、生徒さんが、二桁の数を9で割ると、十の位と、一の位を入れ替えても、必ず、あまりが同じ数になると発見したので、そのことを考えてみた。

その子は八歳だから、そういうことを思いつくだけで、素晴らしい。

わたしにわかったことは、二桁の数を9で割ると、それぞれの位の数を足した数(をさらに9で割った数)があまりになること。
26だったら、9で割ったあまりは8になる。
62だったら、9で割ったあまりは、8になる。
それは、10を9で割ると、あまりは、必ず1になるから。
10の2倍、つまり20を割れば、あまりは2になる。
10の3倍、30を割れば、あまりは3になる。
10のセット数の数が、9で割ったときのあまりの数になる。
だから、そのあまりの数と、一の位の数を足すと、全体のあまりになる。
89だったら、9で割ると、8+9=17になる。それをさらに割ると、あまりは8になる。
89÷9=9あまり8だから、やっぱり成り立つ。
98÷9=9あまり8。

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けんかとプレゼンとより良くなるための努力が出来ないこと

時間ぴったりに動いて、感情もゆるがないで、淡々とこなせるようになる、機械みたいになりたいと思うことがある。
正しいことだけをするマシーンだ。

昨日は恋人とけんかをした。
わたしが、帰ってからむすっとして、何を言われても別に、と言っていたので、彼がもう出て行くと言ったのだ。
わたしは、メルトダウンしそうだったので、極力しゃべりたくなかった。
でも、治してほしいと言うところがあったらいってほしい、と言われたのでいった。
これは、間違っていた。別に向こうが間違ったことをしているから、イライラしていたわけじゃなかったから。
向こうも、むっとした顔をしているのを見ると良い気分じゃないし、お互いストレスになるなら、離れた方が良いんじゃないかと言った。
病気があるから、と思うと、どこまでいっていいのかわからないし、素直に受け取ってもらえないこともどこまで障害なのかわからない、というので、図解して説明した。
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病気ごと受け入れるか、そうでないか、わたしにはどうすることもできないから、説明を聞いてから判断してほしいと言いました。

これが、その図です。
障害と二次障害の関係があって、認知が歪んでいて、適応できないと言いました。
だから、正しいことを言われても、侵入的に感じてしまって、「じゃあ、代わりに全部わたしの人生を生きてくれ」と思ってしまうことも話しました。
正しいことを言われて、その通りにするのは、わたしのキャパシティを越えるので、容易じゃないと言いました。
じゃあ、こちらは何も言えないの?自分がよくなるために、c71は何もしていないの?と言われました。
ちょっと頑張ればできることもやらないの?と言われました。
こっちも、別に楽をしているわけじゃなくて、頑張ったり、努力したりしているのだけど、それもしないし、してほしいことも無理だから言えないの?と言われました。

そこで、体重と、食べているものを記録しているメモと、睡眠時間と外出時間をメモしているプリントと、「困ったこと→解決法」のノートを見せて、こういう風に行動を改善するために、記録をつけ、自分の気づいたことを実行していると話しました。
話していませんが、お金の問題もあるので、家計簿も付け始めました。始めただけで、続いてないから、まだ話せませんけれども。
人から言われることだと、受け入れられないけれど、自分が気づいたことならできるし、やっていきたいと話しました。

