なんの才能もなく息絶える

わたしには、才能がない。

なんの才能もない。
このまま息絶えるんだろうなと思う。

生きていくための才能はまあまあある。
世の中に適応する才能もある。
暗いことを乗り越える才能もあるし、表現する才能もある。
このまま息絶える才能は少ない。

音楽を聴いたり、絵を見たり、漫画を読んだりすると嫉妬する。わたしにはないものだからだ。
若くして成功している人のことを知ると悔しい。
単に楽しめない。悔しさでひりひりする。

わたしはお金持ちになれないし、有名な人にもなれない。
立派な人でもない。

なんにもならない。なんでもない。

昔はそれがさみしかった。

今はそうでもない。

それが不思議だ。悔しさは変わらないけれど、今では少し遠い。生々しさが。

わたしは平凡で、普通で、でも、ちょっと普通じゃなくて、普通以下で、得意なこともあって、全体としては、仕事をして、暮らしていられて、恵まれている部分もある。

何かになりたかった。
わたしはさみしかった。
今だって、さみしい。
何者にもなれない自分がさみしい。

胸の中にぽっかり空いた穴は、どうしようもないものだ。

忙しい日常の中に埋もれていくことは幸せに思うけれど、掘り起こしたくなる日もある。

わたしはわたし。
何者にもなれない。ならない。どこにでも行く。どこにでも行かない。

わたしはわたしの頭の中にいる。

ベシー占い 占い承ります。


おおらかな性格

子どもの頃は繊細な性格だと言われていたので、「繊細な性格です」と言ったら、「キャラじゃないよねえ」と言われた。

わたしは最近、おおらかな性格になって来たようだ。
細かいことは気にしないで、だいたいの方向の検討をつけるタイプで、悲観的じゃなく、楽観的な態度をいつの間にか身に付けたみたいだ。

主治医は、性格的に事務は向いていないんじゃないの?そもそもなんでやりたいのかわからない、というし、家族も、お金じゃないと思うよ、人生は、という。彼氏も楽しく仕事ができているのに事務をやる意味が分からないし、リスクが大きすぎる、という。

わたしは、意地で、「苦手なことも克服する自分像」に憧れていただけかもしれない。
自分ではお金が儲かるとか、事務をできたら将来的に良いとか、思っていたけれど、それは表面的な問題で、実際には、事務をできる人に憧れていたんだと思う。

女らしくて気が利いていて愛想が良くて、いつもこぎれいにしている女性、ってイメージが、事務の女性にはある。わたしはそういう部分がないから、仕事に就けば、なれるんじゃないかなあ、と勝手に思っていた。

でも、それは、気のせいであって、わたしのキャラはぴりぴりしたところで働くのには向いていない。薬も飲んでいるから、昼間眠たいし。

自閉症スペクトラムで事務をやっている、と言う人にも声をツイッターでかけてもらった。

だから、障害とできなさは関係ないのだ。

わたしのキャラと鬱状態(こんなに明るく生きているが)が、あって、みんなに反対されているのだろう。

正論で言われると反発したいし、自主性を軽んじられたようで、できないと決めつけられるのがいやだ、という意地を取り除くと、何も残りそうもない。

できるだろうけど、できなくても良い、できるのだろうけど、できるようにならなくても良い。

そういう視点で考えた方が良いのかも。

わたしはだいたい、細かいことをするより、ものをおおざっぱに勧めて良いですよ、みたいな気分にさせる方が性にあっているようだ。

塾講師は営業の性質が強い。

人を良い気分にするのが好きだから、どちらかというと営業向きなんだろう。

ベシー占い 占い承ります。


わたしはおかあさんを愛していた

抑圧はエネルギーを使います。

おかあさんの殺意を感じてはいけないと思っていたわたしは、それを感じることにしました。

そうしたら、からだがふにゃふにゃになりました。
肩こりも、腰痛も、完全になくなったわけじゃないのですが、楽になりました。
凝りそうだな、とか、力が入ってるな、と思うと瞬間的にリラックスできます。痛みのことを思うこと自体で肩の力が抜けるのです。抜こうと思ってないのだけど、痛みを感じるだけにとどめて、催眠状態に近い感じを思い出すとできます。
恐怖がなくなったのです。
わたしは強い恐怖の中に生きていたのだなあとわかりました。
だから、いつも、身構えていて、恐ろしいことが起きても対処できるようにしていたかったのだなあと思います。
自分が健気です。

この感じを忘れないようにしようと思います。

わたしは、生きていることにすごくエネルギーを使っていたから、疲れやすかったんだなあと思います。

意識の水面下で、常に、「おかあさんが憎い」「おかあさんを許さないと」「おかあさんが怖い」「おかあさんが怖いわけがない」という戦いが繰り広げられていたため、疲れやすかったんだなあと思います。そういう気持ちでいたから、現実に対処できる余力が残っていなかった、というわけです。

事務の仕事、やろうと思います。

迷っているけれど、後押ししてほしいだけで、人に相談していたような気がします。
わたしには可能性があります。

わたしはもう自分を守る必要がないからです。誰かに守ってもらう必要もありません。
わたしは安全です。
何も恐ろしいことはありません。
死ぬときは死ねば良いと思います。
死ぬんだなと思います。

だから、より良く、チャレンジしながら生きられると思います。
わたしは事務の仕事を通して、自分の苦手なことをしたい、克服して、恐怖から解き放たれたいと思います。
事務の仕事は何かの恐怖の象徴だから、やることに意義があります。

わたしはいつもだるくて疲れていて、すぐにアレルギーの症状が出ます。頭痛もするし肩こりも腰痛もあります。眠くて、悲観的です。

だけど、最近、力が湧いてきました。起きていられる時間が増え、家事も積極的にできるときがあります。
それは、仕事がうまくいって、自分で稼いでいるため、生きている感じがあるからだと思います。

母と暮らしているときには、生きている感じがありませんでした。だから、死にたかったです。生きるパワーを吸い取られていたのだと思います。世話をされる、というのは楽なようで、依存と、自立がせめぎあうので、エネルギーを使い、疲れます。

依存していたままの方が楽です。表面上、争いがないからです。母はわたしの世話が楽しかったのだと思います。わたしの人生を代わりに生きられたからです。
母はそれでいて、わたしのことを憎かったと思います。わたしの世話で、人生が奪われたように感じたからだと思います。

