精神病患者ができるようになったこと

朝起きられるようになった。
寝る前にものを食べるのを止められるようになった。
映画館の暗闇にフラッシュバックを起こすことがなくなった。
人と会って長時間話していても、しゃべっていられるようになった。
夜眠れるようになった。
暗いところが大丈夫になった。
ぼんやりして、体の感覚がない、という状態がなくなった。
親離れし始めた。
希望を持ち始めた。


仕事が面白い

仕事が面白い。

心配なこともスリルになって面白い。責任があるのが面白い。ゲームみたいな感じがする。お金ももらえる。
命令されることもないし、怒られることもない。
どうしたらいいのかを考えるのが面白い。

いやな仕事をするときは、気をそらすことばかり考えていた。
今は、結果が出るのが面白い。思った通りにいくことが思った通りにいかないことも面白い。人間関係も面白い。

働くことは刺激があって、頭を使うから面白い。
わたしは、もし、結婚して、主婦になったら、毎日やることがわからなくて、病気になってしまうと思う。
家族とだけ会話することになったら、昔のつらい思い出だけがリフレインされる生活になってしまう。

仕事に救われるという話は、漫画でしか読んだことがなかった。

仕事をしていると、檻の中に閉じ込められて、同じことを繰り返して、そこから逃げられないという気持ちにもなる。
気持ちになるし、その狭い檻の中でもっと良いやり方を考えることは、頭の中がどんどん自由になって、広がっていくような感じもする。


わたしは長い間心の中が止まっていた

わたしは、長い間お母さんのことばかり考えていた。
わたしは何もできず、お母さんのことを幸せにできなかった。

わたしはいつも昔のことを考えていた。
あのとき、ああすればよかったのかもしれないと思っていた。
そして、病気になった。

心の中が止まってた。暇だったのかもしれない。
暇すぎると悪い方に考えがいく。

仕事が忙しすぎると、体がきつくて、なんのために働いているのかわからなくなる。
仕事がちょうどいいと、仕事が面白くなる。でも、ちょうどいいバランスのときは稼げるお金が少ない。

わたしは体が弱くて、世の中のことに疎くて、お金を稼げるコースからドロップアウトしてしまった。
それでいて、いわゆる女の勝ち組の人生からもドロップアウトした。

お母さんがかわいそうだと思って生きていた。

今は、わたしのことがかわいそうだなあと思う。

なるべく大事にしてあげたい。
お金と時間をかけて、自分が気分よく生きられるように最善のことをしたい。


母は一人の小さな女の子のまま

母のことを考えると、わけがわからなくなる。

わかっているのは、母といると、具合が悪くなってしまうということ。
わたしが、憎しみの固まりになってしまうということ。

彼女が、そんなに悪い人ではないという気もするし、わたしのうまくいかなかった人生の責任を彼女に追わせているだけだという気もする。

でも、それなら、なおさらのこと、彼女に関わる必要はないという答えが出る。
彼女に責任を取るよう迫らないようにしたいならば、彼女に会わないのが一番の選択なのだ。
そして、わたしは、わたしの人生を歩きたいと決めている。
そんな決意が、健康な人からはばかばかしいようにみえることは知ってはいても。

母に対して一番思うことは、彼女がかわいそうだということだ。罪悪感で胸が締め付けられるようだ。

罪悪感を打ち消すために、憎しみを駆り立てている一面もある。
そして、それは正しい。

わたしは、罪悪感を人質に取られ、長い間、彼女から逃げることができなかった。
彼女は孤独で、寂しく、人を憎み、コンプレックスの固まりだった。
彼女は、世間と向き合うほど成熟してはいなかった。心の中はいつまでも娘のような人で、庇護者がいないと生きられない。人目を気にして、さばさばしたキャラクターを作り上げていた。

わたしが母からようやく逃げられたことは、わたしの人生で起こった、最も輝かしいことだ。
その選択はことほがれるべきで、無条件で正しい。
わたしは彼女といることで病気になったのだから。

母は、彼女の人生で持って、かわいそうから脱却しなければならない。
彼女は、自分のことを、かわいそうがるところから始めるべきだ。わたしは彼女の代わりに彼女をかわいそうがってきた。
わたしは彼女の面倒を、(もう見ることができない=この言い方は正しくないが、そうとしか言いようがない)彼女に任せた。
わたしは彼女の娘であることを止めた。


幸せを感じることができない、のを止めたい

客観的に見れば、わたしは、幸せを感じてもいいと思う。

いろいろあったけれど、病気は快方に向かっているし、仕事も順調にいっている。そりゃあ、言い出せばきりがないし、お金ももっと稼ぎたい。だけど、自分の時間を持てるという意味で悪くない仕事だ。

