歩きたくてうずうずする

今日は、疲れて駄目だと思っていたけれど、歩いていたらすっきりした。
最初はちょっとだけ歩こうと思ったら、三時間歩けた。
歩いている間は、眠くならない。
昼間眠るときには、暇だったり、寒かったり、やることがなかったり、だるかったりするのが原因なこともあるのだけど、歩くと、だるさも、眠さも、暇さも消える。

病院で出してもらった漢方も効いているのかもしれない。
歩きたいと思ってうずうずした。
一日歩いたりストレッチしたりした。
悲しいこともあったけれど、楽しいこともあった。

結婚式の引き出物は、心がこもったもので、とてもうれしかった。
カタログも入っていた。
ガジュマルがあったので、結婚式の思い出に、育てようと思って注文した。


結婚式疲れ

六帖さんと、一緒に結婚式に行きました。
仲の良い友達の結婚式で、スピーチも頼まれ、誇らしい気持ちで、わくわくでかけました。
しかし、牧師さんの説教が四十五分も続き、「男女は結婚したら何をされても離婚してはならない」「世の中には男と女しかいない」「結婚したらお互いの骨、肉になるのだから、不都合な点でも受け入れなくてはならない」「赤子がむずがったら、出て行ってくれ」という話が続いて、げんなりしました。
DV推奨じゃないか。

わたしは仏教徒なのですが、結婚したい人でも「良縁祈願」であって、性別その他は問いません。
この牧師が悪いだけだとは思うのですが、かなり怒り心頭しました。赤子を許容できない宗教に何の意味があるのか。
ほかにも祝辞が「自分の企業の宣伝」だったり、「新婦のうわべだけを見ていて、質問すること自体に女性らしさ」を感じると言ったりしました。
一番頭にきたのは「男は結果を求める。女は話すことで共感を求める」のくだりでした。
残業のつもりで妻の話を聞けば、料理が一品増える、ということも言っていました。
その上司は、友達に対して、サービス残業を強いた人だったので、余計に腹が立ちました。
夫婦は男女平等で、話し合い、情報を共有し、相談することで、愛を維持するのだという考えのわたしはその話だけで苦痛でいた。
ほかにも、新郎の側でも、友人スピーチで、自分の話ばかりをし、「自分にとっての幸せとは」という語る人もいました。
「女性は金星人、男は火星人、だから分かり合えないのが前提」という話すらあり、「人間同士で暮らしていく」という視点が全くなく、疲れました。
「火星人なら火星人同士で暮らせば」と思いました。
世間って、いまだにこうなのですね。引きこもったり、家にいて、ネットをしていると、そういう人たちに触れ合う機会がありません。
女を人間扱いしないで、「共感を求める生きモノ」という人がいまだにいるとはと思い、消耗しました。
そもそも、そのスピーチでは、結果を求めているのでなく、共感を求めているとしか思えず、そのスピーチの男性は、自分のことを全く顧みていないのだと思いました。

幸い、友達の伴侶は、優しそうな方で、それだけ安心しました。

わたしは、スピーチで「男女の脳の性差はない」「生活の中で愛がすり減ることがあるから、話し合うことで、愛を育てていってほしい」「男だから、女だから、と言っていたら、自分らしく生きられないから、そういうことに囚われずに家庭を運営してほしい」「私の友達は、頑張り屋さんで、いつもニコニコして、愚痴を言わないから、愚痴を言わせてあげるような関係を育ててほしい」「幸せになってほしい」
というスピーチをしました。
スピーチをしているほかの人たちは、自分のことや会社の宣伝ばかりで、幸せになってほしいといいませんでした。
それで、わたしは消耗しました。

昨日、ヘッドハンティングがあり、新しいところで働く可能性が出てきました。
時給もあげてもらい、自分のうちで塾をすることを認めてもらえれば、受けようと思います。
今も、Skypeの授業は受付中です。時間も、融通が利きますし、短い時間で何度もすることも可能です。
中学生は、一時間2500円でするつもりです。

いいこともありました。
新郎新婦の心づかいの詰まった贈り物や手紙には感激しました。
いいお式でしたが、スピーチを聞いていて、まだまだ男女平等どころか、女性を人間扱いしていない人がどれほど多いのか、祝福さえできない人が多いのか、痛感し、とても疲れました。

