最低賃金で働いているけれど

おっさんが風俗で何をしているか知っていますか

すごいむかついたし、気持ち悪かったから、この記事を読んだ感想を書きます。

もうね、何もかもずれている。

本当にね、射精=性行為なんだなあ。貧しい性だなあ。射精しなくても泣いていたって、からだに触ったり二人っきりでいる時点で、性的サービス受けているんだよ。業務以外のことさせられて、女性もかわいそうだよ。感謝するんだったらさあ、そもそも料金以外のことをしちゃだめなんだよ。だから、奥さんにも優しくされないだろうし、それを「愛覚えてますか」つって、奥さんに転嫁している場合じゃないし、子育てたいへんだろうけどって、人ごとみたいに言ってる場合じゃないし、それはたぶん自分の子どもだろうし、そして、自分が奥さんに愛しているって思うんなら、裏切らない方が良いんじゃないか。

もっとも突っ込みどころが多い一文

いいか、30過ぎの男はな、エロいサービスなんてまともに受けてないんだよ。
ベッドに腰掛けて、手をつなぎながらおしゃべりしたり、おっぱいに頬当てたまま黙って泣いたりしてるんだよ。
最後にちゃちゃっと射精することもあるが、しないで帰ることも多々ある。

まず、三十過ぎの男はそこまで性能力が減退しているとは限らないし後半に書いてあるのはすべてエロいサービスであって、これをまともなエロいサービスと呼ばないのは提供者側に失礼である。
本人は、風俗で働いている女性をあがめているかのように言っているが、蔑んでいるのだ。

まあ、こんなことは、古い記事だから言い古されていると思うけれど。

良いんだけど奥さんが、別の男の胸に顔を寄せて泣きながら眠っているのなら。それを彼女が望んでいるなら。そして、それが成り立つならさあ。

コンビニバイトをしていると頭のおかしいおっさんが説教してくる。わざわざ小声でぼそぼそいって顔を近づけると何か嬉々とするのである。
相づちの打ち方が失礼だとか、レジが混んでいるのに人生の話をするとか、けっこう迷惑だ。
年寄りだったら、しょうがないなあ、と思うし、急がせないけど、壮年の男性がしているとけっこうむかつく。

わたしはなあ、最低賃金で働いていて、お前のようなやつの話を聞くことは業務にも契約にも含まれていないんだよ!!!!!

最低賃金近くで働いているくらいの店で威張る人は本当に最低だと思う。どこで威張っても最低だと思うけれど、高いサービスを受けたければ、そういうところに行け、と思う。
この国の野蛮人たちは、サービスが無料だと思っているのだ。湧いてくると思っているのだ。

主に感情労働を当たり前だと思っている、そして、感情労働をしろと責められるのは、女性のからだを持つ人々なのである。
そして、男性のからだを持つ人たちは感情労働をしたこともないものだから、感情労働がどれだけしんどい仕事かわかっていないのだ。

感情労働の固まりである塾講師の仕事は、それだけの対価を払われているから、サービスのうちとして、感情労働をする。そのへんのサラリーマンよりも高い時給をもらっている。感情労働を評価してくれる市場っていうのは少ないけれどもちゃんとあるのである。

人間の文脈を読むことが苦手なわたしが感情労働で身を立てているのは、皮肉なことだけれど。

わたしはミサンドリーを爆発させているので、女性の方が男性よりも優れていると思っている。なぜなら、男性が優れているところなんて腕力くらいしかないからである。そして、腕力なんて今やほとんど使われない。体力勝負というが、体力勝負でなんとかなるような仕組みを好き好んで作ったのは、男性である。その時点で、男性の方がアホだとわかる。(体力がなくなるのは、年を取れば同じだから)
女性は、腕力がないので、人類のスタートからハンデをつけられて来た。腕力でどうこうするのは野蛮である。

わたしはミサンドリーを擁護している。擁護するようなことでもないと思うが、ミソジニーに比べて妥当性が高いのだ。わたしにとってはってことだけど。(暴論である)

わたしは男性が怖い。反射的に身構えてしまう。それは、男のからだを持つ人がわたしに危害を加えて来た過去がそうさせる。わたしの経験則では、男のからだを持つ人たちは危険人物で、見ず知らずの男性と関わって良いことはひとつも!!!!!!!!!!!!!!!ないのである。まあ、見ず知らずの人がわたしにしてくれる良いことなんてほとんどないのだけど。
(親切にされたことがないわけじゃないです)(若い人は良い場合も多い)(具合悪いときに席譲ってくれるのは、女性、子ども、若い男性です)
見ず知らずの男性が好き好んで近づいて来て何かするときは、だいたい痴漢である。それか暴言を吐くか暴力を振るうか、説教をするのだ。

女のからだを持つ人が同じことをしても腕力がないから、さして、怖いことはない。だけど、男のからだを持つ人は、リピドーをたぎらせているのかなんなのか知らないが(それが言い訳になると思っている人は多い)、どんな無法も無体もするのだ!!!!

