わたしの手の及ぶ範囲

毎日慌ただしくすぎていくので、悩む時間があまりないです。

疲れて機嫌が悪いときはありますが、なぜ生きるのかだとか、今やっていることが何の役に立つのかは思いません。

欲しいものがなぜ欲しいのかも考えないし、お金をどうして稼ぎたいかも考えません。

わたしは、お金が欲しい、それは、いろいろなものや安心が手に入るからです。
脳トレをやっている友だちがいますが、コンビニで働いたら脳トレになるし、お金も入るしいいのになあ、と思います。

付き合っている人は働かないと水しか飲めなくなって、一週間で死んでしまう、と言います。
わたしもそう思います。

わたしの手の及ぶ範囲のことを守りたいと思います。
そして、楽しみたいと思います。
わたしの手は、お金も作れるし働けるし他の人を幸せにもして、そして、わたしを守って、より良い日々を作ります。


ちょっと良いこと

体調の悪さが、少し取れました。
良く寝たことと、栄養のあるものを食べたこと、マッサージに行ったことがよかったです。あと、ステロイドを塗りました。

今日は、だいぶ眠りました。昼寝もしました。

契約が二件取れました。
上司はとてもにこにこしていました。よかったです。
あんなことで、人はにこにこしてくれるんだ、頑張ろうと思いました。


矛盾しているわたしと「膜」の話

わたしは心が狭いし、偏屈である。
そして、文章も書いてしまう。他人がいない文章を書いている。他人がいるのに、その人の気持ちを無視した文章を書いて傷つける。
わたしが観測していることが間違っている可能性もあるのに、人が傷つくようなことも書く。
言ったこともあとから変わることもあるし、やらないこともある。
全部まじめにはできない。

自閉症とは、他人がいない世界を生きることらしい。
わたしとしては、他人がいると思っているし、他人の気持ちにも興味があるから、それは間違っていると思っていたかった。けれども、疲れているときには、他人のことを考えられないので、正しい面もあると思い始めた。

田房永子さんの「膜」の問題について考えてみた。

わたしは視野が狭い。自分の周りに世界がないみたいに振る舞うことがある。視力が悪いせいもあるし、思考の中に外界が存在していないせいもある。

離人のときにも、膜を感じることがある。自分が自分ではない感じ。少し浮いている感じ。周りの風景が見えなくて、目の前のものだけがクリアに見える感じ。外界と閉ざされていて、影響されない。傷つかない。自由な感じ。不安な感じ。万能感。そして、無防備になるから、犯罪に遭いやすくなる。

痴漢犯罪者は、離人の状態と少し似た状態にいるのではないだろうか。

その原因は、自他の区別が未分化であることから発しているから、離人とは別のことだと思うけれど、世界に自分しか存在していない感覚、世界を感じるときに膜があるような感じは似ているんじゃないかと思う。

痴漢は自他の区別がついていない。触られる側の感情があることを知らない。子どもには、そういう時期がある。相手の気持ちを考えろと言われると「?」となる時期がある。それを考えるのがなぜだかわからないのは、相手に自分と同じような気持ちがあるとはわからないから。自分と他人の区別を知らないから、相手が同じように感じていると思う。それは、自分と相手が連続していると思っているから。もしくは、動く、もののように思っているから。

大人になっても、他人を利用することに罪悪感を持たない人は多い。人が冷たいことを言ったとか、自分の都合でものごとを遠慮しただけで、自分が尊重されていないと感じたりする人。そういうのも自分のために相手がいると思っているから、欲求が満たされないだけで、冷たいと感じてしまう。
それはお互いにとってあまり良いことではない。

痴漢に関しては、あまりよくないを通り越して、犯罪である。

膜は、パーソナルスペースではない。パーソナルスペースはお互いの「快適な」距離を保つためのものだけど、「膜」は、自他の区別がついていない人が持つものだから、快適な距離を知っているような、自他の区別が就いている人のような、「大人」が持っているものではない。もっと、幼いものだ。

幼いというと良いような気がするが、実際には、良い年の大人がしているのだから、おぞましいことだ。自他の区別がつかない人が、自他の区別がつかないまま、目の前のものに、自分と連続しているものだから、「自分が興奮しているから、相手も興奮している」だろうと思ってしまい、そのまま犯罪を犯してしまうのが、膜だと思う。
膜に守られているときは安全な気がしている。
それがなぜわかるのかというと、わたしにも膜があるからだ。その膜は障害からきているものと、虹障害からきているものがある。

