発達障害じゃなくても変な人はいる

わたしの父は裏表のある人が嫌いです。
わたしの障害は裏表がもてない障害です。だから、父は、わたしのことが好きみたいです。
まじめで、いい子で、優しくて、裏表がなくて、人のことを考えられると言ってくれます。

発達障害っていうのは、よくわからないけれど、そういうのじゃなくても、おかしな人はいるんだから、自分が苦手なことがあるって知っていて、人の迷惑にならないように気をつけてるんだからえらいよ」と父は言ってくれます。

確かに、発達障害じゃなくても、人に不親切な人だとか、嘘つきだとか、たくさんいます。
父とは昔遠ざかっていたのですが、今では仲良しです。


やりたいこと

やりたいことって、なかったのです。

親の希望で生きてきたので、いきなり、働くときにやりたいことを考えたら、なかったのです。

すっからかんでした。

今は、やりたいことじゃないかもしれないけれど、向いている仕事についているなと思います。

ひがみっぽくなるけど、友だちはいます。
結構いい感じだと思います。

という風に書いているのは自分がつらくて、自分を励ましたいからです。
本当は逆の気持ちです。


入院生活

今は、入院していたときに近く、調子が悪いので、そのときと同じくらいのペースで文章を書いています。
入院しているときには、手が止まりませんでした。
毎日絵日記のような漫画を描いて気持ちを整理していました。

今、すごい勢いでブログを更新している自分に気づいたのです。
ということは、わたしは調子が悪いということかもしれません。

入院するとき、わたしには偏見があって怖かったです。人生これで終わりだと思いました。
仕事も辞めました。

社会復帰できるかとても怖かったし、入院することで、自分の病気が決定的になるような気がしたのです。

でも、みんな優しかったです。

それは、みんなが自分の病気に向き合っていたからだと思います。

看護士さんが「野に放たれた病気の人の方が怖い。ここにいる人たちは、みんな、自分が病気だということを知っている。だから、自分でそれと戦っている勇敢な人たちだと思う」と言っていました。
その通りだと思いました。

自分に原因があって、苦しんでいて、それと戦っているから、つらいのだと思うのです。

今、昼間眠って少し働く生活は、入院中の生活に似ています。

作業両方をする時間が二時間でした。

わたしは、他の患者の人と話をしていると疲れてしまって、座っていられなくなったので、一日に二時間話すのが精一杯でした。
そのパターンは今も変わっていないと思います。
こういうパターンで暮らせる仕事があってよかったなと思います。


わたしは知能が高いです

わたしは知能が高いです。

こういうところをのうのうと言うのも障害の一部なんだろうなと思うわたしもいます。
(頭がいいけど、バカ、と言っていた人がいました。そんな感じです。世間知らずですし、人の心の機微に疎いです)

だから、勉強には苦労しませんでした。

本当は苦労したんですが、たぶん、普通の人よりは苦労しなかったのでしょう。
わたしの母は心配性で、いつも、部屋を監視していました。
そういうのがなければもっと勉強ができただろうなと思います。

わたしは、母から、あんたはパーソナリティ障害だ、と言われて、なおかつ、医者に行くことは禁止されていました。外面の良い人だったのです。外に、精神病院にかかることがばれたら、就職に苦労するというのが理由でした。

実際には、通院が理由で苦労したことはありませんでした。むしろ、通院していなかったら自殺して死んでいたと思います。

どうして、わたしがパーソナリティ障害だと思われていたのか、よくわかりませんが、たぶん、言う通りに育たなかったからだと思います。

でも、健常者でも、言う通りに育たない場合はもちろんあると思います。

健常者の妹も、わたしのことをパーソナリティ障害だと言っていました。
今は結婚して幸せになっています。わたしが一番苦しいときにわたしを見捨てた妹なので、二度と会う気はしません。

健常者が、医者ではないのに、誤診をして、家族にずっと言うのは良くないことです。

とても傷つきます。

わたしは知能が高いので、母のトロフィーガールでいました。
対人関係が苦手なところは、記憶力の高いところを発揮して、パターンをひたすら学習して、それで乗り切っていた模様です。だから、いつも疲れていました。

わたしを検査した人は「検査で計れる範囲の能力しかわかりません。でも、今まで苦労してきたんだろうなと思います。勉強に関しては正直うらやましいです。システムを把握することが得意で、言語能力が高いので、それで、いろいろなところを補ってきたんでしょうね。記憶力も高いので、勉強に関してはあまり苦労しなかったのでは?苦労した感じがあるのは、他の能力と自分の中で比較して、苦手だと思ったのでしょうね。誰でも自分の中でしか比べられないですから」と言われました。

わたしは、知能が高いおかげで、健常者に近く振る舞えていたらしいです。
でも、主治医の先生は、検査の結果を予想して、自閉症スペクトラムだろうなと思っていたそうです。
話し方や、しぐさ、経歴から、なんとなくわかるものらしいのです。でも、検査をしないと、言えなかったらしいです。