彼女はわたしを捨てる機会が何度もあり、捨てることをほのめかしながら捨てませんでした。

わたしは、彼女を憎み、愛し、無関心を装い、激情と無感動の狭間で揺れ動いていました。殺したいほど憎かった、愛したかった、愛されたかった、気持ちが強かったです。わたしは、その気持ちだけでいっぱいだったです。そういう意味では、わたしは自分の人生を生きておらず、母のために人生を送っていました。わたしの人生は、わたしの認識下で、母のものでした。わたしの感情のすべてが母に捧げられていたからです。

わたしは子どもでした。だから、母を愛していました。母を愛することで生き延びようとしていました。子どもは、愛の生き物です。親は子どもを愛さなくても生きていける生き物です。

だから、わたしは母の愛が重い、と思っていましたが、そうじゃなくて、母の愛のなさが重かったのだと思います。愛していたのに、愛されなかったことが、苦しくて、だから、憎んだのだと思います。

わたしは、そのことに気づいて、心が平たいです。静かです。わたしは彼女を愛していた、だから、愛されなかったことが悲しかった、悲しみを感じることには耐えられず、それが理解できたら生きていけないほどつらかったので、その気持ちを怒りや憎しみに変換していた、わたしは本当は愛していたんだ、と思いました。

わたしは今は大人で、彼女の愛がなくても生きていけます。
わたしは彼女の愛がもう必要ありません。
わたしは、彼女を愛さなくても、愛していても、どちらでも生きていけます。

愛していたことがわかったから、わたしは彼女を捨てられます。

ベシー占い 占い承ります。


おかあさんはわたしを殺したいほど憎んでいた

昨日のセッションでわかったことは、おかあさんはわたしを殺したいほど憎んでいた、ということです。

わたしはそれに気がついていたのに、それに気がついたら生きていけないと思い、だから、その気持ちにふたをして生きていたのでした。

わたしが、おかあさんを憎んでいたのではなくて、おかあさんが、わたしを憎んでいたということです。
わたしはおかあさんへの憎しみをなんとかしようとしていましたが、おかあさんがわたしを憎んでいたことに関しては、何もできないなあと思いました。

愛されたいのに、愛してもらえなかった、と言うことに気づくと、つらいから、おかあさんはわたしを憎んでいた、しかも、殺したいほど、という状況を把握したくなかったんだと思います。

でも、わたしは本当は深いところでそこに気がついていました。
だから、逃げ出したんだと思います。
わたしをいつまでも赤ちゃん扱いしていたことや、病院代を払ってくれなかったことや、お見舞いをしなかったこと、わたしが死にかけても放置したことなどから、本当は死んでほしいと願っていたことに、わたしは気づいていました。でも、気づいたらいけないと思っていました。
おかあさんがそんなことをするわけないから。
おかあさんは、わたしがそういう扱いを受けていると、お父さんにばれたくなかったみたいです。お父さんはわたしのことを助けようとするからです。プライドもあるだろうし、女として認められたかったからだと思います。女として、おかあさんはわたしと張り合っていました。
いくつになっても幼児用のおもちゃを買って来て、わたしを喜ばせようとして、喜ばないと不機嫌になっていました。

わたしのそのパターンは恋愛関係にも及んでいました。
わたしはわたしを愛してくれない男を選びました。
待ち合わせに五時間遅れて悪びれないような酷薄な男を、王子様のようにあがめていました。
冷たくされても、すがりついて、向こうがわたしを邪険にすればするほど、不安定になって、でもその激情こそが愛だと思って。

愛されない相手から愛を獲得できたら、おかあさんとのパターンを克服できると思っていたのでしょう。

でも、そんなことはなかったです。

わたしは、おかあさんが、わたしを憎んでいることに気づきたくなかったけれど、本当は気づいていたのでした。
だから、おかあさんを憎んでいるのはわたし、ということにして、逃げ出したのです。
それは、おかあさんを愛しているけれども、悪者にしたくなくて、でも、命は守らないといけないから逃げ出したのです。

おかあさんを愛していたのは、わたしでした。
おかあさんがわたしを愛していると思ったのは気のせいでした。
それは、つらい現実です。おかあさんが、わたしを虐待していると思ったときより、納得がいきました。
わたしを憎んでいたのはおかあさん、わたしはおかあさんを愛していました。
愛していたのに、憎まれていることを知るのはつらいことだから、わたしはその感情を抑圧していたのです。

でも、わかって良かったです。
わたしはおかあさんを愛していました。

ベシー占い 占い承ります。


自尊心がないと他者が必要になる

自尊心が低かった頃のことを書きます。

クズみたいな男に搾取されていました。具体的には性的に搾取されていました。
普通なら断るようなことを断れなかったからです。

生きていて良いのかとずっと思っていたので、ひどいことをされることで生きる実感を得ていました。もっというと、ひどいことをされている感覚がなかったです。
自分にひどいことをされるような価値がないと思っていたからです。

ひどいことをする相手でも、必要としてくれている間は、生きていて良いのだ、と思っていました。

でも、それはいつも自分をつらい気持ちにさせていました。
だから、精神的に不安定だったので、わたしは、いつも男を不機嫌にしました。

男がわたしを不安定にしている、という発想がなかったです。

わたしは今ではいやだと言う感覚があります。
自尊心があるから、他人が必要ありません。
恋愛で、どうしてこんな男と、女の子が付き合うのか、と思う釣り合いの取れないカップルは、女の子の自尊心のなさに男がつけ込んでいる場合が多いのではないかと思います。
わたしはそうでした。
自分に不釣り合いな男を愛していたのは、自尊心がなく、依存していたからです。
自分のすべてを相手にゆだねていて、殺されても良いと思っていたからです。
殺される以下のことだったら何をされても大丈夫だし、死んでもいいんだし、と思っていました。

それなのに、他人が怖かったのです。
矛盾しています。
他人が怖いのに、他人を求めて、他人がいないと生きていていいと思えないのです。
恐ろしいですね。

他人が怖かった時期もあるけれど、今は怖くないです。

ベシー占い 占い承ります。


ヒプノセラピー(催眠療法)体験

ヒプノセラピーと言うのは、催眠療法のことです。

今日はこれを受けにいきました。
以前のわたしなら受けなかったと思います。
疑わしいし、お金のむだだと思ったと思います。
非科学的なことだと思っていました。
でも、もっと楽に生きたいし、努力とかももういやだし、現実的じゃなくてもいいや、形のないものにお金かけても良いや、と思って参加しました。

