妊婦から見た「お母さん二人いてもいいかな?」について

いろいろもやもやが続くので、また書く。

一番釈然としないのは矛盾だ。
子供たちのアウティングを避けるために、カミングアウトしないという話なのに、そのくだりも含めて本を出している。
婚姻制度を否定しているのに、疑似婚姻届を出す。
家族扱いされないっていってる。
結婚したい人に結婚の自由を、と言っている。
じゃあ、婚姻制度がどうというわけじゃなくて、婚姻制度を実現していたいんじゃない?
でも、そうじゃないといっている。
矛盾。

矛盾点をいくつか挙げていくけど、矛盾しているから以下の部分はうまく読めないと思う。
破たんしているから何度読んでも意味が分からない。
制度上の話に絞るけど。

婚外子差別のことにも触れているけど、制度上の話なら家制度に触れないとおかしい。
でも触れていない。同性婚は大賛成、婚外子差別のお祭り差別には乗りません、というのも矛盾だ。
中村さんの頭の中には結婚するかしないか、という話しかない。
権利を認めるのが大切?という言い方をしているけど、この言い方はおかしい。権利は認めるものじゃないんだよね。権利はあるものだから、権利が侵害されているかしていないかというのも。
どっちなんでしょうか。
婚外子差別があるから仮に同性婚制度があったとしても、結婚していない、と言っている。
わたしも何を書いているかわからないけど、本が矛盾しているから、仕方がない。
(同性婚ができたら、すでに生まれている子はもちろん婚外子にならない。また、婚外子に自分の子がなろうとなるまいと、差別はいけない。そして、自分の妻のことを「妻」っていっているんだから、やっぱ結婚したいんだろうな)
矛盾している本の矛盾点を書いていても、うまく書けないから、このへん自分でもうまく書けないけど。

わたしのために子供を産んでくれてありがとう、これで先に安心して死ねるというシーンがあるんだけど、これもおかしい。サツキさんは、子供のために生んだんだよね。

だってこれさ、六帖さんが「子供を産んでくれてありがとう。これで僕は安心して死ねる人生を用意してもらった」といってたら、おかしいよ。

わたしは、自分の子供を生むけど、籍を入れるつもりはない。
「もともと権利がある人だから選べるんだよね」と言われたらその通りだけど、家制度に反対だから。簡単な話だ。
家制度に反対なのか、制度に乗っかりたいのか、その違いは大きいのに、ポジションをいくつもとってる。矛盾している。
こちらは、意味が分からないからスルーしてしまう。そして、読みたい部分だけを読んで、安心したいと思ってしまう。そういう商売だなと思った。
なんか主張するとき絶対に言いきらないで、逃げ道が用意されているんだよね。だから言葉数が多くなって読みにくくなるんだ。

また男性について種馬扱いを崩さない。男にも人格はあるんだよ。

この本を読む超人しか子育てできないのかと思わされる。
別にわたしにも夜通し起きている体力なんてないし。

産後に弱っている人にああいう言い方したら自尊心削れる。わざといっているのかな、と思う。
サツキさんに無職のおばさんっていっているし。

亡くなった人を婚姻届けの証人にしているのも、亡くなった女性の人格を認めていないから怖いと思う。
もちろん法的に根拠のあるものを求めていないというのはわかるんだけど「この人ならきっと認めてくれる」というのは故人の人格を踏みにじっている。理想化されてもね。


セクシャリティについて

友達のAちゃんとご飯を食べながら、セクシャリティの話になった。
そして、「ヘテロではない人……」と言ってから、うっとなった。

今化学を勉強しているから「ホモ」っていうのが最初の語彙としてきた。
化学の語彙だとヘテロに対応するのはホモなのだ。
でも、文明人だから「ゲイ」という言葉を知っている以上、ホモという言葉をあえて使う必要はない。
で、Aちゃんが「ゲイ?」と言った。
「そうそう、そうなんだけど、ゲイ、といった瞬間に、イメージするものが、レズビアンやそれ以外の人も含まれるイメージの人と、そうじゃない人もいるじゃんね」
という話になった。
「そうそう、それで、ゲイやレズビアン、という言い方をしたところで、こぼれる人はいるわけだから、LGTBsという言い方をしようとするんだけど、そこにも含まれていない人いるし」
「セクシャリティで分けると、マジョリティなのはヘテロでシスになるけど、マジョリティマイノリティで分けると、経済的にはゲイが強いよね?という話になり、どこで見ているかで、言葉遣いが変わる」
「かといって、シスでヘテロであるという意味のマジョリティの人間が、せくシャリマイノリティについて語らなくなるのも、それはそれで問題があるわけで、周縁化してしまう」
「自分のセクだけを語ればいいって話もあるんだけど、そうすると、どんどん追い詰められるし」
という話になった。

障碍者もそうなんだけど、障碍者だけが語るようになると、語られないという作法自体がすでに差別なのであって、目に見えなくさせられている時点で、差別の強化に加担していることになるのだ。

セクシャリティを当事者じゃない人が語ろうとすると、「うっ」と詰まってしまう問題があるなあ、と思った。
語るべきことを語らないと、どんどん構造というのは強化されてしまうし、そうすると、丁寧に語るしかないよなと思った。


親子断絶防止法に反対だ

いくつかの理由で、親子断絶防止法に反対である。

一つ目は、子供の立場から。
わたしの父は、小学高中学年の時に家出をした。それから、理由を作ってなかなか離婚しなかった。それでいて、会いに来た。
母は、わたしに父の悪口を吹き込んだりはしなかったけれど、ストレスで病気になったり、家の外に出られなくなったりした。
車で後をつけられて声をかけられたりしたからだ。

