洗脳されやすいという特性

わたしと六帖さんは、ともにDVに遭ったことがある。
DVに遭ったことがない人は、わからないこともあるだろう。
どうして、暴力や暴言から逃げないのか?

それは、言動を縛り、行動を縛り、交友関係を遮断することによって、洗脳する過程があるからです。

相手のために、自分を譲る、そうすることでいつか事態が好転することを期待していくうちに、逃げられない状況を作られます。

子供を作ること、籍を入れること、そうすることで相手を縛れる。籍を入れてしまうと、身一つで逃げさえすれば、それで終わりということがなくなる。
六帖さんも、わたしも、籍を入れるのが異常に早かった。お互いの両親に会わずに籍を入れたことも共通している。籍を入れる時点で、六帖さんも、わたしも、軟禁状態に置かれていた。
軟禁状態に置かれていても、支配者と同伴で外出はできるから、軟禁されていることにも気づかない。
また、六帖さんもわたしも、服用していた薬を管理され、いきなり断薬されたり、処方外の薬を無理やり飲まされたりしている。
わたしの場合、たとえば、体の不調を感じて、吐き気や腹痛、頭痛があったときに、精神安定剤を飲むと、体が動くようになる。これは最近発見したことだ。体が弱いから寝込むしかないのだとあきらめていたけれど、精神安定剤を飲むことで、活動時間が増えた。

また、娯楽や趣味を制限される。楽しみを奪われる。そうすると、思考能力がなくなる。食べるものも、極端に制限される。それも、六帖さんも、わたしも経験した。
支配者は、今でもわたしにDVを振るったことを認めない。それどころか、ネットで、DV加害の冤罪者を名乗っている。
様々な証拠があり、裁判でも認められても、それなのだ。
事実を彼らはゆがめることができる。自分に都合の悪い事実を、認識しないで済ませることもできる。
わたしの場合は、加害者から逃げて五年たつが、その間に、脅迫状を送られたり、警察に堕胎罪で訴えられたりした。
もちろん、堕胎罪の適応外だから、立件されようもないのだが、それでも、事情を何度も聞かれて書類にした。
相手は、わたしを殺人しかけたのだが。

わたしたち自閉症スペクトラムの傾向があるものは、人の言葉を信じる。裏を読めない。言葉通りに聞いてしまう。意外と空気は読める。ただ、どう対応していいのかわからない。
わたしの場合は、相手が泣いて暴れたり、床に転がって足をばたつかせたり、六法全書を投げつけたりしたり、性暴力の結果、二回、入院することになったりした。どう対応すればよかったのか?
わたしには、それまで、そのような行動をとる、男性に対する対処方法がストックになかった。
初めて見る奇行に凍り付き、思考は止まった。

わたしの場合、知識もあった。DVについてかなり書籍を読んでいた。でも、自分が支配関係に巻き込まれたとき、自分がそうだと認めることは非常に難しかった。
そのころには、相手がわたしの貯金で暮らしていたので、わたしが逃げたら相手が死ぬかもしれない、自分の体に身ごもっている子供はどうすればいいのか、ということで、身動きが取れなくなっていた。相手は、わたしの名義でクレジットカードをいくつも申し込み、毎月の支払いが二十万、三十万になっていた。
恐ろしいことに、楽天カードは、解約しても、しばらく使える。逃げてから、六万円の支払いをした時には涙が出た。
悪いことに、ニコニコ動画のプレミアム会員登録をしており、それは本人でしか解約できないものだから、逃亡の身では、どうすることもできず、楽天カードから引き落とされるので、逃げてから一年くらい払った。窓口もなく、電話も代表先しかなかったので、電話しても取り合ってもらえなかった。弁護士に頼んでも一か月かかった。

インターネット上に、リベンジポルノや、わたしに対する誹謗中傷が続いた。
弁護士に依頼して消すことはできるが、延々と続くのに、追いかけられず、あきらめるしかなかった。
沈黙をしていても、相手は、わたしが加害者に対して、誹謗中傷を続けていたと、今もインターネット上に書き続ける。
裁判で、わたしに対して、一切の接触も、一切の言及も書かないとお互いに約束したのに、その次の日には、破られた。
相手が無一文の場合、こちらができることは何もない。
罰金を払わせようにも、払うものがないからだ。

失ったものは、お金だけではなく、信用もだった。会社に乗り込まれたので、辞めざるを得なくなった。
逃げても逃げても、追ってこられる。殺されるという恐怖や、恥辱、自分を責める気持ちで、毎日パニック状態だった。
そんなときでも「どうしてついていったのか」「どうして騙されたのか」「もっと早く逃げればよかった」「セックスが良かったのか?」などという人ばかりだった。
そういう人たちしか残っていなくても、頼るしかないので、一生懸命返答したが、納得してもらえることはなかった。

支配、被支配の関係は、理解されることはないのだと思った。

それも、以前本を読んだとおりだった。

発達障害者の難しさは、単に、能力の凹凸だけではない。社会的に、「配慮」される中で、もちろん、成長していったり、ゆっくりと苦手を克服することもできる。

でも、弱っているときに、周りの人から引き離されて、洗脳されてしまったら?

