適当な話を書きます

ブログが読まれすぎていて、緊張するので、頭が回りません。そこで、とりとめもなく書きたいと思います。

あと、眠たいです。

軽トラさんは、もう少し今のままでいたいと言いました。考えたのですが、まだ出会ってから一ヶ月なのだからおかしくないよなと思いました。
わたしも、一部分しか見せていないし、話していないこともたくさんあります。
今度はわたしがいろいろ自分の好きなところに連れて行く順番なのだと思います。
今日は、あとで、電話をしたいと思います。
軽トラさんの立場から考えたら、わたしがどういう人間でどう考えているのか、わからなくて不安なのかもしれないと思います。
わたしのことが嫌いではないと言っていたし、でも、食い違ったらしかたがないとも思ったし、でもとにかく電話してみようと思います。今度は、自分を出してみて、自分が思うように行動してみようと思います。不安だし怖いことです。でも、自分で選ぶことの一環です。

ブログがたくさん読まれていて、ツイートにどんな引用をされているのか、見てしまいました。
愚かしいのですが、気になったのです。九割九分褒められていました。もっと読まれたら否定的な意見も来るのだと思います。

一回書いてしまったら、わたしとは関係がなくなるので、あきらめて、新しい文章を書いた方が良さそうだと思いました。

わたしのブログを褒めてくれる人がいいひとってわけじゃないし、私のブログをけなすひとが悪い人ってわけじゃないことを忘れないようにいたいと思います。
どんな意見の人がいても、わたしは自分の思ったことを書いたのだから、それを大事にしたいと思います。

またあとで文章を書くかもしれません。

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世界の終わりの果て

コンビニのアルバイトから帰ってきて、こそこそ調べていたら、わたしのブログが褒めれてるっぽかったです。

嬉しいです。

わたしはブログを書くとき、まず題名を決めて、中身を決めないで書いていることが多いのです。

だから、自分でもどういう結論になるのか、いつもわからないで書いています。
それで、書くのが面白いです。書く前はもやっとしていたことが、書き終わると自分で「なるほどなあ」と思います。

コンビニのアルバイトで腰が痛くなりました。
軽トラさんは、「でも、クーラー効いた中で働いてるんだもんね」と言いました。

軽トラさんは、大工さんなので、暑いのです。
軽トラさんは私のことを、うわべでなく知りたいのだという話を昨日したかったのだろうとレジを打ちながら思いました。軽トラさんは、腰も痛いし、暑いし、もっと大変なんだよなあと思いました。

わたしたちは、最初に話した人となりを知るときに良いところから知っていくの次の段階へ行くところなのかもしれません。ちょっといやかもしれない本質を出していく段階に来たのかなと思います。

わたしは、障害もあるし、その他にもいろいろあって、いかにも健康そうに育っていそうな軽トラさんがまぶしいです。知られたくない部分があります。それは拒否されるのが怖いからです。

でも、わたしは軽トラさんのことを知りたいです。
その気持ちが軽トラさんにもあるのだとしたら、わたしは誠意に応えなくてはいけないと思います。

今まで、軽トラさんは、いつでもわたしに気持ちを表現してきてくれました。
わたしは怖がっていたのかもしれません。気持ちを表現することで遠ざかってしまう人でないか、怖かったのです。

でも、少しずつ小出しにしながら、自分の姿を見てもらおうと思います。別に欠点を強調する必要はなくて、こういう部分もある、ということを見せていこうと思います。

わたしは世界の終わりにいるような気分でずっと生きていました。
その果てで、軽トラさんに出会い、育ちの良さや、明るさに惹かれています。
でも、軽トラさんもわたしに惹かれているのです。だから、彼にもわたしを受け入れる素地があるのかもしれません。

わたしと軽トラさんは、わかりあえないまま、友だちで終わるかもしれません。
それでもいいんだ、と思い直しました。

わたしは、振られたと思って、じゃあ、次に行こうと、昨日の夜帰り道に思いました。
でも、それではやっぱりさみしいと思いました。

それで、電話をしたら、彼は喜んでくれました。
わたしはもう少し自分を出していったほうが喜ばせられるんじゃないかと思いました。

友だちというのは、付き合うよりも難しいですが、頑張ってみる価値があることだと思いました。

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ルールズなんてくそくらえ

結局、さきほど、軽トラさんに電話をしてみました。

そうしたら、わたしから電話をしたり、デートに誘ったりしなかったことがまだ友だちとしていたいという理由としてちょっとあるとのことでした。
「嫌ってるわけじゃ全然ない」「素敵な女性だと思ってる」と言われて、「断り文句だろ」と思ったのですが、「僕も自信があるわけじゃない」と言ってたのは、嘘じゃないんだと思いました。
リードするのに疲れたのかもしれないです。

