やるのか、できないのか、の抑圧を手放す試み

頭がもげそうなくらい頭痛がする。
からだがだるいを通り越して痛い。
重い。神経がぴりぴりして眠れない。
やることがたくさんあるような気がして焦ってしまう。焦っているけれど休みたいとも思っている。休みたいけれど焦っているから休まらない。

わたしは戦っている。
自分の中で戦っている。
だから、疲れている。
どうしたら、戦いをやめられるのかわからない。
藁にもすがる気持ちで、アロマに頼っていて、確かに少し気分は良くなるけれど、焼け石に水だ。

わたしはこの半月、静かに節約生活を送っていた。しかし…、二月十八日以降それが無理になった。
からだに異変が起きたのだ。起きるのも眠るのも億劫で、縦にも横にもならない。土下座していたい気持ち。

働くのは働かないといけないから、マッサージに毎日通っている。お金もバカにならない。だけど、お金を使ってお金を稼いでゼロになるのと、仕事に穴をあけてゼロになるのだったら、誰だって前者が良いと思うだろう。布団に入ってもイライラして眠れない。

眠くなってから寝るようにして、睡眠薬も直前に飲んでいるのに、二時に目が覚める。うとうともしない。

だから、昨日ヒプノセラピーに行った。セラピーの後に仕事をしていたら、圧倒的な眠気が襲って来た。久しぶりに眠くなった。頭の芯がいつもぴりぴりと熱くて、張っている感じだったのが、少し和らいだ気がした。

昨日はブログを書いてから寝ようと思ったのに、書く前に寝てしまった。寝る前に思ったことは、掟からもヒプノセラピーで起きたことを覚えていられるか、だった。

今日はバイトに行ったけれど、具合が悪くて早退した。でも、快く変わってくれた人がいて、明日も休んでいいよと言ってもらった。

皮膚科の病院にも行った。具合が悪いから行くのが不可能だと思ったけれど、ちゃんと行けた。
薬屋さんにもよれた。薬屋さんでだるさと頭痛について相談したら、ワコン Mゴールドという五黄の入った漢方を勧めてくれた。緊張を緩ませて体内の流れを良くしてくれるらしい。

昨日のセッションでも、怒りを抑圧していて、抑圧をやめたらどうなってしまうのかを恐れて、抑圧をやめられないでいる、という葛藤が現れていた。破壊神になってしまうのではないか、という恐れがあるのだ。

昨日、無理をするのをささやかにやめてみた。
夕食を作らないで寝ていた。無理をしたら作れるかもしれなかった。でも、やめた。断っているのがしんどかったから。そうしたら、恋人が夕食を作ってくれた。

無理しないってこういうことなのかなと思った。やめるってこと。やる気がないんじゃなくて、やりたくないのでもなくて、できない、って思ってしまうこと。
甘えだろうと甘えじゃなかろうとどっちでも良い。甘えがダメだなんて誰が決めたんだろうか。

抑圧をやめても、わたしはセッションの中で人を殺さなかった。

焦るのをやめても、わたしは怠け者にならないんじゃないだろうか。

わたしは怠けたい気持ちと、焦る気持ちで引き裂かれて、休むことも働くこともできなくなっている。ちょうど中間で止まっている。思い切って休めとは良くいわれることだけれど、わたしはどちらもできなくなってしまっている。

わたしは、今は、しばらく、やりたくないのか、やる気がないのか、と自分を責めるのをやめる。
全部、できないから、しない、って決めつける。思い込む。それで、ダメならダメで仕方がない。

できないから、しない。そういう選択をする。
それで、様子を見てみて、ダメだったら、また考えを改めて見る。試しに、抑圧を手放してみよう。

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やるのか、できないのか、の抑圧を手放す試み」への2件のフィードバック

  1. 睡眠薬は体が冷えます。
    なにか湯たんぽのようなものや、
    ぬいぐるみなどあたたかい気持ちに
    なれるものを。
    いつもすばらしいお話をありがとうございます。

  2. ホットミルクに蜂蜜を入れてしょうが、シナモンをふって飲みました。
    湯たんぽも入れて葛根湯ものんで、ワコンとじゃっこうを飲みました。
    それで、少し眠れました。

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