萌えとは何か

わたしは、オタクの歴史とか萌えの歴史とか、いわゆる非モテ界隈のブログもけっこう追ってました。本田透も二冊買って読んだんですよ。

なぜ、そうしたか、というと、わたしに近づいてくる人々が、鉄オタであったり、音ゲー、ラノベゲーム、泣きゲー、エロゲーをたしなんでいたり、駕籠真太郎をはじめとするエログロ漫画をずらっと本棚に並べている人であったり、SFオタクであったりしたからんですよね。延々とハルヒの話をする人とかね。

わたし自身は、オタクではなく、オタクだと言われたこともなかったので、話も合わないし、エログロ漫画とか、師走の翁どう思う(そして手渡してくる)と言われても、ひどいな、という感想しかないわけです。鉄オタに朝五時に撮影に連れていかれても、朝ってすがすがしいなと思うけどさ…。なんか早口でけたたましくしゃべってユーチューブの逆再生をするだけじゃなくて、逆再生したセリフを丸暗記しててそれを映像と同時に言うという人もいたし、家で映画見てたらちょっとずつ止めて解説をする人もいました。

だから、今まさに萌えている人を端から見てどうか、という話をすることはしたいと思います。

萌えるものをみたとき、まず、枕やバッグを抱きしめて、突っ伏して、両手をバンバン振って、机や床や壁や人をたたきながら、「ふうー」「はあー」「ヤバ」「これ…マジ…ヤバ」と言いながら胸を押さえて倒れたりします。で、ぶつかって痛いと「アウチ」と言います。これがわたしの知っているオタクです。そうじゃない人もいると思います。当然。でも、知人だったオタク(本人がオタクって言ってました)はそうしていたんですよね。あと、本当にデュフって言ってました。

それで、ちんちんは立ってないかもしれないけれど、興奮の種類は同じなんだな…、と思いました。本人が自覚しているかどうかは別ですけれど。

こういう風に書くと、「個人の体験だ」と言われ、「ソースがない」と言ってくる人がいるんですけど、個人的な体験の集積がソースなり根拠になります。

学者なり政府なりが「はい、これを調べます、アンケートに答えてください」といって、質問に〇×をつけた結果だけが、根拠になるわけではないです。

例えば、質的な評価をするとき、それは数じゃなくて、「語り」をどう評価するかが問題になりますよね。

それに、まず、誰かが口火を切らなければ、それが存在することさえ、誰も知らないわけです。

オタクの自分語りはたくさん読みました。でも、身近な人がどうであったか、というのは、とても少ないです。例えば、「#ある日突然オタクの夫が亡くなった」のような記録はとても大切なんですが、珍しいと思いました。家族による、「オタク活動の影響」についての記録です。こういうのも、誰かが書かなければ、誰も知ることができません。トラウマ、被害妄想という言葉は、簡単に使っていい言葉じゃないんですけど、どこかで見た言葉ですが、「二度と会わないから、吐き捨てることができる」んだと思うんですよね。そういう人たち相手に誠実でいるのは難しいことです。
性的なものがまったくダメか?というと、そうではないと思うんですね。

日本で言えば、今ならちゃんみな、わたしの世代で言えば、宇多田ヒカル、アメリカで言えば、テイラースウィフト、ガガ、マドンナとか、主体的な女性像を打ち出しているアーティストはたくさんいます。これらの人々も「消費される客体」ではないとは言い切れないわけです。主体的なアーティストとしての側面を持つけれども、消費される部分もあります。

それこそ、「性的」と言えば、「エッチなもの」じゃないものも、含まれますよね。

最近、キズナアイが議論に上がっているので、彼女/彼を例として挙げて話していきます。

キズナアイを批判する人々に対して「じゃあ、胸の大きい、ノースリーブの女性は、性的でダメなのか。フェミニストはおかしい」という人もいました。

なので、今回は、ノースリーブを題材にして、書いていきます。

ノースリーブが必ず規制しなくてはならないという意味ではないので、そこはご了承ください。

というと、「フェミニストがキズナアイのノースリーブをエロいと言っている。だから、フェミニストが女性差別をしている」、と主張する人もいそうですよね。でも、フェミニストの多くは、「キズナアイは、女性差別的な構造を強化する、抑圧する」という文脈で批判しているはずです。

キズナアイを、彼女のファンが全くエロティックな存在として見ていない、というのは難しいんですよね。それはなぜかというと、キズナアイのYouTubeのコメントを見れば、エロいと言っている人や、彼女をネタとしたAVがあると案内している人すらいるからです。女に見えるキャラがいればエロだと思う人間も出るのは仕方がないだろう、と思う人は、結構毒されていると思います。