わたしは自他の区別が未分化だ。そういう障害らしい。わたしは、他人が他人であるときちんとわかったのは大人になってからだ。自分の中に他人がいない、ともまた違っていて、他人は、わたしに影響されない、ということを知ったのが大人になってからだ。
わたしにとって、他人は長らく謎だった。
わたしを振り回すし、搾取するし、わたしに傷つけられて、悲しむし、なんだかよくわからないものだった。感情があり、知性があるのはよくわかったが、わたしになぜひどいことをしたり、わたしがひどいことをしていると、責めてきたりするのはなぜなのかわかっていなかった。今でもわかっているとは言えない。彼らは想像以上のことを言ったりしたりする。わたしは言われたことの十分の一も理解できない。

自閉症とは他人がいない世界だ、と言った人がいる。わたしはその意見には反対だ。わたしの世界には他人がいる。それはもう、大きく幅を利かせて、わたしを生きにくくしている。それらがわたしに見えてないと言うことだろうか、と思っていた。
でも、田房さんの記事を読んで、一理あるのかもしれないと思った。
わたしは他人の気持ちに疎い。わたしが言ったことがどうして、人を怒らせるのか、わたしにはわからない。
わたしが正直に言ったことは、相手を傷つけるつもりがなくても、怒らせたり悲しませたりする。
どうやら、わたしにはそう言った配慮をする機能があまりないようだ。疲れるとより動きが悪くなるようだ。
わたしはひとりになる時間が必要だ。
それは、こういう理由からである。

それでも、十分の一でも理解しようとするようになったのは、成長である。成長する前のわたし、今のわたしは疲れると膜に包まれる。周りの人がわたしを見ていないと感じるときがある。だから、へんな服装もできるし、羞恥心もない。誰もわたしを見ていないと思っている。そういう感じ。

その延長で、目の前に、とても素敵なものが現れたら、触ってみたくなってしまう、という気持ちは理解できなくない。もしくは、とても憎んでいるものが現れたら、貶めてみたくなるかもしれない。
自分は膜に包まれていて、安全だと思っている。その膜は自分を覆っていて、誰の視線も遮る。視野が狭いから、その「対象」がそれ以前からずっと存在して、その人たちが独自の人生を歩んで来たし、これからも歩んでいるということも想像がつかない。とにかく自分中心で行動してしまう。

わたしは性被害に会ったことがある。痴漢にも会ったことがある。若い頃、中年の男性に売春を持ちかけられたこともあるし、ストーカーに会ったこともある。
だから、正犯罪者を憎んでいる。
だけれども、彼らについて考えてみた。
彼らの膜はそのようなものだと思う。

わたしは矛盾している。
人に嫌われたり、好かれたりもする。
そのわたしに関して他人が持つ、イメージは幻影だ。
わたしはそれとつきあっていかなくてはいけない。もしくは、毎回拒否するという判断をしなくてはならない。
嫌われても良い。好かれても良い。矛盾しても良い。
だけど、判断しなくてはいけない。危険かどうか、安全かどうか。傷つけないか。
膜を出るとはそういうことだ。


ちょっとひどい

体調がひどく悪くて、簡単なことができなくなっている。

電話をしたり、会社の用事をしたりするのが、かなり難しい。
授業中も眠くなってしまう。勝手に落ちてしまう。眠くなる前兆があるときもあるけれど、なにをしてもだめなときもあるので、トイレに行く。

皮膚がぼろぼろになって、顔の形も変わってしまった。

昨日付き合っている人にごはんをごちそうしたのだが、彼が帰ってから、不愉快なことをしてしまったのではないかと心配でたまらなくなった。もう、二度と会ってくれないかもしれない。

だけど、だからといって、電話をして、わたしが安心する、というパターンを作ってはいけないと思う。それは、相手を利用することになると思う。

気配りもできない。今のわたしは言葉を言葉通りに受け取ることが精一杯で、皮肉だとか、嫌みだとかにきづくこともできない。あとから、そうだったのかな、怒られていたのかな、と思うことがある。

まぶたから、液がでていて、固まってひっついてしまう。とてもかゆいし目を開けているのも大変だ。

フィジカルにも、メンタルにも、影響が出ていて限界だと思う。限界だと、悪いことばかり考えて、いろいろなことに気づかなくて、人間関係も悪くなる。
直裁的に話しすぎていて、ひんしゅくを買っているのだと思うが、自分では制御できない。
わからない。
そういう感覚がない。
いつもは、慎重に神経を張り巡らしているのだけれど、何もかも悪い方向に考えてしまうし、そして、考えていることの精度が低すぎて、全然わからない。健常者の世界にとけ込めていない感覚がとてもする。


