散財してしまうこと

今日一日で、一か月分のお小遣いを使い果たしてしまった。
パートナーが稼いで、パートナーがやりくりをしている。
パートナーは自分のものをほとんど買わない。
必要なものでも、迷って買う。

パートナーはわたしを許している。
わたしは、自分を許せないでいる。
でも、散財する。
散財して、その日を生き延びている。
生きていてくれとパートナーは言う。
わたしは、生きることにめげそうになる。めげる。

親と絶縁する前、美容や衣服に関心を向けることが許されなかった。また、元夫が、わたしのお金を使い果たしてしまった。
それで、人に使われる前に自分で使ってしまいたい、自分の人生に対する思い残りを、片付けたい、という気持ちがあるんじゃないか、と自分では思っている。

去年は、生活に支障が出るくらい、買い物をした。
今年は、管理できる範囲で、散財をしている。
少し、ましになったのかもしれない。
わたしが散財するために、パートナーは様々な苦労をしているが、彼はそれを苦労だといったことがない。
わたしといることが幸せだという。
いつも、不思議になる。信じられない、とは思わない。だって、本当にそう思っているみたいだから。
でも、本当に不思議だ。

彼は子育てがしたいという。
でも、彼自身は男だから産むことができない。
わたしは、彼に、子供を育てる経験をプレゼントできることをうれしく思う。
子供はプレゼントじゃないけどね、子供の人生は子どものものだから。
でも、子供にお父さんと呼ばれることや、成長を一緒に見る経験を、彼と共有できることは、わたしができるほとんどすべてのことじゃないかなと思う。
彼は生き物が好きなのだ。

散財も、いつか、落ち着くといいと願っている。
でも、それ以上に、わたしが、生きることに、めげても、寝たきりになっても、死を選ばないことを、一番、がんばりたい。
ゆっくりの歩みで、マイナスから始まって、ゼロに近づくだけなのかもしれないと、立派な人たちを見るたびに思うけれど、わたしは、わたしの体の外に出られない、そして、わたしはわたしの心の外にも出られない、ようは、未来に、わたしが今とは別人になることをほんの少し希望することができるだけだけ。
毎日を積み重ねるというのは、その希望を持てるということでもある。

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体中にシミがある

わたしには、シミがたくさんある。
以前、ネットに自撮りをアップしたとき、生活習慣が悪いから、あんなに肌が汚いのだ、と書かれた。

父も、わたしに会うたび、肌のシミのことを指摘した。
隠すように、日に当たらないように、毎日言ってきた。

一部の人は、病気や、身体的な、悪いとされる特徴を持つ人について、「何か悪いことをしたから、そうなったのだ」と思う傾向がある。そして、実際にそれを口に出す。
また、スピリチュアルな商売をしている人(もちろん、全員じゃないけど、例えばヨガのインストラクターだとか、自然食品の人だとか)は、商売のチャンスとばかり「これをしたら治る」と言ってくる。
わたしは、たくさんのマルチや偽医療に勧誘されてきた。
(余談だが、マルチに騙されている人が、わたしに「なんで騙されるの?ふつうわかるでしょう」と言ってきたことがある。騙されている人は気づかないのだ)

父とのかかわりは短く、十歳の時まで一緒に暮らしたのと、トラブルがあって身を寄せていた二年間だけだった。

総合病院で、わたしのシミは、「遺伝的なもの」と言われた。非常に少ない症例で、その先生も何度も見たわけじゃないけれど、シミの形から言って、たしかだと。
そして、それは、人に気にされにくい形のシミだとも言われた。
人間は、病気だと感じるものを警戒するので、皮膚病に見えないものが、どんなにたくさんあっても、意識に上らないそうだ。
わたしのシミは、ランダムな形をして、重なり合っている。
日焼けでできたシミとは違うけれど、そういう風にも見える。
肌はもともと白いから、若い時に日焼けしすぎました、っていえばいいよ、と医者は言った。
レーザーで取ることができないと思う、広範囲すぎるから、と言われた。
また、重度のアトピーの後遺症もあるから、どの原因のシミか、限定できないから、レーザーの種類を決めるのも難しいといわれた。

カメラマンの知人に相談した。
「シミって、風合いでしょう」と彼女は言った。
「海外の一流モデルは、アウトドアが好きだから、シミだらけだよ。でも、それが素敵なの。日本のモデルは、肌をきれいに保つために、外にも出ない、それだと、ギャラガ何桁も違うの。
シミって、好きだよ、味というか、風合いだよね。風合いがない肌よりも、風合いがある肌のほうが、モデルの世界だと高い値段が付くんだよ。それに、写真にとってもきれいだしね」
と、言ってくれた。
精神科の主治医は、「傷や、シミを、戦いの勲章だと思えない人とは付き合わなくていいよ。それを評価するくらいの人とだけ付き合いなさい」と言った。

無垢なものを尊ぶ文化の中で、年を取るというのは、結構きついものだ。
年を取ると、肌を見せるな、体形が崩れているから、と言われる。
でも、年を取ったから増える魅力があるはずだ。
むやみに露出するということじゃなく、自分が素敵に見えるから、という理由で、肌を出すことも、外に出て、日焼けをすることも、その結果、シミができたりしわができたとしても、それがなんだというのだろう?