すんなり離婚の話し合いができる夫婦なら、法律などなくても、子供との面会はできる。
子供の面会という話ができない時点で、問題があるのだ。
その問題があるまま、子供に合わせるのは危険だ。
ストレス、心身の危険、DVの延長の嫌がらせが考えられる。

もう一つの理由は、女性としてからの立場からだ。

わたしは心神喪失時に、婚姻届けを出されて、私文書偽造などされ、貯金を一切奪われ、クレジットカードにも、勝手に申し込まれた。
一千万円近くの損失だった。
また、身体的なDVもあった。それまで飲んでいた薬を全部断薬され、家族や友人と連絡が取れない状態で、子猫含めて四匹の猫がいて、糞尿の片づけがなされない八畳一間の一室に閉じ込められた。そして、統合失調症の薬を致死量飲まされて死にかけた。

三回の切迫流産が起きて、死ぬと思い、なんとか着の身着のままで逃げだした。
逃げた先も知られると、「殺してやる」「火をつけるぞ」という脅迫があった。

堕胎をしたいと思ったが、日本の法律では、婚姻届けが出ている以上、父の推定がなされるため、どうしても、堕胎の届け出に、相手の名前が必要だった。
しかし、殺す、と言ってくる相手に、居場所を知られるリスクを冒して、そのうえ、絶対に同意が得られない交渉をすることはできなかった。
堕胎をできる期間も、十週を超えると法律上も、身体的にも、難しくなる。

妊娠させられたこと自体がDVなのに、それをやめるための中絶にも、DVをしてきた相手の承認がいるとは、これは、女性の人権を阻害する。法律の不備だ。

それで、やむをえなく、「望まない妊娠」だということを理由に、中絶した。

今もいやがらせがある。
この夏、一番嫌だった嫌がらせは、わたしが「不法に堕胎した」ということをもって、警察に届けられたことっだ。
そのため、わたしは、警察に呼び出されて、調書を取ることになった。
もちろん、望まない妊娠なので、違法性はない。それでも、犯人扱いされるストレスはたいへんなものだった。

この相手の男を、万が一生んでいたらと思うとぞっとする。
わたしが堕胎しなかったら、逃げられなかった。命の危険があった。
子供の命も危険にさらされていた。
だから、わたしは決断せざるを得なかった。

もし、中絶が禁止で、そのうえ、親子断絶防止法があったとすると、わたしのような女は、殺されるか、自分で死ぬしか道がなくなる。
もちろん、生んで、そのまま逃げたとしたら、地獄の果てまで追いかけられて(生んでいなくても地獄の果てまで追いかけられているのだから)、親子断絶防止法が可決したら、それを盾にして、子供と会うと主張されただろう。

誰かが、死んでも合わせたくないと願うには、それなりの理由がある。
離婚がすんなりいかない相手には、背景がある。
その背景を無視して、法律で抑え込むと、人が死ぬ。
オーストラリアでは子供が殺された事例もある。
わたしをDVした男も非常に粗暴で、子供を殺しかけないだろう。
猫も虐待していた。
猫を虐待する人間は子供も虐待するだろう。
それなのに、意に添わぬ婚姻関係でも、婚姻の関係にあると、女も子供も逃げることができない。
人権が守られなければ、命も守られない。

だから、親子断絶防止法には反対だ。
子供の福祉にも反する。


ゲシュタルトセラピーと「キレる私をやめたい」について

ゲシュタルトセラピーは自分の気づいていない内面と対話するためにはいいと思う。
でも、今現在、自分を否定されていて、その反応が正常に出ている人には向かない。
たとえば犯罪や暴力を感じているとき。そのときは、楽にならずに、逃げたほうがいい。

岡田法悦さんのゲシュタルトセラピーは、常に「否定」から入って、自分の境界をゆるくさせられる感じがした。
ワークをやると、あとから答え合わせをさせられ、「それは違いますね」「過去ですね」みたいなことを指摘されるので、委縮してしまう。
安全でも安心でもない場所なのだ。

キレる私をやめたい、を読むと、普通に「いやだ」「逃げたい」「むかつく」と思うようなことを「タカちゃん」に言われている。
全然いい夫じゃない。
子育て中の女性に、子育てを任せているのに「散らかっているな」というのは、「女だから散らかすな」と言っているのであって、決して言われた側の女性が「女性役割を勝手に受け取ってむかついた」話じゃない。
田房永子さんは「自分が散らかっているという現実の指摘に、自分のヴァーチャル眼鏡をかけて反応した」という話にしているけど、全然いい話じゃない。

最終話でも「いい話」にしているけどタカちゃんの言っているセリフがひどかった。
キレなくなって聞いたことについても「キレているときは獣みたいだった」というコメントはひどすぎる。
幼児を見ていたら、穏やかではいられない。
自分が何かしているときに、幼児にまとわりつかれたらそれはむかつくだろうに「普通のお母さんだったらにこっとする」という田房さんの意見は、息苦しい。
そう思わないとやっていられない、ということが、伝わってきて、つらい。

「タカちゃん」のセリフややっていることを抜き出してみると、ただただ、永子さんを否定しているだけだ。
全然協力的じゃない。
「養ってもらっているんだからちゃんとしないと」みたいなセリフも出てきているけど家庭を二人で運営していて、家事育児の負担が片方によっているとき家にいるフリーランスの稼ぎが少ないから、という理由で自分を恥ずかしいと思う理由は一つもない。
人にやとわれている人と、自分でゼロから稼ぐ人とは、お金の価値が違う。大変さも違う種類だ。