好きな人についてぼんやり書きます

好きな人がいると毎週末何かしらするので、行動範囲が広がりました。
いろいろな所に遊びにいくので、とても楽しいです。

彼は、押しつけがましいところがなく、説教をしたり、わたしが悪いところを行って来たりしません。
コミュニケーション能力が高いので、わたしがうまくできないこともやすやすとこなします。

彼といると楽に過ごせます。
とても良いです。

暇がなくなったので、過食が止まりました。
落ち着きました。

この前はスイカをプレゼントしようとしてくれていたので、いじらしいなと思いました。


海に行ってカメラをなくした

海に行きました。午前中は調子よく、潜ったり、魚を見たりしていました。

そのうち、ご飯を食べた後に、気持ちが悪くなって、吐いてしまいました。

そして、カメラをなくしました。
とても残念ですが、さして後悔していません。

具合が悪かったけどけがもせず無事に帰って来れたから、高いカメラだったけど、仕事に差し支えが出なかったことの方が嬉しいです。

今度は気をつけます。
カメラはお金貯めて買います。


おにぎりについてずっと考えている

おにぎりのついてのあの記事は、女性の役割を強化するという点で、不正義だった。
彼女がおにぎりを作ることは不正義ではない。
ただ、彼女がおにぎりを作らないといけなかった、その経緯には不正義が含まれているかもしれない。
それは、女性が「女性らしい」と思われる労働を、未成年のうちにかなりの量やることになり、そのため人生の選択が変えることができる、ということを彼女に見せてしまったからだ。それは周りの大人がしむけたことだとも言える。

彼女が普通クラスに映ったことは、不正義ではない。部活で学業を犠牲にしたと言う感じよりも、もともt最難関コースに違和感や、ついていけなさを感じていたための選択でもあるのではと思った。推測でしかないけれど、そうでなければ、最難関コースに入れ、娘に部活をさせる余裕のある親御さんが、それを止めなかった理由がわからない。

だから、あの記事は、彼女の総合的判断を矮小化して伝えているように読めた。
彼女がマミタスと呼ばれてしまったのは彼女のせいではない。

彼女が、良い大学に入る以外の道を見つけたならば、尊重するべきだ。勉強ができること、良い大学に入ること自体には大きな価値はない。それは結果であって、目指すものではないと思う。
やりたいことがあって、学びたいことがあって、大学は目指すべきだ。

なぜなら、大学は勉強するところだからで、就職を目指すところではない。結果として、良い就職をできたなら、それは運が良いことだ。

良い大学で良い就職ができるほど、人生はうまくいかないし、良い就職が良い人生や、幸せを保障してくれるわけでもない。
彼女は退学を選んだわけじゃなくて、クラスを変えただけだ。これは、あとからいくらでも取り返しがつく話だ。
彼女の無償の労働を、搾取した大人は悪い。おにぎりを握るという、女性に課せられがちな労働を未成年の女性にさせることによって、モチベーションやおにぎりという成果物を得たのなら、それは搾取だろう。

彼女のアンペイドワークシャドウワークを搾取した大人は悪い。それは高校野球を消費する大人が悪いと言う意味だ。その構造がなければ、この件は起きなかっただろう。

生身の未成年に物語の提供を求め、彼らを消費している大人がいるから、こういう事件が起きる。
未成年はこういった構造を知らないから、無垢に、青春を捧げる。
捧げたことで、得るものはたくさんあるが、失うこともたくさんある。
彼女の選択には、こうした、彼女をそそのかした大人の罪があって、彼女の選択に大勢の大人が加担している。高校生の彼女にはそれらのことはまだ見えない。

そして、彼女の選択はもちろん尊重されるべきだ。これは彼女の人生だからだ。
彼女は愚かな選択をしたかもしれない。だけど、これは彼女の人生なのだ。
からだを壊したり、精神を壊したりするような選択をしていないから、これは誰かが非難することも、否定することもしなくていい話だ。
彼女はもちろん、あとで後悔することもあるかもしれないが……、それはわれわれみんなそうだ。
愚かなことをして、あとで後悔する。
でも、だからといって、人に、失敗しないように、すべての選択を選ぶように依頼していたら、自分が生きる意味が亡くなってしまうんじゃないだろうか?

