女性差別と女性の就労問題

女性は、勉強していようが、能力があろうが、安く買いたたかれる。
年収一千万以上の女性は、ほとんど医者しかいない。男性の占める割合よりも、ずっと少ない。
正社員同士で比較しても、女性の賃金は、六割を切っている。

例えば、わたしは二つの学資を持っているから、勉強したとはいえるはずだが、就職市場だと何の価値もない。
もし、仮に、わたしが男性だったら、どうだろう?

旧帝大の大学院を卒業した同期も、開発を希望したのに、美貌があだとなって、社長秘書に回され、人事によって、各部門を転々とさせられたことを理由に、賃金を動機男性よりも低くされた。

一流国立大で、難関国家試験を持っていた、同級生も、妊娠出産以降は、時給800円のパートにつけるかどうか、で、不安がっている。

勉強したら、キャリアがあったら、能力があったら…、時給が上がるなんてとんでもない。
女性というだけで、わたしたちは、仕事をして、お金をもらう、という平等であるはずの場所で、同じ労働をしても、同じ給料をもらうことができない。

じゃあ、わたしは、子供たちに、「努力するのは意味がないよ。結婚して妊娠したら、どうせ、パートの800円でしか働けないから」と教えるべきなのか?

いや、そうじゃない。わたしは勉強の楽しさや自分で調べることのできる能力を育て、伝えたいと思っている。
困ったときに、声をあげられる、戦い方を教えたいと思っている。

女の子は頑張らなくてもいい、どうせ、頑張っても意味がないから。それよりも、楽しく生きればいいという言葉。
そういうのをずっと耳にしてきた。
本人が望んでいることが違っていれば、それは単なる抑圧だ。

最低時給を1500円にしろ、というデモがある。
それに対して、遊んでいたから、能力がないから、怠けているから、時給が高くならないのだ、と言っている人がいる。
それは違う。
努力が足りないのは国であり、企業だ。
人材が不足しているといいながら、人材を活用しようとしない。払うべきものを払わない。
もともと、最低賃金が安いのは、女性が、男性に扶養されることを前提としたものだから、差別構造の結果だ。
それが、男性にまで拡大したから、大騒ぎになっている。

女性差別を放っておくと、男性にまで飛び火する。高みの見物をしていて、切断処理をすることで、自分にはそんな不幸は降りかからないと信じたい人にも、飛び火するだろう。

差別がいけないのは、いけないからだ。だから、女性を差別すると男性も損をするぞ、という言い方は、まったくもって不適切だが、男性に届くためには、こんな風にこびて物を言わなくてはいけない。それも現状だ。

能力があろうがなかろうが、普通に生きられなくてはいけない。それは、国の負った義務だ。
わたしたちの権利だ。

今は、能力がある人ですら、評価されない。
女の人に、育児家事をまるなげすることは、結局、その女の人を雇用している会社の負担を盗むことになる。
それで、盗まれる側の会社は、女の人の査定を低くしたり、雇わなかったり、適切な部署に配置しなかったりする。

わたしは、技術職を目指して、技術的な勉強をしたのに、同じカリキュラムを受けた男性は、ちゃんと技術職に就けたが、わたしは就けなかった。口頭で、女の人にやってもらう仕事はうちにはない、営業くらいしかない、と言われた。
わたしは、そのころ営業をしたいわけじゃなかった。技術職で応募した。働ければ何でもいい、選ぶなという人もいるだろうが、選ぶために、わたしは時間と努力を投資したのだ。それを回収したかった。

男だと、下駄を履かされる。女は、低く見られる。
女をやっていても、気づくと、生きにくくなるから、見ないようにする人も多い。
でも、わたしは、そういうことを見ていたい。そして、喧嘩したい。

わたしのパートナーは、わたしが靴擦れをしたら、代わりにパンプスを履いてくれるような人だ。だから、一緒にいる。そして、結果的に、家計のほとんどを担ってもらっている。それは、運がいいのか悪いのか。
自分の生きるために賃金を、自分で得たいと思うのだが、なかなか難しい。
不本意でもある。
もし、彼が倒れたときにわたしは彼を養いたい。でも、今はそれができない。
働く人が偉いとは思っていない。でも、もし、何かがうまくいかなくなったら必要なのはお金だ。お金のためには働きたい。
それが、高望みになっている現状や、働くことで、いちいち差別に出会う現状を、何とか変えていきたい。
どう変えればいいのか、まだ何も見えないけれど。

ダブルライセンスを、バカにする人は多い。
意味なんてないと。
もし、わたしが男性だったら、同じことを言う人はいるだろうか?
いたとしても、態度が違うはずだ。
だから、わたしは、喧嘩腰でいる。


洗脳されやすいという特性

わたしと六帖さんは、ともにDVに遭ったことがある。
DVに遭ったことがない人は、わからないこともあるだろう。
どうして、暴力や暴言から逃げないのか?