岡田さんのゲシュタルトセラピーは、人を否定して、自己の境界線や今まで培ってきた価値観を壊して、そこに侵入してくるものだったと感じた。
言葉はすでに抽象的なもので、過去に起きたものを伝える機能があるのに、それを無視して、「現在のことを伝える言葉」だけは「正解」になるみたいなのはおかしい。

わたしも、話している最中にさえぎられて「それは違うと思う」と言われたことが何度かあった。
殺したいけど殺せない、という相手がいるという話をしたとき「殺せない……?うーん」みたいに言われたのだ。
でも、心の中ではなんぼでも殺せても、現実的に殺せない。そして、今も現在嫌がらせを受けていて、犯罪の脅威があるのに、犯罪者と同じ思考になって、「相手の言葉をしゃべってください」と言われても、わたしに何の考えもないから「わかりません」という風にしかならない。

危害を受けたときに、感じたことを、発散させて、紛らわせるセラピーは恐ろしい。
逃げられなくなる。
キレるのが当たり前のことがある場合。

「永子ちゃん」は、「お母さんといるとき逃げられなかった」というのと同じことを「タカちゃん」に対してしている。
「キレるようなことを言われる→逃げることじゃない以外のことで対応する→キレないようになる」というためにセラピーを使ったら、現在じゃなくて、過去に原因を求めることになる。
でも、今困っているのだ。

お医者さんに聞いても「病気じゃない」と言われて帰される場面があった。
「病気ですか」と聞かれたら医者は「病気じゃない」という風にしか答えられない。
「こういうことで困っている」ことがあったら、その原因から逃げるしかないと、わたしは思う。
病気のせいにしたり、セラピーを受けたりすることで「困っていること」を解消するのではなくて、今感じていることを大事にしたら「この人といるとキレるから離れよう」になるんじゃないかと思う。


岡田法悦さんと田房永子さんのゲシュタルトセラピーに行った感想

こちらは、ネガティブな感想になります。

**********

わたしは、田房さんのファンです。
そして、百武さんのゲシュタルトセラピーに行ったことがあります。
だから、このイベントを楽しみにして行きました。

ネガティブな感想を言いたかったから参加したわけじゃないです。

でも、正直に言って、このイベントは失敗だったと思います。

*************

イベントに参加してから、キレる私をやめたいを読み直しました。
そして「タカちゃん」のセリフを六帖さんに言ってもらいました。

すると、ものすごく腹が立ちました。

「この部屋散らかってる」
「うるせー」

って言われたらむかつきます。近所のAちゃんも遊びに来ていたのですが、「もし六帖さんが本当にそれ言ったら、c71ちゃんもう家出してうちにきていい!っていうね」「そうだね。もう捨てるね」「僕も嫌だ……」という結果になりました。

田房さんは理不尽に切れていたわけじゃなくて、本当にむかつくことを言われていたから切れていたんでは……。

つまり、夫婦の関係にくちをつっこむのはよくないことですが本を読みこんだ結果、不当なことをされているのは田房さんではないかと思いました。
また、警察を呼んだ下りのところでは、暴力を振るわれているのは田房さんだと思います。腕をつかまれるのは暴力です。
勝手に、模様替えをしたり、片付けをしないで、「どこどこにカラーボックスがあるのはおかしい」と言って来たり、片付けをした田房さんをほめないのはおかしいです。
六帖さんなら、出しっぱなしにしているカラーボックスがあったら片付けてくれるし、稼いだ額をわたしが言ったら「それ恥ずかしい」とは言わずに「すごいねー」と言ってくれます。
それが当たり前です。

子育てを手伝っているとか、家事を手伝っているとか、夫にそういう描写が全くないのが気になります。そして、追い詰められる気持ちになったのでは。

ゲシュタルトセラピーでは、気持ちが楽になるかもしれないけど、本質的な解決にならないと思います。

*****************

岡田さんのセラピーですが、ワークの途中で「?カルトっぽいな」と思う場面がいくつかありました。

「目に見えるものを書いてください」
というので、書くのですが
「これは、見えたものじゃないですね。考えですね」と言って「色」について、否定するのです。
「色は黒っぽいかもしれない、でも完全な黒じゃない」という風に、判断が入るものは間違っているというのです。
だから「優しそうな顔」というのも、判断が入っているから見えているものじゃない、というのです。

でも、そうしたら、名詞というのは抽象概念だから駄目じゃないかと思ったのですが、名詞はよいらしい…。
えらく主観的じゃないかなと思いました。

今、見えることにフォーカスしてくださいと言って書いているのに、色や形や素材については「確かめられないから想像」「考え」と言われたり、「動詞で表せるものは、本当にそうなのかわからない」と言われたりします。

そして、どんどんダメ出しをしていくスタイルです。

だから、セラピーなのに気が重くなりました。人は、正解しないと苦しくなります。
名詞がいいのがなぜなのか謎です。名詞も確かめられないでしょう?眼鏡に見えても眼鏡じゃないかもしれない。
膝に見えても膝の範囲はわからない。足が見えても、脚なのか、足なのか、範囲選択できない。

色が禁止されましたが、色のほうが客観的です。
それは、光の差分が取れ、測定できる要素だからです。

「お昼ご飯食べたいものを考えて理由をつけて話してください」
……。

「理由をつけたら、それは考えなんですね。今にフォーカスしていない。だから、過去なんです。過去について検索して、考えていることになるんです」

そうなのかなあ……。
でも、それを言ったら、五感すべては、遅延を伴って肉体につながって、それから音速の速さで脳内を駆け巡るものだから、五感で感じたものすべては、過去のものになるんじゃないかな。そして、考えは過去、感じていることは現在というけど、厳密な意味で言うと、感じていることも過去のことになるのでは……。

