愛と結婚と発達

今日も一日が無事に終わりました。
嬉しい、本当に嬉しい。

体調はいまいち良くなくて、一日中寝ていました。
ヨガは行きましたし、ヘルパーさんと一緒に片付けをしたり、料理を作ったりしました。
今日はキャベツロールでした。十分くらいでささ、と作ってしまわれたので、すごいな、と思ってみていました。ゆでてから巻くのです。

やせたいなあと心底思います。華奢なワンピースが似合わないからです。恥ずかしいなあ。

ブログの訪問人数が落ち着きました。一時期、九百人を超えてきていたので、数字に興奮してしまいました。今日も二百五十人くらいいらっしゃってるから、多いのですけれど、少し落ち着きました。

結婚をどうしようかと迷っています。
相手がいるわけではないのですが、結婚するのかしないのか、迷っています。
とりあえず、後悔しないように、人と会うだけ会おうと思っています。

わたしは社会的発達が遅いようなので、普通に暮らしていると、自分が結婚したいと将来思う年齢と、子どもが産める年齢がずれてしまうんだと思います。

周りの人のように、どうしても結婚しなくてはいけない、という風に焦る感じではないです。

一人でも楽しいけど、わたしがわたしであることを受け止めてくれる人がいたら、もっと楽しくなるだろうな、と思って、人と会うのは悪くはないんじゃないかな、とも思います。

社会的発達と体の発達のずれは、難しいものがあります。わたしがその気になったときに、間に合わなくなってしまうことが今まで多かったからです。気がつくのが遅いです。世間で「こうするのが当たり前」ということがよくわからないからです。成長してからやっと、「あれはこういう意味だったんだ」とわかることが多いです。

前もって、こうなるとわかっていたらそうしたのかな、でも、心の準備が間に合わないことを先回りしてやれと言われることの方がもっと困るのかなと、思ったりします。

わたしは、愛されたいわけじゃないと思います。

愛してほしいと思っていることは思っているのですが、わたしにとって、それは危険だと思います。
愛してほしいと思うと、奴隷になってしまうからです。
その人のすべてを肯定して受け入れたくなってしまうからです。そうすれば、愛してもらえると思ってしまうからです。
愛はよくわかりません。愛は難しいです。

愛されるよりも、確かに大事にされたい、尊重されたい、という気持ちです。
大事にしたい相手から、大事にされたらすごくいいな、と思います。

わたしは贅沢に誰かを愛して大事にして、その人の子どもをどうしても産みたい、と思えたら、結婚してもいいかもしれないと思います。


抑圧者は抑圧者であることを喜ぶのか

結論を先に言うと、抑圧者は、抑圧していることに気づいていないので、抑圧者である立場に感謝しない。

「俺は抑圧している側だ!ラッキーだ!」と思っている抑圧者がいたら、ずいぶんと自覚的な人だと思う。

メリットがわからないくらい、浸透してこその差別だ。

踏んでいる側に足の裏にあるものの感触がわかるはずもないし、踏んでいることに気づいたからといって、相手に痛覚がある、ことも理解できない。相手が怒ったら、突然怒られたと思うだろう。常識をわきまえない無作法な相手に。

男性が抑圧されているというのは、本当の話である。

女性差別がある。それは、性別による規範をわけるものである。だから、男性であっても、規範から逸脱する人間は、「男性以外」とまなざされるので、「被差別者」に変わる。差別されるものになりたくない、というプレッシャーが、男性にとっての抑圧だ。

男性は、男性であることのメリットがわからない。
たとえば、男性と女性の収入格差は、男性が年収平均約500万円のところ、女性は、250万円だが、男性はそれを通して「お、おれは男性で良かった!」と思わないだろう。
それどころか、「いいな、女は、結局、家庭に入ることを考えればいいんだから…。一生働く俺とは違うし、家庭を守る、っていう重荷がきつい」くらいに思うんじゃないかと思う。想像だけど。

たとえば、自閉症スペクトラムの人が、奇異な行動をとったとき、定型はどう思うかというと、
『迷惑で協調性のないやつのせいでひどい目に遭っている俺は被害者だ』と思うんでなかろうか。

自閉症スペクトラムの人の生きづらさは、定型の人が大多数であることに起因している。(自閉症スペクトラムの人が大多数の世の中になれば、システム自体が変わる)

だから、この構造は、差別に近いのではなかろうかと思うのだけど。

定型の人は『ああ、よかった、俺は定型発達で!』とは思わないだろう。当たり前のことに感謝するやつなんていない。まあ、言っても、彼らはたいへんそうだなあ、かわいそうだな、くらいじゃないだろうか。
まず、自閉症スペクトラムの人を見ても、自閉症スペクトラムだと診断できないし、目で見てもそれはわからないことだし、定型発達のメリットを享受している自覚がないからである。

構造が同じということを言いたいので、定型の人は悲しくならないように。

誰でも、マイノリティになりうるということなのである。そして、誰でもマジョリティになるし、そのとき、その自覚はないのだ。

だから、抑圧者は、抑圧者であることを喜んだりはしない。抑圧者は、自分が「世間の道理を理解しない、常識を知らないやつら」に、迷惑を受けている被害者なのだ…と思う。
加害者でいることはつらいのだ。世界のルールの番人でいなくてはならないのだから。