そういう状況にわたしたちは一番弱い。
一対一で相手の言葉を鵜呑みするしかなくなる。
反論を試みても、すべて無効化されてしまう。そういう相手なら、逃げればいい、という発想が思いつかない。
逃げてもっとひどいことになるかもしれない、逃げないで耐えれば、いつか相手もまともになるかもしれない、という夢を見る。
そうしていないと、地獄に耐えられないのだ。

DVを受けて離婚したことを恥ずかしいことだという人は、現実にいる。
実際に言われたことがある。
騙されたほうが悪い、暴力を振るわれたほうが悪い、そういう人は現実にいる。

わたしは、いまだに、読書やテレビを見ることができない。音楽も聞くことができない。
パニックで一晩泣き明かすこともある。
趣味も手放した。
中身のない人間だと自己嫌悪に陥って、身動きが取れなくなる。

六帖さんの場合は、男性だったせいで、自分が逃げるべきなのだ、という発想を持つことが難しかった。
わたしの場合は、相手が働かない、わたしの金で生活しようとする、致死量の薬を飲ませる、そういうことがおかしいというのがわかりやすかった。
でも、六帖さんの場合は、妻が働かないことも普通だし、家事をしていれば、実際に何にお金を使っていようが、見過ごされやすいし、子供に対する扱いも、ホームスクーリングをしているといえば、周りは何も言えなくなる。
女性が、DVを振るった場合、言葉にしても、それは「普通」に見えやすい。また、六帖さんの場合、同性の友人に相談しても、男性の中でDVに知識のある人が少ない。
そういうこともいろいろと問題を長引かせた。

知識があっても、DV被害者になることは避けられない。その後、ケアされることも難しい。
わたしの場合は、かかりつけの主治医が、DVやパニック障害に詳しい病院を知っていたから、すぐに入院できたものの、たいていはそういう幸運に恵まれないだろう。

発達障害は、対人関係の障害でもある。
恋愛や、結婚という、密室の関係に踏み込んだ時、わたしたちは、一人で歩まなくてはならなかった。
大人になってからの支援は、とても難しい。支援につながっていることも難しい。

わたしは、疑問を持てない。困っていることに気づけない。
だから、助けを求められない。
被害に対する認識を持てない。それを「受け止める」ことになれている。
自閉症スペクトラムの人間として生きるということは、理解不能な世の中に対して、何もかも鵜呑みにしていく、という生存戦略を取らざるを得ないということだ。
わたしの常識は世の中の常識ではない、ということを早々に学んでしまったせいで、自分の違和感を封じ込めやすい。
相手が正しいと思う癖がつきすぎている。
だから、疑問を持てない。

反対に、加害者になることもあるだろう。
そういったときに、相談しようにも、何が問題なのか、そもそも問題が起こっているかどうかすら、疑問を持てないわたしのような特性の持ち主は、どうしていったらいいのか、今も試行錯誤でいる。
これは、知性や、知識の問題ではないのだ。
人とのかかわりの障害なのだ。


双極性障害と進学

進学には苦労した。
体が病弱だからだ。普通の人と使える時間が違う。
だから、短い時間で、勉強をするしかなかった。

成績優秀だったとわたしは言うが、発達障害や双極性障害、そのほかに、二次障害のため体の病気も多く、高校は、出席を免除されてようやく卒業したような状態だ。

健康だったらなんてこともないかっただろうが、椅子に座っていること時代できなかった。勉強をできない時期が、三年以上続いた。その中で、できることを必死で探した自分を肯定したいと思う。
自信の根拠は正直言ってない。ただ、自分自身を正当に評価したいと思う。それは、わたしが双極性障害持っているため、気分次第で、自分を最低だとも最高だと思うからだ。その気分は障害ゆえに、制御できない。だから、よりどころになるものを、恣意的に作り上げた。気分次第で自分の評価が変わると、体が物理的に動かなくなる事態を招く。そのための工夫だ。

そういうことにしておく。
そういう態度をとる。決めたから実行している。

実際に自信があるかどうかは問題ではない。ただ、そうするしかない。生きられない。

わたしは運よく、優れた教育を受けることができた。それには、だいぶ努力もした。
信州大学の時には、まったく意味が分からない授業が多く、講師に、夜十時まで質問に突き合わせてしまったことがたびたびある。
そうしたことが、週に三回以上あった。それほど勉強しなくてはついていけなかった。

学資を二つ取るのは簡単なことではない。
しかも、社会的には全く評価されない。とくに就職では。
学資を持つということが専門性を持つことだと理解されにくい。
大学で得た知識の質は、人それぞれ違うのに、一からげに扱われる。
だとしたら、評価するのは自分自身でしかない。

どうしたら自信を持てるのか。そんなことはわからない。
わたしは日常的に、ほとんど自虐的に、ネガティブに過ごしている。そのままだと死を選びそうだ。
死ぬのは簡単ではない。
だから、消去的に、事実として、誇っていいことを、自分自身に無理にでも認識させている。

双極性障害の苦しさは理解されにくい。
身体障害を持つ父に、そんな障害でうらやましいといわれた。そう思っている人は多いだろう。
精神病は、身体障碍に比べてずっとましだと。

わたしを理解する人は少ない。
わたしを守れるのはわたしだけだ。
だから、自信を持てるところは持とうと努力している。自信を持つにも、覚悟と努力がいる。それを惜しまないだけだ。惜しむほどの余力がない。


わたしたちの子供が自閉症でなかったら

六帖さんが家に来て、一年がたった。
彼の実家で、ご両親に会った。
会う前は熱や蕁麻疹が出て、行くのをやめようと彼は言ってくれたけれど、なんとか会いに行った。

彼には両親との記憶があまりないらしい。だから、どういう人なのか、全然わからなかったけれど、ご両親の話を聞いたら、どんな子供時代だったのか少しわかった。
家の事情で苦労したお母さん、ハンサムなお父さんは、仕事を妻の家の事情に振り回されながらも受け入れて、飄々としていた。
遺伝子とは不思議なもので、六帖さんと親御さんはとても良く似ていた。美男美女のカップルに生まれた子供なのに、六帖さんはハンサムとは言えないのが、不思議だとからかった。

彼と知り合い、一年の間に、わたしは身ごもった。経過は順調で、ようやくベビー用品を調べ始めた。
予期せぬ出費が多く、驚くことが多い。子供に拘束される人生が始まる。不安がある。
子育て経験者は、「しょうがない」という。「海外に出ていきたいという気持ちがないわけじゃないけれど、寿命もある。公開がない人生だったとは言えないけれど、たくさんの後悔の中に埋もれている」という。
「つらいことも多いけど、発見も多いよ」という。子育ての話は夫婦仲が円満な、子煩悩の父がいる家の人に聞かないと、悲観的な気持ちになることを知った。
どんな時代でも、子育てをする父は、するし、しない人はしないのだ。
夫が子育てをしていた家庭の妻は、子育てを楽しいものだと語る。自分の人生を犠牲にした一面と同時に、豊かになる一面を語る。これはきれいごとじゃなく、そう。
子供を早く持った人たちは、もう、子供から手を放して、自分の人生をもう一度生き始めている。
そのタイミングで、わたしは、子供を育て始める。
いつ、産めばよかったのかと今更思うけれど、今のタイミングしかなかった。

わたしたちは、自閉症カップルだから、生まれる子供も自閉症のつもりで話していた。
運動をさせよう、集団の強要はさせないようにして、でも、慣れるような機会は与えよう、体の使い方がとにかく苦手なはずだから、アウトドアもしよう、など。

わたしたちは、自閉症の人の気持ちの流れはなんとなくわかるけれど、定型の人の気持ちはわかりにくい。わかるつもりでも、本当にはわからない。もちろん自閉症同士でもわかるとはいえないのだけれど。
定型の人が人の気持ちがわかる人、というとき、本当のところを答え合わせするわけにはいかないのに、どうして、わかるといえるのか、そこが疑問に思うわたしだ。

わたしたちの不安は、子供が、自閉症ではなかったらどうしよう、ということだ。
わたしたちは、自閉症の世界で生きているから、定型の子が生まれたら「異質」と感じる可能性がある。
彼、彼女が必要としている感情的なコミュニケートを与えられるか、難しい。
その場合は、定型の人の力をより借りるように、注力しないといけないだろう。わたしたちにはないものは、与えることができないから。

自閉症が暮らしにくいのは、世の中に自閉症の人間が十分の一しかいないからだ。
わたしたちの家庭ではそれが逆転する。
わたしたちの家庭で、定型発達の子が生まれたら、少数派になるわけだ。理解者になる努力は、どちらにしてもするものの、難易度が上がる気はしている。自分の経験から、類推することが難しいからだ。

自閉症の療育は、社会に混ざるために、自分を変えることを要請される。
そう理解している。
人数が逆転していたら、療育は必要がない。
療育で自閉症は治らない。社会のルールを理解することで、ふるまい方を覚えられる。そうして、二次障害を防ぐものだと理解している。
だから、療育を焦る必要はないと思っている。もちろん低年齢の時にすれば、それだけ二次障害を防ぎやすくはなるだろうが、そのことで、親が負担に感じるのだったら、遅らせて構わないものだと思っている。

遺伝子を混ぜ合わせても、出来上がった子供は他人だから、わたしと特徴が似ている部分があっても、理解不能な部分も多いだろう。自閉症だったら、わかることも多いかもしれない。だから、心のどこかで、自閉症であることを望んでいた。でも、もちろん、そうじゃない可能性もある。
そうじゃなかったとき、わたしは、どれだけのことができるだろう。


ギフテッドであろうとなかろうと生きにくい発達障害

あれから約1年、50円東大生と発達障害の数学少年が再会しました。
この記事のブコメに才能があることについて、嫉妬している発達障碍者の人がいた。
結構しんどい話やなーと思う。

わたし自身は、ギフテッドかどうか知らないけれど、小学三年生のころには、古典を読んでいた。清少納言や、紫式部。ひらがなで書いてあったから読めたのだ。下に注釈があったし。翻訳されたものならシェイクスピアや、海外の昔話、童話やその類似性を分析した本を読んでいた。
株や法律、保険金、そういったものの本も読んでいた。小学生の時には一日に一、二冊、休日には五冊から十冊読んでいた。
だから、国語は得意だった。国語が得意だとほかの科目もできる。特に社会は雑学を知っていればある程度できる。
高校受験の時には、答え方を覚えていないとできないから勉強は必要だった。

でも、わたしは二次障害で体を壊し、学校に行けなくなった。

適応できなかった。

目につく才能だったから、ほめられることも多かったけれど、謗られることも多く、仲間外れや、いじめも受けた。
何足靴を買い替えたかわからない。片方の靴を隠されて見つけられても、もう片方は燃やされていた。一緒に探すふりをした子が犯人だった。その子は、泣いて、もういいから帰る、といったわたしを、見つかるまで探そうよ、と言いながら、わたしの反応を見るために最後まで残っていた。

わたしは社会性がなく、うまくいかないことがあると、教室の中で机を放り投げて暴れたこともあった。筆箱をおもちゃにされて、投げた男の子をナイフをもって追いかけた。教師に、ナイフをもって追いかけたことを怒られた。ランドセルをぼこぼこに踏まれて、家に帰ったら物を大事にしないと怒られた。そういうことに、納得がいかなかった。

中学時代の時は体がしんどくてたまらなかった。勉強だけしていればいいと許してもらえれば楽だった。
満点でも許してもらえない親の元で、勉強をする時間を求められて、いつもドアを開けることを命令され、ランダムに見張られては怒鳴られる家庭で、落ち着いていられる時間もなかった。

学校でも家でも、居場所がなくて、いつも死ぬ場所を探していた。

多少優れた点があっても、社会とうまくいかなかったら、生きていくのはつらいことだ。
社会とうまくいっていても、やっぱりつらいものはつらいだろう。社会とうまくいっているから、かえってつらいこともあるだろう。