それは、言動を縛り、行動を縛り、交友関係を遮断することによって、洗脳する過程があるからです。

相手のために、自分を譲る、そうすることでいつか事態が好転することを期待していくうちに、逃げられない状況を作られます。

子供を作ること、籍を入れること、そうすることで相手を縛れる。籍を入れてしまうと、身一つで逃げさえすれば、それで終わりということがなくなる。
六帖さんも、わたしも、籍を入れるのが異常に早かった。お互いの両親に会わずに籍を入れたことも共通している。籍を入れる時点で、六帖さんも、わたしも、軟禁状態に置かれていた。
軟禁状態に置かれていても、支配者と同伴で外出はできるから、軟禁されていることにも気づかない。
また、六帖さんもわたしも、服用していた薬を管理され、いきなり断薬されたり、処方外の薬を無理やり飲まされたりしている。
わたしの場合、たとえば、体の不調を感じて、吐き気や腹痛、頭痛があったときに、精神安定剤を飲むと、体が動くようになる。これは最近発見したことだ。体が弱いから寝込むしかないのだとあきらめていたけれど、精神安定剤を飲むことで、活動時間が増えた。

また、娯楽や趣味を制限される。楽しみを奪われる。そうすると、思考能力がなくなる。食べるものも、極端に制限される。それも、六帖さんも、わたしも経験した。
支配者は、今でもわたしにDVを振るったことを認めない。それどころか、ネットで、DV加害の冤罪者を名乗っている。
様々な証拠があり、裁判でも認められても、それなのだ。
事実を彼らはゆがめることができる。自分に都合の悪い事実を、認識しないで済ませることもできる。
わたしの場合は、加害者から逃げて五年たつが、その間に、脅迫状を送られたり、警察に堕胎罪で訴えられたりした。
もちろん、堕胎罪の適応外だから、立件されようもないのだが、それでも、事情を何度も聞かれて書類にした。
相手は、わたしを殺人しかけたのだが。

わたしたち自閉症スペクトラムの傾向があるものは、人の言葉を信じる。裏を読めない。言葉通りに聞いてしまう。意外と空気は読める。ただ、どう対応していいのかわからない。
わたしの場合は、相手が泣いて暴れたり、床に転がって足をばたつかせたり、六法全書を投げつけたりしたり、性暴力の結果、二回、入院することになったりした。どう対応すればよかったのか?
わたしには、それまで、そのような行動をとる、男性に対する対処方法がストックになかった。
初めて見る奇行に凍り付き、思考は止まった。

わたしの場合、知識もあった。DVについてかなり書籍を読んでいた。でも、自分が支配関係に巻き込まれたとき、自分がそうだと認めることは非常に難しかった。
そのころには、相手がわたしの貯金で暮らしていたので、わたしが逃げたら相手が死ぬかもしれない、自分の体に身ごもっている子供はどうすればいいのか、ということで、身動きが取れなくなっていた。相手は、わたしの名義でクレジットカードをいくつも申し込み、毎月の支払いが二十万、三十万になっていた。
恐ろしいことに、楽天カードは、解約しても、しばらく使える。逃げてから、六万円の支払いをした時には涙が出た。
悪いことに、ニコニコ動画のプレミアム会員登録をしており、それは本人でしか解約できないものだから、逃亡の身では、どうすることもできず、楽天カードから引き落とされるので、逃げてから一年くらい払った。窓口もなく、電話も代表先しかなかったので、電話しても取り合ってもらえなかった。弁護士に頼んでも一か月かかった。

インターネット上に、リベンジポルノや、わたしに対する誹謗中傷が続いた。
弁護士に依頼して消すことはできるが、延々と続くのに、追いかけられず、あきらめるしかなかった。
沈黙をしていても、相手は、わたしが加害者に対して、誹謗中傷を続けていたと、今もインターネット上に書き続ける。
裁判で、わたしに対して、一切の接触も、一切の言及も書かないとお互いに約束したのに、その次の日には、破られた。
相手が無一文の場合、こちらができることは何もない。
罰金を払わせようにも、払うものがないからだ。

失ったものは、お金だけではなく、信用もだった。会社に乗り込まれたので、辞めざるを得なくなった。
逃げても逃げても、追ってこられる。殺されるという恐怖や、恥辱、自分を責める気持ちで、毎日パニック状態だった。
そんなときでも「どうしてついていったのか」「どうして騙されたのか」「もっと早く逃げればよかった」「セックスが良かったのか?」などという人ばかりだった。
そういう人たちしか残っていなくても、頼るしかないので、一生懸命返答したが、納得してもらえることはなかった。

支配、被支配の関係は、理解されることはないのだと思った。

それも、以前本を読んだとおりだった。

発達障害者の難しさは、単に、能力の凹凸だけではない。社会的に、「配慮」される中で、もちろん、成長していったり、ゆっくりと苦手を克服することもできる。

でも、弱っているときに、周りの人から引き離されて、洗脳されてしまったら?