というわけで、わたしは男嫌いである。

最低賃金で働いているのにも関わらず、わけわからない高度なサービスを要求されるので困っている。
女性はだいたい、文句つけるにしても早くしろ、くらいなものだが、男性の場合は、相づちが悪い、あんた最近入った中で一番若いよね?態度が悪い、怒らせたら、何するかわかんないよ、ふざけんな、等の暴言を吐く、などなどする。
本来、コンビニでは誰もが平等である。社会的地位の高さなんて何もない。レジの順番だけが尊重される場である。
そこで、あれこれ言うやつは控えめに言って、「おかしい」。おかしいなんて言葉はわたしが投げつけられることが多いが、コンビニに来る人は、だいたい無防備だ。素が現れるんだと思う。お行儀が悪い人は、男のからだを持つ人の方が多いようだ。

わたしは客から直接お金をもらっているわけじゃないから、客からしたら、わたしがいくらもらっているかどうかなんて、どうでも良いだろう。良いんだろうけど、早いだけが求められる店で、最高級のサービスを受けようと思っているやつは、泥棒と同じだ。

冒頭のリンク先の人の書いた者を読むと泥棒の発想だと言うことがわかる。

ホステスや嬢を「有料の女友達」「有料の奥さん」と書いて、愚痴を吐き出す、笑顔で受け止めてくれる女神、と述べている。

奥さんはセックスマシーンじゃないし、子ども育てマシーンじゃないし、女友だちは愚痴を一方的に吐いて受け止めてくれると当てにして良い相手じゃない。

女を女神にするな、女は人間だ。なんもかんもぶつけられて、いっぱいっぱいになったら、「感情的」だと笑うのだろう。

コンビニ店員だって人間だ。だいたいは笑顔でかわすけれど、それだって、「労働」だ。
誰かが吐き出した感情の始末を、している人間がいて、それは契約上の仕事じゃない。

有料の奥さんと対比させて奥さんのことを書いていたくせに、奥さんのことを「高い買い物」だと言ってみたり、本当に一貫しておらず、論理的ではない。

ホステスさんも友だちの要素を求められても困るだろう。
友だちじゃないんだから。友だちだったら。金、発生しないから。
金が発生しているのに、友だちを有料で買っている、と言うようなことを言うのは発想としてたいへん貧しい。

お金が発生しても友情が発生することはよくあるのだけど、この場合は違う。

だいたい、さくら水産に行っている間、誰が子ども見ているんだ。

最低賃金近くで働いている女に暴言吐くコンビニのお客さんと、セックスワーカーに、性的サービスを求めていないと言いながら、求めており、その上で感情労働を露骨に要求する泥棒とは良く似ていると思いました。

警察とかSECOMとか呼ばれないと思っていて暴言吐くのは、店員に甘えてる、というか、甘く見ていて、自分の社会的地位は脅かされないけれど、弱い者をいじめる快感は得たい、ってことで、とっても貧乏性だと思います。

