大人になってから自分で自分を療育する

甘えだと言われることが多い。
困っていることをわかってもらえない。
自分でも困っていることを、分別できない。
だから、本を読んで調べて、自分の困っていることノートに毎日記録して、言語化して、まとめて、解決策を考えてきた。

診断が下りてから三年で、いろいろ改善した。

服装のことは、コーディネーターに尋ねて、一緒に買い物に付き添ってもらう。

肌に優しい服のことは、友達に教わる。

家事や収納は、ヘルパーさんに相談する。

メンタルヘルスは、精神科に相談する。

さみしさはブログで補う。

スーパーはなるべく行かないで、宅配、ネットスーパー、ヨシケイ、などを利用する。
日用品はドラッグストアのほうが整然としていて静かだからそこで買う。

お店自体が苦手だからネットショッピングをする。

ブランド品は古着で買って、しぐさが雑ですぐボロボロにしても惜しくないようにする。

自閉症の親御さん、ツイッターで見かけると「こんなにしているわたしはえらい」になっている人もときどきいる。
わたしは、親とのかかわり方が特殊だし、自閉の人は親との愛情の形成や理解に苦労する人が多いから、親御さんの認識と子供の認識は食い違うだろうと思う。大人になればなるほど。そのとき手放せるかどうかが勝負だと思う。
愛情を感じていても、親御さんが必要としている形では、子どもは愛を返せないから、距離をとることになる場合もあるだろう。

そういうときに、いかに行政を利用できるかが肝だ。

社交はだんだん上達する。

掃除はロボット、片付けはヘルパーさんに頼むと感覚過敏による困ることも減るし、ヘルパーさんとの会話は徐々に他人と話す練習にもなる。
掃除をして、快適になることを学ぶことはわたしにとって大きかった。

本を読んで、現実の人の考え方を学んだ。ネット上の友達に常識を聞いたり、整体に通って、お話を聞いてもらったりしている。
そういう風に工夫している。

精神科の先生は「工夫が大事」だという。
自分のことや、性質は変えられないけど工夫によって快適にできる。
快適にするという概念がなかったから、それはすごく励まされた。

とにかく、工夫したい。
そのためにはお金が必要だから、頑張って働く。
働けることが一番わたしの財産だ。

療育を頑張っている親御さんは、偉いと思うけれど、子どもに感謝されることはないかもしれない。
当事者であるわたしはそう思う。そして、療育されなかった、大人の当事者も絶望せず自分を療育してほしい。
前こういうことを書いたら「子供の療育は必要ないってことか」「療育が必要なのかそうじゃないのかどっちかよw」と自閉症の子供を育てている親御さんに嘲笑されたし、「あなただって育てにくい子供だったはず」と言われたりした。
そのことはすごく傷ついた。
自分の子供のことに一生懸命なのはわかるが、当事者をつぶしに来なくてもいいのにと思った。

療育は大事だ。それは当然だけど、自閉症者が、健常者に合わせるということだけじゃないはずだ。
工夫していって、暮らしやすくなれば、合わせられないところがあっても大丈夫だ。
ただお金を稼ぐ手段やメンタルヘルスだけには気を配ってもらって、行政とつながっていたら、わたしは生きていけると思う。

残念ながら、みんながそうとは言わないけど、自閉症当事者と、その親御さんとは立場が違っていて、場合によっては対立することを知っている。
親切のつもりで、わたしが書いたことが、親御さんたちの気に障って、大騒ぎになったこともある。
そういうことは今でもつらい。

もちろん、親御さんでわたしのブログを読んでいて、参考になったとコメントしてくれる人もいるから、ぜんぜん、みんなそうじゃないって知っているんだけど。
頑張りすぎると人っておかしくなるんだなと思ったことだったよ。

ほんとうに悪口を毎日書かれたし、ブログにコメントしてきた人もいたし、嘲笑されたり馬鹿にされたり、「自分の頑張りを否定するのか」「親のつらさをわかれ」みたいなことを書かれた。
立場って違うんだなと思った。

わたしの困っていること、当事者の困っていることは、親御さんの「この子育てにくいけど頑張っている私」とは違うんだなと思う。
仕方がないけどつらいとも思う。もちろん、みんながそうじゃないとはおもんだけど…。

親御さんの「この子のことはわかっています」というのは尊いと思うのだけど、その子の友達を作ることを阻害すると思うし、失敗を奪うと、結局親御さんのもう正解を当てるゲームをやらせることになりやすいので、ほんときをつけないと危ないと思う。

親御さんの存在が濃ければ濃いほど友達はできにくい。
人間のことで失敗を繰り返さないと、友達はできない。
騙されたり盗まれたりしないほうがいいのには決まってるけど、でも「必要」なことだったりする。
親御さんが生きていて見ていられるうちにそういう経験をさせたほうがいい。
それには「わかってます」は違うと思うし、実際問題、子どもといえども他人だからわかることはできないと思うんだよね。

当事者じゃない友達が、わかってくれたり、カミングアウトしてない友達がわたしの性質に配慮してくれたりする。
だから、知識の浸透も大事だけど、そうじゃなくて、いたわりや思いやりってすごい大切なことだと思うし、助かる。

親が、「この子のことなんでもわかっているし、伸ばしていけます」と思うことは危険な気がする。がんばりすぎは何事もよくない。
自閉のことを伝えてなくても配慮してくれる友達もいるから、それに親は先に死ぬから、わたしは友達のほうが大事。

c71の著書

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