墓穴と不安定

アルバイト中に、突然卑屈スイッチが入ってしまった。

「ごめんなさい」
「でも…」
「だから…」
「こんな風になってしまって」
止まらなかった。
「気にしなくていいですよ」
気を使わせてしまった。

どうしよう?
それからどんどん不安定になってしまった。
仕事なのに、お金をもらっているのに。そうするとさらに不安定になってしまい、「これじゃあ、相手に甘えている」と思えば思うほど、焦ってしまった。

もっと適当に、肩の力を抜いて、失敗を許せるようになればいいんだ。
アルバイトの内容も、力を抜けば抜くほど良い仕事だ。
がんばればがんばるほど裏目に出るのだ。

緊張すればするほど、提供するものの質が下がる。
ぼんやりしているくらいでいいのに。
お客さんに質が良いものを提供しようとして、まなじりをけっして、豹変したと言わせてしまった。
ああ、こんな日もある。
こんなところに来たくもないと言われないように、もっとゆるくかまえなくては…。
ゆるくかまえるって難しい。

だから、今のわたしには、正社員を目指すよりも、今のアルバイトを続ける方がいいんだと思う。


体罰と中学生

わたしは中学生と関わり合いがある。

わたしは、中学生の前では、学校の先生の悪口を言わない。
それは、先生に対する尊敬の気持ちが、わたしの中にあるからだ。
少しの人数を教えるのもたいへんなのに、大勢の人数を、時間内で、同じレベルになることを心がけて教えるのは、とてもたいへんだろうと思うからだ。

たとえば、歴史を教えるのでも、生まれたときから電子メールが当たり前だった人たちなので、昔の話をするのも一苦労だ。
使者を説明するのにも、「手紙を運ぶのにも人を送らないといけなかったんだよ」と話しても「あ!メールですか」と返ってくる。
例えば理科だと、オール電化で火を使ったことがない子だと、火を扱うことが怖くて、マッチに火をつけても怖くて放り投げてしまう(危ない)。ほとんど火を見たことがないのだ。

中学生というのは子どもだ。
体も細っこいし、いかにも成長の過程にあるという感じだ。
頭の働きは素早くて、わたしの古くなった脳みそよりもずっと回転が速い。
世の中のことをうんと考えているし、これから先の人生のことも考えている子が多い。
大人より大人っぽい。でも、子どもだ。
わたしはまじめなところが子どもだなあと思うし、そこがかわいいので、いつまでもそういう風にいてほしいと思う。

斜に構えていてもどこか純真だ。

それでも、そういう子たちを、殴る大人がいる。
血が出たり、けがをしたりしている。
そういう話はほとんど表に出ない。タブーだ。
ショックを受けるのは殴られた子だけじゃない。
その子の友達も、家族も、友達の家族もだ。
体罰というのは、単なる暴力だ。それを言い換えただけだ。
そんなひどいことを、勉強を教える人がするのだ。
勉強というのは、本来、人生の希望となるべきものなのに。
希望自体を奪うのだ。

話を聞く分には、中学生は、けっこういろんなことがわかっている。
しかるにしても、怖い先生でも、きちんとした先生のことは、心の底でどこか信頼しているし、尊敬しているような口ぶりで話す。それが、先生にも伝わっていてほしいなと思う。
殴る先生のことは、あまり尊敬していない。
体罰の基準がないのだから、暴力を振るうとき、それは先生の良心にしか基準がない。
ということは、その先生が、調子が悪いときや、いらいらしているとき、良心の基準が変わってしまうのだと思う。
それは、罪刑法定主義に照らし合わせても、間違った考え方だ。
仮に学校の中で、刑罰として体罰が存在するのなら、あらかじめ、生徒が、その運用に対して、知らなければ、暴力をさけるすべがない。そして、それは不可能だ。
校則で体罰の基準を決めるとしても、そこに生徒の意志を含めることは難しいだろう。
それは、教育するために、学校があることを考えると、民主主義を教える場であることも含めて、ふさわしくない。