それと、彼の家事の要求水準についてです。
彼はもう少し、わたしに料理をしたり、外部を頼らないで欲しいと言いました。
自分でできるようになること、自分で料理を作ることが一般的だと話しました。
今のところ、彼が作る回数の方がやや多いです。でも、ならせば同じくらいです。
基本的に共働きなので、フィフティーフィフティーが当然です。
そして、今、わたしは料理が出来ないのです。
料理を作るには、献立を考え、食材の買い出しをし、管理をすることが大切です。
わたしは、今までのところ、食材の買い出しと管理をしてきました。
だから、彼もあるものを作って料理が出来たわけです。あるものがあるには、それを買いにいく人が必要で、ゴミ袋や調味料の消耗品の補充はわたしがやっていました。洗濯物は各自、自分の分をしていたし、掃除機はわたしがかけていました。ゴミ出しの日を把握して、ゴミを出したり、排水溝の掃除をしたりもわたしやヘルパーさんんがしていました。
だから、そのことを伝えました。
そして、「結果的に食べられれば良いのだから、わたしは一人だったら簡単に済ますけれど、二人だとそうじゃないから、ヨシケイを頼んで、どちらが料理しても、献立を考えたり、料理をする労力を最小限に減らして、短時間にできるように手配している。だから、ヨシケイを頼むのは、調子が悪くても、どちらかが、簡単に料理できたら良いってことだから、その時点で同じようになるようにと考えているからだよ。それも家事なんだよ」と話しました。
そうしたら、
「それは、あまり良い考えじゃないと思う。結果的に食べられれば良い、というなら、毎食外食する、とうことも良い、ってことになっちゃうじゃん。普通の家庭は、たいへんでも、自分で料理しているわけでしょ。だったら、自分らも、努力して、そうするように目指した方が良いじゃん。
こっちもc71ちゃんが病気だから、あまりどこまで言えばいいのかな、今は出来ないかな、と思っていたけど、やっぱり、もうちょっとというのはあるよ。みんな、俺もだけど、誰でも頑張って、人から言われたら、もう少し頑張って努力して、より良くなろうと思うわけじゃん。それは病気でも変わらないでしょ。

そして、家帰ってから、しんどいから、ベッドでネットするのが必要だ、ということなら、そうなんだろうけど、こっちの都合で、便利だから住まわしてもらっているんだけど、お互いストレスなら出て行った方が良いじゃん」と言われました。
そこで、「たぶん、各家庭によって、その価値観は違っていて、おそらくだけど、親元で生活していて、おかあさんに料理を作ってもらうことが当たり前だったから、毎食手料理を食べるのが普通なんだと思う。でも、わたしは十八歳から一人暮らしをして、ご飯を食べ続けて来たけれど、一食を作るのは楽しいし、簡単だけど、毎日作って食べるのは、そんなに簡単じゃない。特に、一人なら毎日同じ鍋を食べる、ってことももできるけど、二人だと、人に食べさせるものだから、そうじゃないし。
一回分を作るのは楽しいよ。今のあなたの家事はそういうことなの。
家庭によって、いろいろな価値観があって、ごはんは自分で作る、というのが、あなたにとって、当たり前かもしれないけれど、わたしの友だちは、結婚してから一度もごはんを作っていない人もいるし、外食で全部済ませる家もあるよ。
それぞれで、普通ってことじゃないよ。
食べていくために働いているんであって、食べられていたら、その方法は問わないのがわたしの考えだよ。
毎日自炊するのは、そりゃあ、出来たら良いけど、毎日ってすごく大変なことだよ。
そして、家事は、見えない部分の家事があって、わたしはたしかに散らかしていて、整理整頓が出来てないから、イライラさせているのは知っているけれども、掃除機をかけたり、トイレを掃除したり、トイレットペーパーが切れないように買い出ししたりしているの。そういうの、気づいていて、把握するだけでも、家事なんだよ」
「トイレットペーパーは俺も買い出ししています」
「まあ、そうだね。でも、たとえば、ゴミ袋がなかったこと、今までなかったでしょ?それは自然に湧いて出たわけじゃなくて、わたしが買って来たんだし、光熱費も自然と払われているんじゃなくて、わたしが払いにいったり、自動振込に手続きしたりして来たわけ。そうやって、便利にして来たわけ。そういう手間は見えない家事なんだよ。やらないと簡単だけど、やると、いつも家事のことが頭にあることになるから、けっこう煩雑で、複雑なんだよ。だから、栄養バランスのよいものを食べられるように、ヨシケイを手配するのも、家事の一環だし、実際に作るかどうかは、大事なことじゃないんだよ。食べられるかどうかなんだよ。毎日ごはんを作り続けるって、とても大変なことで、一回作る、というのとは質が全然違うんだよ」と言うことを話した。