エントリ、まとまらないけど、終わり。


ラインのスタンプの意味が読み取れないことから始まって

文字の方が楽だ、ということなのですが、実は、文字情報の中にも、察する文化があるなーってことで、以下覚え書きです。

友だちとラインやっていて、気づいたのですが、わたしはスタンプの意味を、書いてある言葉だけで見ているから、ちょっと意味が違って、送っていたらしいです。

やすんじゃえ、っていうのとか、ねむっちゃえ、というのとかだったんで、わたしは癒されるなーと思っていたのだけど、そういうスタンプじゃなかったらしいです。

それから話が発展して、友だちがものを教えてくれるときも、いったん、関係性が切り離されて、言葉の意味だけで受け取るから、すごく重く受け取ってるんだ、ということを説明したら、相手は驚いていました。たぶん、だけど、関係性があるからこそ、言っている、ってことなのを、わたしは理解しないんだなあ…。
それは、梱包の仕方を教えてくれたという話だから申告でも何もないのに、責められているように感じてしまったのでした。そして、そう伝えたら、相手もびっくりしました。
文字通り受け取った上に、「梱包ひとつもできないなんて」という謎のメッセージ(相手が言ってもいないこと)を勝手に受信していたから、傷ついたみたいなんですね。
あと、わたしは完璧であらねばならない、ていうのが、あるらしく、他人から、こうしたら?というのを言われると、けっこう、あたふたする、というか、責められるように感じます。
ぎゃーってなる。
怖い、ってなる。
これはたぶん、実母が、わたしに何か指摘したあと、金切り声で叫んだ経験があるから、わたしに何かを指摘する人は、そのあとわたしの対応如何では、わたしに対して危害を加える、って思っちゃってるだと思います。
そういう反射的なことがあります。

(コンビニバイトでも、口の聞き方が悪い、と言って、そのあと脅してくるお客さんがいます。「笑っていても、口の聞き方ひとつで人は豹変するんだからね」とか言ってくる、あるバーコードはげのおっさんマジきもい。身体的な特徴でののしってはいけないのだけど。向こうはわたしが女だからという身体的な理由で、そういうことを言ってくるのだろう。暴力をほのめかすのは。前にもこのコンビニで一番若いのかな?と言って忙しいのに絡んで来てなかなか帰らなかったし。あとなんか、オーナーでもないのに、そういう役職の人みたいな説教する。
低賃金で働いている人に無意味に威張る人は、全員きもい)

こういうすれ違いってわたしにはけっこう起こっているはずだけど、でも、すれちがったまま、確かめないままのことも多い気がしました。

確かめられる相手だと良いのだけどそれでも緊張します。

人と付き合うのは緊張するなあと思います。他の人もそうなのかな?
そうなんだとしたら、みんなあまり関わり合いにならないで暮らした方が楽な気がします。
でも、そうはいかないから、浮き世は難しいですね。

人の間のなにか、を読み取るのは超音波を聞く能力がある、みたいなことなのかな、ということをその友だちと話しました。

ゲルマニウムラジオで例えると、わたしはコイルの巻きが少ないから、受信しにくい。調子が良いときには、超音波を可聴音域に変換することができるときもあるけれど、そうじゃないときの方が多い。だから、超音波ががんがん鳴っていても聞こえない。
聞こえても、それを言語だったりメッセージだとは受け取れない。
だから、何も反応しない。
一応少しは鳴ることもあるから、一生懸命チューニングして耳を澄ませて、雑音ばかりのメッセージをなんとか理解して、その上で、判断して反応して行動しようと頑張っている感じ。
超音波があること自体に半信半疑だから、それにかける労力が不毛に感じてますます疲れるし、周波数も知らないから、偶然を待つ以外ない感じ。

人の間のことを察することができる人は、コイルをぐるんぐるん巻いてあるゲルマニウムラジオで、水晶もびりびり振動するし、超音波もがんがん可聴音域に変換できる。そしてその聞こえた情報を聞いた瞬間、反応するからそれを止められない感じ。そのラジオにはスイッチもないから、聞こえない状態にもできないから、疲れるけれど、うまく使えば利用もできる感じ。でも、常にメッセージが垂れ流し状態だから疲れる。メッセージが着たら、無視するにしてもなんにしても一回、判断、っていうフィルターを通さないといけない感じ。

なのかなあ、と思いました。

コミュニケーションの間にあるものが、見えない、聞こえない、感じられない、ってのが、あるかなあ。
感じたとしても、それの意味が理解できない、というか…。
例えば子どもの頃は険悪な状態とかいじめられていることはわからなかったけどいやな気持ちにはなった、ただ、その気持ちに名前を付けられなかった、ということとか、今は学習して険悪な状態には気がつくようになったけど、どうしてそういう状態になったかが理解できなくて一寸先が闇、で、他の人が違う言語で話している気がして、いつも疎外感がある、わたしの知らない話題でいつも盛り上がっている感じがする…、わたしが言ったことの言外の意味を取られて笑われたりすることとかが、つらい、ということが良くある。それとか他の人が言った言外の意味がわからなくて、怪訝な顔をされたりからかわれたりすると、自分の能力の内部分を笑われた感じになって、つらいなあ、と思う。