 


これ本質的には「フェミがオタクのちんこに鍵かけようとしてる」という恐怖(半分誤解含む)に対する防衛機制だよね。射精権を巡る戦い。

2018/10/09 09:58

こういうことなんだと思うんですよね。


「萌え絵が性的である」と言ったときのよくある反論について

キズナアイを例にとって書きます。

それは、

があるからです。

個人的には質問の形をとった反論だと思います。それはおいておくとしてコメントでも答えましたが、

  1. キズナアイが性的かどうか
  2. ジェンダーロールの与える影響は少ないはず
  3. 女性が描いている

1については、わたしが性的か判断するかどうかは本論で書きました。このコメントでわたしが大切だと思ったことは、キズナアイはやっぱり萌え絵なんだなということです。

でも、上記の記事で、わたしは「エロいからダメだ。嫌いだ」とは、言っていないんですよね

「性的に誇張されたキャラクターならば、NHKの子供向け番組にはふさわしくない。また、番組内の役割からいっても相応しくない。なぜならばジェンダーロールを強化するから」と言っているんですよね。

なぜ、キズナアイを好きな人たちは、キズナアイが性的ではない、ということを前提に主張するのか不思議です。残念でもあります。

2についてですが、コメントした人も認めている通り、ジェンダーロールへの影響はあります(影響は少ないと思いますというのは、つまり、あるかないかでいえばあるってことです)。そして、その影響が少ないか多いか判断するのは、誰が適切か、ということです。

答えは誰も適切ではない、です。

影響が少ないと思う人もいるし、多いと思う人もいます。

わたしは多いと思う人です。だから、その根拠を書きました。「多様な描かれ方をした女性キャラクターは多いから、影響が少ない」わけはないと思うんですよね。本当に多様化しているのか、という検証はなされていません。検証するなら、「多様化したキャラクター」という定義をしなくてはいけません。

また、コメント主さんも検証したわけではないと思います。影響が少ないという検証も難しいです。

この世の中から女性差別が完全になくなったら、「少ない」と言えるかもしれませんが、そうではないんです。女性差別はあります。

余談ですが、女性差別がある、という現実を認めない人は多く、データを出せ、と言われることが多いです。民法一つとっても、義理の父母の介護をしていた「嫁」の遺産相続がゼロ、とか、再婚期間に制限があるとか、ほかにもたくさんあります。もしくは、日本の女性の睡眠時間が一番短い、日本男性が家事をする時間が世界有数で短い、日本男性が育休を取るのは、3.6%で、しかも日数は六日だけだとか、いろいろあります。(質問の形で意見を言われるのも、女性はよくされることで、相手に差別の意識がなくても、うんざりしている人は多いです)

でも、差別の結果は、データで出ることも多いのですが、差別されている人間は、データを取ることのできる立場に登れないんですよね。それが差別の形の一つです。表に現れないように隠ぺいすることができるんです。

わたし自身は、「日本で作られた、ジェンダーロール規範から自由になった女性キャラクター」を実は一つも知りません。必ず、何かしらのジェンダー規範に沿って描かれています。まあ、実際無理なんですよね。無理なんだけど、意識して、それに抗うように描かれているキャラクターというのは作ることができるんだと思います。正直に言って、世界中のだれもが性的規範を内面化しています。内面化というのは、

上記の記事にも書きました。

内面化している以上、自由にキャラクターや物語を作ることはできないんです。でも、意識して、規範を再生産しないように、または、規範に対して批判的に描くことはできる、ということだと思っています。

 

3については、萌え絵は絵ですから、描く技術があれば、女性だろうと誰だろうとあらゆるジェンダー、セックスの人が描けます。

女性が描いているから、

≫「男性の価値観、理想に従わされた」「男性の求めている像に近づけた」

わけではない、というのは苦しいですよね。女性ならば性的に誇張した絵を描かない、というのも、ジェンダーロールを内面化した結果です。

もちろん、エロくてフェミニズム的である、というものもあります。

かわいい、という言葉に幼いものをめでるという意味が多分に含まれている以上、かわいい=幼いものにエロスを感じるのも、歪んでいると思います。幼いものはたいてい無力で非力ですから、それにエロスを感じるというのは、支配する喜びが付随すると考えられます。

 

 

 


