二回目のヒプノセラピー

体調がものすごく悪かったのと、予言の力がたくさんでてきて、戸惑ったので、ヒプノセラピーにいきました。頭が痛すぎて、もげそうだし、体が重くて、倦怠感が強くて、体のあちこちが緊張してマッサージをしても緩まないから、催眠をしたら楽になるかもと思い、前日に予約しました。とれたので嬉しかったです。
また、占いの仕事をもしかしたら試しにしてみるかもしれない、という迷いもありました。
それについて、どう思われるのか意見を知りたい、というきもちもあったし、それより、自分がどうしたいのか見極める手伝いをしてほしい、わたしの心の旅に付き添ってほしいと思いました。
催眠療法のことをもっと知りたいと言う気持ちもあったし、あの深いリラックスを味わったら仕事が楽になるかもしれない、母やDV男への怒りを自分に向けてしまっている問題を見つめたら、正しく加害者に対して怒れるかもしれない、そういう気持ちがありました。そして、結果的に、過食が落ち着くのではないか、ということをとつとつと説明しました。
わたしは相手を怒らないといけないのに自分を怒っている。境界線が引けていない。だから、それができたら、過食をしなくても済むのではないかと。

セラピストは、道具として気に入ったらつかってください、信じるとかそういうことじゃなくて、つかってよかったらつかうと言うように深く考えたり分析しないでそのまま受け入れられそうだったら、そのときは縁があるってことだからつかってみると良いです、と言ってくれていたので、信頼していた。わたしのことを問題をどうするかではなくて、何が問題なのか知りたいと思えること、事実だけを見つめることができることが素晴らしいと言ってくれていた。
前回のセッションではどういうことがありましたか、と聞かれたので、おかあさんに殺され、お父さんはわたしを見つけられず、犬が見にくい姿になっても付き添ってくれて、ハイヤーセルフから、鍵と宝石をもらい、宝石は心臓の中で強さとして輝き、鍵は、自分を開示したい相手のときだけ開いて、そうじゃないときには閉じるためにもらいました、と答えました。
セラピストが、前世で、おかあさんはどうしてあなたを殺したのだと思いますか、と聞いたので、若さと美しさと才能に嫉妬したんだと思います、と答えた。

セラピーの前に、一時間雑談して、わたしの持っている願いについて話した。
わたしがどうしたら良いのか知りたい、と思っていないことを褒めてくれた。
わたしは問題をもっと深く知りたい、DVや母親に対して怒れないことと過食があること、サイキックな能力が芽生えたことについては、相互関係がある、そういう直感があるので、そこの根っこの部分を知りたいのだ、というと、褒めてくれた。

多くの人は、どうしよう、どうしたら良いのか、と言うところばかりに目がいってしまって、肝心の問題から目をそらしてしまう。だけど、人間には素晴らしい力があって、問題をしっかり認識することができさえしたら、自然とそれを解決するやり方を思いつくのだ、とセラピストは言った。
自分を信頼することができれば、問題は解決する。
問題を見つめること、そうしたら、そのときの自分が頑張ってくれるから大丈夫だと信じていれば、問題を見つめることだけに集中できるし、そのときの自分が最善のことをしてくれる、とセラピストは言った。

頭で考えていること体で感じていること心で起きていることその三つが、精妙に絡まり合っている。そのことをただ見つめることが大事だとセラピストは言った。

そのことは授業と同じなのでよくわかった。わたしは、生徒さんの点数が悪いことを気にしない。それよりも、どこができないのかを分析すること、一緒にいて、隣に座っていることだけが仕事だと思っている。隣に人が座っていて、それはどういうことなの?と質問してくれるだけで、その人は自分の力で問題を解決できる。問題を解決するための手順を自分で思いつける。どこができないのかがわかりさえすれば、それをやれば良いんだとわかって、実際にできるようになる。魔法のようだといつも思う。わからないことがわかった瞬間に、もうわかるようになっている。

それと同じですね、というと、セラピストは肯定してくれた。

今日のセラピーはこの前と違っていた。
今回はあまり深く入った気がしない。前世にもいかなかった。
セラピストは前世にいくことが目的じゃないし、大事でもない。そもそも、前世だと思っていることが本当に前世だとは限らない、妄想かもしれない、便宜的に前世といっているけれど、もちろん、確かめるすべはない。ただ、それを見るってことはそれが必要だからです。自分にとってふさわしいときにふさわしいことを見る力があるってことや、自分に必要なことを体験すること自体が大事だから、それが前世かどうかは確かめようがないし前世であろうがなかろうが、それはどうでも良いことだ、と言った。
正しい、正しくないで、裁くことから離れて、ただ、経験を深く味わうことが大切なんです、とセラピストは言った。

