プロポーズされたこと

ブログ関係の知り合いで、二か月前からスカイプをしょっちゅうしている人がいた。
その人にある日「一生をかけてあなたを理解したい」と言われた。
取り乱して、泣いた。
そのときに「わたしはたぶんポリアモリーだし、貞操観念もないから、たぶん期待に応えられない」というようなことを言ったと思う。
なんだか、ショックで号泣してしまったので、あまり詳細は覚えていないが、とにかくそういう感じだった。
「身の回りの世話をしたい」と言われたのも覚えている。
そのときその人は、スカイプの調子が悪くて、プロポーズの前から、電話をしたいと言っていた。でも、電話代がかかるからいいし、そこまで話すことってないじゃんと言って断っていた。でも、どうしても話したいと言われて電話したらプロポーズされた。たぶんプロポーズだと認識した。

一度会いに来たいというので、いいよと言った。
その後、避妊と貯金に気を付けてお金を取られたり軟禁されなかったらいいや、という覚悟で一緒に住むことにした。
近くに住むという話もあったのだけど、まあ、一度同居を試すのもいいかなと思って。
人から見たら軽率だと思うだろうし、自分でもそう思ったのだけど、まあいいやと思った。
プロポーズと言っても、結婚するとかしないとかそういうことはまだ考えていない。

彼は自閉症で、わたしが苦手なことが得意だ。こまごましたことが好きで、掃除や、洗濯や、洗い物をしてくれる。
わたしは、昼間ぼおーっとシーシャを吸っている。

生活の変化は、今までは、家で寝ていることが多かったのが、朝六時に起きて、顔を洗って、着替えるようになったことだ。
その人は、在宅の仕事なので、ご飯を食べ終わったら、家で仕事をする。その合間に家事をしてくれる。便利だ。私にもメリットがある。ほかのメリットは話し相手になってもらえること、お金の面で、サポートしてくれることなどがあげられる。

その人もDVを受けた経験があるので、ときどきフラッシュバックを起こしたり、おどおどしたりする。
話すと怒られる環境だったらしくて、今でも自分の気持ちや要求を話すことが苦手だ。わたしは話すことや相手の意図を読み取ることが得意なのでその部分で役に立っているらしい。

彼の身に起きたことは、かなり過酷だった。自分がおかしいと思っているので、それは、あなたの感じ方が間違っていない、相手がおかしいということを繰り返し伝えていえる。

昨日今日は、DVしていた人に対して裁判を起こすために、弁護士に会いに行った。
それを提案したのはわたしだ。彼は気持ちの整理がついたらしく、今日は、すっきりした顔をしていた。
たまたま、仕事が空いている日だったので付き添った。
基本的に彼は主語をあいまいにして話す。それは、自分に起きたことを表現すると怒られるからだったようだ。
DVをしてきた人がしたことと、自分がしたことの境界があまりついていない。彼の境界線を侵して来た相手のことは腹が立つ。
DVをしてきた人は、罰せられることがほとんどない。社会的には、「自分で逃げようと思っていたら、逃げられたでしょう」という話になる。
そのことを今回のことでまた思い知らされた。

支配は恐ろしい。わたしは支配しないで、その人に向き合いたいと思う。
とても難しいことだけど、自分の要求をはっきり伝えることと、支配することの区別ができるようにしていたい。

メリットデメリットが釣り合っている限り、一緒にいるだろう。
いつまで続くかわからないが、それもまたいいと思う。

ブログを通して知り合った人なので、わたしのことを彼はよく知っている。
わたしがだめなことも、世の中の基準からずれていることも、いろいろあったことも知っている。説明しなくても知ってもらっていることは便利だ。

凸凹が補えているのは良いことだ。どうなるかわからないが、うまくいくといいと思う。

察しのいい人は、相手が誰かわかるだろうけれど、まあ、それも仕方がない。

最初は、なじむのに必死で、合わせるようとしていた。
だから、疲れた。熱も出たし、体調も悪かった。
しかし、だんだん、人と生活することにも慣れそうだ。


約束を破る人

元彼氏たちは、約束を破りました。

仕事も大事だけど、恋愛の優先度が低いというか、わたしに甘えていたのか、わたしを失っても構わないと思っていたのか。

約束を破られると混乱します。

時間も守らないし、言ったことも守らなかったです。

わたしは守ったんじゃないかな。

約束を破る人はくずだから、今後関わらないようにします。

昨日から熱が出ていろいろなことを思い出します。


異能力について

超能力というと怪しいけど、異能力って言葉を使えばと主治医に提案された。

科学では、わかっていないことがまだまだある。それは、「こういう現象がある」という発想がないことについてはまだ調べられていないからだということだ。わかっていることは、医学の世界だけでもまだまだ少ない。

