暇だと感じるようになったから働こうと思う

ここ数日のことなのだけれど、朝きちんと起きられて、それほど精神もつらくないので、朝六時から九時までのコンビニのアルバイトに応募した。

忙しいかもしれないけれど、三時間だったら耐えられるかもしれないです。
だめだとしたら、首になるだけです。
コンビニアルバイトをクリアできるようになったら、ずいぶん自信がつくと思います。


整形したかったときの話

ちょうど一年前、わたしは整形したくてたまりませんでした。
整形すれば、人生が変わるはず、と思っていました。

わたしは、そのころ、人生が全然うまくいっていませんでした。
精神病の症状もマックスに出ていて、外に出るとパニックが起き、二番目のおかあさんと話している最中に取り乱して泣き叫び、仕事はなく、養われることが恥ずかしいし、自分の人生を奪い取られていたことに気づいたばかりだったので、人に対しての恨みつらみも強かったです。

どうしてこうなってしまったのか、を考えるよりも、人を憎んでいました。
怒り狂い、暴れ回り、眠れず、という感じでした。

思い詰めて、どこの病院がいいのか探したり、家族に整形したいという話ばかりしたあげく泣き出したりしていました。

とにかく自分の顔がいやで、醜く感じていて、自分が汚いから顔だけでも綺麗にしたらその分魂も綺麗になれるのだと思っていました。

そのあと、ダイエットにはまって六キロ痩せます。それは見事にリバウンドするのですが。

整形して痩せたら幸せになれるはずと信じて疑っていませんでした。
だから、そうでない、今の自分は不幸だと思っていました。

顔の嫌いなところや、シミが気になって気になって、ずっと見ていました。
他の人からしたら気にならなかったのに。

ある日、Dr.シーラボで相談して、シミを薄くするクリームを付けました。
そうしたら、気のせいかシミが薄くなったのです。

それを経験したあと、「シミはいつでも薄くなるんだ」という安心感を得ました。
そうしたら、シミに対する執着が減りました。
わたしが気にしなくなったら、話題にもならなくなり、わたしは、いつしか、シミが全然なくていいなあ、と言われるまでになりました。

仕事を始めたら、整形したい気持ちは減りました。
生徒さんはわたしが可愛かろうがそうでなかろうが、勉強しにきていたからです。
そして、私のことを好きになってくれました。
好きだから、わたしのことを可愛いと言ってくれます。

わたしの価値は外部に置かれて、評価され始めました。
そうすると、同時に、わたしは整形したいという気持ちが薄れ始めました。

その後、執着するものが服に変わりました。
ひらひら、ふわふわした幼い服が着たくなりました。これは家族に苦言を呈されましたが、わたしとしては、整形をしたいと思い詰めているときよりも幸福になりました。

外部に要求が移ったわけです。また、自分の顔を失敗するかもしれないばくちにかけることの怖さがなくなりましたことは、良かったと思います。

今は、セクシーボンバーな、ドレスが着たいです。どこに着ていくんじゃ、みたいな服です。でも着たいんです。

わたしの場合は、整形をして顔を綺麗にするというよりは、顔が綺麗になれば、人生何もかもうまくいく、若い頃の顔に戻って人生をやり直したい、という逃避の姿勢で、整形をしたかったのです。
今は、借金をしながらでも、好きな服を着ているので、収まってきました。

太っていることも、食べ過ぎることも、暇で、充実していないからなのでは、とうすうす思います。

もっと強い人間になって、相手に、わたしの素晴らしさを分け与えられるくらいになったら、わたしはさみしくなくなるのだと思います。それを張りにしたいと思います。


お金が何かわかったときの話

最近、お金が何だか、わかるようになりました。

お金は、使うと減るし、減るとその分、楽しかったことや思い出や服が増えます。

そのことがわかったのは、ジェルネイルをしてもらっているときでした。
ジェルネイルは、普通に考えれば、無駄なお金そのものです。でも、毎日がとても楽しくなります。だから、自分にとっては無駄じゃないです。

お金は使わなすぎてもいけないし、使いすぎてもいけません。

今月は、お金を借りました。やりくりできなかったからです。
収入が少ないと、お金の使い方をよく考えないといけないんだなあ、と思いました。

働くとお金が増えます。仕事があると働けて、仕事がないと働けません。だから、仕事を増やすために頑張らないといけません。
仕事を増やすためには、普段の仕事をきちんとして、信頼されることが大切です。