途中で、気分が悪くなり、不安定になったので、申し訳なかったのですが、途中で退席しました。
それにもかかわらず、友達からは心配のメッセージとお礼をいただきました。
本当に優しい人だなと思いました。


発達障害であることが嬉しい

わたしは、今日、最高に幸せな気分です。

今しかできない、わたしにしかできないことができるからです。
わたしにしかできないことで、人を幸せできるし、自分も幸せにできます。
わたしは、自分の人生を切り開けると確信しました。

アルバイトをすることを決めました。
アルバイトをすれば、五年後には不動産が買えます。

わたしは幸福です。
間取りを眺め、ネットで物件を見たりしていた、あの、大好きな不動産が買える可能性が出てきました。わたしは不動産のことを考えるのが大好きです。趣味と言っても過言ではありません。
築年数や間取りを考えたり、立地と家賃のバランスを考えたり、不動産の利回りや仕組みを考えたりするのが大好きなのです。
わたしが、不動産のオーナーになることは、わたしには無理だと思っていました。
生活するだけで、精一杯の暮らしだから。

不動産のオーナーになることはわたしの夢でした。コンプレックスだったのです。人並みになれないことが。でも、不動産のオーナーになる、という夢があって、それに向かっていければ、わたしは幸せでいられます。しかも、この夢で、何かを失うことはないのです。

中古のマンションをオーナーチェンジで安く買って、頭金以外を家賃収入で回していって、二十年後に売却したら老後の資金が貯まります。わたしは、それをやってみたいです。
わたしは、不動産が好きなのです。だから、きっとうまくいくと思います。うまくいかなくても、別に困ることはありません。

考え方を少し変えれば、可能なんです。
本業で、生活費を稼ぎ、余暇の時間でアルバイトをします。
そうしたら、一日に働く時間は少なくとも、貯蓄ができます。
そのことに気づきました。

わたしはとても疲れやすく、三時間働いたらくたくたです。
それは、障害のためです。人といると、疲労します。
でも、朝に三時間働いて、昼に休んで、夜に三時間働く、というやり方だったら、可能なのではないかと思いつきました。障害を逆手に取るやり方です。
障害がなければ、こんな働き方は思いつかなかったでしょう。
人に言うのも恥ずかしかったでしょう。
でも、障害があるから、開き直れるのです。

わたしは恵まれています。
わたしにも大好きな不動産を買うやり方が存在し、老後に備えることができるとわかったからです。
わたしは、今、誰にも、今の自分の立場を変わってほしくはありません。
誰のこともうらやましくありません。
わたしは、わたしでいて、最高です。

自分で自分の人生を切り開くチャンスが訪れたことを感謝します。
わたしは、自分の頭で考えて、自分の体を使って、生きていけます。
今感じている強い幸福感は、一過性のもだろうし、また、どん底にまで落ちることはあるのかもしれませんが、今、わたしはとても幸せです。

健康な体を持っています。頭だって、悪くはないです。
天職と思える仕事があります。子どもの夢を応援し、叶える手伝いができる仕事です。この仕事二関して、わたしの代わりはいません。その子にとっては、わたしだけです。わたしは、わたしであることを、仕事と子どもに肯定されて、そして、その贈り物を、仕事を持って返していけます。
最高の仕事だと思います。世の中に貢献だってできます。

「普通」と外れた人生を生きざるを得なかったけれど、だから、他の人よりも自由に生きられるのかもしれません。わたしは、レールの隣をとぼとぼと歩くような人間だけれど、レールの隣じゃないところに行く自由だってあるのです。レールに乗っていたら、レール以外の場所を車輪は走れません。

きっと、持っているものが大切すぎて、チャレンジするのが怖くなってしまうでしょう。

サラリーマンをやめなかったら、きっと、一生不動産を持つチャンスには恵まれなかったでしょう。
今の本業のような、楽しくてやりがいのある、わたしにぴったりな、天職ともいえる仕事にも出会っていなかったでしょう。

わたしが仕事を辞めた経緯は不幸なことも含まれていましたが、今はそれが、逆に変わりました。
素晴らしい先輩のいる職場にも恵まれ、いろいろな人と出会いました。
仕事は一日の中で、最も楽しいひとときです。そして、お金ももらえます。

発達障害のせいで、精神年齢が低いです。だから、子どもの気持ちがわかります。子どもが、どこでつまずいているのか、悩んでいるのか、同じ目線でわかります。
転職のおかげで、障害を、才能の一種に、転換できました。

