おしゃれには型があり、学ぶことができる

29歳の時、友達に紹介してもらったコーディネーターに、パーソナルデザインと、パーソナルカラー診断と、お買い物同行をしてもらった。
それから、何年かに一回はお願いしている。

今日はずいぶん気落ちをしていた。
わたしの書く文章は誰にも必要とされていないのではないか。
もちろん、友達は良いと言ってくれる。読者さんも今日のわたしの状態を見てか、声をかけてくださった。
だから、ゼロってわけじゃない。そこに意味はある。
全員に好かれることはできない。

今日はヘルパーさんが来た。
「これ捨てる?」と聞かれた。それは、いわゆるプチプチだ。
何となく取っておいてしまうものがいくつかあって、紙袋と、レジ袋と、プチプチはその筆頭だ。
「捨てないとゴミ屋敷になるから捨てる」と即答できた。
わたしの母は捨てるのができない人だった。
大人になってわかるが、買うのは楽しいけれど、捨てるのは難しい。
人にあげる人がいるけれど、捨てることができないからっていうのは大きいと思う。
メルカリの売り手が、高い手数料と手間にも関わらず、せっせと売るのはお金が欲しいというより「捨てるのが嫌」だからだと思う。
(メルカリは買い手のモチベーションは確保されているが、売り手にはないのが特徴だと思う)

わたしが手を上のほうに上げても、赤ちゃんはびくっとしない。
それは、わたしが赤ちゃんをたたいたことがないからだ。
ということに気づくということは、わたしは母にたたかれていたということだった。
窓を閉め切ったままにしていると、気が狂いそうになるのは、母がわたしに怒鳴る前に、家中の窓をバタバタと大きな音を立てて閉めていたからだ。外に音が聞こえないようにするためだ。

わたしは、母から、人を虐待すると人がどうなるのかを学んだ。
そして、服を着るということは学べなかった。
(今、パソコンを買ってもらったことを思い出して、混乱している。パソコンは買ってもらえた。下着や服や、ブラジャーを買ってはもらえなかった。それなのに、いい母親だと思いたいのだ)

毛がふわふわしたセーターを、二十代のころから一度でいいから着てみたいと思っていた。
でも、「絶対に着てはいけない」のだと思っていた。
でも、コーディネーターに「似合いますよ」と以前言われたことを思い出した。
その時は買わなかったけれど、試着してみたら、大丈夫だった。
十五年前から欲しかった服を、ようやく着ることができて、「悲しい」と思った。
この十五年間はどうしても、どうやっても、どれだけ憎んでどれだけ怒ってどれだけ二度と会わないと決意したところで、「戻ってこない」のだ。
本当に欲しいのは、虐待されていなかった自分が味わっていたはずの二十代だ。
でも、嘆いていたら、今度は「三十代のわたしの人生」まで失う。どんなひどい罠だろう。

若い私がふわふわの毛が生えたセーターを着たら、にあっただろう。
幸い、わたしのパートナーは「よく似合うよ」と言ってくれる。それはわたしを癒してくれる。
でも、深いところで、わたしは乾いたままだ。癒されない。

何年かに一度コーディネーターにお買い物同行を頼むのは、わたしの中にいる新しい部分を発見する冒険に、一人ではいけないからだ。
一人ではいけないけれど、ガイドがいたら、新しい視点を発見できる。知識も体系的に知ることができる。
わたしは自分が何を好きだったのか、もう、わからない。
何が好きだったのか、客観的にどういう姿なのか、コーディネーターに教えてもらう。
わたしは、バケモノみたいな姿でもなくモデルでもない普通の人間だということが分かり、世の中には普通の人間のための服が売っており、それは、お金を出しさえすれば、どんな人格でも買える。手に入れられる。
否定されて育ったから、わたしにはふさわしくないとしり込みしてもしまうものでもお金はわたしにそれを与えてくれる。
好きな服を着るためには、メイクや組み合わせや、体形についての知識が必要だ。
それは、自分のためだけのものだから、わたしに合わせて言葉を紡いで、現物を見せてくれる仕組みがありがたい。

わたしの母は、ゴミを捨てられなかった。何がゴミか、何を取っておくべきか、区別ができなかったからだ。
五年間放ったらかしにしていたゴーヤの種を勝手に捨てたら怒鳴られた。
形の崩れた数十年前の服、べたべたに汚れたなにか、そういうものも彼女は捨てられない。
そういう気持ちも理解できてしまう。
でも、わたしは客観的に考えることを学びたい。彼女よりも前に進んだ人生を送りたい。
わたしに窓を閉める意味を教えたことは間違っている。
わたしは開かれた窓を知りたい。窓の先に何があるか。
わたしは自己表現をしたい。
そのせいで、わたしがとてもとても嫌われてしまうのは悲しいけれど、わたしはそれでも自己表現したい。