でも、自閉症スペクトラムであることは、単なる性質なので、それで自分にできないことを規定して、やりたいことをやらないでいるのはよくないし、自分は自閉症スペクトラムだから…といって、その殻に閉じこもってしまうのも良くない、自分をそれで守ってしまうのは良くない、病名に甘えてしまうのは良くないみたいなことを言いました。

「正直言って、あなたの知能が高いのはうらやましいことです。ちょうどいい知能の高さです。これ以上知能が高ければそれはそれで苦労します。そういう人もわたしは知っています。人とわかり合えるくらいの知能です。
脳って不思議で、苦手なところを、得意な部分で補ってきたんでしょうね。
だから、うんと疲れやすいのはそのためです。

あなたは自己表現ができて、文章も書けて、いろいろな人にたいして、メッセージを送ることができます。
ぜひ、記録をつけて、このままで終わらせるのはもったいないですから、いろいろな人に読んでもらいましょう。
いろいろな人が、それで助かるはずです」

わたしは、会社で働くのに、とても苦労しました。
勉強と違って、人の望むことをしなくてはいけないからです。
先輩の理解できない行動もわたしを混乱させました。

わたしは、知能が高いよりも、そういったことに適応する力の方がほしかったです。
それとも、中途半端に知能が高いよりも、グーグルの試験に受かる方が良かったです。そしたら、変な人の中でやっていけたと思うからです。

でも、そうではなかったです。

ユニクロのバイトを受けて、落ちたあと、塾講師に応募して、雇ってもらえました。
わたしはとても嬉しくて、先生に報告しました。わたしには二人の主治医がいます。
二人目の主治医に報告しました。
一人目の主治医は機能不全の家族が専門で、二人目はPTSD発達障害に詳しい主治医です。

「こんな嬉しい報告を受けて、今日はとても良い日です。こういうことがあるから、頑張って働けます」
と先生は言ってくれました。
「あなたが、やりがいをもてていることがとてもすばらしい」と言ってくれました。
「やりがいをもてずに働いている人が多いのよ。あなたはそんなにもよく自分の適性にあった仕事を見つけたね」
「塾講師なんて、とも思います。正社員じゃないから」
「なんでそんなこと思うの?自分にあった仕事をするのが一番いいよ。働くのはとてもいいことよ。人間は、働くか、子どもを育てるか、どちらかをしないと具合が悪くなると思う。人間はそうやって、社会を作って発展してきたから、そういう風にできてるんじゃないかなと思う。
わたしは子どもがいないから。その代わりに、働くことで、社会に参加している。
塾講師には逸材が多いのよ。医学部にも塾講師出身の先生がたくさんいて、有能な人が多い。
あなたは、人を信じやすいところがあるから、そういうのは注意してね。心のアラームが鳴ったら、いつでも逃げ出してね」

というわけです。


人と会うのはやっぱりくたびれる

人と過ごすのはハイになりやすくて、やっぱりくたびれます。

ずっと人といる結婚なんて、どれだけたいへんなんだろうと思います。

十時から四時まで人とお話ししていただけなのに、ぐったり疲れて寝込んでいます。

おなかがすきましたが、食事を用意する元気がありません。


ハイになりつつある

ハイの周期になりつつあります。

幸いなことに給料日前なので、洋服は買えません。緑色のワンピースだとか、グロスとか、他の服とか、欲しいものはたくさんあります。真珠のネックレスだとか。

そういうものを我慢しなくてはなりません。

友だちと一緒に厄落としに行きました。
そのあとご飯を食べたりウィンドウショッピングをしたりしました。
いろんな話をして、楽しかったです。
楽しくて、疲れました。

今日はお金を持っていなくてよかったです。

ハイになっていることを自覚して、ブレーキをかけたいです。


わたしってほんとえらい

睡眠薬を追加しました。

わたしって、ほんとえらいなーと思いました。
ちゃんとどうしたらいいのかわかっている。
工夫している。夜中に、誰かを叩き起こして、電話することもしていない。
えらい!

えらいと思う敷居が低いのも、とっても素敵よ。

この、無意味な自己肯定がわたしの財産です。
どうでもいいようなときにぴょいと頭を出します。
わたしって、えらい、すごい。

これってなにかな、と思いました。
そうしたら、母が、わたしにたいして、言っていた言葉だったなと思いました。
ちょっとなにかしたら、えらい、すごい、と言ってくれていたのです。

会う気もないし、育ててくれた恩がとか思わないし、いやなところもたくさんある人だなと思うのですが、たとえば、こういう強い自己肯定という贈り物だとか、品のいい物腰だとか、そういうものは感謝できるなーと思います。

(自己肯定感がないときもたくさんあります。)