萌え絵には性的なニュアンスがある

タイトルがすべてなんですが、以下述べていきます。

萌え絵はそもそも少女漫画の顔に男好みの体をくっつけたキメラ的な技法のもとで描かれています。

少女漫画の顔に大人の体、というキメラ的な描き方をしている、と指摘したのは大塚英志だったかと思います。

1990年代に萌え絵が発生しだしたと思うんですが、そのとき、リアルタイムで萌えキャラそのものに注目して文章にしていた人はかなり少なくて、大塚英志と東浩紀と斎藤美奈子くらいだったと思います。

 

わたしの実感ともそれはあっていて、萌えキャラは、はじめにときめきメモリアル、同級生というようなギャルゲーのタイトルを経て、その後エロゲーに発展していきました。

男好みの体、というと、わかりにくいかもしれませんが、ほっそりした華奢な体に、誇張された胸部が描かれている、という風に読んでください。

以前は、萌え絵が少女漫画のキャラの技法上にあること、そして、それにも関わらず、性的なニュアンスを加えていることについて、ある程度の合意が取れていたように思います。

今は、萌え絵には性的なニュアンスがない、という意見の人、強い言葉で言う人は「フェミは性的ではないものから性的なものを探し出している」という風に言います。

しかし、わざわざ、「少女漫画のキャラクター」と違う技法で描く理由があるはずです。意図や判断、好み、と言ってもいいかもしれません。

それは、「性的に誇張したいから」という理由ではないんだろうか。

(少女漫画や、子供向けのキャラに萌え絵が逆輸入されていることも今はあると思います)

萌え絵の歴史的な経緯を書きます。

わたしが初めて萌え絵というものを認識したのは、二十年前です。「はじめてのおるすばん」というえぐいエロゲーのキャラを見せられたのです。顔がすごくかわいいな、と思ったと同時に、その場の雰囲気を含めて異様な感じがしました。相手は同級生だったのですが、わたしの反応を楽しんでいる様子でした。なんだろう、良く知っているもの、つまり、少女漫画のキャラみたいな感じなのに、すごく変な感じがする、と思ったのを思っています。これがセクハラなのは明らかですが話が変わってしまうので。

あのキャラっていわゆるロリもので、公式上は十八歳以上ということになっていることも知っていますが、「はじめてのおつかい」を意識したタイトルから「幼い」キャラに何事かする、というゲームなのは明らかで、それは暗黙の了解ですよね。欺瞞なのは、ユーザーも知っていました。

 

必要とされているのが、「かわいい」だけなら、少女漫画でいいんですよね。

でも、「萌え絵」なんですよね。萌え絵がいい。そういう人がとても多い。そして、萌え絵のほうが公共の場に多く露出している。

それは、萌え絵が男性向けにカスタマイズされているからだと思います。男性に受けるものは、公共の場に出やすいです。それは、意思決定をする人、つまり、組織の上部が男性で構成されているからだと思います。

「かわいい」という言葉は、たくさんの研究がされていますが、一つの結論で、かわいいというのは「幼い」という特徴だと言われています。

萌え絵は、「かわいい顔に大人のボディがついている」というは、かわいいを幼いに置き換えると、つまり「幼い顔に大人のボディがついている」ということになります。

みんなも見慣れて感覚が変わったから大丈夫なのだ、という人もいます。でも、わたしは価値観が変わってしまった、ということを問題にしています。

萌え絵の出発点が、「男性に向けた性的なニュアンスがあるもの」なんです。少女漫画にもエロティックな描き方はあります。でも、それは、あまり表には出てこない。エロティックな描き方の少女漫画のカットが広告に使われることもほぼない。

もちろん、社会は変わったから、萌え絵=エロゲーのキャラ、という感覚が古いのはよくわかります。絵柄自体も大きく変わりました。使われる場面も変わりました。

 

でも、今の萌え絵の描き方のコードが、あまり変わらないように思うのです。古い例ばかりですみませんが、十年前のゲームの、ラブプラスも、こするとゲージが上がって、ハートが出て頬を赤らめてくっついたり、キスをしたり、というのも、やっぱり「エロ」ではあるんですよね。全年齢対象なのは知っていますが。

あれも、やっぱり「愛でる」行為だと、身近にゲームをしていた人がいるのは知っていたんですが、その「愛でる」の内容は、「エロ」も含まれているのではないかと。

わたしはとても疑問です。エロいと評価し楽しんでいたものに、「エロいですね」と言われると、どうして「エロくはない」というんだろうかと。テンションが上がって、「わー」となる、かわいい、楽しい、ってなる気持ちを否定したいわけではありません。わたしもそういう気持ちになるキャラはいます。

誰かがエロいものとして楽しんでいないとしても、エロい文脈で楽しんでいる人がいて、そういう文化がある、ということは、ファンならば特に目につくことでしょう。

 