悪いことをしたから、体に欠陥があるのだ、という考え方は、人を追い詰める。
生きていたら、なにかしら起きる。
全部正しく生きられない。正しいこととされていることも、時代で変わる。
時代で、また、人の気まぐれで変わる評価よりも、自分が楽しくて素敵で美しいと思えることを大事にしたい。

わたしは、まだ、わたしの加齢やシミを愛せない。
でも、最近は自分の顔立ちを愛せるようになってきた。
体形も、妊娠してから大きく変わった。戸惑って、追い詰められて、妊娠しなければよかったと思ったこともあったけれど、変わりゆく体に慣れてきた。
目的によって、体も変わる。
生きているって、変わることだ。

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明け方の時間

眠れなくても、一晩横になることができた。

それでも、やはり、吐き気がして、胃の中のものを戻してしまった。
それでも、わたしは、なんとなく幸福な気持ちでいた。

昨日は完璧な土曜日で、わたしは一週間の中で一番土曜日が好きだ。
明日は日曜日で、だから、土曜日には焦らなくて済む。
夕暮れ近くなった街には、にこにこした人たちが、ゆっくりと歩いている。
若い人、老夫婦が同じ速度で歩き、中年の男性が肩を寄せ合って、どこのお店に入るか検討している。
できるだけおしゃれをして、きれいな色のシャツを着て、帽子をかぶる。
お茶をしたり、買い物をしたり、本を買ったり、服を見たりしている。
ただ、歩くだけで楽しい、小さな夏祭りがあって、小さな子供が浴衣を着ている。
知らない人同士で話をする。

そういう夕方に、カレーを食べて、かき氷を食べて、テラスでお茶をした。
きれいな服を見て、あれがほしいなと言ったり、こういうのがきれい、と言ったりしながら、パートナーと手をつないで歩いた。

幸福すぎて、眠れず、そのあと体調が悪化して、やっぱり眠れなかった。

朝が来て、気晴らしにシャワーを浴び、ヨガをしようとしたが、おなかが張っていて、苦しくてできなかった。
あと一か月で、わたしの世界に赤ちゃんが来る。
ちいさいにゃー、とか、かわいにゃー、と呼んでいて、おなかにいるだけでかわいい。
生まれたら、わたしの外に出る、親離れだ、もう、独り立ちなのだ、という風にも思う。

今は、わたしの中にいるのに、外に出て、くっきり分かれる。おなかの中にいても、わたしの思い通りにはならない。

紅茶を入れると、時間がゆっくり流れる。
焦って、雑にならない。
ポットで入れると、なぜか、パックでぱちゃぱちゃ入れて飲むのと、違う時間の流れ方をする。
きれいな器に入れると、きれいな色が見える。

どんな器でも口に入れば同じなのに、きれいな器だと、なぜだか幸せがこみ上げる。使い慣れた、見慣れた、いつもの器でも。

出かけるときに、ネックレスを選ぶ時間、化粧をどんなふうにするか考える時間、爪の色や、ブレスレットを選ぶ時間、そういうものが、わたしを作る。

みじめな過去は亡霊よりももっと具体的にしつこいけれど、でも、みじめさは、きれいなものに負けてしまう。

間違ったことを、はねのけますようにと、願いながら、わたしは、装飾品を選ぶ。
着心地の良くて、自分がきれいに見える服を選ぶ。
中年になると、こういう服はダメだとか、肌を出すなとか、言われるけれど、わたしは、自分を好きになれる格好だったらそれでいい。
そういう戦いは善き戦いだから。
そういう風に、戦うことが、生きることだと思う。
おいしい紅茶を、きれいな器で、ゆっくり冷ましながら飲むことも。

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波のように、悔しさと幸福が押し寄せる

外の空気は、あまりにも甘美すぎて、窓を閉じることができない。

朝六時といえども、七月中旬の気温は少しずつ上がっている。
草木が、勢いよく世界を征服し、鳥は鳴く。かたかたと何かの声がする。
ドアと窓を開け話して、風が通り抜ける。湿っぽく、生暖かい、太陽は上った。

自分の人生を切り開けるようになったというのに、わたしの心は、過去に囚われていて、体とばらばらに動く。
過去に戻って、あいつらを殺したいとつぶやいているうちに、激情が、今の人生を邪魔しに来る。
邪魔しに来る感情だって、わたし自身だというのに、わたしはその感情すら憎い。
その感情がなければ、今の人生を邪魔されることもないのにと。

自分の人生を作り出す、自らの光を拡大する、体の中にあるブロックとの対話、というテーマで、セッションを受けた。

つらいこと、しんどいこと、思い出したくないことが、勝手にわたしの中から湧き上がってくる。わたしはそれに翻弄される。なんとか踏みとどまろうとする。
激情から、気持ちが切り替えるために、いろいろな努力を必死でする。その努力も、なくてもよかったはずだ。