わたしは、発達障害で良かったと思います。
わたしは、人の顔色をうかがわないので、他の人と同調するためのエネルギーを損失しません。
それに意義を見いだせないからです。わたしはそれが怖くないのです。

定型の人たちの恐れぶりというのは理解できません。1人でいること、他の人と違うことをすることを、彼らは非常に拒みます。そのエネルギーは膨大に見えます。

わたしは、最小のエネルギーで済ませています。だから、新しいことができます。

人といるのは好きです。友だちもいます。常に一緒にいなくてもいいだけです。これって、最高のバランスなんじゃないでしょうか。

わたしは、自分が発達障害だから持てる視点が、他の人の役に立つのが嬉しいです。
わたし自身には認識できなくても、わたしの視点はオリジナルらしいです。だから、わたしは、労力をかけなくても、いつでも、オリジナルの意見が持てます。これは、得難いことです。

神様がいるのならば、わたしが、発達障害に耐えられると思って、わたしを発達障害にしてくれたのだと思います。
そして、わたしは、発達障害だということを喜べます。
わたしには、発達障害が役に立っています。

確かに、発達障害だから困ることやつらいことや、切ない思いをすることはたくさんあります。
人の表情が読めないせいで、言わなくていいことを言ったり、疲れやすかったり、二次障害でパニック障害や不安障害や鬱を発生しています。お金の管理も下手です。できないことはたくさんあります。
子どもっぽくてよく泣きます。人をぎょっとさせます。感情のコントロールだって下手だし、思うように事が運ばれないと泣いて暴れることだってあります。

だけど、わたしは、自分の人生を、創造し、切り開いていく力があります。
わたしは、そのことに、今日、気がつきました。

これは、素晴らしいことです。
わたしは、自分自身を手にしました。

この興奮が一過性のものなのは確かですが、それでも、わたしには、わたしの人生が存在しているのだと、わたしにはわかりました。生きていてよかったです。
わたしは、発達障害であることが嬉しいです。


生きることは、創意工夫のチャレンジ

ふと、思い立って、アルバイトを受けてみようと思います。

早朝のコンビニで三時間働くシフトに応募してみようと思うのです。

そうしたら、仕事が二つになるので、大変になるとは思うのですが、仕事によって、気分転換が図れるし、不安も減ると思います。

疲れると思うので、朝働いて、昼寝をして、本業をするということにしたいと思います。

コンビニのお金は貯蓄に回したいと思います。
そして、不動産のオーナーになるのが目標です。

中古のマンションを六百万円で買って、家賃収入でローンを回していき、二十年後に売却して、老後の資金にする寸法です。

わたしは、不動産が大好きなのです。間取りを見ているだけでも幸せになります。
だから、不動産が買えたら良いなと思います。

オーナーチェンジの立地の良い物件を入手したいと思います。

なので、コンビニのアルバイトで、五年間でその半分くらい貯められたらいいなと思います。

これを思い立ったときに、「ああ、わたしは最高に自由だ!」と感じました。
わたしは、正社員に引け目を感じる必要もないし、結婚している人にたいしても、引け目を感じる必要がないのです。

わたしは、本当に自由です。
なにをしてもいいし、遊んでいても良いし、眠っても、食べても良いのです。
余裕があれば違う仕事に就いてもいいんです。
コンビニのアルバイトでも、不動産が買えるなら最高です。
正社員で、生活リズムがきつい、というよりも、朝働いて昼寝をして、夜は楽しい本業をする、というのも、良い生き方なんじゃないの、わたしは、最近けっこう良い線いってるんじゃないの?上向いてきたんじゃないの、この発想!と思いました。

ともあれ、受かるかどうかはわからないので、一応挑戦してみるという感じです。

結婚するかしないかは置いておいて、結婚しなくても大丈夫なように考えていきたいと思います。
お金はとても必要です。
怖いけれどがんばります。

アルバイトに受かったことがないから不安だけれども、やってみます。


暇だと感じるようになったから働こうと思う

ここ数日のことなのだけれど、朝きちんと起きられて、それほど精神もつらくないので、朝六時から九時までのコンビニのアルバイトに応募した。

忙しいかもしれないけれど、三時間だったら耐えられるかもしれないです。
だめだとしたら、首になるだけです。
コンビニアルバイトをクリアできるようになったら、ずいぶん自信がつくと思います。


