できるようになったこと

頓服の精神安定剤をなるべく飲むようにしてから、寝込むことは変わらないが、できることが増えた。
おなかが痛くて、だるくて、横になってしまう。
そうすると、頭痛と不快感で目が覚める。

体を動かすと、頭痛はだいぶ楽になる。
だから、精神安定剤を飲むことが、だいぶ役に立っている。

家の中のことをすることもできるようになった。
朝ごはんにお味噌汁と、ベーコンエッグを作ることができた。片付けもだいぶ進んだ。
ゲームもできた。

最近英会話に通っている。
休む日も多いけれど、大人と話をすることだ、ずいぶん視野を広げる。
英会話に通う人は、立派な企業に勤めている人や勉強好きな人が多く、刺激になる。
こういう風になりたいとあこがれる人もたくさんいる。

学ぶことはとても楽しい。
世界が広がるからだ。
一時でも、自分は空っぽの人間だ、という気持ちから離れられる。

空っぽの人間って、なんだろう?
わたしはよくそういう風に思うのだけど、自分の意思で、したいことをして、学んで、遊んでいられたら、空っぽではないんじゃないかな、と今日は思える。

生徒さんを教えるのは、張りになる。
実際に、人生に大きくかかわる。妥協しないように、でも、無理はしないように、希望をかなえる手伝いができる。

時給はほとんど変わらないのだけれど、授業料自体が安いので、生徒さんも通いやすいというのが、今通っている塾のいい点だ。
プレッシャーも違うので、のびのびできる。

本当に、子供の進路にかかわる仕事、勉強の楽しさ、進路を自分の力で切り開くことができると、伝えることができる仕事は、やっていて、むなしくならない。とても、いい気持になる。


場合分けをして考えることを生徒に教えた

生徒さんは、場当たり的に、どういう風に解くのか考える。
でも、それだと時間がかかる。
だから、場合分けをして、この場合、どのような順番で考えていくと、効率がいいのか、という練習をしている。
高校生になると、効率的に解くことが必要になる。
そのためには、考えるための手順を教えることが大切だ。
だから、フローチャートを教える。

また、効かれたことに対応して答える、という訓練が足りていない。
細かいことのようだし、日常生活では困らないのだけれど、勉強では、聞かれたことにこたえるということが、鉄則だ。
それも教える。

今も体調が悪く、一日のほとんどを寝て過ごしているけれど、生徒さんが喜んで、時間がたつのが早い、溶き方を始めて教えてもらった、という声がうれしくて、なんとか、仕事も続けている。


男性問題

犯罪者の九割以上が男性だ。司法も行政も男性がほとんど構成している。もちろん、警察も男性がほとんどだ。
自衛隊も、警察もほとんどが男性だ。

男性が犯罪を起こし、男性が取り締まる。マッチポンプだ。
どちらも暴力装置だ。暴力装置という言葉がわからなかったり、嫌悪感を覚えるのならば、夜警国家について調べてほしい。
国が持っている暴力装置は、法律によって縛られている。でも、暴力装置であることには変わりがない。

どういう理由かわからないが、今存在している男性には、暴力に対する欲求が高いのだろうと思う。
教育や育てられ方か、もともとの性質なのかはわからない。

ところで、女性たちは、女性だからという理由で、自営しろとずっと求められてきた。公的機関からも。その公的機関はもちろん、男性がほとんど構成している機関だ。

女性たちは、性被害や、暴力に遭うと、自衛しなかったか、抵抗しなかったか否かを厳しく問われる上に、それを犯罪だと訴えることも阻止されることがほとんどで、ケアもされないから、ずっと自衛するために、精神的、時間的、金銭的コストを必死で割いてきた。

子供のころから性暴力にさらされてきた人も多い。まったく、性暴力に遭ったことがないという人もいるだろうが、認識できていない人も含まれているはずだ。

だから、たとえば、男性保育士について、女性たちは警戒する。
専門家だから、性暴力を行わないとは思わない。性暴力を子供に行うために、専門家になる人もたくさんいると、わたしたちは知っているからだ。

大人の就労事情よりも、子供の人権を守りたいということがそれほどおかしいことだろうか。
自衛をしろとずっと言われてきて、犯罪者たちに、なんの対策もとられず、分析もせず、訴えたとしても、無罪になることもあるような世の中で、誰を信じられるのか。行政を信じられるのか。行政を信じて、男性を信じて、それで、今も何も解決していないのだ。

