新しい教科を教えたことやできたこと

アトピーがひどいので、走れないなあと思ったので、スクワットを三十回した。すぐ終わった。
これなら、数分で出来る。だから、毎日出来ると良いなあと思う。やるまでは、必死だけど、実際にはたいしたことがない。本当に、ちょっとした、えい、という気持ちさえあれば、運動できる。時間も準備もいらない。気持ちだけだ。何も考えず、習慣にしたい。
また、体重が増えだしたので、運動したい。

ぼんやりしていたら、「走りたい」となぜか思ったので、そのままのカッコウでスニーカーを履いて走った。久しぶりなので、前に走れた距離で息が切れてしまった。すぐに元に戻るんだなあと思った。
走った後、汗をかくのは、気持ち悪いけれど、シャワーを浴びるのは気持ちがいい。
からだも温まるし、悪い気分もなくなって、なんとなく、満足するというか、幸せな気分になる。
幸せな気分は儚いから、なる、ということを強く認識しないとふわっと消えてしまう。

でも、走られて、すごく、すごく、嬉しかった。空気は雨上がりでひんやりとしていて、曇り空で爽快だった。ジャスミンが咲いていた。植物を育てるのは楽しい。ガーベラが、すくすくと育って花を次々に見せる。

この前、地学を教えた。勉強したことがないと思っていたけれど、普段から読んでいる本に載っていたり、大学で習ったことが書いてあったので、高校では習っていなかったけれど、教えられた。
ようするに、言葉がわかっていて、表や図の読み方がわかっていて、説明できれば、それでどの科目も教えられるらしい。
難問を解いてくれと言われることはほとんどなくて、わからない言葉の意味や解釈や定義を聞かれることがほとんどだ。

昨日は古文と現代文をはじめて教えたけれど、それもかなり良く出来た。
思っているより、人は、現代文を読めないんだなあ。
構造と言葉の解釈、比喩を説明した。まさか、それがわからないとは昔知らなかった。
でも、難しいことをさせるよりも、地道に、音読しながら、文章を読解していくと、それで、自分で解けるようになる。

現代文は、「聞かれていることに答える」「キーワードを入れる」ことだけを気をつければ、どんな記述でも読める。
序論、本文、結論の構造を教えて、段落ごとの機能や関係を読み取らせたら、どこに何が書いてあるのかが、わかるようになって、記述が出来るようになるし、論旨もわかる。

古文は文法の、見分け方を教えた。
助動詞と、動詞の区別がついていなかったから、まずはそこから。
名詞+なりだと、動詞だか、助動詞だか、わからない、ということだったので、単に、意味でわかるよ、と伝えた。動詞は動作を表しているから、動作なのか、そうでないのか。動詞が他にもあれば、補助動詞と動詞の可能性もあるけれど、助動詞の可能性もあるとか。

教える前は、難問を代わりに解かないといけないと思っていたけれど、そうではなくて、言葉の定義や意味や解説がほとんどだ。答えを見ながら、その答えの意味を教えたり、どうして、そこに「よって」がないといけないのか、解説したり、素朴な質問に答えることがほとんどで、大きなことは聞かれない。
それにプラスして、ちょっとした、トピックを教えて気分転換させる。

これで、わたしが教えられるのは、物理、地学、生物、化学、数学、古文、現代文、ということになった。
化学と、生物、あと、世界史と日本史もできるようになりたいなー、と思う。
英語も少しずつやっている。
出来ない子には教えられるけれど、センター対策はまだまだだなあ…。悔しい。
高校生に出来ることだから、わたしにもできる、と思っている。
勉強は、あたまが変になってから、すすまないけれど、多重人格が統合してから、本が読めるようになったから、頑張ってみよう。

接客はまだまだだし、人にいい印象を与える服装も出来ないけれど、勉強は、まあまあ、できる。勉強はまあまあだけど、教えるのは得意だ。
できなくても、教えられるから、そこは自信を持ちたい。
自活できていることも、自信にしたい。
当たり前だろ、という心の声よりも、できていることの喜びに耳を傾けたい。

今日は、とにかく、書類を書かないといけないな!


c71の著書

スポンサーリンク
広告

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください