不安を抱える

不安だ。
最近は家に閉じこもってばかりいる。
不安なのはどうしてなのかわからない。
気分の上がり下がりは、自分の意識ではコントロールできない。
ただの気分なのに、わたしを左右する。

不安を人のせいにする人もいる。
「あなたがこれをしてくれないから、わたしは不安になった」と攻撃する人だ。
そういう人は「自分がこうしてきたから当たり前のこと」を他人にも求める。
わたしは空気を読めないから、知らないうちにそうしたルールを踏んで失敗してしまう。
とくに、コミュニケーションの暗黙の了解みたいなものは、わからないんだと、今日も痛感した。

不安になるのは、ある程度は自分の問題だから、自分で抱えるしかできない。
もちろん、パートナーに話したり、友達に話したりはする。

それでも、やっぱり、わたしの中に巣食う不安は消えない。

どうして、今日、こんなにも不安なのかわからない。

今日は友達と毒親の話をした。
毒親は、相手がほしがっていないものを押し付けて、感謝しろと迫る。
でも、いらないものだから、感謝できない場合がある。
表向き感謝して、後で捨てればいいのだけど、そういう風にできない時期があったなと思った。

親が理不尽なことをすると、相手に対話を求めてしまう。
でも、親は対話を求めていない。わたしが受け入れるのを当たり前だと思っているから、対話を求める時点で、逆上されてしまう。

そういうことを思い出した。

親と離れて何年もたつのに、ちょっとしたことで思い出す。
毒親は、勝手にいろいろなことを決める。
わたしの住む場所も決めた。出ていく時期も決めた。
それに従うしかない、弱い時期があった。

今は違うんだから、不安に思う必要なんてないのに、でも、人の評価で、左右されている自分がいる。

不安だから人を攻撃する人と違わない。

不安を抱えて、それを明日目覚めたときに忘れられていたら、どんなにいいだろう。
太陽が昇れば、何もなかったようになれば。
明日は明日の風が吹く、といえる強さが持てればいい。いや、持てるようになる。

不安を抱えて、明日の朝を待つ。

c71の著書

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