彼らは、抑圧者としての立場を手放したりはしない。
差別側であることを認識しなくてすむのが、そもそも、差別側の大きなメリットなのだ。

だから、差別者だ、と意識させられること自体が、大きな危機になる。

発達障害の人は、定型の人に合わせていくような道を選ぶし、定型の人は、定型の人に合わせるように成長しろと、サポートする。

今までの男性側の認識は、男性も差別と抑圧の被害者だということだったのに、一方的に加害者だと言われることで、自意識が揺らいでしまう。自問自答する必要がなかった自意識なので、ちょっとした風にも弱い自意識なんだろう。

女性が怒り始めたとき、男性がうろたえ、逆襲を受けたと怯えるのは、自分たちが、変えられると恐れているからなのだ。


わたしと運動との関わり

面白かったブログ

こちらのブログは、定型の人の方を研究する、という視点の逆転が面白かったです。

こちらのブログのエントリは、自閉症スペクトラムのお子さんを持った方のお話です。
わたしの読んだ感想は、「でも、親は愛してるんだから大丈夫だよ」という浅はかなものがまずあって、その次に「こんなにおかあさんにいろいろ考えてもらっていいなあ」ということが次で「いやいや、わたしも結構運動させてもらってたなあ」と思いました。

わたしが今までしてきた運動は、水泳、クラシックバレエ、ヨガ、ピラティス、ストレッチ、剣道です。

水泳が一番苦手でした。走るのも苦手です。自分の体を効率よく動かすのが下手なので、うまくいかないし、人と競争するのが苦手でした。

あとの残りは全部向いてました。
特に、今思うと、良かったのは、年齢層がバラバラなグループに入れたことだと思います。

同年代の固まりに入れられると、まず、定型の人たちは「同質性」を確保しようとするので、異質性のあるわたしはうまくいきにくいです。

クラシックバレエは、決まった動きを毎回同じようにやることや、音楽でタイミングを読むことができる、他の人と仲良くする必要がない、ことが楽しかったです。
年齢がバラバラなので、下手でも目立ちにくいというか、自分のペースでできるというか。でも、年齢が上がるにつれて、要求されるものが増えたのでやめました。大人になってからはじめました。

ストレッチをクラシックバレエで覚えたので、二十年ぐらい続けてました。今はやっていません。働くようになってからやっていないです。太りました。

ストレッチをするようになってから、運動がそこまで嫌いじゃないというか、ゆっくりなら体を動かせるという自信や、柔軟性がついたと思います。体の緊張がわかりやすくなったり、痛みについて理解できるようになりました。痛みの説明を言葉でできるようになって、コミュニケーション能力が上がりました。

次にしたのが剣道です。剣道は、比較的他人との同質性が低い運動です。それでいて、動きは、自分のペースででき、単純で、戦略を練ることができて、頭で考えるタイプの自閉症スペクトラムの人にはぴったりです。人と目を合わせないことは問題になりません。相手も面をかぶっていますから。

みんなと足並みを揃えることも、ルールの枠内でされるし、比較的合理的なルールが多いので、集団行動でも、戸惑いにくかったです。

何が起きるか予測しやすい世界です。強いものが偉い!わたしは弱かったのでいじめられました…。

それと、年上の人が多いので、多少変でも面倒見よくかわいがってもらえます。特に、男子だとそこから就職まで全部、面倒を見てもらえるので、いいかもしれません。たいへんかもしれませんが、あらかじめ「あいつは少し変わっているから…」と思われていても、「でも、強いしまじめだ!」だけで通っていける世界です。

ヨガとピラティスも修行系の運動です。
これも、自分の内面に対してアプローチしていくタイプの運動なので、比較的はじめやすいと思います。他の人の動きは目に入ってきにくいし、なんなら、目をつぶっていてもいいです。

わたしが通っている教室は、他人にあまり干渉しないタイプの人たちですが、それでも何年も通っていると、年上の人と世間話したり、あいさつしたり、「若い人はいいわね」とかわいがってもらいやすくなります。

つまり、わたしにあった運動は、動きが決まっており、反復的で、自分の中で考えてすることができて、周りの人たちが、とても年上だったり年下だったりする、混成グループのときに、うまくいくようです。
そうすると、わたしが多少異質でも、あまり問題にされず、「若くていいわねえ」「これからよ」のような言葉の中で過ごせます。

追記
ヨガもピラティスも静かな中で、できる運動です。
また、動きもひとつひとつ細かいところまで言葉で説明してもらえます。
だから、わたしでも、体の筋肉を意識して運動できます。
だから、ヨガとピラティスはおすすめです。


あなたとわたしの外の世界

昨日のエントリがたくさんリツイートされたので、どんな反応があったのか、執念深く調べてみました。

世間が狭いので、自分の思っていることが、他の人にどんな風に切り取られるのか、気になったためです。

わたしに好意的な意見を言ってくれるひともいて、そうでない人もたまにいました。
それは、広がりが、わたしに対して好意的な人から順に伝わっていったからだと思います。

批判的な意見は「うっ」となりながら読みました。
反射的な「う」です。日常的になったら、嫌だなー、と思いました。

この追記を削除しました。

最初に

虐待について話したら言われること…。

母と似てたら何がだめなのか。それは似てるだろう。
完璧な状態になってから口を開け、ってそれは、黙れと言っているのと同じだろう。
お前は加害者である母親と似ている、同じだ、と言うのも黙らせたいからだろうと感じた。
それは、言っている側自身の問題として、「責められているように感じる」「今までの自分を否定されたように感じる」「助けを求められても困る」というものがあるように思う。

と思って書きました。

なんでかというと、わたしは批判は言われるし、それにも言い返すし、さらに言い返してきたら(疲れてなかったら、そして相手のことが好きだったら)応答するし、という世界が好ましいと思われるのです。

