尼のような子を読み終わりました

何か面白いことを書こうと思ったのですが、面白いことが一日に存在していないので書けないな、と思いました。

今日は、尼のような子を読み終わりました。

尼のような子

尼のような子

真っ暗な中をひたすら疾走、そして失踪していくような文章がまぶしかったです。

愛するものに対して、歪んだ熱さを持って走っていく情熱が、うらやましいような気がしました。

わたしは、そうしたい気持ちもありながら、破滅するのが怖くて、自分にストップをかけているのだと思います。

最近の少年アヤさんのブログを読んだら、もう走る必要がなくなったのかな、と思いました。
一時期の文章は危うげで、読んでいて苦しくなるようでしたが、最後には力強く去っていたので、素晴らしいと思いました。

少年アヤさんは、わたしよりもずいぶん若く、早く親離れができてよかった、と思います。

わたしは親離れがなかなかできませんでした。
少年アヤちゃんには、生きる情熱があって才能もあって、みんなから注目されていてうらやましいなと思います。

わたしには何があるかな、と思います。

少し前に読んだミニコミで、事務員であることが耐えられずに仕事を辞めた人の話がありました。
わたしはそれを読んで惜しいなと思いました。その人は面白いことをする自分でいたいから仕事を辞めたのだと書いてありました。

わたしは、普通の人が、普通に働く物語が読みたいと思いました。
わたしには、それはできないので。

だから、わたしがいくら自分のことをつまらない人間だと思っていても、自分が思っていることを淡々と書いてけば、誰かが面白いと思ってくれたり、気が楽になると思ってくれたり、するのだろうな、と想像します。

わたしは自分自身の文章を読み返すとき、だいたい、面白いなとかつまらないなとか、自分のことを忘れて読みます。

だから、やっぱり少年アヤさんの素晴らしさとわたしの素晴らしくなさを比べても仕方がなくて、わたしと少年アヤさんとは全然違う人間だけれど、わたしも少年アヤさんも、文章を書きたいうちはたくさん書いて、読んでもらって、読んでもらう規模は全然ちがうわたしたちだけど、文章を書くところは同じだし、きっと願っているものも同じだから、いいな、と思いました。

それで、わたしはつまらない日でも面白くないなりに文章を書こうと思いました。
そうしたら、一日が面白くなかった人に、他にも一日が面白くなかった人がいるんだなと思ってもらえると思います。
それがわたしにできる一番いいことだと思います。


面白い本 仕事文脈 女と仕事

文学フリマで買った、仕事文脈三号、女と仕事を読みました。

読み応えがあって面白かったです。

仕事文脈の本は、嫉妬を呼び覚まされます。
「わたしにはこんなに仕事はできやしない!」です。
出ている人は、キラキラ、華やかです。うまくいっていない人も華やかに見える。うーん。
「本の力だ」
というわけで、やっぱり嫉妬してしまうのです。

わたしは就職がうまく行きませんでした。
やりたいこと、自分のしたい生活、向いていることが、ちっともわかっていなかったからです。

仕事を考えるときには、この三つが大事な気がします。

わたしは、SEになりましたが、SE向きの生活がしたかったわけではないです。向いてもいませんでした。

今は、塾で働いています。向いていると思います。したい生活

文学フリマで文章を書くことは絶対にはずせません。
だから、今の生活で良かったのかな、という風に思います。

いろいろな働き方を、今からでもいいから、知りたいと思っています。

世の中に出回っているインタビューはキラキラしすぎていて、参考になりません。
そこそこの人の話を知りたいな、と思っています。


面白くない本

珍しく本を読んだ。

文学フリマで買った本だ。

題名は人間関係に気を使って伏せる。

普通の人は普通のことを手放して、面白い人になりたがるのか、と思った。

わたしは普通になりたい。けど、普通の人は普通を手放してわたしのところまで降りてくる。
なんだか、もったいないな、と思った。

面白いことなんて、いくらでも転がっている。
脱がなくても、脱いでも、体を売らなくても、売っても、面白いことは自分の中にある。
自分を面白くするために、自分が安定して暮らせるものを手放すのって、つらいな、と思った。

でも、それは、その人にとって必要なことでもあったんだよね、と思う。

外から見ると歯がゆいけれど、そうなんだな、と思う。

わたしは、自分の心の中で起きていることを書くのが面白い。
それは、自分のためにやっていることで、その記録が、何かの役に立てばもっといいと思う。

それにしても、つまらない本だった。