性嫌悪ではなく、主体嫌悪

女をもの扱いして、性嫌悪を克服しようとするもくろみは、失敗している。

性嫌悪ではなく、女が主体になることの嫌悪であり、自分が客体になることを、恐れていると言うこと。

女が性欲を持つことを恐れるのは、自分が普段性欲を発揮することイコール他人をもの扱いしていることだから、自分がそれをされるのが嫌だというだけのこと。

加害者が変わってくれたり反省してくれることを切望する気持ちがある。
だから、わたしは判断が狂った。

誰ももの扱いされてはいけない。
してはいけない。

もの扱いすることで、克服できることはなにもない。
それは新しい加害に美しい名をつけただけ。、

c71の著書

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