自分で、ヘルパーさんを頼んで、自分の生活の質が良くなるようにしたのは、わたしだ。
そして、わたしは、今家事を全部やるのが難しいし、ヘルパーさんが来てくれることによって、体調が良くなって、今までより家事が出来るようになったのだ。それには一年時間がかかった。

わたしは、精神年齢が低いから、なかなか、簡単にはいかないし、二次障害で、ずいぶん認知がこじれてしまっている。
だからか、そうじゃないからか、しらないけど、正しいことをそのまま飲み込もうとすると、自分が乗っ取られてしまうような感覚になる。

「普通の人」も努力して、もっと頑張ろうと思っているんだと、彼はいった。
わたしもそう思う。
わたしは、見えない部分で、普通っぽく見えるようにするだけで、かなりのエネルギーを使っている。
基礎が低いから。
昨日はメルトダウン寸前だったからむすっとして見えた。でも、わたしはメルトダウンして叫んだり暴れたりしないようにすることだけで精一杯だった。
「それにつきあわないといけないわけ?暴れたらびっくりするよ。むすっとされたら、やっぱりいい気分じゃないよ」と彼はいう。

だから、わたしは「病気の部分を含めてわたしをとるか、そうでないか、どちらかは、選べる。わたしはそれについて、何も言えない。ただ、わたしは説明するけれど、それ以上のことはできない」
と言った。
彼は、自分が出て行った方がお互いのストレスをなくせて、その方が良いと言った。
わたしは出て行ってほしくなかったので、泣いた。
でも、どうするかは、わたしには選べないことだった。一応頼んだ。
それ以上のことはできないと思った。
わたしは頑張っているし努力しているけど、人の目には見えない。もっとやれるはず、もっと頑張れるはず、という風に見える。それはわかる。それに、こんな面倒な病気や障害を持っているひとと一緒にいてほしいとは言うだけは言うけど、もちろん強制できない。そのデメリットを越えたメリットなんて、わたしには提示できないし。
何年もかかってゆっくりできるようになる、ということをわかってもらうのは難しい。
わたしの障害は人に好かれるタイプじゃないよな、と思った。

とにかく、今日のところは出て行かないらしい。
仲直りはしたらしい。
でも、明日のことはわからない。
そう思うと不安になる。
わたしといたくて、来た、ということはないわけじゃないけれど、やっぱり仕事の都合が良いから、と、一応わたしが恋人だから頼みやすい、ということはあったらしい。
一人でいた方が、安定するなら、一人でいた方が良いんじゃないの、と言われたけれど、別に一人でいた方が安定していたわけじゃない。どちらにしても、不安定なのだ。
今日のところはきっと出て行かない。
明日のことはわからない。


正しくてもしないという選択

最近、睡眠時間や、外出時間をメモしたり、体重、食べたものをメモしたり、困ったことを書いたノートを作ってる。
困ったことノートは、困ったことをノートに書いて、解決策が思いついたときに、答えを書くノート。
そうして、知恵を集結させていくのだ。

こういうやりかたも、前から知っていた。
正しいことを言う人が言うからだ。
でも、今回したのは、わたしが信頼しているお医者さんが、わたしのタイミングを見て話してくれたからする気になった。正しいことでも、伝えてくれる人の人柄や、タイミングでできるようになることもある。

ダイエットも、食べ過ぎないようにすることも、健康診断も、歯医者に行くこともしないといけないとわかってる。
でも、わたしのタイミングでは出来なかった。
反発心がわいたり、いわれたこと自体に混乱したり、出来ないと言って絶望してしまったり。

最近、たとえば困っていることは、昼間眠いことだ。薬を飲んでいるから仕方がない。
でも、ちょっと前は、困っていなかった。
仕事をしていなかったから、死にたくなったり、悲しくなったりすることを防ぐことの方が大事で、眠くなっても、眠れば良く、制約がなかったから、そうしていた。
でも、今は眠いと仕事に差し支えるから困る。

