躁期が始まった日記

夕べは五時まで眠れず、朝四時にご飯を炊いた。
その後ブログを更新しまくった。

今朝起きたら精神科についていないといけない時間だった。
電話をして、遅れますと伝えた。
いいですよと言ってもらえたので安心した。今までだったら、電話できなかったと思うので、良くなっていると思った。

先生とは四方山話をした。
「少子化が問題だっていって、お母さんたちが、保育園一揆を起こしたのに、冊子を作るなんて、頭が空っぽなんじゃないかと思いました」
「政治家は何にも考えてないね」
「わたしは、勉強して、良いお金がもらえる仕事に就くということを思いつきませんでした。今度はお金をいっぱい使うというのをやってみたいです」
「長い間学生をしたんだから、それがお金を使うってことじゃない」
「そうですね」
「それに、勉強してきたことで、それで、子どもを教えられるんだからいいじゃないですか」
「そうなんです。わたしは、成績が全然振るわない子を教えるのが好きで、興味を持ってもらうために、今まで大学で勉強してきたことを使っています」
「じゃあ、役に立ってるじゃない、大学。お金に換えられていないかもしれないけどさ」

今の仕事は収入が安いという話をしたら、ぺーぺーはそんなものだ、信用とお金は後からついてくると言ってくれた。
先生はわたしの仕事がうらやましいと言う。
「感謝されて、結果が目で見えて、具合が悪かったら心配してもらえていいなー」と言った。
「年収800万とかの人がうらやましいです」
「そういうのがやってみたいんですねー。やってみないとわからないかもしれないね。でもね、パワハラとか、いびりとか、転勤とか、いろいろあるからね、800万の世界では。それで、幸せと感じられるのはまた別の話だからなー」と言われた。

確かに今の仕事はパワハラがない。それは上司に恵まれているからだ。こんな良い職場は滅多にないと思う。わたしが働いているところは、みんな良い人で、意地悪な人がいない。
「今の仕事を続けて技術を磨いたら、塾も開けるじゃない?」と言われた。

「最近、大野更紗さんという人の、難病の本を読んだのです。だから、わたしも、DV被害者で、犯罪被害者で、家庭がうまく言っていないところで育ったのと、精神病で障害を持っている、という日々の日記を書いたら喜ぶ人がいると思うのです」という話をした。

「知っている先輩で、中澤先生という人がいて、ほとんど話したこともなかったのだけど、このくらい時間がたって、この本を出したんだよ。
怖くて、声を出せない人がたくさんいるんだよ。それは、無理に発言する必要もない。けれど、言える範囲で言っていくということについての、思いやりを忘れてはいけないね。よく、今更言うなんて、死ぬ前に言うなんて、もっと早く言えば良かったのに、という人がいるけれど、言えない気持ち、怖くて言えない気持ちがわからない人がいるんだよね」
「あなたの鋭い目を持って、書けることを書いていくといいね。それで、あとになって、書き直すということもあるかもしれない。書きためていくということが良いかもしれないね」

先生と話をして、それから、食欲が爆発したので、モスバーガーによって、回転すしによって、それからさらにミスドによってしまった。明らかに食べ過ぎだと思う。太ってしまう。
帰ったら、あわてて出かけたせいで、エアコンがつけっぱなしで驚いた。
家が廃墟のように散らかっているので、明日こそなんとかしたい。

あと、一時間したら、仕事に行きます。


DV被害者の連携ってどんなものがあるだろう、というか、ない

わたしが、同じようなDV被害者の人たちと話ができたのは施設に入っているときだけでした。
それまで、孤独で、自分が情けなくて、とにかく怖くて震えていました。

現世に出てきたら、同じようにDV被害者としてサバイバーとして生きている人とそんなに簡単に出会えません。
AAとか断酒会とかダルクとかマックとかあるのに、DV被害者の集まりはない。
DV被害者になって、精神や体を損なってしまった人たちの会って、あまりにもないな、と思います。
DV被害者は心のケアよりも先に、経済ケアが先に立って、とっとと逃げて、逃げるためにはお金がいる、お金があれば寄生されない、という基盤を作る方が優先されるような気がします。

誤解を恐れずに言えば、DV加害者と一緒にいた、という事実は、一種の依存状態にあったのではないかと思います。そうでなければ、そこに適応しなかったら、殺されていたのだから…。
そうでなくても、心の中の大事なもの、たとえば、人を信頼すること、ポジティブに明日は何とかなると思える心などを、破壊し尽くされたのが、DV被害者なのだと思います。
だから、たとえネット上だけでも、DV被害者としてのわたしが日常を綴ることが、何かの連帯になるのかもしれない、そういう試みをしたいと思いました。