わたしの躁うつ病は二次障害なんじゃないかなと思っている。

働き始めてからもいろいろと困難はあった。働くということがあまりよくわからなくて躓くこともあった。
幸い、勉強が得意だということを生かして、塾の仕事につけたからよかったけれど、働きやすい業界かというと、そういうわけでもない。
今は、パートナーに養ってもらったり、生活の面で補ってもらっているから、ずいぶん楽になったとはいえ、彼もわたしと同じ発達障害だ。
彼もやはり、勉強が得意だったものの、成人後は、かなりの地獄を見ている。

わたしたちにあるものが才能と呼べるほどのものかはわからない。多少優れている点はある。そこを隠しても、謙遜だと思われることはなく、むしろ、悪いように取られるので、わたしは優れている点がある、ということにしている。どちらにしても、憎まれる。優れた点や変わった点があると、それをもっているだけで、憎まれる。隠すことはできない。隠しても、それはそれで憎まれる。

他人からどう見られるのかを多少想像することはできても、たとえば、嫉妬の概念のない私には、うらやましいところまでは理解できても、嫉妬ということの全容は理解できない。できないものに対策はできない。わたしにない感情は、わたしには理解できない。
そういうところで、衝突はよくある。

自分を隠せば隠すほど、もっと難しくなる。かといってむき出しのままでも難しい。どちらにしても難しい。正直でいることのほうが、単純だから対処しやすい、というだけで、自分を隠さないでいる。でも、やっぱり、いろいろな人がいるから、絶対の正解とは言えない。

正解を探してしまうのが、わたしの特徴でもあるけれど。

適応しようとして、適応障害になったこともあった。体が動かせなくなった。過呼吸もひどかった。

才能だけを見る。そうすると、きっと羨ましい。才能がない。そう思えば、自分には何にもないと感じる。
わたしは、自分の才能を、「なんの役にも立たない。お金にならない。社会では役に立たない。価値がない。そんなものは才能とは言えない」と言われたことがある。わたしはその人の言うことを聞いてしまい、時間を無駄にした。
才能があると目立つ。目立つとつぶされる。
才能がなくて、何もないと嘆くこともある。自分のできることに何の価値も感じられなくなると、自分にはどんな意味での才能もないのだと、思い、心細くなる。わたしは何もなさないで、何もせず、死ぬのかと思うと、さみしくなる。

何を才能と呼ぶのか、評価する人がいてこそ才能だと認識できるのだと思うけれど、もし、才能があったとしても、生きていくことは難しい。
才能がないとしても、生きていくのは難しい。
才能があるといわれてたけれど、期待ゆえに、ゴムを引っ張り続けると、ちぎれるように、ちぎれてしまったわたしも、やっぱりいる。
何もかももなくして、わたしには、才能どころか能力もない、価値もないと、泣いているわたしもいる。

どちらも楽じゃない。
両方のわたしがいる。


福祉の利用者と支援者の上下関係から尊厳を守る

わたしは、今着ているヘルパーさんの事業者とは強固な信頼関係を築いてきた。

前回、来てくれたヘルパーさんが「子供のために自分の何かをあきらめることができなければ、産まないほうがいい」「これは、やめたほうがいい」というようなことを強く言われて、自分が思っていたよりも落ち込んでしまった。

実際、中絶したほうがいいかもしれないと思った。

支援者は、どうしても、わたしに対して、親身になればなるほど、「こうしたほうがいいよ」と言いたくなってしまう。母や姉のような気持になって。

でも、わたしは自分で自分のことを考えて決めたい。

今日、本当は来てもらう日だったのだけど、責任者の人に連絡して、お休みにしてもらった。

電話の内容はこんな感じ。

「この前、こういうことを言われたので、気が重くなってしまったから相談したいです」
「自分でもそれはやめたいと思っているから、そっとしておいてほしい感じかな?」
と言われたので、
「そうじゃなくて、自分で、階段を作って、自分で階段を上るように、自分でいろいろなことを決めたいんです。それを上から言われたとおりにしていたら、自分の人生じゃなくなってしまう感じがして、落ち込むんです」ということを説明した。
「あのヘルパーさんのことは好きだし、これからも、あ¥たくさん話していきたい。でも、自分で困っていないことについて、こうしたほうがいい、と言われてしまうと、自分で考えて決める余地がなくなってしまうから、それは、つらいことなんです。鬱状態も悪化してしまって、しんどいのです。自分で、いろいろなことを、納得したうえで決めたいから、何が正しくて何が正しくないかは知っているけれど、間違ったこともしながら、やっていきたいのです」

と伝えた。
そうしたら、責任者の人は、「じゃあ、みんなで相談してみるね。そして、そのヘルパーさんには二回か三回ちょっと抜けてもらうことにするね」と言ってくれた。

責任者の人は、最初、わたしが言われたことを気にしなければいいというようなことを言っていたけれど、話していくうちに、わかってくれた。
わたしは、自分の力で考えて、自分の力で行動したいということ。それを「指示通り」にしてしまえば、元気がなくなってしまうこと。
そういうことをわかってくれた上で、話し合いを事業所でしてくれるとのことだった。

自分の気持ちを言うのはしんどい。どういう反応が返ってくるかもわからない。ちゃんと自分の言いたいことが正確に伝わるかもわからない。

我慢したり、言いなりになったり、逆にお客さん気分であれこれ命令する利用者さんもいる。

でも、わたしはそうじゃなくて、自分の気持ちを伝えて、向こうの気持ちも知って、そのうえでよりよい支援を一緒に作り上げていきたいのだ。

誰にでも、欠点はある。見えないこともある。支援しているうちに、利用者のことを、弱いから、こういう風にしたらいいとアドバイスしたくなる時もあるだろう。

もちろん、困っていることに関して、そういってもらえることは助かる。
でも、困っていないことに対して、助言されると苦しい。

そういうことを、ちゃんと伝えられたのは、事業所や、ヘルパーさんと積み上げてきた信頼関係があるからだ。
受け身じゃなく、自分らしく生きていくために、自分の気持ちを伝えることで、自分の環境は変えられる。