反差別は共感を必要としない

“わかってほしいは乞食の心”という田中美津さんの言葉を読んで、その言っていることも分からないのに、感電したようだった。そのあと、ゆっくりと意味が立ち上ってきた。

「わかってほしい」と懇願すること。媚びること。その時点でまだ力の差が解消されていないということ。
わかってほしいための努力を一方がし続けるということ。
相手は、ずっと「いや、お前の説明ではわからない」「説明が不十分だ」「根拠は」「わからない」そういい続ければいい。
いくら丁寧に言葉を紡いでも、わからないのだ。わかりたくないのだ。わかりたくないから、永遠にわからないのだ、相手は。
なぜなら、この社会は、彼らにとって都合がいいものだから、手放したくないものばかりで、その手放したくないものは、被差別者が踏みにじられた上に成り立っているから。

わたしを駆り立てているものは怒りだ。

それは、“クソオス”と発言する人はフェミニストか。
このブログを読んだからだ。

社会制度の優位性に乗っていることに無自覚な《男性》を罵っても、性別としての差別をしたことにならない。
女性が男性を罵っても、社会制度を作り運営しているのが男性である以上、女性は男性を差別できない。
だから、クソオスといいながら、性差別に反対することは矛盾しない。権力差があるから。

共感は時として、反差別の邪魔になる。
「ああ、それ、おれもあったよ。よくあることだよね」「それって、あなたが親しみやすい・魅力的・思わせぶり、だからじゃない?」
「油断していたから悪いんじゃない?」
「もっと気を付ければよかったのにね」
「どうして騙されたの?」
「どうして逃げなかったの?」
「どうして、その男を選んだの?」
「どうして、その道をその時間に歩いてしまったの?」
全部、わたしが言われたことのあるセリフだ。
女性ならば、一回くらい、自分が言われたことはなくても、耳にしたことはあるんじゃないか。
被害に遭った人が「どうして」とかけられる言葉。
被害者は、被害に遭ったという自覚がないままの時でも、「どうして」「なぜ」の前に、おろおろして立ち尽くし、自分を責めていく。

わたしは、初めて、十歳の時に痴漢に遭った。電車に乗っていたらからだを擦りつけられた。
道を歩いていて、殴られ首を絞められ、羽交い絞めにされた。
セックスをしてくれ、お金を払うから、と言って、未成年のころ、付きまとわれた。
ストーキングされた。
レイプされた。
お金を盗られた。
脅迫された。
監禁された。
面接に出かけたら、女だから、この会社でできる仕事はない、と言われた。
結婚したら、仕事はどうするんですか、と聞かれた。
妊婦の時、男連れで、昼間に道を歩いていたら、わざと足をかけられそうになって警察に駆け込んだ。

そうした相手は全部男だったが、「男が社会を作っている」くらいのことを言うだけでも「たまたま」「偶然」「思い込みすぎ」と言われる。

全部の男がそうじゃないことをわかってほしいんです、と男たちは言う。
「男だって、そういう目に遭う可能性はある」と男たちは言う。

だったら、「その通り」の男たちに、何か言ってくれ、と思う。
彼らには、「その通り」な男たちが見えない。
そして、自分は「そうじゃない男だ」と思い込んでいる。
女が犯罪を起こす割合と、男が犯罪を起こす割合。
犯罪のほとんどは男が起こしている。

丁寧な言葉を使う余裕を持てと人は言う。

余裕。
例えば性別差別について、賃金格差が、正社員同士で比較しても、女の賃金は男の半分ほどももらえない現状で、生活を脅かされたまま持つ余裕とは何なのか。
年収一千万円を超す人間の男女の割合のいびつさを知っていて、そう言えるのだとしたら、無神経だ。
シャドウワークと言われているものすべて、ほとんどを女性が担っている、それに費やす労力自体がハンデなのに、「そのハンデがあるから、男性と同じ賃金は上げられない」と言われる理不尽さを肌で感じていてもか。
人が一人生きるのにかかるお金は変わらないだろうに、わたしたちは、「違う」といわれて生きてきた。

社会制度を決定する場に女性は本当に限られた人数しかおらず、その人たちも男たちから足を引っ張られている。
政治家でも「家庭との両立は?」と聞かれるのは女だけだ。
いちいち「美しすぎるなんとか」と容姿をとりだたされる。それも女ばかり。

へりくだり恭順の姿勢を見せ、腹を出すのが余裕ならば、そんな余裕はいらない。
あなたの脅威にはなりませんよと、常に言って、相手の機嫌を取るようなことはしない。

わたしが、ひどい目に合うのは、女だからだ。高校生の時に、進路で悩んでいるときに「女は出産するから、会社がとるメリットはないよね」と男性の同級生が言ったのは、「どんなに勉強しても、男にはかなわない」と男性教師が言ったのは、わたしが女だからだ。
出席名簿が、混合になる前、男子から先に名が呼ばれ、女が後回しにされた。「そんなこと、合理的な区別だから、差別じゃない」そう言われて、女は片づけをし、男は外に遊びに行った。