わたしが「じゃあ、来週空いている日とか、誘っても良いですか」というと、「ぜひ誘ってください」との答えでした。

「私の男という、かなりどろどろした映画やってて、それが見たいんだけどどうですか」と言ったら、「c71さんのことが知れるからいいです。そういう一面があったんですね。もっと知りたいです。ぜひ見に行きましょうよ」と言ってくれました。

わたしが自分をあまり出さなかったから、向こうは、わたしがどんな人かまだわからないから、友だちでいたいと言ったみたいです。
四回目のデートが終わったから、もう好きなようにしようと思います。

「電話をしなかったのは、電話をしたかったら、軽トラさんの方からかけると思ったし、かけないということは、忙しかったり話したくなかったりなんだりしているんだな、と思ってかけなかったの」と言ったら、「かけてもらったら嬉しいのでぜひかけてください」と言っていました。

「お互い、こうやって自分の気持ちを話すことが少なかったから、まだつきあうのは早い気がするので、こうやって話し合っていきたい」という風に軽トラさんは言っていました。

「わたしは、友だちでいたいと言われたから、振られたのだと思って、頭が真っ白になりました。わたしは、軽トラさんのこと良いと思っているから」
「そんなことないですよ。ただ、友だちの期間をもっと持ちたいと思ったんですよ。僕もc71さんのこと良いと思ってますよ。振ったとかじゃないですよ。僕、慎重なのかな、まだ友だちでいいと思ったんですよ。まだ出会って間もないから」

「また電話してくださいよ」「じゃあ、映画の時間とかわかったら電話しても良いですか」「もちろんいいですよ、嬉しいです。僕も電話して良いですか」「いつでも嬉しいです」

ちょっと気持ちが落ち着きました。

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軽トラさんとのデートの顛末

雰囲気の良い、フレンチレストランで、コース料理で誕生日祝いをもらいました。
プレゼントは、ブランドもののハンカチ二枚でした。

プライズで、誕生日ケーキを出してもらいました。ロマンチック!

そして、帰りに「友だちのままでいよう」と言われました。

もう、わたしは頭真っ白。
え、
え、え、え、

わたしいったい、どんな失敗したの?

そのあと、ファミレスに行って、ちゃんと話しました。
すぐつきあって、すぐ別れるのはしたくないから、現状維持でしたい、c71さんが、デーと毎週行くことで疲れさせたくない、いつも、こっちから誘っているから、疲れるなら悪いと思うし、自分の時間を持ちたいと思っているのに言えないのかもしれないから。c71さんのことは素敵な女性だと思うんだけど。

とのことでした。

それって、マイルドに振っているってことになると思うんだけど。

わたしの選択肢は、友だちでいることを受け入れるか、次を探すかしかないと思うんだけど。
それって、今までとわたしの気持ちは違うんじゃないかなあ。

わたしは、どうすればよかったんだ。どういうことなんだ。

わたしが呼んだら、たとえば二日後でも、お茶したいっていったら、来るっていってたけど、どうなの?

もう、ぐれて、家出したい!
わけわかんない、わたしの世界の常識だとそれって、振られたってことなんだけど!

そうじゃない世界もあるわけ?ぐあががが。

そりゃあ、わたしが勝手に期待していたんですよ。
周りも、そりゃあ、告白くるな、とか煽ってきたので、その気になりましたよ。

うあうあ、わたしに好意があるのかと思ってたよ。
そうじゃないってこと?そうじゃないのに、あいそよくしてたってこと?デートしてたってこと?
どういうことなの?うーん。

とりあえず、今日は、お礼を言って、わかったと言って、デートに誘おうと思う。
頭に血が上っているから、どうしたらいいのか、正しいのかわからないけど。

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ぷんぷん、怒ってます。

軽トラさんと食事をしたのですが、やっぱりつきあわないということになりました。

ぷんぷん。

ああ、ショックだ。

今の距離がちょうどいいから、今のままでいたいらしい。
そんなのは、無理だと思うんだけど。

振りたいのかと思ったら、そういうわけではないらしい。それは否定していた。
どういうことなんだろうか。
普通の文脈だったら、振りたいってことで、そしたら、次行くんだけど。

妙に中途半端でどうしたら良いのかわからない。

白黒つけたくないってことらしいんだけど、待てば良いんだろうか?