そのことに深く納得した。

暖かい部屋でリクライニングソファに横になると、電気毛布で足下をくるみ、柔らかく軽い毛布をかけてくれた。隣に先生が座り、暗くして、声をかけてくれる。わたしは完全に覚醒していて、眠くなかった。
目の前に浮かぶくるくるとした映像を眺めるだけにした。

眺めているものを忘れたくないです、と、先生に言うと、眺めるままにとどめておくことが大事です、忘れまいとしようとすると、力が入って、見るべきものがミラレラなくなってしまう、だから、眺めたままの方が覚えていやすいと思いますね、セラピストは言った。「今経験していることはいつでも取り出せる」と声に出していってみたら良いと思います、と言うので「今経験していることすべてはいつでも取り出せる」とわたしは言った。

わたしは、崖に取り残されていた。崖から落ちて気絶していた様子だ。わたしは八歳の記憶しかなかった。周りは暗い森だった。置いていかれたことを知っていた。喉が渇いたから泉で水を飲もうとして、自分の姿を見て驚いた。わたしは美しい十七歳だった。泉で泳いだら水が冷たくて素晴らしい開放感があった。暗い森の中で、泉の上の空は美しい星が輝いてシャワーのように光が降り注いでいた。

わたしは捨てられた、それは嫉妬されたからだ、とわかった。
魔女としての能力、若さ、美しさに嫉妬したから、わたしを殺そうとして、崖に突き落とし森に置き去りにしたのだとわかった。
わたしは太った男の人に、性的虐待を受けており、本当の両親から誘拐されて、魔女としての能力を伸ばそうとされていたのだった。

街には近づくなと言われていたけれど、もう関係がないと思った。つんつるてんのみっともないドレスのまま、ぐんぐん歩いて、街へ出かけた。なぜか方向はわかっていた。

街との敷き居の前で逡巡していると、明け方の光の中で農夫が不思議そうにわたしを見ていた。
相手はわたしに怯えておらず、しかし、わたしはみっともないドレスの自分が恥ずかしかった。けれど、それはわたしのせいじゃなかいと思って、平気になった。
敷き居をまたいでも何も起きず、そのことにほっとしながら、街をどんどん裸足で歩いていくと、セントラルと呼ばれる場所についた。白い教会が建っていて、わたしは迷わずそこに入っていった。

そこにはおばさんたちと神父がいた。神父は驚いたけれど、周りのおばさんたちがあらまあどうしたのそんなかっこうで、と口々に言って、わたしによって来た。着るものがないのなら上げましょう、タオルを持ってくるわと言って、食べ物や着るものをおばさんたちはとりに戻った。
神父はかわいそうな人を見る目で、わたしを哀れんで、「あなたは誘拐された子どもですね、あなたの両親はもう亡くなりました。よく、戻れましたね」と言った。わたしは言葉があまりよくわからなかったけれど哀れみの気持ちやおばさんたちの優しさ、世話焼きの気持ちはわかって、涙が出た。
涙は出たけれど基本的には感謝も感激もしないで、好意を当たり前に受けた。世話をする方も、感謝の気持ちを示さず、呆然とした様子のわたしには、かまわないでいた。世話をしたいからする、と言う感じだった。

髪の毛を梳いてもらい、綺麗な髪ね、と言われたときにぽっと胸があたたかくなった。そんな風に触ってもらったことなどないと思った。じんわりと暖まるような感じがした。

街の人々がわたしによくしてくれる。神父さんも教会の小さな離れに住むことを許してくれた。着るものは、街の人たちがお古をくれた。お古と言っても、今まで着ていた服とは比べ物にならない。髪も頭にぐるりと編んでから巻いて、自分が十七歳の乙女らしい姿になったのが誇らしく嬉しかった。

けがをしたおばさんに薬草を作って渡したところ、それが喜ばれた。ひらめきをアドバイスにしたり失せものを見つけたりすることが続き、そのためにお礼をもらうことが自然と増えて、それが生業になった。
魔女と弾劾するものはいなくて、穏やかな生活だった。おかあさんは不吉なものを見るけれど、わたしは、こうすれば良くなるとか、こうすれば病気が治癒するとか、そういう良いことしか見なかった。わたしはそのことをラッキーだと思っている一方で、自分の強さがそれを招いているのだということもわかっていて、自分を誇りに思っていた。