脳卒中になって、脳が動かなくなっても、脊髄の反射を利用して、歩くことを可能にした人がいるそうだ。
その医者は、そう医者として判断して、その治療を行った。赤ちゃんは這うときに、脳を使うのではなくて、脊髄を使っていることに着目した治療らしい。

自転車に似た危惧を使って、治療するらしいが、理学士が車いすに興味を持って製図を描けたそうだ。そして、日本中の車いす会社に提案して断られ、台湾の日本人に頼んだところ「ふうん」という返事で無理だと思っていたが、「できたから取りに来い」という連絡が来て、それ以来、その器具は二十万円で売られているそうだ。

全盲の人でも、鈴を入れたボールを使ってテニスをするそうだ。そうすると、聴覚から情報が入って、視覚野でイメージしてテニスができるそうだ。
それも違う回路を鍛えたからだ、とのことだ。

ほかにも、口で音を出して、エコーを使い、自転車で移動できる全盲の人や、周りのことを「視る」ことができる全盲の人、動物の言葉がわかる人の話などをした。

動物の言葉がわかる人は「ただわかる」んだろうといっていた。主治医自身も、自分が飼っている猫の前で実験したところ、目をつぶって、いろいろな命令をする場合と、目を開いて、言葉を伝える場合とで、猫の反応が明らかに違ったといっていた。目をつぶると、猫は不機嫌だったそうだ。動物は目を見て、言葉にならない何かを読み取っているようだと言っていた。

人間は言葉をコミュニケーションに使う。そして、それに限定してしまうけれど、本来は、目に見えないもの、言葉にならないもので交信できているんじゃないだろうか、と仮説を立てていた。

わたしも、人とコミュニケーションをとるのが苦手なはずなのに、人の話を聞く仕事をしている。それは、違う回路を鍛えたからじゃないか、と言ってもらった。

教える仕事とは、人の話を聞くことだ。お互いの話を聞いて、何がわからないのか、常に探っていく。それは、探検のような作業で、クリエイティブだ。

話さない子でも、気持ちがわかって、何がわからないのか、教え方を工夫すれば、わかるようになると、確信を持てることがある。
それは、科学的じゃない。だけど、そういうものがある。

みんな、不思議な力を無意識に使っているけれど、そのことを当たり前だと思って、疑っていないから、当たり前になっているだけなんじゃないだろうか。

全く話さない子供に、勉強を教えることは不可能に思える。でも、できる。コミュニケーションもとれる。相手の意思も不思議とわかる。何が得意か、苦手か、それに合わせた教え方もわかる。それは魔法みたいだ。

先生は、それを「異能力」と名付けた。でも、c71もほかにもっといい名づけができるんだったら違う名前で呼べばいいと思っていると言っていた。

ips細胞も、植物やヤモリ、トカゲに再生能力があるのに、人間にはなぜないのか、という発想から生まれたそうだ。
できるはずだ、と思ったから、やったのだろう。
それは、発想の問題だ。

既知のことを調べるのではなく、自分たちの発想にそうことで、新しい技術の道を開いたのだ。

昔だったら、バカなことを言っている、科学的じゃないといわれて、片づけられたような発見だとも言っていた。

二十年前、富士山は死火山ではなく、活火山だと言った東大教授もずいぶんたたかれたそうだ。でも、今、いろいろな機器で計測したら、それが事実だと誰でも知っている。

疑問に思うこと。発想すること。できないと思わないこと。できないにしても回路を鍛えることで、できるようになる可能性があるということ。

イチロー選手が、体の一部のように、バッドを感じられるのも、鍛えたから。後ろ向きにボールを受け止められるのも、予期する力を鍛えたから。

鍛えれば、いろいろなことができる。
鍛えるためには、できると信じることと、そもそも「それはできるはずだ」と発想を持つことが大事だということ。

口で音を出すことで、周りを視覚野で見ることができる全盲の人がいると信じられなかったら、それは何もない。
でも、信じられたら、その技術はいろいろなところで、使われる。
今は、眉の上で電気信号を大脳に送って、ぼんやりとした像を見ることができるようになるところまで来ているそうだ。