逃げるこつだとか、心を持っていかれないこつだとか、見捨てるこつだとか、経済的自立をするためのこつだとか、そういうことをも書いていけたらなと思います。


昔のことを思い出しても、別に良いことはない

昔のことを思い出して、「あれで心に傷がついた」と原因を探しても、まったく意味はない…どころか、悪影響がある。
新しい、親への恨みつらみが噴出して、日常が破壊されてしまう。

前向きなのは、前向きが良いことかはさておき、自分を快適にするために有効なのは、その原因から逃げることだ。
わたしだったら、親から逃げる、心の傷を思い出させるものから逃げることが大切だ。

そのあと、ずっと逃げていては日常生活ができないようなものに関しては、近づく努力をする。
たとえば、わたしは事件を思い出させるものがだめだった。
夜道を歩くことや、暗いところが家の中にいてもだめだったし、スーパーマッケットや、コンビニ、ATMが怖くて、汗が出て、近づけなかった。
暴露療法と言って、近づいても何もなかったんだよ、安心、だというやり方で慣れていく方法もある。だいたいのことは、避けていると不自由なので、だんだん慣れた方が良いと思う。
だけど、親は、わたしの人生を浸食してくる場合が多いので、身を守らなくてはいけない。そういう相手にする防御をしている暇があったら眠っていたい。
原因を考えずに、原因から逃げて、寝たり食べたり運動したり、自分の趣味を充実させたりすることが、一番良いと思う。

昔のことを思い出して、一日怒っている状況を三ヶ月続けていた頃、わたしは、まだ不幸だった。
でも、怒っていることを存分に表に出し、表に出すことで、体に害が及び、怒ることで元気になる場合もあるし、興奮しすぎて、体が参ってしまう場合もあることがわかった。そういう状況を経験できてよかった。
その経験を通して言えることは、昔のことを思い出しても、別に良いことはない、ということだ。


本を買いました

精神病患者としてのネタが切れてきたので、「さらさらさん」大野更紗 著 と、「あるこーる白書」吾妻ひでお 西原理恵子 著 を購入しました。

わたしは、精神病障害2級です。こんなのは、単に行政の区分なので、それほど軽いとか重いとか思っても仕方がありません。

でも、精神病患者ってことをカミングアウトするには勇気がいるなあと思います。
そもそも、カミングアウトって発想になるところが普通の病気とは違う気がします。
それがさらさらさんとわたしが違うところだなあ、と思います。
大野更紗さんの著書は「困ってる人」を羨望とともに読みました。
そのあと、『「存在しない」サバイバー』を読んで、ちょっとあれ?と思いました。

わたしと更紗さんの違いって何だろう?
わたしは、犯罪被害者で、適応障害で、DV被害者でもあるし、精神障害者でもある。
そこから語っていきたいことがある。

生活に不自由がある度合いも、かなりあるはずですが、本人は他人と暮らせないのでよくわかりません。
ただ、ソラナックスを飲んでいるとき、からだが楽で、のんびりしたふわっとした気分になるので、これが楽天的な人の通常のメンタルなのかなあ、と思ったりします。

わたしは、いつでも、重苦しく先のことを心配していて、昔のことを悔やんでいて、朝も容易に起きられないような生活をしています。それは病気だからです。
でも、アルバイトもしているし、文章を書いているし、だから、病気のわりには悪くない人生を送っているかなとも思います。今は、親も元気ですが、それがなくなったあとまでに元気になって、お金をたくさん稼げているのかが心配です。


体調を崩していましたが、優しい言葉で救われました。

体調を崩していました。
めまいがひどく、吐き気があって、道を歩いているときに、「びゅー」と吐いてしまいました。

それを生徒さんに言うと(この辺がプロ意識がない)、とても心配してくれました。その親御さんも、無理なさらなくても良いですよ、日にちを替えてくださっても…と言ってくださいました。
なんということでしょう。感動しました。そういうことが、何より嬉しい。こういう人と一緒に仕事ができるのが嬉しい。
体調の悪さをこんなに心配してくれる職場があるでしょうか?
前職は、そうではありませんでした。正社員は大体そうだと思います。