でも、批判は言ってもいいと思います、というと、なにさまだー、感じ悪い、と思ったので書かなかったのでした。わたしの許可はいらないです。

わたしが知っていることはとても少ないです。それは他の人も同じだと思います。
お互い、知っていることが少ない、小さな世界で判断していることを、当たり前のように思って「それがみんな思っていることだ」みたいに、新しいことみたいに、言います。

でも、そうじゃないです。

わたしが「う」となるのは、「わたしの外の世界」だったり、「わたしが捨ててきたはずの世界」だったりします。

いつも覗いていたら病気が重くなってしまうと思いますが、たまにはいいかもしれません。

だいたいは、良く咀嚼すると、あまり傷つくことはなくて(傷つくようなことはまだ言われていないのもあって)、なるほど、この人はこう受け取るのだ、と思います。

それは、わたしの文章の正確さが足りなかったり、その人の世界の中で読むと、そのようにつじつまが合うからなんだろうなーと思ったりします。

同じ体験をしたことがないとわからないけれど、全く同じ体験というのは原理上あり得ないので、人と人とがわかり合うのは難しいなと思います。

でも、似たような人と連帯すると、未来に向けて動けるので良い感じがします。
わたしはまだ力がないので、似たような人以外に訴求する文章をまだ書けないのだと思います。

しばらくは似たような人に向けて文章を書いて、ときどき、あなたの世界を知りたいと思います。
それは、わたしの世界を広げて、軽くするかもしれないからです。


虐待されたと公には語ってはいけない、のか

このツイートは、必ずしも、「虐待されたことを公に語ってはいけない」とは言っていないのだけれど、「虐待されたことを語るならば、連鎖を止めろ」ということを語っている。

それは可能だろうか?

考えたみたい。

考えた結果、まあ話すことにしたんだけど。

虐待された人は、虐待されている状態がデフォで、世の中に放たれるから、やっぱり、自分を虐待するような人と一緒になってしまって、虐待され続ける。

それは、自己肯定感が少なくて、愛に飢えているからだましやすくてちょろいから。
そして、自分が暴力にさらされても、それが当たり前だと思って、暴力を受けることを疑問に思わない。

そして、自分が虐待されていたから、暴力に対するハードルが低いという意味で、自分も虐待する側にまわってしまう。

自分が虐待されるし虐待するし、もうわけわかんない、ということになる。

実際、虐待する母親はそれが楽しくてしているわけではなくて、したくないけれど、止められなくてしてしまうという人もいるようだ。

父親のことは知らない。

確かに、自分が虐待されていた、ということを話すのは後ろめたい。

だって、「おかあさんが、育ててくれたおかあさんが、非のある人間だということを公にする行為」だから。

でも、虐待されていたことに、気がつくのは、虐待を止める第一歩である。


これは、逆で、虐待の連鎖を止めてから「初めて語ることができる」というのでは遅いのだ。
虐待されていた、ということを話すことで、初めて、虐待の連鎖を断ち切れるのだ。

子どもに手がかからなくなってから?それでは遅い。

子どもを持たない予定かもしれない/女性とは限らない/生めないかもしれない/途中で死ぬかもしれない/育てることができないかもしれない。

虐待されていたことを話すのに資格はいらない。

似ているのは、当たり前のことだ。

気づいていないわけがない。
虐待されていた人が、気がついて、最初に本を読んでたどり着く事実が「大人になってからも、自分は虐待されやすく、虐待しやすい人間だ」「ACは親と違う人生を歩もうとしても、全く同じか、全く逆の人生を歩みやすく、その影響からは逃れにくい」という事実だ。

「そんなことも理解しないのか」という言い方を聞くと、「うっ」となる。自分が責められているわけでもないのに、苦しくなる。

でも、よく考えたら、別に否定するようなことじゃない。

わたしたちは、母親に似ている。虐待され、虐待するかもしれないという点で。
虐待の状態を、普通だと思い込まされている点で。
その習慣で。
生活上の小さなしぐさが。

だからこそ、「わたしは虐待されていた、おかあさんはこうだった」と人に話す必要がある。

主治医に「わたしはおかあさんに似ているかもしれない」と話したら、
「まあ、同じ人類だから、無理に探せば似てるところもひとつくらいは見つかるんじゃない?お米を食べるとか」と言っていた。


わたしの最初の思い出は赤く腫れた細い太もも

わたしの最初の思い出は、手の指の形に真っ赤に腫れた太ももと、それを撫でさすりながら、わたしを抱え込む母の熱さ重さ圧力、涙の落ちる光の影、詫びる声と、「そんなには痛くないから大丈夫だよ、おかあさん」というものだった。

涙が混ざって背中でぐしょ濡れになっていて、それが暑苦しかった。
わたしは逃げ出したいような、おかあさんを抱きしめてあげたいような気がしたので、おかあさんを抱きしめた。

おかあさんの手のひらよりも細いわたしの太もも。
「こんなに小さいのにぶってしまって、ごめんね。ごめんね、悪いおかあさんだね」
わたしが悪いことをしたのだから、おかあさんは、謝らなくていいのに…、とわたしは思った。

わたしは大きくなって、精神科にかかりたいと言った。
おかあさんは、だめだ、と言った。
「興信所に調べられて、就職も不利になる。あんたはそれでいいの?その責任が自分で取れるの?」
わたしは、どんどん無理になっていった。秘密が多すぎた。
わたしが本当に傷ついたとき、おかあさんに言ったら、おかあさんは聞こえない振りをして、
「寝る」と言って部屋に閉じこもって十二時間出てこなかった。明かりもつけずに。
何度か呼びにいったけれど、おかあさんは口をきかなかった。