それでも、たとえば、市長という、権力者は「不安だ」という人に対して「普通じゃない」という。
医学生が性暴力を起こしても、「計画的ではない」という理由で罪が軽くなる。

男性は、男性問題に向き合うことをひどく怖がる。

女性が、男性問題を口にすると「差別だ」という。

暴力、特に性暴力を振るわれても、殺されても、男性が起こした犯罪だからというだけで罪が減じられる現状がある。それは、女性に対する差別ではないのか。
その差別が繰り返された結果、男性問題を口にするようになると、女性差別をなかったようにして「男性差別だ」という。

男性差別だという人は、女性差別を身近に感じないのだろう。人類の半分に興味がないのだ。

共感してほしい、行動してほしい、と願うよりも前に、まず、知ってもらわないと話にならない。
定期的に、子供が犠牲になっている。
専門家によって、子供が害される。
それを心配すると普通じゃないといわれる。対策を練ればいい、という発想にはならない。
そういう不安や心配を持つな、と言われる。
女性だとしたら、同性愛者だとしたら、性犯罪を起こさないのか、とまで言われる。
だったら、女性だろうと同性愛者だろうと男性だろうと、子供が性被害に遭わないような対策を練ることが必要だ、という議論に、行政の権力者は思いつかない。

男性問題は根深い。
男性同士で、話し合っているだけでは、見えてこない世界があることを、彼らはまだ理解できない。
理解したら、きっと何かが壊れるのだと恐れているように見える。
それが、男性問題だ。

女性の権利の日にすら、男性のつらさを考えろというメッセージが出る国だ。
女性のつらさについて、考える日なのに。
男性のつらさを考える日が必要ならば、そういう日を作ればいい。
でも、そうはしない。

女性のケアをどこまでも期待し、反論は許さず、搾取する。
女性差別は、男性問題だ。


精神疾患は、精神的に未熟だからではない

しばしば誤解されることだが、精神疾患や、精神障害を持っている人は、精神的に未熟だと考えられ、説教の対象になりやすい。
しかし、もちろん、脳の機能や、心の働きが、「普通の人」と違うだけのことだから、説教だけでうまくいかない。

わたしは同じ自閉症スペクトラムの人と一緒に住んでいるから、家の中で困ることはない。
「普通」の人が、自閉症スペクトラムの集団の中で暮らしたら、きっと支援を必要とするだろう。
わたしたちにできて、「普通の人」にできないことは確かにあるからだ。

わたしは発達障害だけでなく、精神疾患もたくさん持っている。自分でも、病名を全部把握してないくらいだ。それでも、投薬には問題ない。
投薬は、困りごとに対して、行われるからだ。病名に対して、それぞれ投薬するわけじゃないのだ。

薬を減らしてから、生活の質が非常に下がった。身体的に問題が出やすくなった。それも、精神疾患に対する頓服を飲むことでずいぶん解決した。薬は生活の質を上げる。

体の病気でも、病気の人に、その人が未熟だから病気になったのだという論法を使う人がいる。
でも、それはほとんど運の問題だから、精神的に未熟だから、病気になるわけじゃないという当たり前の事実が、わからない人がどうやらいるらしい。

精神疾患になるのには、いろいろな要因がある。だから、心の持ちようだけではもちろん解決しない。考え方の癖が一因になる場合ももちろんあるけれど、一度精神疾患になってしまったら、その「心の持ちよう」という機能が壊れてしまっているから、アドバイスではどうしようもない。心の持ちようが、邪魔されている状態だからだ。

わたしはその外に出るたび、普通の人のようにふるまう。それには、たいへんな無理をしている。
出かける前にも、精神的に自分を追い詰めるし、外に出ても、ずっと演技をしているように、気分を無理やりあげている。その反動は帰ってから出る。何日も寝込むことがある。エネルギーの前借をしているようなものだ。

わたしの脳が壊れてしまった理由は、いくつかの環境要因と、わたしの遺伝的素因がかかわりあって、交じり合っている。もちろん、成育歴も大きい。これらは、すべてわたしの責任とは言えない。運の要素が大きい。