ただ、わたしは、今夢見ることができる。
こういう風に生きていたい、あの場所に行きたい、そういう夢を見る。
それをときどき実現することもできる。実現する前に、それをともしびに生きること自体が、わたしの力になる。
決して実現しない夢を待ち焦がれていた、無力な自分だったころ、成人した後も、「成人したくせに、自分の生きたいように生きられない自分がみじめ」だと身動きが取れなかったころ。

今は、夢を見て、実現することが、わたしの幸福だ。
余分なお金も時間もかかる、でも、お金を貯めるために生きているわけじゃない、今を生き延びるために、働いて、お金を稼いで、そうして、延命しているだけじゃなくて、なぜ生きるかの理由を補充するために、わたしはしたいことを、する。
したいことを、思いつかないように、息をひそめて、そう、だって、したいことがあれば、耐えられなかったから、でも、そんな時代を終わらせることができたのは、自分の力だと誇りにも思う。

自分で生きていける、でも、あのころ、奪われた大切なものは、人生は、二度と帰ってこない、彼らには返す気もなければ、人生を奪った気持ちすらない。

奪われたことが苦しく、苦しんでいる間にも時間は過ぎ、その苦しみ自体が憎い、その気持ちが自分に向かって、憎しみを忘れられない自分を攻め立てる。

今は、幸福だと感じることがある。眠れない、動けないほど、幸せだと感じることがある。

苦しみの中で光る宝石のような気持ち。

わたしは、父が愛人を作って出て行ったこと、出ていくときに「大人になればわかる」としか言われずドアをバタンと閉じたこと。
愛人と暮らしながら、ときどき、わたしたちの家に来て、食事をしたり、一か月に一度呼び出して、食事会をして、帰りの自動車の中で、手のひらの中に、小銭を落とされたこと。恵まれたこと。
みじめだったこと。家に父がいないことを人にばれないようにするために、家に人を呼んではいけない、祖父母がかわいそうだから、口外してはいけない、そういわれて育った。かわいそうなのは、秘密を押し付けられた、子供だったわたしなのだと、ようやく、言えるようになった。

父の秘密を、わたしは、ずっと言わなかった。
離婚もせず愛人宅に潜り込み、成人した後再会したとき「貧乏で苦労した」とわたしに言った父。
有責になったのは、じぶんのせいだ、わたしのせいじゃないのに、そういったことを言える父。
そういう父に、金銭的に世話になる気持ち悪さ、感謝を要求されること、そういうことを、わたしは、誰にも言えなかった。

あなたの介護をしない、といったときに機嫌を悪くした父。
愛人は、わたしの母に「介護はこちらがします」と啖呵を切った。だから、わたしは、個性も違うから、父の面倒を見る義理はない。
だから、そういったけれど。

父は、わたしが元気か、とか、お金に困っていないか、とか、聞かずに、人に迷惑をかけなかったか、と、聞いた。
わたしが、体と心を壊して、前の仕事を退職したと報告したときに。
わたしは、父に迷惑をかけられた。
父は、母と相性が悪いのなら、離婚してから、愛人と付き合えばよかった。
そうじゃなかったから、わたしは、とても苦しかった。
母は、壊れて、わたしをいじめた。
父は、共通の知人に、母の悪口を言って回り、共通の知人から、その話を聞いた。
父が思う以上に、わたしは、彼がどういう風にふるまっていたか、覚えているし、調べている。

彼の幼馴染に、話を聞きに行ったし、彼の姉に、父のもともとの性質を聞いた。

愛人宅と同じアパートに住んでいた人からも、どういう生活をしていたか、聞いた。

彼らは、わたしたち、母子に仕送りをしていた間、どれだけ苦労したか、わたしに話した。
わたしが、どんな苦労をしたか、彼らは大人で、わたしは子供で、わたしが選んだことは一つもなかった。

秘密のために、交友関係は、規制され、学校の話題で、父親がうざい、という話が出たとき、微笑むしかなかった。

腹違いの妹に、わたしがいることを、父は、ずっと隠していた。
それなのに、妹に、わたしの名前で呼びかけることもあったらしい、間違えて。

父は、わたしと過ごした日々を、きれいな思い出として話した。パパっ子だったとか。
わたしは、父が、気に入らないことがあれば、新聞紙で机をたたき、箸を放り投げ、母の見ていないところで、わたしたちをいじめたことを覚えている。
確かに、一緒にお風呂に入ることは楽しかった、でも、一緒に入るのが恥ずかしいと断った日、不機嫌になって、手のつけようもなくなり、泣きながら、ごめんなさい、一緒に入ります、だから、許してくださいと泣いたことも覚えている。
父は覚えていないらしい。

元愛人の現妻は、父とわたしが講演で一緒に遊んだり、自転車に乗るための特訓をした経験があるから、腹違いの妹にはその経験がないから、あなたはうらやましい、恵まれている、といった。
わたしの父は、十歳の時からいない。それ以降の年月は、ずっと、わたしの父を盗んでいた人が、わたしに、そういうことを言う。

父の家から、出て、でも、父に貸していたものがあるから、取りに戻りたいといったとき「あなたと会うと、動悸がするから、来ないでください」とラインが来た。
それで、わたしは、彼らと没交渉になった。
父に、訴えたが、わたしが悪いということになった。