わたしはどんどんだめになっていった。
生きていくのが無理になった。
家から出られなくなった。
友だちを家に呼ぶのは、小学生の頃から禁止されていた。靴がないのが不思議に思われるでしょ、家が散らかってるでしょ、恥ずかしいでしょ、親のいない間に人を呼ぶなんて、なにかあったらどうするんだ!と言われて。

わたしは耳鳴りがして、頭痛がして、いつも何か不思議なものが見えるようになっていた。
他の人が聞こえないものを聞いて、他の人が見ないものを見ていた。いつもじっとしていた。
不思議に思われた。からだが動かなくて、何度も病院で検査したけれど、何もなかった。
いや、何でもあった。
血液の数値も、すべてが異常で、アレルギーも、婦人科系の病気も胃腸炎も膀胱炎も腎盂炎帯状疱疹も中耳炎も発症していて、いつも熱が出ていた。おなかが痛くて、倒れて、早退するにも歩けなくて、誰にも助けてもらえなかった。

日記に、「わたしは誰にも助けてもらえない。助けは来ない。神様は来ない」と書いた。

おかあさんは、ある日、「わたしはACだったんだ!」と叫んで、おいおい泣いて、カウンセリングの勉強というものをはじめた。

わたしは、二十歳になって、精神科を受診してもいい、と言われた。
「精神科に行かせてあげるなんて、そんな親、いないからね」と言われた。
「あんたは、あたまが、おかしい」
「あんたは、じんかくしょうがいかもしれない」
「病院に行く人はおかしい人が多いからね」と、言った。
認知行動療法をしなさい」
自律神経失調症だから…自律神経を安定させる練習をしよう」
「なんであんたは力が抜けないの!リラックスしなさい!」

「感謝しろ!」

精神科の先生とお話をした。おかあさんのことを自慢ばかりした。おかあさんはすごくて、立派な人で、わたしはだめな人間だから今すぐ死にたいです。
「家を出なさい」「お金は使いなさい」と言われた。
わたしはそれができないでいた。

おかあさんはカウンセラーになりたくて、とても偉い立派な人なんです、自分の心の弱さが克服できたって、それで、わたしにもカウンセリングの勉強をしなさいって、と、先生に言ったら、
「そういう人がこっちの業界に来ること、多いんですけど、迷惑なんですよね。まず、受診してもらわないと…」
と、先生は眉をしかめた。

おかあさんは、いざとなったら、わたしを守ってくれる、と信じていた。

でも、わたしが倒れて救急車で運ばれたときに最初にしたことは怒声を浴びせてつかみかかって点滴が外れそうになってひやひやしたことだったり、神経がちぎれて、緊急入院したのに連絡してから三日かかって来たり、するおかあさんで、でも、わたしはわたしが死にそうになったら、おかあさんはわたしを守ってくれる、と思っていた。

ともだちが、おとうさんに連絡しなよ、と言ってくれて、それは絶対だめだから、と言い合って、ともだちは、じゃあわたしが連絡するよ、といって、携帯電話を無理矢理取り上げて、わたしはわんわん泣いて、おとうさんは「連絡をくれてありがとう」と言った。

おとうさんは「知らなかった、知らなくてごめん、弁護士に、絶対連絡を取るな、と言われていて」と言ったので、わたしは怒っておとうさんを二十四時間なじった。
おとうさんはそれでも毎日働きに行って、ごめんごめん、と言った。
わたしは大声で暴れた。

「おとうさん、なんで、説明してくれなかったの。わたしずっと待っていたのに」
「おかあさんが、絶対に、説明するな、それがこどものためだと言ったんだよ」

小さい頃、おかあさんに、どうしてお父さんは説明してくれないの、わたしだってわかる年なのに、といったら、「どうしてなんだろうね、ひどいね、不思議だね。あんただってわかる年だし、わかるように説明しないおとうさんはいけないね」と言っていた。

おとうさんの言っていることは静かに静かに染みていって、わたしの心の音は小さくなって、そのあとドキンと大きくなった。


職業の選択についての医者からのアドバイス

お金とか、体面とか、こうあらねばならないとか、正社員じゃないとだめとか、人に良く思われたいとか、こうしたほうがいいとか、考えないで、やりたいことを順番にやっていきなさい。そして、失敗したら、失敗しただけ、それ以上のことは考えずに、自分を否定されたという話でもなく、障害のせいでだめだったというわけでもなく、単に合わなかったという風に考えなさい。

あなたは、こうあらねば、という気持ちがとても強いので捨てなさい。幸せになれないから。

あなたは、理屈に強くて勉強が好きで、頭脳明晰だけれども、少し弱い部分がある。そのことを気にしすぎずに、思う存分やってみなさい。そのうちに身に付くから。

弱い部分というのは、人生の大事ではないことに、優先順位がつけられないこと。たとえば、自閉症スペクトラムじゃなくてもね、黄色い車が気になって仕方がなくて、運転中うんと疲れちゃうみたいな人を知っているんだけれど、あなたは人生に関係ないことにとても気がいってしまって、それで疲れてしまうの。
だから、そのことを忘れないで。
あなたはちゃんとできることがたくさんあるんだから。
うらやましいくらい。

入院先の病院では、安心しきっていたので、症状が思う存分出ていた。
娑婆のような環境では、症状は案外抑圧されているものなので、病院というフリーダムな場所でこそ症状が出やすかったりするのだ。

