教えることと感謝されること

教え子の親御さんから、感謝された。

本当に嬉しく、感動した。

「この子は、今まで、勉強と言うことでは、一度も充実感を得られたことがありません。それが、今では充実しているようです」といって、頭を下げられた。
頭を下げるのはこちらの方だと思う。

教えることで学ぶのだ、というけれど、本当に、子どもたちの、「新しいことを知りたい」という熱心さ、果敢さ、純真さには、いつも感動する。
わたしが教えている子どもたちは、授業にまったくついていけない子どもたちである。
しかし、その子たちの話を聞くと、先生方も、一生懸命教えていらっしゃることは伝わってくる。
子どもたちは、一生懸命、先生のおっしゃってることを理解したいと思っている。
尊敬もしている。
けれども、いろいろな事情があって、先生のおっしゃってることが、まったく理解できない。

それは、先生方の教え方が悪いのではなく、一度に教える人数が多すぎるのだ。
わたしは、子どもたちが、一度は耳にしたことをもう一度、それとも何度でも教え直すだけなので、最初に教える学校の先生よりもはるかに楽な仕事をしている。

だから、親御さんに感謝されるというのは、本当に望外の喜びで、毎日、子どもたちが「わかった、嬉しい」と目を輝かすことを目にし、自分の人間的ないたらなさ(先を焦ろうとしてしまうことや、自分が親にされたことをくりかえしてしまいそうになること)を反省する機会をいただき、また、子どもたちが成長する過程に立ち会わせてもらい、お金をもらい、その上で感謝されるということなので、本当に嬉しい。

思うに、学校の先生方は、そのような感謝の言葉を受ける機会が少なすぎるのではないか。
わたしは、この気持ちを誰かに分かち合いたい。わたしは幸福な仕事をしている。


精神病の薬

わたしは今日一日起きていることができた。

薬が効いていたのと、暖房の温度がちょうどよかったせいだと思う。
節約しようとすると、布団から出ることが難しくなるので、温度の設定は、気分がよく過ごせる温度の方が良いみたいだ。

わたしの精神病の薬は、こううつ剤×3、エビリファイ、セリニカくらいで、そんなに多い方じゃない。
頓服で、精神安定剤が出ている。

前の処方は、抗不安剤、精神安定剤、こううつ剤がセットで夜だけで出ていた。

今は、まんべんなく一日の気分が安定するような処方だ。

わたしは一週間交代で、そう気味なときと、鬱的なときがある。そのうえ、朝はうつ傾向にあって、夜はそう傾向にある。

こうしてブログを書くのが夜になりがちなのも、夜の方がそう気味になるからだ。

医師からは心配いらないと言われている。いずれ落ち着いていくし、夜の方が調子がいいなら、そのときに活動するのも、そんなに悪くないし、できることをやるように言われている。

生活習慣を見直すために、今日は、歯を丁寧に磨いてみた。
細かいところが汚れていて、毎日丁寧に磨かないとだめだなと思った。

病気のためかどうか、生活習慣が乱れがちになる。
とくにPTSDになると、甘いものが欲しくなる。実際、わたしは14キロほど太った。今は11キロやせた。それからなかなか落ちない。
脳のセロトニンが少なくなって、不安を紛らわせるために口を動かしたくなるのと、糖分で不安を紛らわせたいかららしい。

当然歯にも良くない。
虫歯もできた。

太ったことと、虫歯ができたことで、うつ状態にも拍車がかかった。

わたしがやせ始めたのは、入院して、薬の処方を変えてもらってからだ。

一日の気分の状態を診ながら薬を変えてもらったおかげで、かつてなく、気分が安定している。
わたしはもともと気分障害があって、友達と遊ぶ約束をするのも、次の日の気分がどうなるのかわからず、約束の予定が立たなかったのだ。
これは非常に不便で、医師からも
「約束ができないのは不便だし、社会生活を送る上でも妨げになるので、薬を使ってでも、少なくとも一週間先の予定が立つようにしましょう」と言われた。