人の感情を読むことは、本来わたしには難しいことだ。
でも、今はほかの人よりも鋭い部分もある。もちろん、鈍い部分もある。
鍛えたからいろいろわかるのだろうと言われて、自信になった。

発想を持つこと。
異能力があることを受け入れること。
そうしたら、できることがもっと増えていくはずだ。
科学は、わかっていることが、本当に正しいか確かめる学問だ。
わたしは科学者じゃないから、できるかどうか、信じるだけ。証明しなくても、できることは増える。
そういう希望をもらった。

今日は減薬をすることに決まった。


コントロールと境界線

わたしのお母さんは、自分の拡張パーツのようにわたしを扱った。
コントロールした。
いつもべったりしていた。

かといって、病気になったら病院に連れて行ってくれたわけじゃない。それは、自分のコントロールできないことだから、自分の意識から外したかったんだろう。

わたしが輝かしい時にはすべて自分の手柄にして、わたしが失敗したことは、わたしのせいだった。

そうやって、わたしはエネルギーを吸い取られていた。

何をしても、お母さんの手柄。自分の一部だから何をしてもいい。自分の一部だから、人からうらやましがられるような学校には行ってほしい。

そういう人だった。

それと同じことは、男女の関係でも起きる。男性は、自分のコントロール支配下に女性を置く。置きたがる。

自分との境界線がないものと信じているから、自分の心地よいようにふるまってくれるように要求する。

「笑って」「聞いて」「やらせて」そういう風に言う。

女には難しい話は分からない、理屈の通った話はできない、そう言いながら、愚痴を言う。女は感情的だから、と言いながら、感情を垂れ流す。適切じゃない形で。

女はそれをいやす役割だと彼らは信じている。境界線を犯していることに気付かない。

女には女の感情がある。その表出がある。それをコントロールする。それは、境界線を侵す行為であり、コントロールだ。

親が子供にもすることを、社会全体で、男が女にもする。
女は生きるためにそれに適応する。そして、適応障害を起こす。
自分の人生を奪われる。

考えられなくなって、自分の人生を主体的に生きるために計画を立てにくくなる。

感情のコントロールをされると、主体的に生きることを忘れるしか適応するすべがなくなってしまって、自分のために何かすることを忘れるしかなくなるのだ。

機嫌を取ることで、生き延びようとしてしまう。

でも、もう、そんなことはやめにしたい。

わたしはお母さんから離れた。
だから、社会からの要請からも、離れることができるだろう。

境界線を侵すやり方にはいろいろな方法がある。それもどれも巧妙な形でやってくる。

何か違和感を感じたら、自分が情緒不安定になっていると感じたっら、それはあなたのせいじゃない。あなたが弱いせいじゃない。搾取されて、エネルギーを奪い取られているからだ。

子供が親から逃げるのは容易なことじゃない。社会から、逃げることも容易なことじゃない。

でも、心の中の大事なところを、守り抜くことができれば、きっと道が続くと信じたい。

社会に合わせること、男に合わせて愛されているつもりになること、それもどれも、毒だ。

「だからいったでしょう」「あなたは、わたしがいないとなにもできないのね」「こんなことで失敗するなんて」「言ったとおりにしていれば失敗しなかったのに」と言われ続けると、失敗が恐ろしくなって、何もできなくなる。
でも、本当は、なんだってできる。失敗だって、たいしたことじゃないんだ。

失敗が恐ろしかったのは呪縛があったからだ。本当は、コントロール側の人間もたくさん失敗をする。それを人のせいにしているだけだ。
自分のせいにされて、すべての失敗を飲み込んでいたら、それは、生きる力も自己肯定感も弱くなるだろう。

