わたしは不安で、怖いです


暴力的なことがこれ以上起こらないでほしい – よもちかブログ

わたしは不安で怖かったので、言及しないようにしました。
話題にも出さないし、声にも出さない。ニュースも見ない。話題にも入らない。
よくわからないし、よくわからないことを言葉にしてしゃべったら、すぐに、ネットだと特に、公の場所で話題にしたのだから叩かれて当然、みたいに言われるからです。
わたしはそんなに確信もないけど今の政権はおかしいと思う、政治批判もしたいし、死んでしまった人がいるのはとても悲しいし、悪夢を見ます。
とにかく、悲しく、胃を押されたような気がします。
彼らは殺されてもしょうがないよね、そうなると思ってた、みたいな発言を聞くだけで凍り付きそうになります。

国がおかしいと思う、というと、ISISが悪いのにそれもわからないなんて、バカ、みたいな意見が湧いてくる様を見ました。
でも、わたしはISISにだって、空爆で殺されて恨みを募らせて入った人もいるだろうし、それも、アメリカの都合だったりお金の流れで戦争が起きたりするんだから、絶対的に悪だと言えないと思う。
悪い、悪すぎる、だけど安倍総理にもはとても不安を感じる。なぜなら、わたしが政治批判を堂々と言える気分じゃない、風になっている時点で、おかしいと思う。

別に対して、わたしは国に弾圧されているわけじゃないけど、ネットの雰囲気が荒れているし、テレビで怖いシーンが流れたという噂を聞くと、雰囲気作りで言うと安倍総理はそうとう悪いと思っています。

よくわからないことをわかっていないまま言うなと思う人がいるだろうけど、この状況をよくわかっている人ってあまりいないと思います。
殺し殺されている歴史があって、当然武器商人もいて、利害関係もある中で、流されている情報だけですべてを把握している人はいないから、それは、ジャーナリストでも専門家でも全部を知っている人は少ないと思うし知っていても、情報は流さないと思うから、だから、わたしが知らないのはある意味で当然だと思います。

わたしが国の偉い人だったら情報を抑えて、雰囲気を作ることに専念すると思うからです。

だから、わたしは、よもちかさんの勇気に押されて言うけれど、わたしはとても不安だし怖いです。
何が起きているのかよくわからないし、戦争の雰囲気になっていくのかと思うと怖いです。今までだって、もうだめだ、このまま戦争への道に行くと思うと怖いです。

わたしは戦争がとても怖いのです。死んだり殺したりするのが当たり前になったり、そういう場所に行くのが良いとする、隣近所の人とか知り合いが普通に、徴兵される世界は怖いです。
人を殺したことのある人がたくさんいる町内を想像できないです。
戦争をしないで殺される勇気も必要だと思う、なぜなら、戦争をしても殺されるときは殺されるからです。だったら、殺さずに死んだ方がわたしは話が早くていいと思います。犬が死んだだけどもあんなに悲しかったから、殺された人の家族はどれだけ悲しいだろうと思います。
それが大量に起きることを想像できないし、中東ではもうそういうことが、長い間起きていると思うと想像を絶して考えたくないです。

怖いことはなるべく減ってほしいです。日本だけが安全でも良かったと思います。そうすると、少なくとも殺し殺される国が少ないわけだから、自分の平和を守っているだけでも十分すごかったんじゃないかと思います。日本だけが安全だとわたしが安心だって話じゃなくて、それが他の国でも良いんだけど、一国でも戦争に関わりなく存在する国があると良いなって話です。
何が起きるかわからないと思うと緊張します。

これって、覚えがあって、わたしが犯罪被害者になったときと同じパニックです。
犯罪被害者になると、緊張します。
自衛しなきゃと必要以上に思って、普通に暮らすためのエネルギーをとられて、平穏な生活が送れなくなります。

自衛するのが当たり前だ、と言う人はわたしよりも最初からエネルギー量が多いのだと思います。わたしにとっては大変でした。パニック障害は障害としてあるので、よくある現象です。

普通に生きることが難しくなるのはとても不便です。いつも緊張している、パニックが起きそうなのをいつも堪えながら暮らす、というのは不自由です。

トラウマがあると、それを中心に暮らすようになります。それが軸になります。それは決して幸せなことではありません。幸せなことを軸にして普通は暮らすと思いますが、恐怖とパニックを抱えてそれを中心に暮らすのは疲れます。それに触れないように、触れないように生きるためにはそれをいつもどこかで意識しないとダメだからです。

わたしが思うに、わたしが観察しているネット上の動きとか、ニュースとか、その範囲ではパニックと似たようなことが起きている気がします。
自分の経験だけで語るのは良くないと思うし、大きい話にしていると言われても仕方がないのですが、言いたいので言います。

