好きなものに囲まれています

好きなものに囲まれて過ごしているなあと思います。

今日は調子が良く、眠れたし、食べられました。
野菜をきちんと食べると、次に野菜を調理する元気がわきます。

夕方だるくなりましたが、おやつを食べたら元気になりました。

太っているのを苦にしていますが、他に誰に迷惑をかけるわけじゃないし、野菜をたくさん食べるように心がけるくらいにしたいと思います。

塾を辞めた生徒さんがいなくなって、さみしい思いをしていましたが、新しい生徒さんもとっても可愛いです。
前の生徒さんは、ちょっとエキゾチックな美人だったのですが、今度はアイドルみたいな美人です。高校生みたいに見えるけど、まだ中学生で、細い手足が素敵です。隣で見ていると長いまつげと大きな瞳にノックアウト寸前です。わからない問題が解けると、子どものように「わあい」と喜んでときどき拍手します。子どもだから子どもなんですけど、見た目がお姉さんなので、ドキドキします。

わたしは、自分のことをおばちゃんだなあと思う比率が増えてきました。何がどうというより、子どもの輝きには負けます。そのかわり、ずっしりしたよいっしょ!という良さが出て来たように思います。わたし自身、子どもでいたいという欲求があったのでしょう。
最近は、若いひとのために、役に立てたら嬉しい、頼られると嬉しいという気持ちが自然と出て来て、頼りたいと、渇望していた気持ちがなくなりました。

わたしは物持ちがよかったのですが、たくさんのものを捨てました。
捨てるきっかけがあったからです。それは外因的なものだったので、つらかったですが、今では捨てられて良かったなあと思います。思い出のものはあまりいらないようです。今の生活に必要なものがあれば良いような気がします。

でも、買い物が好きで困ります。買ったら、捨てるようにしています。
買うのは、太ってサイズが変わったからです。
小さい服を無理矢理着ると、惨めになります。痩せたら着ようと思っていたのですが、今の自分が似合う服を着たいし、居心地よく過ごしたいと思います。
だから、いらない服を捨てるのは良いことだと思います。

若い子が着るような服を着るブームは去りました。
周りのひともぎょっとしなくなってすんで、自分でもおばちゃんが無理に若作りをしている、という気持ちから逃れられて、ハッピーな結果になりました。

今でもふりふりは着ますが、丈が長いものを着ます。また、短いものが着たくなるかもしれませんが、そのときはそのときです。着ます。

生徒さんが喜んでくれる指導を考えるのは楽しいです。
少しずつ、わたしも教えるのがうまくなりますし、教えることの意義がわかってきました。

勉強は、自分でできるものですが、調子の悪いとき、人がいると、頑張れるという作用があって、そのときわたしは後ろから押してあげる役なのです。だから、対価がもらえるのだと思います。

知識も大切ですが、そういう役割を果たすという心構えを持っていることも大切だなあと思います。


一日が二つある

一日が二回あります。午前の部と午後の部。

今度は午後の部で嬉しかったことを書きます。

一時からヘルパーさんが来て、掃除と食事を作ってくれます。今日は煮物と、さやいんげんのサラダとスナップインゲンをゆでたの。楽しかったです。午前中にもらった野菜です。

新しい生徒さんはびっくりするほど美人で大人っぽく、でも中身は子どもで、慣れるまでどきどきしそうです。でも、わかると、「わあい」と喜んでくれるので、やりがいはとてもあります。去年のわたしよりも、より良い授業がしたいです。

仕事では、会社の先輩が褒めてくれました。
わたしが書いた文章を気に入ってくれて、新しい文章を書いてほしいとのことです。
無報酬ですが、良いことなので、やろうと思います。

軽トラさんから、自発的に、初めて電話がかかってきました。
ちょっと嬉しかったです。


今はお風呂上がり

今はお風呂上がりで、さっぱりしている。

朝起きてから六時間も経過している。
今までだったら、十時に起きていたので、四時くらいの感覚だ。

朝五時に起きて、歩くときの空気のにおいは気分がいい。
からだを動かして働くのも、ものを売る仕事をするのも楽しい。売れると嬉しい。失敗するとがっかりする。家に帰ると全部忘れる。

今日は朝九時半から、ヨガがあったので、バイト帰りにそれによってから買い物をして、文学フリマの振込を終えて帰って来た。途中で、二番目のおかあさんの車に乗せてもらった。パンと靴と野菜をもらった。

今日は、揚げ物を揚げていない時間から売ってくれと言われたので、揚げた。油を温めるのに時間がかかるから、すぐには揚らない。そのあとも、いつもよりも揚げ物が二倍くらい売れた。フェアをやっても売れないときがあるのに、何をしても売れるときはあるんだね、とYさんと言い合った。

その他ミスがあって、店長の奥さんに怒られた。滑舌が悪い、と聞いていて思う。怒る声は耳障りに聞こえるし、チークがつけ過ぎだし位置が低すぎる。そういうことを眺めて過ごす。人当たりの悪いひとは損だ。

Yさんにこぼして、「専業で働いているわけじゃないんだから、朝のみんながいやがる時間をほどほどに守るだけで、給料分は働いてるよ」と言ってもらう。やっぱりこのひとは頭がいい。このひととシフトが同じでよかったと思うし、ミスの注意の仕方からして有能だから、尊敬する。それは、「自分が注意されるとき同じように言われたい」言い方をするんだと言っていた。やっぱりかっこいい。東京に住んでいたことがあるそうだ。やっぱり。やっぱり、田舎者って言葉はあるけれど、一度、他の共同体に出たひとは、優しい。

一日充実した気持ちで過ごせた。今日は一日がいったん終わる。一時から、またヘルパーさんに来てもらって、掃除と料理をする。それからまた仕事をして、頼まれた文章を書いて、夜になって眠る。