親戚は、助け合うものだと教えられていた。だから、祖父の介護を、長期休みのたびにしに行った。
母は「いい経験をさせてもらってありがたいと思いなさい」といった。
でも、母は、介護をしには来なかった。

祖父が亡くなり、祖母が亡くなった。
わたしが苦境にたったとき、親戚たちは、わたしから離れて、助けることはせずに、わたしを葬式に呼ばなかった。
助け合うことが前提だったから、わたしは、それを信じていたから、時間を割いて、労力も咲いてきたけれど、祖父母が要で、守っていてくれただけで、タガが外れたらそんなものだった。
祖父母を守るために、わたしは嘘をつきとおさなくてはいけなかった。
二十年間も。十歳の時から。うすうす気が付いていた祖母に、嘘をつくことはきつかった。
誰も助けてくれなかった。
母がおかしくなったことも、彼らは知らなかったと言った。その間も、交流があったのに。
妹が家を出ていたのに。それも知っていたのに、うちが異常だとは知らなかったと、彼らは言っていた。

わたしは、ようやく母だけではなく、父も、親戚も、子供だったわたしが犠牲になることで、丸く収めようとしてきたことを、語れるようになった。

それで、ようやく、自分の人生を、歩めるのかもしれない、といくらか思えるようになった。

母には虐待されていた。
寝かしてもらえない、お金があっても、習い事をさせない、母の思うこと以外はさせない、けがをしたら、ぼんやりしていたのが悪いと、病院に連れて行かない、救急車で運ばれて点滴を打っている間も、胸ぐらをつかんで、いくらかかると思っているんだ、と叫ぶ、下着を買ってくれない、洋服も一年に一度、一着しか買ってくれない、サイズの合わない水着を着せられて、胸がはみ出してしまったことを笑う、着替えやふろをのぞいたり写真を撮ろうとする、赤ちゃん言葉で話しかける、二十歳の時の誕生日プレゼントが、三歳児向けのおもちゃだった、腐ったものを食べさせられた、虫だらけだと言ったら、そんなことはないと激怒された、生理の時に驚いて泣いたら、怒鳴りつけられた、生理ナプキンの使用量が多いとののしられた、妹と、わたしでは、食べてもいいものが違っていた、妹専用の食べ物があった、わたしの帰宅時間は五時まででも、妹は、夜の十二時まで門限が許されていた、わたしが気に入らないことがあると、母は、寝込んで無視したり、家出をしたりしていた。
部屋のドアを閉めることを禁じられていた、寝ているときに、口にキスをされた。
十五年前のおさがりを、十五歳以降になっても、着せられていた。
お金がないわけじゃなかったはずなのに。

今日は、きれいな空気の朝で、今日一日は、わたしのものだ。
亡霊のように、記憶の中の父母が、わたしをコントロールしようとする。だから、わたしは、厳密に言って自由とは言えない。でも、この、朝の空気だけは、わたしのものだ。

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骨盤と産道はまがりくねっている

赤ちゃんは生まれるとき、回旋しながら降りてきます。
それはなぜかというと、人間が直立歩行だからです。

四つ足の動物は、産道がまっすぐです。
でも、人間は二息歩行です。
だから、子宮から赤ちゃんが落ちないように、子宮と産道でしっかり栓をしないといけない。
それで、出てくるときに大変だ、ということらしいのです。
確かに、骨盤の模型を見ると、結構複雑な形をしています。
そこを回りながら、頭蓋骨で出口を探しながら、生まれてくるということらしいです。

母親が死ぬ原因は、血栓と、出血。
同じ出血量でも耐えられるかどうかは、貧血かどうか、血栓ができるかどうかは、高血圧かどうか。
だから、妊娠中にそれを甘く見ないで治療することが大切。

それと、帝王切開を勧められたら嫌がらずに、応じてくださいと言われた。
別に好きで切りたいわけじゃないから、でも、切らないといけないのは死んじゃうかもだから、とのこと。
昔は、四パーセントくらいだった帝王切開が、二割近くになったのは、訴訟対策らしい。

無痛分娩の麻酔は、難しいので、できる人が少ないとのこと。

近所でよかった!と思った。
もう、だいぶ高齢だから、なるべく元気で続けてほしい。好きなタイプの先生です。

戦後、先生が学生だった時に、分娩中、夫婦げんかになり、おなかをバンと殴った夫がいて、そのせいで妊婦さんがなくなったそうです。
だから、分娩中には喧嘩しないようにとのことでした。それと、立ち合い出産では、バターンと気絶する旦那さんがわりといるそうだ。

出血は500ミリまでは大丈夫だけどそれを超えると死ぬかもしれないとのこと。
一リットルだとかなり死ぬ。

35週以降だったら、早産でも、先生のところの病院で面倒を見れますとのこと。

昔は、退院まで一週間だったけど、今は、四日だって。
うひょー!