話は変わりますが、わたしが疑問なのは、「エロ」として楽しんでいたものなのに、「エロ」だね、と指摘されると「エロじゃない」というのは、なぜなんだろうということです。

萌え絵はかわいいから、というのだったら、別に少女漫画の絵でもいいはずです。顔は同じ技法をもとに描かれていますものね(今の少女漫画ではなく、わたしの感覚だと、90年代から00年代の絵柄を発展させたものだと感じます)。

 

愛好家たちも、萌え絵と少女漫画のキャラクターの違いは、たぶん見てすぐわかってるんじゃないかと思います。ほかの人も言っていましたが、それが微かにエロティックであるか、とても露骨にエロいという差はあるし、軽重の差も重要だとは思います。

その愛好家や、愛好家じゃない人間にもわかる「違い」の部分は「エロ」「客体化、モノ化して、消費している」点に立脚すると思います。

なぜ「好きなのは、性的に誇張されていて、エロいから、それはとてもいい、だから好きなんだ」と言わないんだろうかと思います。

エロはダメだと思ってるんだろうか。

 

わたしの立場では、女性や、女性の表彰をモチーフとしたキャラクターにエロティックなものを背負わせて、モノ化し、客体化し、「女とはエロティックなものだ」という無自覚な価値観や、ジェンダーロールを強化することは、ダメだというしかないけれど。

Twitterでも見かけた意見ですが、エロは好きじゃないから嫌だ、という意見も当然です。

結論としては、歴史的な経緯から言っても、萌え絵が性的なニュアンスを含まない、性的な誇張がない、というのは難しいのではないかと思います。

(事実誤認に基づく記事を公開してしまったので、大幅に変えました。ご迷惑をおかけしまして申し訳ございません)


「なぜ騙されたの?」と聞いてくる人

こういう人はまずデリカシーがないので、これを言われたら、とっとと絶縁することをお勧めする。

または、「こうしたら騙されなかったんじゃないの?そういう考え方だからだmされるんだよ」という人もいる。それも屑だ。

 

騙されたと嘆いている人は騙されたことに気付く聡明さがあった人である。

「なんで騙されたの?」と言ってくる人は、自分も騙されていることに気付いていない場合もとても多い。

ツイーターでも見たが、「自分の思考の死角」になっていることを指摘してくれる人はありがたい。思いやり、親身になる気持ちがある人だったら、見当はずれだとしてもうれしい。

でも、「自分は騙されるようなバカではないが」「自分なら騙されないがあなたは間抜けだから」という言葉を隠して「なんで騙されたの?」と言ってくる人はバカなので相手にしなくていい。

実際、「なんであんなくずな人と結婚したの?」「なんでDVされたの?」「なんでレイプなんてされたの?」と聞いてくる人たちは、自分もマルチやネットワークやねずみ講に騙されていた李、DVに遭っていたり、搾取されていたりしていても、それに気づいていない人が多かった。外から見て不幸でも、自分が「なかったこと」にできればそれでいい人たちだ。

なんで騙されたの?と聞いてきた継母がマルチ系の化粧品ばかり持っており、五十万円の美顔器を買うだけじゃなくて、売るほうもやっていたのは衝撃的だった。「相手がほしがっていないものを売る、というのは、可能性を分けてあげるということなんですよ。いいものを教えてあげている、と思えば、相手のためになるんだ」という講演会にも行っていた。

「なんで騙されたの?」と言われたとき「そもそもお前は騙されていることにも気づいていないじゃないか」と思ったものだが、そういうことは多いらしい。

先日も、十年来の友人が傍若無人で失礼だった。

一年に一度、三時間程度会う関係で、ほとんど手が身でのやり取りだったことと、自分が最も弱っていてさみしい時にできた友達だったので、その人の思いやりのなさ、他人を人間だと思っていない、という点に気付かなかった。