まんことちんこの法律論

三権分立は、法律を作ることと、法律を運用することと、法律で裁くことを別にしています。

それは、恣意的な運用を避けるためです。

今日は、わたしが考えたことや思ったことを知っている範囲の知識で書きます。

ろくでなし子さんが逮捕されました。
たくさんのひとがショックを受けました。わたしもショックを受けました。黙っている方が良いような気がしているうちは書かないでおこうと思っていたのですが、わたしなりに書けることがある、書きたいと思う気持ちが高まったので書きます。

わたしは個人的にはろくでなし子さんの活動が好きです。
性におおっぴらだと怖いと思うひともいるのを知っていますし、隠してこそありがたみがあると思うひともいると思います。

わたし個人は隠したいひとは隠せばいいし、おおっぴらにしたいひとはした方がいいと思います。
でも、今はその選択ができません。

たとえば、子宮内膜症を患っているときがありました。
わたしは内診が平気でした。
それは医療行為だからです。

でも、それをことさらにいやらしいことのように受け取る文化があることを知って驚きました。
それはとても愚かしいことです。
からだの一部の話を自由にしたいと思います。
病気の話をするのがどうして悪いのでしょうか。いやらしいのでしょうか。いやらしいとはなんなのでしょうか。
医療行為をいやらしいと感じるひとの品性が、卑しい、さもしいのではないでしょうか。

わたしの場合、エロいという単語の意味を未だにわかっていません。

裸や、性器そのままだとエロティックだとは思いません。裸だなあと思います。
それに意味をつけるには文脈が必要だと思います。

今はからだの話をするのにも、気を使います。

アートは既存の社会を攻撃するものもあります。既存の社会を攻撃しないアートもあります。それらは、政府や国家に守られます。例えば、会田誠さんのアートは後者に属するでしょう。彼のアートは守られていることからそれは明らかです。

ろくでなし子さんは、まんこに、エロ以外の文脈をつけ、違う意味をつける活動をされていました。

ろくでなし子さんのアートは攻撃的なものです。
だから、いろいろなひとがショックを受けたり、嫌悪感を感じたりするのは当然の反応だと思います。

男性の性器を祭り上げるのはいたって普通のことです。
女性の性器を表に出すのは普通のことではありません。なので、ひとはショックを受けます。男性の性器に関して、ひとがショックを受けるのは、それを傷つけたときです。男性の性器を傷つけることは反社会的なものです。女性の性器が反社会的になるのは、それを「存在する」と気づかせる行為そのものなのですが、男性の場合は、「性器を傷つける」ところまでいかないと反社会的にはならないようです。

なぜならば、国家は法律によってできています。縛られていると言ってもよいです。
その縛るための法律を作っているのは、ちんこを持っている人たちです。男性とは、日本では、基本的には男性の性器を持っているひとが戸籍に登録されます(例外もあります)。なので、ここでは男性のことをちんこを持っているひとと書きます。

だから、国家は、ちんこを傷つけるひとがいると聞くと、大きく驚き、急いで行動します。
また、まんこがあらわにされたと知ると、慌てます。
国家はちんこが支配しているのです。

ちんこを持っているひとが立法し、運用し、司法します。
ちんこをもっているひとの価値観で、じぶんたちにとって「いやらしいもの」「性的な気持ちを呼び起こされるもの」を規定します。だから、日本において、法律の上では、女性の気持ちは「ちんこを持っている人たちが想像した女性の気持ち」ということになります。
ちんこを持っている人たちは、自分たちがまんこにたいして、いろいろな気持ちを持っているものですから、まんこを持っている人たちも同じような気持ちでいるだろうし、そうでいてほしいと思っているのだと思います。

まんこを規制する法律はたくさんあります。中絶、売春、わいせつ物をみせてはいけないことなどがすぐに思い当たります。それは基本的に、まんこを持っている人たちを縛るものです。

まんこを持っているひとを縛る法律を、作るのも、運用するのも、使うのも、全部ちんこをもっているひとたちがしています。

これって、三権分立が保たれていると言えるでしょうか?

同じ立場のひとが、一方的に、恣意的に法律を使えてしまいます。そうすると、まんこを持っているひとたちの人権が守られません。

外側からは、別の組織が動いているので、三権分立が保たれているように見えますが、本来の三権分立の魂からはかけ離れた状態だと言えると思います。
一人の王様の横暴から、身分の低い民衆の人権を守るというもともとの意味です。

良く知られているように、日本では、まんこを持っているひとたちの人権はあまり守られていないのです。一種類の価値観を持っているひとたちが一方的にいろいろなことを決めてしまえるからです。それはひとりの王様しかいない国家であるのと同じことです。こと、まんこに関しては、一見、国家の運営にたくさんのひとが関わっているように見えますが、多様性がないため、ひとりの王様が好きなように振る舞っているのと同じことになってしまうのです。

身分の低い、しもじもの人間であるひとたちが、国家に対してできるひとつの攻撃の仕方がアートです。

そして、それが成功したため、ろくでなし子さんは逮捕されてしまったのだと思います。

わたしはひとりのまんこを持った生き物であるため、この文章を書きました。


普通じゃない脳

わたしは、普通になりたいと思っていました。
なぜならば、普通は良いと言われていたからです。

実際には勉強ができるとか運動ができるとか性格がいいとかすると、褒められましたが、その一方で、迫害もされるひとが多いようでした。
埋没することに全神経を注いで、すべての能力を使い果たしているひとも多いことから、普通はそれほど価値があるのだろうと学んでいました。

けれども、わたしは、実際のここの事案になると、埋没するための努力を放棄することが多かったです。
そのせいで、迫害されることが多かったです。

わたしは勉強ができる一方で、社会的常識に疎く、運動能力もあまり高くありませんでした。勉強ができるせいで、実際には情緒面が幼かったのにも関わらず、ちゃんとしていないのは、努力不足と見なされました。