そういう状況にわたしたちは一番弱い。
一対一で相手の言葉を鵜呑みするしかなくなる。
反論を試みても、すべて無効化されてしまう。そういう相手なら、逃げればいい、という発想が思いつかない。
逃げてもっとひどいことになるかもしれない、逃げないで耐えれば、いつか相手もまともになるかもしれない、という夢を見る。
そうしていないと、地獄に耐えられないのだ。

DVを受けて離婚したことを恥ずかしいことだという人は、現実にいる。
実際に言われたことがある。
騙されたほうが悪い、暴力を振るわれたほうが悪い、そういう人は現実にいる。

わたしは、いまだに、読書やテレビを見ることができない。音楽も聞くことができない。
パニックで一晩泣き明かすこともある。
趣味も手放した。
中身のない人間だと自己嫌悪に陥って、身動きが取れなくなる。

六帖さんの場合は、男性だったせいで、自分が逃げるべきなのだ、という発想を持つことが難しかった。
わたしの場合は、相手が働かない、わたしの金で生活しようとする、致死量の薬を飲ませる、そういうことがおかしいというのがわかりやすかった。
でも、六帖さんの場合は、妻が働かないことも普通だし、家事をしていれば、実際に何にお金を使っていようが、見過ごされやすいし、子供に対する扱いも、ホームスクーリングをしているといえば、周りは何も言えなくなる。
女性が、DVを振るった場合、言葉にしても、それは「普通」に見えやすい。また、六帖さんの場合、同性の友人に相談しても、男性の中でDVに知識のある人が少ない。
そういうこともいろいろと問題を長引かせた。

知識があっても、DV被害者になることは避けられない。その後、ケアされることも難しい。
わたしの場合は、かかりつけの主治医が、DVやパニック障害に詳しい病院を知っていたから、すぐに入院できたものの、たいていはそういう幸運に恵まれないだろう。

発達障害は、対人関係の障害でもある。
恋愛や、結婚という、密室の関係に踏み込んだ時、わたしたちは、一人で歩まなくてはならなかった。
大人になってからの支援は、とても難しい。支援につながっていることも難しい。

わたしは、疑問を持てない。困っていることに気づけない。
だから、助けを求められない。
被害に対する認識を持てない。それを「受け止める」ことになれている。
自閉症スペクトラムの人間として生きるということは、理解不能な世の中に対して、何もかも鵜呑みにしていく、という生存戦略を取らざるを得ないということだ。
わたしの常識は世の中の常識ではない、ということを早々に学んでしまったせいで、自分の違和感を封じ込めやすい。
相手が正しいと思う癖がつきすぎている。
だから、疑問を持てない。

反対に、加害者になることもあるだろう。
そういったときに、相談しようにも、何が問題なのか、そもそも問題が起こっているかどうかすら、疑問を持てないわたしのような特性の持ち主は、どうしていったらいいのか、今も試行錯誤でいる。
これは、知性や、知識の問題ではないのだ。
人とのかかわりの障害なのだ。


ピアノ

かなり精神状態が悪く、夜中ずっと四時まで泣いて暴れてしまった。
子供を育てるということは、それがたとえおなかの中胃にいるときであっても、自分の子供時代を思い出すトリガーになる。
パニック発作が起きた。

パートナーの六帖さんはピアノを弾く。音楽が好きだ。
わたしには音楽は雑音よりもうるさい何かにしか聞こえない。規則性もあるのはわかる。でも、不愉快でつらい。
聞いているとその間は耐えられても、そのあと精神状態が悪いと子供の時のつらい思い出を思い出す。
ピアノが大嫌いだったのに、練習を強要され、練習をすればうるさいと言われ、父は浮気をして、母はいらついていた家庭のことを思い出す。

わたしには到底無理な、やりたくないことばかりを強いられた。剣道もやりたくなかったのに、理想とする子供を育てるために強要されたせいで、常にけがばかりで、骨折しても怒鳴られて医者に連れて行ってもらえなかった。

お金はあったのに、服を買ってもらうこともなくて、時代遅れのおさがりばかりを着せられていて、妹は、新しい服をいくらでも買ってもらっていた。
妹はわたしが彼女を虐待したという。その妹は、わたしにいくつかの精神疾患の症例を見せて、お姉ちゃんはこれでしょ、これもそうだよね、と言ってきた。どれも結果的に外れていたけれど、いまだに思い出して動揺する。人格障害だの、ボーダーだの、あらゆることを言われた。どれも今の診断とは違う。彼女は医者じゃないのに、どうして、そんなことを言ったのか、今でもわからない。わたしはとても損なわれた。

ピアノを聞くと、家族にまつわる、あらゆることを思い出す。ひどいことをされたり、言われたりしたことを延々と思い出す。
家族ごっこをするときに突き合わされて、いい顔をしないければ車から降ろすと脅されたり、父に手のひらを出せと言われて小銭を落とされたりしたことを思い出す。