人間は、立ってることでいろいろ便利になったけど、赤ちゃんを子宮にとどめておくには難しい、それと出しやすさは両立しないという話が面白かったです。

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妊娠33週

いよいよ、もうすぐ臨月になる。
激しく動いていた赤ちゃんも、スペースがなくなって、みっしりしてきた。
おなかも丸くなくて、人の形にいびつになった。右下を触ると、鼓動もわかる。
みじろぎすることは、あっても、前みたいにぱたぱた泳がない。
泳いでいる間は、暴行のあるはずのところが動いたり、胃のあるはずだったところが動いたりしていて、辞めてーと思っていたけど、それももう、終わり。さみしい。
こうやって、大人になるのね(まだ生まれていないけど)。

昨日母親学級があって、先生直々に教えてもらえた。
すごく好きな先生で、精神科の主治医と高校が同級生のせいか「訴訟の世の中だから、帝王切開が増えた」という言い方とかが似ていて、つぼ。主治医に「似てますよね」と言ったら「え?」と言われたけど。
戦中派なので、いつまでやってくれるかなあ。
主治医が、産婦人科の先生に「いつ寝てるの?」と聞いたら「寝られるとき」と言っていたそうだから、本当にハードワークだ。
産婦人科もどんどん減っている。
この辺は、出産費用のほとんどが、税金でカバーしてもらえるので、無痛分娩にして、個室を選んで、家族と泊まっても、全部で二十万円くらいで済む。保育園も選び放題だし、だいたいのところは、ゼロ歳児保育を対応しているから、三人兄弟の家庭もよく見る。

困ったことがあって、虐待のことを思い出す機会が増えたこと。
里帰りするのか、親に会わせるのか、保証人は?ということから、幸せそうな家族を見ると、「うちとは違っている」と思うし、あんな小さい子にひどいことをよくできたものだと思うことも多く、そのせいで、フラッシュバックしやすい。

よくもまあ、あんないじめができたものだ。

わたしが中学生になったころから、両親とも、「死ぬ死ぬ」「墓を守れ」「介護をしろとは言わないがしてほしい」などと言われていたのに、まだ死んでくれない。

助けてもらったこともあるけれど、見捨てられたこともあったから、家族が助け合うものだという前提が壊れているから、わたしはもう何もするつもりはないよ。

わたしは、人格障害だの頭がおかしいだの非情だの、言われてきたけど、今のパートナーとは、ちゃんとパートナーシップを築けているし、彼を虐待もしていないから、愛着障害もなく、ちゃんと、できている。

できないような状況に置いておいて、「ほらお前はできない」と言われるような環境にいたら、誰だってできないし、おかしくなるのが、正常だ。

精神科の主治医に「高齢出産もできるから、とにかく筋トレをしなさい」と言われていた。
筋トレは、出かけなくてもできる、血行が良くなれば鬱もよくなる、健康にいい、といいことづくめだ。
食事や掃除は、頑張らないとできない。出かけないとできないことも多いから、筋トレから始めるのはいいと思う。

そのほか、シャワーを浴びて清潔にする、スキンケアをする、いい香りの何かを塗る、爪をきれいにする、掃除をする、それえができなかったら、手を丁寧に洗って、ハンドクリームをつける、だけでも、結構気分が変わる。

親がめかすことをバカにして邪魔をしたのは、自尊心を削る多面だったんだなと思う。
服を与えない、色気づきやがって、塗りたくりやがって、ファッションショーに行くわけではあるまいし、誰もお前を見ていない、などと言われる人生だった。
でも、今は違うので、早く頭の中から親がいなくなってほしい。
死んでくれたらだいぶ楽になると思う。

出産は、大きく体もホルモンも変化する。出産後は、500ミリリットルの血が出て、子宮が収縮する。
びっくりだ。
三キロの子供と、二リットルの用水が入っていた子宮が縮む。

いきむのがうまい妊婦だと三回いきんだら出産できる、とか、子供が子宮から出る入り口を頭で探すのにもうまい下手がある、という話を聞いて、面白かった。
そんなのどうしようもないから、マッスルを鍛えようと思った。
マタニティヨガと、マッサージは、体の痛みを軽減してくれて、まっすぐ仰向けに寝ることも可能になった。
足のむくみ、膀胱の違和感、腰痛、肩こり、関節痛、アトピーの悪化、精神状態の悪化など、少しは楽になる。
めんどくさいけど、やり始めると楽しいので、いつも「これだけ一つだけやる」と思いながらしている。

もうすぐ会えるのが楽しみ。でも、こんなでかいものが、股の間から出てくるとはやっぱり信じられない。

まじめに考えすぎると、恐怖が痛みを増幅すると聞いたから、あまり考えないようにしている。

相変わらず、躁鬱はあって、買い物したくなったり、泣きわめきたくなったり、寝込んでたりもしている。

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妊娠中に買ってよかったもの

アフィリエイトをたくさん貼ります。


これは、腰痛にもよかったのだけど、おなかが張ってしまったときに、おなかを温めることができてよかった。
何しろずれない。

なにしろ、睡眠ががたがたになるので、これはいやされました。
眠りすぎるか、まったく眠れないかのどれかなので。

これと、千年灸には助けられました。
へそ灸のよいところは、自分で手当てができるところ。つわりを抑えるツボが、胸の間(乳首と乳首を結んだ間の骨のところ)にあるのですが、そこに乗せられる。