作業療法は楽しみで、二時間しかできないことが不満だったけれど、二時間したら疲れきって、ばてて一日眠っていた。そして、夜眠れなくなるのだった。
人と話すこともかなりの努力が必要で、座っていられないほど疲れたのだった。
完璧な美少女みたいな女の子や中学生くらいの女の子とおしゃべりしたり、作文の書き方を教えていた。

だから、退院後には短い時間で働ける仕事を探した。
ユニクロは、わたしに足りない、人生経験や、接客、人にもまれることが補えると思って応募した。でも、それは、業務に結びつかない熱意だったので落ちた。

そのあと、塾講師にした。時間の単価がよかったことと、勉強が得意だったこと、短い時間で働けること、などが良さそうだと思ったからだ。
仕事の量も調節できそうだったし。

このころは、自立することなどまだ先だと思っていたので、お金の面は二の次だった。ただ、社会と接点を持ち続けるために、仕事に就こうとしていた。
仕事に就かないと、暇すぎて、心が濁ってしまうと言われていた。
父が経済的援助をしてくれたけれど、自分の服や靴は自分で買いたいという負い目があった。

二番目の母は、とにかく子どもに関係する仕事に就かせいようと画策していたらしい。
だから、塾を選んだときは、ユニクロよりもいいんじゃない、と言っていた。
傷ついたわたしの心をいやすのは、大人ではない、と思っていたそうだ。
子ども相手なら、子どもはだましたり、嘘をついたり、してもしれているから、大人相手の仕事をして、苦しむよりはいいんじゃないかと思っていたらしい。だから、すぐの就業じゃなくて、子ども相手のボランティアなどを勧めてくれていた。

わたしは手紙までつけて、「子どもが大好きで、塾は世の中の役に立つとてもいい仕事です」と書いた。テストで落ちてしまったのに、テストを楽にして受け直させてくれた。

なんとか受かった。あのときは嬉しいというよりも呆然とした。
受かるときにはその場で、採用してくれるんだということを初めて知った。

やりたいことをやってみる、と失敗しないんだと思った。
雑念が少ないからなんだと思う。

今でも地位と名誉に憧れるけれど、これはあとから手に入れられるものなんだろうと思う。
わたしは恵まれている。


愛はわたしを救わない わたしが受けている支援

結局遅れたけれどもピラティスには行きました。その上マッサージに行きました。元不動産やさんで、三十分の料金で、一時間もんでくれ、世間話を一時間して、不動産投資の話で盛り上がりました。マッサージはいいです。不動産も大好きです。不動産って本当に考えていると楽しいです。もっと、良く知りたい…。楽しい…。

遅れても行くようになったのはいいことです。行きたくないときには「疲れてるし」「眠いし」と行かない理由ばかり考えていますが、実際は疲れたら寝ればいいし、眠いのは寝てるからなんです。

長期的な鬱について書きたいと思います。
鬱になると、「頑張れ」と言ってはいけない、なぜなら既に息をするだけでその人は頑張っているのだから…という話は浸透しましたが、じゃあ、何を会話すればいいんだ…という問題が残っています。

ただ、相手の話を聞いて肯定するだけでは、相手の恨みつらみがますます高まったり、自殺願望がますます高まったりしかねません。

頑張れというような抽象的なアドバイスを受け入れることができないくらい、処理が小さくなっているので、身近で、具体的にできるアドバイスを少しずつするのがいいんじゃないでしょうか。
じゃないと、長期化するような気がします。
でも、それはお医者さんがする役目だという気もします。
でも、わたしは、「運動するといいと思う」くらいのアドバイスも理解できませんでした。
その辺りを書きます。

愛はわたしを救わないというフレーズを考えたとき、「おお、かっこいい、これでエントリがひとつ書ける」と思いました。

わたしを一番愛しているのはたぶん母なんだと思うんですが、母はわたしの病状を重くしただけでした。

わたしを回復させてくれたのは、お金と、規則正しい生活と、お医者さんのアドバイスでした。野菜ジュースを飲むとか薬を飲むとか運動するとか朝起きるとかそういう基本的なことです。

鬱になると、アドバイスを受け入れにくくなります。否定的な気持ちになるので、アドバイスが自分を全部否定したような気持ちになって、そんなことを言われたら存在してはいけないのではないか…などと思います。例えば「運動はからだにいいよ」ということだけでも「そんなこと、わたしにはできない。わたしにこんなことを言うなんてこの人はわたしに存在しないでくれと言っているんだ…」みたいに。

でも、アドバイス自体がなくなってしまえば、「毎日布団の中で過ごす」生活を十年続けるみたいなことになって、筋力も下がって太って職歴もなくていいことがないです。そうなっても誰も責任をとってくれません。責任というのは自分のからだでしかとれないものなのです。

だから、週に一回とか月に一回とか安定して、毎日は会わない相手に「運動はいいよ」と言ってもらうことが大事なのでしょう。

わたしが運動が大事だと言われた言葉が頭の中に入ったのは、言われ続けてかれこれ十年経ったころでしょうか。だいぶ長いですね。それまで、運動した方がいいと言われていることに気づかなかったのです。

言葉の意味はもちろん知っていましたし、運動しろと言われているのかもしれないなー、と思っていたのですが、どちらかというと、お前は今のままではだめだと言われているに違いないと思い込んで、言い返してはそんなことは言っていない、と言われてきたような気がします。