その結果が爆発して、一週間近くたったがストレスが原因で今も咳が止まらない。

でも、その人に何がダメだったのか言ってもたぶん通じない。

跡から思えば、片鱗はあった。気づかなかった自分が憎い。

でも、一番の原因は、言葉を素直にそのまま受け取っていたことだ。

「わたしってすごいの」というようなことを意味することを言われたら「そうか、すごいんだ」と思ってしまう。

行動が伴っていない、言動が首尾一貫しておらず、言っていることが常に矛盾しており、言ったことを忘れて責任を取らない。

でも、言葉を鵜呑みにして、行動と食い違っていることに気付ていても、長年の付き合いだから、最初からエキセントリックだからと何とか自分をごまかしていた。

人が人を支配しようとするとき、巧妙に、その人を孤立させて、価値観を混乱させる。矛盾があっても堂々としていて、たいしたことじゃないと見せかける。

一方的に話し続けて、相手をマヒさせる。

どうして騙されたの?どうして支配されたの?どうしてそんなめにあったの?という人たちは、そういうことに遭っているはずだ。でも、気づけない。気付くと不都合だからだ。

そういう無神経な人たちは、気づいた人を攻撃する。騙されたことに気付けない人は、騙されたことに気付きたくない。だから、気づいた人は目障りなのだ。


デリヘルは違法ではない

はてこさんがデリヘルを呼んだという記事を読んで、はてこさん、いま大変な状況でしんどいときに呼べてよかったなと思っていたら、法律違反を助長していると言っている人がいてびっくりした。

 

最近取り込んでいて、頭が働かず「この人が言っているなら正しいんだろう」「この人にああいう風に言われたら面倒くさいから黙っていよう」みたいな風に思考能力が落ちていて、人に合わせる頭になっていて書く気がしなかった。

人にあれこれ言われるのが嫌すぎる。書かなきゃいい、読まなきゃいいという人はいるが、一度見えてしまったことは消えないのだ。

 

デリヘルについてだが、デリヘルは違法ではない。届け出がされていれば。

性行為がなかったとのことなので、なおさら違法性は少ないだろう。お互いにサービスの内容について合意していて、そのサービス内容に違法性がないのに、どこにどんな問題をみつけるんだろう?

「マッサージをしてもらった」という風に書いてあったため、「マッサージを無資格の人にしてもらうのは、違法だ」という人がいるのらしい。

でも、リラクゼーションサロンが広告で「マッサージ」「治療」と書けば、違法かもしれないが、利用した客が「マッサージを受けた」と言っても別に日常の範囲だろう。

だいたい、その人たちははてこさんにだけ言っているんじゃないだろうか?たまたま目に入ったから伝えていると本人は思っているだろうけれど、デリヘルを利用する男性、いっぱいいるじゃないか。デリヘルも回春エステも男性に対してのサービスだ。それらの広告に対して違法だと言っているのか?ネットやってたら絶対一回はそういう広告を目にするはずだけど、そうしたときに、毎回警察や広告媒体に通報してる?

 

女性のはてこさんがデリヘルを利用したと公言したから、なんとなく悪いみたいに感じて、でも、言語化できないから、とりあえず「違法」っていってるんじゃないか。別に違法じゃないんだから、なんで違法って言ってるかわからない。

いや、本当はわかってる。気に入らないんだよね。

「女性」が「男性向けのサービス」を使ったことと、セックスワーカーへの差別が複合している。

 

差別って、単なる嫌悪とか侮辱とか叩きとかじゃなくて、社会的な差、権力差が構造上存在しているときにいうんだけど、女性と男性の扱われ方が違うってことがここでは表れているから、これは女性差別だと言える。

 

 

わたしがヘルパーさんを頼んでいるということにいい顔をしない人はいっぱいいる。同じ問題だと思う。根っこが同じ。人に楽をさせたくない、いい思いをさせたくない、自分よりも得をしていることが許せないんじゃないか?

ヘルパーさんを頼むことで別に得はしてない。健康に産まれている人のことをいちいち得しているねって思わないけど。それと同じことで、できないことがあるから、できないなりに工夫している。「できないなりの工夫」の一つに、福祉を使う選択肢があった。使うとこうなる、って書いた。その情報が役立ってうれしいって言ってくれた人もいたし、そんなの公表するべきじゃない、たたかれるのが嫌なら黙ってればいいって言ってきた人もいた。

 

「工夫」って私が読んでいる行為の一つが、はてこさんの場合はデリヘルを呼ぶ、ってことだったんだろう。

たとえばわたしは今日朝から泣いて、同じことをひたすら繰り返して言ってたりして、全然動けなかった。体が動かない。頭も回らない。水飲むのも難しいって感じだった。そういうことが、全然ない人と、「たまに」ある人と、一週間の半分は必ずある人の生活の工夫って同じわけがない。

 

福祉を使うのは準備も必要だったり、家族の理解も必須で、届け出ても承認してもらえるとは限らないので、必要でも使えない人が多い。

そして、人に頼みたいときって誰に頼むか考えること自体出来ないくらい体力と思考能力とが落ちていて、段取りができないじゃない?