年齢や、場面や、気分で困ってしまうことは異なる。
そして、そういうとき、外から正しいことを言われるといやな気持ちになる。
わたしの問題はわたしの問題だ。
やり方を教わってから、実際にするまでに何年もかかった。

正しいことはいわないでほしいから、正しいことを言う人からは遠ざかって来た。
本当にその選択は正しかったと思う。

いわれたときには、正しいことを言う人には見えない問題をたくさん抱えていて、それだけで精一杯だった。
優先順位も自分なりにあって、そのことを話し合うほどの間柄じゃなかったから、なぜそれをしないのかも、話したくなかった。
そういう、人の気持ちをわからない人の言うことを聞かなくて、わたしは本当にえらかった。
正しいことを言う人の言うことを聞かない自分のことが好きだ。
正しいことを一方的に言う人は、わたしの境界を侵している。
それ自体が正しくないことだ。

わたしが困っていることを話したときに、やり方を教えてくれる人が好きだ。
正しい人はそうじゃないから、嫌いだ。
わたしは正しい人よりも強い。
いろいろなハンデを持ちながら、一生懸命に生活している。正しい人は、そういうハンデがない。
わたしはハンデがあるなかで、調整して暮らしている。それが見えない正しい人は頭が悪い。
わたしはハンデがあると言う意味で弱いけれども、正しい人よりも、精神が強靭だ。
精神病があって、不安定で、苦しんでいるけれども、苦しみを耐えている強さがある。
それは計れないものだ。
正しい人は、実行とか、計れるものとか、目に見えるものが好きだ。
人にはいろいろな事情があって、話せないこともたくさんある。
正しい人はそれを知らないで過ごしているかわいそうな人だ。


正しくてもしないという選択

最近、睡眠時間や、外出時間をメモしたり、体重、食べたものをメモしたり、困ったことを書いたノートを作ってる。
困ったことノートは、困ったことをノートに書いて、解決策が思いついたときに、答えを書くノート。
そうして、知恵を集結させていくのだ。

こういうやりかたも、前から知っていた。
正しいことを言う人が言うからだ。
でも、今回したのは、わたしが信頼しているお医者さんが、わたしのタイミングを見て話してくれたからする気になった。正しいことでも、伝えてくれる人の人柄や、タイミングでできるようになることもある。

ダイエットも、食べ過ぎないようにすることも、健康診断も、歯医者に行くこともしないといけないとわかってる。
でも、わたしのタイミングでは出来なかった。
反発心がわいたり、いわれたこと自体に混乱したり、出来ないと言って絶望してしまったり。

最近、たとえば困っていることは、昼間眠いことだ。薬を飲んでいるから仕方がない。
でも、ちょっと前は、困っていなかった。
仕事をしていなかったから、死にたくなったり、悲しくなったりすることを防ぐことの方が大事で、眠くなっても、眠れば良く、制約がなかったから、そうしていた。
でも、今は眠いと仕事に差し支えるから困る。

年齢や、場面や、気分で困ってしまうことは異なる。
そして、そういうとき、外から正しいことを言われるといやな気持ちになる。
わたしの問題はわたしの問題だ。
やり方を教わってから、実際にするまでに何年もかかった。

正しいことはいわないでほしいから、正しいことを言う人からは遠ざかって来た。
本当にその選択は正しかったと思う。

いわれたときには、正しいことを言う人には見えない問題をたくさん抱えていて、それだけで精一杯だった。
優先順位も自分なりにあって、そのことを話し合うほどの間柄じゃなかったから、なぜそれをしないのかも、話したくなかった。
そういう、人の気持ちをわからない人の言うことを聞かなくて、わたしは本当にえらかった。
正しいことを言う人の言うことを聞かない自分のことが好きだ。
正しいことを一方的に言う人は、わたしの境界を侵している。
それ自体が正しくないことだ。