「インチキじゃないですよ」
と岡田さんが言ったので、だいぶ雲行きが怪しいな、と思いました。

「インチキ」だといわれる方がわたしは安心します。「インチキじゃない」と言ってくる人はたいていインチキだと思います。

ヒプノセラピーも受けたり、レイキヒーリングも受けたりしますが「楽しい範囲」でと思っています。
温泉と同じですね。
医者は信頼しています。温泉やマッサージで本当に病気が治るとは思っていませんが、気持ちがいいので行きます。
上記二つも、面白い、楽しい、なんだかリラックスするというところにお金を払います。

ベシー占いというのをわたしはやっていますが「当たります」「信頼できます」とは一言も書いていなくて「インチキでも受けてみたいなー」くらいで受けてほしいと思っています。「ベシー」の自己紹介は「宇宙の妖精」なので、そこを乗り越えられる人にだけ、お客さんとして来てほしいわけです。だから、なんだったら「インチキ」ですよ、くらいは言ってもいい気持ちでいます。というか、言いたい。信じなくていい。
わたしも信じていない。怪しい。
信じてないけど面白いと思う人だけでいいです。

その後、実際のグループワークに移ったのですが、「ファシリテーター」としてこの人どうかな、と思いました。
ファシリテーターというのは、ゲシュタルトセラピーで、相手の感情や動作を引き出す人なんですけど、なんだかいう文句が通り一遍で、「あ、これ田房さんも漫画で言われたセリフと同じだ」と思いました。
そして、やりすぎでした。
わたしは、感情を爆発させすぎて手にけがをしました。セラピーでけがをするのって本末転倒だし間違っている。
もっと殴って、と言われたから(わたしが誰かばれてしまいますね)もっと殴ったんですが、トランス状態というか、催眠状態に入っていて、言葉通りに動きたいんですよねどうしても。あれは泊めるべきだったと思う。最初から、「こういうことで殺したい人がいる」というのでテーマのあるワークをしたわけだし。感情を出しすぎないようにコントロールするのは、岡田さんの役なのに。それができていないのは、おかしいと思います。

わたしは、殺したい相手の椅子に座ったのですが、言いたいことも考えていることも何も浮かびませんでした。
だから「何もわかりません」と言って椅子をまた移ったのですが、それも当然で、自分以外の人になって、話すのは、「自分の願望」「自分の言ってほしいことを話してほしい」というのが、ある時だと思うのです。
わたしの殺したい相手の一人は犯罪者だったので「願望」がないのです。だから、相手に言わせたいことは何もないのです。

自分の言ってほしいことを過去の人に言わせたい分にはいいと思います。
最初に「この人に、本当は、こういうとを言ってほしかった」と思っているなら。
でも、そうじゃないことには向かないセラピーだったと思います。
ほかの団体だとどうかは、わかりません。
でも、トランス状態に(いわば勝手に)したうえで、感情を吐き出させて、クライアントにけがをさせるっておかしいと思います。
催眠療法は、最初に「催眠状態にします」という宣言があってそれを了承して始まるのですが、ゲシュタルトセラピーは催眠状態にするのにあたって何も一言もないのが怖いと思いました。

また、チェックインはありましたが、チェックアウトがありませんでした。
これは怖いなーと思いました。
*****************

岡田さんは終了後、12800円の本を売っていました。
田房さんは先に帰りました。
グループワークも一人当たりの時間が一時間と長すぎました。
田房さんは角川の人に昼休みを削ってサイン会をさせられていました。
嫌でした。

*****************
帰ってから、岡田さんと田房さんの対談を読んだのですが「嫌いな上司がいる」という話に「過去嫌に思った人を投影している」「言われたことを違う風に解釈している」という風に言っているのですね。
でも、嫌いな上司なんてやまほどいて、屑みたいな人間が上司のことって山ほどあるじゃないですか。
そこを、過去の出来事のせいにしてしまうと、現在の問題を具体的に解決できないと思うのですね。
(過去のせいにしていないという風に言われるかもしれないけど)

ゲシュタルトセラピーの結果、いらいらやキレるのが収まると、本当は「退職」した方がよかったのに、現状維持をしてしまう可能性があります。本当は転職するのが一番良いかもしれないのに、ゲシュタルトセラピーでガス抜きができてしまうと、現状の追認に働いてしまう危険性があります。
でも、人間は生きているから、今起きていることに普通は反応する。
岡田さんのゲシュタルトセラピーは「今」の動作に注目して「過去」あった抑え込んでいる心にアプローチするものだと思うのですが、それだと、「今、危険にあっているから怒っていること」を「過去の出来事のせい」だから、自分の心にアプローチする、という行動をとらせてしまい、現実の改善をしないで済まさせるようになってしまいます。
セラピーの意図していることが逆転しています。
意図していることは生きやすくすることなのに。

わたしは夫にキレるなら、夫を交換したらいいと思うし、ママ友が気に入らないなら、関わらなければいいと思います。
それでなにがわるいのでしょう。
キレる原因を作ったほうが悪い。そう思います。キレていい。キレていいです。