なにしろ、肩が凝ります。


足のむくみがつらいときに、ふくらはぎと、足の裏、アトピーがかゆい時に、足の甲などに。


巨大なんだけど、これがあると安定期になっても、うつぶせになれます。
腰も楽だし、足も、乗せられます。
クッションで工夫していると、ずれるんですが、これだったら、簡単に位置を直せるのが魅力です。
これを使うとよく眠れました。

ヘルパーさんにも、介護によさそう、と言ってもらえました。

おなかが重い時に、支えてもらえるので、楽。
確かに蒸れない。群れるのが大嫌いなので、薄手でよかった。
ホールド感が物足りないと思う人もいると思うけど、わたしにはよかったです。

あと、つわりのときには、ガリガリ君が神の食べ物でした。
あとは、かんきつ類、果物をひたすらに食べていた。味覚が変わって、味の濃いものが好きになり、ギトギトしたものを食べてました。
日本料理はぼやっとした味だったりだしの味が気持ち悪くて食べられなかったです。

ヨガスタジオに通おうとも思ったのですが、本で十分でした。
体が軽くなり、楽な気分になりました。
わたしが始めたのは三十二週からで、かなり遅かったのですが、もっと早くすればよかったです。

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ケアマネさんとの相性、子供を生むきっかけ

前のケアマネさんとは相性が最悪だった。

わたしが、妊娠を急いだのは、前のケアマネに「早く子供を作ったほうがいい」と言われたから。
それは違うと思ったけれど、言われたことは実行してしまいがちな特性のため、医師にも減薬がひと段落するまで待ってと言われたのに、急いでしまった。
だから、妊娠してから減薬は無理やりだったので相当苦しんだ。

それに、わたしたちの事情を聞かないで、聞いても理解しないで、説明もなく、支援の時間を三分の二にされた。
生活が変わってしまうし、実情に合っていない。
わたしのわがままなのだとしたら、説明がほしい。
現状を把握していないのに導き出した答えは間違っているんじゃないか。

そう思って、ケアマネを変えてもらった。
事業所に電話をしても、とりついでもらえず、かけなおしも来なかったので、不信感が募った。

今でも腹が立つ。

福祉職は、人の人生を変える職業でもあるんだなと思った。

新しいケアマネさんは若いけど、仕事のできる有能な人だから、彼女がすることだったら、どう転んでも信頼できると思った。

医者でもなんでもそうだけど、「この人の言うことだったら、不利益になろうと、もしも死ぬことになろうと、任せよう」という気持ちでわたしは向き合っている。この人に命は任せられないと思ったら、変える。

わたしが健康だと、わたし自身が快適だ。そして世の中にとってもとてもいいことだ。
だから、わたしは支援を受けることを選んでいる。

支援を受けることを特別だと思っている人が多いけれど、学校や保育園、病院、いろいろなところで、みんな税金のお世話になっている。いつでも消防署に連絡できたり、ごみを回収してもらえたり。

障碍者支援はその延長だと思っている。だから、特別なことじゃない。

わたしが普通に生きるために、必要なことが、人とは少し違うだけだ。

わたしは、子供を産む。
遺伝の可能性がある病気を持っている親が、子供を産むことに反対する人がいるのは知っている。
もちろん、そんなものは、優生思想だから、とり合う必要もない。

だけど、わたしは、子供を産みたいけれど、服薬しているから…、とか、障害があるから無理だ、とか、思っている人がもしいるとしたら、でも、本当は生みたいのだという気持ちが少しでもあるとしたら、わたしは、自分自身で、それを達成したい。そういう風に見せることが、ほかの人の役に立つかもしれないから。

かといって、子供を産むのがえらいなんて思っていないけどね。
確かに子供が体の中で動いているのは楽しいし面白いけど、きついこともあるし、ほかの経験ができなくなるわけだから、別に絶対経験したほうがいいとも思わない。男の人はそもそも産めないわけだから。

でも、どうせ、一人で育てるわけじゃなくて、ほかの人や、行政の力を借りるわけなんだから、産みたかったら、産みたいよね。

わたしは、事実婚で、ポリアモリー気味(最近は落ち着いているような気もする)けど、子供を育てるんだぜ、というのをしたい。
子供を産むってこと自体が、親のエゴだとも思っている。
生まれた子供には、ちょっとでも楽しいことや幸せなこと、気持ちのいいことを体験してもらえるように、がんばりたい。