本当は不安で怖い、自分も殺されるかもしれない、殺されるのもいやだし殺すのもいやだ、だから怖い、けどその話はしたくないから他の話をして紛らわすけど、話題がそれ以外にならない状態に見えます。だから、いつも同じ話題をぐるぐるするけど本当にしたい話はできないみたいなそう言う状態に見えます。
わたしは戦争をしたくないです。戦争と関わりたくないです。関わりたくないけど戦争は勝手にやってくると思います。
だから、せめて、戦争をしたくない、とわたしが言った、表現した、ということだけでも書き残しておきたいと思います。
だから、不安で、怖い、戦争はいやだ、なにがあってもとにかく理屈抜きで怖い、とにかく怖いんだ、ということを書きます。
怖いことと理屈は関係ないです。
みんな理屈を信じすぎていると思います。理屈は守ってくれないです。守ってくれるときと守ってくれないときがあって、理屈は経験から言うと暴力には弱いです。
暴力に対しては感情の方が有効です。
感情はわたしに今、怖がれ、と指令を出していて、だから、怖いと思っています。


ゲシュタルトセラピー体験

ゲシュタルトセラピーに行きました。

二日間で申し込みましたが、仕事で初日はキャンセルしました。だから、今朝はいくかどうか散々迷って、行かない方に諸手を挙げて賛成しそうになりましたが、なんとか参加しました。

参加してからしばらくは、まだベッドにいる自分がいるんじゃないかと思ったくらいです。
参加したのは、一日ベッドにいたらニュースを見てしまいそうで怖かったからです。

ゲシュタルトセラピーは催眠療法ほど劇的な感じはしなかったけれど、からだがあったかくなるような感じがしました。

朝十時から五時までの長丁場だったので不安でしたが、意外となんとかなりました。体力就いたなあふう。

いろいろな人のワークを見ました。ワークをやりたい人は少なくて、みんな遠慮深いなあと思いました。みんな、その場を楽しんでリラックスする感じでした。

いろいろな人がいました。肩こりと会話する人とか、仕事について悩んでいる人とか。
立派な横文字職業に就いている人もいたし、靴下を何枚もかさねばきするタイプの女性もいたし、いろんな人がいました。わたしが普段妄想で、いいなあ、とそういう人生、順風満帆じゃないか、と思うような人の悩みに立ち会えたのは面白かったです。人に対するねたみが減ったり、自分の人生が思ったよりも楽しいじゃん、って思えたのは良かったです。

ひとりのワークにつき、一時間くらいかかりました。全部で五人がワークをしました。
人のワークを見ているのは面白かったです。
ワークをしている人の雰囲気によって、自分の状態が変わるのが面白かったです。
肩が痛くなったり、腰が痛くなったり、退屈したり、眠くなったり、暗い気持ちになったりしました。

わたしはおなかと会話するのが目的でした。
わたしが予測していた通りには行かなかったです。

おなかと会話する、と言う表現には、わたしはもう抵抗がなくなっているのですが、前だったらいやだったかもしれないし、そもそもそういう考え方だったのか、今はもうわかりません。
この前の催眠療法で右手が人を殺したがっていたので、もう、どうでもいい、って感じはあります。
なんでも言いたいことを言えば良い!体の部品め!

おかあさんの話が出るかなあと思って、予測はしていたのですが、他の話も出ました。他の話とは、自分で、墓場まで持っていくつもりだったので、その話が自分の口から出たのは驚きでした。
自分で判断して、決断して、話せたので良かったです。
話すこと自体を恐れて、話さないようにしているエネルギーがとてもあったので、安全な場所で話せてほっとしました。

おかあさんのことはまた今度、ということになりました。
わたしが今憎んでいる人と、どうして縁ができてしまったのか、そのパターンを今後知っていきたいと思いました。
そのパターンは親子関係で作られたものだと言うことはわかっているので、そこをほぐしていけたらなあと思います。

境界線を引く、というのをやりました。

最初、おなかについて話したい、ということをいったのですが、うまく話せませんでした。
なんだか、作り事めいてしまって。

自分のおなかが自分のものじゃないみたいでした。

自分のおなかについてどう思うか聞かれて、
「どうも思わない。自分のおなかだと思う。自分のおなかだと認めたいと思っている。憎んだこともあるけれど、わたしのために頑張ってくれていてありがたい」と言ったら
「本当にそう思う?」と言われて、よく考えたら、「みっともない。見苦しい」と言いました。
「誰がそう言うの?」と言われたので、家族や、薬剤師や医者と答えました。

おなかを触ってみて、と言われたので、触りました。
「よくわかったと思うまでしっかり触ってみて」と言われたので、実況中継しました。
張ってるとか、胃が張ってるとか、そういうことを言いました。

そして、おなかの気持ちになったつもりで話してみてと言われたので、話そうとしたら、おなかの声は小さくてよくわかりませんでした。
でも、考えたら、「そこまで言わなくても。好きで脂肪をつけたわけじゃない。自分が食べた結果じゃないか」という言葉が出ました。
その言葉を聞いて、おなかにもう一度、みっともない、見苦しい、と言ってみて、と言われたので、
「みっともない。見苦しい。嫌い。醜い。大嫌い、死ね、死んでしまえ。おまえなんか死んでしまえ」と叫んでいました。