事務がもしかしてできるようになって、苦手意識がなくなったら儲け物だし、過食が収まれば良いなと思いました。
でも、だめでもともとだから、別に良いや、と思って参加しました。話の種になれば良いや。

体験セミナーだったので、少し安い値段でしたが、それでも高かったです。
十時から四時半までで八千八百円でした。

それでも、実際に受けてみたら安いと思いました。

三回に分けたレッスンで、催眠を体験していく、というものです。
催眠に対する話、そして、催眠の繰り返しです。催眠にはいろんな種類があるそうです。今日は、催眠は自分でかけます。わたしが受けたのは退行催眠と言う種類のものです。

一回目は浅くかけて、二回目はもう少し、三回目は深くかけていきます。
催眠は「自分の今感じていることを感じ尽くす」ということが目的です。

今、肩が痛かったらそのことに集中する。
今、おなかが痛かったらそのことを痛いと感じる。悲しければ悲しいと感じる。
我慢しない、というレッスンでした。
我慢しないで、そのことをきちんと感じる、ということが、自分の解放につながり、それがリラックスだ、ということでした。

リラックスとは、だらんとした状態を指すのではなくて、緊張しているなら緊張している状態、を感じるということです。その覚悟や勇気や集中の状態が、自分の内部に向かったとき、リラックスと呼ぶのだそうです。

最初は自律訓練法をしました。
これは医学的に認められたリラックスを作る状態です。

わたしはこれをしながら、なぜリラックスしないのかと母に怒鳴られ、ぶたれた経験があるので、これをやる前から緊張し怖かったです。

しかし、「何も絶対に起きない」「おそれは過去から来る」「今は安全だけど、危険だと言う判断をしてしまう」「今、起きている事実だけを感じる」「判断はしない」ということを繰り返し講義で受けました。

判断があるから、事実を事実で受け止めることができない、価値判断をして、善悪を生み出してしまう。
価値判断をするから、問題が発生します。

たとえば、何かいやなことがあったとしたら、いやだな、と感じるだけなら、問題は発生しません。
いやだな、と思うことから、いやを解決しようとすると、いやな気持ちと戦ったり、家から出たくないという問題が発生します。いやだな、ときちんと感じて、自分の感じ方を解放すると、問題が発生しません。

問題を解決すれば、良くなる、と言う考え方は、結局のところ、問題を作り出しているのだ、と言われました。
そうではなく、事実を押さえつけるのではなく、事実を認める、ということを繰り返し言われました。

たとえば、世の中を強い、弱いで分ける人がいるとします。
その人は、五歳のときに地震を経験して、怖かったことがあったとします。
でも、そのお父さんが「怖いなんて言うのは男らしくない」と言っていたら?
「怖いと言ったら、愛されない」と思っていて、地震で怖かったと言う気持ちを、認められないまま大人になってしまうかもしれません。
未消化の気持ちが、地震を怖いと思ってはいけない、と必要以上に思いさせ続けます。
そうすると、地震を怖いと思う気持ちを押さえつける戦いが始まります。それは苦しみになります。パニック、という問題が生じます。怖い、と思うだけならばただの感情です。事実です。
でも、怖いと思ってはいけないと思うと、それは、物事を善悪に分けることになります。
そうした姿勢は、対人関係にも悪影響を及ぼします。

自分が弱い人間だと愛されないと思っていると、弱い人間をバカにするようになります。そうしたら、弱そうな人間をバカにするので、弱い人と思った人と心を開いて人間関係が築けません。
強いと思った人には、自分が弱いことがばれたら大変なことになると思い込んでいるので、こびへつらい、自分を誤摩化すことを続けないといけません。だから、ずっとしんどいです。

その人が、自分が愛されるために自己実現を図ろうとします。そうすると、その人はより強くなるように、自分を鍛えるでしょう。強くなることこそが、自己実現だと信じるでしょう。
彼は愛されたいと願います。愛されるために強くなろうとします。そして、強い人間と弱い人間を分けます。
たとえば空手を習って、ある大会で優勝するとします。そうすると、一時的に嬉しく思い、人が怖くなくなるかもしれません。でも、注目され、より強い人間と会って、戦っていかないといけません。
それを繰り返して、日本一、世界一になっていくかもしれません。でも、ずっと怖い気持ちは消えません。いつか、自分を倒す人が現れるかもしれないと、怯えないといけないのです。

しかし、その人が、自分で地震が恐かった、と改めて感じることができたら、地震が恐いと思う気持ちは間違っている、という思いと、でも、怖い、と思う気持ちと戦った結果、起きるパニックから、解き放たれます。そうしたら、その人は人が怖くなくなります。人を弱い、強いで分けることが必要なくなるからです。

怖い、と思っても、実際には大丈夫で、怖いという感情があっても人から愛されると思うことが、自己実現なのだと思えたとき、その人は、空手を人に教えるとか、そういうことを思いつくかもしれません。
そうしたとき、回り道だと思っていたことが、実は自分の役割だったと気づき、本当の自己実現、人のためになる自己実現ができて、人から必要とされるようになり、こびへつらわなくても、人とうまくやっていけるようになるのです。

わたしは一回目、自律訓練をしたとき、緊張し、頭痛がし、首や肩やうでが痛くなって、消えた感じになりました。右手がしびれ、左手が肩からなくなりました。手から汗が出ていました。

目が痛いと思いました。自律訓練とは、怖いものだと思っていたのですが、そう感じるなら、それで良いと最初に言われいました。自律神経に身を委ねる、自律神経は、勝手に心臓を動かすし、汗を出すし、呼吸もさせるから大丈夫だ、ということだと教わったので、痛くても怖くても、緊張しても、ありのままに、味わおう、失敗しても良い、と思っていました。
殴られるものだと思いました。
殴られませんでした。怖いことは何も起きず、大丈夫だと言う感覚がゆっくり広がっていきました。地面にめり込んだ感じがしました。

