男にはちんぽがある

男にはちんぽがある。

ありていにいえば、ちんぽがあるから、男は支配階級であり、そのため全能感に浸る。それを揺るがすものは許さないばかりか、揺るがすものを傷つけ支配しなおすことで、さらなる全能感に浸るのである。

男が男であると最初に認められるのは、誕生の時点である。そのとき、取り上げた医師によって、赤ん坊は男になる。彼が男であると認識されたのは、股の間になる一つの臓器によってである。その臓器は、長じるにつれ、社会的なシンボルに成長する。

男であるがゆえに優遇される。男であることを保証するのはちんぽである。彼らにとって、ちんぽがあるかどうかは、仲間として認められるかどうか、とても重要なことなのだ。

だから、男は、いつでも「俺にはちんぽがある」ということを誇示したい。

彼らが社会的に優遇されているたった一つの根拠が、「ちんぽ」にあることを彼らはよく知っている。

彼らは、本当のところ、女性がどんなに悲惨な人生を歩んでいるのかどこかで知っている。だから、絶対に、女と思われないようにふるまう。それがたとえ、ネットの世界であっても。

彼らが女としてふるまう時もある。いわゆるネカマは、彼らがちんぽを誇示していることと矛盾しているように思える。しかし、それは、彼が男である現実の人格と、直結しない場であるときに限られる。体と人格が同一の場で、彼がもし「女のよう」だとみなされると、彼はそのコミュニティで最下層になる。

 

 

彼らは、ちんぽによって「全能感」「支配階級」を感じているので、それがもろいことも知っている。

それを補強するために、性暴力や、常に公共の場に提示されるポルノを必要とする。

彼らは、女を憎みながら、彼が支配階級に居続けるためのいけにえとして、女を必要としている。彼にもしモノにした女がいなければ、彼は不完全な男としてみなされる。彼はそのとき女を憎む。そうした状況に陥るのは、「モノにならない、拒絶する女が悪い」と思い込む。彼らは支配階級に属したいので、支配階級に反抗することは思いもよらないのだ。

男が男であるためには、ちんぽがあるだけでは不十分である。ちんぽを入れる容器としての女が必要なのだ。

男は、女を劣ったものとして規定してきた。それは、学問の世界であっても、思想の世界であっても、家庭生活であっても、経済世界であっても、どこであってもだ。

それは隅々にしみわたっている。

性犯罪は、女を蔑視し、憎むことで発生している。彼らは自分の力が通用するのか確かめるために、女の体を使い捨てる。女に人格があって、それが傷つくことで、どれだけ苦しむのか、考えもしないのは、彼らにとって、人間とは男のみを示すからである。

 

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男にはちんぽがある」への1件のフィードバック

  1. お世話になります。

    ちょうど昨日、別件のおっさんウザ絡み系バトル(ベルクほか2件くらい)で、
    “何かにつけ因縁つけて食って掛かってくる業界おっさん系の人は「仕事で行き詰まっている」「チ◯コ立たなくなった」のどちらかだと思ってます。”
    と書いたところでしたw

    他に思い当たる人というと石原慎太郎氏が居ます。彼も男根主義者でしょうね。ですので晩年のウザ絡みや、ことさら「ばばぁ」発言をしてたのも、上記の後者に当てはまるだろうと思ってました。男性のコンプレックスはこじらせると相当やばいというのが自分の感覚ですね。気をつけたい。

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