わたしは、それがつらかったです。
発達障害者を見抜けるというひとには、多く出会いましたが、わたしを発達障害だと見抜いたひとは、いませんでした。お医者さんが検査しただけです。

思うに、素人が、あのひとは発達障害に違いない、というのは占いにも似て、百害あって一利なし、というところだと思います。
ただ、ヘルパーさんも言っていましたが、発達障害者向けの言い回しは、バリアフリーにも似て、定型発達のひとに対しても、有益ではないかと言うことでした。つまり、禁止を抽象的に言うのではなく、具体的に指示する言い方は、定型のひとのコミュニケーションも円滑にするのではないかということです。

コンビニで働いているシフトが同じYさんは、「冗談じゃないよ」が口癖で、皮肉っぽくて優しい女性です。手を抜くところがしっかりしていて、安定した接客ができるコンビニのプロです。あんな素敵な女性が、時給七百円から八百円で働いているとは信じられないほど有能です。気が利きますし、頭が良く、状況を見るに敏で、ゆっくりした動作に見えますが、最小限の動作でレジをするので、回転が速いです。彼女は、知って知らずか、わたしに具体的に指示します。何時に、何をするか、何を何本揚げるか、ぞうきんをいつ洗うか、など。
もう一人、次のシフトの女性も、具体的に指示をだしてくれ、わからないときには、初めてだったり、二回目だから、しかたないよ、と慰めてくれ、そうでないときもさりげなくフォローしてくれるひともいます。厳しいひとは、わたしの雑なところを観察して、教えてくれます。

わたしの働いているコンビニは、比較的、発達障害のひとに対して、バリアフリーな職場です。しかし、コンビニ自体は、二つ、三つの作業を同時にこなさなくてはいけないので、バリアフリーな職場ではありません。

わたしは普通ではありませんでした。
脳自体が、普通の人とは違っていたのです。
だから、感情や情緒、しぐさなどが、普通の人とは違っていました。
いくら努力しても、普通の人にはなれなかったわけです。

そのことを受け入れるのは比較的容易でした。

わたしなりの葛藤や苦しみはありましたが、仕事についてしまえば、消散してしまうようなものでした。
なぜならば、定型の普通の人と見られる人たちも、案外幸せそうに見えなかったからです。

良い大学に入っても卒業しても、大企業に入れるのは、宝くじに当たるようなものです。大学に入るのは宝くじを買うようなもので、当たることは保障していません。
そのことを、わかるまではたいへん苦しみました。

そして、大企業に入っても、それが良い企業だとは限りません。また、良い企業だとしても、自分にあった業務に配属されるとは限りません。みんな、適応力が高いので、なんとなくこなせているだけです。でも、真の喜びを持って働けるひとは一部のようです。

わたし個人のことを言わせていただければ、普通をあきらめた後は、案外幸せで、太ったことを除けば、体調も良く、仕事も自分にあっていると思います。

仕事が自分にあっている、ということは、わたしにとって、とても重要なことでした。それがわかるまではとても苦労しました。
そして、仕事があっていると、障害の苦労も、和らぐように感じます。それは、上司や、先輩の相性も大きく影響しているので、業種がすべて影響しているとはいえませんが、それでも、自分の能力を生かせるというのは快いものです。

普通の人が普通になっても、幸せになることが難しいのに、そもそも脳が違っているわたしは、普通に対してハードルが高く、その上で普通を目指してから、幸せになるのは、迂回しているのと同じで、とても難しいようです。

軽トラさんとデートすると、とても眠くなります。
以前はひとと二時間いるだけで、うつろになりました。
その状態が和らいだとはいえ、一日人間といるのは、とても疲れます。

軽トラさんといるのが疲れるのでなく、軽トラさんが人間だから、疲れるのだと気づきました。

でも、それはたいしたハードルではありません。彼は比較的ユーザフレンドリーな人間だと言えるでしょう。

なぜならば、歩み寄る気があるので、わたしが多少奇異なことをしても、そういう人間なんだなあと深く考えないからです。深く考えないのは、美点だと思います。彼が悩んでいるのは、自信のなさ(自分に対する自信のなさではなく、わたしが彼に対して好意を持っているかどうか)などや、わたしが退屈していないかなのです。

したがって、わたしが苦労しているのは、自分の障害そのものではなくて、わたしの障害と対峙する他者との関わりによるものが大きいのだと思います。

わたしが発達障害だと知らなくても、気づかなくても、コンビニのYさんや、軽トラさんのように、わたしが過ごしやすい環境を知らず知らずのうちに提供してくれるひともいるし、そうでもないひとももちろんいます。

わたしができるのは、そうしてくれるひとと一緒にいることを選ぶこと、運命を受け入れること、そして、ささやかに世界を変化させようともくろむことの三つです。

追記:題名は、脳がふつうじゃないの、を圧縮しただじゃれです。各自笑うように。


手ぇつなぐのか、つながないのか案件

いくらなんでも手くらいつないでもいいと思っていた。

なぜならば、会って9回目だ。一ヶ月半だ。しかも、毎週会ってる。
週三回会った日もある。週末は六回過ごしている。家に来たこともある。

十二時に約束していたのに、やっぱり十時にしようと言われて確信した。
このひとは絶対にわたしに会うのを楽しみにしているし、少しでも早く会いたいと思っているに違いない。可愛い。

送れると連絡があったので、十時十分に待ち合わせ場所に行ったらいなかった。なので、少し離れたところに探しに行ったら、五分後に来た。いなかったから、コンビニでジュース買っていたそうだ。野菜ジュース二本。
飲む?って聞かれたから、いらなーい、と答えた。
「ごめんね、いなかったから、コンビニの中入って待ってた」とのこと。
車を少し離れたところに止めて、そこから走って来たらしい。二日前に熱が三十九度あったひとが!