整形したかったときの話

ちょうど一年前、わたしは整形したくてたまりませんでした。
整形すれば、人生が変わるはず、と思っていました。

わたしは、そのころ、人生が全然うまくいっていませんでした。
精神病の症状もマックスに出ていて、外に出るとパニックが起き、二番目のおかあさんと話している最中に取り乱して泣き叫び、仕事はなく、養われることが恥ずかしいし、自分の人生を奪い取られていたことに気づいたばかりだったので、人に対しての恨みつらみも強かったです。

どうしてこうなってしまったのか、を考えるよりも、人を憎んでいました。
怒り狂い、暴れ回り、眠れず、という感じでした。

思い詰めて、どこの病院がいいのか探したり、家族に整形したいという話ばかりしたあげく泣き出したりしていました。

とにかく自分の顔がいやで、醜く感じていて、自分が汚いから顔だけでも綺麗にしたらその分魂も綺麗になれるのだと思っていました。

そのあと、ダイエットにはまって六キロ痩せます。それは見事にリバウンドするのですが。

整形して痩せたら幸せになれるはずと信じて疑っていませんでした。
だから、そうでない、今の自分は不幸だと思っていました。

顔の嫌いなところや、シミが気になって気になって、ずっと見ていました。
他の人からしたら気にならなかったのに。

ある日、Dr.シーラボで相談して、シミを薄くするクリームを付けました。
そうしたら、気のせいかシミが薄くなったのです。

それを経験したあと、「シミはいつでも薄くなるんだ」という安心感を得ました。
そうしたら、シミに対する執着が減りました。
わたしが気にしなくなったら、話題にもならなくなり、わたしは、いつしか、シミが全然なくていいなあ、と言われるまでになりました。

仕事を始めたら、整形したい気持ちは減りました。
生徒さんはわたしが可愛かろうがそうでなかろうが、勉強しにきていたからです。
そして、私のことを好きになってくれました。
好きだから、わたしのことを可愛いと言ってくれます。

わたしの価値は外部に置かれて、評価され始めました。
そうすると、同時に、わたしは整形したいという気持ちが薄れ始めました。

その後、執着するものが服に変わりました。
ひらひら、ふわふわした幼い服が着たくなりました。これは家族に苦言を呈されましたが、わたしとしては、整形をしたいと思い詰めているときよりも幸福になりました。

外部に要求が移ったわけです。また、自分の顔を失敗するかもしれないばくちにかけることの怖さがなくなりましたことは、良かったと思います。

今は、セクシーボンバーな、ドレスが着たいです。どこに着ていくんじゃ、みたいな服です。でも着たいんです。

わたしの場合は、整形をして顔を綺麗にするというよりは、顔が綺麗になれば、人生何もかもうまくいく、若い頃の顔に戻って人生をやり直したい、という逃避の姿勢で、整形をしたかったのです。
今は、借金をしながらでも、好きな服を着ているので、収まってきました。

太っていることも、食べ過ぎることも、暇で、充実していないからなのでは、とうすうす思います。

もっと強い人間になって、相手に、わたしの素晴らしさを分け与えられるくらいになったら、わたしはさみしくなくなるのだと思います。それを張りにしたいと思います。


お金が何かわかったときの話

最近、お金が何だか、わかるようになりました。

お金は、使うと減るし、減るとその分、楽しかったことや思い出や服が増えます。

そのことがわかったのは、ジェルネイルをしてもらっているときでした。
ジェルネイルは、普通に考えれば、無駄なお金そのものです。でも、毎日がとても楽しくなります。だから、自分にとっては無駄じゃないです。

お金は使わなすぎてもいけないし、使いすぎてもいけません。

今月は、お金を借りました。やりくりできなかったからです。
収入が少ないと、お金の使い方をよく考えないといけないんだなあ、と思いました。

働くとお金が増えます。仕事があると働けて、仕事がないと働けません。だから、仕事を増やすために頑張らないといけません。
仕事を増やすためには、普段の仕事をきちんとして、信頼されることが大切です。

今は、腐らずにまじめに仕事をしたいと思います。

今までは、サラリーマンになるとか、そういう働き方に憧れてそれができない自分がいやだ、ということばかり考えていました。想像するような、いい仕事に就くことがそんなに大事なんだろうか、ということも考えました。さらに最近は、「働いたらお金がもらえて、そうでなければお金がもらえない」「だから働く」というシンプルなところに落ち着いてきました。

