生きることは、創意工夫のチャレンジ

ふと、思い立って、アルバイトを受けてみようと思います。

早朝のコンビニで三時間働くシフトに応募してみようと思うのです。

そうしたら、仕事が二つになるので、大変になるとは思うのですが、仕事によって、気分転換が図れるし、不安も減ると思います。

疲れると思うので、朝働いて、昼寝をして、本業をするということにしたいと思います。

コンビニのお金は貯蓄に回したいと思います。
そして、不動産のオーナーになるのが目標です。

中古のマンションを六百万円で買って、家賃収入でローンを回していき、二十年後に売却して、老後の資金にする寸法です。

わたしは、不動産が大好きなのです。間取りを見ているだけでも幸せになります。
だから、不動産が買えたら良いなと思います。

オーナーチェンジの立地の良い物件を入手したいと思います。

なので、コンビニのアルバイトで、五年間でその半分くらい貯められたらいいなと思います。

これを思い立ったときに、「ああ、わたしは最高に自由だ!」と感じました。
わたしは、正社員に引け目を感じる必要もないし、結婚している人にたいしても、引け目を感じる必要がないのです。

わたしは、本当に自由です。
なにをしてもいいし、遊んでいても良いし、眠っても、食べても良いのです。
余裕があれば違う仕事に就いてもいいんです。
コンビニのアルバイトでも、不動産が買えるなら最高です。
正社員で、生活リズムがきつい、というよりも、朝働いて昼寝をして、夜は楽しい本業をする、というのも、良い生き方なんじゃないの、わたしは、最近けっこう良い線いってるんじゃないの?上向いてきたんじゃないの、この発想!と思いました。

ともあれ、受かるかどうかはわからないので、一応挑戦してみるという感じです。

結婚するかしないかは置いておいて、結婚しなくても大丈夫なように考えていきたいと思います。
お金はとても必要です。
怖いけれどがんばります。

アルバイトに受かったことがないから不安だけれども、やってみます。


朝五時に起きたあと

朝五時に起きたあと、珍しく音楽を聴きました。
Museってグループです。頭が痛くならない珍しい曲です。

そのあと、ヨーグルトとイチゴとバナナという贅沢な朝食をとったのですが、それだけでは足りず、結局たまごかけご飯を追加しました。

それから、掃除機をかけて、洗濯物を畳んで、拭き掃除をしました。
なんだか元気ですが、スイッチが切れてきたので、お茶を飲んだら十時まで眠ろうと思います。


暇だと感じるようになったから働こうと思う

ここ数日のことなのだけれど、朝きちんと起きられて、それほど精神もつらくないので、朝六時から九時までのコンビニのアルバイトに応募した。

忙しいかもしれないけれど、三時間だったら耐えられるかもしれないです。
だめだとしたら、首になるだけです。
コンビニアルバイトをクリアできるようになったら、ずいぶん自信がつくと思います。


大地、ダッシュ、蹴って、続くの

音は歌、歌は光り、光は空に、空は闇に、速さ、黒は、海に、広げ、月光、落ちて、白く。

祈りは月に、月は、太陽、海は大地、森は、ざわめき、水は凍り、大地は山に、山は青に、青は、赤に、赤は青に、空に高く。
夢は海に、嘆きは風に、眠りは青に、色は砂に、遠く遠く遠くまで弾く夜は色に色は夜に朝は昼に昼は夜に夜は冬に冬は春、春は夏に秋は色に色は風に風は砂に砂は空に空は歌に歌は大地に。

歌は地に返し、怒りは朝に返し、涙は空に返し、感情は歌に返し、

音は光に、光は音に、

歌は踊りに、踊りは歌に

三年前にこういう詩を書きました。

今思うと、この詩は、音が光として認識されることもある、わたしの独特の状況を表した詩だなあ、と思います。
音は光に、光は音に、というのは実体験なのです。

不眠症だったので、夜は近しい世界でした。わたしのさみしさと焦りを呼びながら、昼間と違った自由を与えてくれる静寂な時間で、甘えたいような、疲れたような気がしていました。