でも、本当は弱いわけじゃない。
奪われているだけだ。
境界線を。

一つずつ、離れて、自分の手でやってみたら、何もかもそれほど大変じゃないことに気付く。

代わりにやるからと言われても拒否するべきだ。
本当は自分にもできる。失敗したとしても、またやり直せばいい。

失敗しない人生を恐れて、コントロールされ続けて、そして、失敗したら、人生をすべて奪われることになる。
人生は、自分のものだ。

失敗も含めて、自分でやってきた、やっていける、と思えることが自立だ。
自立を妨げるものは、すべて遠ざけよう。

自分でできるとわかったら、生きていく気力がわく。なんのために生きるのかという疑問の答えが、出てこなくても、生きていけるのだとわかる。

コントロールされているときには「なんのために生きているのか」が、ずっと頭をぐるぐるしていた。

今は、疑問にも思わない。
わたしは生きているから生きているのだ。
疑問の答えはわからないけれど、わからないまま、進んでいける。

自分のしたいこと、夢、夢じゃなくても些細な事、自分に対する贅沢や、楽しいことをしていくうちに、だんだん支配から離れても、生きていけるって、感じられるようになるんだ。


にらみをきかせよう、女たちよ

犯罪と冤罪は別のレイヤーなのに、性犯罪に言及したとたん、「性犯罪もそうだが、冤罪が」という人がいる。
冤罪は深刻な問題だが、その問題は、司法、調査権を持つ側にある。
被害者にはない。

被害者が、加害者を特定してから、犯罪を訴える必要は絶対にない。犯罪がそこにはあったのだから。
相手を間違えたとしても、犯罪があったことを言う。

社会は、間違えられた人に肝要であるべきなのに、社会的制裁を食わせようとする。そのため、冤罪に対しての恐れが強くなるのだろう。

しかし、社会の中心は、司法は、ほとんど男たちの権力で出来上がっている。

被害者は、ただでさえ、深刻なダメージを受けるのに、加害されつつ、冷静に、加害者を特定しなくてはならないのか。絶対に違う。

女に、「笑え」「手を振れ」「癒しになれ」「愛想をよく」「おさんどんをしてほしい」という男は全部屑だ。どんなに妄想をしていても結構だが、私たち女は、幻想の世界で生きていない。わたしたちは、ものじゃない。現実だ。現実の人間だ。

レイプに対して、男にもできることがある。レイプされそうな場所で、気を配るとか、おかしな動きをしている男を見張るとか。

している男もいるのだろうが、ネット上ではひたすらに冤罪を恐れて「女尊男卑」なんて言葉を使うバカがいる。

今の社会のどこが男尊女卑じゃないのだろう。賃金、大学進学率、管理職の少なさ、政治家の女性の少なさを見れば、そんなことはわかるだろう。

わかりたくないだけなのか。

女は自分のためだけに笑えばいい。
男のために笑う必要なんかない。
わたしは、バカでくずな男に対しては、にらみつけて、愛想がないといわれたい。


男死ね

強姦の話題を見た。被災地でのことみたいだ。

強姦するのはだいたい男だ。そういう男はちんこ切られる刑に処されたほうがいい。

わたしも今まで生きてきて、性犯罪に三回あった。
痴漢も入れたらもっといく。

変質者に襲われて、首を絞められ口をふさがれ、殴られ、左腕を引っ張られて、左腕の神経を切断された。

それでも、刑法では、「検察」「裁判所」「被告」の三方しか関われないので、被害者のわたしの蚊帳の外だった。

その後、判断力を失って、ほかの男に誘拐され軟禁されて、リスパダールをたくさん飲まされ、ほかの薬も飲まされて、死にかかった。ドアのカギは開けられたが、逃げられなかった。むしろ、相手が喜ぶことをしていた。そういうものらしい。そいつは、今も無罪だ。刑法には関係なかった。

逃げた後も、脅迫されている。

こういう経験をすると、冷静に男にも素晴らしい人がいるとは思いにくくて、「男死ね」と思う。
こういう犯罪をするのはだいたい男だからだ。
男には何か欠けているんじゃないのかと思う。

法律を作るのも運用するのも今の社会だと男ばかりなので、男に対してどうにも甘くなる。

日本の性犯罪が少ない、というのは、体感では嘘だ。性犯罪に関して、暗数がかなりあるというのも、議論されてはいる。
でも、「統計」「データ」が好きな男たちは、こういう文章を読むと「データには低いと出ている」という。