「普通の人」とひとくくりにしても、実際にはいろいろな人がいるように、精神疾患を持った人にもいろいろな人がいる。
精神疾患を持った、わたし自身の経験は、わたししかしていない。「普通の人」の経験をわたしができないように、「精神疾患であるわたし」の経験は、ほかの人にはできない。
だから、わたしに有効なアドバイスをすることは、普通の人には難しい。

専門家でも誤診する。わたしも誤診されていた。だから、医者じゃない人が、わたしを診断することは不可能だ。
でも、医者じゃない人が、わたしにいろいろな病気を押し付けてきたことがある。それらはすべて当てはまらなかった。
しかし、それをされたことで、わたしはとても損なわれた。

安易に診断をつけることは害だ。

病気の名前がつく前も、わたしは困っていた。でも、そのとき助けてくれる人は少なかった。もちろん、少しでもいてくれたことは助かるのだけど。
病気の名前がついたあと、わたしはやっぱり困っていた。自分で、支援を求めたが、それも反対された。肉親に。別に助けてくれるわけでもないのに、自分で何とかしろと言われた。精神疾患なんて、そんなに大変じゃないのだから自分の力でやれと。

診断がつく前もついた後も、わたしは同じ人間で、同じ問題で困っていた。でも、今は病名を言えば、錦の旗みたいに、人に話が通じる。

わたしが思うに、単純に、困っている人をお互い助け合えばいいのにと思う。
わたしが助けられることもある。助けることができることもある。
何が起こるかわからない。
ずっと順調な人生はない。人はいつか老いて病んで死ぬ。
それは、人間的に成長すれば解決することでもない。人間的に未熟だから、それが起きるわけじゃない。
その当たり前のことを知ってほしいと思う。

知って、どうすればいいのかは、各自の余裕について、その人自身しかわからないことなので、その人自身で判断してほしい。


社会問題を知ってほしいといわれるだけで反発する人たち

社会問題を提起したり、知ってほしいと運動しただけで、反発する人がいる。
溝を深めるとか、どうしてほしいのか言わないと意味がないとか、共感してほしいだけなのかとか。
個人的には共感は大事なことだと思うけれど、最後のことを言う人は、共感するだけでは物事は解決しないから意味がない、論理的に提示せよ、という割には、普段共感ベースで行動しているのだろうなと思う。
共感しないで行動すれば、相手の要求を飲むか飲まないかの判断になるだけだからだ。知ってほしいというのならば、じゃあ、知っておくか、それとも今は知りたくないから知らないでおくか、くらいの反応だけでいいはずで、反発まではする理由がない。

わたしは、そのまま鵜呑みにする。ああ、知ってほしいのだなと思ったら、知るようにしている。
その後、どう行動するかは、わたしの判断にゆだねられていると思うからだ。
要求を提示していないというけれど、知ってほしいという提示は、明確なのに、どうして、そんなことを言うのかよくわからない。責められていると思い込んで、防御しているだけのように見える。

生理痛について知ってほしい、というと、そういう風に男女の溝を深めてどうするのか、知ったからといって何もできない、知りようがないことを理解してほしいといわれても困る、と言いう反応をよく目にする。
別に、相手が知ってほしい、と言っているのだから、そういっているんだな、と思う程度に受け止めればいいのにと思う。
だって、要求はそれだけだから。
それ以上のことをするかどうかは、自分にゆだねられている、尊重されていると捉えられないのはなぜなのか。

相手に指示されることを待ち続けていたらそうなってしまうのだろうか。

個人的には、困っている人がいたら、助ける余力があった場合、助けるのは当たり前だと思う。それが社会の役割だからだ。

今週は発達障害について知ってもらう週間だ。
でも、それにも反発する人がいる。知りたくないなら知らなくてもいい。でも、こちらは知ってほしい。
知ってもらうことで、すそ野が増える。その中に走るだけじゃなくて、どう対応すればいいのか、知りたいと思ってくれる人もいるだろう。
でも、そういう障害があることを知らなかったら、そういうことを知りたいと思い立ってくれる人も見込めないわけだから、意味がないとは思わない。

知ってほしい、といった時には、知ってほしいと思っているだけだ。
その後、支援をしてくれるのならば助かる。知ったら、何か考えてくれることも期待はしている。でも、知ってほしい、それがまず最初だ。問題がそこにあると誰も知らなかったら、どうすることもできないからだ。