子供時代のことを思い出すと、吐きそうになる。
ずっと昨日は過呼吸と、嘔吐しそうになる症状を繰り返して泣いていた。
六帖さんはピアノをやめるという。
わたしは、六帖さんが、ピアノを音楽として聴けることや、上達を楽しめることが妬ましい。
わたしには、音楽に聞こえない。不愉快な、音がたくさんなっているようにしか聞こえない。心がかき乱される。
わたしがいなければ、六帖さんはピアノを弾ける。
わたしは、彼が楽しんでいることのほとんどができない。
だから、彼が楽しむところを見ると、うれしい一方で、自分のみじめさを思い知らされる。
わたしにはなにもできない。

音楽なんて緊張ばかり強いられて、ひとつも好きじゃない。
うるさい。雑音だ。大嫌いだ。音楽が好きな人は幸せそうだ。それも妬ましくてわたしには欠けたものがあって、それを思い知らされる。

わたしにはなんの楽しみも趣味もない。そういう欠陥品だということ、生きていても何の意味もない、すぐにでも死んだほうがいい人間だということを思い知らされる。
わたしには、ピアノの音の良さがわからない。
音が痛い。キンキンして、刺さる。
ピアノが弾ける人は努力できる人だ。わたしはずっと努力できないといわれてきた。
ピアノを弾けないわたしは、努力もできないくずなのだと、思い知らされる。

音楽なんて、心をざわつかせるものを、好きになれる気がしない。
音楽がすべてと言える人をうらやましい、妬ましい、わたしにはわからないものを、素晴らしいといえることをが、わたしがダメな人間だということを改めて芯から教える。

わたしはやりたいことを嘲笑われる子供時代を過ごしたせいで、今でも、したいことや自分の楽しみが、なんなのか、わからない。
無趣味のくだらない人間だ。
努力もできない。
好きなものなら練習も楽しいというが、わたしには楽しいものは何もない。

趣味のことを考えると、夜中にたたき起こされたことや、殴られたことや、恥ずかしい思いをさせられたこと、親にまつわることをどっと思い出す。

パニック障害になってから、テレビも捨てた。読書もできない。わたしは何にもない人間だ。
六帖さんにはたくさんやりたいことがある。
わたしさえいなければ、彼はどんなことでもできるだろう。
わたしは消えてなくなりたい。
わたしにはできることも、やりたいことも、何一つない。楽しいこともない。
生きているけれど死んでいるのも同然だ。
楽しいこと、やりたいことを探そうとするたび、頭の中に植え付けられた、両親のののしる声があふれて、早く死にたいとしか思えなくなる。

人が楽しむ音楽というものを、どう楽しめばいいのか、考えていた。慣れればいいのかと思い、慣れようともしてみた。
ゲームも、娯楽も、わたしはなにもできない。
カメラもしたけれど、何を撮ればいいのかわからない。何を撮っても、どこがだめなのか、指摘されることで、心が折れてしまった。わたしは、何をしてもだめだ。撮っているうちに、うまくなるのだろうけど、その間に否定されることがつらく、できない。
否定されることにこんなにも弱いわたしは、欠陥品だから、生きていてはいけないのだと思う。
早く、自然な形で死にたい。この苦しみから逃れたい。
どうして、こんな、いびつな、人間が生まれたのだろう。

わたしは、母親にも父親にも、きっと二度と会わない。葬式にも行きたくない。
会いたくない。これ以上狂いたくない。あの人たちは、わたしを狂わせることに長けている。
ピアノは、そういうことを思い出させる。音楽は、わたしを混乱させる。ひっかきまわす。
音楽も映像もない家を作っていたけれど、今はそうじゃない。家に居場所がない。安らげない。
刺激を抑えていたい。でももうだめだ。おしまいだ。

わたしがおかしい。わたしさえいなければ、丸く収まる。うまくいく。
わたしは消えてなくなりたい。


双極性障害と妊婦

未来に花束を観にいったら、性虐待のシーンがあり、PTSDが発症して、退場を余儀なくされた。
こういったことが苦しい。二十年も前のことで、いまだに自由が制限される。

わたしの妊娠が重いのは、双極性障害が重いからだ。
精神的な状態で、体が動かなくなる。熱も、じんましんもでる。動けなくなる。眠るしかない。
PTSDのせいで、テレビや読書が不可能だ。文字を追うことができない。できることが少ない。みじめになる。どんどん自己評価が落ちる。

子供を産むことは社会参加だ、といった精神科の言葉を胸に、何とか耐えている。
エビリファイを最低限、サインバルタ、ソラナックスだけでなんとかしている。一時期は十種類から、三十種類飲んでいたから、量も種類もずいぶん減った。その結果、生活の質が非常に下がっている。
うつ状態の時には起き上がることができない。倦怠感、頭痛、腹痛が襲う。体に力が入らない。
苦しいことや悲しいこと、悪夢ばかり見る。人が死ぬ夢や、鉄道が脱線して多数の人が死ぬ夢を見た。