自分がなぜ生きるのか、わかっているためには、いつも自分が選択しないといけない。失敗するかもしれない、失敗しないかもしれない、それはわからない。でも、選択しないといけない。二年後に後悔しても、十年後にはやって良かったと思うかもしれない。わたしはそれの繰り返しで生きている。一番後悔したのは、自分で選択しなかったことだ。自分の人生を生きていないと感じた期間について、一番後悔した。

だから、彼女は後悔しないんじゃないだろうか、と思う。

彼女が後悔してもしなくても、彼女がその選択をそのときしたと言うことが、大切だ。彼女が自分の人生を生きた、ということだからだ。

自分を大切にしている、ということだ。

大人のわたしからすると、おにぎりを握ることはつまらない。美談にもされてしまう。これは良くないことだ。彼女がおにぎりを握った、その結果として、記事になったのは良くないことだ。

でも、子どもの論理はそれとは違う。子どもは、一生懸命やりたかったら、あとのことなど考えずに一生懸命やる。

教訓があるとしたら、ジェンダー強化に、国が加担しないために、教育にジェンダーフェミニズムを取り入れていくことが大事だと思う。

そうしたら、若いひとたちに、新しい、違う視点を与えられると思う。
彼女が困ったら、わたしたちは責任を持って助けるべきだ。彼女は子どもだから。
私たちのできることは、教育と、見守ることだ。

追記

彼女が愚かな選択をした、とわたしが思っていることは、彼女には関係がないので、消します。
実際には愚かな選択とは言えないでしょう。
一生懸命考えて、選んだことだから、わたしが愚かだと断じてはいけないと思い返しました。


性格悪くて、困ってしまう

わたしは性格が悪い、性格が悪いというよりも軽率だと思う。

なぜかというと、周りの人のことを記事にして後悔してしまうのだから、それで人を傷つけてしまう。なるべく、わたしが思った出来事に関することに限って書いているつもりだけど、「c71はこう思っていたんだ、こういう風に解釈したんだ、こう受け取ったんだ」「実際には違うのに」と思われることも多いと思う。それで人を傷つけていると思う。

わたしはなるべく人とのつながりを切りたい。減らしたい。それで新しい人のつながりを能動的に作りたい。ひどいことを言う人から離れたい、と思う。
そうしたら、わたしもひどいことを言わず、自分が性格が悪いと自分自身を責めずに済むと思うからだ。

わたしは忠告されたくない。こうしたらと言われたくない。約束したくない。自由でいたい。縛られたくない。

相談はのってほしいけれど、わたしが今おかしいところを言われたくない。それってわがままなんだろうか?

言われるといっぱいになって、噴出してしまう。ぶわーっと。頭から口から出てしまう。言いたくない。

言いたくないから、言われたくない。

どこが悪いのか言われるのは苦しい。
悪いところがいっぱいあるんだろう。苦しい。


恨まなければ生きられなかった

恨まなければ、憎まなければ、生きられなかったと思います。

負の気持ちだから、感じないように、表に出さないように、言われてしまう、「憎しみ」「恨み」の感情は生きる上でとても大切だと思います。

わたしは恨まなければ、憎まなければ、あのつらい時期を生き抜けなかったと思います。
あれは、大きなエネルギーでした。生きる力でした。
たとえ、負の力であっても、立ち直るには必要でした。
起きて、動いて、眠るためにはエネルギーが必要です。憎む方が、恨む方が死ぬよりもずっと良いと知るのは、それからあとのことでした。

いつか、母に感謝する日が来る、会いたくなる日が来ると言われています。
絶対に来ないと思います。
絶対なんてないと言われます。
きっと会ったら殺します。
いいえ、殺しません。わたしは逃げるでしょう。小さくなった彼女のことが恐ろしいでしょう。
わたしは血のつながった家族がひどく恐ろしいのです。意思の疎通ができない他人よりもずっと何をするかわかりません。

他人とはコミュニケーションを取ります。お互い知らないという前提だからです。でも、彼女たちはわたしのことを良く知っていると思っています。だから、コミュニケーションを取ってくれません。
わたしを狂っていると思っているからです。

憎しみをあらわにするわたしは入院しました。思う存分、恨みました。あの時間は大切でした。症状を思い切りださなければ、あのつらい時期を乗り越えられなかったでしょう。

若さ、美しさ、自由さ、時間という、なによりも大切なものを喪失したわたしは、嘆く時間が必要でした。
それらの時間は、若さが、家族という他人のために、無為に費やされて、二度と帰ってこないことと直面する時間でした。

