フェミニストには知識がいるか

フェミニストをするのには知識がいるか。ああ、いる。必要だとも。

「女性差別がある」それだけをいうために、ミソジニーの人たちに「データを見せろ」「そんな言い方ではわからない」「言い方が悪い」「筋が通ってない」「感情的だ」と言われるからだ。

根拠を求められる。
根拠がないと、ミソジニーの人たちには納得していただけない。
サービスのために、こちらは、「わかって」もらうために、労力を割いて、調べ、今までもこれからもフェミニスト同士は、お互いに知っていることを融通しながら戦うだろう。
戦うための武器として知識が必要だ。

戦わないでいても、心に火をともしているだけでもフェミニストだ。知識は武器としてあればいいけれど、日常の中で、違和感に気づいていければ、生きていける。

フェミニストに、男性はなれないか。
そんなことはない。

女性とかかわることがあって、自分のこととして受け入れることができれば、男性もフェミニストになれる。
フェミニズムは、女性だけのものじゃない。

知識がなくても心意気があれば、変わっていける。

妻や、娘、母がいたら、今の世の中が、女性を軽視していることに気づくだろう。
いろいろな問題があり、尊厳や人権を侵害されていることに気づくだろう。
そのとき、「気のせいだよ」というのか、「確かに、世の中がおかしい」と言えるかの違いが、身近な人はわかってくれていることが、お互いの心の中を温めてくれるだろう。

マジョリティ男性は、差別のことを考えなくても生きていける。
あなたは、差別していますよ、と言われたとき、「指摘されたことで傷ついた」とも言えるし、「女性差別なんて存在していない」とも言える。

そうすることで、傍らにいる、女性の人生を理解しないでいることも、できる。
理解したくないなら、理解してくださいとは言えない。

言っても、意味がない。
理解したくない人を強引に変えることはできないのだ。そして、それをしてもいけないのだ。

わたしのためじゃなく、傍らにいる女性たち、生活の中ですれ違う女性たちの人生や、生きにくさ、つらい思いを考えて、そして、自分がしてしまっていることを減らせないか、考えてほしいのだ。

何かをしてほしいなんて言わない。言えない。でも、してしまっていることをやめることはできるんじゃないか。
それさえも難しいというのなら、もう、戦うしかない。

c71の著書

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