それとは別に。
もちろん、わたしが話を聞いたのは、ほんの数人で、データが、ソースが、と言われたら、すぐに消し飛んでしまうような伝聞でしかないのだけど。
あの細っこい、成長過程の小さな子どもを殴るなんて、本当に許しがたいと思う。


リンゴとアルバイト

今日はアルバイトに行った。
なんでか、十二時まで布団から離れられなかった。
自分でもなんだかわからない。起きてみたら気持ち悪かったような気もする。
朝起きて、楽しいことが思いつかず、寒いので、暖かくしたいと思うと、布団から出られない。
これは明日の課題にしようと思う。
小さいところから直したい。

一応七時には起きたので、朝ご飯にはパンとリンゴを食べた。
パンは近所のパン屋さんで購入したもので、ふんわりと夢のような味がした。
リンゴも赤くて、とてもおいしかった。
最近、リンゴをむくのも軽々とできるようになった。お皿を洗うのも早くなった。
そういうことが嬉しい。

リンゴを食べると体に力が入ったような気がする。
アルバイトは疲れたけれど、楽しかった。
働くのが楽しいというのは、とてもいいことだと思う。
昔は、つまり病気になるまでは、働くことがピンときていなかった。

帰ってから、おやつを食べてしまう。
太ってきたので、明日は控えたいと思う。
白菜スープを作った。ホワイトペッパーをたっぷり入れたら冬の味になった。


胃が気持ち悪い一日

今日は、昨日から降った雪かきをした。
今日の雪は軽かったので、量の割には良かった。

眼鏡がどこに行ったかわからなくなって、泣いてしまった。
病気になってから、物忘れがひどくなったような気がする。
もっと、気持ちを張ればいいのだと家族にも言われた。
薬を辞められないかとも言われてつらかった。
こういうことも早く平気になって吹き飛ばせるようになればいいと思う。

今日よかったことは、こうして、ブログも書けたこと。
散歩に行けたこと。
月が丸くて大きくて、黄色に輝いていたのを見られたこと。
真っ白に凍り付いた木々の枝の向こうから、こうこうと月が照っていた。
道も屋根も山もどこまでも白く、息も白くて、暗闇の中で、足音だけが響いていた。


脱社畜と精神病

期せずして脱サラをしてしまった。
なんというか、結果的に脱サラ。
地崩れ脱サラと呼んでほしい。

もう、何の覚悟もなく、何の見通しもなく脱サラ。

選んだ訳でもなく脱サラ…しつこい。

今は、半分農家、半分資金稼ぎみたいな働き方が流行っているようだ。
インターネットの人、phaさんみたいな働き方とか、いろいろ。
わたしとの違いは、彼らは自覚的にそうしたこと、わたしはそうではないこと。

ここは開き直って、もう、せっかくだから、そういう生き方をしてみようかな、とも思う。
だって、仕方がない。どうしようもない。そうなってしまったんだ。
働けない。

稼げない、これからどうするんだ…と思うと脱力する。
脱力している間に一日が過ぎる。
それでも、少しずつ病状は良くなっているので、ずいぶん外の世界に対する興味が復活してきた。

以前は、文字を読むこと自体ができなかった。世の中の流れとかもわからなかった。
宙に浮いた眉の中で眠るような日々。
人と会って一時間もしたら抜け殻になるほど力尽きた。

それがどうだろう、今は、ブログを読んで、情報を集めたり、ブログを書いたりしている。
これが単なる躁状態だと言う可能性を捨てきれないのも、精神病患者のチャーミングさだと思う。
今気づいたけど、多分躁状態だと思う。自重しよう。
文章を書いている短い間ですら、ぐらぐら揺れるのも精神病患者の愛嬌だ。

ブログを読んだところ、みんな、ITで稼いでいるらしい。
アフィリエイトだとか。

脱力。

途方に暮れた。

ITとお金を稼ぐところの途中が全然わからない。
プログラムは頑張ればできるようになると思う。
でも、その先、どうやってお金に変換するのか、ちっともわからない。
プログラミングしてから考えればいいのか。それはそうか。
というような思いで、頭がぐらぐらして、はっと気づくと二時間くらいたっている。
わたし、精神病患者はすっとろい。

