岡田法悦さんと田房永子さんのゲシュタルトセラピーに行った感想

こちらは、ネガティブな感想になります。

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わたしは、田房さんのファンです。
そして、百武さんのゲシュタルトセラピーに行ったことがあります。
だから、このイベントを楽しみにして行きました。

ネガティブな感想を言いたかったから参加したわけじゃないです。

でも、正直に言って、このイベントは失敗だったと思います。

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イベントに参加してから、キレる私をやめたいを読み直しました。
そして「タカちゃん」のセリフを六帖さんに言ってもらいました。

すると、ものすごく腹が立ちました。

「この部屋散らかってる」
「うるせー」

って言われたらむかつきます。近所のAちゃんも遊びに来ていたのですが、「もし六帖さんが本当にそれ言ったら、c71ちゃんもう家出してうちにきていい!っていうね」「そうだね。もう捨てるね」「僕も嫌だ……」という結果になりました。

田房さんは理不尽に切れていたわけじゃなくて、本当にむかつくことを言われていたから切れていたんでは……。

つまり、夫婦の関係にくちをつっこむのはよくないことですが本を読みこんだ結果、不当なことをされているのは田房さんではないかと思いました。
また、警察を呼んだ下りのところでは、暴力を振るわれているのは田房さんだと思います。腕をつかまれるのは暴力です。
勝手に、模様替えをしたり、片付けをしないで、「どこどこにカラーボックスがあるのはおかしい」と言って来たり、片付けをした田房さんをほめないのはおかしいです。
六帖さんなら、出しっぱなしにしているカラーボックスがあったら片付けてくれるし、稼いだ額をわたしが言ったら「それ恥ずかしい」とは言わずに「すごいねー」と言ってくれます。
それが当たり前です。

子育てを手伝っているとか、家事を手伝っているとか、夫にそういう描写が全くないのが気になります。そして、追い詰められる気持ちになったのでは。

ゲシュタルトセラピーでは、気持ちが楽になるかもしれないけど、本質的な解決にならないと思います。

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岡田さんのセラピーですが、ワークの途中で「?カルトっぽいな」と思う場面がいくつかありました。

「目に見えるものを書いてください」
というので、書くのですが
「これは、見えたものじゃないですね。考えですね」と言って「色」について、否定するのです。
「色は黒っぽいかもしれない、でも完全な黒じゃない」という風に、判断が入るものは間違っているというのです。
だから「優しそうな顔」というのも、判断が入っているから見えているものじゃない、というのです。

でも、そうしたら、名詞というのは抽象概念だから駄目じゃないかと思ったのですが、名詞はよいらしい…。
えらく主観的じゃないかなと思いました。

今、見えることにフォーカスしてくださいと言って書いているのに、色や形や素材については「確かめられないから想像」「考え」と言われたり、「動詞で表せるものは、本当にそうなのかわからない」と言われたりします。

そして、どんどんダメ出しをしていくスタイルです。

だから、セラピーなのに気が重くなりました。人は、正解しないと苦しくなります。
名詞がいいのがなぜなのか謎です。名詞も確かめられないでしょう?眼鏡に見えても眼鏡じゃないかもしれない。
膝に見えても膝の範囲はわからない。足が見えても、脚なのか、足なのか、範囲選択できない。

色が禁止されましたが、色のほうが客観的です。
それは、光の差分が取れ、測定できる要素だからです。

「お昼ご飯食べたいものを考えて理由をつけて話してください」
……。

「理由をつけたら、それは考えなんですね。今にフォーカスしていない。だから、過去なんです。過去について検索して、考えていることになるんです」

そうなのかなあ……。
でも、それを言ったら、五感すべては、遅延を伴って肉体につながって、それから音速の速さで脳内を駆け巡るものだから、五感で感じたものすべては、過去のものになるんじゃないかな。そして、考えは過去、感じていることは現在というけど、厳密な意味で言うと、感じていることも過去のことになるのでは……。

「インチキじゃないですよ」
と岡田さんが言ったので、だいぶ雲行きが怪しいな、と思いました。

「インチキ」だといわれる方がわたしは安心します。「インチキじゃない」と言ってくる人はたいていインチキだと思います。

ヒプノセラピーも受けたり、レイキヒーリングも受けたりしますが「楽しい範囲」でと思っています。
温泉と同じですね。
医者は信頼しています。温泉やマッサージで本当に病気が治るとは思っていませんが、気持ちがいいので行きます。
上記二つも、面白い、楽しい、なんだかリラックスするというところにお金を払います。

ベシー占いというのをわたしはやっていますが「当たります」「信頼できます」とは一言も書いていなくて「インチキでも受けてみたいなー」くらいで受けてほしいと思っています。「ベシー」の自己紹介は「宇宙の妖精」なので、そこを乗り越えられる人にだけ、お客さんとして来てほしいわけです。だから、なんだったら「インチキ」ですよ、くらいは言ってもいい気持ちでいます。というか、言いたい。信じなくていい。
わたしも信じていない。怪しい。
信じてないけど面白いと思う人だけでいいです。