今は、人間関係の中で仕事をしていて、人間対人間の色合いが強いです。

働いているうちに、精神状態が安定してきました。
精神安定剤を飲む回数が減ってきました。
パニックもほとんど起こりません。鬱がひどくなったり、恨みつらみがひどくなったりすることもあります。

でも、ブログをやる気力も出てきましたし、ほかにもやってみたいことが増えてきました。
映画も見たいし、絵も描いてみたい、カメラもやってみたい、だとか。そういう気力は今までなかったことです。

わたしは、お金が一番の世界で幸せになってみたかったのですが、それはどうもできなさそうです。
でも、それもずっとそれが続くと言う訳でもなく、やりたいことは、少しずつできていくはずだとも思えます。

とにかく、今は、経験を積んでみたいと思います。つらいことがあっても、優しい一言で救われたり、正社員の職を失っても、アルバイトが楽しくなったりして、悪いことの後には、価値観が変わって、新しい良いことを探すセンサーが生まれるみたいです。
お金がすべてではない軸の世界で、幸せになることができるんじゃないか、と思えた一日です。


川のように一日が流れる

一日が怒濤のように流れるので、昔のことを考えて泣く時間が減りました。

子どもとおしゃべりをしていると、悲しいことが薄れます。
子どもは毎日成長をして目覚ましいです。

問題集の使い方がわからない子が、例題を解いて、類題を解いて、基本解くという一連の流れをようやく理解しただとか、嫌々やっていた数学をちょっとおもしろがって解いているうちに「あっという間に終わってしまった」と言ってくれたりすることだとか、そういうことにまぎれて、いろいろ「今日はこれをブログに書こう」と思いついても、いくらでも思いつくので、書くよりも先に、教えることの面白さが先に立ちます。

つまり、充実していました。ただし、体調を崩しました。
明日から平常運転です。


健康が大事な理由

生徒さんに「先生は器が大きそうな気がする」と言われて、嬉しかったので、
「あらまあ、そんなことを言われてとても嬉しいから、じゃあ、授業をしましょうね」と答えた。

その生徒さんは会うたびにわたしのことをほめてくれる。
わたしがすばらしい人間なのだというより、その生徒さんが人間的に優れているのだろう。

どの生徒さんもはっとするようなひらめきや、素晴らしさ、人格の豊かさを見せてくれる。
ああ、この子のことは苦手だなあ、好きになれないなあ、と思ってみても、何時間も教えていると、好きになれる部分がある。
美しい部分がある。

健康がなぜ大事なのか。
それは、健康を損なうと苦痛だからだ。
人は、苦痛を感じている間、生きているのが苦しくなる。

人生がどん底のときにどのように振る舞うかが「人間の価値」を決めるのだと言われたことがあるけれど、そんな機会はない方がいい。

健康で健やかで、そのまま、人格の美しさを表すことができる方がいい。

健康を損なって苦痛のあまり、死んでしまいたくなることがある。
死ぬとゼロになるのだから、その気があるならば生きろという意見もあるだろうと思うけれど、生きていることがマイナスのように感じるときは、ゼロがプラスの方向になるのだ。
死ねば体から解放されると思ってしまう。

健康な間はそんなことを考えなくてもいい。
それだけでも、健康は大事な理由になる。


たくさん眠ってすっきりした<PTSDがだいぶ改善したせいだ

春休みなので忙しい。

わたしにしては、連日朝早く、夜も遅いので、寝不足だった。

土曜日も日曜日もいつものように仕事なので、休む暇がない。
けれど、今日は少し早くあがれたので、何もかも無視して、ベッドに直行して寝た。

最初は一瞬寝付けないかも、寒い、と思ったけれど、エアコンをつけっぱなしにして、七時に目をつむったら、次に目が覚めたのは八時だった。その次が、十時だった。三時間眠ったことになる。

授業中も眠くて仕方がなかったけれど、ようやくすっきりした。

わたしはもともとは、過眠気味で、寝ても寝たりないと思う感じで、十時間くらい寝ないと、不安になるタイプだった。仕事に就く前は、「今起きたら、午後に具合が悪くなってしまうかもしれない」と無用な心配をする日々を送っていたが、ここのところ、五時間睡眠でもなんとかなったので、適正睡眠は、わたしが思っているのと違っているのかもしれなかった。本当に無用な心配だったことが実証された。