定型の人の無防備さ

定型の人は、外部から得た価値観を内面化して、鵜呑みにして、苦しんでいるように見える。
自分の中の意見よりも、周りの価値観を大事にするから、そこからはみ出した事態になったときに、行き詰まる。
わたしには、生きにくさは、そういう意味ではない。
自分しかいない世界なので、自分の価値観だけに準じて生きている。

こうしなければいけないといわれたら、それを鵜呑みにして、「なんで?」と思わないから、外部からの価値観を疑えない。
そして、なんでと言われることが嫌い。
自分で自分を不自由にしている。

わたしは、疑問を持ったり、怒ったりする。そうすると、生きづらそう、もっと穏やかになればいい、適応したらいい、と言われるけれど、それはわたしの快適じゃない。疑問を持ったほうが、自分らしく生きるための指針が建てられるので楽だ。

定型の人の中には、疑問を持つ他人を見ただけで腹を立てる。常識に対してとても素直だと思う。
そして、生きづらくなっている。

目に見えないものを信じて、幽霊みたいな世間体に沿って、嫌なことを我慢する。
我慢してもいいことがないのに。そして、自由そうなわたしを攻撃することだってある。

定型の人は自分たちの気持ちをお互い察することができると夢見ているけれど、そんなことはないんじゃないか。
よく愚痴を聞くもの。
お互い話し合って自己開示すれば避けられることも多そうだし、嫌なことをさっさとやめればいい場面でも我慢するから何十年でも無駄にする。

わたしは、嫌なことはちっとも我慢しない。すぐに逃げてしまう。

自閉症が障害だといわれる。そう、もちろん、障害特性に沿った生きづらさはある。
でも、定型の人に生きづらさがないかというとそうじゃない。
自分で認識できない分、苦しいのではないかと思う。


障碍者の親と当事者の軋轢

一年前、モビゾウさんともめたことがあった。
モビゾウ研究室

発達障害は楽しいこともある……
上記の記事を書いた。
モビゾウさんのツイートを一番上に張っていたが、モビゾウさんからリプライが来て削除を求められた。
なんで削除しないといけないのかさっぱりわからなかったが、ひどいコメントがいっぱいついた。
削除してからも、モビゾウさんとフォロワー関係の人同士がリプライを送り合ってわたしの悪口を書いていた。
「削除されたみたいですね」とわたしがわざわざ削除したのに、自然現象みたいに書かれた。

今読み直しているとこの記事に悪いところなんてない。
この問題のコアは、「親が障碍者を育てる大変さ」と「当事者の大変さ」を書いていたところに、親御さんのほうから「こっちの大変さも考えてよ!」と言ってきたことにある。

でも、当事者に「あなたも育てにくかったはずだから親のことを言うなんて」というのは、暴力だ。

障害があってたいへんだから、支援がある。
当事者のための支援だ。親が大変なら親のための支援もいろいろある。

障害の診断をつけるということは支援に結びつくために必要であって、支援しないほうを選ぶのなら、そもそも診断を受ける必要もない。それならそれでいい。障害があっても健常者のように育てるという方針なら。

でも、いちいち「支援を受け入れることに決めました」と悲壮な風に言われても、こっちは「はあ?」ってなる。
支援は当事者が楽になるためのものだから、親が苦しいだの、決断が必要だったっだの、言う必要はないんじゃないか。見ず知らずの当事者に向かって言うのは、甘えだ。暴力だ。カウンセリングを受けたほうがいい。

あのことも、障碍者差別の一環だったと思う。障碍者は親の批判をしてはいけない、モノを言ってはいけない、というような。
親だって苦労しているんだ!と当事者にいうとき、そこには何が発生するのか。

「味方になるはずだった人を敵に回すなんて」ということもコメントに書かれた。
でも、いきなり敵視してきたのはモビゾウさんやその周りの人だ。モビゾウさんとその周りの人はリプライで「ブログにコメントしておきましたよ!」「ありがとうございます」というやりとりをしていた。
モビゾウさんはわたしに「晒された」と言っていたけど、モビゾウさんは数を頼んで、わたしを攻撃してきた。
モビゾウさんが「ありがとうございます」と言わなかったら、コメントを付けた人個人の問題だったけれど、モビゾウさんがわざわざお礼を言っていたとなると意味が変わってくる。

モビゾウさんはご子息の写真や、習い事や、いろいろなことを公開している。子供にも人権はある。
モビゾウさん自身が、言葉を封じさせるという形で、わたしの人格を認めず、わたしを差別した。

わたしは彼女が発信した以上のことを知るはずがない。それ以上のことは何もわからないのに「曲解された」という風に言われた。
何がどう曲解なのかわたしにはいまだにわからない。
ことの発端としてツイートをリンクしただけで、本文にはモビゾウさんのことは何も書いていなかったから。
でも「モビゾウさんのツイートなしでは成立しない記事。モビゾウさんのツイートを利用してアクセス数を増やそうとしている」とまで言われた。読んでいないのはそちらじゃないか、と思った。

当事者でなくても、当事者の親じゃなくても、発達障害を理解し味方になってくれる人はたくさんいる。
逆に当事者であっても当事者の親でも差別審がある人はいっぱいいる。

わたしなりに、発達障害だということを受け止めようとしているさなかに、「今まで療育を受けられなかったからこれから療育をしていきたい」と書いたことが、どうしてモビゾウさんを腹立てさせたのか。それは、わたしの中にある問題ではなくモビゾウさんの中の問題だ。