わたしが困っていることを話したときに、やり方を教えてくれる人が好きだ。
正しい人はそうじゃないから、嫌いだ。


新しい教科を教えたことやできたこと

アトピーがひどいので、走れないなあと思ったので、スクワットを三十回した。すぐ終わった。
これなら、数分で出来る。だから、毎日出来ると良いなあと思う。やるまでは、必死だけど、実際にはたいしたことがない。本当に、ちょっとした、えい、という気持ちさえあれば、運動できる。時間も準備もいらない。気持ちだけだ。何も考えず、習慣にしたい。
また、体重が増えだしたので、運動したい。

ぼんやりしていたら、「走りたい」となぜか思ったので、そのままのカッコウでスニーカーを履いて走った。久しぶりなので、前に走れた距離で息が切れてしまった。すぐに元に戻るんだなあと思った。
走った後、汗をかくのは、気持ち悪いけれど、シャワーを浴びるのは気持ちがいい。
からだも温まるし、悪い気分もなくなって、なんとなく、満足するというか、幸せな気分になる。
幸せな気分は儚いから、なる、ということを強く認識しないとふわっと消えてしまう。

でも、走られて、すごく、すごく、嬉しかった。空気は雨上がりでひんやりとしていて、曇り空で爽快だった。ジャスミンが咲いていた。植物を育てるのは楽しい。ガーベラが、すくすくと育って花を次々に見せる。

この前、地学を教えた。勉強したことがないと思っていたけれど、普段から読んでいる本に載っていたり、大学で習ったことが書いてあったので、高校では習っていなかったけれど、教えられた。
ようするに、言葉がわかっていて、表や図の読み方がわかっていて、説明できれば、それでどの科目も教えられるらしい。
難問を解いてくれと言われることはほとんどなくて、わからない言葉の意味や解釈や定義を聞かれることがほとんどだ。

昨日は古文と現代文をはじめて教えたけれど、それもかなり良く出来た。
思っているより、人は、現代文を読めないんだなあ。
構造と言葉の解釈、比喩を説明した。まさか、それがわからないとは昔知らなかった。
でも、難しいことをさせるよりも、地道に、音読しながら、文章を読解していくと、それで、自分で解けるようになる。

現代文は、「聞かれていることに答える」「キーワードを入れる」ことだけを気をつければ、どんな記述でも読める。
序論、本文、結論の構造を教えて、段落ごとの機能や関係を読み取らせたら、どこに何が書いてあるのかが、わかるようになって、記述が出来るようになるし、論旨もわかる。

古文は文法の、見分け方を教えた。
助動詞と、動詞の区別がついていなかったから、まずはそこから。
名詞+なりだと、動詞だか、助動詞だか、わからない、ということだったので、単に、意味でわかるよ、と伝えた。動詞は動作を表しているから、動作なのか、そうでないのか。動詞が他にもあれば、補助動詞と動詞の可能性もあるけれど、助動詞の可能性もあるとか。

教える前は、難問を代わりに解かないといけないと思っていたけれど、そうではなくて、言葉の定義や意味や解説がほとんどだ。答えを見ながら、その答えの意味を教えたり、どうして、そこに「よって」がないといけないのか、解説したり、素朴な質問に答えることがほとんどで、大きなことは聞かれない。
それにプラスして、ちょっとした、トピックを教えて気分転換させる。

これで、わたしが教えられるのは、物理、地学、生物、化学、数学、古文、現代文、ということになった。
化学と、生物、あと、世界史と日本史もできるようになりたいなー、と思う。
英語も少しずつやっている。
出来ない子には教えられるけれど、センター対策はまだまだだなあ…。悔しい。
高校生に出来ることだから、わたしにもできる、と思っている。
勉強は、あたまが変になってから、すすまないけれど、多重人格が統合してから、本が読めるようになったから、頑張ってみよう。

接客はまだまだだし、人にいい印象を与える服装も出来ないけれど、勉強は、まあまあ、できる。勉強はまあまあだけど、教えるのは得意だ。
できなくても、教えられるから、そこは自信を持ちたい。
自活できていることも、自信にしたい。
当たり前だろ、という心の声よりも、できていることの喜びに耳を傾けたい。

今日は、とにかく、書類を書かないといけないな!