そんな中で、デリヘルって思いついたのは賢いと思った。

わたしの場合は、役所のケースワーカーに、理解がないため、近頃嫌な思いをした。二週間前にケア会議があったんだけど、わたしの話を全く聞いていなかった上に、暴言を吐いた。それで、わたしは過呼吸の発作を起こしたという事件があった。(担当部署と広報に伝えて、市の広報に調査してもらった。別にわたしに得なわけじゃないけどほかの利用者が同じ思いをしなくて済むように)

わたしは、介護支援を受けることで、日常生活を営め、仕事も少しだができている。支援がなかったら、入院したり、子供を保護してもらわないといけないかもしれない。そのほうがずっとお金も労力もかかる。支援してもらえれば、税金を納めることができる。天秤にかければ、社会にとっても、わたしを支援するほうが得だ。本来は得だから支援するべきだという話じゃなくて、そもそも社会の成り立ちが、人の生活を支援するために存在するって問題がすっと理解されれば一番良いけど。人間は、お互い助け合うことで環境に適合して繁殖してきた生き物だから、弱いものは死ね、ってやると滅ぶんだよね。そんな前提に立ち返る必要もなく、社会は助け合うために会うってことだけわかってたらいいんだけども。

 

困っている人が、困っていることを解決するために、何か手立てを考えて工夫するということを、どうしても受け入れられない人がいるらしい。

ずるい、って思うみたいだ。得しているとか。

それぞれにそれぞれの困難があって、それを己の才覚で何とかするのは全然悪いことじゃないんだけどね。ぼーっとしながら、苦しみながらじわじわ死にたいですか?

わたしはいやなので、何とか考えて、快適に幸せに生きる努力をしたいです。その努力は我慢することではありません。人によっては我慢を努力とはき違えている人がいるみたいですけど、脳みそは使ってなんぼです。我慢は脳みそを腐らせます。(とはいえ、我慢するしかないこともとても多いけど。肉体という牢獄からは逃れられない)

 

 

ほんとにひどい事件があって、嫌なこともあって、どんどん書くことが難しくなる。怒ると具合が悪くなる。でも、不当なことをされたら、ちゃんと怒らないと、どんどん相手が図に乗ってこっちを殺しに来る。

目立たなかったらいい、言わなかったらいい、目を付けられないようにしたらいい、って人はそういうのが向いているんだと思う。でも、それが向いていない人もいて、そういう人も殺されたらだめだ。殺されない自由があるべきだ。そして、当然殺す自由はない。そういう自由は制限されている。

 

 

わたしは、まだ、悲しくて驚いていて、追悼する気持ちになれないから、ぐちゃぐちゃした気持ちでいるんだけど、はてこさんのことも、地続きだと思ってこれを書いた。

わたしも、たぶん彼女も、低能先生に書き込まれたことはあるはずだ。

デリヘルを呼んだってことが、違法か、違法じゃないか、ってことを掲げている人は、ほんとの根っこのところは、そこが問題になっているわけじゃないんだと思う。

 

(誤字と文章の読みにくさに我ながらちょっと困る。メンタルも体もだいぶしんどい)


オンラインショップを作ってるという日記

今はワードプレスでオンラインショップを作ってる。
カートがあって、商品をいれて、クレジットカード決済ができたり、銀行振込口座のメールが行くようなやつ。
woocommerceというのを使っている。
クレジットカード決済は、いくつか使えるものが用意されている。手数料が3.6パーセントくらい。
それとは別にアマゾンペイというのがあって、それを使うとアマゾンのアカウントから決済できる。手数料が4パーセント。
アマゾンペイとwoocommereceとどう連携するのかはこれから調べるけど、決済に関しては、手数が少なければ少ないほど、そのまま進んでくれる可能性があるから。
store.jpもあるし、BASEもある。けど、なんかちょっといやだし。
サンプルページ
こういうのもつくってる。これは、まだ途中で、あるハンドメイド作家さんに協力してもらって、もっと実用的なものにする予定。
海外向けに特化したハンドメイド販売サイトがあるといいなと思って作ってる。
わたし自身は、ハンドメイド作って売るわけじゃないんだけど、日本のハンドメイド作家のレベルはすごく高いのに、値段があまりにも安いので、いっそほかの国の人に見てもらいたいと思ったから作った。
技術的にはたいしたことはしてないんだけど。
今後の課題は、関税について調べることかな。発送料金をどの程度にするかもちゃんと決めないといけない。
それと、法律。裁判にならないような注意書きの書き方を学ばないといけない。