知ってほしいといわれたときに、反発する人は、共感を主にして行動することが多いのだろう。だから、無理やり何かを要求されたと感じてしまうのだろう。
知ってほしいということも、もちろん要求には違いないが、何かしてほしいというよりも以前にただ知ってほしいという気持ちがある。
言外の言葉を読みすぎるのは、いわゆる「普通」の人に見られがちな行動だけれど、一度、言葉だけのことをそのまま受け取ってもらえないかと思う。


洗脳されやすいという特性

わたしと六帖さんは、ともにDVに遭ったことがある。
DVに遭ったことがない人は、わからないこともあるだろう。
どうして、暴力や暴言から逃げないのか?

それは、言動を縛り、行動を縛り、交友関係を遮断することによって、洗脳する過程があるからです。

相手のために、自分を譲る、そうすることでいつか事態が好転することを期待していくうちに、逃げられない状況を作られます。

子供を作ること、籍を入れること、そうすることで相手を縛れる。籍を入れてしまうと、身一つで逃げさえすれば、それで終わりということがなくなる。
六帖さんも、わたしも、籍を入れるのが異常に早かった。お互いの両親に会わずに籍を入れたことも共通している。籍を入れる時点で、六帖さんも、わたしも、軟禁状態に置かれていた。
軟禁状態に置かれていても、支配者と同伴で外出はできるから、軟禁されていることにも気づかない。
また、六帖さんもわたしも、服用していた薬を管理され、いきなり断薬されたり、処方外の薬を無理やり飲まされたりしている。
わたしの場合、たとえば、体の不調を感じて、吐き気や腹痛、頭痛があったときに、精神安定剤を飲むと、体が動くようになる。これは最近発見したことだ。体が弱いから寝込むしかないのだとあきらめていたけれど、精神安定剤を飲むことで、活動時間が増えた。

また、娯楽や趣味を制限される。楽しみを奪われる。そうすると、思考能力がなくなる。食べるものも、極端に制限される。それも、六帖さんも、わたしも経験した。
支配者は、今でもわたしにDVを振るったことを認めない。それどころか、ネットで、DV加害の冤罪者を名乗っている。
様々な証拠があり、裁判でも認められても、それなのだ。
事実を彼らはゆがめることができる。自分に都合の悪い事実を、認識しないで済ませることもできる。
わたしの場合は、加害者から逃げて五年たつが、その間に、脅迫状を送られたり、警察に堕胎罪で訴えられたりした。
もちろん、堕胎罪の適応外だから、立件されようもないのだが、それでも、事情を何度も聞かれて書類にした。
相手は、わたしを殺人しかけたのだが。

わたしたち自閉症スペクトラムの傾向があるものは、人の言葉を信じる。裏を読めない。言葉通りに聞いてしまう。意外と空気は読める。ただ、どう対応していいのかわからない。
わたしの場合は、相手が泣いて暴れたり、床に転がって足をばたつかせたり、六法全書を投げつけたりしたり、性暴力の結果、二回、入院することになったりした。どう対応すればよかったのか?
わたしには、それまで、そのような行動をとる、男性に対する対処方法がストックになかった。
初めて見る奇行に凍り付き、思考は止まった。

わたしの場合、知識もあった。DVについてかなり書籍を読んでいた。でも、自分が支配関係に巻き込まれたとき、自分がそうだと認めることは非常に難しかった。
そのころには、相手がわたしの貯金で暮らしていたので、わたしが逃げたら相手が死ぬかもしれない、自分の体に身ごもっている子供はどうすればいいのか、ということで、身動きが取れなくなっていた。相手は、わたしの名義でクレジットカードをいくつも申し込み、毎月の支払いが二十万、三十万になっていた。
恐ろしいことに、楽天カードは、解約しても、しばらく使える。逃げてから、六万円の支払いをした時には涙が出た。
悪いことに、ニコニコ動画のプレミアム会員登録をしており、それは本人でしか解約できないものだから、逃亡の身では、どうすることもできず、楽天カードから引き落とされるので、逃げてから一年くらい払った。窓口もなく、電話も代表先しかなかったので、電話しても取り合ってもらえなかった。弁護士に頼んでも一か月かかった。