わたしは、容姿を「お人形さんのよう」と言われることが多かった。
わたしは、文字通りに受け取っていて「人形のように表情が硬い」のかと思っていた。

賛辞を賛辞として受け取ることができなかった。詳しく言うと、賛辞を賛辞として認識していなかった。
(こういう感覚なのは、自閉症スペクトラムが強いせいなのかとも思う。気がついてみると、ずれている。なんでもかんでも自閉症スペクトラムのせいにするのは馬鹿の一つ覚えのようだが)
そういうのは、もったいないから、これから止めようと思う。
このようなずれのようなものが、幸せを感じるセンサーにも起きているような気がする。

最近、若い、綺麗な顔の人を見るとお人形のようだと思う。それは、硬いという意味で思うのではなく、美しいという感想だ。だから、わたしも顔が整っていたのかもしれない。

でも、今はあまり言われない。だから、「それなら、ほめられたときに、ほめられたと思って、喜んでおけばよかったな」と思った。

わたしは、近頃「綺麗」「優しい」「可愛い」「笑顔が優しい」と言われることが多い。少し柔らかくなったのかもしれない。人形のようだとは言われなくなった。
以前のわたしなら、「お世辞だろう」と素通りしてしまったり、「容姿にこだわるのは良くないことだ」と嬉しい気持ちを押し殺してしまっただろうと思う。
うっかりすると、今でもそう思う。
だけど、いつまでも、こんな風にいってもらえるわけじゃないから、喜ばないといけない、と思った。

しかし、そこがくせ者で「喜ばなければいけない」と思う時点で、何か引っかかっている部分がある。それは、心の癖なのだと思う。
わたしは、自分のことを人と良く比べる。比べて、なんて、わたしはだめなのだろうと思う。
それこそ、人と比べて、良いところもたくさんあるし、人からそのことをほめられることもあるのに、そのことは棚に上げて、悪いところばかり気にしてしまう。

わたしは、幸せを感じる条件が整っている。病気になったのは残念なことだけれど、人生が病気に乗っ取られることを防ぐために、仕事に就けた。人間関係もある。アルバイトに近いとはいえ、仕事を任されてもいる。人からは感謝されるし、ほめられる。

わたしは、幸せを感じたい。
幸せにならなければならない、というところを抜けたい。
幸せを感じなければならない、と強迫観念を抱く心から抜け出したい。

抜け出すためには、無理矢理にでも、「ああ、わたしは、これを幸せと呼ぶのだ」と、自分に言い聞かせて、教えて、学ばせたい。
「ほら、けっこうつらい局面もあったけれど、それなりに頑張って、一つ一つ取り戻しつつあるよ」と。


オズ はじめての戦い 感想、ネタばれしてる

だめな大人のためのだめなファンタジー。
だめさを貫いて、勝利を勝ち取っただめなハンサム、オズ。良いところは、調子の良さ、口のうまさ。下品で女好き。
(現実にいたらうざいけど、かわいいと思ってしまう)

そして、あらぶるだめ女=魔女たち!
君たちはもうちょっと男を見る目を養った方がいい!わたしもだけど!でも、どうせだまされるのならば、ハンサムの方がなんぼかいいよね!あと、優しくてだめなハンサムにだまされる方が、不細工でひどい意地悪にだまされるよりはいいよね、と思ってしまうような、つらい女には共感できてしまう恐ろしい映画。ちっとも子ども向けじゃない。

わたしは、魔女化して緑色になってしまった魔女に近い。とても近い。
振られたら魔女くらいになるよね。

良い魔女はすべてをかっさらう。なんて恐ろしいのでしょう。良い魔女こそ、我らの敵。
えろくて、かわいくて、完璧なブロンドの顔をひっぺはがしたい。
悪役の方に感情移入してしまう構造になってる。

わたしは、俳優にも映画監督にもあまり興味はないにわかな映画観客なので、わーきれいな映像と音楽!だらだらしていないカット!お金かかってる!ハンサム出てるわーい、くらいにしか、反応しません。そういうわたしにとっては、面白かったです。


うまくいっていることを数える

仕事はうまくいっている。

高い評価を得ている。完全成果主義なので、すごく楽だ。職場の雰囲気も悪くないし、お客さんに信頼もされている。

生徒さんの成長も面白い。同じことを繰り返しているようで、少しずつ違うのは、季節の移り変わりと同じような気がする。
今日嬉しかったことは、成績のふるわない生徒さんが、抽象化された文章から文意をくみとり、それを式に変えることができるとわかったことだ。
それと、図形の移動などの、空間把握能力も高いことがわかった。