気分障害では、どんな風になるのかと言うと、気分が悪くなって、体調が悪くなって、家の中でも這うことしかできないほどの体調の悪さになってしまうのだ。
めまいもするし、吐き気もする。
一般的なイメージだと、気分障害と言うのは、気分が変わり次第「めんどくさい」と自分勝手に人の約束を破る人、という感じだと思う。
そういう面もあるのかもしれないけれど、本当に体が動かなくなる。
体と心はつながっていると言うけれど、身にしみる。

とはいえ、わたしは薬を変えることで、ずいぶん状態が変化した。
今では、昔の具合悪さが、思い出せないくらいだ。


生きる自信と元気な人

生きる自信がない。
全然ない。

だから、ちょっとでもやりたいことがあればやる。
しかたがないからやる。

生きる自信がないと言うのは、朝起きて「ああー、今日も一日が始まってしまった…具合悪いところを探そう。そうだ、頭が痛いような気がする、もう一度寝よう…ぐうぐう…は、十時になってしまった…人間失格だ」というような日々を送っていると、自分がほとほと嫌になります。

だから、小さいことでも、何かやろうと思ったことをすぐすることが、大切なのだと思います。

わたしは、元気な人がどんな風に考えるのか、もう思い出せません。

元気な人は、どうして元気なのか、全然わからないです。

わたしは、事件にあって、人間は誰でも死ぬし、裏切られるし、誰も信じられないんだ、と思ってから、すっかり自信がなくなりました。
生きていても良いことがないような気がします。
裏切られる方が真実であって、そのことを知らずにすごしているようにみえる人たちを、信じられないように思います。

こういう風に思うのは、犯罪被害者の特徴です。


言ってることはよくわかるし、その通り…けど、大企業の正社員になるのは難しい話ですよ

はてなブログに引越して最初の記事がこのざまだよ

言ってることはわかるけど、異議申し立て。

そりゃあ、大企業に入れれば一番いい。
でも、今、大企業に入りたくても、何千倍とかそういう倍率なので入れぬ。

入れない人のことは知らねえ、ということなんだろうとわかるんだけども。

大企業に入りたかったけど、入れなかった人は常にいる。のであぶれた人は、じゃー、シューカツ頑張れば良かったじゃん、入れる人もいるんだし、とかいうと、大卒で就職率が六割くらいなので、四割の人がそもそも死んでいる上に、六割の人も大企業に入ってる人はわずか。

わたしの場合はゲームのルールがわからないまま参戦したので落選した。残念。才能がなかったのだと思う。シューカツの。
勉強が得意な人には得意な人なりの才能があるように、世の中を渡るのが上手な人には上手な人の才能があるのだと思う。
それだけのことで、わたしには才能がなかった。

それとは別に、一般論として、女の人は、そもそも大企業に入りにくい。正規労働者になれた女性が五割り切ってるんだもの。

そういう現実をふまえて「それでも大企業に入ればいい」といっても虚しい。

じゃー、どうするんだよー、って答えはないんだけども。

大企業に入れないし、組合を作る根性もないし、法律を変えられる見込みもないし、病気になる可能性は誰にでもあるし、家族を養ってなくても、稼がないといけなかったりはする。家族を頼れない人だっているだろうし。

わたしの場合は、会社を辞めるしかなかった。
けど、先のことを心配しても仕方がないと、最近思える時間がわずかでもある。
それに、アルバイトは楽しい。
正社員のときより、仕事に楽しさがある。サービス残業がないのと、怒られなくなったから。
時給通りの仕事をして、時間になったらすぐ帰る。
それだけで、人生が楽しくなった。