「走らなくても良かったのに」「でも、待ち合わせに遅れちゃうと行けないから」と言っていた。
待ち合わせをぶった切るひととばかり付き合っていたので感動した。走って会いに来るひとなんて、今まで一度も付き合ったことないよ。今、付き合ってはないけど。

「文化祭行こうよ」と言って誘った。
「美術館行く前に行こうよ」というと、「どうして」と聞かれたので、
「生徒さんがいるのと、わたしの母校だから」わたしは今まで自分の母校の話をするのを避けていた。わたしの母校は近隣で、一番偏差値が高い高校なので、ひとによっては「すごいですねえ」と言って、引いてしまうのだ。わたしも今更「すごいですねえ」と言われたらいい気持ちはしない。嫌な気分になる。
「そうなんだ」と軽トラさんはさらっと言った。だから、良かった。

歩いて十五分くらいして、高校に着いた。わたしは自分の高校の文化祭が人気なのが誇りだった。近所のひとがこぞって来るのだ。ステージはわたしの頃よりもしょぼくなっていたが、それでも設置がちゃんとしてあった。ダンス部の人たちが踊っていた。

「へえ。かき氷安いね、食べる?」と言うので、「ううん、どっちでもいい」「おれもどっちでもいい」じゃあ、中見てこよう、と言って、中を歩いた。
「図書委員だったんだよ。懐かしい。よくここでたむろしてた」そんな話をしながら歩いた。
「高校生って、子どもなんだねえ!」
「そうだよ!うちら、おばさんとおじさんだよ!」
「こんな子どもだと思わなかった。もっと大人っぽいかと思ってた」
「子どもなんだよう」
「顔が幼いね。中学生みたい」

かき氷をごちそうしてくれるというので、レモンにした。軽トラさんはカルピスを食べた。
「ちょっと楽になった。涼しい」と言ったので、暑くてつらいんだなあと思った。咳も悪い咳をしている。

「走るから、汗かいて、冷えちゃったんじゃない?」
「でも、遅れたら、まずいじゃん」
「まずくないよ。わたしだよ?」
「だって、時間だもん」と言うので、本当に良いひとだなと思った。時間を守ってもらったことなんてないよ!

それから美術館に歩いていった。ちょっと歩いた。手をつなぎやすいようにバッグを持ち替えたり、近くを歩いたりしたけれど、手はつながなかった。なんとなく、このひとは手をつなぎたがっている、というような予感があったのだけれど、違っていたようだ。

美術館では日本画を見た。わたしがおごった。
「出してもらってすみませんねえ」と言われた。
日本画はおもしろかった。
「この妖怪の絵、家にあったらうきうきする」とわたしが言うと、
「そうかなあ、気持ち悪くない?この絵さあーすごいのかもしれないけど適当っぽい。落書きっぽい」
「でも、線見るとよれてなくてさっと書いてあるからやっぱうまいんだよ。余白の使い方うまいし」
「なんか鑑定士みたいなコメント」
と話しながら見た。

美術館を出た後、屋台と遭遇した。屋台は、お店の屋台じゃなくて、着物を着て、おしろいを塗った女性が座って長唄を歌う屋台だ。そろいの浴衣を着たひとや紋付袴を着たひとがたくさん歩いている。
「これ、見たかったやつ?」
「そうそう、できれば見たかったやつ」
「見られて良かったね」
「すごいね」
「女のひときれい、すごく」
「化粧でしょ」と軽トラさんが言った。
「屋台、すごいね。写真撮ろう」と軽トラさんがスマホで写真を撮った。軽トラさんは
「これ、組み立てるんだよ」と嬉しそうだった。

歩きながら、「Tシャツ買いに行ってもいい?」と軽トラさんが、Tシャツをばたばたさせながら聞いてきた。
「寒い?」
「汗かいて、着替えたい…」
「うんと、ここから近いのはあの店かな」
「すみませんねえ」と言いながら、お店まで行って、Tシャツを買った。
「年齢層が高い」
これはひどい
「ポケットがなければあるいは」
「高い」
などと言いながらいろいろと見たけれど、下着売り場に普通の無地の黒いTしゃつが七百円くらいで二枚入りで売っていたので良かった。
「トイレで着替えてくるね」と言っていたので、待った。
まだ、十二時だった。
「ごはん、何食べたい?」
c71ちゃんの食べたい方」
「わたし、ほんとになんでもいいよ。洋風と和風どっちがいいの?」
「ほんとにおれが決めていいの?」
「もちろんいいさあー」
「じゃあねえ。和風がいい」
ということで、近くのおそば屋さんに行った。
「ここはおれがごちそうしますよ」
「いいんですか」
「いやですか」
「いや嬉しいです」
「おごらせてください」
「ありがとうございます」
などと言った。おそばはおいしかった。

食べる前に、軽トラさんが下を向いてふにゃふにゃ笑うので、
「どうしたのさ」と聞くと、
「だって…、c71ちゃんがじっとこっちを見るから」
「だって、他に見るものないからね」
「いつも何見てるの」
「テーブルの、ここ」といって、テーブルの真ん中を指した。
「ここらへんみてる」「目が悪いから?」「そう。今眼鏡してるからよく見えると思って。どんな顔してるのか覚えようと思って」「覚えた?」「わかんない」

食べた後、ふらふら歩き出して「どこに歩いているの?」と聞かれた。
「わかんないけど、車置いてあるとこ?」
「これからどうする?ふらふら歩く?歩くのも良くない?」
「歩きたくない。んー、うち来て、だらだら漫画読んでもいいし、映画観に行ってもいいし、ラウンドワン行ってもいいよ」
ラウンドワンはいやでしょ。歩くのはいやなの?前歩くの好きって言ってたじゃん」
ラウンドワン、この前楽しかったからいいよ。歩くのは三時間歩いたからもういい」
「映画見たいのある?」
「オールニードキルイズユー見たい」
「じゃあ、それ見ましょうか。これ、割り勘でもいいですか」
「そうしましょう」飲み物とかは買ってくれた。
「最近の映画って、3Dが多いの?」と聞かれたので、「そうみたいだね」と答えた。
「あんまり、映画観に来れないから、慣れない」と言っていた。
映画館で、手を握ってくるかな、と思ったけど、それもなかった。がっかりした。