*****************


メタタグにnofollow,noindexタグを入れられたので、はてなブログから移転しました。

誠に遺憾ながら、はてなブログ運営から、メタタグに検索よけを知らない間に入れられていたので、移転しました。

http://c71.hatenablog.com/ からの移転です。

 <meta name="robots" content="noindex,nofollow"/>

メールで問い合わせた結果、

ご利用いただいているはてなブログには、私人の個人情報に係る情報を電子書籍の形で
頒布する情報が掲載されているとの通報がありました。
確認いたしましたところ、記載されている内容が検索結果として広く流布されることによって、
プライバシー侵害、名誉毀損など権利侵害に相当する可能性が高いと判断しましたため、
一旦そのような措置を取っております。

意味がよくわからないけれど、電子書籍をリンクしているから悪いということが分かった。

リンクをしているから、個人情報の流布に当たる、というのはいみがわからないし、また、個人情報を本当に守りたいなら、わたしのブログからその情報を削除するように要請するか、非公開にするしか、意味がないと思うが、はてな運営は、そうではなく、わからないように、検索よけのタグをメタタグにつけるように対応したようだ。

メールには、担当者名もなかった。

こんにちは
ご返信ありがとうございます。

どの本でしょうか?
ハンドルネームを載せている本はありますが、本名ではなく、個人を特定できるような本はないと思いますが、念のため削除いたしますので、その後、対応してくださるとありがたく存じます。

そこで、このような返信をした。削除対応をしたら、メタタグをなくしてくれるのではないか、と考えたからだ。

しかし、

問題となっている書籍は
http://blog.c71.jp/entry/2016/08/02/1802
こちらで公開されている「ネットリンチと性被害者が行う加害」です。
すでにamazonでも発売が差し止められている状況であり、
サービス内での頒布につきましても不適切なものと判断しました。

対象がハンドルネームであっても、個人が容易に特定できるものであり
また、係争中の刑事事件に係ることでもあるため、広く流布することにより
複数の人物に対し被害が及ぶ可能性があると考えています。

また、このような措置を取った場合、修正等の対応を行っていただいても
原則として解除は行っておらず、特に、同様の内容を流布する意図が
継続している場合は、公開状態には戻すことはできません。ご了承ください。

このような返答が返ってきた。

わたしのこの本は、差し止めになっているわけではない。アマゾンという本屋が、本を置くことを自粛したい、ということだったので、自主的に取り下げをしたのだ。

それなのに、経緯もわからず、適当なことを書いてくることに失礼さを感じた。

サービス内の頒布、といっても、本を置いているサーバーははてなにはない。

はてなにはないものをコントロールするのはおかしい。

また、ハンドルネーム(ゴヒエツコという文字列)を書くことで、個人を特定できるとしたら、それは、ゴヒエツコ氏の責任であって、わたしの責任ではない。

係争中の事件だということも意味が分からない。わたしが書いたのは、「わたしが受けた被害」についてである。係争中の事件は公判である。それこそ、世間に個人特定されるものである。

それをわたしが扱ったからといって、何の意味があるだろう。

そして、そもそも、週刊金曜日の記事を広く広めたい、と言ってきたのはゴヒエツコ氏だし、ゴヒエツコ氏が自分でそのことを望んだのだ。もし、個人の特定につながるなら、見ず知らずのわたしに話を持ち掛けるべきではなかったし、週刊金曜日も記事で「菅野氏」「ゴヒエツコ氏」の話を取り扱うべきではない。

複数の人物に被害が及ぶ、というのもあいまいな言い分で、それは誰だという話になる。

修正や削除をしても、解除はしないということだったので、移転することにした。

本当に、ゴヒエツコ氏の個人情報を守りたいならば、わたしのブログを非公開にするべきであった。

わたし自身、はてなユーザーだったのだから、一言あってもよかった。一言なければ、個人情報の流布は止めることができない。

このままだと、nofollow,noindexタグは、恣意的な、見えない罰則的な運用をされるはずだ。そして、きっと、このタグは形骸化する。はてなの気分でつけたりつけなかったりするタグに意味があるとは思えない。

それにしても、「本を紹介した」「リンクを張った」から「メタタグに検索よけをつける」というのは本当に意味が分からない措置だ。

担当者の名前もなく、責任感を感じられない。

だから、移転することにした。

うちにいる優秀なプログラマの六帖さんによって移転は二時間ほどで完成した。

今後、はてなブログからワードプレスに移転する人がいたら、一件四千円で承ります。


犯罪被害にあって、入院したときのはなし

今日は、午前中のコンビニアルバイトを除いたら、仕事が休みでした。
やることもないので、疲れを取ろうと思って眠っていました。他にやることもないので、ツイッターで、わたしのブログを読んでくれた人の感想を求めてさまよい歩いていました。これは、良くない過ごし方だと思いましたが、一生に一度のことだと思うので、自分を許そうと思います。そんなに、神経を使わないような趣味を作らないといけません。革細工なんて良いかもしれないです。

わたしは、犯罪にあったあと、比較的すぐ、カウンセラーや、精神科にかかりました。
裁判所に犯罪専門の無料カウンセラーがあるというポスターが張ってあったからです。そこにも通いましたし、会社の近くの精神科に通いました。それは、仕事を休む必要があったからです。先生は、仕事は休んだら、復帰が難しいから無理にでも仕事はした方が良いと言いました。わたしは、今でもそれがどちらが良かったかわかりません。