女とは何か。
まんこがあることか。子宮があることか。卵巣があることか。子を産めることか。心が女ということで、女か。男を愛せば、自他ともに女と認めていれば、女か。

わたしは、腹を裂き、子宮から赤子を取り出し、今も文字通り乳飲み子を抱えながら、この記事を書いている。
女というなら、わたしはまごうことなく女だろう。
そう、わたしは女という名をもつ。
誰もがわたしを女と呼ぶだろう。母親と呼ばれ、妻と呼ばれ、誰かの娘と呼ばれる。そして、わたしは役割の中に本当の名を失っていく。

わたしは、自分が女だということで不利益を感じて、知ったときからずっと怒っている。
女が立ち働き、男が飲み、くだをまく正月に。
子供だからと、反応を面白がって、嫌がってもくすぐり続けるおっさんに。

わたしは、ずっと最初から怒っていた。
だから、自分のために学んだ。本を読んだ。
怖いと言われても、変わっているといわれても、生意気だと言われても、絶対に怒っていた。
わたしは、今だって怒っている。
怒らないと伝わらない。
高校生の時に「女を雇ってもメリットがない」と男性に言われて、わたしは丁寧に抗弁した。
しかし、まったく通じなかった。
そこに問題があるとは思われなかった。「合理的でしょ。女が出産して育てて、それで世の中回っているのだから」と。
穏やかに言っても、強く言っても、どうせ通じないのならば、自分で自分の表現を自分の好きなように、コントロールするほうがどれほどましか。それは、自分の軸となる。
それでも「まし」という程度にしかならない。

わたしは、自分の怒りを理解するために、生きるために、生きるための武器を磨くために、防具をそろえるために、フェミニズムを学んだ。なじめないフェミニズム、なじめるフェミニズム、いろいろなフェミニズムがあった。
わたしの胸を打ったのは、素朴なウーマンリブだった。学問ではなく、声の言葉をまとめて、戦った女たち。

わたしは興味を持っていただくために、へりくだって、声をあげたくない。
いつだって、自分本位、自分のためだけに、戦いたいと願ってきた。その願いがどれだけ反故になっても。

それが自分を尊重するということだからだ。
わたしは、自分を尊重する。
わたしは、わたしの怒りを尊重する。
わたしの怒りの期限、「いつまで怒っているの?もう忘れたら」という言葉に耳を貸さない。
わたしの怒りはわたしのものだ。わたしの言葉はわたしのものだ。
「もっとスマートな方法があるんじゃない?人を集めるような」そういうものは必要ない。

フェミニズムは、他のひとに共感されるためにある訳じゃない。
反差別は共感を必要としない。
尊重されるために、お情けはいらない。
当然あるべきものを取り返すだけだ。
堂々としていたい。
共感されるためにどうこうとは、下に虐げられたことを受け入れる恭順の姿勢だ。わたしは絶対嫌だ。

わたしは怒っている理由も、その怒りの期限も、行く末も、表現方法も、全部自分でコントロールする。
それが、自分を尊重するということだから。
他のひとに伝えるためにフェミニズムをやってない。
全部全部自分のため。
媚びてなんとかなるものか。
媚びなくてはならないことが怒りなのだ。

反差別は、「おまえが認識していないで済んでいる問題があると認め、理解しろ」ということから始まる。
そこには、共感は必要ない。
共感とは、自分が理解できる、つまり、自分の立場を破壊しない「被差別者」を選別するためのもの。
怒りは、社会を変革する力だ。
自分たちがメリットを享受しているものを、壊すことを恐れるものは、「共感したい」という。
共感できるものを探す。
そして、社会を変革しないで済む範囲でだけ、差別をなくしました、という表現をする。
でもそれだけだ。
それがマジョリティにとって安全だからだ。
自分たちの既得権益を失わないまま、人道的なふりができるから。

怒り、悲しみ、非生産的だと言われ続けてきた、感情的、生々しい、生理的なもの。
反差別に、理屈は必要か?
人が生きるために、心、体、思考、感情、何か一つ欠けてもならない。
生々しい、実際に生きている、血の流れるこの体が、あるということ。それだけが必要だ。たとえ殺されたとしても。
殺されるということが大げさだと言われようと、殺されかかりながら生きながらえてきた、それがわたし。
殺される危険と生きること、そのほかの合わなくて良いことに遭うということが差別。

反差別に共感は必要ない。


家にはすべてがある、しかし、散歩だけがない

わたしの家はたいへんに住みやすく、居心地もよいのです。
ネットフリックスを契約したうえ、アマゾンでプロジェクターを買ったものだから、天井に移しながら、布団で映画を観られるという最高な環境もある。

そして、ゲーム機もいくつかある。最近体調が悪くてできていないけど。

お香もたけるし、音楽も聴けるし、クーラーもあるし、本も買えばあるし、読める。
冷蔵庫もあるから、ご飯も作れる。
うちにないものは、……散歩だけだ。
わたしは、散歩が好きだ。散歩したついでに、買い物したり、デパート、カフェ、映画館、本屋、そういうところによったりするのが好きだし、街路樹や、庭、花を見るのも空気の香りを嗅ぐのも好きだ。
だから、仕方がなく、家の外に出る。
家の外は楽しい。
今は妊娠してるから、原付に乗って、どっかにいくこともできない。山も海もだめだ。つまらない。
退屈だ。
おなかの中で何者かがうごめいている感覚はとても面白いし興味深い、もう、最近では完全に人の形をしてますよね!というのが、ありありとわかるサイズだし、骨の感じも腹の肉越しにわかる、ちょっと気持ち悪いなりにかわいい。

