デリヘルは違法ではない

はてこさんがデリヘルを呼んだという記事を読んで、はてこさん、いま大変な状況でしんどいときに呼べてよかったなと思っていたら、法律違反を助長していると言っている人がいてびっくりした。

 

最近取り込んでいて、頭が働かず「この人が言っているなら正しいんだろう」「この人にああいう風に言われたら面倒くさいから黙っていよう」みたいな風に思考能力が落ちていて、人に合わせる頭になっていて書く気がしなかった。

人にあれこれ言われるのが嫌すぎる。書かなきゃいい、読まなきゃいいという人はいるが、一度見えてしまったことは消えないのだ。

 

デリヘルについてだが、デリヘルは違法ではない。届け出がされていれば。

性行為がなかったとのことなので、なおさら違法性は少ないだろう。お互いにサービスの内容について合意していて、そのサービス内容に違法性がないのに、どこにどんな問題をみつけるんだろう?

「マッサージをしてもらった」という風に書いてあったため、「マッサージを無資格の人にしてもらうのは、違法だ」という人がいるのらしい。

でも、リラクゼーションサロンが広告で「マッサージ」「治療」と書けば、違法かもしれないが、利用した客が「マッサージを受けた」と言っても別に日常の範囲だろう。

だいたい、その人たちははてこさんにだけ言っているんじゃないだろうか?たまたま目に入ったから伝えていると本人は思っているだろうけれど、デリヘルを利用する男性、いっぱいいるじゃないか。デリヘルも回春エステも男性に対してのサービスだ。それらの広告に対して違法だと言っているのか?ネットやってたら絶対一回はそういう広告を目にするはずだけど、そうしたときに、毎回警察や広告媒体に通報してる?

 

女性のはてこさんがデリヘルを利用したと公言したから、なんとなく悪いみたいに感じて、でも、言語化できないから、とりあえず「違法」っていってるんじゃないか。別に違法じゃないんだから、なんで違法って言ってるかわからない。

いや、本当はわかってる。気に入らないんだよね。

「女性」が「男性向けのサービス」を使ったことと、セックスワーカーへの差別が複合している。

 

差別って、単なる嫌悪とか侮辱とか叩きとかじゃなくて、社会的な差、権力差が構造上存在しているときにいうんだけど、女性と男性の扱われ方が違うってことがここでは表れているから、これは女性差別だと言える。

 

 

わたしがヘルパーさんを頼んでいるということにいい顔をしない人はいっぱいいる。同じ問題だと思う。根っこが同じ。人に楽をさせたくない、いい思いをさせたくない、自分よりも得をしていることが許せないんじゃないか?

ヘルパーさんを頼むことで別に得はしてない。健康に産まれている人のことをいちいち得しているねって思わないけど。それと同じことで、できないことがあるから、できないなりに工夫している。「できないなりの工夫」の一つに、福祉を使う選択肢があった。使うとこうなる、って書いた。その情報が役立ってうれしいって言ってくれた人もいたし、そんなの公表するべきじゃない、たたかれるのが嫌なら黙ってればいいって言ってきた人もいた。

 

「工夫」って私が読んでいる行為の一つが、はてこさんの場合はデリヘルを呼ぶ、ってことだったんだろう。

たとえばわたしは今日朝から泣いて、同じことをひたすら繰り返して言ってたりして、全然動けなかった。体が動かない。頭も回らない。水飲むのも難しいって感じだった。そういうことが、全然ない人と、「たまに」ある人と、一週間の半分は必ずある人の生活の工夫って同じわけがない。

 

福祉を使うのは準備も必要だったり、家族の理解も必須で、届け出ても承認してもらえるとは限らないので、必要でも使えない人が多い。

そして、人に頼みたいときって誰に頼むか考えること自体出来ないくらい体力と思考能力とが落ちていて、段取りができないじゃない?

そんな中で、デリヘルって思いついたのは賢いと思った。

わたしの場合は、役所のケースワーカーに、理解がないため、近頃嫌な思いをした。二週間前にケア会議があったんだけど、わたしの話を全く聞いていなかった上に、暴言を吐いた。それで、わたしは過呼吸の発作を起こしたという事件があった。(担当部署と広報に伝えて、市の広報に調査してもらった。別にわたしに得なわけじゃないけどほかの利用者が同じ思いをしなくて済むように)

わたしは、介護支援を受けることで、日常生活を営め、仕事も少しだができている。支援がなかったら、入院したり、子供を保護してもらわないといけないかもしれない。そのほうがずっとお金も労力もかかる。支援してもらえれば、税金を納めることができる。天秤にかければ、社会にとっても、わたしを支援するほうが得だ。本来は得だから支援するべきだという話じゃなくて、そもそも社会の成り立ちが、人の生活を支援するために存在するって問題がすっと理解されれば一番良いけど。人間は、お互い助け合うことで環境に適合して繁殖してきた生き物だから、弱いものは死ね、ってやると滅ぶんだよね。そんな前提に立ち返る必要もなく、社会は助け合うために会うってことだけわかってたらいいんだけども。

 

困っている人が、困っていることを解決するために、何か手立てを考えて工夫するということを、どうしても受け入れられない人がいるらしい。

ずるい、って思うみたいだ。得しているとか。

それぞれにそれぞれの困難があって、それを己の才覚で何とかするのは全然悪いことじゃないんだけどね。ぼーっとしながら、苦しみながらじわじわ死にたいですか?

わたしはいやなので、何とか考えて、快適に幸せに生きる努力をしたいです。その努力は我慢することではありません。人によっては我慢を努力とはき違えている人がいるみたいですけど、脳みそは使ってなんぼです。我慢は脳みそを腐らせます。(とはいえ、我慢するしかないこともとても多いけど。肉体という牢獄からは逃れられない)

 

 

ほんとにひどい事件があって、嫌なこともあって、どんどん書くことが難しくなる。怒ると具合が悪くなる。でも、不当なことをされたら、ちゃんと怒らないと、どんどん相手が図に乗ってこっちを殺しに来る。

目立たなかったらいい、言わなかったらいい、目を付けられないようにしたらいい、って人はそういうのが向いているんだと思う。でも、それが向いていない人もいて、そういう人も殺されたらだめだ。殺されない自由があるべきだ。そして、当然殺す自由はない。そういう自由は制限されている。

 

 

わたしは、まだ、悲しくて驚いていて、追悼する気持ちになれないから、ぐちゃぐちゃした気持ちでいるんだけど、はてこさんのことも、地続きだと思ってこれを書いた。

わたしも、たぶん彼女も、低能先生に書き込まれたことはあるはずだ。

デリヘルを呼んだってことが、違法か、違法じゃないか、ってことを掲げている人は、ほんとの根っこのところは、そこが問題になっているわけじゃないんだと思う。

 

(誤字と文章の読みにくさに我ながらちょっと困る。メンタルも体もだいぶしんどい)

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