とはいえ、PTSDがもっとひどいときは、起きているだけで、かなりの負担が体にかかっていたので、眠いのは事実だった。それは忘れてはいけない。いつもフラッシュバックの発作に襲われていたから、動悸もひどかったし、体がいつも臨戦態勢で、緩む暇がなかった。それは、文字にすると、たいしたことがないようだけど、実地に経験すると、起きている時間に対して、三対一くらいで眠らないと、朦朧としてしまうくらい、疲れるものだった。
友達にも「生体エネルギーがだだもれな感じがする」と言われたので、端から見てもそうだっただろう。
それは、気の持ちようとレベルが全然別の話だ。

PTSDもだいぶ改善したと言うことが言える。

とはいえ、精神はここのところずっと不安定で、夜になると家族の前で泣くことが多かった。

生徒さんの前では取り繕っていたものの、幸せな感じが減っていた。

ところが、三時間寝ていただけで、あの、不幸な三日間の絶望的な出口のない気分に終止符がうたれ、すっきりさわやかになった。

なんという単純さか。
わたしって、いったいなんだろう。
体の調子で気分がまるで変わってしまう。
気分なんて、寝れば吹き飛ぶようなものだったのか。
もっとたいそうなものだと思っていた。
気分を尊重してきたのが馬鹿みたいだ。

わたしは、自分の不幸さを難しく考えていたけれど、肉体に依存する面がとても多いような気がしてきた。
忙しすぎず、暇すぎない状態を維持して、疲れたら昼寝をするペースを守っているだけで、心身が健康になるような気がしてきた。


やりたい仕事をしているね、と言われた

今日父に、「やりたいしごとができているのだから、何よりも幸せだ」と言われた。

ユニクロのバイトを受けて落ちて、今の仕事に落ち着いた。
ちょっとやってみたい位の気持ちで受けたらあっさり受かった。
それが向いていると言うことなのかもしれない。

熟考に熟考を重ねたあげく就いた前職は、まったく向いておらず、楽しいというより苦痛だった。
お金がもらえることと、働くことで自由になれたことが嬉しかった。
病気になって辞めることになって心底悲しかった。

病気にならないように働くことや、病気になったら辞められる状況というのが、大切だと思う。
鬱は治るけれど、ならない方がいいに決まっている。
人に優しくはなれるけれど、つらい。

わたしは、今、やりたい仕事をしている自覚はなかった。

恥ずかしいことに、わたしは、自分がたいした人間で、クリエイティブなはずで、人を動かすことができるんだと思っていたことがあった。しかも、それに無自覚だった。

今のわたしはと言えば、中学生に、勉強が好きになってもらうことを仕事にしている。
まず、わたしのことを好きになって、わたしの言うことを信じてもらって、やってみたら、ちょっと嬉しい、という循環を作ることを仕事にしている。それは、一日ではできないことで、魔法は全然ない。
成績が上がってほしいと思っても、代わりに勉強してあげるわけにはいかない。成績が夢のように伸びることもない。魔法はない。

わたしは人と話すことは苦手だったし、ポジティブなことを言うのも苦手だった。でも、それが仕事だ。
教えることがやりたいことだったのかというとぴんとこないけれど、わたしにはそれができるし、頭の中もそれでいっぱいだ。
それを見て、父は、「やりたい仕事をしている」と言ったのだろう。
向いているかもしれなかった。


中学生のこと

中学生が
「てヘペロ」と実際に言ったので、「おー」と言った。
「現実に言うんだなー」と言うと「言いますよー」と言った。
「ちょっとね、友達とね、言います」と言うので「そうなんだね」と相づちを打った。
中学生の肌は張りがあって、つるつるしている。
「わたし、自分のはだがいやなんですよう」と言うので、「ぶっとばそうか」と答えた。
「えー、でも、先生はかわいいし、綺麗だし、うらやましい」と言う。「手が綺麗だし、顔もきれいだし、服も綺麗だし、いいなあ」
「しみ一つないつるつるの肌じゃんか。とっかえたいよ。若いよ」と言いながら、自分がすごく年寄りになったような気がした。
でも、悪い気もしなかった。

中学生を見ていると、人生が決まっているようでいて、まだ、全然決まっていなくて、根性を入れて何かをすればいくらでも可能性が開けそうに見える。
でも、わたしよりも年上の人から見ると、わたしのことも同じように見えるんだろうな、と、俯瞰する視点が手に入る。
中学生たちは、普通に親のことが好きで、尊敬していて、期待に応えようと、好きでもない勉強をしている。
親御さんは、子どもの人生のために、自分が代わりになれないことを歯がゆく思っている。
そういう構図が見える。