その繰り返しで、ようやく、運動すると、朝起きられて、夜眠れて、ご飯を三食食べることができる、その上暇だからという理由で間食することが減っていいことづくめだ、ということがわかったのです。

気がつくのが遅いです。

バカの壁の話とかもしていたし、聞いていたし、わかっていたつもりなのに、自分の中にこんなにわかりやすいバカの壁があったとは…という話です。

そして、お医者さんが、わたしの生活の指導を辛抱強く世間話をしながらしてくれていたのは、愛からじゃないと思うんです。信念だったり、思いやりだったり、仕事だからだったり。そして、お金が入るからという理由ではなかったと思うんです。三十分から一時間、とってくれてましたから。

しかも、その間わたしの話を聞くのじゃなくて、自分の話をしてくれるのですね。
変な人だ…。
象の愛情の話だとか、アベ政権はどうかしているとか、戦争は良くないと思うとか、地震があっても人は生きているとか、すぐに行動した民主党は少なくとも自民党よりも偉い、でも政治家自体が腐ってるからあんま違わないけど、とかそういう話を延々していました。

この先生を苦手に思う人も多いと思います。良くなったと感じない人も多いと思います。

でも、わたしはなんとなくこの人が好きでずっと通っていました。

最初パキシルを処方されて、「うっひょい」みたいな感じになって、妄想と幻覚(みたいなもの)がひどいときとかも、報告して「おお、貴重な話だ」と言ってメモってもらったり、地震のときにアルバイトしていたとき、どういう対策をしたらいいか考えて小論文を書いたのを読んでもらって、それを勧められて地震の専門家に送ったのもいい思い出です。

今でも、会うたびに「で、執筆活動はどんな具合ですか」と聞いてくれます。

わたしの長所を伸ばす作戦なのです。できないことは工夫して、逃げすぎないようにする。

わたしが、母を「虚栄心の強い人だ」と気づいたとき、「ああ、そうだね」といって、「なんだ気づいてたのかよ、言ってくださいよ!」と思ったのもいい思い出です。
「娘を精神科に通わせたくないとか言う時点で虚栄心が強いって気づくじゃないですか…。呼んでも一回も来なかったし、世間体が一番大事で、娘の健康はどうでもいいわけじゃないと思うけど二の次の人なんじゃないですか」とのことです。

気づいていたのに、言わなかったのはなんなんだ、自分で気づくのを待っていたのか、それとも、言っていたのにわたしが気づかなかったのか、どうだったんだろう、わたしの十年を返せ、みたいな気持ちになったのもいい思い出です。

気づいていたら、どうだったのか、という話もあります。

二十代のときに「わたしは自分の人生を生きていない」ということを既に気づいていて、さんざんその話をしていて、「五十代になって気づくひともいるから、今でも遅くない」「気づいたときからはじめたらいい、それしかない」「家を出たらいいと思うよ」と言われていたのに、それが実行できなかったわたしです。「おかあさんは大人なんだから、捨てても死なないし、勝手に幸せになってね、で、いいじゃないですか」と言われ続けていたのに、わたしが出て行ったら、おかあさんは死んでしまう、と思い込んで二十代を無駄にしました。

よく考えたらすごく健康な人だったんですけどね、なんでしょうね、おかあさんが死ぬくらいなら、わたしの人生を犠牲にする!という信念は。

どちらかというと愛はわたしを不幸にしていたと思います。

そして、「二十代のときに気づいていたのに結局家を出なかった、損した」と先生に言ったら「それを気にしてまた十年無駄にするより今からはじめたらいいんじゃないの?公務員とか一流企業に勤めていて、はたから幸せそうに見えても、肩たたきされて初めて、ようやく、俺の人生なんだったんだ…ってなるひともいるし、気づかないで一生終える人もいるし。まだ若いじゃん」
と言われました。
「もう、若くない…」と言ったら、「ボクよりは若い」と言われました。
「先生は地位も名誉も手にしてるじゃないですか」
「ボクはね、毎日椅子に座って、人の楽しくもない、言っちゃ悪いけど、似たような、って思っちゃうんですけど、不幸な話を十時間も聞いていて、足も腰も痛いし、耳も難聴気味になってきたし、ストレスですよ、ストレス。あなたなんか、毎日楽しそうじゃないですか、いいなあ。医者なんてね、結構もうからないもんなんですよ。うちのクリニックだってスタッフの給料も考えないといけないし、開院したときなんか、患者さんいないし、増やしても質が下がるのは嫌だったから、いっぱい患者さんが来ても診きれないし、だから、見切り発車でいずれうまくいくと言い聞かせてやってきたんですよ。旅行に行きたいって言っても、死ぬーみたいな人から電話きたら対応しなきゃいけないし、それで人の命、救っても、外科みたいに先生ありがとうございましたなんて感謝されることなんてあり得ないし、当たり前と思われるし、下手したら恨まれるし」みたいな話をしました。
「でもなあ、いいなあ、地位と名誉、わたし、最近地位と名誉に目覚めたんですよ、あとお金、お金は本当に素晴らしい」
「お金はあとからついてくると考えた方がいいんじゃないですか」
「地位と名誉ですよ!」
「地位と名誉を手にしてどうするんですか…意外と虚しいですよ。県庁に勤めてて鼻が高くなってる連中なんて、何も本質を見ないで書類出せって、先生をいじめるんですよ。もう、書類書きたくない…いっぱいたまってるんですよ。書類書くために時間とられて、意味ない。もう、先生死んじゃう…。死んじゃいますよ…。それよりもあなたの仕事みたいな子どもの役に立って、日本の未来を担うような仕事の方がいいじゃないですか、楽しそうだし。そういう仕事を地に足の着いた仕事っていうんですよ」
「えー…。自慢できないし…」