二回目の催眠では、もっと深くかかりました。

頭がゆらゆらと前のめりに下がっていきました。
下げよう、戦わないでおこう、椅子から落ちても良い、と思いました。

そうしたら、いろんな感情がわいてきました。
痛い、苦しい、息ができない、体が痛い、吐き気がし、体が消えてしまう感じになりました。
そうしたら、ふっと殺される、死んだ、と思う瞬間が来ました。

「死んでも良い」と思いました。「死んでも良いんだ」「大丈夫、わたしはここで死のう。死んでも恐ろしいことは起きない」と思いました。わたしは死にました。体が消えました。わたしはふっと浮いた感じになりました。概念的に死んだ感じがしました。

その次に右手が「人を殺したい」と言いました。右手が話しだしたのではなくて、わたしが思ったのですが、右手は人を殺そうとして震えました。
わたしはびっくりしました。「殺すのはまずい」と思いましたが、「いや、殺そう」と思い直しました。「殺しても良い」「大丈夫、殺そう」と思いました。わたしは人を殺しました。

そうしたら、ますます、体が希薄になって、今度こそ、わたしは死んだ、完全に死んだ、と思いました。

そして、一回目の自律訓練が終わりました。
その一連の気持ちは過去から来たのだ、と言われました。
確かにそうです。
その部屋は安全だったのです。

過去生で、殺されたことがあるんだろうと思います、と言われました。わたしはそれを受け入れました。
わたしは殺された、ということが、妄想だとしても、自分で、受け入れようと思いました。本当に生々しい感じだったのです。
催眠状態は異様な状態、というわけではなく、自分の体の痛みや、感情をそのまま、受け入れているだけで起きました。そこには暗示などはなかったです。
だから、それが妄想だとしても、どうした、わたしは殺された、死んだ、殺した、と思いました。
それでいい、何も起きない。この部屋は安全だから、大丈夫、と思いました。

わたしの中で、人に殺され、殺したとしても、何の不都合もないじゃないか、と思いました。

目がすっきりして、人の顔をまっすぐ見ることができました。人の顔をまっすぐ見るのは久しぶりでした。

恐れは幻で、悪を閉ざそうとするから、苦しいのだと言われました。なんとかしようと思わないことが愛、見ているだけが愛、自分の中で何が起きても、受け入れることが愛、誰も、危害を加えないことがわかれば、自分を許すことができる、と言われました。

過去の自分が、悪、として閉ざしたものが、出てくる。それは助けてほしい、許してほしい、と願っている自分なのだと言われました。
わたしは殺された自分を許したのだと思います。殺されるときの息のできない感じ、首を絞められた感じを許そうと思いました。

目が楽になった、というのは象徴的なことで、ものごとをちゃんと見ることができるようになった、ということだという解釈ができると言われました。

恐れが何者かでなければならないと思わせて、自分じゃない「何か」のまねをさせる、そうすると、ぼろが出て叩かれる、だからよりまねをするけれども、それは破綻してしまう。自分が、自分であることを認めないと、苦しい戦いは終わらない、と言われました。パターンを繰り返してしまうと。

正しいものを作ると、間違ったものができてしまいます。
判断は過去からやってきます。
過去の経験が自分を縛ります。でも、過去は幻なのです。過去は、今の私にとって、現実ではありません。過去は過去です。
今は今、それを認めるのが、退行催眠だと言われました。

二回目のセッションはそういう感じでした。

善悪を分けるフィルターをはずすときには、恐ろしい、得体の知れない感覚がしました。
自分はどうなってしまうんだろう、と思いました。

善悪をなくしてしまったら、わたしは自分を律しなくなり、何か、恐ろしいことをしでかしてしまうのではないかと思いました。
その緊張が高まりました。
高まりましたが、わたしはありのままその緊張を眺めていました。

自分の善悪を分ける価値観をコントロールしようと思いました。
コントロールしたいんだな、と思いました。
でも、コントロールしても良いし、しなくても良いよ、と自分に言いました。
そうしたら、わたしはコントロールしない、という選択を自然にしました。

何も起きませんでした。
わたしはそのまま、善悪から自由になりましたが、人を殺したり、暴れたりしませんでした。
暴れても殺してもいいのだ、と思いました。
大丈夫でした。何も起きず、わたしは安心しました。

わたしはいつも、誰かに殺される、殺してしまう、という恐れを抱いていたのでした。
そこから、わたしは自由になりました。

リラックスとは痛みを我慢することじゃないです。
痛みを感じる、ということです。
我慢することは緊張です。
リラックスが、ある、だとすると、緊張はする、ということです。リラックスが存在だとしたら、緊張は行為です。
リラックスは行為をやめることです。緊張は行為から何かになろうとすることです。
痛みをあるがままに感じて、我慢しない、痛みを恐れず、受け入れる、ということを言われました。

わたしは、催眠中に、母を見ました。いろいろ、わたしにいやなことをした人たちを見ました。その人たちがやってくるのを感じました。わたしはそのまま、その人たちがわたしに何をしてもいい、と思いました。そうしたら、その人たちは何もせずに消えました。その人たちは過去です。過去の自分が持っていた記憶で、現実にはいない人でした。わたしは安全で、何も恐れる必要はないのだと経験しました。歯の食いしばりが楽になりました。あご奥が痛かったのだ、と思いました。

人生とは何を達成したかよりも、何を感じたかの方が大事だと言われました。

心地悪いことがあれば、それは良いきっかけになります、と言われました。トラウマが、その人にどんな役割を与えたのか教える役割を果たします、と言われました。

三回目のセッションでは横たわりました。

わたしは手足を切り落とされ、惨殺されました。目をつぶされ首を絞められ、おなかを二カ所刺され、あごを砕かれました。それから、水中に捨てられました。
母がわたしを殺しました。

父がわたしを探していました。

わたしは水に沈められていたので、父はわたしを発見できませんでした。
わたしは息がつまり、悲しみで胸がいっぱいになりました。息ができなくて死ぬ、苦しいと思いました。体中が痛かったです。

かわいがっていた犬が現れて、わたしを見つけてくれました。

三回目のセッションでは、自分の人生のすべてを知っている存在(ハイヤーセルフ)に出会う、というストーリーがありました。その物語を聞きながら、セッションするのです。

わたしはその物語の中で、足がなかったので、歩けませんでした。歩けない、と言う悲しみでまた胸が詰まりました。犬が付き添ってくれました。

美しい野原をわたしは歩みました。足がないので、歩けなくて、悲しい、と思いましたが、空中を滑っていました。
こんな醜い姿で恥ずかしい、と泣きました。そうしたら、犬が心配そうに見上げました。
犬は、手足がないわたしでも、血まみれのわたしでも、愛してくれていました。
その愛が伝わってきました。
わたしは、愛に泣きました。
何もかも失ったわたしを犬は愛してくれていました。醜く、誰もが恐れる姿になったわたしを犬は恐れませんでした。心配してくれていました。

