偏見をなくすのは難しい

疲れてしんどいときは、お風呂に入って、スクワットをして、アロマを焚いて、ストレッチをするといいみたい。
整体に依存していたから、ちょっとそれを変えたいと思う。

時間はあるんだから、自分をいたわりたい。精神的につらい時には薬を飲もう。

偏見をなるべくなくそうと思いながら生きていた。
でも、実際には、おごっていて、難しいところがある。
自分の心をいつも認めていて、他の人を尊重する気持ちがないとできない。

自分の心の動きをなるべく正確にみて、それが、人を傷つけないことが大事だ。
そう思って生きていたけれど、社会から植え付けられた偏見をなくすのはとっても難しい。

人を記号のように見たり、割り切ったり、決めつけたりすると、一見、スムーズに社会生活を送れる。
でも、心の中に恐れがたまっていく。
どうしてかというと、自分がいつ差別されるか不安だからだ。

だから、偏見をなくさないといけない。

自分のために何かするほうが、他人のために何かする動機が強いから、自分のために自分の中の偏見をなくしていきたいと思う。

それでも失敗する。
失敗したからと言って、当事者の人に正解を教えてと言ってはいけない。
自分で努力して、調べて、考えていかないといけない。
自分を壊すのに似ている。
自分の信じていたこと。でも、それって、本当に自分のためになっている信じていたことなのかを疑わないといけない。
人に合わせるために、信じていたことが自分の心を狭くしているんじゃないかって。
自分の気持ちが狭いと、結局は見えないものが多くなる。

そう思って生きているけど、わたしには偏見がある。
考えていると、文章にすると、その失敗が人の目に見える。
そうすると批判される。批判されると悲しい。
でも、目指すことがあるから、偏見をなくしていきたい。
それは、世界を変えるってことじゃなくて、自分を変えること。
自分を変えるのは難しい。
それで困っていたとしても、現状維持は、楽だから。
楽に流されると、苦しむって原理を最近ようやく知ったので、だから、わたしは偏見をなくしたい。

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