でも、なんだか、わたしから、手をつなぐのはいやだった。負けたくなかった。勝ち負けないけど。

そのあと、「映画面白かった」と、軽トラさんが喜んでいたので嬉しかった。それから、オールニードキルイズユーでわからなかったところがあったらしいので、解説した。
「アクションアクションしていてよかった」
「そだねえ」
「おもしろかったねえ」
「おもしろかった。それにしても、映画も見終わってしまった。もう、わたしにはなんのネタもない。どうしようもない。終わり!!!わたしがんばった!!!」というと、
軽トラさんが、下を向いて、ふふふ、と笑っていた。

駐車場まで歩いていって、「ドライブしようか」という話になった。遠いところに意気地感もないしねえ。動物園は遠いしねえ。もう歩きたくないよ。そもそも、閉園時間になるし、とか言いながら、少し大きい公園に行くことにした。

「この公園来たことある?」あるけど、十年以上前に来たから覚えてない、と言った。
人気がなくて、施設もしまっていて、だだっ広い感じがした。
「日が長いねえ」
「もう六時だしね」
犬の三歩をしているひとや子ども連れが時々通っていた。
ベンチに座ろうと軽トラさんが誘うので、ドキドキしながら座った。隣に座ったことは、車を除いてはこれが初めてだ。最初は少し離れて座ったけど、少しずつ近づいて来た。
さりげなく、手を置いてみたけれど、手をつなげなくて、がっかりしたような安心したような気がした。

「ゾンビが恐い」と言う話をすると、「ゾンビが恐いの?」と軽トラさんが、また下を向いて、くくく、と笑った。
「ゾンビ、何が怖いの?」
「死んでるから殺しても死なない」
「それで」
「あと、追っかけてくるし、食われる」
「そうだねえ」
「だから、先に早めにゾンビ化したい」
「早めにゾンビに鳴ったら怖い思いしないから?」
「そうそう。あと、深海魚怖い」
「怖いけどさあ」
「深海魚、泳いでたら、隣にいたらどうする?大王いかとか。こーわーいー」
「いないし」
「いるかもしれないじゃん。海はつながってるんだよ。あと人魚とかいるかもしれない」
「いないし」
「いるかもしれない」
マナティだから」
マナティ髪生えてないもん。大王いかは伝説だったけどいたじゃん。絵にも描いてあったじゃん。いないって言われてたけどいたじゃん」
「見たことないものは信じません。大王いかはいるけど、人魚いないでしょう」
「いるもん。いるかもしれないもん」
と話しながら、わたしは、今ちゅーしたら楽しいだろうなあと思っていた。

いい時間になったので車に戻った。車の中で質問をした。
「軽トラさんさあ、自信ついた?」わたしは、正直なところ、自信の意味がよくわからなかった。
「自信」と言って軽トラさんは赤くなった。
「今のままじゃだめですか。前より、前向きに、前向きに考えています。c71ちゃんのことは特別な女性だと思ってるし、だめですか」
「今のままでいいよ、たのしいけど、でも、手とかつなぎたくなんないのかな、と思って」
「思うよ」
「どういうとき?」
「歩いてるとき。手、つなぎたいと思います。オーラ出てなかったですか」
「出てなかったですね」
「出てなかったかもしれないです…。恥ずかしがりやなんです」
「今、恥ずかしくなかったですか。アラサーで自分で恥ずかしがりやって言うのは」
「中学生だと思ってください」
「中学生には見えないですね」
「そうですね、すみません…」
という会話をした。
「わたしだって、自分から言うのは平気なわけでなく、恥ずかしいわけですよ」
「ハイ」
「まあそんなことで」
「夕ごはん、何にします?」
「なんでもいいよ。お好み焼きとかどう?」
「いいねえ。それもいいけど、今思いついたけどオムライスとかどう」
「いいよ」
「じゃあひとに聞いたところなんだけど、そこにしよう」
と言って、オムライス屋さんに行きました。少しずつ分けっこして食べました。おいしかったです。

「蛍のところまで、近いから見に行こうか」と言う話になって、蛍を見に行きました。
「時期どうかな。時間はちょうどいい?」
「時期も時間も遅いかもしれないけど、見に行こう」
わたしは、車の中で、軽トラさんの髪を触りました。
「ゴミ着いてた?」
「着いてないよ?」
「?」
「触りたかったんです」
と言った。軽トラさんは無言だった。

蛍を見に行ったら、たくさんいて、木の中や草の中で点滅していた。曇り空で、月明かりが明るかったので、「それがなければもっとよく見られたかも」と、軽トラさんが言った。

わたしは、軽トラさんの手を捕まえて握った。軽トラさんはびっくりしたようだったけど、手を握り返して、ぶんぶん振った。そして、しばらく無言で歩いた。蛍が綺麗だった。軽トラさんは蛍を捕まえて見せてくれた。緑色のような、黄色のような、柔らかい冷たい色をした光が点滅していた。クリスマスツリーのように、木に蛍の光が映っていた。わたしは抱きついてキスしたいみたいな気持ちになっていたけれど、やめた。手をつないでいるのがひどく嬉しかった。手をつないでいることについて話はしなかった。