わたしから誘うことがないみたいなことを言っていたけれども、毎週誘われているから、誘う暇がないのだけど。

わたしのほうは、付き合いたいと思っているんだけど。

無理強いはできないなあ。困ったなあ。

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自分らしく生きることになんの意味があるのか

わたしは、以前、自分さえ我慢していれば、周りの人が幸せになるものだと思っていました。
だから、自分らしく生きるよりも、人の言うことを聞いた方が良いのだと思っていました。

また、間違ったり、失敗したりすることをとても恐れていました。
人の言う通りに従っていたら、失敗しないのかと思っていました。自分の思う通りにして、失敗するとひどく非難されたからです。人の言う通りにしても失敗して、ひどく非難されることもありましたが、なぜかそのことには思い至りませんでした。怖かったからです。

でも、それは間違いでした。自分らしく生きることの方がずっと良かったです。失敗しても、たいていの失敗はたいしたことがありませんでした。
わたしに、失敗が大きなことだと思い込ませるような人と、一緒にいたこと自体が間違っていました。

自分らしく生きることに、なんの意味があるのか分からない期間が長かったのですが、最近、わかった気がするので、そのことを書きたいと思います。

自分らしく生きることが、どうして大事なのか、自分を大切にすることがどうして大事なのか、ずっとわからなかったのですが、最近わかったような気がします。今までは、大切にするような自分ではないと思っていたのです。

以前、わたしの前で、死ぬと言った人がいて、その人は、わたしがその人の思う通りになれば、死なないと言いました。だから、わたしは、その人が死ぬくらいなら、自分がなくなった方が良いと思いました。別にその人のことは好きでもなんでもありませんでした。

そういう人は、少しずつわたしの周りに集まってきて、わたしはなんだかよくわからなくなりました。そういう状態が続いて、わたしは病気になりました。

最初に、それをはじめたのは、母のためだったと思います。

人の言うことを聞きすぎて、そもそもなんのために生きているのか、わからなくなりました。

生きていることが苦しくて、つらくて、だから生きていることをやめたいと思い、でもそれはできなかったので、感じたり考えることをやめたくなりました。そうしたら、そうなりました。

いつも、自分が自分でないような、頭より一メートル上に目があって、それで世の中を見渡しているような不思議な感じで、体の表面に膜が張っていて、その内側にわたしがあるような感覚です。その膜の中にわたしは守られていましたが、鈍くなっていたので、危険な目にもたくさんありました。

危険を感じるアラームが作動しにくくなったり、アラームに逆らって、周りの状況に同調するようになっていたので、自分の身を危険にさらしていました。
そもそも、その頃には、自分を大切にするのはなんのためかわからなくなっていました。

生きることが苦しくて、自分なんて、どうなっても良いと思っていたので、周りが幸せになるために自分がなくなっても良いと思っていたので。

でも、それにしても、生きることはどうしてこんなにも苦しいのだろうと思いました。

あるとき、病気で、からだが言うことを聞かなくなりました。それで病院に行ったのです。

わたしは、薬を飲みました。

体が動くようになりました。でも、わたしの心は、ぼんやりしたり悲鳴を上げたりしていました。

わたしは、なんとか働き始めました。働き始めたとたん、世界に色がつきました。
働くことは、自分にあっていたようです。

お金を使ってみました。最初はおそるおそる、だんだん大胆に、最後には、勢いよく。

そして、ようやく、お金の価値がわかりました。お金は、自分が欲しいと思ったものを手にするための道具でした。欲しいものが最初はわかりませんでしたし、お金を使うことは苦痛でしたが、だんだん楽しくなりました。

「生きているってこういうことか」と思いました。

自分が心地よくすること、いいにおいの香水をつけること、マニキュアをすること、髪の毛の手入れをすること、化粧水をつけること、良いにおいのオイルで手足をマッサージすること、マッサージ屋さんに行くこと。