発達障碍者の親の気持ちはわからない。そこで見下される理由もわからない。
たいへんだったら、支援を求める。そんなの当たり前のことなのに。
そういう風に言われるとむっとするのは、支援を受けることに抵抗があるのではないか。抵抗がある、ということは、そこに偏見があるからだ。
支援を受けると現実になってしまうようだとか、認めることになるだとか。
障害を認められないのは、障害は悪いこと、下に見られるようなことだ、という差別があるからだ。

障害は、もう、すでにあるものだから、認めるしかない。
当事者は認めるしかない。
認めないで生きていくこともできるが、相当ハードモードだ。
工夫ができない。ずれのことを説明できない。そうした手段を奪うことは暴力だ。

わたしはこんな風に穿っている。
モビゾウさんは自分のことをかわいそうだと思いたいんじゃないかって。発達障害がかわいそうじゃないと、自分が子供の支援をしている大義名分がなくなる。子供がかわいそうな子、ということにしないと、その子を育てている自分もかわいそう、ということに続かないから。
モビゾウさんは、自分のご子息が、発達障害だということを認めきっていないように見える。だから、そこで葛藤が起きて、第三者の、わたしのブログのようなどうでもいい話にも反応するんじゃないか。

上記の記事について、モビゾウさんは「ブログにブログ主の偏見が反映されている。障害がアイデンティティになっている。障害に固執している」という風にツイッターに書いていた。

わたしは障碍者だから、障害がアイデンティティの一部にもなる。
大きな特徴だからそこだけ認めないのはかえっておかしい。わたしに「障害に固執しているかわいそうな人」みたいなことを書くのは差別や暴力だと思う。

むしろ、障碍者の親だということに、アイデンティティをおいて、固執しているのはそっちじゃないのか。

わたしは固執しようがしまいが、自分について回る性質から逃れられない。診断されて、数年目だったから、あのころ自分が自分の障害について考えるのはそんなに不自然じゃなかった。それなのに「障害に固執している」と言われて、わたしはショックだった。
そんなことを言われたら、わたしは考えることも許されないんじゃないか。

療育は、発達障碍者本人を楽にするため。親のほうがつらい、それは手間暇の面でそうかもしれないけれど親自身が悲鳴を上げるほど大変なら、親のほうも支援を受ければいい。

大変な人が支援を受けるのだから。

わたしは障害がある、わたしはこういう風に考えていると書いただけで、どうして、あんなにモビゾウさんがかき乱されたのか、全然いまでもわからない。

親御さんがどんなに大変か想像もつかないけど、療育はやっぱり本人のためのもの。
わたしは「大人になってから、療育を受けられなかった自分が、自分なりに自分を療育したい」と書いたことをあんなに馬鹿にされ、矛盾だといわれたことがいまでもわからない。
療育を受けてなくても、大人になってからでも、やり直しは効くということを書きたかったのに。
それがどうして、あんなふうになるのか。大人になったら療育に近づいたらいけないのか。
わたしたちは線形に発達しないから、長い時間をかけて一生発達していく。
それを否定されたら、わたしは生きていけない。

療育を受けられるというのはチャンスなのだから親が悲壮になるのは理解できない。しんどかったらゆっくりやればいい。
モビゾウさんは四歳になる前にお金や暇を注ぎ込まないと後悔するみたいなツイートをしていた。それについて、わたしは反応したわけだけど。

悲壮になるのは親のエゴで、「普通にしたい」という欲求があるのだと思う・
療育を子供に受けさせたら子供も親も楽になるんじゃないかと思う。
健常者のためのルールを学べるのだから。
(世の中が発達障害の人ばかりだったら、別に療育はいらない)

どうして、わたし側に偏見があるという飛躍になるのか。

障碍者はたくさんいる。普通にいる。普通のことだ。どうして、親がかわいそう、という話になるのか。百歩譲っても「親の苦労を分かれ」とわたしに言ってくる理由には一つもならない。

モビゾウさんは「子供が健常だったら、娘とピアノの連弾をしているところを見れたかもしれないのに」という趣旨のツイートをしていた。
それだって、ご子息が発達障害であろうとなかろうと、かなうかかなわないかわからない話で、そして、連弾ができたら、子供が幸せになるかというと、結びつかない。やっぱり、そういう子供を育てたい、という親のエゴに見えるのだ。

わたしは、大人になったら療育を受けられない、ということは否定したい。
もしそうなら、絶望しかないから。
今は、療育を受けられる世界で、その世界では四歳までにすることで将来が決まる、ということになっているらしいけれど、それだって、先のことはわからない。
今、実際わたしは生き延びてきたわけだから。
わたしが書いた記事に「療育否定だ」と言ってきたのはモビゾウさん。わたしは大人になってからでも間に合うと言いたかった。
それを否定してきたのはモビゾウさんのほうだ。


モビゾウさんは、わたしに謝らないまま、ツイッターをやめた。
曲解されたり、人の悪意にさらされたからとのこと。

わたしは、モビゾウさんから悪意を向けられたと思っている。
人の視点によって見える景色は違う。

「みつばさん」がツイッターをやめたから、ということが理由みたいだ。
でも、「みつばさん」は人に堕胎をさせた側のくせに、女には堕胎をさせればいい、ということを言っているような人だ。
女の権利として、堕胎はある。そして、悪いことじゃない。けれど、心身の苦しみは、させた側にはどうにも償えないものだ。妊娠した時点で、とりかえしがつかないものだ。生むにしろ、堕胎するにしろ。完ぺきな責任なんて取りようがない。
そんな人を、好きだと思い、その人がネットの悪意でいなくなるをえない、みたいに言えるモビゾウさんとは善悪の価値観が根本的に違うんだなと思う。