食べれてるかと言うと、食べれてないのだけど。
食べれていない分は家族に面倒を見てもらってる。身もふたもない。
わたしは恵まれてる。
犯罪にあったり、緊急病院も含めて、入院何度もしてたり、いろいろしてるから、恵まれてない部分もあるけど、恵まれてる部分もある。
アルバイトが結果的に楽しいのも恵まれていた。
働くことが楽しいことを知らずに生きて行く可能性もあった訳で、そういう意味では悪くないと思う。

大企業に入れる人は入った方がいいし、それで楽しかったり、食べて行けたりして、満足できたら一番いい。
でも、そうじゃなくて、その人なりに、恵まれてる部分に引け目を感じすぎたりもせず、人生にあわせて価値観を変えて生きて行くのも良いと思う。


Hobbit 傲慢なお姫様トーリン(王子)と乙女な魔法使いガンダルフ

Hobbitがあまりにもつぼに入ったので、二回観ました。

感想をオチもなくだらだら書きます。

二回目はストーリーがよくわかりました。
誰が誰だかわかりました。
人の顔と名前を覚えるのが苦手なのです。
キーリとフィーリはすぐ覚えたのですが(イケメンだから)。

一回目は、ただ「うう…すてきなおじさまがたくさんいらっしゃる…」と思っていたのですが、
しかも!戦ってる!マジかっこいいウヒョー。

「おうじたま!おうじたま!」という感じで観ていました。
馬鹿すぎる…

馬鹿ばんざい!
王子様ばんざい!

トーリンが無謀なために、何度も死地に陥る一行。
小さいせいでエルフに囲まれたとき本当に間抜けに見える一行。
頑張って威嚇しても小さい。うぅ。
プライド高いと間抜けさもひとしおですね。愛…愛が芽生えます。

誇り高い王女のように潔癖なトーリン。
そもそも旅の目的は、トーリンの「王国を取り戻す」という一新のために始まります。
はっきり言って、集めた仲間たちは「死んでくれ」と言われたのに等しい。
そこらへんのわがままさが、わたしのイメージの王子というより、「王女」という感じがします。

なんというホモソーシャル。でもいやじゃないわたしがいる!

ガンダルフが乙女だと思った理由は、
「なぜホビットを巻き込むのか」と聞かれて、
「彼がいると勇気がいるから」と答えたから。

癒し担当なのかい。

マスコットが必要な魔法使いって、日本の文脈から言うと魔法少女じゃない…。

殺伐とした男ばかりの中に一輪の癒し。

それまでも「なぜあいつを」と言われていたときも「わしが選んだのだから文句を言うな」と突っぱねていたのもなんとなく乙女っぽい。

乙女なガンダルフと、お姫様なトーリンと、素朴な娘ホビットを守る十一人のドワーフ

ガンダルフは、魔法は基本的に一種類しか使えないし、なんでも知ってる訳じゃないし、基本的は武闘派で、トロルの宝物も嬉しげに自分のものにする。すごく植民地主義っぽい。
この人たちの動力って、お金と名誉と故郷を守る気持ちと友情だから、すごーくすごーく今も時代からすると右翼!!!

でも、うっとりファンタジーに浸ってしまう。

人間は昔ファンタジー界の皆さんと交流し、お互いの世界を深めたのだ…と言ったのはミヒャエル・エンデだけど、ホビットに浸るとまさに損な気がする…


田房永子さんの「母がしんどい」とわたし

http://mudani.seesaa.net/ むだにびっくり

「母がしんどい」の内容は、ちょっと変わったお母さんと、その娘の話です。
なんでか苦しくて仕方がないけど、どうしてなのかわからない。
いや、わかる。
そんなお話です。

わたしは、田房さんと文学フリマで知り合いました。
わたしが彼女の同人誌を買ったら、わたしのも買ってもらえました。なんていい人なんだ。

わたしは彼女の大ファンで、同人誌も買いましたし、「母がしんどい」も買いました。

そのころわたしは、母のことが大好きでした。でも、母がしんどくて、ずっと死のうと思ってました。成人してからも、母の家から出て行けなかったのです。
もったいないことしたなあ。