結構な大声が出て、わたしはびっくりした。わたしは怒っているみたいでした。でも、何に怒っているかわからなかったです。

セラピーの人と話しているうちに、誰に怒っているのかはっきりしてきました。
それで、どうしてその人を怒っているのか、経緯を話しているうちに、知らず知らずのうちに自分の話をしていました。
そこで、「その人について聞いたのに自分の話になっていたの気づいた?」と言われて気づきました。
おなかの肉と、自分の話になったことは同じことだと言われました。
そのときにはよくわからなかったのですが、その人へ怒りが向かなくて、自分に怒りが向いているんだ、ということがわかりました。
「おなかの肉は、象徴していることがあって、意味があるんだと思うよ」と言われて、「体に脂肪がついて守っているみたいなことですか」と言うと「それは正統派な答えだと思うけど」とセラピストは黙ったので、うーん、と考えてから、「その人は太っていて、わたしはだんだん似てきたと思う」と言いました。
「おかあさんお父さんとの関係が作ったパターンが関係していると思うんだけど、どう思う?今日は境界線を作る、ってところで終わらせたいんだけど。今日だけじゃおなか引っ込まないと思う」

座布団の上に、その人のイメージを置きました。
どんな感じがするかとかは聞かれませんでした。刺激が強すぎると思われたのかもしれません。
「今日は境界線を引く、と言うことをします」と言われました。
「その人に感じる怒りを、感じられないで、自分に感じているみたいだから、その人と、自分は別だと言うことをしましょう」と言われました。

だから、自分の中の、その人と似ていると思っている部分を切り離して、座布団の上に捨てる、という動作を繰り返しました。
腹の肉をつかんで、ぽいっと放り投げました。
最初無言で投げていたのですが「切り離されている感じする?」と言われて、しなかったので、「しないです」と答えてからは「嘘つきなところ」「だらしないところ」「怠け者なところ」「猜疑心が強いところ」「憎しみが強いところ」「空っぽなところ」「無職なところ」と言って放り投げました。

それから、
「自分の領域を線で引いてください」と言われたので、畳の上に指で線を丸く引きました。それから、置いた人の座布団を少し遠くに置いて、その人の線を引きました。重ならないように気をつけました。
「どう感じますか」と聞かれたので、「遠く感じます」と答えました。
「今、どんな感じですか。おなかの肉は」
「軽くなった気がします。感覚があるような感じです」と答えました。
今までは自分のおなかの肉が自分のものとは思えない部分があって、どこかしら、当事者じゃないと思っている部分があったのですが、その感じがなく、おなかの肉は単なるおなかの肉だと感じられました。
わたしはおなかの肉を怒っているのをやめて、その人に対して怒りを感じた方がいいということがわかりました。
自分と自分じゃない人の区別があまりついていないので、境界を引くという練習を時々した方が良いと言われました。

「その人についてどう思う?」と言われたので
「わたしはわたしで頑張るので、その人はその人でなんとかしてほしい。わたしはもう何もできないし、わたしからとっていくこともなにもない。わたしはもう関係ないので、その人も関係がない」と言いました。そう思いました。

今日はそれで終わりました。
そういえば、なんで怒らないの?って聞かれたことあるなあと思いました。
なんだか、自分を怒っている気がして、その人のことを憎みきれない、怒りきれない部分もあるのでした。
それが、自他との区別がついていないということみたいです。

そのあとは、他の人の質問を聞いて終わりました。
よくわからないけれど、セラピストがたくさん参加していました。たまたま行ったけれど、素人が参加する会じゃなかったのかも、と思ったり、でも、お金を払ったんだから良いんだ、とも思ったりしました。
ひとり、若い頃を思い出すなあと言う女性がいて、いやだなーと思いました。わたしが若いのはわたしのせいじゃないのになあ、と思いました。若いと素直ねみたいに言われていやだなーと思ったので、いやだなーと思った気持ちを大切にしたいです。
会はいろんな人の悩みを聞けて、面白かったです。一人一人に冒険があるな、と思いました。

これは、催眠みたいな爽快感もないし、わかりやすい結果もないし、時間もかかりそうだけど、地道な感じが良いなと思ったので、これからも参加したいと思います。

いやな感じがする人もいたし、そうじゃない人もいました。
寝てる人もいました。
それで良いんだなあ、とわざとらしいくらい作られた空間でした。
ある人が悩んでいたのが、印象に残っています。同じくらいの人は偉くなっているから、自分はアルバイトになるのがいやだ、これから落ちる一方だ、とか、お金に関する執着を何度も口にしていて、システマチックに効率よく最短距離で良くなりたい、と繰り返していっているのが印象的でした。そして、みんなが悪い感じじゃなく、笑ったのが良かったです。本人は笑われてきょとんとしてから照れ笑いしていました。
そりゃー、誰でもそうだよ、お金あまり使いたくないけど!と思いました。
買わないとケーキは食べられないしおいしいと思ったらまた買えば良いじゃん、と言っている人がいて真実だと思いました。