この件については、発達障害かどうかは関係なく、倫理観の問題だと思う。

一連の話のログをまとめました


困っていることを分散する

妊娠七週目。
冷えのぼせがひどい。光に過敏になって、まぶしくて、いつも右目をつぶっている。
右目の視力が落ちたのは、つわりがひどくてスマホを見る時間が長いから。
睡眠は吐き気と痛みのせいであまりとれない。
股関節周りをもむと、吐き気とめまいが少し収まる。
股関節のところで痛みをこらえているらしく、すごく硬くなっている。

今日六帖さんが病院に電話をしてくれたのだけど「吐き気はあるけど吐いていない。よく眠れている」と説明したので、かなり怒って暴れて、枕を壁に投げつけて号泣した。
吐き気がなくて眠れているなら困ってないじゃん。困ってるから電話したんじゃん。と思った。

困っているときには、大げさに言ったくらいのほうがよく伝わる。
大丈夫なんです、と言っていたら、困っていても助けてもらえないし、助ける側も手の出しようがない。
ヘルパーさんが来る日だったので、ヘルパーさんの前で、暴れて号泣した。
でも、平気ですよ、というよりも困っているところを共有してもらったほうが、密室にならなくていい。

近所にいるAちゃんは、最初一緒に住んでいた。
Aちゃんは、体を壊して仕事をやめたものの、その先がなかった。
だから、100キロ以上離れて住んでいたけど、オフ会であって、スカウトした。
Aちゃんは、退職した会社の近くに住んでいたから、精神的に辛そうだった。

それで、うちに来てもらった。
一か月くらいパートナーの六帖さんとわたしと三人で住んでいたけど、そのころAちゃんは荒れていたので、矛先が六帖さんに向かっていた。だから、近所に引っ越してもらった。

少しずつ、家族っぽい感じになっていった。
三食うちで食べて、わたしが紹介したところで働き始めた。

わたしは愛がなくても、血縁じゃなくても、家族になれると思っている。

Aちゃんはセクシャルマイノリティで、恋愛をしない種類の属性だから、恋愛を経て家族を作ることが不可能だった。
でも、恋愛を経なければ家族はほしいといっていたので、とりあえず家族になってもらった。

Aちゃんは、家族がほしいけど、それは無理だと思っていたらしい。

わたしはといえば、まあ、人が増えたら何かという時に便利だろうと思った。

別に家族なんて簡単になったり簡単に壊れたりしていいと思ってる。
結婚しても、離婚するし、離婚しなくても、心は離れる。

一生同じ組成で家族になるのは難しい。
でも、困ったときに助け合うという観点から見たら、いろいろな人がいる家庭というのはいいと思った。

それから、わたしは妊娠した。
Aちゃんは、家のことやわたしの世話をいろいろしてくれる。六帖さん一人では無理だったろうから、とても助かっている。
Aちゃんも、孤独じゃないし、家を借りる時の保証人やらで困らなくなったからよかったみたい。

わたしは一人でやることは好きだけど、一人でできない時もあるから、いろいろな人に助けてもらいたい。
利害が一致していて、人柄がよければ、家族が増えることに何の異存もない。
助かることばかりだ。

Aちゃんはもちろん、子供を産むことは考えていない。でも、子育てには興味津々だから、手伝ってくれるという。
別に恋愛しなくても家族になれるとわたしは信じていたら、そういう風に生きていたら、そういう人たちが集まった。
六帖さんと一緒に住むことにしたのも、六帖さんがあのとき困っていたからだ。

大人の手が三人あれば、子育てもなんとかできる気がしている。
一人や二人で育てるのが大変でも、子供の親になりたいけど生む気のない人をスカウトして、一緒に経験を共有する試みをこの妊娠でしてみたい。

まだ、人手が足りないから、いいな、と思った人には声をかけている。
もちろん、話に乗るか乗らないかは、本人の意思と決断だから、無理強いはしないけど。

別に恋愛から始まる男女のつがいに限らず、家族の発生は自由であればいい。
社会的な制度がなくても(あったらもっといいかもしれないけど)経済的にそれぞれが自立していたら、家族になるのは可能だ。

血のつながりや体の関係は、家族と切り離せる。
別に集まっていて、お互いが居心地のよい家庭運営が出来さえすれば、血縁であることは、必要な条件から外れる。
子供を産もうが産まなかろうが、結婚しようがしまいが、最後にはひとりだ。

一人でも、孤独じゃない場合もある。家族がいても孤独な場合もある。子供は将来の担保には絶対にならない。
子供には子供の人生があるから、わたしはそういうのと関係なく家族を作りたい。

わたしが子供を産むのは、将来のためじゃない。ただ、子供がいたら面白いかな、という気まぐれだ。
産んだからと言ってうまく育てられるわけじゃない。
子供のころに「c71は虐待しそう」と言われたことをいまだに根に持っている。
それを逆手にとって、子育ては苦手だろうから、わたし一人がやらなくて済む環境づくりを頑張っている。

一人でやることを頑張ると行き詰まる。
それよりも、他人を巻き込んで、一緒に困ってもらうほうが、みんなが愉快でいられると思う。

戸籍が違おうが、セクシャリティが違おうが、人柄がよくて協力し合えるという前提があったら、わたしはどうでもいい。
わたしが家族だと決めた人たちが家族だ。

そうやって、困りごとを分散して、お互いの困りごとを共有し合えば、なんとか生きていけると思う。


親子断絶防止法に反対だ

オーストラリアの親子断絶防止法は失敗した―小川富之教授(福岡大法科大学院)に聞く

いくつかの理由で、親子断絶防止法に反対である。

一つ目は、子供の立場から。
わたしの父は、小学高中学年の時に家出をした。それから、理由を作ってなかなか離婚しなかった。それでいて、会いに来た。
母は、わたしに父の悪口を吹き込んだりはしなかったけれど、ストレスで病気になったり、家の外に出られなくなったりした。
車で後をつけられて声をかけられたりしたからだ。