でも、超音波聞こえる人たちにしたら、好きで聞こえているわけじゃないし、聞こえているからには使う、というか、反応するって感じなのかな…。そうらしいことを言っていた、友だちが。

自閉症スペクトラムの人が言葉の意味をとても優位にする、というのは、コミュニケーションをとる上で、まったく手探りだから、手がかりになるのが、言葉しかなく、唯一手に入る情報である言葉を一生懸命精査して、そこから意味を探し出す、ってことなんじゃないかなあ、と思う。

だから、これは人生の結果でもあることだし、もともと、人の表情や非言語コミュニケーション能力が少ないことのせいで、言葉にすがりつく、ってことでもあるんじゃないかな。

地面とくっつくための碇が言葉しかないから、だからせめて言葉には正確で、誠実でいたいと願う、みたいなことがあるんじゃないかな…と思います。

そして、その言葉を発した人の関係性のことは、つい頭から抜け落ちるので、言葉の内容だけストレートに受け取ることが多いなと思います。
褒められたら、仲の悪い人でも、良い人、みたいになっちゃうのは、それが皮肉で言われたとしても、言葉が「褒めている」内容だったら、「褒められている」ってとっちゃうんだし、それは関係性のことを忘れてしまうから。
忠告されたら、仲のいい人からでも「否定された」になっちゃうのは、言葉が「現在のわたしの行動に対して批判した」という風にとってしまって、その前後の文脈が吹っ飛んでしまうから。

行動をよりよくするため、っていうのもよくわからない。今の行動、が最善だと思ってしたから、そして、それは終わってしまったことだから、それについて何か言われる、ってことがよくわからないから、「忠告」に対して、身構えてしまうんじゃないかなあと思いました。

けっこう、瞬間瞬間で生きているから、長期的な展望がなく、そのため忠告が受け入れにくかったり、それまで忠告される状況と言うのが、静かではなく、発話者の感情的なタイミングでなされることがあって、どうしても避けやすくなるんじゃないかな、と思います。

ラインのスタンプの、言葉の意味はわかっても、絵の意味がわからないから、ちぐはぐなスタンプを送ってしまったりすることも、そういう理由からかなと考えてみました。


ニラとキャベツを食べました

野菜が不足していたのでニラとキャベツを食べました。
それでお腹いっぱいになりました。いつもこんな風に野菜がたくさん食べられたら良いんですけど。

おいしいものを作る、って発想があまりなかったのですが、最近おいしく作ることに目覚めました。

片付けは相変わらず苦手なんですけど、いらなくなった服を友だちに上げたり捨てたりして、少しでもものを減らしました。

それから、手芸で作ったものを友だちに贈りました。発送や梱包が苦手だったので、すごく頑張った漢字がしました。
役所にも行って、手帳と福祉の更新手続きをしました。自分で何をやっているのか良く理解できなかったんですけども、はんこを押してきました。相変わらず書類に関する理解力はありません。

どうして、何でもできるのにこれはできないのか、と聞かれたりもするけれど、わたしにはたいてい理由はわかりません。

もう少し痩せたいなと思いました。


手芸をしました、昼間眠りませんでした

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ハンドメイドのブローチを作ったり、コサージュを作ったりしました。
だんだん、細かく、上手に作れるようになり、デザインも凝ることができて良かったです。

今日は、医者に行って薬局に行って、市役所に行って手帳の更新をしました。
それから、手芸もできたので、たいしたものです。

昼寝をしなくても、生活する、というのが今月の目標だと言うことを、お医者さんと話し合いました。
寝過ぎ、っていうことと、寝ないと疲れてしまうんじゃないか不安だ、と言うことを話したら、習慣だから、大丈夫と言われました。
これから、睡眠の管理をしようと思います。