昼間は吐き気と頭痛と倦怠感で、ずっと横になっていましたが、夕方から突然、元気になって、眠くもなく、こうして、ネットをしています。


病気になることで、生き延びる

摂食障害 100人100色の『回復』 鈴木眞理×信田さよ子×鶴田桃エ×荻上チキ、NHKハートフォーラムシンポジウム

これを読んで、とても興味深かった。
自分語りをしようと思う。

過食症の方は対人関係に苦手意識があり、自己評価が低い方が多いです。ストレスを溜め、それが上手く発散できない傾向があります。すると嫌な気分になって、無性に何か食べたくなる。この時、脳が喜ぶ甘いもの脂っこいものを食べます。過食の最中だけ嫌なことを考えない解放感があります。

こういう時期があった。
過食症だから、死なないという自覚があった。いつか収まるだろうと、放っておいた。
お金はかかったし、からだも重たくなった。
今思うと、わたしは自己評価が低かった。夜になると不安になり、眠れなかった。だから、食べた。

一人暮らしをし始めてから、過食が始まった。収まったのは、仕事で自信が付き始めたころだった。
その代わり、買い物依存症気味になった。

過食症などの依存症に限らず、病気をしている間は、人生に向き合わなくてもいい。
向き合わないでいいというと語弊があるけれど、病気のことを考えることで、逃避できる。
解決することができない問題を目前としたとき、できることは、少ない。
病気を無意識に選んだんだと今では思っている。
わたしは親に支配されていることがつらかった。
自分の価値観とは違うことを強いられ、戦おうとしても、すべてを読まれているから撃沈した。
逃げる力も奪われていた。わたしが生まれてからずっと知っている相手に、わたしの気をくじくことはたやすい。

本人がなりたくてなった病気ではないこと、頑張った結果なってしまったことを説明します。

そう、なりたくて病気になったわけじゃない。病気でいることは苦しい。人生をエンジョイしている同年代を見ると、嫉妬と、恨みと、どうしようもない焦りが生まれ、親に対する怒りがピークに達する。
その怒りがわたしにとって重要だった。怒りを自分に向けている間は、わたしは治らなかった。親に向けて、逃げ出すことができて、初めて、そのエネルギーが、自分以外に向いた。それをするには、いろいろな人の助けが必要だった。

ストレスから、心身に重大な症状、例えばアレルギー皮膚炎などが出ても、それでも、親は変わらなかった。
だから、どんどん、病気が増えていった。病気をしている間、人生は保留になった。
それが、つらかった。しかし、それが救いでもあった。

病気が治りさえすれば、どんなこともうまくいくと思っていたが、そんなわけはなかった。
でも、病気よりつらいことはなかった。
あれよりつらいことはないから耐えられると考えると、不幸になる、と言われたこともあったし、それ以上につらいことだってある、と言われたけれど、今のところ、そういうことはない。健康であることが一番幸せだ。
だから、不健康になることは徹底的に避けることにしている。すぐに身体的に症状が出るから、サインを読むのはたやすい。
不便だけれども。

意志が弱いのではなく、あまりにも意志の力を信じ、自分をコントロールすることにとらわれてしまうのがアディクションなのです。

また、「アディクション」には心理的鎮痛効果、つまり心の痛みを感じなくしたり和らげたりする効果があるといわれています。アルコールやギャンブル、薬物、買物依存などと同様に、摂食障害の行動にも同じく鎮痛効果があると考えられます。

理不尽なことが、家庭内で、ずっと続くと、コントロールできるのは、自分だけになる。
しかし、それを続けることで、自分の体もコントロールできなくなる。

それが苦しかった。

何かにアディクトしている間は、そのことに集中していられる。アディクションだけでなく、病気の間も、病気の苦しさに集中していられる。心理的な葛藤が、原因だけど、心理的な葛藤を、肉体的な苦痛に置き換えて、シャットアウトできる。

それは確かにメリットなのだ。

親は、わたしに治ってほしい、と言いながら、看護というすることができて、生き生きとしていた。
それでいて、疲れると、わたしに当たり散らすこともできた。
優しくすることも、つらく当たることも、どちらも正当化できた様子だった。
だから、わたしがよくなりかけると、そのタイミングで、悪化するようなことを仕掛けてくるのだった。
それは、母だけでなく、離婚した父も同様だった。

わたしは、強いコントロール下にあった。
病気はそれに対する反応だった。しかし、病気は、コントロールから外れることを望んでいたのに、コントロールを強化した。
なぜなら、一人で暮らすことを妨げる格好の理由となったからだ。
頼むから就職しないでくれ、と言われたことも忘れられない。