からだの感覚が少しずつ取り戻されて、膜がなくなっていきました。

「自分を大事にするって、気持ちが良いことなのだ」とわかってきました。

そうしたら、「なぜ自分は生きているのか」を考えなくてもいいのかもしれない、と思いつきました。

お金が欲しくなりました。だから、仕事をたくさんするようになりました。
少しずつ忙しくなって、自分がいかに苦しくて、いかにつらくて、なんのために生きているのかわからない、ということを考えなくてすむようになりました。
わたしは、きちんと食べるようになりました。体調を一定に保ち、いつも調子良く働くためです。働くのはお金を稼ぐためです。お金を稼ぐのは、自分が心地よい生活を保つためです。心地よい生活をするのは、自分が気分よく生きるためです。働くと、税金を納めることができるので、困っている人を助けることもできます。働くこと自体でも、人を助けることができます。その方が、自分を殺して、誰かが一瞬生きるよりも、ずっと有意義なことだと思いました。わたしは、人の役に立つと嬉しいようです。嬉しいことは良いことです。

わたしは、次第に、なぜ生きるのか考えなくなりました。それはありがたいことでした。死にたいとか、死ね、とか、お前には何の価値もないのだから、生きている資格はないとか、お前の話はつまらない、みんなお前にうんざりしている、という頭の中の声が止みました。

わたしが、閉じ込められていたとき(抽象的に)、しばらくぶりに外に出て、外の空気と風を感じたとき、汗にぬれた体の表面が、さっと乾いてすっきりした感じがしました。八月の葉っぱの香りがしました。雨上がりの湿気が地面から立ち上って、暑く、そして、涼しい風が吹いたのです。

わたしは、そのときに、生きるって良いことかもしれない、とぼんやり思いました。目が覚めた気分でした。

わたしは生きていると思いました。

自分で、自分を選択して、自分の人生を生きることは、自分の苦しい生を考えなくて良いことです。
わたしは、考えることこそ、素晴らしいと思っていました。それは間違いでした。

わたしは今でもいろいろなことを考えます。
でも、それは、いつも具体的なことです。生徒さんを喜ばせたいとか、お金を稼ぐ喜びや、そのお金でプレゼントを選ぶ楽しみや、そういうことです。

自分を殺しても、本当にわたしを愛する人は、幸せになりませんでした。
わたしを殺して幸せになる人たちは、幸せにする価値のない人たちでした。
その人たちは、自分で、自分の力で、自分を幸せにするしかなかったのです。わたしの手伝えることはなかったのです。

わたしが生きていると、喜ぶ人がいることがわかりました。そういう人がいて、良かったと思いました。
自分らしく生きることには、自分を心地よくして、居心地よくして、死にたいと考えなくても済む時間を増やして、わたしを大切に思っている人が、わたしを心配せずに生きる時間を増やす効果がありました。

だから、わたしは自分らしく生きることに意味を感じるようになりました。

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人生は戦いの連続だ

虐待と幸福と経験の空白と

このエントリと関係があるような、ないような抽象的な話を書く。

虐待されていた人も、病気だった人も、障害があった人も、つらい時期が終わったり、続くことを受け入れたり、慣れたりしたときに、「あれ、つらいことでいっぱいだったときよりもつらい?」と思う瞬間があると思う。

自分の欠落に気づいたときに、「でも、人生は続くのだ」ということが突きつけられる。
それは、「日常的に心を浸食される出来事であたまがいっぱいだったとき」よりも、つらい一面がある。
死を願って、それだけが救済だと思っていた頃は、それで良かった。
ただ耐えていくこと、そして、生き延びること、一瞬でも長く呼吸をすること。
何も考えずに時が流れていくのを待つこと。
それに集中していくこと。

だけど、そこから、余裕ができると、人生を見渡すことができる。自分が、不幸だということに、現実感を伴って気がつく。時間は、一方方向に流れて、取り返しがつかないことを痛感する。
幸福なはずだった日々は、奪われて、自分のものには決してならないのだということに気がつく。
何かで頭がいっぱいだった頃は、それを克服しさえすれば、幸せになれると思っていた。
だけど、そうじゃなく、「それ」がなくなった自分には空っぽだけが残っていたことを知ってしまう。

わたしは塾講師をはじめたとき、幸せそうな子どもがねたましかった。
火を吐くほど、許せないと思った。
わたしには、なかった生活を送っている子どもたち。何もかもに恵まれて、不平をこぼしている子どもたち。
ひりつくような、焦燥と、妬ましさを感じた。
仕事でなければ、わたしは、何かしてしまったかもしれない。