母以外に原因を求めようとして、男性嫌いになったり、世の中が憎くなったり、本当の原因である母を原点にしてぐるぐる回っていた感じがありました。

わたしは、けがの功名で、犯罪にあったことで、母親と縁を切ることができました。
一生会わなくていいと思います。

夏頃に、「母がしんどい」を買って読んで、ともすれば、「帰ってあげた方が良いかも」と思った自分を戒めました。

わたしもブラジャーを買ってもらえなかった思い出があります。

「母がしんどい」が果たした役割は、わたしの中で大きいです。
わたしは、「えいこちゃん」と違って、一緒にいる間、「母がへんだ」ということに気づきませんでした。
「母がへんなんですよー」と反笑いして「ちょっと自慢」するような感じ。
周りからは当然変だと言われました。
それで、友達も減ったり、恋人が離れて行ったりしました。
だって、わたしといると思っていたのに、わたしは母親を背負っているのですから、気持ち悪いのは当然でしょう!

田房さんと違うのは、逃げる努力をしていなかったことです。

わたしは「働くな」と言われたことがあります。
それで、その通りにしました。
なんて、馬鹿だったのでしょう。

働くようになってからも、母との密着は止まりませんでした。
なぜか、毎週末帰省し、いくら節約してもお金が貯まらないと不思議に思いました。
母は私の家に、三組もの布団を送りつけ「わたしが泊まるときはこの布団で」と言いました。
わたしは泣きました。

そんなこんなで、母と別れるためには、わたしは死ぬ方が楽だと思い詰めていました。

本当はそうじゃなかったのです。
わたしは犯罪にあって、緊急病院に入院し、その後母と縁を切ることができました。
仕事も辞めることになったけれど、縁が切れて本当に良かったです。
神様がいるとしたら、本当に感謝したいです。
二度と会いたくないです。

でも、その反面、弱ると、会いに行きそうな自分がいます。
そういうとき、ほかの人の体験を読むと気持ちがすーっと落ち着きます。
だから、母がしんどいは、本当にタイムリーでした。

田房さんと、これからもご縁がありますように!


遅刻しそうになった

アルバイトに遅刻しそうになってしまいました。

今日は一日ベッドでだらだらしていました。

明日はこんなことがないよう、きちんと暖房をつけて、暖かくして、起きていられるようにしていたいです。
やることがないと思って、ベッドからでないので、だめなのだと思います。


精神病患者の内的変化

精神病から抜け出すためには、内的変化も必要とされる。

目標に合わせて人生を変える日々から、人生に合わせて目標を変える日々に変わることが必要になる。

そういう、一見、後ろ向きな価値観の変容が必要になる。
もっとよい人生のためにがんばってきたけれど、とりあえず、今はそれができないというのが、精神病だ。
精神病の間でも、少しでも幸せを感じて過ごしたい。
アッパー気味の目標が達成できないのは、はっきりしている。だから、人生に合わせて幸せを変える方がいい。

高々と掲げた目標に耐えられないとき、くすむ我が身を振り替えるとき、わたしは不幸だ。

誤解を恐れずにいうと、精神病は薬だけではよくならない場合がある。精神的な変化が薬以上に効くことになる。

たとえば、朝起きられないことも、起きられないことを責めるのを止めるのは内的変化である。価値観の変動だ。健康なときと価値観を変えるということ。

これは薬では変えられない。

今の自分なりの幸せを発見するための視座を獲得することも、内的変化である。
精神病でも幸せを感じることができる。
それは、今の自分を不幸だと思わないこと。あるがままの自分にOKを出すこと。
そうすれば、幸せになることができる。
精神病患者でも、今すぐ幸せを感じることは、場合によっては可能だ。

わたしとは言えば、過去を振り返らないことが、私を幸せにするための内的変化である。
ただ、それが難しい。すぐ、恨みと憎しみでいっぱいになってしまう。