統計やデータじゃなくて、被害者に寄り添うという発想がない。
証拠がなければ訴えることもできない。
人の尊厳を削る犯罪であっても、裁くための仕組みがない。
性犯罪は、犯罪として認められない。そういうことがほとんどだった。

肉体的に損壊しなくては、穴に棒を突っ込まなければ、相手に対して、合意ととれる行動をしたら、どんな状況でも、相手は無罪になる。

そして、仕組み上、被害者は声をあげても、裁く法律がないので、犯罪者たちは「犯罪者」とも言われず、野放しにされている。

個人個人の男に死んでほしいわけじゃないよ。でも、わたしは集合としての抽象的な存在としての男に対して、死ね、と思う。

被災地で、強姦されても、声をあげられないだろう。
被災地で、生理用ナプキンが足りなくても、いまだに「生理は一日で終わる」「性的なもの、卑猥なもの」と思っている男がいる。
ピル飲んでも、生理は止まらねーよ。それに、副作用があって飲めない人もいる。わたしがそうだ。
被災地で、女にだけおさんどんやらせるんじゃねーよ。男も、料理も掃除もできるだろ。
リーダーに男ばかりなるんじゃねーよ。ふざけんな。
学べよ。

人類の半分は女だ。

わからないなら、男は死ね。


グッドクエスチョンという考え方

良い質問をする人が優れている人だと思っています。

だから、自分でも「グッドクエスチョン」を出そうと思っています。
英語のこの考え方はとても好きです。

日本に暮らしていると「わからないことがあるのは恥」だと思っている人が多くいます。

でも、そうじゃなくて、的確な質問ができるほうが優れていると思います。それは、相手の優れているところを引き出せるからです。
良い質問ができると、知識も増え、コミュニケーションも深まります。

言葉が出ない生徒さんに対しては、注意深く、「グッドクエスチョン」を出していきます。
そうすると「なにがわからないのか」が生徒さんの中で、はっきりしていきます。

わたしが質問することによって、お互い明確になる部分があるわけです。
難しい質問に対応できない生徒さんには「いいえ。はい」だけでこたえられる質問に替えます。

そして、生徒さん自身が質問できるようになったら、「良い質問だね」ということは、常に評価していきます。

最終的には「わからないことだけを聞きにこれる授業」を目指しています。
そうすると、わたしも眠くならないし、時間も有意義に使えます。

言葉をしゃべることが難しい生徒さんに対してこそ、グッドクエスチョンが必要なのです。

「どうしてできないの?」はグッドクエスチョンではありません。
「どこがわからない?」「ここがわからないかな?」と聞くのがグッドクエスチョンです。
c71.hatenablog.com


言葉があまり出ない生徒さんを教える

出口汪の新日本語トレーニング〈1〉基礎国語力編(上)

出口汪の新日本語トレーニング〈1〉基礎国語力編(上)

このシリーズを使っています。

言葉があまり出ない生徒さんはたくさんいるのですが、単に無口なのではなくて、本当に語彙が少ないので、話せない生徒さんがいます。

最初は長文で試してみたのですが、「いつ」「どこで」「誰が」「何をした」ということを読み取ることが苦手なようでした。

登場人物が誰か、地の文で出ている人と、会話文で出てくる人と、行動している人とが区別できない様子でした。
そのため、長文読解は、苦痛があると判断して、まず文法から始めました。
文法を教えると、英語もわかるようになります。でも、最低限のコミュニケーションをとるために、「何を話しているのか」わかるようにするために、日本語の文法が特に大事だと思いました。

形容詞や形容動詞のかかり方や、主語、動詞、主文がどの部分か、ということがわかっていなかったので、一つの文章を徹底的に分解して、図にして開設することを繰り返しました。

努力型の子で、一週間後に、一度解いた問題集をもう一度解いてきてくれました。二回目に解いたら、一問間違っただけで、あとは正解でした。

図にして、視覚的にすると理解が早いようだったので、四則演算を数直線上の移動で説明し、マイナスの概念を教えました。
そして、東に行くことをプラスにすると、西に行くことはマイナスなど、日本語に置き換えて説明することに二コマ割きました。