どんな間違えた人生であっても、自分が選択したものだったら、どんなにか良かったと思ったことでしょう。
歪んだ愛情に支配されたわたしは、外でも歪んだ愛情を求めました。そして虐待されました。逃げた先でも虐待されました。わたしはそれしか人間関係を知らなかったからです。

虐待それ自体が人間関係だと思っていました。
人間関係とはいつもつらいものでした。
だから、わたしはひとりでいる時間が好きでした。
ひとりでいる時間は誰もわたしを虐待しないからです。

さみしいときもありました。
だから、虐待する相手のところに舞い戻りました。虐待が愛ゆえだと信じました。「わるいわたしを直すためだ」と信じました。アドバイスはいつも口に苦いもの、と思っていました。

わたしはキツい思いも苦しい思いもしなくて良かったのだと知りました。
生き物は、いやなことから逃げます。それは本能です。逃げなくては死んでしまいます。
人間は柔軟性があるので、多少の利害関係の上で、理不尽に耐えますが、許容量を超えたら、死んでしまいます。

わたしは死にませんでした。
それが良かったのか、悪かったのか、わかりません。

でも、今は生きていたいと思います。
それは、わたしが少しずつ美しく快い世界を手に入れたからだと思います。
虐待以外の人間関係を知ったからだと思います。

軋轢もねたみもある人間の社会は複雑で、ちっともなじめそうもありません。
でも、虐待されたのに逃げることができたわたし自身を少しは信じたいと思います。

わたしは恨んで憎んだわたしを好いています。
また、恨みや憎しみでいっぱいになって、苦しむ時間があるでしょう。
でも、それは生きるために必要な時間なのです。
わたしは恨みや憎しみを大切に丸く抱いて暮らします。


呪縛 奪われていたわたしの人生

わたしは長女です。
家では、いい子をやっていました。
母親には家庭の問題を外に話すなと強いられていたので、友だちはできませんでした。心を許す相手と言うのがいませんでした。

母親はヒステリックな人で、怒鳴ったり、暴れたり、引きこもったりしました。

成績優秀、文武両道、それがわたしに課せられた役割でした。

妹は早いうちにドロップアウトして楽しくやっていました。
門限が何時間も違うので、親に聞いてみたら「お姉ちゃんは家出をしないけれど、妹ちゃんは家からいなくなっちゃうでしょ?」と言われました。

妹は、比較的早く結婚をしていました。母は結婚を許した自分の寛容さに酔いしれていました。

わたしは高校生のときに良い子をやめました。そのせいで、付き合わなくても良い連中と付き合い、きつい人生を送りました。秘密がなければ、普通の女の子と友だちになれたのに、と今は思います。それでも、わたしは枠を破れたので、漫画の女の子よりはましだったかもしれません。良い子をやめましたけれど、悪い仲間と付き合ったので、ひどい目にもたくさん遭いました。
それでも、夜の日に見た桜や、夏のにおいをかげたことは、わたしにとって大切な思い出です。

母親はわたしの人生に何一つ責任を取ってくれないのだ、と知ったのは、二十七歳のときです。二十歳そこそこのとき、「頼むから就職しないでくれ」と頭を下げられて、わたしは就職活動をせず、結果的に自立できませんでした。二十七歳に初めて働くことになったので、就職はとても大変でした。

わたしには、こんな風に思える子ども時代がありません。うらやましいなと思います。わたしは子どもの頃重圧に押しつぶされそうでした。これからどんなことがあっても、あのときの絶望、重圧、未来などないという感覚にはなりそうもありません。
今は大人だから、自分で自分の環境をコントロールできるし、逃げることも、戦うことも、できるからです。
こんな風に子ども時代を振り返る人がいるとは新鮮でした。こういうのを見るとうらやましいと言う気持ちがわきます。

わたしは、長いこと患っていました。許可を得る形で、精神科に通うことになったのは、「どうなろうと自分で責任を取りなさい。興信所で調べられて、結婚も就職も不利になるけれど、それでも良ければ自分の責任で行けばいい」と言われた二十歳を過ぎた誕生日月のことです。母は「病院に行かせてあげるわたしに感謝しなさい」とも言いました。「精神科に行かせてやる親なんかなかなかいないよ。普通はだめっていうからね」と言いました。