こういう風にいろんなことに対して、強くなって、許せるようになるのかなと思いました。

だから、離れている、逃げている期間ってとっても大切だなと思います。
離れていないと憎むばかりですが、逃げたら、いいことも思い出せます。
こういう風にゆとりが持てるようになったわたしはとってもえらいです。


生徒さんとわたし

仲の良い生徒さんには、けっこう正直に障害のことを伝えています。

障害の名前を言うんじゃなくて、現象を伝えています。
「勉強しかできなくて家事はぜんぜんだめ」
「テレビは刺激が強すぎてみられない」
「男の人の声が怖い」
「大人相手に緊張する」
「複雑なことをすると、たとえばコンビニのアルバイトのことなんて考えただけで混乱する」
などなどです。

そうすると、生徒さんは、「じゃあ、塾の先生が一番だね」と言ってくれます。
それと、わたしの仕事にもいろいろ心配してくれて、
「疲れてない?」「おつかれさまです」「まだ仕事あるの?」「いっぱい仕事があってよかったね!」
「保育園の先生とかも向いてそう」とか、ねぎらってくれます。

とってもかわいいです。みんなかわいくてかわいくてどうしよう?というかんじです。

「毛穴の黒いのがとれない」「目が小さい」「顔の輪郭が」と、容姿のコンプレックスのことも相談されますが、
「ええがなええがな、みんな若くてかわいいがな!」と思ってしまい、全く真剣に話が聞けません。
そして、
「全然まじめに聞いてないでしょー。もうー」と言って、ふくれる生徒さんもまたかわいい。

関係ないですが、若さには勝てないというか、若い女に張り合うなんて無理!
そういうことを思い知りました。
まだまだいけるんじゃないかと思っていたのですが、それは無理でした。
残念です。
でも、年増好きもけっこういるということが発見されたので、そちらで頑張って生きていきます。
その方が楽だし。
それも塾講師で、若くて可愛い女の子相手に働くことの発見かもしれません。

ばかばかしいですが、最初は、若くて美しい女の子で未来があって、ということで、嫉妬していたときもあったのです。
それは、だんだん解消されました。
その子なりにみんな悩みや苦しみがあることがわかったからです。
それと、わたしのことを信じきっていて、ひどいことなんて絶対しないと思っているかわいい人に対して、嫉妬をぶつけるなんてひどいことできないでした。

「先生まだまだ若いよー」と気を使っていってもらっていますが、若作りしても無理なものは無理。
でも、なんとなく若いファッションをして生徒さんとファッションの話をしたりするのがとても楽しいです。


ゾンビは恨みを抱えない

ゾンビみたいなわたしは、十時に寝たのに、一時半に起きだしてブログを書いています。
睡眠の質が下がっています。
気にかかることがあるせいです。それは、仕事のクレームです。
緩まないので、また、マッサージに行くかなあ。

それでも、ゾンビにはいいことがあります。
過去の恨みを思い出さないことです。ゾンビは現在に生きています。万歳。

わたしは、自分の母に対する恨みつらみが強いです。
でも、今はそんなことを考える時間がめっきり減りました。
今まで人生を奪われていて、しかも、そのことを考えているから、今の時間も減っていくという間抜けた負の連鎖がなくなりました。
年を取って図々しくなったのか、薬が効いているのか、今が充実しているのか、なんなんでしょう?

今まであったことをひっくるめて、全部わたし!という感覚なのです。

バカなのもアホなのも間抜けなのもわたし、逃げられなかったのもわたし、親を恨んでいるのも、元恋人に執着しているのもわたし、生徒さんに好かれているわたし、仕事が楽しいわたし、それ以外はゾンビみたいになっているのもわたし、介護保険を使ってヘルパーさんを頼むということを思いついた勇気あるわたし、勉強もするし、病気と共存する英雄みたいなわたし、みんなわたしという感じです。

船で渡っている船頭のわたし、だから、川に流れているものは、全部えいやって、やってないと転覆するから、バランスだけ鋭く観察するという感覚なのです。
だから、見てみぬふりはしていないけど、でも、転覆はしていないし、進んでいる感触がある、という感じです。

こんな日が自然にやってくる日が来るとは思っていないくらい、親の事情について、ぐるぐる考えていたけれど、やっぱり、今を生きるゾンビは恨みを抱えないものなのです。


反応が欲しい日

反応が欲しいらしくて、携帯電話を何度も見ます。

何を待っているんだろう?と思います。

誰かメールをくれないだろうか、と待っている様子です。

ブログのアクセス解析も何度も見ます。

何度見てもそう変わりはありません。

落ち着かないみたいです。

今日は「お皿が洗えない病」です。だから、積んであります。
洋服はややたためました。

生徒さんに古文を音読するのはうまくいっています。なんだかおばあちゃんになった気分で仕事ができます。
仕事をしているとき以外は、やることもなくて、ゾンビみたいです。