したいことを忘れないように書いておこう。
ベシー占いのサイトは、長い間あきばれさんにお世話になっていたけど、自分のところでやっていきたい。
ベシー占い
SEO対策も多少はできるようになった。
旅行も行きたい。ミシンを買って洋裁を覚えたい。洋裁はおばあちゃんが仕事でやっていて、自分で小さな工場を立ち上げて、マクレガーとかあとは名前は忘れたけどブランドの下請けをやっていた。わたしは、おばあちゃんから、そういう魂みたいなものを受け継ぎたい。起業精神とかね。
彼女は、水飲み百姓をして、洋裁を覚えて、セーターを編んで、シイタケ栽培をやって、畑やって、いいタイミングで売って、洋裁工場して、山やって、って暮らしていた。それでも最後には弱って死んでしまった。
形見になるものを受け取れなかったから、せめて精神だけは受け継ぎたいな。
とはいっても、できることがすごく少ないんだけど。
どれもちょっとやっては中断してて、何もかも中途半端。
中途半端なのは、オンラインショップ、プログラミング、英語の勉強とか。すぐ疲れて動けなくなってしまうから悔しい。


「キモイ」は女の武器になる言葉

女には拒絶の言葉も罵り言葉もない。

言葉がなければ、従順に、なにかも受け入れらしかない。Fwordがないから、素早く罵れない。

女は、怒ってはいけない、乱暴な言葉を使ってはいけない、という抑圧がある。

「やめろ」ではなく、「やめてください」と頼まなくてはならない。

もし、「止めろ」と言ったら、「非常識で同情できない」と言われる。

「キモイ」という言葉は、感覚的な言葉だ。

男の言葉が「理屈」「説明」的な言葉だとすると、対極にある。

だからか、男は「キモイ」という言葉を嫌う。キモイと言った女性を、頭が悪いと非難する。男への差別だと言ったり、フェミニストが罵倒語を使うなんて、と言ったりする。

説明をするのは男性の文化だ。彼らは、感覚的なものをバカにする。説明しろと強いる。

それを無化する可能性があるのは「キモイ」という言葉だ。

相手に、やめてくれ、こういうことはしないでと懇願せずに、使える、唯一の拒絶の言葉だ。

キモイという言葉は、時として「相手を理解しようとすることをしない最低の言葉だ」と言われる。

でも、考えてほしい。男たちは、こちらの「キモイ」という言葉を理解しようとしていない。経緯も払っていない。

キモイと言われた男は逆上する。自分を虐げる女という風に認識する。

ただ単に拒絶しただけなのに、被害者みたいなことを言う。胸糞悪いことに、フェミニズムが連綿と紡いできた言葉を盗んでまで、否定する。

女には乱暴な言葉が許されてない。もし、乱暴な言葉を使ったら、物理的に、攻撃されることだってある。

「キモイ」という言葉は、数少ない、「お前には用はない、お前はわたしに近づくな」という意味を持つ言葉だ。これは、女の言葉だ。だから、男は否定する。

わたしたちは、相手を理解しなくていい。ずっと、わたしたちは、男を理解しようとしてきた。でも、男が女を理解しようとしてきただろうか。

お前を理解しない、とわざわざいう必要もない男と対照的に、女はずっと説明しろ、わかるようにしろと言われてきた。その「わかるように」のゴールは、男によって、位置を変えられてしまうから、相手を納得させることは構造的にできない。

相手は理解したくないから、ゴールの位置を勝手に変えてしまう。

それを防ぐのは「キモイ」という言葉だ。

お前はキモイ、だから関わるな。そういう意味がある。

だから、キモイという言葉を、わたしは悪者にしない。

丁寧な言葉で説明して、こちらの領域を侵害され、攻撃されてきた。それをはねのける言葉が女にはなかった。

キモイ、という言葉は、その始まりだ。わたしは、キモイ、と言う。相手を理解することを拒む。相手には私に対するリスペクトがないのだから、わたしもリスペクトを持たない。


生産性の中に出産育児家事は含まれない

出産なんて生産そのものだと思うけど、世の中の人が「生産性」というとき、出産は入っていない。それどころか「生産性を落とす理由」として語られるくらいだ。

出産、育児、家事。それらがないと、誰も生きていられない。存在しない。

それが生産でなくて何なのか、と思うけど、「報酬が生まれるものを生産と定義しましょう。ちなみに、何に対して報酬を出すかはこちらが決めます」ってされちゃったばかりに、今のところ、出産には報酬が出ないので、出産は生産として認められない。