わたしは、空っぽだったけれど、人生が延々と続いているのがわかった。運が良ければ(悪ければ)、人生は続いていくと。具体的には、後一秒先にも生きているだろうし、後一分先にも生きているだろうという見通しが立ったということ。その間、わたしは何をして、何を感じて、生きていくんだろう。死ぬことは、あまりにも難しかった。あの頃思っていたよりも、死ぬことはとても難しい。
死ねば良いと信じていたのに、難しいことだった。

わたしは、一人だったので、人生を取り戻すことにした。
医者にそういうすすめを受けた。そうすることにした。わたしはなんだってできるのだ。
手始めにお金を使った。持っていたからだ。持っていなかったら使わなかっただろう。わたしは恵まれていたし、運が良かった。

最初は、何が欲しいのかわからなかった。
だから、つまらないものをたくさん買った。
喉が渇いているみたいな感じだった。復讐するように買い物をした。
だんだん、欲しいものがわかった。
わたしは自分の身を飾るものが欲しいのだ。知的に洗練されることはもういらない。わたしは、美しくなりたい。清潔な家に住みたい。ゴミのない家に住みたい。

わたしは買っては捨てて、不似合いな若い服を買っては着た。
食欲がひどくて、空っぽな時間を持て余すように、食べ続けて、ついに、これ以上太るはずがないと思っていた体重を超えた。それでも、太ることをやめられなかった。どうすればやめられるのかわからなかった。どう誤摩化しても、自分が太っていることを誤摩化すことができなくなった。コントロールできなくなった。

それでも、わたしは止まらなかった。
したくないことでも、頭に浮かんだら全部した。
お見合いもした、アルバイトの面接に行った、会社の先輩とクラシックバレエに通った、ヨガ、ピラティス、ヘルパーさんを頼むこと、本を読むこと、漫画を読むこと。逆に、テレビを見るのを一切やめた。映画を観た。旅行に行った。世界中見てみたいと思った。原付を買った。カメラを買った。街コンに行った。友だちと再会した。

太っていても、痩せていても、美しくても、醜くても、ばからしいカッコウをしていても、わたしの頭がおかしくても、賢くても、態度の変わらない人がいることも知った。わたしには、わたしの価値があるらしい。わたしの過去を知っても、知らなくても、彼らにはどうでも良いのだ。

わたしは、過去の欠損が恥ずかしい。普通の人と同じようなことができていないことが恥ずかしい。能力がないことが恥ずかしい。能力がありすぎることが恥ずかしい。異端であること、平凡であること、愚かであること、聡明であること、他人との違い、他人との共通点、それらがみんな恥ずかしくて、消え入りたかった。

それは怒りに転換した。わたしは、それで食べた。そして、より太った。

わたしは、不意に痩せ始めた。
本当に少しだけど、でも、痩せ始めた。
人と会って、話して、話しすぎたり、人の話を聞きすぎたり、やりすぎたり、足りなすぎたり、一日中眠りすぎたり、働きすぎたりしながら、少しずつ、中心を発明していった。

ああ、わたしには心地よい自分の中心があるらしい。それは、自分で決めて良いらしい。わたしが太っても痩せても、世界はあまり変わらないらしい。

そういうことがわかってきた。
わたしが泣くのも悔やむのも、別に甘えではないらしい。それは必要なことらしい。わたしは自分の欲求を、自分のできる範囲で満たして良いらしい。それは後ろめたくないらしい。

わたしは、毎日記録をつけている。
それによると、わたしは、少しずつ変わっているらしい。
頭の中の配線が、変化していっているらしい。

そこには、些細な希望があるような気がしてきた。

不幸な目にあった人は、関係のないひとに、当たり散らしても良いし、関係のないひとは、さっさと逃げて非難して良い。
お互いにお互い絡み合って、逃げ場がないほど、どろどろと生きていって良いらしい。そこから逃げても良い。その中間でも良い、自分でバランスをとっても良い。大人は自由なのだ。