ベシー占い 占い承ります。


社会的な構造が、精神病を作る

妊娠がつらくて、カンガルーになりたい。好きな時に出し入れができて、ホルモンバランスも長期には狂わないから、すごくいいと思うんだよね。

今日はケア会議が無事に終わり、変わらず継続になることが決定した。ほっとした。
今のヘルパーさんも、事業所も、ケアマネさんも、とても相性がいいから、しばらく引っ越せないなと思うくらい。
わたしが住んでいるところは、福祉や教育に対して手厚い。だから、人口減はあるものの、非常に緩やかで、子供も、三人以上持っている人も多いし、男性も、子供を抱きながら買い物をしている姿をよく見る。
定時である五時に帰っている人が普通で、残業がひどい会社はとても目立つ。だから、子育てはとてもしやすいみたいだ。
わたしは、妊娠してから、産婦人科に払った金額は、数千円程度で、ほとんど補助で済んでいる。
保育園も、非常に安いので、小学校に上がるまでは、あまりお金がかからない。
共稼ぎが多いので、ゼロ歳児から預けることが普通だから、周りにあれこれ言われることもない。

子供というのは、大人にとっての異文化だ。
そういうものを受け入れて、大事にすること。
そうじゃないと、世界は破滅する。

ところで、この前診察で精神科医と話したのだけど、精神病を精神病とするのは、社会的な要因なんじゃないかという仮説を立てている。

例えば、病気になるきっかけは、だいたい、人生で大きなことがあって、それが良いことでも悪いことでも、大きなストレスを抱えるためだと思う。
もしくは、発達障害のように、ほかの人と、抱えている文化が違う場合、コンフリクトが起きる場合。
うまくいっていないことに限らず、何か起きたことが、精神疾患のきっかけになったり、もともと持っている性質の違いが、大きく問題として浮上してきた場合に「病名」が付くと思う。

最近はやりの、発達障碍者が、普通の世の中に適応するためのノウハウを書いたブログがあるけれど、わたしはそれが具合の悪さや健康に問てよくないものだと思っている。
療育もそうで、センターの中ではうまくいっているように見えても、もっと条件が複雑な外に行ったとき、うまくいかなくなることとか。
それって、結局、昔、聴覚障碍者に、発話を強いたことと同じじゃないかという危惧がある。

例えば、嫁姑の問題は、文化の違う他人が同じ場所で生活するとき、その人の持っている価値観や文化が衝突するために起きるのだと思うのだけど、そのときに、「相手が悪い」「相手を変える」となったり、「自分が悪い」「自分が変わるしかない」となったりしたときに、弱い立場のほう、つまり、お嫁さんが病気になる。
違いは違いとして、別にどちらかに優劣があるわけじゃないのに、「どちらかが悪い」となると「悪い」「間違っている」側が、病気になる。
違うんだ、ってだけなら病気にならないし、そのときに、怒ったり、逃げたりしたら病気にならない。
問題を自分の内面に落とした時に、つまり内面化したときに、病気になる。
問題を病気にすることで処理する。そういう力が働くと病気になる。

発達障害もそうで、世の中のほとんどの人が発達障害だったら、わたしたちは「障害」を持っているとは言えなくなる。
多数派や力のある側と、違ったときに「合わせる」という選択肢を選ぶと、病気になる。
そういう仕組みなんじゃないかと思う。

だから、適応しないといけない、向こう側に擬態しなくてはいけない、という行動や思考を持つと、それは、自分に無理を強いることになるから、最初は、その入り口に到達することはできても、自分とは違うものを演じているわけだから、長続きはしない。
病気になってしまう。
適応するためのノウハウというのは、そういう危険を増やすことになる。

生活をしやすくするための工夫は、単に、自分が過ごしやすくするためのものだから、上記のノウハウと違うと思ってる。

普通の人たちに紛れ込むために頑張るよりも、自分を受け入れてくれる場所だとか、自分の向いていることを探すだとか、そういったことに、労力を使ったほうが、長い目で見たときに、ずっと楽になる。
それは、発達障害や、精神疾患のある人に限らず、一見健康な人でも、同じことだと思う。

それに、発達障害であったり、精神疾患であったりする人の、メインストリームではない人の視点というのは、世の中を変える上でとても有用なものだから、最初からいらないものと考えて、捨てるのはもったいないと思う。

それこそ、病気であることの知見だとか、異なった視点って、世の中を豊かにする素晴らしいものだと思ってる。
それが、本人の自己肯定感を上げることにつながると思うし、自己肯定感が上がると、免疫もよくなるから、体も楽になるよねというのがわたしの立場だ。

障害を治そうとすると、マイナスをゼロに近づけるだけで、一生が終わってしまう。
それって、つまらないことだし、たいへんだし、なによりもつらい。治らないんだから。
治ればいいけど。
治らないから。

それよりは、楽に生きられるための工夫を積み重ねるとか、自分なりの居場所を作るだとか、そういったことに注力したほうがいいと思ってる。
そういうことが、結果的に、じわじわ世の中を生きやすくするんじゃないかな。世の中を変えるほうが、いくらか可能性がある。
治らないものを治そうとするのは、むだだ。

体や精神の持つ文化が違うのだから、お互いの理解と、すり合わせは大事だけど、どちらかが一方的に適応することを考えすぎるのはよくない。

それって、死ぬってことと同じように思う。

極端から極端に走るのはよくない。
変われる部分と変われない部分があるのだから、その範囲で、お互い融通し合うのが良いと思う。
完ぺきな人間なんていないんだから。お互い欠点があるんだから。