その後、実際のグループワークに移ったのですが、「ファシリテーター」としてこの人どうかな、と思いました。
ファシリテーターというのは、ゲシュタルトセラピーで、相手の感情や動作を引き出す人なんですけど、なんだかいう文句が通り一遍で、「あ、これ田房さんも漫画で言われたセリフと同じだ」と思いました。
そして、やりすぎでした。
わたしは、感情を爆発させすぎて手にけがをしました。セラピーでけがをするのって本末転倒だし間違っている。
もっと殴って、と言われたから(わたしが誰かばれてしまいますね)もっと殴ったんですが、トランス状態というか、催眠状態に入っていて、言葉通りに動きたいんですよねどうしても。あれは泊めるべきだったと思う。最初から、「こういうことで殺したい人がいる」というのでテーマのあるワークをしたわけだし。感情を出しすぎないようにコントロールするのは、岡田さんの役なのに。それができていないのは、おかしいと思います。

わたしは、殺したい相手の椅子に座ったのですが、言いたいことも考えていることも何も浮かびませんでした。
だから「何もわかりません」と言って椅子をまた移ったのですが、それも当然で、自分以外の人になって、話すのは、「自分の願望」「自分の言ってほしいことを話してほしい」というのが、ある時だと思うのです。
わたしの殺したい相手の一人は犯罪者だったので「願望」がないのです。だから、相手に言わせたいことは何もないのです。

自分の言ってほしいことを過去の人に言わせたい分にはいいと思います。
最初に「この人に、本当は、こういうとを言ってほしかった」と思っているなら。
でも、そうじゃないことには向かないセラピーだったと思います。
ほかの団体だとどうかは、わかりません。
でも、トランス状態に(いわば勝手に)したうえで、感情を吐き出させて、クライアントにけがをさせるっておかしいと思います。
催眠療法は、最初に「催眠状態にします」という宣言があってそれを了承して始まるのですが、ゲシュタルトセラピーは催眠状態にするのにあたって何も一言もないのが怖いと思いました。

また、チェックインはありましたが、チェックアウトがありませんでした。
これは怖いなーと思いました。
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岡田さんは終了後、12800円の本を売っていました。
田房さんは先に帰りました。
グループワークも一人当たりの時間が一時間と長すぎました。
田房さんは角川の人に昼休みを削ってサイン会をさせられていました。
嫌でした。

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帰ってから、岡田さんと田房さんの対談を読んだのですが「嫌いな上司がいる」という話に「過去嫌に思った人を投影している」「言われたことを違う風に解釈している」という風に言っているのですね。
でも、嫌いな上司なんてやまほどいて、屑みたいな人間が上司のことって山ほどあるじゃないですか。
そこを、過去の出来事のせいにしてしまうと、現在の問題を具体的に解決できないと思うのですね。
(過去のせいにしていないという風に言われるかもしれないけど)

ゲシュタルトセラピーの結果、いらいらやキレるのが収まると、本当は「退職」した方がよかったのに、現状維持をしてしまう可能性があります。本当は転職するのが一番良いかもしれないのに、ゲシュタルトセラピーでガス抜きができてしまうと、現状の追認に働いてしまう危険性があります。
でも、人間は生きているから、今起きていることに普通は反応する。
岡田さんのゲシュタルトセラピーは「今」の動作に注目して「過去」あった抑え込んでいる心にアプローチするものだと思うのですが、それだと、「今、危険にあっているから怒っていること」を「過去の出来事のせい」だから、自分の心にアプローチする、という行動をとらせてしまい、現実の改善をしないで済まさせるようになってしまいます。
セラピーの意図していることが逆転しています。
意図していることは生きやすくすることなのに。

わたしは夫にキレるなら、夫を交換したらいいと思うし、ママ友が気に入らないなら、関わらなければいいと思います。
それでなにがわるいのでしょう。
キレる原因を作ったほうが悪い。そう思います。キレていい。キレていいです。

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ゲシュタルトセラピーと「キレる私をやめたい」について


徒然草はつまらない、更級日記委は面白い

徒然草はおっさんが、なんだかいろいろだらだらほざいているだけなのでつまらない。

更級日記は、菅原道真の子孫が書いた日記だ。

更級、というのは、姨捨の言い換えで、作者が年を取ってから書いた日記の意味だ。

彼女は、紫式部やカゲロウ日記の作者の親せきで、妻女である。

初めて働きに出たのが、30歳前後で、親が寂しがって泣いている。

とてもかわいい話がいっぱい書いてある。

物語が読みたくて、十一歳の時に等身大の薬師如来を彫って、物語を読ませてくださいと祈ったり、物語が読めたときには、帝軒先になるよりも幸せだと和歌を詠んだりしている。

