言い聞かせていないと、ひどい目に遭わせた人間に会いにいきそうになる

自分に「あの人には二度と会わない」と強く言い聞かせていないと、
「あんなひどいことをせざるを得ない人間なんだから、かわいそうな人だ…。面倒を見てあげないと」と思ってしまう。
そうすると、自分が損なわれる。

わたしは、自分にひどいことをする人に対して、なついてしまう部分があるらしい。

医師に「頭の中のアラームを大切にして」と言われた。
わたしが、祖母に会ったとき、頭の中のアラームがびんびんなった。
ここは、危険な場所なのだと。

年を取って弱ったことはかわいそうだけれど、わたしのいやがることを繰り返ししてしまう部分は、年を取ったからこそ直せない。
わたしは、その場所に行かない努力をしないといけない。
それを誰に非難されても、自分を守るためには、非難する人たちからも逃げないといけない。

逃げて逃げて、逃げた先がひとりぼっちでも、それでいいんじゃないだろうか。
わたしは、たくさんのものを失ってしまった。
取り戻せることは絶対にない。
失ったものは、失ったものだからだ。
新しく、何かを得ることはできる。
だけど、失ったものは帰ってこない。

それは、心にとても痛い事実だけど、同じ過ちを二度と起こさないための痛みだ。
痛いことはわたしを助けてくれる。
これ以上、時間と誇りを奪われないために、わたしは、都合の悪い場所には行かないし、会いたくない人には会わない。


祖母にお風呂を覗かれた、うわあしんどい

祖母がいきなりお風呂場にやってきて、ドアをがちゃっと開けた。
手で必死に押さえて、開けては閉めるの攻防を繰り広げた。

「お湯の温度はちょうどいいか」
「お湯の入れ方はわかるか」
「脱衣所は寒くないか」
「風呂場は寒くないか」
「脱衣所にストーブを入れたからあがるときに切れ」

これを言うときにいちいちドアを開けようとするのだ。
結構力がある。普段は、自分では開けられないらしい。怖い。

怖い!これが、ジェネレーションギャップなのか。祖母世代にとって裸は恥ずかしいものではないのだろうか。
お風呂なんだから寒くないよ。

腰の曲がった亀のようなスローモーな祖母に迫られて、恐ろしい思いをした。

母も、いきなり来る癖があったんだよな。
もう、どうでもいいけど。


祖母の心配に溺れる、溺れる前に逃げ出す

祖母が施設に入ることになった。会いに行った。
これで、おそらく生きているうちには、会うことはないだろうと思う。
そう思ってみると、気が楽になった。

祖母は戦後の時代から一代を築いてきた人で、だいぶ苦労してお金を稼いだ。
体が利かなくなってからは、他人を使うことにためらいがなかった。
昨日会ってきたら、「心配だ」「あんたのことが心配だ」「その髪を切るわけにはいかないかね」「寒くないかね」と言われ続けた。
文字にすると、優しいようだけれど、心配に押しつぶされて窒息しそうだった。

わたしはちょうどいい。あなたに心配される必要はない。黙っていてくれ。
わたしは寒くない。寒いのはあなただ。わたしは寒くない。心配を止めたいなら止めたらいい。あなたの心配は趣味だ。わたしはあなたの他人を巻き込む趣味につきあうのはいやだ。

と、叫びだしたくて仕方がなかった。

肉をちぎって娘にあたえ、娘は肉をちぎって、その娘に肉をあたえる。

だから、彼女たちは、自分たちの思うように、自分の血を分けた娘たちが行動することが当たり前だと思っている。
そうでないときにはむっとして黙り込み、怒り、すね、泣き落とす。
無言を貫いてから、実は…と語りだし、涙ながらにひしと抱き合う。
わたしは、そういうのはもういらない。
ずっと逃げ出せずに、長い人生を無駄にしてきた。

わたしの祖母と母は、わたしからわたしの人生を盗む泥棒だ。
彼女たちは、自分の輪郭と自分の娘の輪郭がはっきり区別がついていない。
わたしがいやがっていても、いやがるから止める、という発想はない。いやがっていることが目に入らないし、声も聞こえない。
心配をありがたいと思った方が良いだとか、大人げないだとか、そんな言葉が頭に浮かぶけれど、泥棒と一緒にいては、そんな余裕はない。
わたしは、わたしの人生を奪い取られたくない。
だから、わたしは母と祖母の心配の海から逃げ出すのだ。
帰ってきて、心底安心した。
ここはもう、安全な場所なのだ。
わたしは、この場所に守られている。誰の世話をしなくてもいい。
わたしは、もう、会いにいかない。