蛍が綺麗だということをずっと話していた。
まだ見られて良かったね、とお互いに言い合った。

それから、駐車していた軽トラに戻って、家まで送ってもらった。
「軽トラで遠出するの疲れる?」と聞かれるので、「正直疲れる」「でもね、ホンダの軽トラは一番、クッションよくて、ちょっと作りがいいんだ」「ふうん」「ちょっと見栄はりました」「見栄だったの?」「ちょっと」「ちょっとすぎてわかんなかった。そうなんだーって思った」「次の日曜日空いてますか」「ちょっと待って…空いてる」「バイトもない?」「うん」「一日空いてたら…。もしよかったら遠出したいんだけど」「いいよ。大丈夫」「そっか」と言っている間に家の近くに着いた。
「じゃあ、次の日曜日に」と、軽トラさんが言った。
わたしは、無言で、軽トラさんの左手を右手でつかんだ。手首をぎゅっと握って手首を返して、指と指の間に、指を差し入れて、組んだ。
軽トラさんは何も言わなかった。わたしも何も言わなかった。そして、軽トラさんの顔を見た。軽トラさんは、わたしの顔をじっと見て、困ったような悲しいような、真剣なような顔をしていた。
手を引っ込めようとしたら、軽トラさんは、自分の方へ手を持っていった。そして、強く握り締めて、右手でわたしの手を包み込んだ。
「キスしていい?」と言ったので、うなづいた。「いいよ」と言った。
「目、閉じて」と言ったので、閉じた。

じゃあ、またね、来週ね。とお互い言って、元気よく別れた。


ちゅーしたくない事案

今日はデートなのですが、もしちゅーという事態になったとしても、ちゅーしたくないかもしれない。
したいんだけど、したくないっていうかてれくさい。もごもご。

朝起きてシャワーして髪洗ってパックして、足マッサージして、もう一度寝るし化粧もするし香水もつけるし、つまり楽しみにしているんだけど、ちゅー…ちゅーしたいのかな、したくないのかな。

ともだちと言われたからっていうのはまあ理由にならないんだけど、もしちゅーということになってもまだ早いといってぶちこわしそう。照れくさくて。

あと、関係ないのに、太ってることが、コンプレックスになってて、本当にわたしでいいの?みたいに思う。それを決めるのは相手なんだから、わたしが言うことじゃないんだけど。

うういい年して、よくわからないことになった。
こんなことで悩まなくても、と思う。


わたしの一日

朝、三時に目が覚めてスイカを食べる。
なぜならば、睡眠薬が苦いからだ。だから太る。ルネスタは苦い。わたしは寝る前に十錠くらい薬を飲む。

そして、また眠れれば眠る。五時にスマホが鳴って、うなりながらベッドから落ちる。目を閉じると一瞬で十五分くらい経っているから怖い。床の上で五分ぐらいうなりながら、水を飲んで、できたら野菜ジュースを飲んで、着替えて、顔を洗って、メイクをして、髪をとかして、出かける。これだけでも以前と大違いだ。

以前は朝起きず、ようするに顔も洗わず、昼間で眠っていてはやることがない上に頭が痛いので七時くらいまで寝る。それは夜の七時だ。そういう生活をしていたら、そもそも、どうして顔を洗うのか理解できないことになった。

退院してから、一週間に二時間働くようになった。最初は、働くのが怖くて、三日前から震えていたが、だんだん仕事に慣れるにつれて、震えることも減った。

今では毎日、二時間は働いている。たいへん偉い。

朝六時から九時までコンビニでバイトをして、帰ってからシャワーを浴びて、朝ご飯を食べて寝る。コンビニでの最後の三十分はどうしても長い。長過ぎる。早く帰りたい。そういう思いしかない。帰ってからは早く忘れたいと願っている。体重計にのるが、びたいち体重は減らない。当たり前だ。アイスとか食べてるからだ。食べるな。最近は体調が悪くて野菜を調理する元気がないので、より元気がない。元気がないので料理をしないスパイラルに陥っている。でも、今日はあきらめてサラダと刺身を食べたので、栄養が取れたはずだ。

十時になるころには、息絶えるように眠っている。この場合には睡眠薬がいらない。不思議だ。でも、今日は一時頃に起きて水を飲んだ。水を飲むのもめんどうなくらい眠いが、喉が渇いたので起きた。快挙だ。

そのあと、よもちかさんからスカイプが飛んで来たので、勉強をした。勉強は気晴らしになる。なにしろ安全だ。勉強自身がお前はだめだと言うことはない。

テストで計れるのは、ひとつの価値観でしかない。人間が、多面的にできているのを考えると、リットルだとか、重さだとかで計った方がいいところを、メートルの物差しだけで測って、このひとは頭がいいとか悪いとか言っているみたいなものだ。だから、テストの点が悪いからと言って、頭が悪いわけじゃない。

そして、中学生頃の環境がどうだったかが、とても影響する。その家の経済状況とか心理状況とか家庭状況とか、学校の様子とかで、学習習慣のつき方は違うし、授業中におしゃべりをする仲間がいたら、それは勉強をする機会がないのだから、成績は伸びない。そういうタイミングが中学生のときにきたら、いくら頭が良くても成績は伸びない。そういうことだ。
けれど、頭も鍛えなければ、そのまま未熟でいるので、使った方がいい。そういうことだ。
死んでまた生き返りましたれぽの竹尾氏に初めて連絡を取って、失礼がないか震える。初めて同人誌で印刷所に頼もうと思い、彼女に絵を依頼しようとしているのだ。

というようなおしゃべりをしてから、また眠った。三時まで寝る。

三時に起きて、仕事場に行って、六時まで働く。今日は生徒さんの調子が悪く、気分を直してもらうのに全部時間を使った。勉強を教える方が楽だ。

音楽の力を見ろと言われたので、今つけたらTOKIOがいた。二年ぶりくらいにTOKIO見た。半年ぶりにテレビ見た。

よもちかさんとも話し合ったのだが、わたしたちは、自閉症スペクトラムだという人たちを「たいへんそうだな」と思っていて、まさか自分がそうだとは思っていなかった。

わたしは、ドナウィリアムズの「自閉症だったわたしへ」を読んでおり、それにたいへん共感したのだが、「お互い人間だから違う部分があっても共感できるものなんだな」と思っていた。けれども、わたしは幻覚を見たり幻聴もあったりしたのだ。