生きづらさ」という表現もあまり好きではないんです。たとえば親や家族が喧嘩をしてる。その中で生きる子ども時代ってやっぱり本当に苦しいし、それが自然だと思います。それを「生きづらさ」と言っていいのか疑問なんです。そんな中で人間らしく生きようとしたら、たまたま痩せたり食べたりする行為になってしまった。

わたしの家は、高度に葛藤した場所だった。父は、わたしが小学校低学年の時に、家を出て、愛人と暮らしていた。
父は、一か月に一回、わたしたちに会いに来た。そして、家族のまねごとを強いた。

父がいないことを、わたしは、祖父母にさえ、秘密にしなければいけなかった。
同級生にも秘密だったので、家に友達を招くことができなかった。玄関に男の靴がないことを知られると、家に父がいないことがばれるから、玄関先にも入れるなと言われた。それは、友達を作るうえでも、世間話をするうえでも大きな妨げとなった。いつも、秘密を抱えていることが、とても苦しかった。
父方の祖母は、わたしをいじめた。
わたしたちが、悪いから、父が家を出たのだと考えているようだった。

わたしは、「こじらせている人」「生きづらい人」と言われたことがある。こじらせているのは、わたしの親であって、わたしは正常な反応をしただけだ。
ほかの家庭の在り方を知らなかったから、主治医に、「健全な人間関係を学ぶために」とテレビドラマや、映画を見ることを勧められた。それくらいしか、教材がなかった。「みんな、悩んでいるから、これだけ家族をテーマにした作品があるのだ」と主治医は言った。

わたしは、苦しいのが普通だった。正常だった。でも、両親は、両親が普通であって、わたしが異常だと思っていた。
単に、わたしの文化と、両親の文化が違うだけだったのに、わたしが悪い、と言われたので、わたしは病気になった。

そうした恥の感覚や罪悪感を消すために、「周りの期待に応える良い子」をやってきて、その無理が摂食障害という形で「表れてくれた」と思っています。

わたしは、いい子をしていた。
勉強しか、娯楽がなかったので、勉強をした。それ以外は取り上げられてしまった。

もちろん、遊びに連れていかれたが、それは母の考える「子供のためになること」であった。

「時間がかかっちゃう」って言い方をする人が多いのですが、時間をかけて欲しいと思います。

これは、その通りなのだけど、本当に残酷な事実だ。普通なら、人生を楽しめる時間なのに、病気のため、生まれた家のために、病気なんかのために、人生を使わないといけない。病気が終わってから、空っぽの自分を、満たすために、数十年遅れて人生を始めないといけない。
病気から学べばいいといわれたことがある。
ものすごく、腹が立った。
病気を無駄にしないように、だとか、成長する機会だと思って、と言われたことを思い出すと、怒りで心が燃え滾る。
人生における小さな楽しみ、例えば、道に咲く花に気が付くような感性をすでに持っているのに「そういうことに気が付けるようになればいいね」と言われたこと。その人自身が、気が付いていないのに、「そういう話に感動した」と言われたこと。
わたしは、誰かを感動させるために病気になったわけでもなかったし、ほかの人だってそうだろう。
ただ、やりきれない毎日の中で、なんとか慰めを感じたことだというのに、それも、「消費」されるという悔しさ。
その消費世界が、わたしを病気にしたのだという直感があった。

いい大学に入ってほしい、と言われた。
でも、偏差値の高い大学に入らなくても、自分の道を見つけて、幸せに生きている人なんて、たくさんいた。
その人なりの、幸せが見つかればいいのだ。

摂食障害の仲間たちは、どうするべきか、どうするべきじゃないか、という「べき」の価値観にとらわれているということです。そこからはなれて、今自分が楽になるために「どうしたいか」、「どうしたくないか」を中心にすること。

どうしたいか、どうしたくないか、を取り戻すのには、とても時間がかかった。
最初は、したいことが思いつかなかった。
それに、失敗することが怖かった。
あまりにも、先回りされすぎていたから、自分で選んだことを、失敗とみなされることが多かったから、そのあとの報復や恥辱がつらかったから、もういないのだ、と実感することが難しかった。
高校生の時、自分で選んだ服を、返品してこいと言われた。
何度もそういうことがあった。
わたしは、返品したくなかったし、恥ずかしかった。何時間もかかって、やっと選んだ服だったから、着てみたかった。お店の人に嫌な顔をされるのも嫌だった。
自分の価値観を否定されたと感じていた。
それでいて、お前はダサいと、母にも妹にも言われていた。妹には、母は、ブランドの服を与えていた。

大声を出されたり、赤ちゃん言葉でしか話しかけてもらえなかったり、大人になってからも三歳児向けのおもちゃを買ってこられて、いらない、と言えば、泣かれたり、そういう狂った日々だった。

母も、父も、病を持っていた。
それは、診断されるようなものじゃなかったかもしれない。
けれど、彼らは、それを見ないことに決めていた。
わたしが間違っていると決めつけることで、自分自身から逃げていた。