朝起きることができる。

憎しみと呪いで頭がいっぱいになっても、仕事中はそのことを考えずに済む。その上お金がもらえる。

お化粧もうまくなってきた。服装もきちんとすることができている。
ちゃんとうまくいっていることもある。


感情を大切にすること

感情を大切にすることに意味がないと思ったことがあった。

そうしていたら、嫌だということを嫌だと気がつかなくなって、ずいぶん人権を踏みにじられた。

わたしは、そのために入院した。

今では、いろいろな感情が出る。

不安、焦り、恐怖から始まって、幸せを感じることも、わずかながら出てきた。
怒り、憎しみも大切だ。わたしを搾取しようとする人から身を守ることができる。

わたしは、自閉症スペクトラムという言葉を知ってから、ときどき「ああ、今、わたしは自閉症スペクトラムが高い台詞を言っているな」と気がつくようになった。
たとえば「あなたは子どもだね」と言われたときに「わたしは、成人している」と言い返してしまうようなときだ。
わたしは、そういうときに、泣いて、事実と違うと抗議してしまう。
もちろん、「あなたは子どもだね」の意味は「あなたは成人していない」という意味ではないし「あなたは成人しているとは思えないほど成熟していない」という意味とも違う。けれど、調子が悪いと、わたしは瞬間的にそれを認識することができない。

わたしは、嘘を嘘だと見抜くことができない。
相手が言ったことを、記憶して、時系列順に並べ、矛盾していることがあると、ようやく嘘だとわかることもあるが、今まで学習してきた事例で、「相手の気が変わるので言うことが変わる場合もある」ということもあったので、「嘘というわけではないのかもしれない」と思ってしまう。
わたしは、そういった面がある。
そういった面を利用されて、お金や、性をだまし取られてしまうことがある。

ただ、避ける方法が一つだけあると、教えてもらった。
それは、「心の中のアラーム」と、先生は呼んだ。

心の中で警報が鳴ったら、とにかくその場を離れること、と教えてもらった。

雰囲気を壊すかもしれないだとか、相手の気分を悪くさせることを恐れなくていい。とにかく、その場を離れること。そして、後で、大丈夫だったら戻ること。

わたしは、相手の欲求に笑顔であわせてしまう。それが、わたしが望んでいないことでも、わたしは自分のことを「へんだ」と思っているので、「相手の価値観が正しいはずだから、相手の欲求の方が社会的に正しいのだろう」と思って、合わせてしまう。そうして、搾取されてしまう。
その構図は、理解できるのだけど、実践できない。
わたしは、社会的に逸脱することや、他の人に、避けられることや、非難されること、おかしいと言われることが怖い。
それは、わたしがおかしいからだと思う。だから、おかしいことをばれないようにしないという気持ちがあって、そこをつけ込まれてしまうのだと思う。

わたしは、対人関係において、負の感情を大切にしようと思う。
疲れた、とか、会いたくない、とか、あの人は嫌いだ、とか。

ときどき、寂しくはなるけれど、搾取されるよりは多分良い。


プログラミングをしなくなって二年経った

よく考えてみると、プログラミングをしなくなって二年経った。

なんだか、とても悲しい。

頭が全然働かない。

わたしは口ばっかりの人間だなあという気がする。
勉強も進まない。
気持ちばかり焦る。

退院してから、半年もたっていないうちに、仕事についているのだから、結構よくやっている方だと他人事としてなら思うのだけど、自分のことだと許せない。

病気がひどい間は、本も読まなかったから、その頃に比べると、ずいぶん良くなっているという事実を忘れないようにして、やりたいことを少しずつやるようにしたいと思う。
そうでないと、病気に負けて、自分を見失ってしまう。
最低限は、仕事をして、お金を稼ぐこと。
お金を稼ぐことに、こんなに執着しているのは、プライドが、すごく傷つけられる出来事があったからで、わたしはそこから回復したい。

プログラミングは、わたしにとって、あまり向いた仕事ではなかった。

だけど、できるようになりたくて頑張った。
でも、好きになることはなかった。
好きになれれば良かった。


仕事がうまくいっていること

病気のせいで、あまり喜べないのだが、仕事はうまくいっている。

生徒さんはわたしのことを好きで、わたしのことを眺めながら「先生はきれいでかわいいですねえ。いい先生ですねえ」と言う。
わたしは、心の中で、「こんなにわたしはだめなのに、どうしてこの子は私を好きなのだろう」と思っている。

バレンタインデーにチョコレートを渡したとか、ホワイトデーにお返しが帰ってこなかっただとか、席替えで、好きな子が後ろの席になったとか、そういうおしゃべりの合間に勉強を教えている。

精神科医は「あなたの新しい仕事はいいですね」と言う。
「未来のために、働く仕事で。僕なんか、人の悩み聞くばっかりで、診察室に閉じ込められて人生が終わるって思うときがあるんですよ」と言う。
「勉強を教えて、その子の未来が、大きく変わることもある。それで、日本がいい方向に行くとも言える。毎日感謝されるような仕事をするということが、地に足の着いた生活ということですよ」と言う。

わたしは、全然喜べない。
とても疲れている。もっとお金を稼がないとだめだと思う。この仕事はお金を稼ぐのには向いていないような気もする。
自分がすり減っていくように感じる。それが働くということだろうか。
仕事を入れすぎて、疲れているのかもしれない。
春休みの間は、一時的に忙しい。