会社はできれば辞めたくなかった。辞めずにキャリアを積んだ方が良かったと思う。
ろくなキャリアにならないうちに辞めることになった。
すぐ仕事を探せばいいという人もいたけれど、それは無理だった。
わたしの病気のことは、わたしとわたしの主治医にしかわからない。
だから、説明しても、反論しても、どうしようもなくて、だから、人はあきれて離れていった。
そういうものだと思う。

だから、辞めなくてもいい人が、前向きに辞めることを、尊敬はしても、実感として、どうしてその選択をしたか、飲み込めない。わたしは、未練たらたらだ。

それでも、今やっているアルバイトはとても楽しい。
働くことがこんなに楽しいことだったのか。知らなかった。
アルバイトは、わたしと社会の接点だ。
一番誇らしいことは、納税していることだ。

会社員をしているときには、働くことはいやで仕方がなかったし、毎日がだるかった。
一生このままなのか、うだつがあがらないのかと思っていたし、いらいらしていた。なるべく楽がしたかったので、愚痴が多かった。税金も納めるのはいやいやだった。
一生懸命働いていたつもりだけど、今思うと、やる気がなく、手間ひまに対して鈍感だった。
だから、やることはいっぱいあって、やっているつもりだったけど、実際には何もやっていなかった。
そういう低いレベルの状態が、会社の家畜と言えなくもなかった。
自分の意志を持っているつもりだったけれど、悪い意味でプライドがなかった。
それに比べて、一生懸命、骨身を惜しまず働いている人は尊敬する。そういう人は、すばらしいと思う

アルバイトを始めて、楽しいことがだんだん増えてきた。
映画を見ることも楽しいし、本を読むことも楽しい。文章を書くことも、絵を描くことも楽しい。
眠ることも幸せだし、朝に焼いたトーストにオリーブオイルをかけるときは、本当に一番嬉しい。
これからも、趣味を少しずつ増やしたいと思っている。
将棋もしてみたいし、勉強もしてみたい。資格にもチャレンジしてみたい。
アルバイトに対しての方が、責任感が持てている。
この一時間がいくらになると思うと、熱が入る。

書いてみて気がついたけれど、わたしは病気になって、得たものが結構あるみたいだ。
どうして、健康なときに、気がつかなかったんだろう。
健康なときに気がついていれば、最強な生き物だったのに。
わたしは気がつくのが遅かったけれど、他の人は、みんなこういう幸せを知っているんだろうと思う。

選んだ訳ではない脱サラだけど、なってしまったものは、仕方がない。
仕方がないと思ってしまった以上、先のことはあまり心配せず、今のことを一生懸命やろうと思う。


普通の1日

今日は朝ちゃんと起きて、アルバイトに出た。
やる気があって、いろいろなことができそうな気持ちになる。

何か作ったりしたい。

プログラムを勉強してみたいと思った。動くものが作りたい。

衝動が湧いてむずむずする。
こういう日が続くといいなと思う。


私が朝起きられない理由

朝、七時に目覚ましが鳴って、一度は目が覚める。
そのあともう一度眠る。
具合が悪くなったらどうしようと思う。
でも、一番の理由は、起きてもやることがないからだ。
具合が悪くなることはない。
強いていうと、具合が悪くなるかもしれないと、不安に思うこと自体が、病気だ。
どこからが病気で、どこからが怠惰なのか、区別をつける意味はないのだけど。
病気であろうとなかろうと、今の状態を変えた方がいいのだ。

本当はやることがあるのだけど、どうしてもやる気にならない。
そんなことじゃだめだ、と思う。やるべきことをやらないと、結局損をする。
そういうことを考えられるのは、午後である。
午後になると、もぞもぞと起きだして、顔を洗って着替える。
今日は京極夏彦の「魍魎の匣」を読んだ。