親でさえ、逃げていた親の病に、わたしが付き合う必要がない、とわかるまでには、長い無駄になるような時間が必要だった。

それは、なくてもいい時間だった。
そこから学ぶことなんて、一つもない。
学ぶべきだ、感謝するべきだという人には、唾を吐きかけながら、これから、自分のことを考えて生きたい。

ポジティブな人は、どんなことからも、学べるというが、わたしは、ポジティブになりたくない。
ポジティブな人に利用されたくない。

病気になることでしか、生き延びられない、無力な時代があった。
今は違うと思いたい。


病気の受容のプロセスを尊重しながら関わること

批判は、その人に対しての否定じゃないんだけど、混同する人もいるんですね。

それはそうと、生徒さんを教えていると、これはちょっと「困難を抱えているかもしれないな」と思うことがあります。
でも、自分から、そうなの?とか、病気なんじゃないの?とは聞きません。
(場合によっては困っていることある?ということは聞けるときがあるかもしれません。まれにです)

もちろん、親御さんのほうから伝えてくださることもあります。
また、情報共有のために「あの生徒さんはこういう困難を抱えているようだから、こういう対応をしよう」と相談し合うこともあります。

何度も言うようですが、精神疾患、二次障害が致死的という意見について、反対なのは、いくつか理由があります。
精神疾患に関する誤解を解くために、医療関係者や当事者がずっと働きかけてきました。

二次障害で主だったものを、私が知っている限り、羅列すると、うつ病、双極性障害、統合失調症、パニック障害、不安障害、適応障害などがあると思います。(統合失調症以外、全部診断されたことがあります。うつ病は誤診だったようです)
でも、それは必ずしも死ぬ病気ではありません。
放置していたら、確かに、死の危険が高い病です。
でも、たとえば、二次障害については、二次障害、というのだから、医者にすでに掛かっている場合が多いのでしょう。
二次障害が致死的だ、と言っているのは、医者じゃない人だったので、それを鵜呑みにしたくはありません。
医者にも、あなたの障害や病気は致死的だといわれたこともないし、医学書でも、読んだことがありません。
(だからといって、読んでない本に記述がないとまでは言いません。ただ、わたしは知らない)

二次障害になったら終わりだ、と人に思わせることはあまり良いとは思えません。
二次障害をスティグマ化したり、人を必要以上に恐怖に陥れると思うからです。

また、二次障害は避けられる、という誤解も生むと思います。
避けやすい環境を作ることは可能だと思います。避けるように心がけることも。

でも、精神疾患になった人のほとんどが、なりたくてなったわけではないでしょう。
だから、このことに関しては、慎重にならなくてはいけません。
避けられる、という話が広がると、避けずに精神疾患になった人は「心がけが悪い」「自己責任」ということになると思います。
それは、歴史がすでに証明しています。

二次障害を避けられるのならば、もちろん、避けたい。避けるべきというのはもっともです。
でも、知識があっても、なるときにはなります。
精神科の医療従事者だって、精神疾患を患うことはありますものね。

精神科の医療従事者が精神疾患になりにくいという話もきいたことがありません。知識があっても、避けられない、ということだと思います。

話を戻しますが、例えば、わたしが、親御さんに、あなたの子供は精神疾患になりかかっていますよ、ということが、是かというと、否です。

それは、わたしのような素人がしてはいけない範疇のことです。
診断と、その通知は、本人や、それを支えることになる家族にとって、受容しやすい形でなくてはなりません。
医者によっては、診断名を言わない場合もあるでしょう。

それを他人が邪魔をしてはいけないと思います。
他人が、何の資格もなく、「あなたは○○の病気だ」といったとき、それは、差別になる場合や、レッテル張りになる場合があります。
医者に言われても受け入れることが難しい人に、事前に他人から、何か言われていたら、ただでさえ難しい受容は、より、難しくなるでしょう。
それは、結果的に、子供のためにならないと思っています。

何度も書きますが、生徒さんが、なにかの病気っぽいと思うことはあります。でも、それを伝えないのは、親御さんも本人も、なんとなくおかしいと思っているが、それをまだ認められないでいるか、すでに知っているが、人に知られたくないために、隠している場合がほとんどだからです。
その気持ちは尊重しなくてはならないからです。

契約において、わたしができること、時間、場所は、はっきりしています。そのうえで信頼関係を築きます。
だから、親御さんは、わたしに、大切な子供を預けてくださるわけです。
何か問題が生じたら、契約を破棄したら、わたしとのつきあいは終わりになります。
それが、担保になるため、わたしはがんばることができるし、生徒さんも、わたしに安心して、頼ることができます。
歯止めが利かないと、とても、たいへんなことになります。

子供が、病気になった場合、支えていくのは家族です。
その家族が、最初に受け入れることができるか否かは、最初に伝える人の技量が大きくかかわります。
そこを、例えばわたしのような人間が侵してはならないのです。
また、病気だと診断された後、その子供が、どのように過ごすのか、また、学校に行くのか行かないかを相談するのは、本人、家族、医者、学校関係者などがコアメンバーとなり、決めることです。わたしの考えですが、外野は口出しをすることは、求められた場合を除いてはしないほうがいいでしょう。