だけれど、わたしは生きたいとも思っていて、だから、歌いたかったし、踊りたかったんだと思います。
祈って、祈って、今の自分がましになるように祈って、だけれども、変わらない精神状態があって、月はいつでも白くわたしを見下ろしていて、美しくて、冷たくて、遠くまで夢は広がっていく、そんな気持ちだったと思います。

光と音に対するこだわりは、自閉症スペクトラムのせいなんでしょう。
でも、わたしはそれを美しい景色が見られてよかったな、とも思うのです。
光や音や自然現象に敏感だからこそ、見られる景色があるのだと思います。
そう思って、三年前の詩を引っ張りだしてきました。

こういうのもあります。光がキーワードの詩

さあ、楽しい戦争の始まりだ。

私の庭へ、どうぞ、よろしく。

行きはよいよい、帰りは怖い。

あの部屋はけしてあけてはいけないよ、さあ、この鍵を肌身離さず持つがよい。

いくら洗っても赤い血はこびりついたままとれないのでした。

麦わらをいくら紡いでも、金の糸になりゃしない。

なまけものの嫁さんは、ねずみにかじられ壺の中。

素敵な音楽、光が散る、花びらは舞う、電磁波が感応器官に応じて変換されるエネルギー、調べに、歌に、展開、豪華な衣装が閃いて、さあさ、手をとり、ダンスしましょう。

RGB,高輝度、減衰、和音、波紋、干渉、カロリー、ダンス、足音、反響、鼻梁、電流。

点滅、またたき、円錐、反響、色調、恩寵、音色、メロディ。

音は光に、光は音に。

歌は踊りに、踊りは歌に。

引力 | Nakanaka's Blog

どこか
どこでも
ここじゃないどこかならば

約束と約束は
遠すぎて
届かない

海がいつまでもうごめいているその暗さをのぞき込むと
夜の深さが胸にまで達して
透明に染まった
月の光が頭蓋に突き刺さって矢のように早く
撃ち抜くのは北極星

音楽はまだ鳴っている

空白に気づいたらそれはとても | Nakanaka's Blog

空白に気づいたらそれはとても、
真っ黒な光がしげしげと茂った。

それはつまり疲れているということで、目を瞑れば見えてくる灰色のウサギが頭の中をよぎるほどの体温で、
だれに話すわけでもない空白がノイズに乗ってやってくるそれを聞くと友だちを失ったときのあの気持ちになる。

ああ、あの人に会いたいな、と、夜に吐き出されるため息の数と
木々が吸収する二酸化炭素の量はつりあわないたぶんそれは、木々は何よりも強力で貪欲な生き物だから私たちはそれを打ち倒そうとして、

それでも作るんだよそれはとても楽しいから。
だれを失ってだれと異なってだれと分かり合えなくてもそれはそれでまた、
それでも作るんだよと、
それだけが頭に浮かぶから私はいつでも文章を書きたい。

閃光 | Nakanaka's Blog

見ないの

(目を閉じるゲームをしよう)

そんなにわかっていいの

(あなたが何を言ったとしてももう誰も信じやしない)
どうするの

(生きていてくれるだけでうれしいの、だけど僕は今日も眠りすぎて眠ることにも疲れてしまって)
演技になるの

(退屈すぎて怖いんだ、明日が今日へと押し寄せて)

ト書きの
(何もかもがこんなに現実感がない感覚が麻痺してしまったようだ)

こんなに頭痛がするのだから僕はもうこれでゆっくりしてみたい
(信じてほしい、だなんてね、ずうずうしいお願いを)

いつまでも眠ってきっと化石になるから
(だから僕は化石が見ている夢になる)

この夢は
琥珀に閉じ込められたままちっとも気づきやしないんだ)
化石は

(人間は音と同じ程度の速さでしか考えることができない)

(光よりも音のほうが遅い、しばらくしてから音が来る)

(だから気づくのは遅すぎた)

(だまされていた)

閃光

(体が気づいたときにはもう沈黙が始まる)

(後戻りできない停止が進んでいく)

(細胞と細胞が会話する)

(酸素濃度が低下する)

(心臓があきらめる)

(あきらめが広がっていく)

(さよなら)

(音のないさよなら)

(音にならないさよなら)