子供のことを考えると、それだけ自由がなくなるのだ、わたしにはできないかもしれない、という不安が押し寄せてくる。
今でさえ寝たきりなのに、問答無用で生かさなくてはならない弱いものを生み出すことを考えると怖い。
小さい子供を見るとかわいいと思う。おなかの子供もかわいいと思う。でも、檻に入れられた気分にもなる。

自分自身のことさえできないのに、気分が、変わっていく。
その気分の変化を感知できないでいると、身体的な症状にスライドしていく。身体的に苦しい時精神安定剤であるソラナックスを飲むと、軽減することが多いから、不調のほとんどは、精神的なもののようだ。

ストレスの原因を取り去っても、双極性であることは変わりがない。薬が飲めないことで、つらいと最初は思わなかった。
ただじわじわと、できることが減っていった。それを、薬を飲んでいないせいだとは気づかなかった。
妊娠のせいだと思っていた。でも、薬が飲めないからだ。
薬を飲めないと行動範囲が狭まって、どんどん精神的に追い詰められる。

発達障害だろうと何だろうと、社会との接点がないと、わたしは狂う。


お風呂の時間だけが救い

風邪と食中毒が一緒になったみたいなつわりがずっと続いていて、もう、とっくに終わってもいいはずなのに、まだある。

食事は少しずつ食べられるようになってきた。絶食の後はヨーグルトにはちみつをかけたものが比較的食べやすい。
味付けが濃いものや脂っこいものも、楽なときは食べられる。薄味のものは食べにくい。
味覚が変わっているから、味がよくわからない。すっぱいものはおいしい。ほかに食べられない。

お風呂に入浴剤を入れて入った後は比較的楽なので、お風呂の時間が唯一の救い。
人と会わないので、とにかくさみしい。世界中から嫌われているという妄想がある。

減薬をしているので、躁鬱が悪化し、振り回されていて、つわりのせいもあるけれど、外出もままならない。
一歩外に出れば、人間らしく振る舞えるのだけど、なかなかそのパワーがでない。

家の中では、独り言がひどい。意味のない単語を延々という。節をつけて言ったりもする。
一緒に住んでいるのがほかの人だったら耐えられないと思う。

仕事の面でも、ずっと休んでいて、個人的に迷惑をかけているお客さんも多い。
仕事をできないのもつらい。

去年までは働きすぎていたと思う。五年前と比べて、躁鬱の切り替わる時期が短くなった。具体的には一週間周期だったのが、三日周期になった。
働きすぎないようにしながら、食い扶持を確保するのは難しい。
体もうまく言うことをきかない。薬の副作用で太ってしまったのもずいぶんと悲しい。
一日中そのことが頭を離れない。

社会から隔絶されていると悪いことばかりを考える。かといって社会と接続していても、つらいことは多い。
どうすればいいのかわからなくて、ぐるぐる考えてしまう。

きっと子供もも、なんらかの困難を抱えている子が生まれるだろうから、何ができるか、考えている。


ギフテッドであろうとなかろうと生きにくい発達障害

あれから約1年、50円東大生と発達障害の数学少年が再会しました。
この記事のブコメに才能があることについて、嫉妬している発達障碍者の人がいた。
結構しんどい話やなーと思う。

わたし自身は、ギフテッドかどうか知らないけれど、小学三年生のころには、古典を読んでいた。清少納言や、紫式部。ひらがなで書いてあったから読めたのだ。下に注釈があったし。翻訳されたものならシェイクスピアや、海外の昔話、童話やその類似性を分析した本を読んでいた。
株や法律、保険金、そういったものの本も読んでいた。小学生の時には一日に一、二冊、休日には五冊から十冊読んでいた。
だから、国語は得意だった。国語が得意だとほかの科目もできる。特に社会は雑学を知っていればある程度できる。
高校受験の時には、答え方を覚えていないとできないから勉強は必要だった。

でも、わたしは二次障害で体を壊し、学校に行けなくなった。

適応できなかった。

目につく才能だったから、ほめられることも多かったけれど、謗られることも多く、仲間外れや、いじめも受けた。
何足靴を買い替えたかわからない。片方の靴を隠されて見つけられても、もう片方は燃やされていた。一緒に探すふりをした子が犯人だった。その子は、泣いて、もういいから帰る、といったわたしを、見つかるまで探そうよ、と言いながら、わたしの反応を見るために最後まで残っていた。

わたしは社会性がなく、うまくいかないことがあると、教室の中で机を放り投げて暴れたこともあった。筆箱をおもちゃにされて、投げた男の子をナイフをもって追いかけた。教師に、ナイフをもって追いかけたことを怒られた。ランドセルをぼこぼこに踏まれて、家に帰ったら物を大事にしないと怒られた。そういうことに、納得がいかなかった。

中学時代の時は体がしんどくてたまらなかった。勉強だけしていればいいと許してもらえれば楽だった。
満点でも許してもらえない親の元で、勉強をする時間を求められて、いつもドアを開けることを命令され、ランダムに見張られては怒鳴られる家庭で、落ち着いていられる時間もなかった。