というような会話を十年間続けている先生は偉いと思います。
愛はわたしを救いません。
医療でもないところの不思議な巡り合わせがあると思います。


おかあさんとわたしのこと

田房永子さんのラジオを聞いていたらテンションがあがった。

母がしんどい

その上、
精神病新聞
えりこさんのブログが更新されていた。

すごいテンションあがった!面白い文章を書きたい!テンションがあがっておかしいし昨日寝てないからうまくいかないけど、書く。こういうときはおもしろいことなんて書けないと思うけれど。

えりこさんと田房さんとわたしは友だちでも全然なんでもなく、わたしが勝手にファンで面白いと思っている人だ。えりこさんのミニコミは買ったことがあるし、田房さんはわたしのブログを読んだことがあると言ってくれたことがあるけれど、でも別に友だちじゃない。

わたしたちは、同じような問題を抱えている。それはおかあさんのことだ。

わたしのおかあさんのことは、ほとんど思い出さないようになってきたけど、夢に出てきて、わたしを犯そうとしてきたり殺そうとしてきたり、する。わたしは何度も殴っておかあさんを殺す。そういう夢を見る。

わたしはおかあさんと離れて初めて自由を知りました。
そのとき、最初に芽生えたのは憎悪でした。

ああ、こんなに素晴らしいものを、奪われていたんだ、それに気づかなかったんだ、こんな長い間?!

もう取り返しがつかない、憎い憎い…。死んでしまえ!

わたしは恨みの固まりになりました。

それから、わたしはお金をじゃんじゃん使おうと思いました。あるだけ使おう。老後なんて知らない。
おかあさんは、老後のためにお金をためるのが好きな人でした。節約しすぎて病院代をくれないことがあったくらいです。

それを使おうと思ってすっきりしました。

旅行にも行ったし、年齢には合わないけど十代の子が着るような服も買った。着て、ひんしゅくも買ったけど、今でも短いスカートを履く。これは、わたしの復讐なんです。

おかあさんがかわいそうで仕方がない日もあります。でも、別の人だからどうしようもないです。勝手に幸せになってほしいと思うし、おかあさんが不幸が好きなんだったら、邪魔しないし、それもおかあさんの問題なんだ、と割り切れるようになりました。

わたしはおかあさんの幸せを痛いほど願って、それだけのためにずっと生きていました。
だから、わたしは自分が生きてきた過去の記憶がひとごとのようです。おかあさんは、わたしがどれだけ満足しても当たり前のようで決して満足しなかったです。

だから、わたしはいつも疲れていました。
病気もしていました。
おかあさんと縁を切ってから、病気にならないです。

おかあさんは、わたしが二十歳のときに、三歳児向けのおもちゃを買ってきてわたしにクリスマスプレゼントだと渡しました。
わたしはわけがわからずに泣き出しました。

そういう思い出です。


女性の発達障害特有の問題点について

「ボクの彼女は発達障害」は、さみしい本だと思いました – ある精神病患者の一日
助けてもらいやすい障害者と助けてもらいにくい障害者 – ある精神病患者の一日
踏んでいい当事者と踏まれない当事者 – ある精神病患者の一日

愛はわたしを救わない わたしが受けている支援 – ある精神病患者の一日
だいぶ違うことがわかってもらえると思います。

論点

女性の発達障害者における支援は、DVになり得る場合がある。

とくに「拒絶する」という社会的スキルを持ち合わせていないため、「付き合う」ということ自体を理解しないまま、恋人関係に陥り、支援が生活を管理することとイコールになりえて、そこから逃げ出すことができない、または違和感を言語化できない場合がある。そのストレスを「毒舌」と受け取られる場合がある。
とくに、金銭管理についてのサポート、服装についてのサポートは、成人女性にたいしては、DVになりやすい。本人は被害を受けている自覚はないが、悪影響は大きい。
(いやがっている成人女性に対して、女友達を巻き込んでプレゼントしたあげく、それを着ないことにたいして怒るというのは支配になりうる。特に社会的スキルがない女性にたいして)
よかれと思ってしているサポートが、搾取、支配、DVになることは、大いにある。それは二次障害を招く。

最初に

ここ、数日、興奮して書き続けてきたことに決着がなんとなくついたのでまとめます。
今は夜中の三時で、ブログを書き続けていて、我ながらちょっとどうかと思いますし、くどいし、これは症状が悪さしているなと思いますが、それはそれこれはこれです。

最初は「ボクの彼女は発達障害」を読んでの感想から始まりました。
「性的規範が強すぎるのではないか」というのが問題の出発点です。
その後、「可愛い発達障害者(ここでは症状の出方が可愛いもの、というと語弊がありますが、チックや罵倒語、よくわからない体のゆらゆらとか以外の本人とサポーター以外には奇異に思われてもそれほどダメージが大きくない症状)」に焦点を当てすぎると、「可愛くない発達障害者(顔じゃなくてね)」はどうなるのか、または、恋人に、サポートしてもらうこと自体がはらんでいる問題はないか、などという考察(というか愚痴ですね)に移りました。

一言で言うと、可愛い発達障害者は、サポートを受けやすいけれども、搾取もされやすい、ってことです。

発達障害の女性を、サポートと称して、囲い込み、自立を妨げて愛玩することが可能だと言う危険があるわけです。
なので、愛メインのサポートというのは、危険をはらんでいるので、そこを賛美するのも危険だと思いました。

