複数のパートナー

二人のパートナーがいる。二人とも男性だ。
わたしは二人ともにそのことをオープンにしている。

話し合って決めた。世の中の多くの人はそうしていないことは知っている。でも、わたしにとって必要なことだった。
どちらの人も、わたしは好きだし、素晴らしい人だ。

リスクを分散させたいという気持ちもある。子供を産んだとき、パートナーが複数いたら、どちらかが死んでも、なんとかなる。わたしが死んでも、二人で協力して育ててくれるだろうと思う。

わたしはわたしだ。それ以外のものだったことは一度もない。

自分らしくいることがなによりも大事だ。エゴイスティックだと評されたとしても、それは外部の評価だから、わたしには関係がない。

社会とのかかわりはとても難しい。でも、私的な範囲では自由にしていたい。

誰に対して公表するのかは別の問題だが、わたしは自分の記録として、語っていきたい。

わたしはもう嫌だ。自分をごまかすことも、媚びることも、人の考え方に合わせることも、もう精いっぱいやってきた。
そろそろ、自由になりたい。自由になりたいと思った瞬間に、自由になれるのだとわかった。

わたしはもう自由で、何をしてもいい大人だ。

個人的な好みで、人を積極的に傷つけるのは好まないけれど、それでも、自分が求めるときに、必要なことは、自分自身で選び取っていきたい。

今まで何度も意に添わぬことをしてきた。人に相談すると、穏当な答えをもらえる。だから、もう、人に相談するのはやめた。自分と、パートナーと相談して、決めていきたい。

人に合わせることで、「ふつう」になって、「ふつう」が息苦しくなって、苦しんでいる人をたくさん見た。
「ふつう」を選び取ったのは自分自身なのに、好んで「大変だ」という。

わたしはそういう風になりたくない。自分で選んだことを、大変だと言いたい。

誰も、わたしも、わたしに同情なんかしない。そういう生き方がしたい。自業自得だと後ろ指をさされているほうが自然だ。

昔から、生まれた時から、わたしはほかの人と違っていて、ほかの人だって、本当は同じ人なんていない。
だから、選択肢も、それぞれ多様であるはずだ。でも、今はそうじゃない。

今そうじゃないからといって、わたしをとどめているものは何だ?

「ふつう」を目指して、苦しくなって、死んでいく人は何だ?

本当は何もないのだ。何もないところに、何かあると思って、自分の中に規範を作って、それで自分を縛っている。

わたしはその縛りから自由になりたい。


人とかかわると秘密が増える

なんでもブログに書いていたけれど、書けないことも増えてきた。

いつもいる人間のことを書くとプライバシーの侵害になる。
自分のことをただ書いていただけだけど、今の自分のことも書きたい。

わたしは子供が生みたい。
理由はない。理由はないほうがいいんじゃないかと思う。このろくでもない世界に理不尽に生み出されて、子供はかわいそうだけど、「ろくでもない世界にウエルカムだ」と言ってみたい。

わたしは籍を入れない。婚姻制度に疑問を持っているからだ。
ケアマネさんに、事実婚ですか?と聞かれたけれど、もう「婚」から離れたい。未婚でも、非婚でもなく、そういうことから離れたい。

人間として自由に、パートナーを選び、子供を産み育てることに、できるだけ、管理されたくないという思いはある。
行政から受けるサービスを受けることは、この世界に生まれているから、社会に属した時点で、受けられて当たり前だと思っている。

人は人として生きるために、社会を形成した。その方が繁栄に有利だからだ。今の国家のスタイルになったのは、夜警国家からだということを考えると、暴力と国家は切り離せない。国家が所有している暴力は、「良い」ものでそうではないものは、排除する、というだけのことで、国家は暴力を所有しているものだ。

国家には、国民自身が、自由と幸福を追求する権利を妨げることができない。それは、わたしたちが、国家に対して持っている権利だ。
だから、わたしは自ら、国家に対して、自分自身を管理されることを良しとしない。
戸籍制度にも疑問がある。だから、わたしは籍を入れないまま子供を産みたい。

人とかかわると秘密が増える。この先このブログがどこまで書けるのかわからないが、続けていこうと思う。

どうしても、今までのように日々の雑記を書いていくスタイルに無理が出てきた。
だから、ネットで拾った出来事に関して、コメントすることが増えていたけれど、やっぱりそれではつまらない。
わたし以外の人が十分に考察しているから。

わたしはこれから自分の人生のドキュメンタリーを書きたいと思う。


畑を耕すように

生徒さんに、「勉強は何の役に立つの?」と聞かれました。

数学のベクトルと物理を組み合わせれば、効果的な力のかけ方がわかるので、女の力でもかなりのパワーが発揮できるので、DIYの役に立つ。化粧品の裏面を読んで理解することができる。水素水に騙されないで済む。化学をしていたら、何が有害かわかる。
生物をとっていたら、医療方針を自分なりに考えることができる。歴史を勉強していたら、今の世界情勢の下地がわかるようになるし、社会をとると、経済にも強くなる。現社会をとると、自分の立ち位置がわかるようになる。地理と歴史を知っていたら、旅行が楽しくなる。
数学を学ぶと、考え方や人への伝え方がうまくなる。古文を読めれば、教養がついて、本を読むときに面白さが倍増する。

というようなことを話しました。勉強というのは、興味を持つための下地をつける作業だと思います。種を植えるようなものですね。
そして、勉強を通して、自分の中身を耕すような役割があると思っています。

豊かな人生を送るためには、他人の言うことをうのみにするのではなくて、騙されないようにすることも大事ですし、情報の取捨もできるようになることが大事です。そして、なにより、何かに興味を持って、それを楽しむことも大事だと思います。
趣味は趣味、と片づけないでバッグボーンを理解したうえで、取り組みことも趣があります。
だから、勉強は、つながらないものをつなげるという素晴らしい役目があると思っています。

勉強をしていなかったら、興味を持てなかったことに対して、興味の芽を植えられるんだと生徒さんには教えています。それは、学生時代が終わった後に花開いていくのだと思います。


リーディングをしました

chirochelstone – Chirochel Worksの天然石作品
カサハラユーコさんのブレスレットの紹介文を書きました。

今は、減薬のせいで、躁とうつの入れ替わりが激しく、ジェットコースターみたいに気分が入れ替わり、体調があまりよくありません。
ブログに書きたいこともいろいろあるのだけど、文章が思いつかないつらい状態です。

早く減薬に慣れて、普通の状態に戻りたいです。

仕事もやっと行くような状態です。

十二時に寝て、夜三時に起きる生活をしているので、深夜にレザークラフトをして、一人で作業療法的なことをしています。
そうすると、衝動が少し収まるような気がします。