わたしは、地下へ続く扉を開けて、地下道を歩きました。黄金の光が降り注ぎます。
白い部屋にたどり着きました。左手に鏡、右手にキャビネットが見えます。キャビネットには三つの引き出しがあります。わたしはそれを開けたいと思いましたが、我慢しました。
部屋の飾り付けをしました。死んでいるので、これは、棺だ、だから、白い花で飾ろうと思いました。
床がむき出しだったので、暖かいように見えるように白い絨毯を敷きました。犬が喜びました。

犬とともに、部屋を出ました。そうしたら、夜空が見える場所に行きました。
わたしが死んだときに、最後に見たのは美しい星空でした。
ここは同じ景色なのだ、と思いました。

そこには黄金に光る存在がいました。ハイヤーセルフなのだな、と思いました。
ハイヤーセルフを見ました。その人がわたしと一体になりました。欠けていたからだがすべて修復され、美しい姿になりました。

母はどうして、わたしを殺したのか、聞きました。若さ、とハイヤーセルフが言いました。嫉妬だと。
わたしは、わかった、と思いました。
他にも何でも聞いていいと、先生が言うので、「犬とはまた会えるだろうか」と聞きました。「会える」とハイヤーセルフは言いました。犬はもう死んでいます。「どういう形で会えるか」と聞くと、子どもが見えました。わたしは納得しました。
「おかあさんと会った方が良いか」と聞きました。「良い」とハイヤーセルフが言いました。良いとは何か、ともう一度聞くと「会わなくて良い」と答えました。「本当に会わなくていいのか」と言うと「今回の人生では、殺されず、生き延びるのが目的だから、和解は必要ない」とハイヤーセルフは言いました。安心しました。
事務はやれるか、と聞くと事務もできるから、心配ないと言われました。そうか、と思いました。
子どもを今の恋人と育てている映像が浮かびました。これがやり残したことだ、と思いました。
この人生では若くして死んでしまい、しかも、性的にも暴行されて死んだから、わたしは、今度は子どもを生んで育てたいのだ、と感じました。それがわかって嬉しいと思いました。
できるのだ、可能だ、と感じました。

ハイヤーセルフと白い部屋に戻りました。キャビネットを開けると白い鍵が視界に飛び込んできました。
これだけか、と思うと、ピンクと紫色のダイアモンドカットの宝石も出てきました。
宝石は胸に飛び込んでいって、心臓の中に入りました。体が美しく甦り、痛いところが治る、とハイヤーセルフは言いました。宝石は暖かく、きらめいていて、美しかったです。

白い鍵は、透明な宝石で飾られていて、不思議な素材でできていました。

その鍵は、秘密を開け閉めできる、とハイヤーセルフは言いました。鍵だから、人によって話すことを調整できる、そのために使いなさい、とハイヤーセルフは言いました。母親にはその鍵で扉を閉ざしなさい、そして、自分を守りなさい、とハイヤーセルフが言いました。

そして、十数えて、セッションが終わり、わたしは死から生へ戻りました。

目が覚めると、そこは現実でした。
でも、わたしは、先生に自分の経験を話すときに号泣してしまいました。

痛かったね、よく観たね、という言葉もしみ込まないほど泣きました。

泣き終わると、恥ずかしいなあ、という気持ちがわいて、間違ってしまったものを観たかも、と思い、そう言いました。
そうすると、先生は、間違いとか間違いじゃないとかはないです、と言いました。

そして、良く休んでくださいね、と言われて、帰りました。

帰ってからはとても疲れて、目が開けられないほどになり、ぐっすり寝ました。
起きたら、体が楽でした。

この経験を怪しいと思うひともいると思います。
でも、この旅を経験して良かったと思います。

死ぬということはたいしたことじゃない、と思いました。
わたしは人を殺すのではないか、という恐れがなくなりました。

あれが、現実でも現実でなくても、妄想でも良いのです。
現実は、わたしが横たわっていて、その間に感じたことがあった、でもそれは全部幻だった、何も起きなかったということです。

それがわかってよかったです。
頭の中で起きることは、何も恐ろしくはないのです。

それが、現実です。

今までの方が、過去から起きた、判断に生きていて、起きていないことに怯えていたので、そちらの方が妄想だと思います。
現実とヴィジョンが逆転しました。
ヴィジョンが本当にあったことかはわからないが、わたしはセッション中に、そのヴィジョンを体験した、という感じが大事です。
その感じは誰かに証明する必要がないものです。わたしひとりが納得していれば良いものです。

わたしは現実に帰ってきました。

ベシー占い 占い承ります。


自分を取り戻す


女とオタクのバランス – c71の一日
この記事でフィールドの違う人間と付き合った方が、女オタクは幸せだ、と書いたけど、リア充も良い人も悪いひともいるから、オタクの価値観を認めない、モラハラもいるから注意な。

モラハラ男は、一定の割合で、どこにでもいる。
弱さや、優しさにつけ込んでくる。
卑屈さを嗅ぎ付けてくる。自信のなさにのっかってくる。

だから、卑屈じゃなくなること、自信を持つこと、パワーを持つこと、不幸じゃなくなることが、モラハラに対抗するための最大の手段だ。

だけど、それは簡単なことじゃない。

自分を取り戻す、って書いたけど、それは簡単なことじゃない。

過去は取り戻せない。
それがずっしりのしかかってくる。

搾取されたことへの怒りも湧いてくる。悲しみも襲ってくる。いたずらに過ぎ去った年月も悲しい。
本来、経験しておくはずだった、年相応の経験がない。
思春期に恋をしなかったし、子どものときに遊ばなかった。二十歳くらいのときにおしゃれを楽しまなかったし、遊ばなかった。そうしたことが悲しい。若くて美しいときに、「素朴な方がいい」と言われて、美しさを楽しまなかった。