そしてですね、自らの経験をふまえると、わたしは発達障害者なんです。
社会的スキルが発達していないんです。そもそも。

今まで一番困ったことは、セックスを迫られると「ノー」と言えないことです。
断れないんです。
告白されても断れないんです。相手が嫌いでも断れないんですね。
強く言われると、言うことを聞いてしまう。
そしてその上ですね。「愛している」「守ってあげる」「心配しなくていいよ」と言われると、その言葉を鵜呑みにしてしまうんですよ…。
これが社会的スキルのなさです。普通なら高校生で断れますし、信じなくていい台詞ですよね。
でも、これ、鵜呑みにしてしまうんです。

相手のことが好きかどうかもわかっていないんです

発達障害があるから。

好きって気持ちがわかってるかもしれないけど、わかってない場合も多い。
言いくるめられたり、自己肯定感が低いせいで、好きだといわれたことに喜んでしまって、好きだと錯覚してしまったりといろいろなバージョンがあると思うんですが、わたしの場合、わかってない時代が長かったです。

付き合うということが、どういうことか知らないから。
言葉でも知っていて、概念でも知っているけど、いまいちわかってないところがある。

女性の発達障害者は、断れないんだということです。個人差はもちろんありますが、断れない人が多いようです。
これは悪用されることが多いのです。

鵜呑みにして、簡単に自我とかお金とか渡しちゃいます。
サポートしてる側にも、悪意がなくても、だんだん自我とかお金とかに侵入しちゃうと思います。
お金の管理が下手だな、とかね、不安に思ってるみたいだから話聞いてあげようとかね、いくらでも時間割いてあげるよとかね。

特に大事な点

はい、あれ、これ新しい病気が発生してるんじゃね…と懸命な皆さんはお気づきかと思います。
共依存とDVです。

とくに、お金の管理。着るもの。発達障害者ではなくても、人には着るもののこだわりがあります。着るものは、その人のアイデンティティを支えるものです。お金は人生を支えるものです。

それを簡単に否定してはいけません。

これは本人が失敗してもいいから、本人にさせないといけないです。
じゃなければお金の問題に関わってはいけません。

成人女性に対して、普通しないことは、発達障害者の女性にもしてはいけません。
とくに、社会的スキルがなくて、断る能力がなかったり、お金がどういうものか、理解していない相手に、お金の管理を手伝ってはいけません。お金のある場所を聞いてもいけません。
これって、当たり前ですよね?

発達障害だから手伝う、サポートするんじゃなくて、発達障害だから、してはいけないんです。

服装を、清潔にする、とか、肌の露出を少なくする、とか、体を覆っているもの、サイズの会っているものを着るべきだと教える、というのはいいと思います。
でも、それ以上のことは、「踏み込んでもいい間柄かどうか」を改めて考えなくてはいけません。
相手は、障害を持っているだけであって、成人している女性なのです。

子ども相手にするように教えてはいけません。
それは、危険な行為です。

これを書く前にね、何がどうというより、わたしは個人的な思い出がフラッシュバックして混乱していたわけです。
でもこれは、本当にありがちなストーリで、わたしは何度か繰り返して痛い目見ています。

最後に じゃあ、いったいどうすればいいの?

今受けてるサポートは、お金を使う失敗があっても、自分でなんとかしなさい、できる範囲でやりなさい、です。
お金を使うポイントは時々アドバイスしてもらいます。でも、管理するのはわたしです。
それが今までは違っていました。
責任のあり方が大きく変わりました。

サポートと言っても、いろいろあるわけです。
みっちり、きっちり、時間を割いてそばにいてあげて、安全を守ってあげる、やり方と、ストレスを軽減しながら世界と付き合っていくやり方をサポートすることと、でも、どうしてもできないことは代わってあげることができないか、探す、とかね。教える、とかね。

問題の本は、サポートの手段のバラエティが少なかったことと、サポートの動機が愛だったこと、またサポートの受け手が女性の発達障害者だったことから、わたしは不安に思ったのでした。その辺の微妙さについては、配慮が合っても良かったのではないかと。

特に、彼女の服装を変えさせようとするエピソードは本当に侵入的で恐ろしく、一件落着したあとはほっとしましたがけっこう危険な話だなと思いました。どうかしてたら、二次障害が起きていたかもしれない…なんて、当事者が一番わかっていると思いますけれども。(蛇足:でも、女性の服装にあれこれいうのは、相手が発達障害者じゃなくても、言ってはいけないです。それがいやなら、付き合わないことです)

最後に

教える、教えられる関係には、上下関係が存在します。
それは対等な関係とは言えないのではないでしょうか。
相手が、発達障害者であっても、対等である必要があるのではないでしょうか。

自分の恋人にお金の保管方法や使用方法を聞いたり、洋服をプレゼントしたのに着ないことに腹を立てて怒ったりするのは、正常なことでしょうか。
発達障害者の女性というフィルターなしに、一回冷静になってほしいと思います。

そしてですね、「可愛くない症状が出ている発達障害者」もいるわけです。
「清潔な服って?」「わたしが嫌われてるから退院したい!人に迷惑だから!ギャー!(パニック障害の人がうずくまる)ほら!わたしのせいでしょ(大声)」みたいなひともいるわけです。悪い人じゃないのに。悪い人でもかまわないけど。

そういう問題についてもっと掘り下げてくれたらうれしいな、と思います。

これで落ち着くといいな!わたしが!