すんなり離婚の話し合いができる夫婦なら、法律などなくても、子供との面会はできる。
子供の面会という話ができない時点で、問題があるのだ。
その問題があるまま、子供に合わせるのは危険だ。
ストレス、心身の危険、DVの延長の嫌がらせが考えられる。

もう一つの理由は、女性としてからの立場からだ。

わたしは心神喪失時に、婚姻届けを出されて、私文書偽造などされ、貯金を一切奪われ、クレジットカードにも、勝手に申し込まれた。
一千万円近くの損失だった。
また、身体的なDVもあった。それまで飲んでいた薬を全部断薬され、家族や友人と連絡が取れない状態で、子猫含めて四匹の猫がいて、糞尿の片づけがなされない八畳一間の一室に閉じ込められた。そして、統合失調症の薬を致死量飲まされて死にかけた。

三回の切迫流産が起きて、死ぬと思い、なんとか着の身着のままで逃げだした。
逃げた先も知られると、「殺してやる」「火をつけるぞ」という脅迫があった。

堕胎をしたいと思ったが、日本の法律では、婚姻届けが出ている以上、父の推定がなされるため、どうしても、堕胎の届け出に、相手の名前が必要だった。
しかし、殺す、と言ってくる相手に、居場所を知られるリスクを冒して、そのうえ、絶対に同意が得られない交渉をすることはできなかった。
堕胎をできる期間も、十週を超えると法律上も、身体的にも、難しくなる。

妊娠させられたこと自体がDVなのに、それをやめるための中絶にも、DVをしてきた相手の承認がいるとは、これは、女性の人権を阻害する。法律の不備だ。

それで、やむをえなく、「望まない妊娠」だということを理由に、中絶した。

今もいやがらせがある。
この夏、一番嫌だった嫌がらせは、わたしが「不法に堕胎した」ということをもって、警察に届けられたことっだ。
そのため、わたしは、警察に呼び出されて、調書を取ることになった。
もちろん、望まない妊娠なので、違法性はない。それでも、犯人扱いされるストレスはたいへんなものだった。

この相手の男を、万が一生んでいたらと思うとぞっとする。
わたしが堕胎しなかったら、逃げられなかった。命の危険があった。
子供の命も危険にさらされていた。
だから、わたしは決断せざるを得なかった。

もし、中絶が禁止で、そのうえ、親子断絶防止法があったとすると、わたしのような女は、殺されるか、自分で死ぬしか道がなくなる。
もちろん、生んで、そのまま逃げたとしたら、地獄の果てまで追いかけられて(生んでいなくても地獄の果てまで追いかけられているのだから)、親子断絶防止法が可決したら、それを盾にして、子供と会うと主張されただろう。

誰かが、死んでも合わせたくないと願うには、それなりの理由がある。
離婚がすんなりいかない相手には、背景がある。
その背景を無視して、法律で抑え込むと、人が死ぬ。
オーストラリアでは子供が殺された事例もある。
わたしをDVした男も非常に粗暴で、子供を殺しかけないだろう。
猫も虐待していた。
猫を虐待する人間は子供も虐待するだろう。
それなのに、意に添わぬ婚姻関係でも、婚姻の関係にあると、女も子供も逃げることができない。
人権が守られなければ、命も守られない。

だから、親子断絶防止法には反対だ。
子供の福祉にも反する。


妊娠六週目の支援

妊娠六週目に入った。
つわりがひどく、めまいと吐き気がひどい。四週目が一番つらかった。
四週目は、中絶した一回目の妊娠がフラッシュバックして、心身ともにまいっていた。

一回目の妊娠は、「子供とわたしを生活保護に入れて、その上前を撥ねる」「子猫を含めて八畳間に四匹の猫がいて、糞尿を片付けていない状態」だったので、劣悪な環境とDVがあった。
そのときには、軟禁されていて、薬を弾薬された上に、統合失調症の薬を無理やり飲まされていた。その状況下の中での妊娠だった。
そこで、逃げて、長い間隠れている生活があった。

生活が落ち着いたので、六帖さんと子供を作ることにした。
六帖さんは、働き者で、勉強をよくするので、わたしの特殊性(フェミニスト、自閉症スペクトラム、躁鬱)と折り合いをつけられると思った。

今の環境は前回よりも良いので、つわりも前よりは軽く済んでいる。
でも、減薬をしているので、情緒が不安定になりやすい。
細かいこと、たとえば、片付けが思うようにいかない、自分で思ったところに物がない、目に入るところに気に入らないものがある、ということで、今日は泣いて暴れてしまった。

ヘルパーさんが来る日で、ちょうどいたときに爆発できたので、今後、どうしようか、という話になった。

ヘルパーさんは「六帖さんが、合わせるように」ということを一つの提案としていった。

「わたしが我慢したり、合わせたりしなくていいんだ」と思ってびっくりした。

今、わたしに必要な支援は、「わたしが適応するように」することじゃなくて、「わたしに居心地の良い環境を作る」ことらしい。
自分では我慢しないと、合わせないと、と思っていたので、本当に驚いた。

具体的に「こうしてほしい」ということがあったら、細かくメモに取って、みんなが共有できるようにしてほしい、というヘルパーさんからの要望も出た。

わたしが「こうならないといけない」という目標を目指すんじゃなくて、「できないことを列挙したり、こうしてほしいということを伝える」ということが必要とされた。
これが福祉や介護の考え方なのか、と思った。

外部の人やプロが入ると、自分たちで何とかしないといけない、特に当事者が変わらないといけないとどこかで思い込んでいたのだけど、その思い込みが一つとれた気がした。