野菜を食べたので、栄養を取ったような気になっている。

明日は軽トラさんとのデートだ。
軽トラさんとは後日、花火大会に行くことになっている。
浴衣をアマゾンで注文した。この辺りが引きこもり体質を現している。もういい。何を選んだのかもよくわからない。似合うものがわからない。浴衣だったらいいだろう。とりあえず、紫にした。似合うかどうかはわからない。練習しないといけないだろう。

音楽の力を見ているけれど、うるさいだけで、ちっとも心が動かされない。老化。いきものがかり。なんか、小学校のとき生き物係でコオロギ殺して腐らせてひどいことになった。そういう思い出。

歌おうよラブソングと言われてもそんな気分じゃないアラサーだ。どうしてくれる。でも、新しい音楽は聴かないわけじゃないから、まあいい。ありがとうとか、みつめたいとか、そういうのもどうでもいい。自閉症スペクトラムだから、相手のことを見つめないし優しくもないし声を受け止めたりもしない。どうでもいい。うるさくなければいい。まぶしい朝はまぶしい。窓を開けたら化学物質が入って、アレルギーが悪化してしまう。輝かない。あなたの夢が二人の夢に変わったら病気だ。自分の人生がなくなってしまう。お互い自由に生きられた方がいいと思うんだが。ありがとうと言われる立場であって、ありがとうと言いたいとはどういうことだ。この歌は病気だ。定型のひとはこんなのが好きなのか。ちょっと依存体質だぞこれ。自分の思いなんて伝えたいと思わなくても言いたかったら言えばいいし、言っても、伝わらなかったとしても、それは相手の事情があるのだから、忖度した方がいいのではないだろうか。誰よりも優しいとはどういうことなのか、この声を受け止めたら優しいのか、誰と比べたのか、その集団はなんだ。そして、ポルノグラフティーが二人になっている。ひどい。

一曲聞くだけでこれだ。疲れる。

スペシャらなくて良い。メドらなくていい。あぁあ、生徒さんの頼みとはいえ、地獄みたいだな。
ポルノグラフィティ、思ってたより歌下手になってるな。声伸びないや。好きだけど。
これはけっこう気分があがるなあ。

テレビを見なくなって十年くらいさらっとたつけど、特に不自由もなかったなあ。見逃したものもあるんだろうけど。音楽はこれからは少し聴こう。軽トラさんは音楽が好きだ。ポルノグラフィティの歌詞はそんなに、気持ち悪くないな。ちょっとリリカルでいいなあ。文句たれぶぅぶぅ。

そんな感じ。昔に比べたら、ずっと健全。

薬を飲むようになって、優麗みたいなひとも声も聞こえなくなった。薬絶大。
薬ばんざい。気分の上り下がりが減るからいい。

先のことはわからない。
わたしは普通の働き方が今はできないけどこれからはできるようになるかもしれない。だから、先のことは心配しない。

退院した時点で社会復帰ができるとは思ってなかった。でも、少しずつ働く時間は増えている。だんだん、良くなっている。
だから、心配しても仕方がないことはしないことにした。
そういう切り替えができるようになってよかった。
昔は頭の中にたくさん声があってうるさくて、そういう選択ができなかった。
切り替えができるようになったのは老化でも成長でもどちらでもいいけれど便利だ。

終わり。終わりって書くと、どんなに途中っぽくても、終わるからいいな。


これ、選んでよかった!マレフィセント ねたばれを!

自由な妖精マレフィセントは、盗人に恋をする。
そして、裏切られ、許し、そして、また裏切られ、翼を奪われる。

盗人は王になる。

飛べないマレフィセントは、憎悪の固まりになる。
王の娘が生まれたとき、マレフィセントは、王の娘に罪はないと知っていた。
けれど、彼女は呪いをかけた。
彼女自身も呪いを受けた。

誰からも愛されるオーロラ姫は、マレフィセントも虜にしてしまった。
マレフィセントは、オーロラ姫を愛してしまった。

この物語は、一見ただしそうな人間の王家が邪悪で、邪悪だと

思っていたマレフィセントが清らかだということも示しているし、マレフィセントは、邪悪さを楽しんでいることも、示している。
マレフィセントは、男に裏切られても、人生が終わったりしない。
彼女は、それどころか、憎悪さえ楽しんで、邪悪な人生を楽しむ。
わたしはそれが気に入った。

オーロラ姫は無邪気に、マレフィセントを小さな指で抱擁する。マレフィセントの心は溶けてしまう。マレフィセントはオーロラ姫を守る王子だ。ゴッドマザーだ。

マレフィセントが時折見せる邪悪そうな流し目に何度も心を奪われてしまった。
からす人間のユーモアも、マレフィセントの、邪悪さを彩り、不完全さを補って、完全にしている。

レリゴーは、正しい娘が、自由になる物語だった。
マレフィセントは、正しい娘が邪悪になっても幸せに生きる、どころか、二国を統合してしまう。最終的に、彼女はほしいものをすべて手に入れる。

オーロラ姫とは真実の愛で結ばれ、愛しい、オーロラ姫は善良そうな伴侶を得られそうだから、マレフィセントは心配も何もない。
マレフィセントは、邪悪でありながら、正しく、ユーモアもあり、ひとを愛すことを知っていて、自分の生きることを楽しむ。