母は精神病に限らず外科ですら、わたしが病院に行くことをひどくしぶり、わたしは中学生の頃からひとりで病院に行っていました。家の外で倒れて、救急車で運ばれ、点滴を打っているときに、胸ぐらをつかまれたことがあります。入院するときは、大人になってからは特に、ひとりで入院して、ひとりで退院しました。お金も自分で払いました。そのお金は父からもらいました。

わたしが健康でなかったことを、母は憎んでいたように思います。けれど、わたしが健康になってしまったら、母と暮らしはしなかったと思うので、母は不健康であるわたしのことを支配する機会として利用していました。厄介なことに無意識に。彼女はそれに対して、意識的だったら改善したと思います。でも、もしかしたら、意識的にそうしていたかもしれません。彼女は頭は悪くない女性でした。

わたしは二十七歳のときに初めて就職しました。その自由に驚きました。労働環境は悪かったのですが、媚を売って生きていたそれまでと比べ、大人として認められ、自由なお金があることは素晴らしかったです。長患いしていた病気はあっけなく治りました。母と離れる効果は大きかったです。

それでもすべてを支配されていたわたしは「何が正解で、何が不正解か」にとらわれ、自分で判断して何かすることができませんでした。
百円均一で何かを買うことが恐ろしくてできませんでした。
笑われたらどうしよう、またおかしなものを買って、と言われたらどうしよう、と思いながら、脂汗を流しました。
服装も、いつも二十年前のお下がりを着ていて、いつも外に出るのが恥ずかしかったので、友だちと遊んだりもしませんでした。
妹はいつも新しい服を買ってもらっていました。
お姉ちゃんは、服に興味がないからね、そう言われていました。

わたしは母からも妹からも、頭がおかしい、病気だ、人格性境界例だ、と言われて育ちました。おしゃれじゃない、友だちがいない、そういうことを責められて生きていました。妹には「お姉ちゃんイ虐待された」と責められていました。虐待していたかもしれません。わたしにはもう思い出せないし、処理もできません。していたのでしょう。
でも、わたしは虐待されていた、と相手を責めることなく家を出ました。言っても、意味がなかったからです。
わたしはいくら泣いても、誰も助けてくれないと信じて生きていました。

母には、墓守を頼むと言われていました。
妹はそれを言われたことがなかったと思います。
いつも、お姉ちゃんは良いな、おかあさんと話せていいな、わたしは相手にされていない…わたしはネグレクトされていると言っていました。

勉強をすることは生きる上で、罵倒されるよりも安らかな逃げ場でした。
勉強は、わたしに、何も言ってきません。頭が狂っているとか、おねえちゃんはおかしいとか、あんたは非情な子だ、と言ってきません。祖母は、わたしに非情な子と言いました。

そのときのことが今仕事で役に立っています。だけど、わたしは二番目のおかあさんの言うように、その経験に感謝することができないでいます。そして、感謝せよ、と言われると胸がざわめいて悲鳴を上げたくなります。
わたしはあんな経験をしたくありませんでした。したくなくても、せざるを得ませんでした。子どものころも、大人になってからも、逃げられると知らずに生きていました。
大人になってからも、新しい価値観を知らず、「正しい/正しくない」の世界でいました。
病気になって、病気が深まることで、ようやく逃げられたと思います。
死にそうにならなかったら、わたしは見切りを付けられませんでした。

わたしはだめな長女でした。長女らしく、妹を守りはしませんでした。それでも、わたしは長女としての型にはめられていて、そこから逃げるのに人生のほとんどを捧げました。

わたしは振り返ってはならないと思います。振り返る時間が、あの家族と関わる時間になってしまうからです。もう逃げたのに、頭の中がその世界に戻ってしまうことは、苦しいと思います。わたしはいやです。

母親は大学時代もわたしを束縛して、長期休みのほとんどを家で過ごすことを強いました。わたしは若い時代を母親をかわいそうだと思って過ごしました。

今ではわたしがかわいそうだと思っています。
一分一秒でも、母親に時間を上げたくないと言うのが今の気持ちです。
奪われていたわたしの人生は、若くて楽しいはずだったわたしの人生は、絶対に帰ってきません。母親はわたしに責任を持ちません。

わたしは、若くなく美しくもない中年としてこれから生きていきます。若くて楽しかったはずの時代を、奪われたことを考えるときが狂いそうになります。でも、前を向いて生きていかないといけません。そして、その決意自体が、本来はいらないものだと感じて、息苦しいと思います。そうした決意をしないといけないこと自体が、わたしを苦しめます。