今は、腐らずにまじめに仕事をしたいと思います。

今までは、サラリーマンになるとか、そういう働き方に憧れてそれができない自分がいやだ、ということばかり考えていました。想像するような、いい仕事に就くことがそんなに大事なんだろうか、ということも考えました。さらに最近は、「働いたらお金がもらえて、そうでなければお金がもらえない」「だから働く」というシンプルなところに落ち着いてきました。

そうしたら、いい仕事についている人に対しての火のつくようなうらやましさが少し消えました。
会社で働いたら、シンプルではなくなってしまいます。
働く=お金、ではなく、働くことをコアにした、人間関係の諸々や気遣い、時間=お金、になるので、わたしにとっては、わかりにくくなったと思います。

働くことは、お金を得ることで、お金を得るために、働くことは、自分を自由にすることです。
わたしは働くことで自由になっています。

お金があると、自由だということがわかりました。
でも、使わないお金は、自由そのものではありません。固まりです。
それでも、一回お金を使うという経験をしたので、貯金について『自由を貯めていく』という風に考え方を少し変えられるような気もします。
がんばります。


浪費は楽しかったです

お金をたくさん使いました。

具体的には旅行に行ったり、服を買ったりしました。
楽しかったです。

自分が変わったような気がして。
置き忘れた成長過程を取り戻せた気がして。

わたしが買った服は、十代、二十代前半の人が着たら可愛いと思うようなものでした。
でも、わたしはどうしてもそれが欲しかったのです。着たかったのです。

わたしは、就職してから、十キロ太り、やせているとはとても言えないです。だけれども、華奢で女らしい、繊細な服が着たかったのでした。

おかあさんがきらいそうな服!

おかあさんが一番大事にしていたお金!

それを交換することで、わたしは何か復讐していたのかもしれないし、そうではないのかもしれないですけれど、浪費が終わって、なんだか、とてもすっきりしました。

わたしは、ふりふり、ふわふわの服を着たし買ったよ!買いました着ました。

そうしたら、関連性はわからないけれど、朝起きたり、顔を洗ったり、朝ご飯を作ったりすることが、そんなには大変じゃなくなったのでした。野菜もたくさん食べるようになったのでした。
飢えた感じがなくなったのでした。

わたしが置き去りにしてきたものは、ずっと階段の下で待っていました。すっ飛ばしてきた。わたしはそれをとりにいきました。

周りに迷惑をかけたし、その代償は、お金がない、という形で襲ってきたし、お金を管理することができない自分、恥ずかしい自分、と顔を合わせなくてはいけなかったけれど。

でも、もう躁状態のたびにちまちま浪費するよりズバっと使ってしまった方が良かったかもしれません。

旅行にも行って、日本とは違う景色を見て、ああ、わたし人生を楽しんでいる、と思いました。
クレオパトラが歩いた道を歩いて、円形劇場を登って空を見ました。ああ壮大だったと思いました。

わたしは、生きているのが楽しいと思いました。

そのあと、お金がないのは最悪でした。惨めだし不安でした。
わたしは、お金を借りられたけれど、すごく恥ずかしかったです。

それも学びました。

いい暮らしをしていると、わたしが勝手に思っている人よりも、わたしはいい暮らしをしているんだと思います。時間はたっぷりあるし、服も買って、旅行にも行っています。いい身分です。

普通の人がどれだけ幸せなんだろうと追求していったら、追い越していた感じです。自慢のつもりじゃないのですが、普通を一回やってみたくて、でも、やってみたら、普通の人はここにはいなくて、でも、わたしは幸せでした。

もう、こんな無茶はそれほどしなくても済むんじゃないかという予感がします。
階段の下に置き忘れたものをとりにいったからです。

そいつは、これからも旅行はよろしくね、でも、お金のコントロールはまじめに考えた方が良いよ、と言いやがりました。

成長段階で、お金を好きに使うことは絶対重要でした。
お金を使ってはいけないものだ、と思い込んでいたものを、使っても良い、使うと楽しいに変更できました。それから、わたしは、お金は使うと減る、だから、大事に計画的に使わないといけない、と新しく学ぶことができました。

すっきり気持ちよくお金を使う、という成長段階を経ないと、わたしは後ろめたく思いながら、本当は必要のないものをちまちま買いながら、欲を満たして、いつの間にか、お金がない、みたいな状態を繰り返していたでしょう。

でも、今回の浪費は、わたしの魂にとって必要な洋服と、必要な旅行をしたので、他人に対するやっかみや、自己卑下や、いろいろなものが浄化されたような気がします。
わたしは、これから、必要なもので我慢できるような気がします。もう、わたしは反抗のための浪費をしません。

階段の先には、お金の使い方を学ぶ、という項目が燦然と輝いています。待っててね。