紙パックのアイスコーヒー

紙パックのアイスコーヒー飲むようになった。
無糖の買って来て、牛乳とかアーモンドミルクとか、豆乳入れて飲む。

そしたら、カフェに行く回数が激減し、お金が減らなくなった。そうだったんだ…、と思った。
外食もしなくなったし、自炊するし、あまりお金使わないなー。
古着をネットで買ってしまうのをやめたら、お金たまりそう…。
なかなかやめられないけど。それが一番家計を圧迫している。

いろいろ無駄な習いごと解約した。
その代わりに、占いに関係する趣味を始めた。アクセサリー作ったり、革細工作ったりしようかなと思う。まだしてないけど、きっと楽しい。

今日は、漫画が読めた。この前のグループワークで、ベシーが統合されて、少し本が読めるようになった。嬉しい!!!!信じられない。

機械みたいに感情と体調の変化なくして淡々と働きたいけど、無理だなー。
逆に、そうじゃなくて、自分のためにはたらいているんだから、体調を優先するのが良いんだよね。
最近、いろいろな教科をまかしてもらえるようになり、仕事の幅が増えて嬉しい。何でもやってみたい。

メールの返信が滞っている。
なんか、返信できないんだよね。
アトピーも悪化しているし、地味にしんどい。眠いけど。


ヤバい、ヤバくね、超能力

わたし以外の人はテレパシーで会話している。

「ヤバい」
「ヤバくね」
「ちょーヤバい」
それで会話が通じている。
例えばテスト前で「ヤバい」と言ったら勉強していないという意味だし、それに対して「ヤバくね」と言ったらわたしも勉強していない、という意味だ。
文脈を捉えて、声の調子でやり取りしているのだ。
わたしはそのものまねは出来るけど、通じ合うことはできない。
超能力を使えるなら、言葉はたくさんいらないんだ。
国語できなくても、会話できる人はいっぱいいる。

だから、こつこつ説明する。資料を作るのが早いのはそのせいだ。資料だけは作るのが早いし、プレゼンテーションも得意だ。

「ラックススーパーリッチ」と突然歌いだしたので、相手が驚いた。
わたしは、別に意味もなく思いついたからいった。
不断は人といると緊張しているから、そういう奇行をしないけれど、一人でいると「こがねむしーは金持ちだ」とか、わけのわからない歌や独り言をぶつぶついっている。別に理由なんてない。いうと落ち着くだけだ。

奇行や反復動作をするのがわたしだけなんて知らなかった、知らなかったと言えども人前では出さなかった、そして、わたしには超能力がない。


生きやすさ、生きにくさ

今日読んだブログのエントリ、面白かったです。

SADの私が あり得ないヨ、これって! と思う状況あれこれ | 社会不安障害と向き合う
わたしも人のいないところいないところを選ぶので、とても共感できました。
パーソナルスペースが広いのかな、と思っていたのですが、別に不便はないのです。
それに、「あの人ひとりでかわいそう」と陰口を叩く人は、同じ価値観で、一人でいることを忌避するので、不便そうだな、と思うことが多いです。
一人は楽しいし落ち着きます。
たまに人といると楽しいです。

t.co

わたしが明るい障害者になったのは、小学生高学年の数年、集団に受け入れられた経験があったから、それからつらいことがたくさんあっても、人と関わることが普通、と思えたんだと思います。
とっぴな行動をとったり、人の興味を引くために、変なことをしていたけれど、自由な感じが良いと言ってくれる友だちもいたし、わたしの良いところを教えてくれる友だちもいました。
自己嫌悪していると、弱っているところにつけ込んでくる悪い人が多いなと思います。