昼間寝ないという点から見ると今日は眠らなかったので、けっこう良かったです。
友だちに上げるコサージュも作れたし、メルカリにも出品してみました。
楽しいです。


満ち足りたわたしの空洞

感想を書きます。感想というか、関連した話、だと良いのだけれど。書いているうちにずいぶんテーマがかけ離れてしまいました。

fuhouse.hatenablog.com

わたしの母は、わたしを進学校に入れることにこだわった。
彼女は短大を出ていた。
本当は四大を卒業したかったのだと、ぽつんと言ったことがある。

彼女は農村で育ち、彼女の同級生の中で、大学に行ったのは、彼女と、校長先生の子どもだけだったそうだ。

彼女は、東京に出て、何年か働き、そして、嫁いだ。地方都市へと。
彼女の生まれ育った土地よりもずっと都会で、でも、東京よりもずっとずっとずっと田舎。

彼女は住む場所を決めた。進学率が一番高い高校の近くに住むと決めた。
だから、わたしは、生まれたときからその高校に行くことが決まっていた(当時は私立中学がなかった)。
田舎では、高校の選択肢が少ない。東京の大学に行こうと思えば、医学部に入ろうと思えば、東大に入ろうと思えば(どちらにも入らなかったが)、その高校に入るしかほとんど選択肢はなかった。

徒歩圏内に、そういう高校があるように、わたしはお膳立てされていた。
環境に恵まれるように、彼女が仕組んだのだった。
彼女が望み、選び、決定したから、わたしの人生があった。
当時、彼女の徒歩圏内には、高校がなかったから。
女には教育はいらないと言われていたから。
そんな中で、受験し、失敗し、短大に行くことになったから。
だから、彼女は自分の子どもには同じ轍を踏ませたくなかった。
そう、彼女は長い年月をかけて、わたしに伝えた。

わたしは彼女に勉強の仕方を仕込まれた。

勉強は簡単だ。特に入試勉強は。
小学生の頃から、きちんと毎日漢字の練習をして、本を読んで、100マスかけ算を一分以内で解く練習を小学生のうちにしておけば、勉強の習慣がつくので、中学生になるころには、だいたいどんな学校でも受かる。
彼女はわたしを塾に入れたがっていたが、わたしにはそこまで体力がなかったので、塾には行かなかった。それでも結果には何も影響しなかった。

手に職を就けることも、仕事をするという概念も何も身につけないまま、わたしは高校に進学し、そして、卒業した。

浪人を許されなかった彼女は、わたしを浪人させることにためらわなかった。
わたしは高校生のうちに体を壊して、高校に通うことが難しくなった。なんとか卒業はしたものの、受験勉強をする余裕はなかった。彼女は、当たり前のようにわたしを東京の予備校に入れた。

結局、わたしはからだの調子が回復しないまま、予備校をやめて、地元に戻るのだけれども。
わたしのからだが回復しないことを見て取った彼女は、わたしを理系の大学に入れることをあきらめて、私立の文系の大学に入れることを決断する。

わたしは勉強ができればどこでも良かったし、大学の選び方と、人生の関係がどうなるのか、ピンときていなかった。

今思うと、父も、母も、学歴と、自分の人生の関係があまりにも重かったのだろう。その重さが、彼らの口を重くして、わたしを自由にした。

わたしは自分で、どこまで選んでいたのかわからない。いつも、何も考えていなかった。
役に立つことや現実的に必要なことを考えていなかった。
わたしが考えていたのは、夢みたいなこと、空想、過去のいらだち、泡みたいな喜びや悲しみ、空気のにおいの変化なんかをいつも考えていた。
具体的に、自分がどう生きるかなんて、考えていなかった。

父と母は、それぞれシビアに、自分の人生を設計しながら生きていた。
誰も頼る人がいなくても、生きていけるように、考えたのだと、二人ともそれぞれ教えてくれた。

それなのに、わたしにそういう発想がなく、ただ、与えられた環境を贅沢に享受していただけだった。それは申し訳ないような気がする。そして、実際、そのことで何度か後悔する。

どこまでも広く何を選んでも良いよと、言われて、そこから選んだ。

わたしは、最初から、生まれたときから、どの高校に行くのか決められていた。そのために、わたしの母は住む家を選んだ。父は、少しランクを落とした高校に行った方が楽に過ごせるよと言ったけれども、母はそれを許さなかった。わたしもそれは望まなかった。そして、母は高校に入学したときに、「これは通過点だから喜ぶな」と言った。
わたしはその言葉がただただ悲しくて、いや、悲しいと言うのも違う、自分の気持ちにふたをして、それからうまく笑えなくなった気がした。

真夜中に、勉強をしていると、音もなく、部屋にするりと入って来て、背後に立って、わたしが勉強している様子を監視する母の気配。
わたしにはそれが忘れられない。
彼女の金切り声。
ひとりになれるのはお風呂の中だけで、シャワーを浴びながらすすり泣いていた。