誰が評価するのか、ってことが、「透明」になっているうちは、「その誰か」は批判されない。批判する人たちは常にいるんだけど、その人たちは「反社会勢力」っていわれる。

まあ、実際、社会の成り立ちがおかしいって言ってるんだからおかしくないけどね。


ナショナリズムとグローバリズムが結びつく理由

ナショナリズムとグローバリズムが結びつくのはおかしなことだと思うかもしれない。

グローバリズムは、個人と世界を直接退治させるものだ。

わたしたちは、まず、個人であって、そのうえで地域社会や家族というコミュニティの一員として、役割を持ち、アイデンティティを確立する。

でも、その中間の社会がなくなってしまうと、もう、アイデンティティを保証するものが、記号的な「日本」しか残らない。

たいていの人間は、世界の六十億人のうち、何位くらいの能力の持ち主だ、と突きつけられることを好まない。そして、耐えられない。

だから、自分にカバーをかける。

日本=(イコール)自分にする。そうすると、自分が傷つかなくなる。どういうことかというと、まず、自分の失敗や、「できなさ」は、日本という大きな記号によって見えにくくなる。

そして、「日本スゲー=自分スゲー」が成り立つと、自分が何もしなくても、自分がすごいように思える。

例えば、日本の結弦スゲー=日本の自分スゲーにもできる。努力したのも、結果を出しているのも結弦だが、そこの過程なしに、自分の鼻の穴を膨らませることができる。

逆に、このことも成り立つ。

「日本を批判=自分を批判」

日本が批判されると、自分が批判されたように感じる人はとても多い。それは、不断「日本スゲー=自分スゲー」にしている代償のようなものだ。

わたしは、自分が生きているうちに「反日」という言葉が、死語じゃなくなるなんて思いもしなかった。

そして、これは、

「日本の誰かが失敗したとき=日本の失敗=自分の失敗」にもつながるから、「あいつは、日本人じゃない」となる。

「普通」を「健康な男性」に設定すると、それ以外の人間は「普通」じゃなくなる。

でも、あいつは「普通じゃない」「日本人じゃない」ということをやっていると、なんだか、「自分がすごい」と思えるんだろう。

でも、これには、やっぱり代償があって、「普通」を「いいこと」と思うと、ちょっとでも瑕疵がある人を「あいつは普通じゃない」としていくので、「普通の世界」にいる人が少なくなってしまう。普通の世界にしがみつくのに必死になる。

普通基準は普通じゃない人を普通になれという圧力としても働くし、普通世界にいる人を追い立てもする。

人を数字以外で見ると、「痛み」というものが大切になる。

何がその人に盗っていたいのか、どこからが痛いのか、というのは、人の輪郭をくっきりさせる。

ナショナリストはだいたい人の痛みに疎い。

それは、自分が「日本スゲー」の陰に隠れていて、日本を批判された=自分が痛いになっていて、痛みがあやふやになっているからだと思う。

自分の痛みを認識して、初めて、自分と他人の区別がついて、そのあと、「他人も痛い」ということがわかる。

ナショナリストはその段階に至っていない。


大学受験は難しくなる

今年は都市の大学の定員の規制のため、明治を筆頭に、とにかく難しくなった。

早慶東大などのトップレベルを受ける人については何も変わりはないが、それ以下の大学が非常に難しくなった。

Marchを受けるよりも、地方国公立のほうがずっと入りやすい。逆に言えば、地上の大学は今お得に受けることができる。

都市の大学が難しくなったのは、定員数が減ったこと、受験方法の多様化によって何度も受けられることがあげられる。

二十年前は、滑り止めを含めて、三回受験すれば多いほうだったのが、今では、似十回受験する人も珍しくない。同大学の同学部を受けるだけでも五回のチャンスがある場合もある。そうすると、定員数に対して、受験人数が跳ね上がるので、結果的に偏差値が上がってしまう。偏差値が上がると、「偏差値が高い」から受ける人たちが殺到する。

日東駒専はもはや滑り止めの大学ではない。

センター利用で明治大学を受けた人は、8割でも落ちた。合格ラインは、8割五分らしい。それだけ取れれば、東大も入れてしまう。

 

大学進学を機に、地元から出るのが最終チャンスの地方に住んでいた人には、あまり良い情報ではない。

都市に行けば、広告を含めて、多くの情報に強制的に触れて、どんなものがあるか知ることができるから。学生時代という短い間だけでも、都市に住むのには意味がある。

ただ、大学に限って言えば、偏差値によって大学の質が大きく変わることはない。

学生のレベルが変わるだけだ。

偏差値が低くても、親身になって育ててくれるような大学を探して、入学するのもとてもいい。都市部に集中しているということは、それ以外の大学に入りやすいということだ。

視点を変えれば、いい面もある。

決してあきらめず、これからの一年を頑張ってほしい。

大学の考え方をよく調べることが大切だ。