着替えてから、本を読んで、それからアルバイトに出かける。

私にはまぶたに傷あとがあって、今日はそれが一日気になった。
まぶたの皮膚が、覆いかぶさって、目が開きにくいのだ。
治るのかな、などと思う。
なんだか、わけもなくいろいろなことが不安なのだ。

私はアルバイトをしているけれど、正社員にならなくていいのか、もっと稼げないといけないのではと悩む。
足りない分は家族の援助を受けている。とても情けないし、恥ずかしい。

私は、明日全く別のことで悩むだろう。

悩むという状態だけは変わらずに、悩みの中身だけがくるくると節操なく入れ替わるのである。


私が精神病になった理由

病気を隠したくなるのはなぜだろう。
不思議だ。

自分自身の中に、病気であることを認めたくない気持ちもある。
病気にかっこわるいもかっこわるくないもないはずだけど(by おたんこナース)、なぜか恥じらってしまうお年頃なのであった。

私が病気になったのは、犯罪に巻き込まれたからだ。
ざっくり言うと、犯罪にあったせいで、世界に対する信頼感が失われてしまったのだった。
後ろを歩いている人が、いつ、私を刺すかわからない。
笑顔で話している目の前の人が、いきなり私を殴るかもしれない。
私は、無意識でも、意識の上でも、そんな風に思うようになった。
一回、起きたことはまた起きる、と私は思い込んでいるらしい。

そのせいで、いつも、周りをおどおどとうかがい、びくびくビックルし、危機に瀕した獣のように、いつでも臨戦態勢、退却可能なように、副交感神経だとか交感神経だとかがいかれてしまった。

毎日凶悪犯罪がどこかで発生している。
私も、もちろん、自分がその被害者になるなんて思いもしていなかった。

あのとき、あの時間、あの道を通っていなかったら…、と思うこともある。
思うこともあるというか、よく思う。
けれど、いくら思っても仕方がないことも事実だ。
起きてしまったのだから仕方がない。

そうはいっても、頭の中を切り替えるのはなかなか難しいので、一日のほとんどを、過去への悔恨で費やしてしまう。
本当にばかばかしいことだ。
時間は過去には向かっていないのだから。
いくら過去を悔いても、それがプラスになることは決してない。
悔恨というのは案外疲れる。エネルギーを持っていかれる。
私にとって、今一番チャレンジブルなのは、朝起きて、一日を「だるい。疲れた」と思わずに過ごすことだ。

本当は疲れていないし、だるくもない。
ただ、現実に向き合うことが恐ろしいのだった。
私は犯罪被害者であることを、極力隠して生活している。

もともと、精神的に安定している質ではなかった。
それで、不安定が加速して、今まで隠していたあらが剥き出しになった。

犯罪に巻き込まれたり、病気になってしまうことは、誰にでも起こりうる。
そこの交差点を曲がったら、その先には、犯罪者が待ち構えているかもしれない。
それは、誰にでも平等に起こりうる可能性だ。

そうしたら、安定した世界から放り出されて、どこまでも落ちていくことになる。

私は無根拠に、恐れ知らずに、自分だけは安全だと思い込んでいた。
こう書くと語弊があるかもしれない。
自分だけは大丈夫だなんて、傲慢な自分に気がついたことは、そもそもなかった。
そういう風に思い込んでいることが、意識にも上らないレベルだった。
だから、私の自意識としては、「明日、朝起きて会社いくのめんどくさいな」と思いながら、生活をしていただけだった。
それが、あの日、あの曲がり角で失われたのだった。


はじめに

私は精神病患者です。

毎日の生活の記録をとることにしました。

精神病患者の生活がどんなものか、症状と生活がどんな風にまざりあって、混乱しながらも1日をやり過ごすのか、資料として残したいというのが趣旨です。

ユーモアに欠け、面白さにも欠け、勤勉でもない、頭が良いわけでもない私が、一人の人間として、精神病患者という側面を持ちつつ、どう生活しているのかを記録します。頭の中がどんな風なのか書きたいと思います。