わたしは、若くて美しいときに、美しさを楽しまなかった。

それが悲しい。

年長者の嫉妬に阻止されていた。

自分探しは容易なことじゃない。
若い頃の自分探しなんてどうでも良いけれど、若くなくなってから、本来の自分を取り戻すには身銭も切って、時間も使わないといけない。

逃げ出せなかった自分の愚かさと責任にも向き合わないといけない。
そして、そのことに悲しくなって落ち込んでいる暇もない。
暇なく、とにかく動くことが大切だ。
「悲しい」には体力も精神力も使う。
だから、それを温存して、運動と行動に力を注ぐべきだ。

最初は、人生を楽しまなければ、と思っても、何をどうすれば楽しいのかわからない。
自分に楽しいという感覚があるのかさえ、失われているのだ。それがモラハラの結果だ。搾取の結果だ。人生を奪われすぎて、なにが好きなのかもわからない状態から始めないといけない。
そのためには、ちょっとでも興味を引かれたことをやっていくしかない。
でも、それには時間もお金も使う。
やってみても、楽しさがわかるにはタイムラグがある。

やりたくないことをやる必要はないけれど、ためらう時間もまた、ない。
やりたくない理由が怠惰や恐怖だとしたら、克服しないといけない。

だから、とにかく闇雲にいろいろ行動してみる必要がある。興味がなかったことでも、できる自身がなかったことでも、疲れても良いから、とにかくやることだ。ダメだったり合わなかったりしても、将来のために楽しさの芽を撒くのだ。楽しさがわかるまでには、時間がかかる。趣味はそのとき始めてから楽しいものばかりじゃなく、続けて楽しいとわかるものが多い。

わたしがはじめて楽しいと思ったのは手芸と革細工だ。
病院で習った。こういうのも、教室などに通ったら、人との出会いにつながると思う。

地域の同人誌の会にも入った。パソコンができるため、これから使われるだろうけれど、仕事以外の人脈ができるのは良いことだ。

コンビニのバイト先の人にもすまホの使い方を聞かれる。コンビニも接客やものを売る仕事が楽しいとわかったから良かった。

稼いだお金でマッサージに行く。マッサージ屋さんは元不動産屋さんだから、営業の秘訣を教えてくれたり、恋愛の相談に乗ってくれる。世話好きな人だ。

こういう風に、わたしは投資して来た。
出会いがないひとは、習い事をしたり、ボランティアをしたりすると、男の人にも、世話好きな人にも出会えるから、可能性を作るために、休日も出かけた方が良いと思う。
特に、ボランティアに行くような男は、優しい可能性が高いから、狙い目だと思う。
世話ずきな中年の女性や男性から、独身男性を紹介されるのも手だ。
世話好きな人は、世話を好きなので、甘えるべきだ。

一度、フィルターを通してあるから安心だ。
かっこいい人は紹介されないかもしれないが、それは仕方がない。
信頼できる人が、良いと思ったり、釣り合うと思ったりする男は自分で選ぶ男よりも、だいぶましはなずだ。
ボランティアで出会った人の紹介なら、きっと安心できるような気がする。優しくて世話好きな人がボランティアをするだろうという偏見がわたしにはあるからだから、だけど。必ずしもあっていないかもしれないけど。わたしは勧められた。ボランティアすることを。

わたしは男と出会うために、街コンに行ったり、習い事をしたり、バイトをしたりなど、とにかく、人と会う回数を増やした。
それが、女でもかまわない。
紹介される可能性があるからだ。

わたしは自分の男を見る目に対して、まったく信頼がなかったから、男と出会う前にチェック項目を用意した。

清潔で、仕事をしており、モラハラをしない男。男女平等で優しい。家事もいとわない。働き者でまめな男。女遊びもギャンブルもせず、煙草も吸わない男。わたしの頭の良さを嫌わない男。
…。あと、イケメンでスタイルが良くてチャラくなくて、堅実で浮気しなそうでユーモアがあって、細マッチョで、綺麗めの服装をしていて言葉遣いが綺麗。

よくこんなに、項目を用意したなあと思うし、こういう条件の男がわたしのような条件の女を選んだなあと思うが、優しくて、マメな男じゃないと、わたしとは付き合えないと思ったから良かった。
いや、卑屈じゃいけないんだ。
傲慢になる必要もないけれど、卑屈になってはいけない。卑屈はモラハラ男のえさだ。

現代版ルールズ

現代版ルールズ

ルールズ―理想の男性と結婚するための35の法則

ルールズ―理想の男性と結婚するための35の法則

この二冊が、実践的に男と出会う役に立った。付き合うまでは白い方だけを読んだ。
これは、男と自分の領域にいかに線を引いて、自分らしさを保ちながら、男に膝を屈せず、対等に渡り合うための本である。

自分らしさを捨てたらろくなことにならない。さっさと引くのも肝心だ、ということが書いてある。
自分の自尊心をいかに守り、かつ、素敵な女性になることができるのだ、ということがわかったから、画期的だった。両立はできないと思っていたから。
しかし、自尊心があるからこそ、人から魅力的に見られるのだ。
むしろ、攻めて行った方が良い。
魅力があるのだ、と信じていると、その信じた強さ自体が、魅力になるようだ。

相手の侵入を許すべきじゃないのだ。
その、具体的なやり方が書いてあるから役に立つ。

男とどういう風に付き合えば良いのかルールがわからない、という悩みがあったので、とても役に立った。書いてある通りにデートのやり取りをしたら、うまくいった。話し方や台詞もあったから、うまくいったと思う。最後の方は、忠実に実践しすぎて、相手が自信をなくしてしまい、振られそうになったから、自分から誘ったりなど、少しオリジナルに振る舞わざるを得なかったけれど、即興を忘れさえしなければ、役に立つと思う。

感情豊かな男性とおつきあいできたのは、この本のおかげだと思っている。一般的な女性のふるまい、というものがわかったから、歩み寄れたし、相手を追いつめなくて済んだのだ。

わたしは、将来子どもが欲しい。
だから、それまでに、自分自身を整理しておきたい。
自分の願望や、コンプレックス、絶望、自尊心をなんとか慰めたい。
願望を子どもに押し付けると恐ろしいことになることがわかっているからだ。
そのためには、お金を使って、経験をショートカットする。
幸い、その方針で、がんがんお金を使っていたら、仕事の風向きも良くなって、仕事がたくさん入るようになったから、うまくいっている。自尊心や絶望や願望が満たされると、他の人に、良い意味で期待せず、自己完結していられるので、他人にも良い風に振る舞え、人気もでるようだ。人気商売なので、自分が無理をしていたり、我慢していたりすると、仕事に悪影響がある。