子供と密に接していると、子供が依存して来ようとする一瞬があります。
そうしたとき、わたしは非常に緊張します。
対応を誤ると、その後の関わりや、子供の安定に影響するからです。
もしも、共依存になってしまったら?自己を投影してしまうようになれば?
相手の人生を乗っ取ることにもなりかねません。
子供とかかわるというのは、ある意味危険なことです。
子供は、自分の領域があいまいだからです。
だから、大人が、距離をコントロールしなくてはいけません。

突然無距離になったり、距離を離したり、ということをすると、子供は混乱します。
だから、自分が維持できる距離を模索しながら、慎重に付き合わなくてはなりません。
依存させてしまったら、信頼関係は風前の灯火です。
信頼関係を維持するためには、距離を保つことが必須です。

それも、親御さんとの信頼関係があることが前提です。
都度、相談、連絡、報告をします。
こちらも、時間と場を区切って、決められた範囲でかかわること、プライベートを第一にすることを怠ると、一瞬で崩壊します。
ルール作りは大切です。

以前、生徒が、「半年間、学校に行かない」と言ってきたことがありました。学校の先生も了承し、配慮してくれたそうでした。
その半年間、週に三回から四回、一日四時間から六時間、つきっきりで勉強を教えました。
半年したら、宣言通り、学校に戻りました。
学校に戻ったら、連絡も減りました。
その間、わたしも、生徒も、親御さんも、それぞれ負担はかなり大きかったです。

わたしの場合、まず、契約があって、お金も払われたから、やり遂げることができた、相手も安心して頼れた、という側面があります。
契約が歯止めになったのです。
でも、契約を介していない場合、同じことをするのは、とても危険です。

診断と受容のプロセスは、尊重されるべきことです。


妊娠七ヶ月

吐きつわりだったのですが、その頃は三キロ減くらいで済みました。
においつわりもあって、存在してるだけでしんどかったけど、もともと体調を崩しやすかったので、対応になれており、水分やヨーグルトなどとれていたので、三キロ減で済んだ。
メイバランスにもずいぶん助けられた。

昨日転倒してしまって、おなかが張ったり、痛かったりしたので病院に行った。

なんともなく、安心。
横顔がエコーではっきり写った。
鼻筋がスッキリとおった美形と盛り上がった。
あれ?
冷静なつもりでも親バカなの?
でもどう考えてもかわいいよ!

西松屋で、ベビー服見ながらうっとり。
かわいい。小さいだけでかわいい。

ピジョンの腹巻きと腹帯は優秀で蒸れない、ずれない。
歩くときや動くとき、おなかが揺れると痛かったり、疲れたりするので、固定されるだけで、楽。

そろそろ屈んだり、靴下はいたりがきつい。
メディキュイットみたいなやつをはいて浮腫みとり。
暑いのに冷える。
熱はこもってるのに。

毎日六キロくらい歩いていたら、少し体重が減った。
増えすぎを注意されてたので一安心。
血圧にも問題ない。


国語の勉強は意味をとること

国語は文章の意味を理解することが大事だ。
でも、それができていない生徒はとても多い。
読むことはできる。
でも、文章の全体の意味や結論をまるで別に解釈し、書いてないことを読み取る生徒はとても多い。

小学生にもでき、高校生にも有効な手段がある。
段落や意味段落ごとに文章を分けて、意味のつながりを把握すること。
そのためには、段落の果たしている役割を理解すること。理解するためには、段落に自分なりに題名や小見出しをつける訓練をすればいい。

テストの時、なんとなく読んで、問題のたびに、最初から読み直す生徒は、行き詰まる。
時間が足りず、抜き出し、書き出し、選択問題ができない。

段落の意味を理解して、どこに何が書いてあったか、覚えていたら、全部読み直す必要はない。
必要な場所だけ読めばいい。
言葉の意味を逐次把握し、記憶し、意味の流れや推移を読み取る訓練が大事だ。


収納の話 片付けを継続するため

片付けを考える上で大切なのは、継続することだ。

継続するためには、やりやすく、ハードルの低い方法でなくてはいけない。

そのためには、ステップを少なくする必要がある。

動線が短いこと、人目で見てわかること、そうすることで、他人が来ても頼めるし、ものがすぐ出せるようになる。

片付けをするのは、生活しやすくするためだ。

すっきりすることで、リラックスできる。ものを探すストレスがなくなる。

細かく分類すると、うまくいかないので、わたしはジャンル別、行動別にしてる。

工具は全部工具入れに整理せず入れる。

趣味のものも一箱にまとめる。

お風呂にはいるときに必要なものは、ひとまとめにする。

パートナーの六帖さんとは、適正が違うので、六帖さん用の収納と、わたしの収納は違う。

彼は奥のものまで引き出すことはできるが、上の方からしかとらないので、写真のように収納している。

綺麗な収納ではないけど、こんな感じ。

キャスターのついた収納ボックスを引き出して使ってる。

わたしは箱に入れるのが好き。

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生活の楽しみと反戦

近所でランチしようと思ったら、「メーデーなので休みます」という張り紙があった。

「平和集会を行います」という掲示が近所に張ってあった。

こういうのを見ると、ほっとする。

ネットやテレビに渦巻く「戦争への道」だけじゃないんだなと思ってほっとする。

近所のお茶屋さんで、煎茶やコーヒーを買うようになった。コーヒーはその日に煎ったものをその場で挽いてくれる。甘みがあって、よく香る。フルーツでできているのがよくわかる。