中学生や、大人の女性に読んでほしい。

結婚も遅く、33歳で結婚して、子供を産んだのもそのころだ。
晩婚、高年齢出産もよいところだ。このころ、ようやく少し現実的になったらしい。

ふらふら生きながらたくさんの人に愛された人だ。
愛されるのには理由がある。
心がとてもかわいい。

この本がとてもおすすめだ。
この本を一冊きちんと読めば、大学入試まで戦える。
読みやすいので中学生にもお勧めしたい。

萌え萌えになって、なかなか読み進められない。
名著である。


尼のような子を読み終わりました

何か面白いことを書こうと思ったのですが、面白いことが一日に存在していないので書けないな、と思いました。

今日は、尼のような子を読み終わりました。

尼のような子

尼のような子

真っ暗な中をひたすら疾走、そして失踪していくような文章がまぶしかったです。

愛するものに対して、歪んだ熱さを持って走っていく情熱が、うらやましいような気がしました。

わたしは、そうしたい気持ちもありながら、破滅するのが怖くて、自分にストップをかけているのだと思います。

最近の少年アヤさんのブログを読んだら、もう走る必要がなくなったのかな、と思いました。
一時期の文章は危うげで、読んでいて苦しくなるようでしたが、最後には力強く去っていたので、素晴らしいと思いました。

少年アヤさんは、わたしよりもずいぶん若く、早く親離れができてよかった、と思います。

わたしは親離れがなかなかできませんでした。
少年アヤちゃんには、生きる情熱があって才能もあって、みんなから注目されていてうらやましいなと思います。

わたしには何があるかな、と思います。

少し前に読んだミニコミで、事務員であることが耐えられずに仕事を辞めた人の話がありました。
わたしはそれを読んで惜しいなと思いました。その人は面白いことをする自分でいたいから仕事を辞めたのだと書いてありました。

わたしは、普通の人が、普通に働く物語が読みたいと思いました。
わたしには、それはできないので。

だから、わたしがいくら自分のことをつまらない人間だと思っていても、自分が思っていることを淡々と書いてけば、誰かが面白いと思ってくれたり、気が楽になると思ってくれたり、するのだろうな、と想像します。

わたしは自分自身の文章を読み返すとき、だいたい、面白いなとかつまらないなとか、自分のことを忘れて読みます。

だから、やっぱり少年アヤさんの素晴らしさとわたしの素晴らしくなさを比べても仕方がなくて、わたしと少年アヤさんとは全然違う人間だけれど、わたしも少年アヤさんも、文章を書きたいうちはたくさん書いて、読んでもらって、読んでもらう規模は全然ちがうわたしたちだけど、文章を書くところは同じだし、きっと願っているものも同じだから、いいな、と思いました。

それで、わたしはつまらない日でも面白くないなりに文章を書こうと思いました。
そうしたら、一日が面白くなかった人に、他にも一日が面白くなかった人がいるんだなと思ってもらえると思います。
それがわたしにできる一番いいことだと思います。


面白い本 仕事文脈 女と仕事

文学フリマで買った、仕事文脈三号、女と仕事を読みました。

読み応えがあって面白かったです。

仕事文脈の本は、嫉妬を呼び覚まされます。
「わたしにはこんなに仕事はできやしない!」です。
出ている人は、キラキラ、華やかです。うまくいっていない人も華やかに見える。うーん。
「本の力だ」
というわけで、やっぱり嫉妬してしまうのです。

わたしは就職がうまく行きませんでした。
やりたいこと、自分のしたい生活、向いていることが、ちっともわかっていなかったからです。

仕事を考えるときには、この三つが大事な気がします。

わたしは、SEになりましたが、SE向きの生活がしたかったわけではないです。向いてもいませんでした。

今は、塾で働いています。向いていると思います。したい生活

文学フリマで文章を書くことは絶対にはずせません。
だから、今の生活で良かったのかな、という風に思います。

いろいろな働き方を、今からでもいいから、知りたいと思っています。

世の中に出回っているインタビューはキラキラしすぎていて、参考になりません。
そこそこの人の話を知りたいな、と思っています。


面白くない本

珍しく本を読んだ。

文学フリマで買った本だ。

題名は人間関係に気を使って伏せる。

普通の人は普通のことを手放して、面白い人になりたがるのか、と思った。

わたしは普通になりたい。けど、普通の人は普通を手放してわたしのところまで降りてくる。
なんだか、もったいないな、と思った。

面白いことなんて、いくらでも転がっている。
脱がなくても、脱いでも、体を売らなくても、売っても、面白いことは自分の中にある。
自分を面白くするために、自分が安定して暮らせるものを手放すのって、つらいな、と思った。

でも、それは、その人にとって必要なことでもあったんだよね、と思う。

外から見ると歯がゆいけれど、そうなんだな、と思う。

わたしは、自分の心の中で起きていることを書くのが面白い。
それは、自分のためにやっていることで、その記録が、何かの役に立てばもっといいと思う。

それにしても、つまらない本だった。