仕事がなかったので、わたしは、暇でした。
なので、悪いことばかり考えました。本を読んだり、テレビを見たりする集中力もなく、ただ呆然としていました。
今でもテレビは見ることができません。テレビは、不意に音が大きくなったり、悲惨な映像やニュースが流れたりするので、その度にパニックが起きるからです。
家の近くのコンビニに、かろうじて、簡単な食べ物を買いに行って、暮らしました。
貯金が尽きた頃、事情を話して、親元に帰りました。会社は紆余曲折してやめました。
地元の付き合いのあった精神科にかかり直して、事情を告げたところ、「ボクの力では手に負えないので、専門家に任せた方が良い。入院しましょう」ということになりました。
入院先のベッドがあくまで二週間かかりました。
その間、わたしは、激しく泣いたり、家の中で暴れたり、外で叫んだりしていました。父を激しく責めました。部屋にこもりきりだったので、二番目のおかあさんは、気を使って、簡単な手伝いに誘ってくれました。
二番目のおかあさんは、かなり戸惑っていました。父は、「叫んだりは、やめられないのか…」といっていて、「早く入院できればいいね」と励ましてくれました。

入院先の先生は、女医さんで、かなりはきはきした先生でした。
わたしはもともといくつかの問題を抱えていました。
わたしは、不安発作とパニック発作がかなりひどく、病院内を歩くときに、男性とすれ違うだけで、悲鳴を上げて、座り込んでしまうありさまでした。

「恐怖経験をして、無意味にアドレナリンが出るから、疲れすぎてしまう。ものごとには、適正なバランスというものがあって、今はそれが極端になっているから、休憩だと思って、休みましょう。病気をするのにも疲れるから」とのことでした。

「入院するのは、怖いんだよね。怖かったんだよね?」と言われました。
わたしは正直に、「怖いです。どんなひとがいるのかもわからないし。とうとう本当に頭がおかしいということになるのだと思います。友だちにそう言われました」と言いました。
「それはずいぶんはっきりものごとをいう友だちだね。大丈夫。わたしはね、病棟の人たちが好きなんだ。少なくとも自分を偽ってはいないもの。わたしは、狂った人とか、キチガイとか、言うひともいるけれど、キチガイなんて病気はないからね。そういうのの病名をつけるのは私の仕事なの。そして、病名をつけたからっていて、良くなるわけじゃないから、わたしは病名をつけるのはあまり好きじゃないけれどね。

ここにいるのは、病気の人なの。わたしはね、世の中にキチガイの人なんて一人もいないと思ってるの。だって、キチガイって病気はないからね。ただ、野に放たれた人はいるかもね。自分の問題を認められないままの人がね。そういう人の方がわたしは怖いなあ。何をするかわからないものね。自分がどういう状況か認めてないわけだからね。

そういう野に放たれている人よりね、病気だってことを認めて、自分の病気と向き合って闘っている人の方が好きだし、安心できるの。世間の人には、変な人もたくさんいるし、無神経に人を傷つけても平気な人もたくさんいる。だけど、ここの病棟にいる人たちは、自分が悪いと思っている人がとても多いの。そして、そのことに向き合って、良くしようと戦っているの。だから好きなの。だから、大丈夫。あなたも、ここで、思う存分症状を出していっていいから」
と言ってくれました。

このとき、先生は、わたしの話し方から、自閉症スペクトラムであることを疑っていたらしいです。
事件の影響と、もともとの性質を知るために、心理の先生を中心に、テストを受けることにしました。

わたしは、先生の判断で個室に入りました。好きなだけ暴れたり叫んだりできるからです。夜眠れなかったり、昼間恐ろしくて眠ってしまったり、無理をして、決めた体操や日記を書いたりしすぎて、疲れすぎたりするペースを守れて助かりました。
わたしは、最初、食事のときのお盆を取りにいくことができませんでした。男性が怖かったからです。
男性とすれ違うたびに、ヒッと叫びそうになりました。
大声を出す男性の患者さんもいて、「おい」と呼びかけられただけで、泣いて座り込んだこともあります。

特別な治療は、なく、安静にすること、適度な運動をすることが、治療の主な内容でした。
けれど、ようやく安全なところに来られた安堵感は大きかったです。
看護師さんの中には、男性もいましたが、少しずつ慣れて行きました。
テレビは時々見られるようになりました。
NHK教育だけを見ました。ニュースがなく、音が静かで、毎日番組が決まっており、安心したからです。

一週間経つ頃、お茶会に呼ばれて、他の人と一緒になりました。親切にしてもらいました。ここで、周りの人と少しずつ関わりを持つようになりました。
わたしの世界が広がってきました。

そして、そこから、作業療法というものが、始まりました。手芸や工作、美術などを通して、治療をはかるというものです。これは、とても楽しみでした。毎日二時間だけすることができて、わたしは、人のいない午前中を狙って毎日通いました。この治療は、昼間起きること、集中力を取り戻すこと、自分にもできることがあること、手を動かしながら作業療法士さんと会話をすることが、治療の役に立ちました。

わたしは、最初編み物をしたり、シュシュを作ったり、布で、カチューシャを作ったりしました。
それから、女医さんと同じ靴が欲しかったので、革細工で、革の靴を作りたいと思い、作業療法士さんに相談しました。
「作ったことはないけれど、やってみましょう」と作業療法士さんは言ってくれました。
わたしには、作戦があって、作業療法室にある本の中に、革のスリッパの型紙があるので、それを使えば靴ができるのではないかと思ったのです。それをプレゼンテーションしました。
女医さんは、そのプロジェクトをおもしろがってくれ、時々、「おもしろいことやってるんだって?はじめてだって、Mが言ってたよ」とのぞきにきてくれました。