頼ったり頼られたりする関係がとても嬉しい。幸せだ、と感じていた。森にいるときには、街はともかく危険で冷たくて、今だって不幸せなのに、もっと不幸せになると言って聞かされていたから、母のために生きて来た十七年間は無駄だった、と悔しく感じるときもあった。また、母が太った邪悪な男をつなぎ止めるために、わたしの体を利用したことも許せなかった。

ある日、街で祭りがあった。わたしはなんだか恥ずかしくて、家の中に隠れていた。そうしたら、ボーイフレンドが迎えに来た。わたしは扉を開けなかったが、散々誘われて、扉を開けた。

そうしたら、まぶしい星の光のシャワーを全身に感じ、宇宙に浮遊しているような開放感と喜びを味わった。右目に強いオレンジ色の暖かい光を感じて、まぶしさで何も見えなくなった。街の人たちが笑いさざめき、酔っぱらいながら、踊っている音楽が聞こえた。
わたしは、男の子と距離を保ったまま、隣り合って立ち、顔を見ずにまっすぐ前を見て話をした。

急に村々と怒りが湧いて来た。楽しい祭りなのに、過去が邪魔をして、飛び込めない自分がいる。祭りを楽しみたい、と強く思い、楽しめないのは自分のせいじゃない、とひらめいた。おかあさんのせいで楽しめないし、十七年間も無駄にしたのだ、と思った。
怒りに震えながら、激情に満たされ、それをたどたどしく男の子に伝えたら、彼はそれをわかった、と言った。わたしの怒りを恐れなかった。わたしは性的虐待をされていた、ということに気がついた。それが何なのか、それまでわかっていなかったけれど、不意に、そばにいる男の子を愛している自分に気づいた。けれど、性的虐待を受けたせいで、わたしは、男のことを愛せないし、愛してもらえるわけがない、と思った。そのことを言いたいと思った。言えないと思った。しかし、それを言った。言った瞬間、ぶわっと鳥肌がたって、それで拒絶されてもどうなっても良いと思った。そして、受け入れられることを確信した。確信で来た瞬間の気持ちが、嬉しかったし、誇らしかった。相手を信じている、という自分の強さが誇らしかった。

わたしたしは崖の下を通って、森を歩いた。真っ暗だったが、道を知っていた。
歩いていくと、私が住んでいた家にたどり着いた。小さく粗末で汚い家で、そんな家に住んでいたのかと思った。わたしにとって、その世界が全世界だった。この世界に拒絶されたらすべてが終わると信じていた。それなのに、捨てられて、歩いていったら、新しい世界が開けた。ここに住んでいる人はそうした、冒険に満ちた豊かな世界を知らずに死ぬのだと思った。

ドアを開けると、どろどろに汚れきった不潔な台所と不潔なリビングが見えた。汚れを全く拭いていない。そうして、汚い初老のカップルが椅子に座っているのを発見した。
老婆は口から沫を吹きながらわたしをののしった。近くにいた男のことには気づかなかったらしい。男の子がわたしの前に出て行って、黙らせるように彼女を眺めると、彼女は勢いを失って黙った。
わたしは彼女を殺そうかな、と迷った。殺したいと思った。殺しても良い、と思った。女を蹴って倒して殴った。いやな感触がした。
それから、男のことを眺めた。
木でできた重みのあるものを手にした。
しかし、わたしのとった行動は、太った男のそばに行って、その男をその木でできたもので思い切り殴ることだった。側頭部を殴った。男は頭を抑えて、わたしをきっと睨みつけた。わたしはそれにかまわず二回目を殴った。男は沫を吹いて、椅子から転げ落ちて、昏倒した。

わたしはめんどくさいなと思った。殺すつもりだったけれど、殺すことがめんどくさくなった。怒りが減ったわけでも、憐れみが生まれたわけでもなく、生きている方がこの人たちにとって苦痛は長引くし、わたしが殺さなくても、必ず死ぬ。だったら、わざわざ殺さなくても良い。手にいやな感触がするから殴ることが面倒だった。

だから、男の子に、帰ろう、と言った。
帰る途中で、老婆が、わたしに呪いをかけたのがわかった。それを感じた。しかし、わたしは強い魔女だったので、呪いを返した。呪いが返された老婆は、生きたまま炎に包まれた。家も燃えた。男も燃え尽きて死んだ。
わたしは呪おうとしなければ、彼女も死ぬことがなかったのにと思った。
彼女が死んだのはわたしのせいじゃない、とわかっていた。彼女は自滅した。