お金を使って、抑圧や、絶望や踏みにじられた自尊心や、本来なら年相応の経験をするはずだったのに、檻に囲われて経験できなかったことをいまさらでも、経験することは良いことだと思う。

お金がなければできないけど、今のわたしにはあるから、そうする。

催眠療法ゲシュタルトセラピー、パーソナルデザインの診断なども、今年中に経験したい。
貯金もしないといけない。


美しければすべてよし!◆ベルフルール・カラーコンサルティング◆ パーソナルカラー&デザイン診断

このパーソナルデザインを受けるためには、診断だけで六万円かかる。だけど、自分で、買い物ができるようになる、ということだから、受けてみたい。十五万円くらい貯めておく。
どうやら、お買い物同行というものがあって、お買い物のこつを教えてくれるようだ。わたしはギャップで泣いたことがある。服が似合わなかったり、店員が怖かったりしたからだ。ギャップすら怖いのだから、わたしのだささは想像してほしい。

鏡を見るのが怖すぎるので、ずっとネットショップで服を買っていた。だから、無駄も多かったし、似合わない服も多かった。リアルショップで体にフィットした服を買えるようになりたい。
わたしの母は服に関して、わたしにだけ極端に吝嗇だったので、わたしは、自分で服を買ってあげたい。それも、似合う服を買ってあげたい。

だから、お買い物同行で、リアル店舗で、服を買うのが怖くなくなりたい。お買い物同行では、お金をその場で払うことはしないらしい。買いたければあとで、買う感じらしい。

だから、プレッシャーもないし、安心だ。でも、自分を変えたいので、買ってみたい。
自分が他人から見るとどう見えるのか、教えてもらえるので、自意識のために良いことだ。

人から、字部がどう見えているのか教えてもらうのはつらいことでもあるし、反発もするけれど、知るのは良いことだ。その範囲で自分の好きなカッコウをできるようになるし、自分が美しいと安定した気持ちになるからだ。

周りも優しくしてくれるし、生徒も尊敬してくれるようになる。
身ぎれいにしておくにはやっぱり意味がある。
でも、たいへんなときにまでもしなくていいから、わたしは調子が悪いときはメイクしない。
たった、十五分だけどいやなときもあるのだ。

最近は髪の毛をワックスで整えることも覚えたし、ヘアマスクでトリートメントすることも知った。
コンシーラも使えるようになったし、しみそばかすも薄くなった。
薄化粧に見せかける厚化粧もできるようになった。美人と言われることも増えた。

外見に関わらず、仕事もうまくいって、信頼されるようになった。

経験は大切なものだ。
ちゃんと返ってくる。
人に良いことをしていると、良い人ってオーラが出るらしくて、良い人だね、と言われる。
だから、自分を大切にしていると、周りからも大切にされ、より、余裕が出て、人を大切にする、そして、仕事もうまくいく、という素晴らしい循環が来る。体調も良くなるし、絶望もしにくくなる。いやなことは少なく済ませる。楽しく生きる。
自分を取り戻す。
奪われた自分、失った自分、自分自身でないがしろにして来た自分を、愛して、取り戻す。

ベシー占い 占い承ります。


自閉症スペクトラムの診断には親は必要ない

最初に確認しておきたいことは、自閉症スペクトラムの診断は、困っていることがある人が、それを工夫して、快適に生きるための助けになるためにする、ってことです。

診断後は、相談しやすくなったり、工夫しやすくなります。

健常者じゃなくなることに、悲哀を感じる人は、自分自身に、差別意識があったのだと反省しましょう。
自分と向き合うのは、体力も使う大変なことですが、やっておいて損はないです。

全体的に、快適になり、気持ちがすっきりし、周囲の人との衝突が未然に防げます。

何が弱いのかわかったら、練習ができます。

診断は単なる診断で、レッテル付けでもなんでもなく、その人の本質がそれまでと変化することでもないです。ただ、生きやすくするための指標が加わった、というイメージです。

題名は二次障害があるからには、親との関係が悪い場合も多いのに、いちいち、親に生育歴を聞かないと診断できない、って誤解があって、そのせいで、診断を受けるのを躊躇する人を減らしたいからつけました。

自閉症スペクトラムに関しての診断ですが、わたしの場合は、

困ったことがあって、主治医が「これはあかん」ということで、その後輩の先生が副院長をやっている病院に紹介状を出してくれて、入院する運びとなりました。

その先生が、たまたま、若い人の精神病が専門で、自閉症スペクトラムADHD鬱病自傷摂食障害が専門だったので、診断が下りました。

診断のときには、困っていること、どうしたいか、をまず聞かれて、世間話をしました。
世間話の最中に、話し方、動揺の仕方、感情の動き方などを観察されて、自閉症スペクトラムの可能性があると、先生は思ったそうです。

なので、でも、それでは確定ではないので、わたしには、自閉症スペクトラムの可能性があることを告げずに、そのまま、面談と経緯を見て、観察した結果、その疑いを濃くしたそうです。

心理士さんとも面談と検査をして、その検査結果を見た結果、自閉症スペクトラムだ、ということが確信が持てたので、告知した、っていう流れになります。

診断が出るまで、一ヶ月かかりました。知能検査や各種検査も全部で十時間くらいしました。一回二時間で五回くらい。入院してないとなかなかできなかったと思います。

その間、親に対する質問、ってのは一切なかったです。全部わたしの話し方や話の内容から、家族の状況を推理して、生育歴を把握したみたいです。

だから、親が他界していたり、疎遠になっていたり、絶縁していても、親に相談しなくても、自閉症スペクトラムの診断を受けることは可能です。
実際そうでないと二次障害の改善にはつながらないわけだから、プライバシーは完全に守られます。

自閉症スペクトラムだという診断が下りると、医療保険にかかりづらくなりますが、日本自閉症協会、というところで、保険を扱っているので、大丈夫です。
日本自閉症協会

ここの左下のリンクがそうです。

自閉症スペクトラム、って診断されることのデメリットはなにもなくて、自分が困難だと思っていた、生活上の困ったことを解決するための糸口だ、と思ってもらえると良いと思います。