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産む前のつらさ

体がだいぶしんどくなってきた。
おなかが日に日に、一日ごとに大きくなっていて、驚く。
膝に負担がかかり、ふくらはぎがつる。
むくみがひどい。
腰も痛い。
おなかが重たい。
膀胱や胃が押されて、痛い。
体重管理が難しい。
イライラしてしまう。わけもなく泣いてしまう。

親に、自分の子供を会わせないといけないかどうか、一瞬考えた。
でも、それから一晩落ち込んで眠れなくなってしまった。
たくさんされた、ひどいことを思い出した。
今、中学生や高校生を教えていると、明らかに子供で、幼い。
あの、幼い人たちに、ひどいことをすることは思いつかない。
でも、わたしはされた。

おなかにいる子供は、明らかにわたしと違う生き物だ。すでに意思のようなものがあり、わたしの思う通りにはならない。
他人だとつくづく思う。
だから、死なないように、育つことを手伝いたい。
育てる、ということは、できないと思う。子供が、勝手に、自分の力で育てるように、わたしがサポートするのだと思う。

わたしは、勉強以外の娯楽を禁じられていたので、勉強に面白さを見出した。
何かするときは必ず母親が同伴だった。
いつも、お母さんがかわいそうだった。
かわいそうだと思わされていたのだ、と気が付いて、ああ、人生をそのせいで、ずっと盗まれていたのだと気づいてからは、怒りが止まない。
盗むための手段として、泣いたり、怒ったり、脅したり、ありとあらゆることをされた。
彼女の人生に対する欲求不満を、わたしにぶつけられた。
父は、愛人を作り、出て行った。大人になればわかると吐き捨てられたが、いまだに理解できない。
面会交流を強いられたが、断ったら、養育費を払わなくなるのだと思って、応じていた。そのストレスで、病気になった。

母はわたしにしがみつき、父はわたしを捨てた。
都合のいい時に、暇つぶしのようにかまっては、飽き、自慢できるように、育てられた。
わたしが何かを成し遂げたときに「喜ぶな」と言われた。
それでいて、親はわたしのことを自慢し、「いい親御さんですね、育て方がいいから」と言われてはにたにたしていた。
わたしの努力なのに。盗まれた。感情を。

わたしは、生きる手ごたえを失い、感覚がなくなり、幻聴と幻覚を見て、自分から乖離した。
そのために、さまざまな事件に遭って、何度も死にかけた。

逃げればよかった、と言われた。愛人から後妻になった人からも言われた。
でも、わたしは、逃げられなかった。
逃げられないように、感情や判断力や、情報をコントロールされていたし、体調が悪くなるように仕向けられていたからだ。
今思うと、具合が悪くなったりけがをするようにさせられて、そして、罵倒され、看病されるというパターンがあった。
救急車で運ばれると、胸ぐらをつかまれ、罵倒されたことがあった。
病院には、連れていかれなくなった。
お年玉で病院に行った。
祖父の介護を休みを使って手伝わされたが、母はしていなかった。
そして「老いて死ぬことを勉強させてもらってよかったね」と言われた。
わたしの経験のために、祖父は老いて死んだわけではあるまい。
それは、愛犬が死ぬときにも言われた。
母や、そのほかや、とにかく誰かのケアをさせられた。それをさせるために、「かわいそうだ」という感情を刺激された。
就職することも、「やめなさい」と言われた。
「あなたにはできない」と言われた。
父にも、「お前には、自動車は運転できない」ということを言われた。

以前、離婚したとき、堕胎をするかどうか、悩んでいた。
それを父に相談したら堕胎を勧められた。
フォローはできないと言われた。
結果的に、自分の判断で堕胎をしたが、常に、そのような目に遭ったことの「責任」を理解しろ、と言われた。
でも、思えば、父も離婚をしただけじゃなくて、婚姻中に愛人や子供を作り、わたしの母の悪口を方々で言っていた。
その人に、ただ、離婚するだけで、ああいわれることには、今では納得がいかない。
その時には、母には「ご勝手に」とだけ言われて、電話を切られた。
それ以来、連絡していない。
母は、何か相談すると、わたしを突き放し、傷つけ、動けなくなってから、それでも、わたしがすがって、手助けを頼む、というパターンを常にしてきた。
だから、あれも、その一環だったのだろう。

わたしは、本当に、どうして、親が、ああいう風にわたしに接したのか、理解できない。

わたしの体内にいる小さな人間に対して、コントロールしたいとか、傷つけることをしたいとか、思わない。
でも、彼らは、わたしにひどいことばかりをしたり言ったりした。

父方の祖母が、わたしに最後にかけた言葉は「あんたは非情な子だね、非情ってわかる?冷たい、ってことだよ」だったし、継母がわたしに最後に言った言葉は「あなたに会うと動悸がするから、家に来ないでください」だった。
でも、彼らはそれがひどい言葉だとは思っていない。

わたしは、これから子供を産む。
わたしは、彼らに一生子供を会わせない。
彼らは必要がない。

それでも、わたしは、思い出す。
そのたびに、その時に戻ったように、苦しい。
もう、終わったことだとは思えない。
わたしの中で続いている。

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