母とわたしの人生は巧妙に混ざり合わされて、母が実現したかった人生をわたしが歩んでいる気がするようになった。
母が、わたしに勉強の仕方を仕込んでくれたことと、わたしが進路を自分で選ぶことを手放して、母に選んでもらうことの方が楽だ、争わなくてすむから、と思い始めることとが、わたしを引き裂いた。母がわたしに与えてくれた過去と、母がわたしから奪っていく未来とが、解離し始めた。
厳しかった勉強についての、姿勢は、わたしの将来のためだと言っていたのに、わたしの将来は、わたし自身のものではなくなっている、とわたしはどこかで思った。だから、その後、母とわたしは別離する。

わたしは学ぶことが好きで、大学に入ってからは、ずっと勉強していた。遊び方も知らなかったから、アルバイト、という発想もなかったから、毎日毎日図書館にこもって、本を読んで、大学の図書館にしかない、専門書を嬉々として読んだ。そのことが、将来にどう結びつくかなんて、何も考えなかった。勉強とはなんと面白く、自由で、美しいのだろう。胸を躍らせるのだろう。わたしは喜びでいっぱいになった。喜びで毎日はち切れそうだった。
思考することが、とにかくわたしを自由にした。
自由がどれほど、気分がいいことなのか、はじめて知った。
ひとりでする勉強は、わたしを孤独にして、自由にし、生きる喜びを与えた。

勉強することと、学歴と、それをうまくつかって、自分の将来の収入を上げることとが、わたしには何も関連しなかった。

ここまでお膳立てされていたのに、わたしは母の気持ちも、父の気持ちも、わからなかった。
裏切ったのだ、とあとになって知った。

わたしはただただ、勉強をすることが夢のように楽しかった。

卒業が近くなった頃、就職の選択肢はたくさんあったはずだけれど、わたしは就職活動をするという発想がなかった。
まだ勉強がしたいと思っていた。
あのとき、就職活動をしていたら…、と思うことが良くある。
わたしは世の中の流れや、人生の流れ、を理解していなかったのだった。まさか、わたしが、大学を出たら就職をするものだ、という当たり前の社会通念さえ知らないほどの世間知らずに育ったとは、父も母も思わなかっただろう。

わたしはそのころ、精神も心身もぼろぼろで、勉強は寝ていてもできるからなんとかなったものの、働くほどには丈夫ではなかった。母は「お願いだから就職しないで」と言った。
わたしはそれに従った。(なんと愚かだったのだろう)

母は、わたしを愛していた。そして、わたしの人生を蹂躙していた。さらに愛玩していた。
彼女は、彼女の人生をわたしにやり直させながら、わたしを手元に置きたがっていた。

彼女の母は、田舎育ちだったけれど、子どもを大学に入れることに執念を燃やす人だった。
だから、子どもを全員都会に出した。夜も昼も働いて。

その精神が、わたしの母にもあった。そして、彼女は、大学に子どもを入れる、という夢を見ていた。それが彼女の夢だった。夢だから、その先がなかった。わたしは彼女の夢を具現化した。そして、その先がやっぱりなかった。

わたしはもちろん自分で学歴とキャリアの関係を理解するべきだった。だけれど、理解していなかった。
ふっと、レールが切れた。

わたしはその後、なんとか、小さな会社に就職する。どれだけ不採用になったかわからないが、それでも一度は就職できた。
その後、結局、退職したのだけれど。

わたしは今、塾講師で、あの頃正社員だった頃よりも、使えるお金が多い暮らしをしている。
あんなに、頑張って就職活動したのに、やめてしまった。軽い気持ちで、アルバイトの代わりに始めた仕事で生計を立てている。許されるならば、ずっと続けていきたい。

キラキラした仕事でもないし、派手でもなく、だれかがうらやましがる仕事でもない。収入もそれほど多くはない。
だけど、私には合っている。(労働時間が短く、組織でもなく、裁量が広く、残業がなく、大人の男性と関わらなくて済む。子ども相手)
塾講師になるために勉強していたわけじゃなかったけれど、勉強したことが役に立っている。
そう、大学にいけば、職業選択の自由が広がる、と言うのは、やっぱり真実だったのだ。

わたしが好きな人は、わたしが勉強している間、ずっと、職業人生を着々と歩んでいた。
勉強することと、働き続けて、キャリアを積むことと、どちらが良いのかわからない。

勉強したことは無駄だったんだろうか?
そんなことは思わない。
でも、…そう、少し思う。わたしの勉強したことはどこに消えたんだろう?