人間の女にはできないが、人間の女が邪悪なままで幸せになれるのだと示唆している。


軽トラさんちゅー問題

軽トラさんとちゅーするのやだ。
もうやだ。やだになった。

なんでかというと、軽トラさんとの今の関係が楽しすぎて、これが壊れるのがやだ。
肉欲の虜になってしまったら、こんなにほんわりした関係でいられないんじゃないのか?
今の、冷静と情熱の間みたいなぼんやりした関係がいいんじゃないのか。読んでない。

軽トラさんとチューすること自体が嫌なわけじゃない。全然やぶさかでもない。
でも、なんか、超恥ずかしい。軽トラさん、超ピュア(めんどくさい)なんだもん、きゃっきゃ。

他の部分が大人なのになあ。
そして、わたしに趣味を盛んに聞いていたのは、デート中に眠いと言う→だから話題がつまらないのではないか→趣味を聞くという流れだったという疑惑が、マッサージ屋さんから提案されて受理した。

チューするかしないかで、向こうにはもはやそういう気がないのではないか、という話も出たが会議の結果却下された。

本当は、いろいろ考えているんだけど、全部ボール!にしてしまっていて、全然打っていかないわたしもいるのではないかと。

それなりに、意識して、段取りや戦略を考えているはずだという発議が発生した。

例えば、家に来たら、チューくらい手を出せるかもしれないと考えていたから、褒めようと思って、「痩せたんじゃない?」と言ったところを、
「ハア?なにいっちゃってるの?一ミリも痩せてないよ、どこみていっちゃってるの?ありのままだよ?ありのままを見れば太ってるってわかってるよね?」
といって、封じてしまった。
そのあと、「ぽっちゃり、可愛いと思うよ」との言葉も、「あと二十キロ痩せない限りぽっちゃりとは認めない、今はぽっちゃりオーバーだ!」と主張した。
その後も、夜景を見ようとしたり、したが、悪気はなく無視した。

そして、眼鏡をしてほしいと言われ、眼鏡をして、可愛いと言われたが、怒っていたので甘い雰囲気にならなかった。

その後、「終電は?大丈夫?」と言ったことが、マッサージ屋さんによると「追い出されたと感じ、肩を落として帰ったことだろう」とのことだった。言われてみるとそうだった。

奥さんによると、日曜日のデートの約束の時間を、十二時から十時にしたのも「早く会いたいからに決まってるじゃーん。かわいいー」とのことだった。
わたしは単に「早起きな人だ」と思っていたと伝えると、「それもあるし、十二時からだと、仕事やってからだと間に合わないから時間を持て余すんだよ」とのこだった。

十時からデートしたら絶対三時に昼寝しないと持たないよ。
眠くなるよ。ああ無理無理。
と、マッサージ屋さんと盛り上がった。朝はゆっくり寝たい。

しかし、軽トラさんは元気なので、そうはいかないのだった。
趣味も向こうはアウトドアで、わたしはインドアだから、趣味が言いづらい。インドアだと同じ趣味でも派閥があるから、下手なことを言えないし、ライトな感じなのかディープな感じで言えばいいのか、どうして知りたいのかによって言うことも変わるしな。

軽トラさんが、わたしが勉強できることを堂々というのに、難色を示すのは、結婚を視野に入れているからではないかと、奥さんが言った。
夫婦になるとセットで見られるから、ひとのいるところで、そういう態度を取ってほしくないということなのではないかと。あと、勉強のことを何度も言うのはコンプレックスあって、単にできないんじゃなくて、やりたくてもできなかったから、そこがひっかるのかもね、とのことだった。

でも、わたしは変えられないし、わたしなりに、工夫して来た結果だから、それこそありのままのわたしを受け入れてもらえないと困ると思う。

軽トラさんは結婚を意識しているかなあ。マッサージ屋さんに言わせると、絶対している、だから身長なんだと思うし、そういうところは評価できるし、手順も上品な感じと言っていた。
軽トラさんは、友だちがみんな結婚して、遊んでくれる人がいなくてさみしいと言っていたから、結婚願望強そうだ。もし、軽トラさんがそう思ってくれているなら、わたしもやぶさかではないけれど、なにしろパニック障害ってひとをぎょっとさせるし、疲れさせるし…。
でも、元気が有り余っている軽トラさんだったら、わたしがパニックになったり、当たり散らしても、体力で受け流してくれそうだから、意外とうまくいくかもしれない。
今日は、マッサージ屋さんで、三時間も恋話をしてしまった。

それにしても、軽トラさんは体も丈夫だし頭もいいし、仕事もちゃんとしているし、わたしなんかと付き合わなくても、もっと元気で健やかで美しくて痩せていて、きちんとした仕事に就いている女のひとがいいんじゃないかなと思う。
でも、それを言ったら、マッサージ屋さんは、意外と、そういうひとは面倒見たいんだよー、といって笑っていた。

軽トラさんもちゅーするための段取り練ってるのかなあ。
一生無理そうな気もするなあ。それはそれで、いいなあ。
ちゅーしないで、この関係も、ロマンチックな気がする。
マッサージ屋さんは、もう、しきっちゃえ、といっていたけれど、二番目のおかあさんは勢いで焦るなと言っていたし、肉欲にとらわれたら、それだけになってしまって、目が曇るし、セックス以外に楽しいことがたくさんあって、それで満足しているから、あとでもいいかな、と思う。

マッサージ屋さんは、わたしも軽トラさんも変なひとじゃなくて、普通の感じで、うまくいっている方向で、小さな波風が立っているから、すごく話が面白いと言ってくれた。
毎回、どうなるんだろう?と思って、話を聞くのが楽しみだと言ってくれた。

今日は、わたしは、かなり怒っていたらしくて、頭がとても凝っていたそうだ。たしかに、マッサージが終わったら、イライラしていたことや怒っていたことがどうでもよくなって、忘れてしまっていた。

マッサージに行く前には、悲しかったし、へこんでいたし、怒っていたけれど、帰るときにはすっきりして楽しかったから良かった。