燃えていく老婆のことを幻視した。
苦しんでのたうち回って死んでいく。
わたしは虚しいと思った。
彼女は自分自身で、それを選んで死んでいく。
自分でうまく立ち回れると信じていたのに、思っても見なかった方法で死ぬ。
でも、それは彼女が自分で起こした出来事で、わたしがしたことじゃない。
彼女はそれに一生気づかないで死ぬんだな、と思った。わたしのせいだと、わたしのせいにしながら、自分の力に溺れて死ぬ。

わたしはあれほど恐れていた家が、燃えていくことが不思議だった。
わたしは以前弱かった。でも、今はそうじゃなくて、捨てられたことをきっかけにでも、逃げることができて、今は一緒にいない。燃えるときも一緒にいない。愛している男の子もいる。
わたしは老婆を助けたかった。事実を指摘し続けた。だけど、助けようとすればするほど不興を買った。彼女は事実を知りたくなかったから。
それは、彼女は自分のことを知りたくなかったから。誤摩化すことに一生をつかっている人だったから。
その邪魔をするってことになってた。だから、わたしは憎まれていた。
わたしは愛していたのに。だから、助けたかったのに。

セラピストはどんな気分か、聞いた。
わたしはすっきりした気分でいて、晴れ晴れとしていた。ハイヤーセルフはなんと言っているか、と聞くので、自分で思うようにやっていたら、良いことが起きるから、好きに生きたら良いと言っていますと答えた。
規範に沿って自分を抑圧していなくても、わたしはひどいことをしないんだと、信じていて良いんだとわかった。
女らしくない自分のことが好きだし、生きる力があって、その場にあったことをその場で考えて実行するところが素晴らしいと思った。
セラピストは、人を殺さない理由が、規範に沿って。悪いことだからとかじゃなくて、あくまでも自分の都合で考えて、結果的にそれが良い洗濯になっているのが面白いですね、と言った。

過去のわたしと今の私を切り離してください、と言われた。
そして、過去のわたしは今の私に何を言っていますか、と聞かれた。
過去のわたしは自由にすることがうまくいく、あの男の子は今の彼氏だから、大丈夫何を言っても受け入れると言っていた。
そして、過去のわたしは、消えるか、今のままつきそってくれるのか、とセラピストが聞くので、過去のわたしに聞いてみたら、過去のわたしが消えるのは金色の右目から入って来た光にとけ込むのは、今の私ととけ込むときと同じときだと言った。それまで、寄り添うわけではないけれど、わたしの中に溶け込んでいるから、そういう形でサポートすると言った。消えないし、今のまま付き添うわけでもない、わたしの中に入って溶け込んで一部になる、と言った。
わたしは自由で気ままで、他人の善意をそのまま受け入れる彼女のことが大好きだったので、嬉しいと思った。
倫理観のために行動するのじゃなくて、自分の都合だけを考えて行動するのに、結果的に優しいことをしたり、結果的に、法を破ったり、人を傷つけたりすることを選ばない彼女のことが好きだし、都合がいいと思った。

帰りにフラワーエッセンスを調合した。

抑圧された怒りを解放したり、自然とのエネルギーを調和させたり、新しいことを始めるエネルギーについてのものだったり、自然からの愛のエネルギーを自分の中で循環させたりするエッセンスを選んでいたことが不思議だった。

フラワーエッセンスが効くかどうかは大事ではない。信じるかどうかも大事じゃない。
ただ、それが邪魔にならないか、道具として役に立つかが、大事だとセラピストが言った。
なんでもありだから、と言った。

わたしはそれに納得した。

アロマオイルを買った。アロマのディヒューザーは高かったので、レンガでできた石を買った。それにアロマオイルをたらして香らせる、というものだ。
つかってみたら、安いし、思っていたよりも良く香るから枕元に置くのに良いなと思った。

今、アロマを漂わせている。頭がすっきりした感覚がする。今日はアルバイトを途中で休んで帰った。代わりの人が来てくれた。感謝した。人に恵まれていて、うまくいっている。嬉しい。