わたしは、型紙作りからはじめて、革の加工について学びました。型紙を作り、革を裁断し、穴をあけ、立体的に縫い付けること。靴の型がないので、難しかったですが、出来上がったときには、嬉しかったです。二十時間くらいで作りました。
Mさんはもと銀行員でした。わたしは、仕事を辞めて、これからどうしようか迷っていたので、Mさんと仕事を辞めたときどんな気持ちだったか聞きました。
「いつまでも女の子扱いされて、同期の人は出世して行くけれど、先がないのがわかっていたし、仕事にやりがいはあったけれど、楽しくはなかった。それで、九年やったからもういいかな、と思って、作業療法士になったの。新しく勉強するのは大変だったから、転業するのはすすめないよ。給料は下がって、運良く就職できて、でも、患者さんと毎日話しながら、作業をするのはすごく楽しいし、やりがいがあるから、もう二度と銀行には戻りたくないな」と言っていました。

患者さんはみな、甘えたがりで、何かあるとすぐ作業療法士さんを呼びます。そうするとMさんは嫌な顔せずに、嬉しそうに、はーいと返事をして、すぐに向かうのでした。

そのころから、リストカットで入院している子、摂食障害で入院している子と親しくなりました。
年は十歳くらい離れていましたが、その子たちはわたしに、年齢を感じなかったようで、分け隔てなく接してくれました。
彼女たちは、手芸をしながら、おしゃべりやうわさ話をしていました。わたしは、人と話すことが、とても疲れやすく、二時間も話すと、へろへろになってしまい、「ごめんね、もう倒れそう」といって、部屋に戻って休みました。
彼女たちは、お互いのペースがあることを知っているので、相手が戻っていたり、いつもと違っていても、気に留めません。とても楽だなあと思いました。

わたしは、そういう風にして、少しずつ世界への信頼を取り戻していったみたいです。

わたしは、二番目のおかあさんに対して、かなりわがままでした。じぶんがわがままだときづくことができなかったのです。やれ、スキムミルクを送ってほしい、スケッチブックを送ってほしい、するめいかを送ってほしいなどと言って、おかあさんのペースや忙しさを考えずに自分のことばかり言いました。今思うと恥ずかしいです。

他には、毎日日記を書き、この機会だから、自分の精神に起こることを全部書き留めて記録にして、いつか発表したい、と思っていました。それは、きっと世界の中の誰かの役に立つはずだし、一人の役に立てれば、それは希望だから、そうしようと決めていました。
その決まりごとに縛られすぎて、苦しくなったこともありますが、ずっと書いていました。
人生に一度しかない経験をしているのだから、しっかり取材しよう、と思っていました。
この経験は、必ず、誰かの役に立つし、少なくとも、家族にわたしのことを伝えることはできるから、絶対に記録に残そうと心に決めていました。
その張り合いが、治療に良い方向に進んだと思います。

一ヶ月くらいかけて、精神のテストが出てきました。わたしは、自閉症スペクトラムということでした。初めて聞く言葉に、わたしはきょとんとしていたと思います。それが、どういうことなのか、言葉の意味を知りませんでした。

「勉強で、困ったこと、ないですよね。うらやましいですよ」と心理の先生は言ってくれました。
「普通の会話や、ストレスがかかったり自分のことを主張しないといけないときの会話の傾向もおかしいことはないですが、対応がひとつしかなくて、自分が我慢するという方向だったり、一息つく、という選択肢がないのを今後気をつけると良いと思います」と言ってくれました。
わたしには、さまざまな能力があって、言葉やストーリに関する能力がかなり高いこと、言われたことをほとんど完全に記憶して、要約する能力があること、運動能力が少し低くて、不器用なことなどを説明されました。基本的には、悪いことはあまり言われなくて、良いことだけを褒められたので、わたしは気を良くしました。

「得意なことを伸ばそう。でも、自閉症スペクトラムだからって、これはできないと、引っ込み思案にはならないで、これは無理だと思わないで。失敗しても良いから、やりたいことからやっていこう。そして、まず、あなたは、なんでもいい、アルバイトでもなんでもいいから、とにかく仕事を見つけて働いてほしい。そうしないと、人間は心を病んでしまうものだから。人は、社会的な存在で、人と関わることで、発展してきたから、仕事を通してだったり、子育てを通してだったりして、社会と関わらないと病気になってしまうよ」
と女医さんは言いました。

わたしが、退院したのは、それからさらに一ヶ月後でした。

入院中に、中学生の子や高校生の子に、勉強を教えました。
今、つらいことを紙に書いて作文に書いてみて、と練習してもらったりしたところ、それがきっかけになって、ご家族と話せて、退院するきっかけになったこともありました。
病院内のお祭りに一緒に行ったり、売店で買い物をしたり、脱走劇を見守ったり、したのも良い思い出です。

わたしは、少しずつ回復して、退院をしたいと望むようになりました。

それは、暴力を通して、失われた、世界への信頼感の回復でした。
精神科病棟という小さな水槽の中で、自分の苦しみと向き合っている人たちとの生活を通して、わたしは、それを得たのです。

追記:これが流行ったときは二日で三万ビューでした。


議論系のおすすめ記事をまとめます

せっかく来ていただいたので、似たような傾向のおすすめ記事を張っておこうという知恵がわきましたので、やってみます。

52qt|note 自閉症スペクトラムの人の話

よかったらご覧ください。


旧型コンピュータ≠わたし、には心があります

旧型コンピュータには心がないのか。
わたしは、人の表情を読み取ることは苦手だけれども(顔を見るのが苦手、顔を見て表情を認識するのが苦手、表情を記号として理解するのが苦手)、心はある。

悲しくなったり、嬉しくなったりする。二次障害もある。心があるからだ。手帳もある。コンピュータじゃなくて人間だからだ。

わたし、は、人間として扱われない?

コンピュータだから?