メリットはたくさんあります。
自閉症だからと言って、落ち込むことは何もありません。自閉症のどこが悪いんですか。なにも悪くないです。自閉症は悪いことではありません。本人が生きにくいだけです。でも、生きにくい理由がわかったら工夫ができます。周りも心の準備ができるのです。共生の道を探りましょう。

どうしたら、生活しやすくなるか、工夫をいろんな人に相談しやすくなるきっかけだ、と思ってもらえると良いです。

だから、わたしは自閉症だと診断されて驚いて、足下がぐらぐらしましたが、それはわたしの偏見がそうしたものだと、すぐにわかったので、それ以降はわりきって、自分が快適になるようにだけ考えています。

だから、診断を受けることは、自分がどんな情報にアクセスした方が良いのか、支援が受けられるのか、など、考えられるので、世界が何も変わるわけじゃないので、自分が自閉症かも、と思ったら、診断を受けなくても、受けても、本を読むのはとても良いと思います。

わたしは診断を受けてから、世界が広がり、苦手だったこともどんどん克服して、人付き合いもうまくなってきたし、親との関係も良くなったり、絶縁したりできて、過ごしやすくなりました。

ベシー占い 占い承ります。


女とオタクのバランス

わたしは去年、死ぬほど服を買って死ぬほど化粧品を買いました。
化粧のレッスンにも通いました。女を取り戻すためです。

今は全部そろったので、もういいかな、って感じだけど、ネットで見ているとだんだん欲しくなります。化粧品を買うと美人になるような気がします。
でも、気のせいです。腹筋でもしてろ!

でも、ロクシタンのシャンプー使ったり、クレンジングをジンパシーのにすると、肌も髪もつるつるになって、美人だね、って言われます。

服も、今まで何着ているんだかわからないようなぼんやりしていた服を着ていましたが、いろんなタイプを試してみて、だんだん、着心地とおしゃれのバランスをとれるようになり、むやみに買わなくなりました。
良かったです。

わたしは文学フリマに出店し、なおかつ同人誌サークルにも加入するようなどちらかというとオタクです。付き合った男は全員うんこみたいなオタクでした。

わたしは、漫画もアニメも好きだし、アニソン歌いながら踊るし、カラオケ行くとアニソンとボカロしか歌いません。ボカロ歌いながら踊り狂います。

メタルもロックも好きですプログレも良いな。

ポップスも好きです。
田村由美の「バサラ」を熟読していた小学生でした。

BASARA バサラ文庫版 全16巻完結セット (小学館文庫)

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アゲハと結婚すると思っていました。

彼氏は、そういうオタクさが理解できないくらいリア充です。釣りとサーフィンとスノボが趣味、油絵も描くみたいな人です。

だから、わたしたちは、衝突しません。

そう、お互いの価値観が理解できてしまうと、あいつの趣味はださいとか、そういうことがわかってしまうのです。でも、違うから、わからないので、けんかになりません。

オタクじゃなさすぎて、オタクイベントも楽しめるみたいです。
いろんな知識のある人と交流できて楽しいね、って言ってました。
オタクじゃない男は、人の趣味について、ジャッジしないから楽です。
そして、オタク趣味に投資しないので、お金に余裕があります。時間にも余裕があるし、連れて行ってくれるところも秋葉原のパソコンショップではなく、家電やでもなく、スポッチャとか、夜景の見えるところとか、素敵なレストランとかです。
そう言うのを考えるのが苦にならないみたいです。
スポーツも一緒にやってくれたり教えてくれるから、健康になります。
健康になるために、豆腐とか、キャベツとか食べると良いよ、とか教えてくれます。
掃除も手伝ってくれるし…。
体を動かすことが苦にならない、まめなところも、リア充の魅力だと言えるでしょう。
わたしには、ない!部分だから、助かります。

リア充は、現実に強いから、現実的なことが得意です。わたしのような夢見がちなオタクをサポートしてくれます。

そして、彼からすると、わたしのオタク知識は、「頭良いね」みたいな感じで尊敬の対象らしいです。なんでも知ってるね、って言われます。何でも知ってると生意気って言われることが多かったのに、感動…。

男尊女卑な男はいやだ、ということをはっきり言っても、引かない、とか、そういうところが大事です。
男尊女卑は反対!絶対付き合わない。そんな覚悟が必要ですよ。

男オタクは自分が正しいと思っている人が多いから、結果、男尊女卑になったり、女にダメだしするんですよね。
そうすることで、プライドを保っている…。
マウンティングや上下関係に、敏感なのは、リア充より、オタクなんじゃないかと思います。

わたしはオタクだから、貯金もできていなかったのですが、現実的な男に、貯金してダイエットした方が良いって言われると素直にそう思えるよね。向こうは当たり前にやってるからね。栄養ちゃんととって早く寝て運動しなよって言われるとそうだね、って思ったよね…。

オタクに言われると、お前もできてないことを言うなよ、って思うけど、リア充は当たり前にできていることだからね。

オタクは服装にかけるお金もなく、身の回りのことに無頓着で、自分の価値観に絶対の自信を持っているひとが多いです。自分も含めて。
だから、付き合うのは間逆なタイプの方が良いような気がしてきました。
自分とジャンルがかぶると、戦いの地に赴くみたいになってしまいがちだから。

別に脱オタする気も隠す気もないです。
ありのままのわたしを知れ!
どうせ、意味、わかんないから、知られても大丈夫だ!!!!

オタクの男と付き合っている場合は「あなたの趣味は素敵ね」みたいな感じで、うなずきマシーンと化していた黒歴史のあるわたしです。なんか、オタクってプライドが高いんだよ。わたしも高いけど。すげえ、下手に出てた。

だから、オタクの女は意外とオタクじゃない男と付き合った方がうまくいくんじゃないかなと思います。

化粧品の沼は深いけど、ある程度やってよかったです。楽しいし。楽しくないときにはすっぴんです。
だから、仕事場の人には顔の差が激しいね!って言われます。

楽しくないときにはメイクしないから顔に違いが出ますね。っ答えてます。

メイクなんて毎日やんなくていいんですよ、とわたしは思います。
まあ、わたしはわたしですよ。顔がだいぶ違っても良いじゃないか。

ベシー占い 占い承ります。