わたしが勉強したことはどこかにたどり着くだろうか?

母が望んだような人生を歩んでいない。
職業人生、というものもまだない。

人生のペースがずっと早い人もたくさんいる。早くに働いて、早くに子どもを育てるような。
どちらが幸せかはわからない。
わたしには子どももいないし、仕事上のキャリアと呼べるほどのものもない。

わたしの心の中には広い宮殿のような空間があって、そこはとてもさみしい。
わたしは自分がさみしいことを幸福に思う。
さみしさをさみしさのまま、空洞を空洞のままにしておきたいと思う。
勉強はさみしさを広げていく。

わたしの母は、わたしから遠い場所で生活している。
わたしは、わたしだけの場所で生活している。

わたしは満ち足りている。
わたしの胸の空洞を埋めているものはたったひとつだ。


チャンジャ、餃子、キムチ

今日は四月十七日、c71の日ですね。

今日は仕事早く終われ、と思いながら終わったら、チャンジャと餃子で白飯を腹一杯食べるんだ、という貧乏な感じの希望を見つめていました。

白飯もたくさん食べますが、体重計に乗ったところ二キロ減った!嬉しい!

最近、増える一方だったので体重が減るのは大変にめでたいです。

近頃、仕事が忙しく、緊張がある場面が多かったので、しんどかったのですが、それも五月に入れば一段落する(はず)。

わたしは緊張するとかえって眠くなるのですが、それは多分疲れてしまうからなんだと思います。

退職してから、どうやって転職したのかと言うことを改めて書くと、精神科に入院して、そこの先生に何でも良いからやりたいことをしてお金を稼ぐように、退院したらすぐに働くようにと言われたので、アルバイトを捜して、ユニクロを受けたけど落ちて、そして他のも受けたけど落ちたのでした。
それで、勧められるがままに子ども相手の仕事ということで、塾講師を受けたら受かったので、そのまま続けたと言う感じです。

軽い感じで転職した、そして、そのまま続けた、って感じです。
塾講師で生活できるのかも謎だったし、仕事をどのくらい入れてくれるのかも謎だったし、自分に続けられるのかも謎だったけど他にやることもなかったので、やりました。他に選択肢はなかったのです。資格もないし技術もない。資格が会ったら良いなと思って資格勉強をしたけれども、資格勉強をする集中力もなく。

なんでも深刻に考えないで軽い感じにするくらいで、わたしはちょうどいいみたいです。


眠って眠って眠り続けて

ずうっと眠っていた。ひたすら眠っていた。

これほどわたしが眠るとは誰も知らないだろう。
ストレスがたまったら、わたしは眠る。起きていられない。
起きているとミスも増えるし、笑顔でいられない。わたしは出かけることが嫌いじゃないけれど、それでリフレッシュする、というよりは新しく疲れを溜めることになるから、眠る。

眠って眠って、ほうぼうに、義理を欠いていたけれど、ようやく目が覚めた。起きられた。

嬉しい。

いろいろ待たせている人もいるけれど、ようやく起きられました。

不思議なことに、眠る期間の間は、占いの依頼がありませんでした。
こうして、フェイドアウトしていくのだと思うと、さみしいような気もします。
でも、わたしの役割、というのは、仕事を通して常にあるのだと感じることができます。
仕事というのは、占いもそうだし、塾の仕事もそうです。わたしが必要とされていると感じること、それが仕事です。
お金をもらうと、役に立っていると感じて、とても嬉しいです。

お金をもらわなくても、人の相談事を聞いたり、考えたり、勉強を教えたりするのは楽しいです。

疲れるときもあるし、そういったときは回復するまで一週間くらい眠り続けるけれど、それも致し方ないなあと思っています。

彼氏は徐々にそういうことを知っていって、驚きながらも、「たいへんだなあ」と言ってくれました。
ひいたり、わたしのことを足手まといだと思ったり、迷惑だと思ったりする様子がないのでほっとしました。

それはそうと、アクセサリーを最近作り始めました。
素人の作るもので、とても下手なのですけれど、欲しい方がいたら、メールをしてください。

時間はかかると思うのですけれど(一ヶ月くらい?)送りますので、よろしくお願いします。