整形したかったときの話

ちょうど一年前、わたしは整形したくてたまりませんでした。
整形すれば、人生が変わるはず、と思っていました。

わたしは、そのころ、人生が全然うまくいっていませんでした。
精神病の症状もマックスに出ていて、外に出るとパニックが起き、二番目のおかあさんと話している最中に取り乱して泣き叫び、仕事はなく、養われることが恥ずかしいし、自分の人生を奪い取られていたことに気づいたばかりだったので、人に対しての恨みつらみも強かったです。

どうしてこうなってしまったのか、を考えるよりも、人を憎んでいました。
怒り狂い、暴れ回り、眠れず、という感じでした。

思い詰めて、どこの病院がいいのか探したり、家族に整形したいという話ばかりしたあげく泣き出したりしていました。

とにかく自分の顔がいやで、醜く感じていて、自分が汚いから顔だけでも綺麗にしたらその分魂も綺麗になれるのだと思っていました。

そのあと、ダイエットにはまって六キロ痩せます。それは見事にリバウンドするのですが。

整形して痩せたら幸せになれるはずと信じて疑っていませんでした。
だから、そうでない、今の自分は不幸だと思っていました。

顔の嫌いなところや、シミが気になって気になって、ずっと見ていました。
他の人からしたら気にならなかったのに。

ある日、Dr.シーラボで相談して、シミを薄くするクリームを付けました。
そうしたら、気のせいかシミが薄くなったのです。

それを経験したあと、「シミはいつでも薄くなるんだ」という安心感を得ました。
そうしたら、シミに対する執着が減りました。
わたしが気にしなくなったら、話題にもならなくなり、わたしは、いつしか、シミが全然なくていいなあ、と言われるまでになりました。

仕事を始めたら、整形したい気持ちは減りました。
生徒さんはわたしが可愛かろうがそうでなかろうが、勉強しにきていたからです。
そして、私のことを好きになってくれました。
好きだから、わたしのことを可愛いと言ってくれます。

わたしの価値は外部に置かれて、評価され始めました。
そうすると、同時に、わたしは整形したいという気持ちが薄れ始めました。

その後、執着するものが服に変わりました。
ひらひら、ふわふわした幼い服が着たくなりました。これは家族に苦言を呈されましたが、わたしとしては、整形をしたいと思い詰めているときよりも幸福になりました。

外部に要求が移ったわけです。また、自分の顔を失敗するかもしれないばくちにかけることの怖さがなくなりましたことは、良かったと思います。

今は、セクシーボンバーな、ドレスが着たいです。どこに着ていくんじゃ、みたいな服です。でも着たいんです。

わたしの場合は、整形をして顔を綺麗にするというよりは、顔が綺麗になれば、人生何もかもうまくいく、若い頃の顔に戻って人生をやり直したい、という逃避の姿勢で、整形をしたかったのです。
今は、借金をしながらでも、好きな服を着ているので、収まってきました。

太っていることも、食べ過ぎることも、暇で、充実していないからなのでは、とうすうす思います。

もっと強い人間になって、相手に、わたしの素晴らしさを分け与えられるくらいになったら、わたしはさみしくなくなるのだと思います。それを張りにしたいと思います。


少し調子がいいけど、少し調子が悪い日には何をすればいいのか

一日時間がある人というのは、どうやって、時間を過ごしているんだろう。

具合が悪い日は寝ていればいいけれど、今日みたいに少し調子が良くて、起きていた方がいいようなときは何をしていたらいいのか、よくわからないです。

ついつい、おやつを食べ過ぎてしまいます。
やることがないから。

本でも読んでみようか…と思うのですが、活字を読む気力がありません。
これは、昔では考えられないことでした。今は、活字に逃避する必要がないからかな、と肯定的にとらえていますが、ともかく、やることがないのは、確かです。

音楽を聴くのは、頭がぱんぱんになるので、苦手ですし、文章を書くくらいしかやることがないです。

文章を書いても、特に何になるわけじゃないけれど、時間が過ぎていきます。

昔、セカンドオピニオンの先生が、働くか、子どもを育てるかしないと、人間は病気になりやすい、といったことが、確かに思われます。

やることがないと、閉じこもりがちになって、社会との接点がなくなって、どんどん眠たくなって、筋力も思考能力も社会性も減るなあと思います。

インターネットがあるから、まだ人との接点があるけれど、心細いなあと思います。
一日中働いている人にも、働いている人の孤独があるようなので、人生ままならないし、時間の使い方というのは、難しいです。