年収三百万台なんて遠い夢の話

ネットで、三十代になっても年収三百万台なんて信じられない、どうやって暮らしているのか、みたいなことが書いてあって、がーんと思った。
わたしにとって、年収三百万なんて、遠い夢のまた夢なんですけど。

三百万もあったら、どんな風に使ったらいいのかわからないくらいだわい。


今日は驚きました

今日は生徒さんが、これから総合点を130点あげたいというので、びっくりして、持っていた問題集を思わずあげてしまいました。
その子は、十点台の科目もある子で、今まで、板書をノートに取ったことが一度もないのです。

それはめんどくさいからしていないわけではなく、板書をノートに取るものだということを知らないからしていなかったのでした。
そういう子を指導するのは面白いです。

このレベルの子は、暗記科目を暗記しろと言ってもできません。それは、頭が悪いからではないのです。
例えば、社会なのですが、社会は暗記科目と言っても、前後の脈絡があります。
何々が起きた、それは、こういう社会情勢があったから、という風に、普通は暗記していくものだと思います。
でも、あまりにも基礎学力がないと、そういう脈絡を理解できない、あるいは知らないので、暗記のためのとっかかりが全然ないのです。
文字の羅列にしか見えないようです。
そこをどうやって、読んでもらうのかを思案していて、「音読」を提案し、全体を把握してもらいたいと思っているのですが、なかなか音読してもらえません。

それでも、お手伝いする約束をしたので、できる限りのことはしたいと思います。
うまく行くと良いなと思います。


鬱期に入ったので

欝期間に入ったので、ほっとしました。
これで散財しなくて済みます。

ネットショッピングはどんどん欲しくなって、しかも、遠方の店に行く面倒臭さがないため、歯止めが利かずに困ります。

躁状態のときに、活動した疲れがたまっています。
鬱状態になると、楽になる面もあります。

今日は、ダイソーに行って、収納のものを買い、役所に行って手続きをして、それから勉強をして、働きます。


本屋さんにいくと

本屋さんにいくと、たくさんの小説があって、「どうしよう」と思います。

こんなに小説があって、わたしに書ける小説がまだ残っているのだろうか、と不安になります。
わたしが書けるのは日常的な文章です。

以前は、夢みたいなことも書けたのですが、一日過ごすとどう思うか、誰がどんな気持ちでいるだろうか、どういう会話をするだろうか、とか、そういう人を観察したことしか書けません。

それでも練習するしかないなと思います。
早く納得のいく小説が書けるようになれるとよいなと思います。

そのためには、自分の気持ちを丁寧に観察すること、下手でもいいから文章を書き続けることが大切だろうと思います。


今日したこと

まず、献立を考えて、買い物をしました。
一週間に一度は、家族のために夕食を作るルールにしているのです。
それは、自活するために練習する意味があります。

無駄遣いせずに、献立を考えて、段取りを良く料理を作るのは、リハビリになります。
失敗しても、食べれるものが作れれば対したことにはなりません。

でも、つらいのは、自分が好きな料理の仕方が、家族の好みには合わない場合があるので、そういうときには否定されます。
嫁に行くと台所のことでつらいという気持ちが、わかります。

それから、書類仕事をしました。
最後まで終わりませんでしたが、手を付けたことに意義があります。

勉強には至りませんでした。
これから五分だけでもしようと思います。


鬱期に入ってきました

一つのことが気になって仕方がなくなってきました。

父親が「クビレが出てきたんじゃないのか」「もうやせないでもいいんじゃないのか」と言い出してきたのです。
わたしは、まだやせたいのです。
はっきり言って、わたしは自分の体のことをああだこうだ言われるのは好きではありません。
とはいえ、今より一年前は十キロ太っていて、それを散々愚痴っていたので、そのせいで父親が言っているのはわかっているのです。

それでも、イライラして仕方がありません。

わたしはやせたいのです。
それはわたしが決めることです。
健康を害するほどやせるのなら、何か言われることもあるでしょうが、その点はちゃんと管理しているのです。
やせたんじゃないのか、と言われるのがいやです。
どろどろします。
いらいらします。
大嫌いです。

言われて嫌なことを受け流せないのは、弱っている証拠です。

買い物でもして、ぱっと気を晴らしたいと思います。
鬱がひどいときは、「お金がない」という妄想が強かったので、お金を使ってしまいたい、と思うようになってきたのは、良くなってきた証拠かもしれません。

本当の原因は、鬱にあるのですが、父親の一言が、突き刺さって仕方がありません。
できることは、なるべく顔をあわさないことです。
家族というのは、いいようでいて、悪いものです。
わたしには、今は、家族との距離は離れていた方が、健康でいられるみたいです。