そうしたら、いい仕事についている人に対しての火のつくようなうらやましさが少し消えました。
会社で働いたら、シンプルではなくなってしまいます。
働く=お金、ではなく、働くことをコアにした、人間関係の諸々や気遣い、時間=お金、になるので、わたしにとっては、わかりにくくなったと思います。

働くことは、お金を得ることで、お金を得るために、働くことは、自分を自由にすることです。
わたしは働くことで自由になっています。

お金があると、自由だということがわかりました。
でも、使わないお金は、自由そのものではありません。固まりです。
それでも、一回お金を使うという経験をしたので、貯金について『自由を貯めていく』という風に考え方を少し変えられるような気もします。
がんばります。


浪費は楽しかったです

お金をたくさん使いました。

具体的には旅行に行ったり、服を買ったりしました。
楽しかったです。

自分が変わったような気がして。
置き忘れた成長過程を取り戻せた気がして。

わたしが買った服は、十代、二十代前半の人が着たら可愛いと思うようなものでした。
でも、わたしはどうしてもそれが欲しかったのです。着たかったのです。

わたしは、就職してから、十キロ太り、やせているとはとても言えないです。だけれども、華奢で女らしい、繊細な服が着たかったのでした。

おかあさんがきらいそうな服!

おかあさんが一番大事にしていたお金!

それを交換することで、わたしは何か復讐していたのかもしれないし、そうではないのかもしれないですけれど、浪費が終わって、なんだか、とてもすっきりしました。

わたしは、ふりふり、ふわふわの服を着たし買ったよ!買いました着ました。

そうしたら、関連性はわからないけれど、朝起きたり、顔を洗ったり、朝ご飯を作ったりすることが、そんなには大変じゃなくなったのでした。野菜もたくさん食べるようになったのでした。
飢えた感じがなくなったのでした。

わたしが置き去りにしてきたものは、ずっと階段の下で待っていました。すっ飛ばしてきた。わたしはそれをとりにいきました。

周りに迷惑をかけたし、その代償は、お金がない、という形で襲ってきたし、お金を管理することができない自分、恥ずかしい自分、と顔を合わせなくてはいけなかったけれど。

でも、もう躁状態のたびにちまちま浪費するよりズバっと使ってしまった方が良かったかもしれません。

旅行にも行って、日本とは違う景色を見て、ああ、わたし人生を楽しんでいる、と思いました。
クレオパトラが歩いた道を歩いて、円形劇場を登って空を見ました。ああ壮大だったと思いました。

わたしは、生きているのが楽しいと思いました。

そのあと、お金がないのは最悪でした。惨めだし不安でした。
わたしは、お金を借りられたけれど、すごく恥ずかしかったです。

それも学びました。

いい暮らしをしていると、わたしが勝手に思っている人よりも、わたしはいい暮らしをしているんだと思います。時間はたっぷりあるし、服も買って、旅行にも行っています。いい身分です。

普通の人がどれだけ幸せなんだろうと追求していったら、追い越していた感じです。自慢のつもりじゃないのですが、普通を一回やってみたくて、でも、やってみたら、普通の人はここにはいなくて、でも、わたしは幸せでした。

もう、こんな無茶はそれほどしなくても済むんじゃないかという予感がします。
階段の下に置き忘れたものをとりにいったからです。

そいつは、これからも旅行はよろしくね、でも、お金のコントロールはまじめに考えた方が良いよ、と言いやがりました。

成長段階で、お金を好きに使うことは絶対重要でした。
お金を使ってはいけないものだ、と思い込んでいたものを、使っても良い、使うと楽しいに変更できました。それから、わたしは、お金は使うと減る、だから、大事に計画的に使わないといけない、と新しく学ぶことができました。

すっきり気持ちよくお金を使う、という成長段階を経ないと、わたしは後ろめたく思いながら、本当は必要のないものをちまちま買いながら、欲を満たして、いつの間にか、お金がない、みたいな状態を繰り返していたでしょう。

でも、今回の浪費は、わたしの魂にとって必要な洋服と、必要な旅行をしたので、他人に対するやっかみや、自己卑下や、いろいろなものが浄化されたような気がします。
わたしは、これから、必要なもので我慢できるような気がします。もう、わたしは反抗のための浪費をしません。

階段の先には、お金の使い方を学ぶ、という項目が燦然と輝いています。待っててね。