学校でも家でも、居場所がなくて、いつも死ぬ場所を探していた。

多少優れた点があっても、社会とうまくいかなかったら、生きていくのはつらいことだ。
社会とうまくいっていても、やっぱりつらいものはつらいだろう。社会とうまくいっているから、かえってつらいこともあるだろう。

わたしの躁うつ病は二次障害なんじゃないかなと思っている。

働き始めてからもいろいろと困難はあった。働くということがあまりよくわからなくて躓くこともあった。
幸い、勉強が得意だということを生かして、塾の仕事につけたからよかったけれど、働きやすい業界かというと、そういうわけでもない。
今は、パートナーに養ってもらったり、生活の面で補ってもらっているから、ずいぶん楽になったとはいえ、彼もわたしと同じ発達障害だ。
彼もやはり、勉強が得意だったものの、成人後は、かなりの地獄を見ている。

わたしたちにあるものが才能と呼べるほどのものかはわからない。多少優れている点はある。そこを隠しても、謙遜だと思われることはなく、むしろ、悪いように取られるので、わたしは優れている点がある、ということにしている。どちらにしても、憎まれる。優れた点や変わった点があると、それをもっているだけで、憎まれる。隠すことはできない。隠しても、それはそれで憎まれる。

他人からどう見られるのかを多少想像することはできても、たとえば、嫉妬の概念のない私には、うらやましいところまでは理解できても、嫉妬ということの全容は理解できない。できないものに対策はできない。わたしにない感情は、わたしには理解できない。
そういうところで、衝突はよくある。

自分を隠せば隠すほど、もっと難しくなる。かといってむき出しのままでも難しい。どちらにしても難しい。正直でいることのほうが、単純だから対処しやすい、というだけで、自分を隠さないでいる。でも、やっぱり、いろいろな人がいるから、絶対の正解とは言えない。

正解を探してしまうのが、わたしの特徴でもあるけれど。

適応しようとして、適応障害になったこともあった。体が動かせなくなった。過呼吸もひどかった。

才能だけを見る。そうすると、きっと羨ましい。才能がない。そう思えば、自分には何にもないと感じる。
わたしは、自分の才能を、「なんの役にも立たない。お金にならない。社会では役に立たない。価値がない。そんなものは才能とは言えない」と言われたことがある。わたしはその人の言うことを聞いてしまい、時間を無駄にした。
才能があると目立つ。目立つとつぶされる。
才能がなくて、何もないと嘆くこともある。自分のできることに何の価値も感じられなくなると、自分にはどんな意味での才能もないのだと、思い、心細くなる。わたしは何もなさないで、何もせず、死ぬのかと思うと、さみしくなる。

何を才能と呼ぶのか、評価する人がいてこそ才能だと認識できるのだと思うけれど、もし、才能があったとしても、生きていくことは難しい。
才能がないとしても、生きていくのは難しい。
才能があるといわれてたけれど、期待ゆえに、ゴムを引っ張り続けると、ちぎれるように、ちぎれてしまったわたしも、やっぱりいる。
何もかももなくして、わたしには、才能どころか能力もない、価値もないと、泣いているわたしもいる。

どちらも楽じゃない。
両方のわたしがいる。


旅行にいってきた

旅行にいってきた。
六帖さんとはあまり旅行しないまま妊娠してしまったので、急いで二人きりの生活を満喫しようと思って、旅行にいってきた。

旅行はすごく楽しくて美味しい空気と水を満喫してきた。
一番の贅沢。

ホテルでゆっくりして、フレンチを食べた。
とても広い部屋で、八畳間の和室と洋室に別れていて、アミニティも充実していてとてもくつろいだ。

夕食はフレンチのフルコースで、オードブルのホタテの燻製や海老が美味しかった。マスのコンフィを食べた時点でだいぶ満腹になった。
子牛のフィレはしっとりしていて柔らかくてジューシーだった。
デザートはマカロンとバニラアイスクリームと生チョコをイチゴのソースにつけたやつだった。

ノンアルコールの白ワインというのがあり、それを飲んだ。
ブドウジュースと少し違うみたいだ。

朝は散歩をした。
空気が木の香りで満たされていて、風が吹く度に凍えそうになった。
それでも日当たりのよいところを歩くと暑いくらいだった。
山が砂糖菓子みたいに白かった。
二人で歩いて楽しかった。