最近、考えているのですが、資格の勉強をすればいいのかもしれません。
いざというときに、役に立つかもしれないので、少し考えてみます。

でも、やっぱり万全に元気、というわけでもないし、原付で走りたくても雨が降っているので、難しいなあ、と思います。


浮気がどうしてだめなのか理解できません

今までひんしゅくを買ってきたことで、「浮気がどうしてだめなのか理解できない」というのがあります。

相手の体もわたしの体もそれぞれ自由なのだから、一緒にいることを約束していても、それぞれの体を自分の体のように、規則で縛ることは難しいと思うのです。

わたしには、嫉妬心や独占欲があります。でも、わたしはそれがあることを相手に伝えることと、相手に、わたしの嫉妬心や独占欲を尊重してよ、と主張することの差が、大きすぎるように思います。

わたしが、いやなことをしない、ということは相手に求めたいことです。でも、相手の体に関することを、自由に関することを、そして、わたしが知らなくて済むことを相手に要求するのはよくわからないなあ、と思います。

そういう社会的規範を飲み込めないのも、障害なのでしょうか?
モラルというものがどうしてもいまいち理解できません。

犯罪だとか、相手をけがさせるとか、そういうことは理解できます。
いろいろ説明されているのですが、納得のいく答えが見つからないので、わたしのままではよくわからないこととして、しばらくあるのではないか、と思います。

わたしの精神がもう少し発達したらわかるようになるのか、わたしはこのままなのか、どうなんだろうな、と思います。

このことに関しては、文化が大きいような気がします。


伴侶が欲しいことがわかりました

伴侶が欲しいと思うようになりました。

おととい、お見合いをしたのです。
お見合いというよりも軽い感じだったのですが、お見合いです。

大変年の離れた方だったのですが、とても良い方でした。
わたしは、年が離れていることよりも、この人にわたしの障害を受け入れてもらえるか、心配でした。
普通の家庭を求めているかもしれないから。
そうしたら、わたしは、求められているものを返せないです。

わたしは、まだまだ、生活のいろいろなことができないし、二次障害も治っていないし、自分に地震がありません。
そのことが浮き彫りになりました。

相手の人に、障害のことを話すときにはドキドキしました。
お互い、考えましょうと言って別れました。

帰ってから、頭の中がごちゃごちゃして、何も考えられませんでした。
あの方と家庭を持つことがピンと来なかったと言うか、わたしはそこまで家庭を持ちたいのだろうか、死ぬまでご一緒して、一緒に年を取りたいのだろうか、と自問自答しました。

人柄が素晴らしい方だったのです。どういう方がいらっしゃるのか、とても不安だったのですが、一目見て好感を持ちました。その好感は、どうしても、この方と結婚したい、というものとは遠かったのですが、一緒にいてもいやではない、と思いました。まじめな方でした。

ただ、わたしはこの方に釣り合わない、自信が持てない、という気持ちが出ました。引け目があります。

家庭に持つイメージは似ていました。1人でも生きていられるけれど、二人ならもっと楽しいだろうと。

ただ、わたしは自信がないのです。わたしは本当に家庭を維持することができるのだろうか、人と暮らせるのだろうか、1人の人をずっと愛せるのだろうか。
この方は、わたしを受け入れるだろうか。できないことを許してくれるだろうか。

わたしを受け入れて、わたしが受け入れることのできる人と出会えるのか。わたしは、どんな気持ちになったら、結婚したいと思うのだろう?

わたしは、お見合いをして、結局、わたしは自分のことができないから、自信が持てないのだな、と思いました。
だから、出会っても、決断ができないのです。

ただ、お見合いをして、わたしは本当に伴侶が欲しいのだな、とわかりました。それはよかったです。


経済的自立をしたい

経済的自立ができていません。

これからできればいいかな、と思います。
とりあえず、それが目標です。
本当はお金持ちになりたかったけれど、それはどうも叶いそうもないので、最低限生きていけるようになりたいです。お金持ちになるには、たくさん働かなくてはならず、わたしにはそれができないからです。