いつもいくマッサージ屋さんに、塩を置いた方が良いとアドバイスしてから、お客さんが二倍に増えたと言ってくれた。
昨日いったら、ねたみを買っているから、右足の薬指から恨みが入って来ているから、白檀かムスクのコーンタイプのお香を朝十時に炊くと良いよ、と教えた。十時から始業開始の祈祷師にねたみを買っているから、腰から下がひえているはずだし、首の後ろが痛いんじゃないかって。だから、右足の指を曲げることで、おなかが楽になるよ、と言って伝えたら、その通りだと言って喜んでもらった。マッサージ屋さんに、白檀とムスクのお香をプレゼントする夢と、マッサージ屋さんの患者さんを紹介してもらって、売らないをする夢を見た。だから、それらの買い物をした。そしてプレゼントした。わたしが勝手プレゼントするのが大事なことらしい。
赤い椅子と座卓を買った。普段なら迷わずブラウンを選ぶのに赤でしかなかった。恐れを感じた。自分ではないみたいな選択の仕方で、間違ったことをしてるのではないかと、言う気がした。でも内なる声はとても頑固で譲らない。
どきどきしたけど、必要なものだからいいやと思った。
最近、不思議な世界で、感覚をたよりに生きているのだけれど、なかなかうまくいっている。
仕事もうまくいっている。

占いの話を彼氏に話した。
彼氏は話してくれて嬉しい、ありがとうと言った。
分かりにくい話だから、隠しておこうと思ったんだけど…、あやしいし、信じてもらえなくても仕方がないし、と言ったら、信じるとか信じないとかはどちらでもよくて、c71ちゃんがそう思っていて、そうしたいと思ってるんだから、そうすればいいさーと言ってくれた。それでお客さんが来て喜んでもらえるんだったら良いね、と言ってくれたので、喜んでくれそうな人だけ見る、と話した。
そして、役に立てたら嬉しいと話した。
最初のお客さんは、マッサージ屋さんに付き添ってもらってするのが良いね、と話した。

見る、ってどんな感じ?と聞くので、目で見たり耳で聞いたりするのと同じ感じ、でも、目も見えにくいときがあったり耳も周りがうるさかったら聞きづらいことがあるのと同じように、見えにくいときがある。
そして、目で見えることを証明したり説明して信じてもらうことってわざわざやらないのと同じように、当たり前に見えるし、だからといって、説明できないと話した。耳で聞こえる音のことを言葉で説明してわかってもらおうとしても、そんな音が聞こえるわけない、と言っている人に、できる説明ってひとつもないでしょ?と話したらわかってくれた。

わたしは便宜上占いといっているけれど、どちらかというと、透視や予言に近いと思っている。
だれかがだれかのうわさ話をしているとき、話題になっている人の姿や生活や性格、人間関係でもめていることなどが見えるのだ。
だから、それをそのままいって、何かしてあげることってほとんどできないんだけど、それでも良いし当たらなくても良いと言う人にアドバイスしたいなと思ってる。それは塾の仕事と似てるなとも思う。自分でなんとかする気がある人にしか、アドバイスって役に立たないし、できることってほとんどない。
でも、やってみたいのは、自分の力がある、ってことは伸ばして、その先を見てみたい気持ちがあるから。
だから、やってみようと思う。
そのために、ヒプノセラピーにもう一度いった。
今回は前世は見えず、自分に都合の良いストーリーだけが見えて、自分で作ってるんじゃないか、と思った。
でも、それでもいいらしい。今の自分が必要としている体験をした、ということだとセラピストが教えてくれた。
今回の経験には今の自分が必要としている体験が含まれているらしい。
その話の中では、占いにチャレンジすることは良い兆しがあったので、やってみる勇気がわいた。

三時半からのセッションで、二時間の予定だったけれど、六時半までかかった。
催眠状態が深いって、感じはなくて、完全に覚醒して、この前よりもかかっていないな、と思っていたのだけど、時間のすぎ方が違っていたので、やっぱり、深くかかっていたのだな、と思って感心した。
すごく不思議だ。

c71の著書

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二回目のヒプノセラピー」への2件のフィードバック

  1. ここ数週間ヒプノセラピーに興味があり調べていて結局体験みなければわからないよなと思いつつ躊躇している者です。体験を拝読していてやっぱりヒプノセラピー受けてこようと思いました。過去生があるのはうすぼんやりわかっていてもう少しはっきり見たいし私が生涯をかけてやるべき仕事に携わるためのヒントを得たいのです。

  2. ヒプノセラピー相性もあると思いますが、食べないケーキの味がわからないのと同じでやらないと合うかもわからないと思います。
    やってみても、失うのは、お金だけだから、おもしろがるような気持ちで受けると深く味わえると思います。

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