毎日日記を書きたいのだけど、ネガティブになってしまっていて、誰からも嫌われてるし、誰も読みたいと思っていないのだと思うので、気持ちがくじけてしまっていた。

でも、最初書き始めたときは、なにも期待しないで、書いていたのだからもとに戻ればよいのだ。

つわりは収まる様子を見せない。だんだん体力も落ちてきて、気持ちも弱っている。

旅行中はつわりも軽かったのだけど、帰る途中から悪くなって、家についたとたんにだいぶ吐いてしまった。

妊娠中の記録をもっとつけるつもりだったのに、あまり書けない。

自分のからだの変化が恐ろしくて、太ることがやはり怖い。食べていないので痩せてしまった。
でもそれにほっとするような、気持ちもある。


ずっと悲しんでいていいんですよ、と言われたら満足なんか

http://blog.c71.jp/?p=2064

ずっと悲しんでいたらいいですよ、悲しかったですねえ、それを大事にしていてくださいね、なんていえば、満足する人がいるのは知っている。でも、わたしはそういうことを売らない。

わたしは、身近な人に頭蓋骨割られたり、子供を引き離されたり、刺されたり、骨や歯を折られたりしてた人としばらく暮らしていたことがあった。

なんぼ悲しいことがあるにしても、これより苦しくて悲しいことそんなにないやろ、というような集団だった。

でも、悲しかろうが、苦しかろうが、生活していないと食ってけないから、仕方がない。

誰も助けてくれないからね。周りのことは助けてくれても。

人にはそれぞれ悲しいことがあるだろうとも。プロセスや期間は様々だろうとも。悲しみに上下はないだろうとも。

いつまでも思い出すこともあるだろうとも。

でも、わたしは、心と体と頭がついているんだから、ちゃんと生きて、暴れて、失敗して、今困っていることを解決して、自分が生きている、って感じで生きるのがいい感じだと思う。

不幸はありふれていて、見えないところにボロボロになった人たちがいっぱいいる。

でも、それにちゃんと向き合って生きていたら、生きていることに忙しくなるんだよ。

体が動かなくて寝込んだ十年がわたしにもあったし、わたし以外にもそういうひとたくさんいてはる。

動かないもんは動かないんだから仕方がなかろうもん。腕や胃袋やのどやぼろぼろにしながら、自分の体傷つけながら、生き延びている子ら、たくさん見たもん。

でもそういう子らに、ずっと悲しんでいていいんだよ、というか、それとも、生き延びながら、腕やらなんやら傷つけながら死なないように生きていくすべ教えるのかは全く違う。

ずうっと昔に遭った悲しい出来事を、ずっと生活の中心におけるのは、贅沢や。だって、それを上回る出来事が今ない、ということの証左でもあるからや。幸せっていうことじゃ。

ずっと悲しくていいんですよ、って、その場では癒されて、認められても、それを鵜呑みにして、悲しいまま死ぬまで悲しがってて、そんで、死ぬ前に「ああ、楽しく生きたかったなあ」って思っても、誰も責任とってくれまへんのや。悲しい出来事がすべての元凶か?

そうね。悲しい出来事なかったほうがよかったよな。それはそう思うわ。でも、あるんじゃ。

生きてるんだもん。

ひどいことをしたり悲しくなるようなことを言ったりする人が悪い、ちゅうなら、恨んで憎んで、自分のせいじゃない、あいつのせいじゃ、って思ってたらよかろうもん。

幸せになることはほんとに難しくて、失敗ばかりじゃ。

でもそうしたときに、「悲しいのは当たり前だから人それぞれの期間やプロセスがあるんだから、心配せずに悲しんでいたら、いいんですよ」と言われて満足するなら、それは悲しいのが好きだし趣味だし、それが自分の幸せだ、って自分で認めて選択してくれや。わたしを巻き込むな。

わたしは違うねんから。そういうの、サービス外やで。売りもんにしとらんもん。売ってないもんをほしいといわれて断るしかなかろうが。

悲しいことには依存できる。依存してたら、ほかのこと見なくていい。すべての依存はほかのこと見なくていい、風に作用すると思ってる。

だから、依存から逃れるのは、難しいんだ。依存でごまかされていたいろいろなことと、向き合って、つまんない、地獄みたいな、人生見ないといけないもん。依存している間は、それが問題で、人生の中心問題だから、依存をなくすように戦い始めたら、空っぽになる。

空っぽから始めないといけない。依存を治療することは可能でも、依存がなくなった後の空っぽを何とかする魔法はないんで。

合理的な行動や選択じゃないことを取り続けていたり、なにかの思い込みをしてしまうのは過去に問題があるからかもしれん。

じゃあ、その問題を分析して、解決したらよかろうもん。なんで、しないかというと、我々はみんな、弱いからや。

そんでも、いつまでも弱く、悲しくいて、幸せか?