それは、自分で選ぶことができる。
苦しくならないように、苦しいときにも、呼吸ができるように、お互い願いながら、重なり合わないわたしたちの人生は続いている。

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自分が大事にされると戸惑う

昔付き合っていた、恋人に、一目見てほしいけど高いからあきらめていたワンピースをサプライズプレゼントされたのに、断ったことを思い出しました。
今思うともらってあげることがよかったです。
わたしは、このことを思うと、今でも悲しくなります。
ひどいことをしました。それで、他のことが原因で、別れた後も、長い間引きずっていました。
あんなに大切にされることはもうないだろうということと、大切にしてくれる人を裏切ってしまったということと、大切にしてくれていた恋人はもういないのだ、たとえすがったとしても、わたしに同じ気持ちを持ってくれはしない、という事実を認めることができなかったのです。

自分が大事にされることが落ち着かないのです。
なんで、わたし?わたしにはそんな価値がないよ?わたしにだまされてるんじゃない?あなたはもっと価値があるから。もっと価値のある人と出会うよ、と思って、遠ざかってしまうのです。
そして、クズみたいな男とくっついていたのがわたしでした。ちゃんとしたまともな男性と付き合っても、大事にできないで、そして、距離を置かれてから、迷惑をかけるというパターンでした。

今度は、そうはなりたくないのです。
相手の人は、わたしを大切にしてくれるようです。だから、ごちそうで喜ばせたいと思ってくれてるんだと思います。この辺で一番の老舗の一番良いお店です。だから、嬉しいはずなのに怖いのです。

わたしは、今度こそ、生まれ変わったつもりで、大切にできるんだろうか?
わたしは、相手にふさわしい相手になれるだろうか?
傷つけることを恐れずに、向き合えるだろうか?
自分の気持ちばかりを優先せずにいられるだろうか?

わたしは、今度こそ、過去を言い訳にしたくありません。

過去の経験が足りなかったことも、もう、言い訳したくないのです。わたしは、この一年間で、十分自分を甘やかしました。満足するほど不似合いな若い服を着て、若いメイクをしました。わたしは、これでもういい、十分だ、十分だからこれから、年相応の振る舞いができると思いました。
そう思う直前に出会った人です。

花とケーキとディナーです。
とても緊張します。
向こうも緊張していると思います。
相手の考えていることが、こんなにもお互いわかりやすい間柄というのは珍しいと思います。
駆け引きもなくて、お互いに思っていることがわかるように、行動していて、矛盾がないです。
わたしは、前より少し成長したでしょうか。
大人になれたでしょうか。
償えるでしょうか。

わかりません。

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生きづらい人全員になにかしたい

すごいお母さん、EUの大統領に会う – ほぼ日刊イトイ新聞

こちらの記事を見て、わたしにもできるんだ!と思いました。

わたしにはなにもないけれど、なんだって、できるんだ、と勇気をもらいました。

わたしは、今からだって何でもできる、人生は一回だから、尻込みしている暇はない。
お金がないとかもったいないからとか、縮こまってる暇はない。
だから、できることをどんどんやっていって、いろいろな人と会って、世界を広げていって、変えていきたい。

わたしが変えたいのは、自閉スペクトラム症に関することを、自分なりに、綴っていって、定型の人と、わたしの話は地続きだから、お互いわかり合えると、問題が解決するってことを伝えたいこと。

自閉スペクトラム症のわたしは、かわいそうだから、定型の人に理解してほしいわけじゃない。
わたしは、定型の人を救いたいと思ってるくらいだ。

わたしはずっと定型だと思って暮らしていた。だから、定型の人の苦しみがわかる。わたしの生徒さんは、定型だけど、周りを気にしすぎて、成績が伸び悩んで、将来に関わっていることもよく見る。
定型には定型の苦しみがあるのだ。
周りに合わせないといけないと思うと、それが割り切れない。わたしから見ると、ああまで周りと浮かないことを至上命題にしているのは、理解できないし不毛だしで、ビョーキだ。バランスを欠いている。

わたしは、生得的に、周りに合わせることの有用性が理解できないから、もともと合わせない。それによって、不利益もあるのだろうけど、それ以上に自由に生きている実感がある。

その実感って、何よりも生きる上で必要なものだと思う。
いくら、生きるために、有利になるからと言っても、それに縛られて、苦しむのはかわいそうだと思う。

わたしは、かわいそうだと言ってもらうのが好きだ。それは優しい気持ちだと思うから。

定型の人たちは、自分で作り上げた社会に縛られすぎて、苦しんでいるように見える。
定型の人のために設計された世界だから、本来は生きやすいのだろうけど、それでも、疲れているように見える。