t.co

手芸や工作、図工や美術をいろいろ経験してきました。
わたしは今でも母のことを苦手ですが、そうしたことをさせてもらったことは無条件で感謝しています。
わたしの脳がおかしくなって、本が読めなくなったとき、図工や、手芸屋、革細工、図工、美術に逃げられたのは良かったなと思います。
自己表現すると、心が明るく、すっきりします。元気が出ます。
なぜかはわからないのですが。
普通に生きていると自己表現なんて邪魔なだけ、という風に思いますが、でも、弱ったときには、そういう無駄な部分が助けになって、生きることの喜びを思い出させてくれます。
それには、たっぷりとした時間が必要で、自分の頭の中で起きているすべてのことが、大切で、それにたいして、価値判断できないなと思います。

これは、ある意味ショックで、下記のエントリでいろいろ書いていたことがひと言で端的にまとめられていて衝撃を受けました…。がーん。才能がある人はいるんだな。

c71.hatenablog.com
c71.hatenablog.com
c71.hatenablog.com

それと、最近、出産してから、働き口があれば、というか、年齢差別がなければ、みんな人生楽しめるのになと思いました。
ある年齢になって、世界一周してくるとか、そのあと、復職するとか、そういうこともしてみたいなあと思っています。
でもなかなか難しいですね。
少子化対策するなら、子どもを産んだ後、生業を持って、働ける環境を作るとか、お金を国が出すとか、金銭面の援助や、介護と同じで、家事援助を利用できるようにするとか、そういうことが必要になります。
わたしだって、家事援助してもらっているから、食生活や住環境が良くなって、健康面で向上することで、働けるから。それだけで、言いたくないけれど、国やみなさんの負担が減るわけです。
そして、家事援助をする仕事の人にも仕事が回るし、経済が回っていいことばかりです。

男性の福祉関係者の家事能力について、偏見があったのですが、この前のグループセラピーで、昼食を作ってくださったのですが、その手際の素晴らしいこと。プロの家庭料理、という感じで、「ああ、男性も、力仕事だけじゃなくて、家事もうまいんだなあ」と思いました。ヘルパーさんの話だと、家事の研修はないそうなので、自分たちの努力や研究でやっているそうなのです。
だから、わたしは反省しました。

女の人が子どもを産める期間、仕事をするのには批判があるけれど、ひとつの世界にいると、人生が豊かになりにくいと思います。だから、両方の世界を行き来できた方が良いと思います。それは、もちろん男性も。
だから、仕事をしやすい環境を整えて、お金も稼げるようになったら、女の人も子どもを産みやすくなると思います。
男性はたいへんだ、とか、仕事の方が子育てより大変だ、とか、「子育ては大変だと発言する女性はどうかと思う」とか、抑圧をかけあうんじゃなくて、子育てが大変だと思う女性がいたら、どうしたら手助けできるか考えるのが、少子化への対策になると思いますし、それは、みんなが生きやすくなる道だと思います。

今の政府が、結婚さえさせれば、女は子どもを産む、という政策を立てているように思います。
でも、女は生む機械扱いされたとしても、実際にはそうじゃないし、思ったようには生まないでしょう。女は、結婚してもお金がなければ生まない選択をします。国策のために生きている人ってきっと、少ないでしょうから。
だから、そうした方が、よりハッピーになれる、という選択肢をたくさん用意して、しすぎることはないと思うのです。少子化自体が悪いものだとか、よいものだとかは保留しておいて、男性中心社会が女性をあえて貧困の状況に置いておいて、そして、それを養ってやる、という取引に結婚を使うことは、男性自身の首を絞めるし、もちろん女性も選択肢を奪われているので、幸せにはなりにくいです。
前に、セックスワーカーが選択してその仕事に就いたとしても、差別されてはならない、という記事を書きましたが、女性の貧困を恣意的に用意されているのだから、表面上、女性が貧困やセックスワークを選んだように見えても、それを選ばざるを得ない袋小路にあらかじめ入られている結果なんだと思います。だから、その袋小路をなくすことが一番大事だし、他の国がある程度できているのだし、未来は明るいと信じたいです。