昨日の深夜は、ネットショッピングをしようとしましたが、注文する寸前で思いとどまりました。快挙です。
今までは絶対に注文していました。注文するときは、これを注文しなくてはいけないと思い詰めるからです。

少し、成長したかなと思います。収入が増えないので、使い方を減らすことを考えなくてはいけません。

わたしは、確かに障害を持っていますが、普通の人のようになることをあきらめきれていないのです。
そして、普通の人になることとはまた別に、生きていかなくてはいけないので、経済的自立をしなくてはいけません。そうしたいのです。強く望んでいます。

わたしが障害の特徴をなくせないのですが、普通の人と同じように、自立して暮らせるようになりたいです。

具体的には、家事をきちんとやり、朝は起きて、ご飯を食べ、十分な運動をして、夜は寝る生活を維持したいということです。そして、働き続けたいです。

そうしたら、自信がついて、いい伴侶と巡り会えたときに、わたしは胸を張って、自分の良いところを話せると思います。

わたしには、障害があるけれども、明るいところ、きちんと朝起きて、家事もできる、という話ができると思います。

わたしにとって、困難なのは、お皿を洗うことです。
片付けも難しいです。

最近は、ものをなるべく減らして、ものをあったところにしまうことができるのですが、ゴミを出すのが難しいです。可燃ゴミは、決まった日なので出せますが、その他の、不燃や紙、ペットボトルが難しいです。ヘルパーさんには、片付けと皿洗いと料理をお願いすることが多いです。洗濯物を干したり、畳んだりも苦手です。やり方を教わったことがないのもあります。習慣化していったら、もう少し楽になるかとは思います。

今日は一日寝なくて済みそうです。

奇跡的に、眠気がありません。
わたしの眠気は、人生への倦怠感、二次障害、薬の影響などがあげられると思います。
普段は、怠け心から眠くなるのではないかと疑っていますが、こうして起きられる日はすっと起きていられるので、怠け心という線は少ないのではないかと思います。

今日は、一時間は歩く予定です。
運動と、しっかりした食事をすることが目標です。


可愛いって一万回言われたのに、他人のことがうらやましい。

わたしは、可愛い、美人、綺麗って言われて育ちました。本当のところは知らないです。身近な人に言われる感じです。

綺麗な顔、整った顔立ち、細いスタイル、黒いさらさらの髪の毛、白いつるつるの肌、可愛い、美人、綺麗って言われてきました。

年を取って太って、体も丸くなって、肌もすべすべの白い肌じゃなくなったけれど、まだ、若いね、綺麗だね、可愛いね、と言ってくれる人はいます。

だけどわたしはとてもとても飢えていて、「もっと可愛くなければ、もっと綺麗でなければ、痩せなくては」と焦っています。ゴージャスに愛されたいのです。ちやほやされたいのです。飽きるくらい。

お姫様のように着飾って、ご機嫌を窺っていただいて、愛されたいのです。

わたしは去年、整形手術をしようと思い詰めていました。今はダイエットをしようと思い詰めています。
どちらも容姿に関してのことです。
年を取ると容姿は衰えます。わたしはもともと、それほど美しいわけじゃなかったのに、年を取ってもっと美しさが減る、と思っています。魅力が減ると。

わたしは、ネット上のアイドルたちにさえ、うらやましさを感じているのです。美しさを持っている特殊な人たちに。

わたしは、才能がある人のことだってうらやましいです。人脈の多い人だってうらやましいです。

ああ、なんて、わたしは普通なんだろうと思います。わたしには華々しいところが何もない、普通にもなれない、普通以下だ、わたしは何だろうと思います。
どきどきして、焦ります。知らないひと相手なのに。苦しくなります。バカみたいで、頭が沸騰しそうになります。

何千万と稼いでみたいです。稼いだら楽しいだろうと思います。
インターネットではそういう人がたくさんいます。
ネット上の知り合いの知り合いが、そういう風にお金持ちになったりしています。本当は、そうじゃないのに。知り合いじゃないのに。うらやましいと思わなくてもいいのに。

わたしは、ダイエットして、男の人と知り合ってみたいと思います。そして、今の飢えが消えることもなくて、解放されないんだろうな、と思います。
だけど、その過程で、わたしはきっと成長して、飢えのこともうらやましさも忘れるのだと思います。自分のことで満足できるのだと思います。