わたしは、最初から制度の外にいるから、そのせいで、迫害されたり、生きづらかったりするけれど、今は、もう、そういうのはあまり感じない。
それよりも、定型の人がもつ苦しみが気にかかるし、わたしと共有できるものがあると思う。

もちろん、自閉スペクトラム症の人と情報交換していくのは、当たり前なのだけど。

わたしは、自分が普通だと思っていたとき、「正社員」になるのが当たり前だと思っていた。
だけど、転職をして、非正規になって、ダブルワークをしたら、はるかに快適に働けるようになった上に、二年目になった今では、正社員の頃よりも、生活環境も収入も良くなった。余暇の時間も増えた。

朝、六時から九時まで働いて、夜、四時半から九時半まで働く。だから、三時間から四時間働いて、限界だ、と思ってから、休憩をして、もう一回、働くことができている。これは、無理がなくて、続けやすいし、なんとなく、一日が自由な感じになる。一週間のうちで、全部まるまる一日休み、という日が今のところ、なかなか作れていないけれど、一日連続で八時間働くよりはずっと疲労が少ない。

こうあらねばならない、とか、嫌だけど変えられないはず、とか、そういうものを手放していけば、幸せになる人は増える。

幸せになる人が増えれば、治安も良くなる。

わたしは、発達障害を受け入れる過程で、きっと、こうあらねばならない、を少しずつ手放せているのだと思う。今も完璧じゃないけれど、少しずつ手放している。

もともと、なぜ、どうしてを考える人だったから、制度に対する疑問が強くて、飲み込めないでいた。だから、生きづらかったのだけど、今は、飲み込まない、という選択をしたので、遥かに楽になった。多分、今、こうあらねばならない、という生を生きている人に比べて、ずっと楽に。

だから、わたしの役割は、この世の中に、きっとあって、それがブログを書くことだったり、文章を書くことだったり、文学フリマに出ることだったり、世の中に与える影響は小さいけれど、それはゼロではないし、わたしのドアは、世界に向けて開かれているどこでもドアだ。

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たいへんだーディナーだー電話が来たー

軽トラさんから電話が着ました。

なんだろー、と思って出たら、ディナーを予約したとのことなのです!
なんか、一生懸命説明してて、最初何のことだかわかんなかったよ!

たいへんだー、うおー!と心の中の人たちが大騒ぎしました。
うわー。

軽トラさんはディナー予約したのが初めてでドキドキしたとのことです。結婚式以外でコース料理を食べたことないんだって!お店詳しくないから調べたんだって!軽トラさん、インターネットしないんだよ。どうやって調べたんだろう。あと、Emailも未だにしない。純粋培養だ。

何その可愛い人!意味わかんない!
質素に暮らしているのはわかるけど、服とかおごり方見ていても、別にけちじゃないのに、本当に質素に暮らしているんだな!
そういう人がディナー誕生日プレゼントにするのって一大決心だと思うの!可愛すぎる!ラブリー!

とりあえず、遠慮して、「悪いけど大丈夫?」と言ったら「あんまり気を使わせるかなと思ったんだけど、気を使いすぎると楽しめなくなるから、気を使わないで!」と言ってくれたので「ありがとう。楽しみにしてる!」と言いました。

うおお、可愛すぎるんで、雄叫び上げて部屋の中暴れ回ってベッドの上で転げ回ったんですけど!これが自閉症スペクトラムの症状なのか!思う存分手とかひらひらさせたけど。体ばちばちたたいたけど。これか!それはどうでもいい!

なにそれ、そのロマンチックなの。「ケーキと花も用意してるから楽しみにしてて」って言ってたんだけど。可愛い!可愛い。すごい頑張ってる!わたしそんな頑張ったことない!

わたしと軽トラさんは付き合ってないんですよ。マメだ!ロマンチストだ!ちょっとずれてるくらいだ。
すごい!意味わかんない!可愛い!

服は気張らないでポロシャツとパンツにするって。相談してきた。可愛い。なんなん、それ。軽トラさん天才じゃないの?なんかの。常軌を逸している。これは、すごい。普通もっとかっこつけるっていうか、もっと「手慣れてるぜ」みたいにがっちがちになって、失敗する人多いじゃん。そういうのじゃないのか。すごすぎる。そういうので討ち死にしてきた人をたくさん見てきたが、これはすごい。こんなことをされたら好きになってしまうに決まってるじゃないか!

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