ばれなきゃいいと思っていたのが直ってまともになりつつあるらしい(だといいな)

わたしは今日、整体の先生に、「変わった」と言われた。
それは「わたしの周りの人が昔に比べていい人が多くて、とても親切なまともな人ばかりになったので不思議だ」と言ったら、「c71さんが変わったからだよ。ずいぶん変わったよね」と言われた。

どこがですかと言ったら、「言いにくいなあ」と言われて、「傷つく感じですか?」と聞いたら「前はばれなきゃばれないでいいと思ってたよね」と言われた。

ああ、そうか、と思った。嘘を積極的につく気はなかったけどいつ、自分の嘘がばれるかドキドキしていたことを思い出した。
自分の失敗を嘘で丸め込んで、自分で自分を苦しめていたと思った。
そういう意味ではずいぶん腑に落ちた。

「嘘つきと今までよく会話できてましたね」と聞いたら、「やっぱかわいげがあると、会話しててもいいと思うし苦にならないし、いつかかわると思うし、何かあったら優しい言葉をかけたりしたりしたくなるよね」と言われた。こういう風に文字にするときついみたいな気もするけどそんなこともなく、納得した。

そうか、わたしは今まで嘘つきだったから、嘘つきの人間関係にいて、いつ嘘がばれるかはらはらしながら生きていて、しかもそれは全部ばれていたんだなと思った。

頭がおかしくなってから半年くらいたつけれど、頭がおかしくなったんじゃなくて、まともに近づいているんだ。

嘘つきのころは、嘘つきと知り合う。ばれなきゃいいを許す人はやっぱり嘘つきだからだ。嘘を気にしない人は嘘つきだ。
嘘に気が付いていても、わたしが育つことや変わることを待ってくれている人はいい人だ。

最近できた友達はとてもきちんとしているし、親切で優しい。利害を関係なく付き合ってくれる。

子どものころから、家族に関する嘘を強制されているうちに、嘘についての倫理観がなくなってしまった。
でも、それはやっぱり間違っていることだった。そして、自分で気を付けて直せる様になった。育ちは大きいけれど、自分で直せる部分もある。魔がさすときや運もあるけれど、わたしは正直者に近づいてきた。

嘘をつくと、自分でその嘘を維持するために、嘘を守らないといけなくなる。それはとても不安だ。つじつまを合わせるために奔走することも苦しい。そして、嘘はばれるものだし、ばれた嘘を飲み込んで付き合う人はやっぱり嘘つきなのだ。
嘘つきを切り捨てる人は正直だ。正直な人に切り捨てられていたのだなと思う。

わたしが嘘つきだったのは、どうしてなのかわからない。親にうそをつくように強制されたこともあると思う。だけど一番の理由は弱かったからだと思う。本当のことを言ったり本当の自分を言って、拒絶されることが怖かったから、嘘の自分を出して、もっといい自分を見せて、それを拒絶されたら仕方がないと思いたかったんだろう。

でも、本当の自分はそんなに悪くないし、そもそもバカを出したって、バカなことは別段悪くない。

今まで長い目で見守っていてくれた人には、感謝の気持ちしかない。
わたしは確かにばれなきゃばれないでいいと思ってずるをしていた。そういう姿勢はところどころに出ていて、まともな人を遠ざけていたのだろう。

頭がおかしくなったと自分では思っていたけれど、どんどんまともになってると言われて、驚いた。
これがまともってことか。
まともって楽だなあ。
そのままの自分でいることで、人に受け止められるんだから。このほうがずっといい。

c71の著書

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