わたしはそんなん、幸せじゃない。

だから、どんだけ、ひどいことがあっても、悲しくても、しゃーないや、って思うようになるまで待つことをしたり、分析したり、あきらめたり、なんやかんやする。どんなに悲しい、恐ろしいことがあっても、自分の心からは逃げられないんだから。

わたしは、悲しみや苦しみを軽んじているわけじゃない。そんなん、忘れて、さっさと次にいけ、いつまでもやってるな、なんて、一言も言ってない。

言ってないが、勝手に読み取る人もいる。そういう人はそういう風に生きてったらいい。

わたしは、書いてないことまで責任とれやしない。

悲しくたってさ、苦しくたってさ、身を切るような苦しみがあったってさ、生きてたら、ああ、悲しくて苦しいな、また、朝が来てしまった、もう死にたい、と思い続けてもさ、でも、息して水飲んで、飯食ったら、生きてしまうもん。

体が生きたがってるんだから、まあ、生きるしかないんだ。

それがわたしのあきらめである。

わたしは欲張りだから、生きるしかないんだったら、心と体と頭でもがいて、自分の幸せ作りたい。誰にも奪われないで済むのは自分の心だけや。洗脳されたかて、逃げられないとしても、最後にはそれが残ると思ってる。

自分を信じてないのは誰なんや。

大事な物を捨てられ壊され、全部失った。そういう人は悲しいまま死ぬか、というと、そうじゃない。生きる人もいる。わたしもそっち側でありたい。

全員がそうあれというつもりはない。

できない人はできない。できる人はできる。できない人でも助けを借りたらできるかもしれない。それも手腕だ。

ずっと、悲しんでいたらいんですよ、と言われたら本当に満足なんか、ほんとにそんな人いるんか、と思うけど、いるねんな。

でも、わたしはそうじゃない。そうじゃないんだから、仕方がない。あきらめろ。

わたしは、あきらめて、次考える。いっぱい失敗する。成功なんて、十回やったうちの一回あるかないか、もっと少ないかもしれん。

でも、ずっと前向いていたいもんな。

わたしは、そうしたい。わたしの考えが気に食わないならそれでいい。

わたしは怒って、暴れて、悲しがって、苦しがって、寝込んで、吐いて、熱出して、歩けなくなって、そういう人生を歩んでいたけど、希望は捨ててない。

だって、それがわたしだから。生まれてからずっとそうや。そうじゃないもん、求める人はほかにあたってくれ。

わたしは神様じゃない。みっともない、人間じゃ。


アトピーだった

かなり重度のアトピーだった。

眠ると背中の皮膚が、シーツに張り付いて、蛇の脱け殻のように、体の形に皮膚がシーツに残った。

浸出液が止まらず、脱水で、二日に一度点滴をしていた。

二週間、熱が三十八度を下がらないほどの炎症で、血液検査の数値は悪すぎて、手書きだった。普通の機械の桁を越えていたからだ。

死ぬかもしれないと思い、この先生が間違って死んでも構わないと思えるほど、信じたい先生を選んだ。

その先生の治療が間違っていて、死んでも構わないと。

体力は落ち、お風呂に入っても、水圧に負けて、引っ張りあげてもらわないと、お湯から出られなかった。

薬を塗るそばから皮膚が剥離した。
指先から皮膚がずれていった。

手のひらは水疱のなかに水疱ができて何重にもなり、潰れて、真皮が露出した。
箸もなにも握れなかった。

食べ物を食べると、その熱で、炎症が強まり、倒れた。

水が火傷と同じように外側に集まるので、常に寒かった。

歩こうにも、足の裏に皮がなく、痛かった。

髪も抜けた。爪もなかった。

皮膚は、バリアだ。

精神科の先生や、皮膚科の先生が、人から境界線を心の境界線を犯されたとき、悪化すると教えられた。

お母さんはやるべきことをみつけて、生き生きとしていた。

境界線を崩したのはお母さんだけでなく、父や、男や、親戚やいろいろな人だった。妬まれてもいた。

家族に反対されながら、大学にいくために一人暮らしした。

少しずつ改善した。

心の問題がすべてだったとは思わない。

でも、あのころわたしは耐えた。生きてた。

今もだから命がある。
死んでもおかしくなかった。

気の狂うようなかゆみと痛み。
眠れない夜。どんな体勢でもつらかった。
話すと唇が切れた。

内蔵と皮膚は繋がっていたから、内臓にも炎症が起きていた。

治療法はないに等しかった。

寝たきりのわたしを支えていたものがなんだったのか、もう思い出せない。

わたしのからだや顔にはあとが残っている。
シミのような無数のあとが。
普段忘れているけれど、思い出させてくる人もいる。
それはなにか、とか、不摂生したの?こうしたら治るよ、と。

惨めになる一方で、殺してやりたくもある。

これはわたしの戦いの証。

誰にわからなくても。汚いと言われても。

わからない人にはわからない。それでいい。

確かにわたしは今も生きている。

それだけしかわからない。


躁鬱が苦しい

自分の思考が鬱によって歪められている。
考えることが気分に影響されて、現実を歪めて解釈させる。

味方などいないのだと、気分がささやく。

本当はそうでないと理性では知っていても、感情は強力で否定する。

なすすべもない。

誰の言葉も信じられず、届かない。

わたしは治らない。
躁鬱は治らない。

苦しさと同居するだけ。

その中でも何かなしたいと、願っているけど、こんなときには志も無力だ。

激しい波がわたしを押し流す。
津波のようだ。