と、言葉を文字通りにとらえてしまう特徴を思う存分発揮して悲しくなったけれども、そうじゃないことを説明しよう。

わたしには心があります。

ただ、その発達が遅れていたり、脳の処理機能が異なるだけです。
どんな風に異なるのか、はいろいろ言われているけれど、人によって違うから何とも言えない。

自閉症スペクトラムは心がない、感情がないと思われがちだし、入院しているときには、看護士見習いのお嬢さんに子ども相手に話しかけられるように、話された。

だけど、感情がなければ悲しまないし、怒らないし、喜ばない。

人に感情があることを理解しないのか、というのも、そういうわけじゃない。

相手に感情があることは理解しているとも。
そうじゃなければ、わたしをいじめたり、誤解したり、ひどいことを言ってきたりはしないだろう。
逆に、親切にサポートしてくれたり、わたしのことを考えてくれたり、泣いてくれたりもしないだろう。

人がどう思うか気にしてない、と思われているけど、わたしの場合は、「精度」「優先度」が低いんだと思う。
定型の人は、自動的に、相手を気遣った台詞や、空気を読んだ態度を取れるらしいのだけど、わたしはそれに対応した言葉がなかなか思いつかない。見合ったパターンを覚えて、その通りにしているだけ。相手がどう思うのか、予測できないので、どう思われてもしかたがない、とあきらめている。
そういう意味ではプライオリティが低いけれど、逆に言うと、定型の人たちが自分を殺してまで、人に合わせることの意味が理解できない。そうすると、楽しいのか?いいことがあるのか?と思う。

生徒を見ていると、相手に合わせることで、埋没し、能力をひた隠すことに邁進するうちに、本当に能力が伸びなくなる場合があるようだ。それは才能をつぶしている。
わたしにとって、才能や能力を伸ばすことはとても価値があることだと思うから、それよりも、人に合わせることが素晴らしい、と思える人のことが理解できない。

わたしは確かに社会的発達が遅い。
お金の勘定ができないし、使いすぎてしまうし、まったく大人らしくない。
鬱状態躁状態の管理もできていないし、躁状態のときにお金を使いすぎてお金を借りたりもしている。
異性関係も危なっかしい。

だけど、人の悪感情は感じるし、善意は持っている。子どもは可愛いと思うし、動物も好きだ。

あしなが募金を見ると、「この子たちを街頭に立たせること自体が間違っていて、制度として、教育を受けられるようにするべきなのに」と思いながら募金する。
恥ずかしい、という感情も持っている。

心の理論、というのがなんなのか、わたしにはわからないけれど、わたしはエイリアンでもないし、ミュータントでもないし、1人の女性だ。
わたしをコンピュータとして扱うならば、二進法と機械語で話しかけてほしい。そうしたら、うまく動けない理由が、入力者であるあなたに責任の所在が移るから。

理屈が好きなことや理屈を理解することが得意なことと、コンピュータは関係がないと思う。コンピュータは計算機だ。わたしは別に計算は得意ではない。(ユーモア)

こんなことを言われるのは、わたしは嫌だ。
わたしは自分に責任を持って、自分らしく生きていたい。
だから、わたしはコンピュータと呼ばれることを拒否する。


愛と結婚と発達

今日も一日が無事に終わりました。
嬉しい、本当に嬉しい。

体調はいまいち良くなくて、一日中寝ていました。
ヨガは行きましたし、ヘルパーさんと一緒に片付けをしたり、料理を作ったりしました。
今日はキャベツロールでした。十分くらいでささ、と作ってしまわれたので、すごいな、と思ってみていました。ゆでてから巻くのです。

やせたいなあと心底思います。華奢なワンピースが似合わないからです。恥ずかしいなあ。

ブログの訪問人数が落ち着きました。一時期、九百人を超えてきていたので、数字に興奮してしまいました。今日も二百五十人くらいいらっしゃってるから、多いのですけれど、少し落ち着きました。

結婚をどうしようかと迷っています。
相手がいるわけではないのですが、結婚するのかしないのか、迷っています。
とりあえず、後悔しないように、人と会うだけ会おうと思っています。

わたしは社会的発達が遅いようなので、普通に暮らしていると、自分が結婚したいと将来思う年齢と、子どもが産める年齢がずれてしまうんだと思います。

周りの人のように、どうしても結婚しなくてはいけない、という風に焦る感じではないです。

一人でも楽しいけど、わたしがわたしであることを受け止めてくれる人がいたら、もっと楽しくなるだろうな、と思って、人と会うのは悪くはないんじゃないかな、とも思います。

社会的発達と体の発達のずれは、難しいものがあります。わたしがその気になったときに、間に合わなくなってしまうことが今まで多かったからです。気がつくのが遅いです。世間で「こうするのが当たり前」ということがよくわからないからです。成長してからやっと、「あれはこういう意味だったんだ」とわかることが多いです。

前もって、こうなるとわかっていたらそうしたのかな、でも、心の準備が間に合わないことを先回りしてやれと言われることの方がもっと困るのかなと、思ったりします。

わたしは、愛されたいわけじゃないと思います。

愛してほしいと思っていることは思っているのですが、わたしにとって、それは危険だと思います。
愛してほしいと思うと、奴隷になってしまうからです。
その人のすべてを肯定して受け入れたくなってしまうからです。そうすれば、愛してもらえると思ってしまうからです。
愛はよくわかりません。愛は難しいです。

愛されるよりも、確かに大事にされたい、尊重されたい、という気持ちです。
大事にしたい相手から、大事にされたらすごくいいな、と思います。

わたしは贅沢に誰かを愛して大事にして、その人の子どもをどうしても産みたい、と思えたら、結婚してもいいかもしれないと思います。