記憶力が良いらしくて、すぐ覚えてくれました。
授業を聞いてわかったと日記に書いてくれたようで、お母さまがとても喜んでくださいました。
家でもだんだん話をする回数が増えてきたようです。

心の中にいろいろなことがあっても、外に取り出すのが難しい子、本を読むことが難しい子も、法則を教えたら、ちゃんと読めるようになるし、ほかのこともできるようになるのだと思います。

どこが苦手なのか、よく観察して、それをいかに苦痛なく、努力せずにやれるかということに、集中してやっていきたいと思います。
c71.hatenablog.com


ビッチなわたしも男が途切れなかったけど、頭が空っぽだと死んでた

ninicosachico.hatenablog.com

このエントリを読んで、わたしも男途切れなかったなーと思いました。
一年以上空いていることってあまりなかったんじゃないかな。

高2の時にレイプされて以降、セックスの価値を薄めたいと思って、いろいろつきあったんですよね。

勉強は好きだったんですけど、「強い女を屈服させたい」男ゾーンに受けていたんだと思います。みため素朴だったんで、そういう需要も満たせていたというか。おもちゃにされやすかったというか。

で、今も割とビッチなんですけど(ブログ読んでたらわかると思うけど、気に入ったら割と自分から誘う)、今までくずみたいな男と散々付き合って、あっさり別れてを繰り返して、で、今自分を支えているのは、桜島さんと同じように「?」だったと思うんですよ。

失敗したら、繰り返さないっていうやつ。

わたしは自閉症の特性もあってか、利用されやすかったり、言葉を信じて、たとえば、四時間遅刻する男をずっと待っていたりとか、ずいぶんバカなことしてました。今なら三十分遅刻すれば帰りますけどね!

男に利用されるのって結局セックス部分も大きいし、時間やリソース、いちゃつき、癒し、加虐性を満たすとかだったんだと思うんですけど、そっから抜け出すのは、やっぱ知性、失敗したら、学ぶってことだと思う。

すげー痛い目みて、慎重になってからも、好きになったら、さっさとやっちゃうし、腹が立って会話ができねーな、と思ったらさっさと逃亡します。

不当なことをされたら、怒ってそれを伝えると、男の一部はなだめてきますけど、そういう問題じゃないんだよね。
話を聞けよ!って今は思う。

自分を抑えれば、相手が幸せになって満足すればいいか、と思っていた若いころの自分を殴りたい。
自分が我慢していいことなんて何もないだろうが。

病気がひどくなって、判断力が低下していたとき、頭空っぽでいたせいで、軟禁されて殺されそうになったことがあります。
やだったら、やだなんだよ。そうしないと殺されるんだなーと思うようになって今に至ります。
いまだにその人から脅迫状が来るしね。引っ越し三回したけど。突き止められてしまうんですよね。

ビッチだってことを改めようと全然思わないのは、セックスも男も好きだからなんだけど、でも、秋元には「責任とれるのか」と問いたい。
どーせ、とれないだろうけど。

自分の進路で悩むのはいいことです。自分の責任で自分の金で稼ぐのは、気分いいし、なにより、暴力振るわれたときに、逃げられる。
逃げるための知性なんだと思います。

くずじゃない男を最初から見分けられる人はいいんだけど、わたしみたいにわかんない人間には、やっぱ金が必要で、金を稼ぐには、知識が必要です。

だから、愛されたら幸せって、一時的なことであって、長い時間たつと単なる地獄にいて、自分でも気づかないで常に苦しんだって思います。


ゆっくり過ごしましょう

昨日地震が起きてから、怖くて、心が落ち着きません。

精神病や疾患がある人はみんな同じだと思います。

できることは何もないという無力感と、とにかく心配だという気持ち。

ネット上の情報は、ほとんど地震一色で、見ていると心臓がドキドキします。

わたしができることは、自分のコントロールをすることなんだと思います。

現地の人は恐ろしい思いをしていると思います。
なるべく、たくさんの人が助かってほしいと思います。

できることが何かわからないのです。
せめて、いつも通り、ゆっくり過ごしたいと思います。

みんなにもそうしてほしいと思います。体力と精神力を温存していたら、できることも見えてくるかもしれないです。