インターネット上に、リベンジポルノや、わたしに対する誹謗中傷が続いた。
弁護士に依頼して消すことはできるが、延々と続くのに、追いかけられず、あきらめるしかなかった。
沈黙をしていても、相手は、わたしが加害者に対して、誹謗中傷を続けていたと、今もインターネット上に書き続ける。
裁判で、わたしに対して、一切の接触も、一切の言及も書かないとお互いに約束したのに、その次の日には、破られた。
相手が無一文の場合、こちらができることは何もない。
罰金を払わせようにも、払うものがないからだ。

失ったものは、お金だけではなく、信用もだった。会社に乗り込まれたので、辞めざるを得なくなった。
逃げても逃げても、追ってこられる。殺されるという恐怖や、恥辱、自分を責める気持ちで、毎日パニック状態だった。
そんなときでも「どうしてついていったのか」「どうして騙されたのか」「もっと早く逃げればよかった」「セックスが良かったのか?」などという人ばかりだった。
そういう人たちしか残っていなくても、頼るしかないので、一生懸命返答したが、納得してもらえることはなかった。

支配、被支配の関係は、理解されることはないのだと思った。

それも、以前本を読んだとおりだった。

発達障害者の難しさは、単に、能力の凹凸だけではない。社会的に、「配慮」される中で、もちろん、成長していったり、ゆっくりと苦手を克服することもできる。

でも、弱っているときに、周りの人から引き離されて、洗脳されてしまったら?

そういう状況にわたしたちは一番弱い。
一対一で相手の言葉を鵜呑みするしかなくなる。
反論を試みても、すべて無効化されてしまう。そういう相手なら、逃げればいい、という発想が思いつかない。
逃げてもっとひどいことになるかもしれない、逃げないで耐えれば、いつか相手もまともになるかもしれない、という夢を見る。
そうしていないと、地獄に耐えられないのだ。

DVを受けて離婚したことを恥ずかしいことだという人は、現実にいる。
実際に言われたことがある。
騙されたほうが悪い、暴力を振るわれたほうが悪い、そういう人は現実にいる。

わたしは、いまだに、読書やテレビを見ることができない。音楽も聞くことができない。
パニックで一晩泣き明かすこともある。
趣味も手放した。
中身のない人間だと自己嫌悪に陥って、身動きが取れなくなる。

六帖さんの場合は、男性だったせいで、自分が逃げるべきなのだ、という発想を持つことが難しかった。
わたしの場合は、相手が働かない、わたしの金で生活しようとする、致死量の薬を飲ませる、そういうことがおかしいというのがわかりやすかった。
でも、六帖さんの場合は、妻が働かないことも普通だし、家事をしていれば、実際に何にお金を使っていようが、見過ごされやすいし、子供に対する扱いも、ホームスクーリングをしているといえば、周りは何も言えなくなる。
女性が、DVを振るった場合、言葉にしても、それは「普通」に見えやすい。また、六帖さんの場合、同性の友人に相談しても、男性の中でDVに知識のある人が少ない。
そういうこともいろいろと問題を長引かせた。

知識があっても、DV被害者になることは避けられない。その後、ケアされることも難しい。
わたしの場合は、かかりつけの主治医が、DVやパニック障害に詳しい病院を知っていたから、すぐに入院できたものの、たいていはそういう幸運に恵まれないだろう。

発達障害は、対人関係の障害でもある。
恋愛や、結婚という、密室の関係に踏み込んだ時、わたしたちは、一人で歩まなくてはならなかった。
大人になってからの支援は、とても難しい。支援につながっていることも難しい。

わたしは、疑問を持てない。困っていることに気づけない。
だから、助けを求められない。
被害に対する認識を持てない。それを「受け止める」ことになれている。
自閉症スペクトラムの人間として生きるということは、理解不能な世の中に対して、何もかも鵜呑みにしていく、という生存戦略を取らざるを得ないということだ。
わたしの常識は世の中の常識ではない、ということを早々に学んでしまったせいで、自分の違和感を封じ込めやすい。
相手が正しいと思う癖がつきすぎている。
だから、疑問を持てない。

反対に、加害者になることもあるだろう。
そういったときに、相談しようにも、何が問題なのか、そもそも問題が起こっているかどうかすら、疑問を持てないわたしのような特性の持ち主は、どうしていったらいいのか、今も試行錯誤でいる。
これは、知性や、知識の問題ではないのだ。
人とのかかわりの障害なのだ。