苦かったり、すっぱかったりするのがコーヒーだと思っていたけれど、そうじゃないんだな。

そして、近所の店で買うと、そのお金は、その人に入る。

どこかの誰かに入るわけじゃない。誰かの生活のためにお金が入る。そういうのはほっとする。

 

わたしはまだ働いている。社会参加をしたいからだ。

今働いている塾では、自習がいつでもできる。自習サポートもある。だから、ダブルインカムの家庭にとって、勉強のできる学童のような場所でもある。

愛情であれば、親であっても親じゃなくても、誰からでも受けられればそれでいいと思うわたしは、そういう光景を見るとホッとする。

共謀罪について、子供たちとよく話す。あれは治安維持時報だよ。

どうして勉強するのかについてもよく話す。あなたの考え方を広げるためだよ、自由を獲得するための手段だよと。

政治経済ではかなり突っ込んだ話もする。法律は、国家を縛るものだという話をする。だから、憲法は、国家を縛るもので、わたしたちの自由や安全を保障するものだよと。

わたしは、一人の子供を産む。

そうすると、世界に一人の人間が増える。

情緒不安定になったり、体調は悪くなったり、眠くて仕方なくなったりする。

話し相手が減るから孤独にもなる。

外に出て、運動することも難しい。

でも、わたしにできる反戦があると思いたい。

個人の生活を楽しむことも、政府に対する反抗である。政府は、本来なら、わたしたちの幸福の追求を妨げてはならないのに、今の政権はそうではない。

わたしは、デモに行くことも、ロビイングすることもできない。

ただ、ブログに書くことくらいしかできない。

わたしが知っている子供たちは、戦争を不安がっている。

実際に、割を食うのは彼らなのに、彼らには決定権も抵抗する手段もない。

だまされないでいる、とうそぶく人たちも、結局、騙されていることに気づいていないだけ、ということが大半だ。

わたしが社会運動をしていると公言すると「幸せならそんなことはしない」という風に、マウンティングをしてくる人がいる。

「迷惑だ」ともいわれる。

個人が幸せを追求すること、社会に対して、抗議することは両立する。

自分の努力が足りないから不幸なのだというのならば、社会的不正義を放置しているのが、誰なのかをはっきりわかっているかどうか、自問自答してはどうかと思うが、彼らにはそのような能力がないのか、したくないのか。

 

権力は見えないがある力で、それらが、後ろ盾しているから、差別が存在できる。

差別されている側が、それに対して抗議すると「幸せじゃないなんてかわいそう」「努力が足りない」と言われる。

それは、差別の一形態だ。

差別されている側に、不幸せだと決めつけ、不幸せならば努力が足りないといい、自分の社会的背景に目を背け続けることができる立場が、恵まれているとは思わない。自分さえよければ、という立場は、次世代のことを考えてはいない。

次世代のことを考えなかった、前の世代の人たちのせいで、原発の問題や、年金の問題、いろいろな問題が残っている。もちろん、彼らが残してくれた恩恵もある。

恩恵には感謝しつつ、批判していくこと、あらがっていくことがだいじなのではないか。

生きることは戦いだ。

わたしの精神科の主治医は、七十代後半で、彼が医学部に行った時には、三十台の先輩がいたそうだ。それは、結核や、戦争から帰ってきて、中断されていた、学業を取り戻すために戻ってきた人たちだ。

彼はそれを見ているから、わたしに急がなくていいという。そして、わたしがすることを応援してくれるという。

長野県松本の市長は、もともと信州大学の医学部の教授であった。胃がんになった後、その経験から、チェイノブイリに赴き、五年間、甲状腺手術を教えたそうだ。

彼は、今、放射線の広がりは、円状に広がるのではなく、風向きや、地形によって変わっていくということを言っている。

だから、円状にこの距離までは危険、でも、ここからは安全だという線引きをすることは、おかしいといっている。

そして、福島の子供たちを松本市に招待する、ということも始めている。

被ばくをしても、しばらく、放射線量が低いところにいると、体内から外に幾分か流れていくそうだ。そういうことも大事なのだそうだ。

子供を産むことは大切な社会参加である。

子供のために、よりよい世界を残したいと願うことも、社会参加である。

わたしには、社会に参加したいという根強い欲求がある。

生活を大切にし、幸福を追求すること。瞬発力はなくとも、長い間、考え行動することが、大切だと思う。

わたし一人の力では、なにもできない。そのことが、悔しくも思うが、しかたがない。

わたしにできることをしたい。